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Review List of Ichiro 

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     2010/11/06

    ぼくがSJBを知ったのは1975年。それ以来ありとあらゆる彼の資料研究をしてきました。特にこれは若いファンへ伝えたいと思います。
    SJBは50年代からBPOの招聘を受けてましたが健康の理由で実現せず、BPOの英国遠征に初客演し、ベルリンで初共演(バックハウス共演)、3度目がこの歴史的レコーティングへとつながる共演でした。その後彼らは70回以上共演し、ほぼ主席客演指揮者的存在でした。
    68年にベルリン芸術週間で共演した際には、普段他オケの客演でいないはずのカラヤンがわざわざ舞台上にお礼の挨拶に来ているツーショットが当時のレコ芸にのってます。直後カラヤンはSJBにカラヤン・コンクールの審査員を頼みSJBは快諾します。カラヤンにとってもSJBは指揮者の中の指揮者で尊敬する存在だったわけです。
    マーラーに関しては70年1月の最後の共演「巨人」含めNo.1-6,9とやってきたわけです。当然71年の客演時は7番がブログラムされてましたが、追悼演奏会となりバレンボイムがブルックナーの7番に変えて指揮。クリフォード・カーゾンも駆けつけモーツァルトの協奏曲を弾いています。その後75年に小澤が8番をやってます。これは当然SJBが生きていれば72年ぐらいにやっていたはずのモノです。
    当時陸の孤島西ベルリンは多くの音楽家が集まってきており、SBJ&BPO共演はプロの音楽家にとっても聴きたいコンサートでした。ぼくはマゼールがピッツバーグ響の顧問〜音楽監督になる同時期彼の地で学生時代を過ごしてました。当時同オケは地元主要大学の留学生向けに招待券を発行しており、ラッキーなことに全ての演奏会に行きました。FMでも1年遅れでライブ放送。ある晩マゼールのシベリウス7番がオンエアーされる晩、マゼールが地元放送局にインタビュされてました。シベリウスの音楽との出合いは?という問に「68年のベルリン芸術祭に客演してきたSJBのシベリウス7番を聴きに行って開眼させられた」とはっきりと答えファンとして感激しました。
    そのSJB死去したのは7/28深夜で12時を回っており7/29になっていたそうです。よく「来日直前の死去」といいますが、70年の大阪国際フェスティバルにNPOと招かれていたわけです。昔は当時のプログラムのコピーを持っていたんですが、今は手元になく正確ではありませんが、確か大阪での最初の演奏会が8/3とか8/4だったと思います。つまり、日本デビューのたった1週間前にこの世を去ったんです。あと1カ月でも生きていれば日本で得意の「英雄」「巨人」「シベリウス2番」を披露できたのに。日本の音楽ファンにとって本物のSJBの凄さを知る唯一の機会であったのに!!!
    まだまだ共有したい情報は山ほどありますが、今回は長くなったのでこのぐらいにしておきます。

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