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Review List of つよしくん 

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     2011/03/17

    バーンスタインは、ビデオ作品を含め3度にわたってマーラーの交響曲全集を録音した唯一の指揮者であるが、3度目の全集については、実際には、交響曲第8番、第10番、そして大地の歌を録音することなく鬼籍に入ってしまった。3度目の全集を構成する各交響曲や歌曲集のいずれもが至高の超名演であっただけに、大変に残念なことであると考えている。本盤の大地の歌は、このような事情から3度目の全集の中におさめられてはいるが、実際には1966年の録音であり、バーンスタインが二度録音した大地の歌のうちの最初のもの。しかも、ウィーン・フィルにデビューしたての頃の録音である。したがって、バーンスタインも、名門ウィーン・フィルを前にして、相当に気合が入っていたのではないだろうか。同時期に録音された歌劇「ファルスタッフ」では遠慮があったと言えるが、マーラーにおいては、確固たる自信からそのような遠慮など薬にしたくもなかったに相違ない。他方、ウィーン・フィルにとっては、カラヤンを失ったばかりでもあり、カラヤンに対抗するスター指揮者を探すべく躍起となっていた時期であった。それ故に、本盤では、意欲満々のバーンスタインと、自らの新しいヒーローを前にして全力を尽くしたウィーン・フィルの底力が相乗効果を発揮した至高の名演ということができるのではないかと考えられる。大地の歌には、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)とクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団(1964年)という歴史的な超名演が存在するが、本盤は、この両者に唯一肉薄する名演と高く評価したい。なお、本演奏において、独唱には通常のアルトに代わってバリトンを起用しているが、ここでのフィッシャー・ディースカウの独唱は、違和感をいささかも感じさせず、むしろバリトンの起用にこそ必然性が感じられるような素晴らしい名唱を披露していると言える。その名唱は上手過ぎるとさえ言えるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。テノールのキングも、ディースカウにいささかも劣らぬ好パフォーマンスを示しているのも素晴らしい。

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     2011/03/16

    終楽章にボーイ・ソプラノを起用したことにより数々の批判を浴びている曰くつきの演奏ではあるが、私としては、確かにボーイ・ソプラノの起用には若干の疑問は感じるものの、総体としては、素晴らしい名演と高く評価したい。マーラーの第4は、マーラーのあらゆる交響曲の中で、最も古典的な形式に則った作品であり、楽器編成も第1楽章の鈴や終楽章の独唱を除けば、きわめて常識的である。それ故に、いわゆるマーラー指揮者とは言えない指揮者によっても、これまで好んで演奏されてきた交響曲ではあるが、表情づけが淡泊であるというか、内容の濃さに欠ける演奏、スケールの小さい演奏が多かったというのも否めない事実であると言えるのではないだろうか。もっとも、いくらマーラーが作曲した最も規模の小さい簡潔な交響曲と言っても、そこは重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの手による作品なのであり、何も楽曲を等身大に演奏することのみが正しいわけではないのである。バーンスタインは、そうした軽妙浮薄な風潮には一切背を向け、同曲に対しても、他の交響曲へのアプローチと同様に、雄弁かつ濃厚な表現を施している点を高く評価したい。バーンスタインの名演によって、マーラーの第4の真価が漸くベールを脱いだとさえ言えるところであり、情感の豊かさや内容の濃密さ、奥行きの深さと言った点においては、過去の同曲のいかなる演奏にも優る至高の超名演と高く評価したい。バーンスタインの統率の下、コンセルトヘボウ・アムステルダムも最高のパフォーマンスを示していると言えるところであり、バーンスタインの濃厚な解釈に深みと潤いを与えている点を忘れてはならない。前述のように、終楽章にボーイ・ソプラノを起用した点についてはいささか納得し兼ねるが、ヴィテックの独唱自体は比較的優秀であり、演奏全体の評価にダメージを与えるほどの瑕疵には当たらないと考える。

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     2011/03/15

    マーラーの第1は、マーラーの青雲の志を描いた作品である。スコア自体は第4と同様に、他の重厚長大な交響曲と比較すると必ずしも複雑であるとは言えないが、演奏自体は、なかなか難しいと言えるのではないだろうか。他の交響曲をすべて演奏した朝比奈が、第1を一度も演奏しなかったのは有名な話であるし、小澤は3度も同曲を録音しているが、最初の録音(1977年)を超える演奏を未だ成し遂げることが出来ていないことなどを考慮すれば、円熟が必ずしも名演に繋がらないという、なかなか一筋縄ではいかない面があるように思うのである。どちらかと言えば、重々しくなったり仰々しくなったりしないアプローチをした方が成功するのではないかとも考えられるところであり、例えば、同曲最高の名演とされるワルター&コロンビア交響楽団盤(1961年)は、もちろんワルターの解釈自体が素晴らしいのではあるが、コロンビア交響楽団という比較的小編成のオーケストラを起用した点もある程度功を奏していた面があるのではないかと思われる。ところが、バーンスタインはそうした考え方を見事に覆してしまった。バーンスタインは、他のいかなる指揮者よりも雄弁かつ濃厚な表現によって、前述のワルター盤に比肩し得る超名演を成し遂げてしまったのである。バーンスタインは、テンポの思い切った緩急や強弱、アッチェレランドなどを駆使して、情感豊かに曲想を描いている。それでいて、いささかも表情過多な印象を与えることがなく、マーラーの青雲の志を的確に表現し得たのは驚異の至芸であり、これは、バーンスタインが同曲の本質、引いてはマーラーの本質をしっかりと鷲掴みにしている証左であると言える。オーケストラにコンセルトヘボウ・アムステルダムを起用したのも、本盤を名演たらしめるに至らせた大きな要因と言えるところであり、光彩陸離たる響きの中にも、しっとりとした潤いや奥行きの深さを感じさせるのが素晴らしい。

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     2011/03/13

    バーンスタインは、マーラーの第9をビデオ作品も含め4度録音している。ニューヨーク・フィル盤(1965年)、ウィーン・フィル盤(1970年代のDVD作品)、ベルリン・フィル盤(1979年)、そして本コンセルトヘボウ・アムステルダム盤(1985年)があり、オーケストラがそれぞれ異なっているのも興味深いところであるが、ダントツの名演は本盤であると考える。それどころか、古今東西のマーラーの第9のあまたの演奏の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。マーラーの第9は、まぎれもなくマーラーの最高傑作だけに、様々な指揮者によって数々の名演が成し遂げられてきたが、本盤はそもそも次元が異なると言える。正に、本バーンスタイン盤こそは富士の山、他の指揮者による名演は並びの山と言ったところかもしれない。これに肉薄する往年の名演として、ワルター&ウィーン・フィル盤(1938年)があり、オーパスによって素晴らしい音質に復刻はされているが、当該盤は、多分に第二次世界大戦直前という時代背景が名演に伸し上げたと言った側面も否定できないのではないだろうか。マーラーの第9は、マーラーの交響曲の総決算であるだけに、その神髄である死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬がテーマと言えるが、これを、バーンスタイン以上に表現し得た指揮者は他にはいないのではないか。第1楽章は、死への恐怖と闘いであるが、バーンスタインは、変幻自在のテンポ設定や思い切ったダイナミックレンジ、そして猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使しており、その表現は壮絶の極みとさえ言える。これほど聴き手の肺腑を打つ演奏は他には知らない。第3楽章の死神のワルツも凄まじいの一言であり、特に終結部の荒れ狂ったような猛烈なアッチェレランドは圧巻のド迫力だ。終楽章は、生への妄執と憧憬であるが、バーンスタインの表現は濃厚さの極み。誰よりもゆったりとした急がないテンポにより、これ以上は求め得ないような彫の深い表現で、マーラーの最晩年の心眼を鋭く抉り出す。そして、このようなバーンスタインの壮絶な超名演に潤いと深みを付加させているのが、コンセルトヘボウ・アムステルダムによるいぶし銀の音色による極上の名演奏と言えるだろう。本盤で残念なのは録音がやや明瞭さに欠けるところであり、数年前のSHM−CD化によってもあまり改善されたとは言えなかった。ベルリン・フィル盤が既にリマスタリングされたのに、本盤が一向にリマスタリングされないのは実に不思議な気がする。同曲演奏史上最高の歴史的超名演であるだけに、今後、リマスタリングを施すなど更なる高音質化を大いに望みたい。

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     2011/03/13

    パーヴォ・ヤルヴィは、現代における最も注目すべき指揮者と言えるのではないか。広範なレパートリーを誇る指揮者であり、発売されるCDの多種多様ぶりには大変驚かされるばかりであるが、決して器用貧乏には陥らず、発売されるCDのいずれもが水準の高い名演という点も、高く評価されるべきであると考える。本盤には、ムソルグスキーの代表作3曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演だ。冒頭におさめられた交響詩「はげ山の一夜」は、畳み掛けていくような生命力溢れる力強さが見事であり、その怒涛のド迫力にはただただ圧倒されるのみである。それでいて、荒っぽさなどは薬にしたくもなく、どこをとってもニュアンスが豊かであり、各楽器がいささかも無機的な音を出していないというのは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性とともに、パーヴォ・ヤルヴィの圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを示しているシンシナティ交響楽団の卓抜した技量の賜物であると言える。また、組曲「展覧会の絵」においては、パーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していく。それでいて、各組曲毎の描き分けを実に巧みに行っており、曲中に何度もあらわれるプロムナードの主題に施している表現の多様性にはほとんど舌を巻いてしまうほどだ。そして、どこをとっても恣意的な解釈が見られず、ラヴェルが編曲した華麗なオーケストレーションの醍醐味を、ゆったりとした気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。特筆すべきはシンシナティ交響楽団の圧倒的な技量であり、金管楽器も木管楽器も実に美しく、そして卓越した技量を披露してくれている点を高く評価したい。「ホヴァンシチナ」前奏曲における情感の豊かさは、もはやこの世のものとは思えないような至純の美しさを誇っていると言える。音質も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、このような素晴らしい名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/03/13

    パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの非常にレパートリーの広い指揮者だ。最近発売されるCDの多種多様ぶりには目を見張るばかりである。しかも、どの演奏も水準の高い名演に仕上がっており、その音楽性の高さを考慮すれば、今や父ネーメ・ヤルヴィをも凌ぐ存在となったと言えるだろう。本盤は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」と、ニールセンの最高傑作との呼び声の高い交響曲第5番という異色のカプリングであるが、こうした点にも、パーヴォ・ヤルヴィの広範なレパートリーの一端を大いに感じることが可能だ。演奏は、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性を感じさせる素晴らしい名演だ。確かに、バレエ音楽「春の祭典」で言えば、ブーレーズのようないわゆる前衛的な凄みであるとか、あるいはニールセンの交響曲第5番で言えば、ホーレンシュタインやデイヴィスのような個性的な解釈が施されているわけではない。したがって、両曲ともに、それぞれ本盤を上回る名演がいくつもあるというのは否めない事実である。しかしながら、両曲ともに、パーヴォ・ヤルヴィが手塩にかけて薫陶したシンシナティ交響楽団から好パフォーマンスを引き出し、オーケストラ演奏の醍醐味を満喫させてくれる点を高く評価したい。もちろん、音符の表面をなぞった軽薄な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさ、内容の濃さが感じられるのが素晴らしい。これは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性の勝利と言えるのかもしれない。いずれにしても、演奏にはどこにも嫌味はなく、ゆったりとした気持ちで音楽に浸ることができるという意味では、本盤はかなり上位にランキングされる名演と言うこともできるだろう。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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  • 12 people agree with this review
     2011/03/13

    マゼールが今から約10年前に、当時の手兵バイエルン放送交響楽団とともに集中的に取り組んだブルックナーチクルスのコンサート記録である。本全集が廉価で手に入ることも考慮に入れれば、後述のようにすべてを名演と評価するには躊躇せざるを得ないが、全体としては水準の高い演奏で構成された全集と評価してもいいのではないかと考える。マゼール指揮によるブルックナーの交響曲と言えば、1974年に録音されたウィーン・フィルとの第5(英デッカ)、1988年に録音されたベルリン・フィルとの第7及び第8(ともにEMI)が念頭に浮かぶ。第5については、マゼールが若さ故の力強い生命力と超絶的な才能を武器に、前衛的とも言えるような鋭いアプローチによる演奏を繰り広げていた1960年代のマゼールの芸風の残滓が随所に感じられるなど、ブルックナー演奏としてはやや異色の印象が拭えなかった。他方、第7及び第8については素晴らしい名演。特に、第7については、故小石忠男先生がレコード芸術誌において、「マゼールに一体何が起こったのか」とさえ言わしめたほどの成熟した超名演であった。おそらくは、現在でも、この演奏を指揮者名を伏して聴いた多くの聴き手の中で、指揮者がマゼールと言い当てる者は殆どいないのではないか。このような同曲演奏史上においても上位にランキングされる超名演が、現在では、国内盤は廃盤。輸入盤でさえも入手難というのは大変残念な事態であると考えている。録音当時はカラヤンの最晩年。ポストカラヤン争いの本命を自負していたマゼールと、カラヤンへの対抗意識も多分にあったと思うが、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは鬼気迫る名演を繰り広げていたベルリン・フィルとの絶妙な組み合わせが、とてつもない超名演を生み出す原動力になったのではないかと考えられる。第8も、第7ほどではないもののレベルの高い名演であり、仮にマゼールが、本人の希望どおりベルリン・フィルの芸術監督に就任していれば、ベルリン・フィルとの間で歴史的な名全集を作り上げた可能性も十分にあったと言える。しかしながら、運命はマゼールに味方をしなかった。芸術監督の選に漏れたマゼールは、衝撃のあまりベルリン・フィルとの決別を決意。ドイツ国内での指揮さえも当初は拒否したが、その後数年で、バイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任。さらに、1999年になって漸くベルリン・フィルの指揮台にも復帰した。要は、本全集は、マゼールが指揮者人生最大の挫折を克服し、漸くベルリン・フィルに復帰したのとほぼ同時期に録音がなされたということである。本全集録音の数年前からは、ヴァントがベルリン・フィルとの間で、ブルックナーの交響曲の神がかり的な超名演の数々を繰り広げており、マゼールとしても、ベルリン・フィルとは和解はしたものの、かかる成功を相当に意識せざるを得なかったのではないかと考えられる。そうしたマゼールのいささか屈折した思いが、文句がない名演がある反面で、一部の交響曲には、意欲が空回りした恣意的な解釈が散見されるというやや残念な結果に繋がっていると言える。文句のつけようがない名演は、第0番、第1番、第2番の3曲であり、第3番以降になるとやや肩に力が入った力みが垣間見える。特に、第5及び第7は、テンポを大幅に変化させるなど、いささか芝居がかった恣意的な表現が際立っており、前述した過去の演奏に遠く及ばない凡演に陥ってしまっているのは大変残念だ。しかしながら、全集総体としては、水準の高い演奏が揃っており、★4つの評価が至当であると考える。マゼールは、2012年には、ブルックナー演奏に伝統があるミュンヘン・フィルの芸術監督に就任する予定である。3年間限定とのことであるが、本チクルスが短期間で集中して行われたことや、昨年末に我が国でベートーヴェンの交響曲全曲演奏を行った事実に鑑みれば、ミュンヘン・フィルとともに新チクルスを成し遂げる可能性は十分にあると考える。★5つを獲得できる円熟の名全集を大いに期待したい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/03/12

    メジューエワが、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音やショパンの数々の録音に引き続いて、シューベルトのピアノ作品集の録音に着手した。メジューエワは、本盤においても、曲想を精緻に描き出していくという基本的なアプローチは変わっていない。一音一音を揺るがせにすることなく、旋律線を明瞭にくっきりと描き出していく。ピアノソナタ第18番の第2楽章などにおける強靭な打鍵も女流ピアニスト離れした力強さが漲っているとも言える。したがって、全体の造型は非常に堅固であるが、音楽は滔々と流れるとともに、優美な気品の高さをいささかも失うことがない。そして、細部に至るまでニュアンスは豊かであり、その内容の濃さはメジューエワの類稀なる豊かな音楽性の証左と言えるだろう。また、シューベルトの作品には、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名旋律の数々が聴かれるが、その背後には寂寥感や死の影のようなものが刻印されており、これをどの程度表現できるかに演奏の成否がかかっていると言える。とりわけ、最晩年のピアノソナタ(第19〜21番)の底知れぬ深みは、ベートーヴェンの後期のピアノソナタにも比肩し得るほどの高峰にあると言えるが、これを巧みに表現し得た深みのある名演として、内田光子盤が掲げられる。メジューエワによる第19番は、年功から言ってさすがに内田光子の域に達しているとは言えないが、それでも、寂寥感や死の影の描出にはいささかの不足もなく、前述のような気高くも優美なピアニズム、確固たる造型美などを総合的に鑑みれば、内田光子盤にも肉薄する名演と高く評価したい。録音もメジューエワのピアノタッチが鮮明に捉えられており、素晴らしい高音質であると言える。

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  • 5 people agree with this review
     2011/03/12

    小林研一郎がついにベートーヴェンの交響曲全集に着手した。小林研一郎は、もともとレパートリーの少ない指揮者であり、新しい楽曲に挑戦する際には常に慎重な姿勢で臨むのを旨としてきた。もっとも、ひとたびレパートリーとした楽曲については、それこそ何度も繰り返し演奏することによって、よりレベルの高い演奏を目指すべく研鑽を積んできた。チャイコフスキーの交響曲(特に第5)にしても、マーラーの交響曲(特に第1、第5、第7)にしても、ベルリオーズの幻想交響曲にしても、名演が多いのはそうした理由によるところが大きい。ベートーヴェンについては、これまで何度か演奏したことはあるのだろうが、既発CDは日本フィルとの第9のみ(2005年)(ライナーノーツの平林氏の解説によると、エロイカのLPがあったようであるが未聴)。したがって、今般の全集は、70歳という古希を迎えた小林研一郎が満を持して臨む一大プロジェクトと言えるだろう。第一弾はエロイカということであるが、今後の続編に大いに期待できる素晴らしい名演と高く評価したい。テンポは意外にも非常にゆったりとしたものであるが、随所にテンポの変化や思い切った強弱を施すなど、とても一筋縄ではいかない。小林研一郎ならではの生命力溢れる畳み掛けていくような力強さも健在である。また、重心の低い潤いのある音色が全体を支配しているのも本名演の魅力の一つであり、木管楽器や金管楽器(特にホルン)なども抜群の上手さを誇っていると言える。これは、小林研一郎の圧倒的な統率力もさることながら、チェコ・フィルの類稀なる力量によるところも大きいと考える。SACDによる極上の高音質録音も、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

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  • 6 people agree with this review
     2011/03/12

    ついに、2010年10月16日、サントリーホールにて行われたコンサートにおける超名演がSACDで発売されるに至った。当日は、私もサントリーホールで実際に聴いたが、筆舌には尽くし難い深い感動を覚えた。スクロヴァチェフスキは、同年3月にも読売日響とともにブルックナーの第8を演奏し、それも素晴らしい名演であったが、当日の第7は、それをもはるかに凌駕する至高の超名演であった。本盤は、マルチチャンネル付きのSACDによる高音質録音ということもあって、当日のコンサートでの演奏の約8割以上が再現されていると言えるところであり、当日のコンサートにおける感動を反芻できるという意味においても、そして1785円という新譜SACDとしては画期的な廉価であるという意味においても、素晴らしい名SACDと高く評価したい。コンサートの当日、87歳の巨匠が矍鑠たる姿勢で指揮台に立った時点で、崇高なオーラをコンサートホール全体に発散しており、偉大な演奏を成し遂げる素地が既に出来上がっていたと言える。冒頭の弦楽のトレモロはあたかも聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のような至純の美しさであり、その後は、ゆったりとしたテンポによる巨匠の歩みで曲想を進めていく。テンポは微妙に変化するが、恣意的な箇所を聴くことはない。造型は堅固であるが、スケールは雄渾の極み。弦楽器も管楽器も実に美しい音色を出しており、トゥッティにおいても金管楽器はいささかも無機的な音を出すことはない。これは、巨匠スクロヴァチェフスキの圧倒的な統率によるところも大きいが、これに応えた読売日響の抜群の力量も大いに賞賛に値すると考える。特に、第1フルート奏者や第1ホルン奏者は特筆すべき圧巻の技量を誇っていると言える。当日、コンサートホールで聴いていると、ノヴァーク版を活用しつつも第2楽章の頂点でシンバルの一打にとどめたり、同じく第2楽章であったと思うが第3ホルンを特別に響かせたりするなど、スクロヴァチェフスキならではの同曲への深い理解と強い拘りが感じられたが、これほどの高みに達した演奏になると、聴き手は、そのような細部への拘りはひとまずは横においておいて、滔々と流れる極上の音楽にただただ身も心も委ねるのみだ。演奏終了後、しばし間をおいて沸き起こる熱狂的な拍手も、当日の聴衆の深い感動をあらわしていると言える。オーケストラが退場しても指揮者のみが呼び出され、未だ帰途につこうとしない多くの聴衆の拍手喝采を浴びていた巨匠の姿が今もなお目に焼き付いて離れない。スクロヴァチェフスキは来年3月に来日し、読売日響とブルックナーの第3を演奏すると聞く。高齢でもあり若干の不安もあるが、是非とも実現し、素晴らしい名演を披露してくれることを大いに期待したい。

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  • 7 people agree with this review
     2011/03/12

    昨年、ショパンの数々の名演を成し遂げたメジューエワであるが、本盤は、それとほぼ同時期にスタジオ録音されたシューマンの主要作品がおさめられている。いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。シューマンのピアノ曲の演奏に際しては、スコアに記された音符を追うだけでは不十分であり、その背後にある心象風景やファンタジーの世界を巧く表現しないと、ひどく退屈で理屈っぽい演奏に陥る危険性が高く、とても一筋縄ではいかない。メジューエワは、ショパンの名演で行ったアプローチと同様に、一音一音を蔑ろにせず、旋律線を明瞭にくっきりと描き出すことにつとめている。それ故に、音楽全体の造型は、女流ピアニスト離れした堅固なものとなっている。また、子供の情景の第6曲「一大事」やクライレスリアーナの冒頭、ノヴェレッテヘ長調などにおける強靭な打鍵は圧巻の迫力を誇っていると言える。それでいて、音楽は淀みなく流れるとともに、細部に至るまでニュアンスが豊か。総体として、気品の高い馥郁たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。シューマンの音楽の命であるファンタジーの飛翔や憧憬、苦悩なども巧みに演出しており、演奏内容の彫の深さにおいてもいささかの不足はない。とりわけ、最晩年の傑作である暁の歌における、シューマンの絶望感に苛まれた心の病巣を鋭く抉り出した奥行きのある演奏には凄みさえ感じさせる。ライナー・ノーツにおいて、國重氏が、本盤のメジューエワの演奏を指して、「シューマンの世界はもはや文学的ではない。まさに詩である。」と記されておられるが、これは誠に当を得た至言と言えるだろう。録音も、メジューエワのピアノタッチが鮮明に再現されており、申し分のない音質となっている。

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  • 8 people agree with this review
     2011/03/09

    ガーシュウィンの演奏に新風を吹き込んだ異色の名演だ。シャイーは、現在では手兵ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともに、バッハ、シューマン、メンデルスゾーンなどのドイツ音楽の演奏を主として行っており、その結果は、現時点においては玉石混交と言ったところであるが、本盤では、得意ジャンルの音楽であるせいか、久々にその本領を発揮。正に水を得た魚のような生命力溢れるノリノリの指揮ぶりが見事である。イタリア・ジャズ界の逸材でもあるステファノ・ボラーニのピアノがこれまた素晴らしい。その卓越した技量とセンス満点の音楽性には抗し難い魅力があり、クラシック音楽とジャズ音楽の境界線にあるガーシュウィンの音楽を精緻に、そして情感豊かに描き出すとともに、軽快にしてリズミカルな躍動感にも際立ったものがある。同国人であることもあり、シャイーとボラーニの息はぴったりであり、両者の火花が散るようなドラマティックな局面においても、豊かな音楽性と愉悦性をいささかも失わないのは驚異の至芸であると言える。この両者を下支えするのがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の好パフォーマンスだ。いぶし銀の重厚な音色を基調とするこのオーケストラとガーシュウィンは、本来的には水と油の関係にあると言えるが、シャイーによる薫陶もあって、光彩陸離たる色彩感豊かな演奏を繰り広げるとともに、とかく軽妙浮薄な演奏に陥りがちなガーシュウィンの音楽に適度な潤いと深みを付加し、従来のガーシュウィンの演奏とは一味もふた味も違う清新な新鮮味を加えることに成功した点を忘れてはならない。録音も鮮明で素晴らしい。

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  • 5 people agree with this review
     2011/03/08

    両曲ともに素晴らしい名演だ。特に、パガニーニの主題による変奏曲については、同曲演奏史上ベストワンを争う名演と言ってもいいのではなかろうか。それは、ユジャ・ワンの気高いピアノと若き才能ある奏者が集まったマーラー室内管弦楽団によるフレッシュな演奏によるところが大きいと言える。同曲は変奏曲だけに、目まぐるしく変転する各変奏曲の表情づけをいかに巧みに行うのかが鍵となるが、ユジャ・ワン、そしてマーラー室内管弦楽団は、変幻自在のテンポ設定や幅の広いダイナミックレンジを大胆に駆使しつつ、曲想を心を込めて精緻に描き出していく。それ故に、ラフマニノフ特有のメランコリックなロシア的抒情の描出にはいささかも抜かりはないが、若き音楽家たちによる演奏だけに、ラフマニノフの演奏に時として聴かれる大仰さがなく、全体に力強い生命力とフレッシュな息吹が漲っているのが素晴らしい。厚手の外套を身にまとったような重々しい演奏が主流の同曲の演奏に、新風を吹き込んだこのコンビによる清新な名演に大いに拍手を送りたい。他方、ピアノ協奏曲第2番は、海千山千の名演が目白押しだけに、本盤をベストワンを争う名演とするのは困難であるが、変奏曲と同様のアプローチによる新鮮味溢れる名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。アバドは、大病を克服した後は音楽に凄みと深みが加わり、現代における最高峰の指揮者の一人と言える偉大な存在であるが、本盤では、若き音楽家たちを慈しむような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。録音も鮮明で文句なし。

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     2011/03/06

    クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団という黄金コンビが遺した素晴らしい名演だ。特に、「アルルの女」の第1組曲及び第2組曲については、同曲随一の超名演と高く評価したい。何よりも、演奏の持つ筆舌には尽くしがたいフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに完全にノックアウトされてしまう。ビゼーのオーケストレーションが実に巧みであることもあって、どの演奏を聴いても、それなりにプロヴァンス地方の雰囲気を彷彿とさせるような味わい深い演奏をすることは可能であるが、クリュイタンスの表現はそもそも次元が異なる。一音一音に独特の表情付けがあり、管楽器や弦楽器、そして打楽器に至るまで、そのすべてがセンス満点の響きに満たされているのだ。これは、他の演奏には聴かれない本演奏固有のものであり、あたかも演奏の端々から南仏の空気さえもが漂ってくるかのようだ。これほどのセンス満点の名演は、クリュイタンス、そしてパリ音楽院管弦楽団としても会心の演奏であったと言えるのではないだろうか。他方、「カルメン」についてはクリュイタンスとしては普通の出来であると思うが、それでも名演と評価するのにいささかも躊躇しない。録音は、もともとあまり良いとは言えず、数年前に発売されたHQCD盤でも抜本的な改善がなされることはなかった。ところが先日、ついに待望のSACD盤が発売された。これは、音場の拡がりや音質の鮮明さといい、既発のCDとは次元の異なる高音質に仕上がっており、正に究極の超高音質SACDとして高く評価したい。

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     2011/03/06

    本盤は、一昨年末、1967年11月14日に行われたコンサートにおけるライブ盤(アルトゥス)が発売されたことから、若干その価値を下げたと言えるが、演奏の安定性と言う意味では優れている面も多々あり、現在においても、ミュンシュを代表する超名演の座を譲ってはいない。前述のコンサートに臨む前に、数日間かけてスタジオ録音された演奏ではあるが、とてもスタジオ録音とは思えないような圧倒的な生命力を感じさせる豪演だ。第1楽章から終楽章まで、ミュンシュの指揮は阿修羅の如き突進で燃えに燃えまくっており、聴いていて手に汗を握るほどだ。創設されたばかりのパリ管弦楽団も、これだけの快速のテンポであるにもかかわらず、一糸乱れぬアンサンブルを保っており、管楽器も弦楽器も最高の技量を示していると言える。ミュンシュ&パリ管弦楽団の黄金コンビが遺した録音は、本盤を含め4枚のCDのみであり、これらの演奏の質の高さに鑑みて、ミュンシュのあまりにも早すぎる死を残念に思う聴き手は私だけではあるまい。これだけの歴史的な超名演だけに、これまで様々な高音質化の取組がなされてきたが、HQCD盤にしても今一つ音場が拡がらない、そして音がクリアに鳴り切らないという問題が解消されなかったというのは否めない事実である。しかしながら、先日、ついに待望のSACD盤が発売された。これは、マスターテープを下にしたということもあって、そもそも従来盤とは次元が異なる高音質であり、音場の拡がりも音質の鮮明さにおいても全く申し分がなく、おそらくは究極の高音質SACDと高く評価したい。

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