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2 people agree with this review 2011/03/06
本盤におさめられた演奏については、かつてマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売されており、十分に満足できる高音質であったが、本盤はその更に上を行く究極の高音質SACDと言える。マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、これほどの豊かな音場の拡がりを感じさせるというのは驚き以外の何物ではなく、あらためて、シングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様の威力を思い知った次第である。ムターのヴァイオリンの細かい弓使いの一つ一つがクリアに再現されるというのは、殆ど驚異的ですらある。演奏も素晴らしい名演。本演奏は1992年であるが、これはムターがカラヤンのくびきから解き放たれ、現代を代表する大ヴァイオリニストへの道程を着実に歩み始めた時期のものだ。要は、ムターが漸くその個性と才能を発揮し始めた時期の録音であり、ここにはムターの卓越した技量と個性が満ち溢れた素晴らしい名演の数々がおさめられていると言える。ツィゴイネルワイゼンにおいては、同曲特有の民族色を全面に打ち出し、決して上品ぶったりすることなく、これ以上は求めえないような土俗的な音を出している。このような演奏をすると、単なる場末のサーカスのような下品な演奏に陥ってしまう危険性もあるが、ムターの場合はいささかも高踏的な芸術性を失わないのが素晴らしい。伝説曲や悪魔のトリル、タイスの瞑想曲、子守歌の情感豊かな演奏も美しさの極みであるし、ツィガーヌにおける緩急自在の表現力の桁外れの幅の広さには舌を巻くばかりだ。カルメン幻想曲に至っては、卓越した技量と民族色豊かな表現力が高い次元でマッチングした稀有の超名演と高く評価したい。
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4 people agree with this review 2011/03/06
次元が異なる超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。本盤におさめられた演奏は、カザルスと並ぶ20世紀最大のチェリストであったロストロポーヴィチと、20世紀を代表する作曲家の一人であるブリテンによる歴史的な超名演だけに、既にSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などが発売されてきたが全く問題にならない。本盤では、既発のCDでは聴き取ることが難しかったロストロポーヴィチのチェロの細かい弓使いなどが鮮明に再現されるとともに、特に、チェロの低音域に一本太い芯が通ったような力強さが加わったことが何よりも大きい。これによって、ロストロポーヴィチのスケールの大きい卓越した至芸を、望み得る最高の音質で味わうことが可能になったと言える。他方、ブリテンのピアノの音色は、やや籠りがちな箇所も散見されるが、それでも既発CDと比較すると格段に音の鮮度が増しており、とりわけ高音域がクリアに聴こえるのが素晴らしい。演奏は、息の合った盟友どうしの歴史的な名演奏であり、いずれの楽曲も史上最高の名演と言える。ロストロポーヴィチのチェロは、重量感溢れる低音から抒情豊かな高音に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、シューベルトのアルぺジオーネソナタに込められた寂寥感や、民謡風の5つの小品が内包するシューマン最晩年の絶望感に苛まれた心の病巣を切れ味鋭く描出している点を高く評価したい。他方、ドビュッシーのチェロソナタでは、同曲独特の瀟洒な味わいの描出にもいささかの不足はない。ブリテンのピアノも、こうしたロストロポーヴィチの彫の深い表現をしっかりと下支えしているのが素晴らしい。
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7 people agree with this review 2011/03/06
驚くべき超高音質SACDの登場だ。本盤におさめられた演奏は、歴史的な名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたほか、SHM−CD盤、SACDハイブリッド盤などが発売されてきたが、本盤の前には、いずれも太陽の前の星にようにその存在感がすっかりと霞んでしまった。それくらい、本盤の高音質の度合は突出していると言える。あらためて、シングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様の威力を思い知った次第だ。高弦は艶やかに響くし、弦楽器や管楽器のそれぞれが鮮明に分離して聴こえるのは素晴らしいの一言。音場の豊かな広がりや深い奥行きは、とても1967年の録音とは思えないほどだ。特に、第2番の第1楽章及び第3楽章のトランペットのブリリアントや響きや、第3番の第2楽章のチェンバロの重心の低いずっしりとした響きには、完全にノックアウトされてしまった。演奏も、正に歴史的な名演。リヒターならではの重量感溢れる低音をベースとした、独特の緊張感を伴った切れ味鋭いリズム感や各楽器の躍動感は、ブランデンブルク協奏曲を、本盤の録音当時に主流であったいわゆる大指揮者による重厚かつ壮麗な演奏様式(それも名演ではあるが)から解き放ち、新鮮な息吹を吹き込むことに成功したことを高く評価したい。もっとも、現代においては、ピリオド楽器を使用した古楽器奏法が主流の同曲であり、本盤も既に演奏様式としては古い部類に入るが、軽妙浮薄な演奏が流行する中においては、現代においてもなお十分に存在感を発揮している至高の名演であると考える。
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9 people agree with this review 2011/03/05
素晴らしい名演だ。英国音楽の大御所であったヒコックスによって録音が開始されたホルストの管弦楽曲集であるが、第1集を完成させたところで急死してしまった。ホルストと同じ60歳の死はあまりにも早いものであり、第1集が超名演であっただけに大変残念なことと言わざるを得ない。ヒコックスの開始したプロジェクトは、同じく英国音楽の名匠アンドルー・デイヴィスが引き継ぐことになったが、本盤の出来を聴く限りにおいては、その引き継ぎが実に上手くいったのではないかと考えられる。先ず、メインの惑星であるが、雄渾なスケール感を感じさせる名演だ。何よりも、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音が、名演に大きく華を添えている点を指摘しておきたい。ホルストの華麗なオーケストレーションを味わうためにはマルチチャンネルは最適であり、雷鳴のようなティンパニや重層的な金管楽器の咆哮など、音響が立体的に聴こえるのが素晴らしい。こうした臨場感のある高音質録音だけでも、名演の評価の半分は勝ち取ったようなものである。加えて、アンドルー・デイヴィスは、前述のような雄渾さに加えて、細部に至るまで実に精緻で情感豊かな演奏を行っており、優美で繊細な抒情が持ち味の金星、土星、海王星においては、至高・至純の美しさを誇っていると言える。とりわけ、海王星の終結部の女声による合唱が明晰に聴こえるのは、これまでの惑星の演奏史上でもはじめてではないだろうか。曖昧模糊で、殆ど聴き取れないような演奏が多い中で、こうした演奏は大いに歓迎したいと考える。併録の東洋的組曲「ベニ・モラ」は、ホルストがアルジェリアを旅行した経験をもとに作曲した曲とのことであり、東洋というよりはアラビア風であるところがご愛嬌ではあるが、有名な日本組曲ともども、アンドルー・デイヴィスは、雰囲気満点の異国情緒溢れる名演を成し遂げるのに成功している。アンドルー・デイヴィスの指揮の下、BBCフィルハーモニック、そしてマンチェスター室内合唱団も最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。
9 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/03/05
素晴らしい高音質SACDだ。同時期の録音であるブルックナーの第7とは見違えるような高音質に生まれ変わったのが見事である。何よりも、ブルックナーの交響曲の生命線である低音がしっかりと鳴り切っているのが素晴らしい。また、高弦も極めて艶やかに再現されており、木管楽器の音色も美しさの極みだ。トゥッティにおいて音圧が低くなったり(第1楽章終結部)、音が団子状態になったり(第3楽章や終楽章終結部)にするのが残念であり、ティンパニやホルンの音色がいささか古いのが気になるとは言えるが、今から60年以上も前の録音であることを考えると、決して文句は言えまい。演奏は、徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的な解釈とも言えるが、ライナーノーツにおいて相場ひろ氏が解説されておられるように、当時としては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これはさすがに素晴らしい名演である。第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの第9のバイロイトライブの第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達していると言える。終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫の深い名演に仕上がっていると高く評価したい。
2 people agree with this review 2011/03/05
本盤は、フルトヴェングラーの遺産のSACD化シリーズ第2弾の中では、音質改善効果が極めて少ないと言える。第1弾でのベートーヴェンの第2や第8ほどの劣悪な音質ではないが、これらのCDでは、併録の第4や第6が見違えるような高音質になっていたために☆を5つ付けさせていただいた。他方、本盤はブルックナーの第7のみの収録であり、第1弾及び第2弾を通じて、はじめて☆を4つとしたい。残念なのは、マスターテープに起因するものとは思うが、低音があまりにも貧弱で鳴り切っていないということである。これは、ブルックナーの交響曲の録音としては致命的な欠陥であると言える。フルトヴェングラーのブルックナーへのアプローチは、アッチェレランドを随所に施すなど思い切ったテンポの緩急を駆使するというドラマティックなものであり、現代におけるブルックナー演奏においては、時代遅れとも言うべき大時代的な演奏様式だ。しかしながら、ライナーノーツで相場ひろ氏が解説しておられるように、本盤の録音当時には、こうしたドラマティックな演奏様式が一般的であったのであり、必ずしもフルトヴェングラーの演奏が特異なものであったとは言い難い。ただし、このようなドラマティックな演奏は、低音がしっかりと捉えられた鮮明な音質でないと、きわめて軽妙浮薄な演奏に聴こえてしまう危険性が高い。もっとも、高音質ではあっても、フルトヴェングラーの演奏様式の表層だけを模倣したバレンボイムの凡庸な演奏などは論外であるが、フルトヴェングラーの彫の深い演奏を、この程度の音質で味わうには相当に無理があると言うべきである。同時期の録音である第8の方は、今般のSACD化によってきわめて良好な音質に生まれ変わったことに鑑みれば、きわめて残念であるというほかはない。いずれにしても、既発売のCDと比較すると、若干は音質の向上効果は見られるところであり、フルトヴェングラーのドラマティックな名演を、不十分ながら、これまでよりは良好な音質で味わうことができることについては一定の評価をしておきたい。
13 people agree with this review 2011/03/04
壮絶な超名演だ。テンシュテットは、1970年代の後半から1980年代の中頃にかけて、手兵のロンドン・フィルとともにマーラーの交響曲全集(スタジオ録音)を完成させた。当該全集の評価は非常に高く、1987年のレコード・アカデミー賞を受賞(特別部門)したほどであった。その中でも、第8(1986年録音)は全集の有終の美を飾る名演として特に高い評価を得てきたが、本盤は、それを更に上回る感動的な超名演だ。ライブ録音特有のオーケストラ演奏の瑕疵も一部に聴かれるなど、演奏全体の安定性といった観点からは1986年盤の方を採るべきであろうが、本盤の超名演を聴き終えた後の深い感動からすれば、そのような瑕疵など全く問題にならない。テンシュテットは、前述の全集の完成直後に咽頭がんを患い、闘病生活を経て奇跡的な復帰を遂げたが、その後は健康状態がいい時に限ってコンサートが行われた。したがって、コンサートの数は限られたが、それだけにそのコンサートの一つ一つが命がけのものであった。その命がけのコンサートの記録の一部が既に発売されており、こうして発売された第1、第2、第5、第6、第7のライブ録音(EMI、LPO自主レーベル)は、いずれ劣らぬ壮絶な超名演であった。マーラーは、愛娘の死などの経験から死を異様なまでに恐れたが、その一方で、人一倍楽天家でもあった。そうしたマーラーの特異な性格は楽曲にも反映されることになり、その交響曲の本質は、他にもいろいろと考えられるが、基本的には、死との闘いと生への憧憬や妄執にあったと言える。テンシュテットの晩年の心境は、マーラーの交響曲の本質と見事に合致するところがあり、このような指揮者と作曲者の心身の一体化が、かかる超名演を生み出す原動力になったものと考える。本盤も、そうした一連の超名演に連なるものだと言える。思い切ったテンポ設定の変化といい、幅の広いダイナミックレンジといい、テンシュテットのドラマティックな指揮ぶりは際立っているが、その壮絶な命がけの演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力に満ち溢れている。テンシュテットの壮絶な指揮の下、ロンドン・フィルも、そして合唱団や独唱陣も最高のパフォーマンスを示しているのも素晴らしい。録音も鮮明であり、申し分のないレベルに達していると言える。
13 people agree with this review
2 people agree with this review 2011/03/02
これは素晴らしい名演だ。ロシア人の指揮者によるブルックナーと言えば、ロジェストヴェンスキーによる全集や、第7〜第9の録音を遺したムラヴィンスキー盤、そして当時の手兵ソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)と第8を録音したスヴェトラーノフによる1981年盤(ライナーノーツによると、第9の終楽章のスタジオ録音などがあるようであるが、未聴)が思い浮かぶ程度。それ以外にもあるのかもしれないが、マーラーとは異なり、ブルックナーとはあまり縁があるとは言えないのではないか。これらロシア人の指揮者による演奏の中では、私見ではあるが、ムラヴィンスキーの演奏のみが名演の名に値すると言えるものの、それ以外は、スヴェトラーノフ盤も含め、面白くはあるが今一つの演奏であると考えている。ところが、本盤は、1981年盤(第8)における、力で押し切っていくようなタイプの演奏とは別人のような成熟した演奏を聴かせてくれているのが素晴らしい。ゆったりとしたインテンポによる、いわゆる粘着質の演奏ではあるが、例えば、本CDと同時発売されたローマ三部作のような大仰な印象は全く受けない(ローマ三部作ではそうした大仰さがプラスに働いているが)。また、スヴェトラーノフは金管楽器を最強奏させているが、いささかも無機的には陥ることはなく、弦楽器なども重量感溢れる実に深みのある音色を出している。正に、同じスタイルによる名演であるジュリーニ&ウィーン・フィル盤にも比肩するスケール雄大な重厚な名演と高く評価したい。これは、スヴェトラーノフによる指揮の力も大きいとは思うが、それ以上に、最高のパフォーマンスを持ってスヴェトラーノフの巨大とも言える音楽を描出したスウェーデン放送交響楽団の力量によるところも大きいと考える。録音も素晴らしい高音質であり、このような名演を鮮明な音質で味わえることを大いに喜びたい。
6 people agree with this review 2011/03/01
凄い演奏だ。スヴェトラーノフのローマ三部作と言えば、爆演とも評されたソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)との1980年盤があり、それは、スヴェトラーノフならではの重厚でパワフルに押し切るという重量級の演奏であった。当該盤の約20年後の本演奏においては、そうした重量級の芸風を保ちつつも、テンポがよりゆったりとしたものとなるとともに、表現力の幅が非常に広くなり、音楽全体のスケールが雄大になった点を高く評価したい。ローマの噴水は、「夜明けのジュリアの谷の噴水」の繊細で情感豊かな音楽を聴いていると、スヴェトラーノフも最晩年になって大人しくなったのではないかと思ってしまいがちであるが、「昼のトレヴィの噴水」でそうした思いは早速撤回を余儀なくされる。ここでの凄まじい大音響は、あたかもあたり一面が大洪水になったかのような圧巻の迫力だ。ローマの祭りは、正にスヴェトラーノフの独壇場。「チルチェンセス」はゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽であるが、猛獣の唸り声を模した金管楽器の咆哮は凄まじいの一言。他の指揮者による演奏では、終結部において猛烈なアッチェレランドをかけるのが常であるが、スヴェトラーノフは堂々たるインテンポで大音響を炸裂させ、阿鼻叫喚の世界を構築する。「五十年祭」のテンポは更に遅く、トゥッティにおけるトランペットの耳をつんざくような音色は強烈そのもの。超スローテンポと相まって、あたかも巨大な壁画を思わせるような壮大な音響世界の構築に成功している。「主顕祭」は、スヴェトラーノフ節全開。堂々たるゆったりとしたインテンポで、すべての楽器を力の限り咆哮させており、狂喜乱舞とも言うべき圧倒的な熱狂の下に全曲を締めくくっている。ローマの祭りも、「ボルジア荘の松」のゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽からしてユニークであるが、凄いのは「アッピア街道の松」。あたかも旧ソヴィエト軍の示威進軍のような圧巻の迫力を誇っており、特に終結部のいつ終わるとも知れない強引さには、完全にノックアウトされてしまった。いずれにせよ、本演奏は、過去のローマ三部作の名演とは一味もふた味も異なる異色の演奏とは言えるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の名演に一歩も引けを取っていない。スヴェトラーノフの個性的な指揮の下、スウェーデン放送交響楽団も一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。録音も鮮明で文句のつけようのない素晴らしさだ。
6 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/02/27
かつて交響曲のみがCD3枚に渡ってバラで発売されていたものをボックス化したものであるが、交響曲を番号順に並べかえるとともに、新録音の主要な管弦楽曲を加えるなど、付加価値の高い全集と言える。シベリウスの交響曲や管弦楽曲で素晴らしい名演を聴かせてくれているヴァンスカであるが、本盤のニールセンの交響曲や管弦楽曲でも見事な名演を成し遂げていると高く評価したい。ニールセンの交響曲全集は、同時代の北欧のシンフォニストであるシベリウスの交響曲全集と比較するとあまりにも少ないが、作品の質の高さに鑑みると、不当に過小評価されていると言えるのではなかろうか。そのような状況の中で、ヴァンスカによる素晴らしい名演による全集の登場は大いに歓迎すべきことであると言える。ヴァンスカのアプローチは、生命力溢れる力強さが基本であるが、これは、ニールセンの華麗なオーケストレーションの描出には相応しいもの。どの交響曲、そして管弦楽曲においても、畳み掛けていくような気迫と力感が漲っていると言える。他方、各交響曲の緩徐楽章(第4や第5では、緩徐部と言った方が適切と言えるかもしれない)における情感の豊かさは、あたかも北欧の白夜を彷彿とさせるような優美さに満ち溢れており、勢い一辺倒の浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。正に、硬軟バランスのとれた名演と言うことができるだろう。また、本全集には、いわゆる超名演と言うものはないが、どの楽曲も名演の名に相応しい水準の演奏で構成されており、不出来な演奏がないというのも、本全集の価値を高める要素となっている点も忘れてなならない。BBCスコティッシュ交響楽団やラハティ交響楽団も、ヴァンスカの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。録音も優秀であり文句なし。
2 people agree with this review 2011/02/27
これまでの既発売のフルトヴェングラーでは考えられないような超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。弦楽合奏の圧倒的な重量感、高弦の艶やかな響き、金管楽器や木管楽器のブリリアントな響きなど、とても1950年代の録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。特に、R・シュトラウスの3曲は、もともとフルトヴェングラーの数ある録音の中でも比較的音質がいいことで知られていただけに、その効果は一層絶大で、最新録音に匹敵するような鮮度を誇っていると言っても過言ではあるまい。おそらくは、フルトヴェングラーSACDシリーズの中でも白眉の高音質と言えるだろう。いずれにしても、今般のフルトヴェングラーの遺産の一連のSACD化に向けてのEMIの所業は、フルトヴェングラーの圧倒的な名演だけにその意義は極めて大きく、正に歴史的な偉業と高く評価したい。モルダウは、決して急ぐことがないゆったりとしたインテンポによる彫の深い、そして雄渾な名演であるが、かかるフルトヴェングラーの卓越した至芸を鮮明な音質で堪能できるのが素晴らしい。特に、終結部の急流の部分は、従来CDだと音が団子状態でよく聴き取れないのが難点であったが、本盤においては相当程度分離して聴こえるのが見事。ドン・ファンは、冒頭の輝かしい響きの何という鮮明さ。その後は、各管楽器、弦楽器がクリアに分離して聴こえるのは驚異的であるし、低弦による迫力ある鮮明な響き、そしてソロヴァイオリンによるシルキーな美音には抗し難い魅力があると言える。ホルンの朗々たる響きも、古めかしさをいささかも感じさせない。フルトヴェングラーによる同曲の神髄を徹底的して追及することに根差した彫の深い濃密な表現が、今般の高音質化によって鮮明に再現された意義は極めて大きいと言うべきであり、同曲には圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンの名演もあるが、私としては、一概に優劣は付け難いものの今後は本盤の方を愛聴したいと考える。ティルも圧巻の高音質。冒頭のホルンの音色が、従来CDだといささか古めかしく聴こえたが、本盤ではそのようなことはなく、音の鮮度が保たれているのは素晴らしい。その後も、金管楽器の生々しい響き、木管楽器の艶やかな響き、打楽器の迫力は唖然とするほどで、トゥッティにおいて、各楽器が鮮明に分離して聴こえるのは凄いの一言。フルトヴェングラーの表現は、ドン・ファンと同様に彫の深い濃厚さが支配しており、今般の高音質化によって、間違いなく同曲最高の名演の地位を獲得したと言っても過言ではないのではないか。死と変容は、フルトヴェングラーならではの壮絶にしてドラマティックな名演であるが、従来CDだと、特にトゥッティの箇所で、音がやや団子状態になるなど、今一つその至芸を満喫することが困難な面もあった。しかしながら、今般の高音質化によって、フルトヴェングラーが表現する死との凄まじい闘いや生についての天国的な美しさが、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な力感溢れる高音質に生まれ変わっており、本名演の価値をより一層高いものとしたと言えるのではないか。
3 people agree with this review 2011/02/27
本盤に収録されたモーツァルトの2曲については、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきたが、それらとは一線を画する素晴らしい超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。アイネ・クライネ・ナハトムジークは、録音が1949年ということもあり、マスターテープの保存状態がかなり良かったのではなかろうか。何よりも、弦楽合奏の音に一本芯が通ったような力感が増したのが何よりも大きい。そして、高弦の響きは艶やかで美しさの極み。トゥッティに差し掛かっても音が歪むことがないのが素晴らしい。演奏は、いわゆるモーツァルト演奏に必要不可欠とされている優美さや繊細さを基調としたものではなく、いかにもフルトヴェングラーならではのロマンティシズム溢れる濃厚なものだ。しかしながら、雄渾なスケールと彫の深さにおいては、他のどの演奏よりも際立ったものがあり、本演奏を個性的な名演と評価するのに私としてはいささかも躊躇しない。グラン・パルティータは、さらに2年遡る1947年の録音であるが、これまた驚異的な高音質だ。戦後間もなくとはとても信じられないような鮮明な音質に唖然としてしまうほどだ。各管楽器がブリリアントに響くのは圧巻の一言であり、トゥッティにおいても音が歪むことは殆どない。ここでのフルトヴェングラーの演奏においては、アイネ・クライネ・ナハトムジークのような濃厚な味付けは聴かれず、むしろ優美にして颯爽としたものと言える。それでいて、厳しい造形美や楽曲の核心を抉り出していくが如き彫の深さは健在であり、今般の高音質化によって、同曲のトップの座を争う名演と評価しても過言ではないのではないか。また、古き良き時代のウィーン・フィルの各奏者が奏でる美音を聴くことができるのも本盤の魅力であり、それらを望みうる最高の音質で味えることの喜びを大いに噛みしめたい。
3 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/02/27
驚天動地の超高音質SACDの登場だ。これがSP復刻による1938年の録音とはとても信じられない。フルトヴェングラーが遺したチャイコフスキーの悲愴の録音としては、本盤といわゆるカイロ盤(1951年のライブ、DG)の2種が存在し、いずれ劣らぬ名演ではあるが、ライブ録音ということもあり、どちらかと言えばドラマティックなカイロ盤の方を上位に置く評者が多かったのではないかと思われる。しかしながら、今般の高音質化を持って、フルトヴェングラーの魔法のような至芸を鮮明な音質で味わうことが可能となったことにより、私としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。SP復刻に起因するテープヒスは若干あるものの、第1楽章冒頭のファゴットの生々しい音色からして大変驚かされる。第1主題のトゥッティでは若干音は歪むが、それでも既発CDとは段違いの良好な音質だ。第2主題の弦楽合奏は艶やかに響くし、その後の木管楽器の響きも実にブリリアント。展開部も音が殆ど歪まず、金管楽器や弦楽器が見事に分離して聴こえるのは圧巻であり、特に、展開部の終わりにおける低弦の動きが鮮明に再現されるのは驚異的ですらある。ここでのドラマティックな表現は、フルトヴェングラーの面目躍如と言ったところである。第2楽章冒頭の弦楽による厚みのある演奏は、音に一本芯が通ったような力強さが印象的。その後の高弦による艶やかな響きには抗し難い魅力がある。それにしても、中間部を超スローテンポで演奏するなど、第2楽章におけるフルトヴェングラーの表現は濃厚さの極みであり、この濃密で彫の深い表現は、チャイコフスキーの神髄に迫る至高・至純の指揮芸術と高く評価したい。第3楽章は、中間部で、おそらくはマスターテープに起因するであろう音圧の低下があるのは残念ではあるが、全体として各楽器が鮮明に分離して聴こえるのが素晴らしい。特に、後半のトゥッティにおいて音の歪みが殆ど聴かれず、ブラスセクションがブリリアントに響きわたるのは凄まじいの一言。終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは、フルトヴェングラーならではの圧巻の至芸だ。終楽章の慟哭のような弦楽合奏の深みのある音は、本高音質SACDを持ってはじめて再現されるものだ。若干の音の歪みはあるが、さほど気にはならない。トゥッティに向けてのアッチェレランドを駆使した圧倒的な盛り上がりは、フルトヴェングラーならではの卓越した至芸であるが、タムタムによる一撃や消え入るような終結部なども含め、既発CDとは次元の異なる鮮明な高音質で再現されるのは見事というほかはない。
5 people agree with this review
素晴らしい高音質SACDの登場だ。フルトヴェングラーのチャイコフスキーの交響曲第4番の録音については、これまでグランドスラム盤やオーパス盤などにより様々な復刻を繰り返してきたが、今般のSACDはそれらとは次元の異なる鮮明な高音質に蘇ったと言える。フルトヴェングラーは、必ずしも演奏機会は多いとは言えなかったが、チャイコフスキーの後期三大交響曲についてはコンサートでも時として採り上げ、録音も遺されている。この中で、第5は、聴衆やオーケストラの質の悪さも相まって問題外。第6は、楽曲がフルトヴェングラー向きということもあって複数の録音(しかも名演)が遺されている。他方、第4についてはスタジオ録音による本盤しか遺されていないが、これが素晴らしい名演なのだ。録音が数日にわたって行われている点にも、フルトヴェングラーが本盤の録音にかけた情熱と意欲、そして強い拘りが表れているとも言える。チャイコフスキーの第4の名演と言えば、ムラヴィンスキー盤(60年のDG盤)、カラヤン盤(71年のEMI盤)が何よりも念頭に浮かぶが、本フルトヴェングラー盤は、今般の高音質化を持ってこれらの名演に比肩することが可能となり、同曲の名演のベスト3の一角を占めるに至ったと言っても過言ではないと考える。ムラヴィンスキーが鉄壁のアンサンブルを駆使した豪演、カラヤンがライブ録音を思わせるようなドラマティックな名演であるのに対して、フルトヴェングラーは、気宇壮大な彫の深い名演と言ったところではないだろうか。フルトヴェングラーはチャイコフスキーの第4を、ベートーヴェンやブラームスなどの交響曲に接するのと同様のアプローチで指揮しているのだ。その意味では、チャイコフスキーの第4を、ベートーヴェンの諸交響曲にも比肩する大芸術作品に仕立てあげたとも言えるところであり、その作品の核心に迫っていこうという鋭くも真摯な姿勢は、演奏を濃密で深みのあるものにしており、内容の濃さという点に限って言えば、フルトヴェングラー盤こそは随一の名演と言ってもいいのではないかとさえ考えられる。それにしても信じられないような高音質だ。冒頭のホルンのファンファーレの主題の生々しい音にまずは驚かされる。その後も、高弦のつややかな響きといい、ブラスセクションや木管楽器のブリリアントな響き、厚みのある低弦の迫力など、信じられないような鮮明な音質に生まれ変わっている。音場も非常に幅広いものになり、特に終楽章において顕著であるが、トゥッティになっても音が歪むことが殆どないというのは驚異的ですらある。また、例えば、第1楽章の第1主題の呈示に際してのヴァイオリンとチェロによる緩急をつけた導入の仕方、第2楽章の木管楽器による主題や、中間部に向けての弦楽による抑揚をつけた歌わせ方、第3楽章のピツィカートの味わい深い濃厚さ、終楽章終結部の効果的なアッチェレランドなどは、フルトヴェングラーだけが成し得る魔法のような至芸であるが、このように随所に施された至芸が鮮明に再現されるというのは、本高音質盤の最大のメリットであると高く評価したい。併録の弦楽セレナードからの抜粋2曲も、厚みのある弦楽合奏が鮮明に再現されており、フルトヴェングラーの卓越した至芸を望み得る最高の高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
6 people agree with this review 2011/02/26
本盤は、フルトヴェングラーの管弦楽曲のいわゆる小品を集めたCDであるが、これまでのリマスタリングCDとは次元の異なる素晴らしい高音質SACDと高く評価したい。フルトヴェングラーは、いかなる規模の小さい小品であっても、他の規模の大きい交響曲やオペラなどに接するのと同様のアプローチを行っている。その意味では、クレンペラーと同様であるが、クレンペラーのように聴き手がどう考えようが、わが道を行くということはなく、聴き手に楽曲の魅力を伝えるという演出巧者ぶりは多分に感じられる。それは、後年のカラヤンと同様なのであるが、カラヤンのように、小品に特化した聴かせどころのツボを心得た演奏を行っているというわけではない(カラヤンの演奏には、フルトヴェングラーの演奏とは違った、圧倒的な音のドラマの構築という魅力があり、決して劣っているわけではない)。フルトヴェングラーの場合は、小品に特化した演奏は薬にしたくもなく、その演奏は楽曲全体が聴かせどころとも言える濃密なものであり、それ故に、小品においても、雄渾なスケールをいささかも損なうことなく、それでいて聴き手を直ちに惹きつけてやまない彫の深い名演の数々を生み出したのだと言える。本盤も、そうしたフルトヴェングラーだけが成し得た至芸の数々を味わうことが可能だ。メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲とベルリオーズのハンガリア行進曲は1949年の録音であるが、決して不満を感じさせる音質ではなく、また他の曲はいずれも1950年代の録音であり、マスターテープの保存状態もかなり良かったものと思われる。高弦や木管楽器のつややかな響き、完全とは言えないものの相当程度各弦楽器が分離して鮮明に聴こえるようになった弦楽合奏など、驚異的な高音質と言える。ウェーバーの「魔弾の射手」序曲のホルンもいささかも古臭さを感じさせず、実に生々しく響くのには大変驚かされた。いずれにしても、フルトヴェングラーの至芸を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることの幸せを大いに噛みしめたい。
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