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TOP > My page > Review List of つよしくん
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6 people agree with this review 2010/05/03
サン・サーンスのピアノ協奏曲集は、知る人ぞ知る名曲だと思う。サン・サーンスの協奏曲と言えば、ヴァイオリン協奏曲第3番やチェロ協奏曲第1番が非常に有名であり、前者についてはフランチェスカッティ、チョン・キョンファ、後者についてはロストロポーヴィチ、デュ・プレの名演によって、広く知られている。それに対して、ピアノ協奏曲の知名度は不当に低いと言わざるを得ない。録音の点数も、あまり多いとは言えない。サン・サーンスならではの美しい旋律とフランス風のエスプリに満ち溢れた魅力作揃いだけに、大変惜しい気がする。全集としては、チッコリー二、コラール、ロジェなどが名盤として知られるが、ここに本盤のマリコワによる名演が加わったのは何と言う幸せだろう。本盤の売りは3つ。一点目は、ドイツのオーケストラを使用した初めての全集ということだ。サン・サーンスは、かなり多くの識者(例えばチャイコフスキーなど)が論じているように、ドイツ音楽をフランス風にアレンジして、フランス音楽の独自性をいかに発揮させるのかといった点に腐心していた作曲家であり、作品にもそのようなドイツ音楽の影響を随所に感じさせる面がある。ピアノ協奏曲にもドイツ音楽風の重厚さが随所に含有されており、T・ザンデルリング&ケルン放送交響楽団は水を得た魚の如く、実に重厚でシンフォニックな演奏を行っているのが素晴らしい。二点目は、マリコワの女流ピアニストならではの繊細にして優美なタッチ。これぞフランス風のエスプリ漂う瀟洒な雰囲気で満たされており、重厚なドイツ風のオーケストラ演奏とのベストマッチングぶりが見事である。三点目は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音であり、これ以上は求められないような鮮明な音質が最高だ。
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3 people agree with this review 2010/05/01
これはとてつもない超名演だ。ショパンの前奏曲には、本盤の前には、オーソドックスなルービンシュタインの名演や、フランス風のエスプリを織り交ぜた個性的なフランソワなど、名演が目白押しであり、そうした並みいる名演の中で、存在感を示すのは、並大抵の演奏では困難であった。ところが、このポゴレリチ盤は、海千山千の難敵を見事に打ち破ってくれた。それにしても、何と言う個性的な解釈なのだろう。唖然とするようなテクニックにも圧倒されるが、一部の人が高く評価するポリーニのように、機械じかけとも評すべき無機的な演奏には決して陥っていない。どの曲をとっても、切れば血が吹き出てくるような力強い生命力に満ち溢れていると言える。また、各楽曲の弾き分けは極端とも言えるぐらいの緩急自在の表現を示しており、例えば、雨だれとして有名な第15番と、強靭な打鍵で疾走する第16番の強烈な対比。それが終わると、今度は第17番で、再び深沈たる味わい深さを表現するといったようなところだ。ポゴレリチの凄さは、これだけ自由奔放とも言える解釈を示しながら、決してあざとさを感じさせないということだろう。それは、ポゴレリチが、ショパンの前奏曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。今後、このポゴレリチ盤を超える名演は果たして現れるのだろうか。彼の後に続くピアニストにとっても、本盤は相当な難問を提示したと言えるだろう。
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4 people agree with this review 2010/05/01
ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるマーラー・チクルスもいよいよ佳境に入り、残すところはあと大地の歌と第9だけになった。本盤の第8は、第7の録音から1年のブランクを置いて録音されたものであるが、満を持して録音されたものだけに、その期待にたがわない名演となった。特に、素晴らしいと思ったのは第2部。第8は、第1部があまりにも賑々しいために、それとの対比を意識するあまり、第2部(特に、冒頭部)をいかにも弱々しく演奏し、それ故に、殆ど聴き取れないということもよくあるが、ジンマン盤ではそのようなことはない。SACDマルチチャンネルによる高音質録音ということも多分にあるとは思うが、実に明快で精緻な演奏を心がけているように思う。そして、この長大な第2部を、決して冗長に陥らせることなく、場面ごとの描き分けを適切に行い、全体を一大叙事詩のようにスケール雄大に演奏している点を高く評価したい。他方、第1部は、録音にやや濁りがある点が惜しい。合唱にやや濁りが見られる点で、このあたりは、大編成の楽曲故の録音の難しさなのかもしれない。しかしながら、演奏自体は、第2部ほどではないものの、高い水準で纏まっていると言える。いずれにしても、トータルの評価として、今後予定されている大地の歌や第9の演奏にも、大いに期待を持てる名演と高く評価したい。
4 people agree with this review
毎年行われているニューイヤー・コンサートの中で、名演と称されるのは、かつてのクレメンス・クラウスは別格として、1987年のカラヤンと、1989年及び1992年のクライバーであると考えているが、今般のプレートルの2度目のコンサートは、これまでの名コンサートに匹敵する超名演であると高く評価したい。そもそも選曲のセンスの良さに感心させられるばかりだ。様々な見方もあろうとは思うが、第5曲目のワルツ「酒・女・歌」が全体を通じたテーマと言えるのではないか。酒(シャンパン)や女性、そして歌こそが生きていく上の最大の活力。プレートルは85歳の老齢ではあるが、そのような老いの影など微塵も感じられない。どの曲にも、プレートルの溢れんばかりの力強い活力が漲っている。それでいて、ウィンナ・ワルツとフランスのエスプリが絶妙にコラボレーションした雰囲気豊かな高貴な優美さ。初登場の「ライン川の水の精」など、他の指揮者が演奏すれば、とてもニューイヤー・コンサートで採り上げるのもはばかるような演奏に陥る可能性もあるが、プレートルの手にかかると、そのような違和感を全く感じさせないのだから、その高踏的な至芸がいかに凄いものかがわかろうというものだ。また、有名な「美しき青きドナウ」をこれほどまでに思い入れたっぷりに演奏した例は他にあったであろうか。ウィーン・フィルも、雰囲気豊かな実に美しい音色を出しており、巨匠プレートルとの抜群の相性の良さを感じさせる。
4 people agree with this review 2010/04/30
スカルラッティのソナタ集のピアノ演奏版には、ホロヴィッツの超弩級の名演がある。それ故に、後に続くピアニストは、なかなかこの超名演の高峰の頂に登ることは出来なかったが、漸く、ホロヴィッツ盤に匹敵する名盤があらわれた。その名盤こそ、本盤のポゴレリチ盤である。ポゴレリチは、ホロヴィッツと同様に、ラルフ・カークパトリックが付した番号順に演奏するという型どおりなことはしていない。555曲もあるとされているソナタ集から、15曲をランダムに選んで、ポゴレリチ自身が考えた順番に並べて演奏している。演奏も、卓越したテクニックをベースとして、力強い打鍵から情感溢れる抒情豊かな歌い方など表現の幅は実に広く、緩急自在のテンポ設定を駆使して、各曲の描き分けを完璧に行っている。それにしても、各曲の並べ方の何と言うセンスの良さ。ランダムに選んだ各曲の並べ方には、一見すると一定の法則はないように見えるが、同一調を何曲か続けてみたり、短調と長調を巧みに対比して見せたりするなど、全15曲が有機的に繋がっており、前述のようなポゴレリチの卓越した演奏内容も相まって、あたかも一大交響曲を聴くようなスケールの雄大さがあると言える。これだけの超名演を聴かされると、他のソナタ集もポゴレリチの演奏で聴きたくなったのは、決して私だけではあるまい。
1 people agree with this review 2010/04/30
楽興の時が超名演だ。卓越したテクニックの下、力強い打鍵と、それと対照的な情感あふれる耽美的とも言うべきロシア的抒情の美しさ。これらを駆使した各楽章の描き分けは見事と言うほかはない。前奏曲と比較すると、録音の点数も少なく、知る人ぞ知る地位に甘んじている同曲ではあるが、このような超名演に接すると、そうした評価が非常に不当なもののように思えてくる。SACDによる極上の高音質も、この超名演の価値をより一層高めることに貢献しており、おそらくは、同曲の録音史上のベストワンの地位に君臨する至高の超名演と高く評価したい。他方、メインのピアノ協奏曲第3番は、決して凡演とは言えないものの、このコンビならば、もう一段レベルの高い演奏を成し遂げることが可能だったのではないかと、少々残念な気がした。かつてのホロヴィッツや、最近では、キーシンやヴォロドス、ランランなどの名演が次々に生まれている状況に鑑みれば、そのような中で存在感を示すには、少々のレベルの演奏では困難だというのは自明の理である。断わっておくが、本盤も決して凡庸な演奏ではなく、いい演奏ではある。しかしながら、前述のような名演に慣れた耳からすると、インパクトがあまりにも少ないということだ。SACDによる録音も、楽興の時に比べると、いささか鮮明さに欠ける気がした。
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9 people agree with this review 2010/04/29
はじめに、私は、必ずしもチェリビダッケの良い聴き手ではないということを告白しておかなければならない。同業他者への罵詈雑言の数々、生前に録音を殆ど許可しなかった(海賊盤しか手に入らなかった)という異常なまでのこだわり、そして、あのハリー・ポッターのマルフォイをそのまま大人にしたような傲岸不遜な風貌も相まって、どうもチェリビダッケには、胡散臭さを感じていたというのが正直なところだ。チェリビダッケの没後、漸く少なからぬライブ録音が発売されたが、玉石混交。あの異常なまでのスローテンポに(すべてとは言わないが)、どうしても必然性が感じられなかった。チェリビダッケのファンからすれば、聴く耳がないと怒られそうだが、人それぞれに好みや感じ方があるので、それは仕方がないのではないかと思っている次第だ。しかしながら、数年前に発売された、来日時のブルックナーの第5を聴いて、歳をとったせいで丸くなったという面も無きにしも非ずだが、漸く、チェリビダッケの芸術というものへの理解が少し出来たような気がした。そして聴いた本盤の第8。確かに、常識はずれのスローテンポではあるが、少なくとも、かつて聴いたミュンヘン・フィルとのライブ録音の時のようにもたれるというようなことはなく、心行くまで演奏を堪能することができた。チェリビダッケのブルックナー演奏の性格を一言で言えば、光彩陸離たる豊穣さと言えるのではないか。どこをとっても隙間風の吹かない重厚さ、壮麗さが支配しており、どんなに金管楽器を最強奏させても、無機的には陥らない。それでいて、抒情的な箇所の最弱音も、いわゆる痩せたりするということは皆無であり、常に意味のある高踏的な音が鳴り切っている。これぞ、究極のオーケストラ演奏と高く評価したい。確かに、通例のブルックナーの演奏からすれば異端とも言えるところであり、これは、あくまでもチェリビダッケの個の世界にあるブルックナーということになるのかもしれない。それ故に、かつての私のように抵抗感を示す聴き手もいるとは思うが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。
9 people agree with this review
7 people agree with this review 2010/04/28
バッハの管弦楽曲や合唱曲では、ピリオド楽器を使用した小編成での演奏や、古楽器奏法などが主流となりつつあるが、いわゆる器楽曲でも同様の傾向があり、チェンバロ作品として作曲された楽曲を現在のグランドピアノで演奏する機会も、管弦楽曲や合唱曲ほどではないものの、徐々にその数を減らしていると言えるだろう。そのような時代にあって、バッハのチェンバロ作品を演奏するピアニストには、相当なる自信を持って臨んでいると言えると思われるが、ポゴレリチも、初のバッハ録音とは思えないような、自信に満ち溢れた堂々たるピアニズムを示していると言える。イギリス組曲第2番の冒頭のプレリュードからして、唖然とするようなテクニックと力強い打鍵に圧倒される。続くアルマンドやサラマンドの情感溢れる抒情豊かさは美しさの限りであり、胸のすくような快速のジークで全曲を締めくくるのである。第3番も第2番に勝るとも劣らないような超名演。抜群のテクニックの下、各楽章の描き分けが実に巧みであり、抒情的な箇所もなよなよしたところは皆無。常に高踏的な至高の美しさを湛えているのが素晴らしい。これだけ優れた名演を聴かされると、ポゴレリチの演奏で他のバッハの器楽曲も聴きたくなったのは私だけではあるまい(あるのかもしれないが、私は聴いていない。)。例えば、ゴールドベルク変奏曲など、ポゴレリチが本盤で示した芸風に鑑みると、相当な名演を成し遂げるのではないだろうか。
7 people agree with this review
6 people agree with this review 2010/04/28
バッハのミサ曲ロ短調と言えば、私は、これまでリヒターやクレンペラー、カラヤンなどの壮麗にして重厚な名演に親しんできたせいか、各パート一人という小編成を売りにしている本盤を聴く前は、いささか不安に感じていたのが正直なところであった。ところが、実際に聴いてみると、これがなかなかに魅力的な演奏であるのに大変驚かされた。このような小編成による演奏や、いわゆるピリオド楽器を使用した演奏には、歴史考証学的には価値があると言えるものの、芸術的にはイマイチという凡演も散見されるが、このクイケン盤については、芸術性においても非常に高いレベルに達している名演と高く評価したい。一聴すると、淡々と演奏しているようであるが、どこからともなく漂ってくる至高・至純の美しさ。あたかも、ミサにおける敬虔な祈りの声が周囲から聴こえてくるかのようだ。また、各パート一人であるが故に、各声部や各楽器の動きは明晰そのものであり、演奏の精緻さをより極める結果となっている点も見過ごしてはならないだろう。この決してごまかしの効かないアプローチを行った点にも、クイケンの並々ならない自信が満ち溢れていると言える。録音も、SACDマルチチャンネルによる豊かな残響を活かした鮮明な超高音質録音であり、本名演の価値をより一層高めることに大きく貢献していると言える。
9 people agree with this review 2010/04/26
ピアノ協奏曲第2番もポロネーズ第5番も、いずれもそれぞれの楽曲の最高の名演の一つと高く評価したい。ピアノ協奏曲第2番は、ショパンの若書きの協奏曲故に、演奏がイマイチだと、旋律の美しさという、曲想のうわべだけを取り繕った浅薄な演奏になりがちであるが、ポゴレリチの場合はそのような心配は御無用。それどころか、あまりの個性的なピアノに完全にノックアウトされてしまった。意表をつくような緩急自在のテンポ設定を駆使。ダイナミックレンジの幅広さも尋常ではなく、抒情的な箇所の歌い方も濃厚さの極みである。これだけの個性的な解釈を示しつつも、全体的な造型にいささかの揺らぎも見られず、ここに、ポゴレリチの天賦の才能が示されていると言える。正に、天才だけが可能な至芸と言える。このような個性的な天才ピアニストをサポートする指揮者には、相当な寛容さが求められると思うが、アバド&シカゴ交響楽団は、ポゴレリチの個性的なピアノを柔軟性を持ってしっかりと支えている点を高く評価したい。併録のポロネーズ第5番も、ポゴレリチならではの個性的な超名演。力強い打鍵と、時折見られる情感豊かさのバランスが見事であり、あたかもオーケストラを指揮しているとの錯覚を起こすような重量感溢れるド迫力に、完全に圧倒されてしまった。
2 people agree with this review 2010/04/25
プロコフィエフの交響曲の中で、最も人気のある2大交響曲をおさめた好企画CDだ。いずれも、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えてくれる佳演であると思う。いわゆる個性的な表現には乏しいが、だからと言って演奏が平板ということにはならない。第1も第5も、やや早めのテンポをとりつつ、ここぞという時の力強い迫力や、抒情的な箇所の歌い方にもいささかの不足はなく、何と言う素晴らしい曲だろうと思わせる。こう言った、楽曲の魅力を、オーソドックスな表現によって、ダイレクトに聴き手に伝えるということが、実はアシュケナージの個性と言えるのかもしれない。シドニー交響楽団の健闘も称賛しておかなければならない。エルガーやラフマニノフの交響曲・管弦楽曲集では、オーケストラの力量にいささか疑問符をつけたくなるような箇所も散見されたが、本盤の両曲の演奏を聴く限りにおいては、そのような不安は微塵も感じられなかった。これは、アシュケナージ&シドニー交響楽団のコンビが軌道に乗ってきたことを表す証左であり、今後録音される他の交響曲やピアノ協奏曲にも大いに期待を持てるものと言える。SACDによる極上の高音質も素晴らしいの一言であり、エクストンも、漸く、このコンビの録音会場であるシドニー・オペラハウスでのベストのマイクポイントを会得したのではないかとも感じた。
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10 people agree with this review 2010/04/25
マタイ受難曲は、かつては大編成のオーケストラと合唱団による壮麗な演奏がもてはやされた時代があった。戦前のメンゲルベルクと戦後のリヒター(59年の旧盤)は双璧とされた名演であり、その他にもクレンペラーやカラヤンによる重厚な名演もあった。しかしながら、最近では、ピリオド楽器を活用したり、合唱も小編成によるものが主流となり、マタイ受難曲の演奏様式もすっかりと様変わりすることになった。それも、単に時代考証的な演奏にとどまるのではなく、芸術的な水準においても十分に満足できる極めて水準の高い名演が生まれているのは、マタイ受難曲ファンとしても大変うれしい限りだ。そして今般、コープマンやレオンハルト、コルボなどの名演の列に、本盤のクイケン盤が加わることになった。小編成のオーケストラ、そしてきわめて小規模な合唱団故に、スケールの小ささは否めない。例えば、イエスが逮捕される箇所のつつましい表現など、リヒター盤やカラヤン盤のような劇的迫力を期待していると完全に肩透かしをくらわされる。しかしながら、一聴すると淡々と進行しているように見えて、実はその曲想の描き方の何と言う純真無垢さ。恣意的な箇所はいささかもなく、どこをとっても敬虔な祈りに満ち溢れた至高・至純の美しさを湛えていると言える。残響を取り入れた録音も極上の極みであり、SACDマルチチャンネルによって、この世のものとは思えないような美しい音場が形成されるのが素晴らしい。
10 people agree with this review
5 people agree with this review 2010/04/25
朝比奈のハイドンは実に珍しい。私としても、これまで第1番と第104番しか聴いたことがなかった。朝比奈は、ドイツの交響曲の三大B(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー)について数多くの演奏を行い、そして数々の名演を遺してきたことを考えれば、大変惜しい気もしていたが、そのような中、ついに長年の渇きを癒す本CDが発売された。第92番も第99番も、いずれも朝比奈ならではの剛毅にして重厚な名演だと高く評価したい。ハイドンの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器や、いわゆる現代オーケストラに古楽器的な奏法をさせるというものが主流を占めつつある。そのようなアプローチは、歴史考証学的には正しいのかもしれないが、それが果たして芸術の感動に繋がるのかと言えば、私としては大いに疑問を感じている。朝比奈の演奏は、こうした現在の軽妙浮薄とも言えるゆゆしき潮流とは全く正反対の重厚長大なアプローチ。あたかも、ブルックナーを演奏する時にように、ゆったりとしたインテンポで、スコアに記された音符のすべてを愚直に、そして隙間風を吹かすことなく重厚に演奏していく。そのスケールの雄大さは、ハイドンの交響曲の演奏としては空前絶後とも言える巨大さであり、演奏当時は、朝比奈もまだ60代の壮年期であるが、既に巨匠の風格が十分に漂っていると言える。こうした朝比奈の指揮に、本場ドイツのオーケストラがしっかりと応えているのも、実に素晴らしいことではないだろうか。本盤の名演に接して、無いものねだりながら、朝比奈のハイドンは、他の交響曲でももっと聴いてみたいと心底思った次第だ。
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4 people agree with this review 2010/04/24
本盤は、ヤンソンス&コンセルとへボウ管弦楽団の黄金コンビの絶好調ぶりをあらわす名演だと思う。レクイエムは、ドヴォルザークの最円熟期に作曲された傑作であるが、そのわりには録音が極めて少ない。これは大変残念なことであると思うが、その渇きを十分に癒す本名演の登場は、大変に歓迎すべきことであると考える。ヤンソンスは、めまぐるしく移り変わる各局面の描き分けが実に巧みであり、なかなか統率が困難とも言われているウィーン楽友協会合唱団にも、その力強い統率力を発揮して、見事な歌唱をさせているのが素晴らしい。独唱のストヤノヴァや藤村も最高のパフォーマンスで、この名演に華を添えている。ドヴォルザークの第8も名演だ。アプローチとしては第9の時と同様で、指揮者の個性を全面に打ち出すというよりも、楽曲の魅力や美しさを引き出した演奏と言うことができる。だからと言って、没個性的な演奏ということではない。例えば、第1楽章や終楽章の終結部の猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の他のどの指揮者よりもゆったりとしたテンポによる抒情豊かな演奏など、ヤンソンスならではの個性的な解釈も見られる。録音は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質であり、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している。
1 people agree with this review 2010/04/24
フルトヴェングラーのブルックナーの第8の54年盤については、クナッパーツブッシュの演奏ではないかとの説が存在しているが、本盤の名演を聴いて、そんな疑念はすっかりと吹き飛んでしまった。第1楽章のゆったりとした深沈たるインテンポの表現を聴いていると、確かに、そのような説を唱える者にも一理あると思ったが、第2楽章のスケルツォの猛スピードの演奏と、中間部のゆったりとしたテンポの極端な対比や、第3楽章のうねるような熱いアダージョの至高美、そして終楽章の物々しい開始や、ドラマティックな展開など、フルトヴェングラーならではのテンペラメントな世界が全開だ。改訂版の使用であり、終楽章には大幅なカットや、ブルックナーらしからぬ厚手のオーケストレーションが散見されるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えない。グランドスラムによる復刻は、この当時のものとは言えないくらい鮮明なものであり、特に低弦による重量感溢れる迫力には大変驚かされた。ボーナストラックのワーグナーやマーラーも定評ある名演。特に、マーラーのさすらう若人の歌は、各楽章ごとの巧みな描き分けが見事であり、殆どマーラーを指揮していないにもかかわらず、これほどの超名演を成し遂げたフルトヴェングラーの偉大さにあらためて感じ入った。若きディースカゥも、その後の洋々たる将来を予見させるのに十分な見事な歌唱を披露している。
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