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Review List of つよしくん 

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  • 5 people agree with this review
     2011/02/26

    これまでの既発CDとは一線を画する素晴らしい高音質SACDの登場だ。本盤におさめられた楽曲は、いずれも1950年代の録音であり、マスターテープの状態にもかなり恵まれていると言えるのかもしれない。冒頭の「ロザムンデ」は、従来のCDだと、音が団子状態になったり、音場が狭いことともあり、それほどの名演とは思っていなかったが、今般のSACD化によって、フルトヴェングラーの濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫の深い音楽を構築していることが鮮明に再現され、情感豊かかつ雄渾な超名演であることがよくわかった。ホルンは残念ながら古めかしい音がするものの、木管楽器や高弦のつややかな響きや低弦の厚みのある響きなどは、この当時の録音としては驚異的な高音質だ。未完成は、冒頭をはじめ、中間部や終結部において呈示される低弦による第1主題が、最新録音のようにはいかないものの、相当程度深みのある音質に蘇っており、これまでのCDとは次元の異なる素晴らしい高音質であると言える。ワインガルトナーは、この主題を指して、地下の底からのようにと評したが、本盤のフルトヴェングラーの演奏を聴いていると、あたかも地下の底から響いてくるような、底知れぬ不気味さを感じさせる。高弦や木管楽器の響きは美しさの極みであり、ホルンもロザムンデほどの古めかしさは感じさせず、フルトヴェングラーの深みのある情感豊かな名演を心行くまで満喫させてくれるのが素晴らしい。シューマンの「マンフレッド」序曲は、1949年のライブ録音(DG)の方が世評は高いが、今般の高音質化によって、フルトヴェングラーの濃厚にして彫の深い表現を鮮明な音質で味わうことが可能となったことにより、私としては、ドラマティックさにおいては1949年盤には一歩譲るものの、両者同格の雄渾な名演と評価してもいいのではないかと考える。リストの前奏曲は、おそらくは同曲史上最高の名演。後年には、カラヤンも、本盤に唯一匹敵する素晴らしい名演を成し遂げているが、カラヤンが圧倒的な音のドラマを構築したのに対して、フルトヴェングラーは徹底した内容重視。同曲の全ての音符が、あたかも生き物のように躍動しているかのようなコクのある音楽は、作曲者リストが同曲に込めた内容以上のものを紡ぎだした、至高・至純の高みに達していると言える。このような超名演を、現在望む得る最高の鮮明な高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/02/26

    素晴らしい高音質SACDの登場だ。フルトヴェングラーの遺産をSACD化するという歴史的な偉業は、第1弾のベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーにおいて、これまでのCDとは一線を画する高音質化に成功していたが、第2弾においても、同様に目覚ましい成果をあげていると言える。グルックの「アルチェステ」序曲及び「オーリードのイフィジェニー」序曲の弦楽合奏の太い芯が一本通ったような厚みのある音質からして、これまでのCDとは次元の異なる驚異的な高音質だ。高弦のつややかな響きも鮮明に再現されており、フルトヴェングラーのロマンティシズムに満ち溢れた名演を望みうる最高の音質で味わうことができるのが素晴らしい。モーツァルトの第40番は、グルックと比較すると録音年代が古いことから、音場がやや狭いのが残念ではあるが、それでも、既発CDと比較すると、弦楽合奏など段違いに鮮明な音質に生まれ変わっており、この当時の録音としては、最高の音質であると評価したい。フルトヴェングラーのモーツァルトは、世評においては決して高いものとは言えなかったが、本盤のような鮮明な高音質録音で聴くと、フルトヴェングラーなりによく考え抜かれた、気迫溢れる名演であることがよくわかる。「魔笛」は、オーケストラとリップの独唱が鮮明に分離して聴こえるのが、フルトヴェングラーのCDとしては驚異的。フルトヴェングラーのうねるような熱い音楽が、2曲のみの抜粋ではあるが、魔笛の神髄を見事に描出しているのが素晴らしい。これを聴いて、例えば「ドン・ジョバンニ」の全曲などをSACD化して欲しいと思った聴き手は私だけではあるまい。ハイドンの交響曲第94番も、グルックほどではないが、十分に満足し得る高音質。従来のCDだと音が団子状態になっていた箇所も鮮明に再現されることになり、これによって、フルトヴェングラーの定評ある濃密で彫の深い、そして雄渾な名演を望みうる最高の音質で堪能できることを大いに喜びたい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/02/22

    インバルが、約20年以上も前に完成させたブルックナーの交響曲全集であり、一部の交響曲については再録音も行っているが、今なおその存在価値を失わない永遠の名全集だ。その理由はいくつか掲げられるが、何よりも、初稿が出版されていた交響曲については、可能な限りそれに拘ったという点を第一に掲げるべきであろう(第2は、当時、ギャラガン校訂版が出版されておらず、やむなく1877年版を採用。第7については、ノヴァーク版を使用)。本全集の録音当時は、ブルックナーの交響曲を、初稿を用いて演奏した例など殆どなく、音楽学者の学究対象でしかなかった。現在でこそ、ケント・ナガノや、シモーネ・ヤングなどの初稿を用いた優れた名演が数多く登場しているが、本全集録音当時は鑑賞することさえままならない時代であったのだ。そのような時代に、インバルが初稿の魅力にいち早く着目して録音を行ったということは、今日における初稿の再評価に先鞭をつけたということであり、これはインバルの先見の明の証左と言えるのではないだろうか。第二に、本盤には、第00番や第9番のフィナーレの補筆版など、演奏されることすら稀な楽曲を盛り込んでいることであり、これには、前述の可能な限り初稿を採用するとの姿勢と相まって、ブルックナーの本質を徹底的に追及しようというインバルの並々ならぬ意欲を大いに感じることが可能である。第三に、演奏にはムラがなく、いずれも高い水準の名演であるということである。インバルの各交響曲に対するアプローチは、やや早めのインテンポで、曲想を精緻に描き出していくというものであり、その凝縮化され引き締まった演奏全体の造型は極めて堅固なものだ。金管楽器も最強奏させているが、いささかも無機的に陥ることはない。ゲネラルパウゼの用い方も実に効果的だ。それでいて、ブルックナー特有の聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情豊かさにおいても抜かりはなく、剛柔併せ持つ雄渾な名演に仕上がっていると言える。これは、ヴァントが1990年代になって成し遂げる数々の名演を予見させるものであり、このような名演を、ブルックナーの交響曲の演奏様式が、多分にロマン的な要素が支配するなどによって未だ確立したとは必ずしも言えなかった1980年代に、原則として初稿を用いて成し遂げたという点に、私は、インバルのブルックナーに対する深い理解と飽くなき探求心を大いに感じるのである。古今東西の指揮者において、マーラーとブルックナーの両方を得意とした指揮者は皆無と言ってもいいと思うが、マーラー指揮者として名高いインバルによる本全集や、最近発売された第5や第8の名演を聴くと、インバルこそは、マーラーとブルックナーの両方を得意とした史上初めての指揮者との評価もあながち言い過ぎではないのではないかと考える。本全集の再発売を機会にリマスタリングが行われたとのことであるが、音質は初期盤と比較すると明らかに向上しており、この歴史的な名全集の価値をより一層高めることに大きく貢献している点も忘れてはならない。

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  • 5 people agree with this review
     2011/02/20

    ピアノ、指揮者、オーケストラ、そして録音の四拍子が揃った稀有の名演である。従来のピアノ協奏曲の録音だと、ピアノが主導権を握って指揮者&オーケストラは伴奏に徹するか、それとも、指揮者が大物であることもあって、ピアノがオーケストラの一つの楽器として埋没してしまうか、はたまた指揮者とピアニストが火花を散らし合ういわゆる競争曲になるケースが多いのだが、本盤の場合は、ピアノと指揮者&オーケストラが同格であり、両者が一体となって音楽を作り上げているのが素晴らしい。先ずは、グードのピアノであるが、その微動だにしない堂々たるピアニズムを高く評価したい。峻厳たる造型の構築力にも秀でたものがあり、強靭な打鍵は地の底まで響かんばかりの圧巻の迫力がある。スケールも雄大であり、その落ち着き払った威容には、風格さえ感じさせる。他方、ピアノタッチは透明感溢れる美しさを誇っており、特に、各曲の緩徐楽章における抒情的なロマンティシズムの描出には抗し難い魅力を湛えていると言える。技量にも卓越したものがあるのだが、上手く弾いてやろうという小賢しさは薬にしたくも無く、一音一音に熱い情感がこもっており、技術偏重には決して陥っていない。この風格豊かで、内容の濃いグードのピアノに対して、フィッシャーも一歩も譲っていない。いわゆる古楽器奏法を行っているのだが、音楽は実に豊かに流れる。強弱の絶妙な付け方といい、楽器の効果的な活かし方といい、フィッシャーの音楽性の豊かさや表現力の桁外れの幅の広さを大いに認識させられるところであり、これまでのベートーヴェンのピアノ協奏曲の演奏では聴かれなかったと言っても過言ではないほどの至高・至純の美しさを湛えていると言える。ブダペスト祝祭管弦楽団も、フィッシャーの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。録音はこれまた極上であり、グードのピアノタッチや、フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団の最美の演奏を鮮明な音質で味わえる点も高く評価したい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/02/20

    素晴らしい名演だ。マルケヴィッチによるチャイコフスキーと言えば、死の2カ月前にNHK交響楽団を指揮して演奏した悲愴の超名演が忘れ難いが、その名演のルーツは、壮年期にロンドン交響楽団を指揮して完成させた、本盤におさめられた全集にあると言える。本全集は、かつてフィリップスから発売され、長らく廃盤になっていた(数年前には、その一部が国内盤で発売されたが)。私も、それを所有していたが、CD初期の発売でもあり、当時添付されていたスポンジがCDのレーベル面に付着して、事実上使用不可能になってしまったことから、今回の再発売を機に買い直すことにした。それにしても、本盤が、発売後、あっという間に入手不可になってしまったというのは、本全集がファンの間で高く支持されている証左と言えるのではないか。マルケヴィッチのチャイコフスキーはとにかく個性的だ。各楽器の効果的な活かし方やリズムの刻み方、アッチェレランドを含む思い切ったテンポ設定の変化など、あらゆる表現を駆使しており、正に鬼才の名に相応しい至芸を披露していると言える。例えば、第1の終楽章や第2の第1楽章の対旋律の絶妙な活かし方など、はじめて耳にするような新鮮さだ。それでいて、全体の造型は非常に引き締まったものがあり、その凝縮化された厳格とも言うべき造形美は、かのムラヴィンスキーにも匹敵すると言っても過言ではあるまい。楽曲によっては、あくまでも他の交響曲の演奏との比較論であるが、第1や第2のように、洗練された優美さを誇る名演もある一方で、金管楽器の思い切った最強奏(例えば、第4の第1楽章及び終楽章、第5の第1楽章、第2楽章及び終楽章、悲愴の第1楽章及び第3楽章など)、ティンパニの迫力満点の強打など、スヴェトラーノフや後年のゲルギエフも顔負けの、ロシア風の土俗的なあくの強さも健在であるが、それらを完璧に音化したロンドン交響楽団の卓抜した技量も大いに賞賛に値すると言える。録音も、1960年代のものとは思えないような鮮明なものだ。

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  • 5 people agree with this review
     2011/02/20

    本盤を何年か前に購入した際にはあまりいい演奏のように思わなかったと記憶するが、最近、フルシャなどの新しい世代の指揮者による名演が相次いで登場してきたこともあり、あらためて聴き直すことにした。そして、聴いてみた結果であるが、本盤の看板どおり、わが祖国に新しい光を当てた素晴らしい名演であることがよくわかった。スメタナのわが祖国と言えば、いわゆるチェコ出身の指揮者、例えば、古くはターリヒ、アンチェルの名演に始まり、クーベリックやノイマンの複数の名演など、いわゆるチェコの愛国心を看板に掲げた民族色豊かな名演が主流であったと言える。チェコ出身の指揮者以外でも、ドラティや小林などの、生命力溢れる名演があった。ところが、アーノンクールは、そうしたチェコの民族色は、ひとまず横に置いておいて、同曲を純粋な交響詩として、もっぱら純音楽的なアプローチを心掛けている。要は、スメタナをチェコの作曲家という範疇におさめず、リストと親交が深く、ワーグナーにも多大な影響を受けたインターナショナルな大作曲家として捉えているとも言える。冒頭のハープの分離した配置や、その後の思い切った緩急のテンポの変化や、ターボル以降の超スローテンポなど、従来の演奏とは一味もふた味も異なる演奏ではあり、下手をするとゲテモノ的な演奏にも陥ってしまう危険性もあるのだが、オーケストラにウィーン・フィルを起用したことで、全体を美しい音楽で包み込むことに成功し、正に、純音楽的な美しさを誇る異色の名演を成し遂げることに成功したと言える。このような名演は、最近話題となったチェコの若手指揮者であるフルシャなどの名演にも少なからず影響を与えているのは明らかであるとも言えるところであり、本名演は、わが祖国の演奏史に少なからぬ影響を与えた稀有の名演と高く評価したい。

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  • 8 people agree with this review
     2011/02/19

    凄い超名演だ。このような超名演をまとめてCD化した独アウディーテに対して敬意の念を表したい。録音は、マスターテープ音源を使用したのにしては、お世辞にもあまり良いとは言えず、音場は一向に広がらないが、聴いているうちに全く気にならなくなり、演奏自体の魅力に一気に惹きこまれてしまった。これは、演奏自体が素晴らしいからに他ならない。フリッチャイは、20世紀において綺羅星のごとく誕生したハンガリー人の偉大な指揮者の一人であるが、ニキシュのような伝説的な大指揮者は別格として、フリッチャイの前後の世代の指揮者とは全く異なる芸風を有していたと言える。その前後の指揮者とは、アメリカで大きな成功をおさめたライナー、オーマンディ、セル、ショルティのことを言っているのだが、これらの指揮者に聴かれるような、いわゆるオーケストラの機能性や音色美に重点を置いた芸風は薬にしたくもない。むしろ、同じく早世したケルテスや、現代のフィッシャーに連なっていくような、音楽の内容の追及に重点を置いた芸風と言えるだろう。本盤におさめられた演奏は、いずれも、フリッチャイが白血病を発症する前の録音ではあるが、いずれも、各作品の本質を抉り出していくような鋭さと、作品の核心に向かって畳み掛けていくような気迫に満ち溢れていると言える。例えば、有名な弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽においては、バルトークの絶望感に苛まれた心の深淵から湧き上がってくるような情念のようなものも感じられるなど、尋常ならざる音楽が描出されているのが素晴らしいと言える。また、2つの肖像の第1部に聴かれるように、情感の豊かさにおいてもいささかの不足もなく、カンタータのオペラ的な壮麗さは圧巻の迫力を誇っていると言える。舞踏曲の民族色溢れる自由闊達な音楽も痛快さの極みであり、フリッチャイの桁外れの表現力の幅の広さを大いに痛感させられる。ピアノのゲーザ・アンダ、ルイス・ケントナー、ヴァイオリンのティホル・ヴァルガを配したピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲においても、ソリストの名技を際立たせつつも、作品の本質を鋭く追及した気迫溢れる豪演を披露している。いずれにしても、音質面におけるハンディを除けば、本盤は、現在における最も優れたバルトーク作品集であり、フリッチャイの畢生の大傑作と言えるだろう。

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  • 5 people agree with this review
     2011/02/19

    いずれ劣らぬ素晴らしい名演だ。先ず、ベートーヴェンの第5であるが、ジュリーニは、後年にもミラノ・スカラ座管弦楽団とともに同曲を再録音しているが、断然、本盤の方が名演である。いかにもジュリーニならではの粘着質とも言うべき重厚さと厳しい造形美を兼ね備えた演奏ではあるが、情感の豊かさにおいてもいささかも不足はない。その意味では硬軟併せ持つ、いい意味でのバランスのとれた名演に仕上がっていると言える。他方、シューマンの第3も名演だ。シューリヒトの名演もあるが、録音の良さを含めると、本盤のジュリーニによる二度目の録音の方を随一の名演と高く評価したい。マーラー版の使用により、全体としては、ベートーヴェンの第5と同様に重厚で粘着質の演奏とも言えるが、それでいて、ジュリーニ特有の優美なフレージングが随所に効果的に聴かれるなど、いい意味でのバランスのとれた温かみのある演奏に仕上がっている。ライン川の美しい光景を彷彿とさせるような優美な抒情や、シューマンの最晩年の絶望感に苛まれた心象風景の描出にもいささかの不足はない。両曲ともに、ロサンゼルス・フィルは見事な演奏を行っているが、必ずしも一流とは言えない同楽団に、これだけの名演奏をさせたジュリーニの類まれなる統率力にも大いに拍手を送りたい。

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  • 5 people agree with this review
     2011/02/19

    万人向けの明朗な名演だ。バルトークの作品はいずれも内容が濃いが、その分、必ずしもわかりやすい曲想とは言えない。最晩年の管弦楽のための協奏曲は別格として、他の諸曲は、聴き手を容易には寄せ付けない峻厳さがあると言える。本盤は、バルトークの作曲したヴァイオリンとオーケストラのための作品をおさめており、いずれも傑作ではあるが、曲想は相当に輻輳しており難解さの極み。コチシュは、そのような複雑極まる楽想を紐解き、聴き手に、これら各曲の魅力をわかりやすく伝えてくれている点を高く評価したい。本盤とほぼ同時期に、フリッチャイによるバルトーク作品集(独アウディーテ)が発売され、当該盤には本盤と同じ作品もおさめられているが、その演奏の違いは明らか。フリッチャイは、作品の本質に鋭く切り込んでいく気迫あふれるアプローチであったが、コチシュは、作品の本質を理解した上で、旋律線を明瞭にわかりやすく、美しく描き出していくもの。私としては、こうしたコチシュのアプローチも、バルトークの演奏様式として、十分に説得力のあるものと考える。ハンガリー出身のヴァイオリニスト、バルナバージュ・ケレメンも、コチシュと一体となって、バルトークの傑作を明瞭に、美しく弾き抜いている点も評価したい。本盤には、2つのラプソディやヴァイオリン協奏曲第2番の異稿を全て収められており、大変貴重と言える。更に素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音であり、バルトークの複雑な曲想を明瞭に紐解いていくというコチシュのアプローチの一助になっている点も見過ごしてはならない。

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     2011/02/16

    凄い名演だ。壮年期のホロヴィッツのピアノは本当に人間離れしている。まずは、ショパンの3曲がとてつもない超名演。バラード第1番の冒頭の和音からして他のピアニストとは次元の異なる力強さが漲っている。その後は、とてつもない強靭な打鍵と繊細な抒情が交錯。テンポも自在に操るが、どんなにハイスピードになっても、ピアノの一音一音が完璧に鳴り切っているというのは殆ど驚異的であり、特に終結部の猛烈なアッチェレランドは筆舌には尽くしがたいもの凄さだ。バラードと言うよりは、スケルツォを聴いているような印象も受けるが、聴き終えた後の感動には尋常ならざるものがある。ノクターン第15番の心のこもった情感の豊かさは、壮年期のホロヴィッツの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。ポロネーズ第5番もバラードと同様の演奏傾向であり、その唖然とするような超絶的なテクニックには、もはや表現する言葉が追い付かない。スカルラッティ、シューマンはショパンのノクターンに劣らぬ情感豊かな名演であるし、スクリャービンの迫力ある豪演も印象的であるが、特に凄いのは、ホロヴィッツがビゼーのカルメンの主題をアレンジした変奏曲。ここで聴かれる演奏には、壮年期のホロヴィッツのピア二ズムの全てが凝縮されていると言える。この神技とも言うべき圧倒的なテクニックと桁外れの表現力の豊かさは、正に世紀のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの名に相応しい圧巻の至芸と評価したい。Blu-spec-CD化によって、音質が鮮明になった点も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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     2011/02/14

    驚天動地の超名演だ。ホロヴィッツは、最晩年に来日した際のコンサートでは、ミスタッチも多く聴かれ、高名な評論家からは「ひびの入った骨董品」との名批評を賜ったりしたが、本盤は1959年というホロヴィッツ壮年期の全盛時代の録音。ホロヴィッツの人間離れした卓越した至芸を大いに堪能できるのが素晴らしい。それにしても、何という超絶的な技量であろうか。とても人間業とは思えないような強靭な打鍵、それと対照的な天国的とも言うべき繊細な抒情。かかる桁外れの表現力の豊かさに緩急自在のテンポ設定を加えて、圧倒的な至高・至純の芸術作品を構築していると言える。特に、熱情の終楽章など、他のピアニストであれば、速いテンポと強靭な打鍵が重なり合うと、一つの音塊になって、ピアノタッチの一音一音が明瞭に聴こえないケースが多々あるが、ホロヴィッツの場合は、いかに強靭な打鍵であっても、いかにテンポが速くなっても、一音一音が実にクリアに聴こえるというのは驚異的であり、更に、終結部の猛烈なアッチェレランドにおいてさえもピアノタッチのクリアさを失わないのは、人間業を超えた圧巻の至芸と言える。壮年期のホロヴィッツが凄いのは、その技量があまりにも超絶的であるため、技量と感性だけで勝負ができるということだ。自らの感性の赴くままに卓越した技量を披露すれば、他のピアニストならば、内容の希薄な機械的演奏に陥ってしまいがちであるが、ホロヴィッツの場合は、それだけで大芸術作品になってしまうのだ。壮年期のホロヴィッツこそは、技量が芸術を超えるという異次元のピアニストであったと言える。SHM−CD化によって、ホロヴィッツのピアノタッチがより鮮明に再現される点も高く評価したい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/02/13

    ラトル&ベルリン・フィルの好調ぶりがうかがえる素晴らしい名演だ。ラトルもベルリン・フィルの芸術監督就任後数年間は、ベルリン・フィルの掌握にかなり苦しんだと思われるが、一昨年のマーラーの交響曲第9番あたりから、漸くその掌握に成功し、名演の数々を繰り広げるようになった。ベルリン・フィルも、アバド時代から続いていた世代交代が漸く一段落し、かつての輝きを取り戻してきたように思われる。その意味では、今や、ラトル&ベルリン・フィルは最も実り多き黄金時代に突入したと言えるだろう。歌劇「子供と魔法」は、ラトルの作品の本質に切り込んでいく鋭いアプローチが光る。当該オペラは、表面上は、あくまでも子どもを主人公としたコメディであるが、その内実はとてもコメディには分類し切れない、人の深層心理を様々な動物や物質を活用して風刺するという、心眼を覗きこむが如き奥深い内容を有した作品と言える。ラトルは、思い切ったテンポの緩急や、幅広いダイナミックレンジの活用などを駆使して、ドラマティックに作品を描出しており、作品に内在する本質を捉えた深みのある濃密な名演に仕立てあげた点を高く評価したい。ラトルの卓越した統率の下、ベルリン・フィルも圧巻の技量を披露していると言える。コジェナーやジョセ・ヴァン・ダムなどの一流の歌手陣は圧倒的な歌唱を披露しており、ベルリン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。バレエ「マ・メール・ロワ」も素晴らしい名演。我々聴き手は、どうしてもラヴェルの華麗なオーケストレーションに耳が奪われがちになるが、ラトルは、同曲に内在する憂いの描出にもいささかの抜かりはなく、彫の深い情感豊かな音楽の構築に成功している点を高く評価したい。ここでも、ベルリン・フィルは卓越した技量を披露しており、そのあまりの上手さには唖然とするほかはないほどだ。HQCD化によって、音質は鮮明であるとともに音場に広がりがあるのが実に素晴らしく、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。

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     2011/02/13

    バレエ音楽の神様と称されたアンセルメの面目躍如たる素晴らしい名演だ。ドリーブのバレエ音楽の代表作である「コッペリア」及び「シルヴィア」の長大な全曲からの抜粋であるが、有名な楽曲はほぼ網羅されており、バレエ音楽全体を俯瞰するには、これくらいがちょうど良いと言えるのかもしれない。アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団の素晴らしさは、瀟洒な味わいに満ち溢れた色彩豊かな音色ということになるだろう。アンセルメの音に対する美意識は実に鋭いものがあり、どこをとっても光彩陸離たる華麗な音がしているのが素晴らしい。力強さにおいてもいささかも不足はないのだが、どのようにオーケストラが最強奏しても、前述のような瀟洒な洒落た味わいを失わないのは驚異的な至芸とも言える。本盤におけるアンセルメも、聴かせどころのツボを心得たセンス満点の美演を繰り広げており、これら両曲の最高の名演としての評価は、現在においてもいささかも揺るぎがないものと考える。アンセルメの実演を実際に聴いた方々によると、スタジオ録音されたレコードとのギャップに失望したとのことであり、アンセルメの美演の数々は多分に英デッカによる極上の名録音が寄与しているとのことであるが、実演を聴くことができない現代に生きる我々聴き手は、CDを聴いて判断するのみ。CDにおいて、これだけの素晴らしい極上の美演を堪能させてくれるアンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団に対しては、決して文句は言えまい。SHM−CD化による音質向上効果も上々のものがあり、この素晴らしい名演を鮮明な高音質で聴くことができることを大いに歓迎したい。

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     2011/02/13

    フランス系の音楽を十八番とした小澤ならではの素晴らしい名演だ。劇音楽「ペレアスとメリザンド」は、小澤の卓越した演出巧者ぶりが際立つ。繊細な抒情から強靭なトゥッティの迫力に至るまで、表現の幅は桁外れに広く、実に内容豊かな音楽を構築している。小澤は、有名なシシリエンヌなど、フォーレの作曲した絶美の旋律の数々を徹底的に歌い抜いているが、徒に感傷的に陥ることはなく、フランス風の瀟洒な味わいさえ感じられる高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。これは、本場フランスの指揮者でさえ凌ぐセンス満点の卓越した指揮芸術の賜物と言えるだろう。ソプラノのハントの歌唱も実に優美であり、本名演に華を添えている点も忘れてはならない。「夢のあとに」と「エレジー」は、何よりもエスキンによるチェロが美しさの極み。小澤も、チェロとともに極上の音楽を紡ぎだしている。パヴァーヌに至っては、味わい深いオーケストラと壮麗な合唱の絶妙の組み合わせが至高・至純の美を形成しており、あまりの切ない美しさに涙なしでは聴けないほどだ。組曲「ドリー」は、原曲がピアノ曲であり、フォーレ自身の編曲ではないが、フォーレならではの叙情豊かな魅力は他の諸曲にもいささかの引けも取らない。テレビ東京の「生きるを伝える」でも有名な子守歌など、親しみやすい旋律が満載の魅力作だ。小澤は、ここでも、持前の表現力の豊かさと演出巧者ぶりを発揮して、曲想を巧みに描出していくが、随所に聴かれるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいは、筆舌には尽くし難い高みに達していると言える。ボストン交響楽団やタングルウッド音楽祭合唱団も、小澤の統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。SHM−CD化によって、音質は明らかに鮮明になるなど向上しており、この卓越した名演を素晴らしい高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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     2011/02/13

    現代音楽にも数多くの名演を成し遂げてきた小澤ならではの素晴らしい名演だ。交響曲第4番の第1楽章の冒頭の低弦等による切れ味鋭い音楽からして実に内容豊か。その後に入ってくる合唱は美しさの極みであり、このあたりの表情の変転の巧みさは、いかにも演出巧者たる小澤の面目躍如と言ったところだろう。第2楽章の開始も実に不気味。その後の音楽展開はアイヴズが作曲した最も複雑怪奇な音楽と言えるが、小澤は、テンポの緩急や幅の広いダイナミックレンジ、不協和音の強調、猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、あらゆる表情づけを行って複雑な楽想を精緻に紐解いていく。小澤は、ここではかなり思い切った自由闊達とも言える表現を行っているのだが、音楽が崩壊してしまうということはいささかもなく、全体の造型が弛緩することがないというのは驚異的な至芸と言える。第3楽章は、一転して情感の豊かさが際立つ。弦楽合奏による美しい旋律を徹底的に歌い抜くなどして、至高・至純の美しい音楽を構築している。小澤の表現力の幅の広さの成せる業と言えるだろう。終楽章は、トゥッティに向けてじわじわと高揚していく緊迫感が見事であり、その畳み掛けていくような燃焼度の高さは、若き小澤の真骨頂。その後の合唱の壮麗さも特筆すべきであり、これは小澤渾身の快演とも言えるのではないだろうか。宵闇のセントラル・パークは、この曲が含有する抒情豊かさとモダニズムの融合を見事に描出しており、バーンスタインの超名演にも肉薄する名演と高く評価したい。SHM−CD化によって、音質が鮮明になるとともに、音場が広くなったことも、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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