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5 people agree with this review 2011/03/26
ヴァントがブルックナーの交響曲の中でも特に高く評価していたのが、第5と本盤におさめられた第9であったというのは、ヴァントの伝記などを紐解くとよく記述されている公然の事実だ。実際に、ブルックナーの第9は、ヴァントの芸風に見事に符号する交響曲と言えるのではないか。最後の来日時(2000年)に、シューベルトの「未完成」とともに同曲の素晴らしい名演を聴かせてくれたことは、あれから10年経った現在においても鮮明に記憶している。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は至高の超名演だ。同時期にミュンヘン・フィルと行った演奏(1998年)もあり、ほぼ同格の名演とも言えるが、同曲の峻厳とも言える性格から、オーケストラの音色としてはベルリン・フィルの方が同曲により適していると考えられるところであり、私としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。なお、前述の来日時の2000年盤との比較については、なかなか難しい面があるが、オーケストラの安定性(ホームグラウンドで演奏しているかどうかの違いであり、北ドイツ放送交響楽団との技量差はさほどではないと考える。)において、本盤の方がわずかに上回っていると言えるのではないか。なお、本名演に匹敵すると考えられる同曲の他の名演としては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤(1961年)、朝比奈&大阪フィル盤(1995年)が掲げられるが、前者は特に終楽章のスケールがやや小さいこともありそもそも対象外。後者については、演奏内容はほぼ同格であるが、オーケストラの力量においては、大阪フィルはさすがにベルリン・フィルと比較すると一歩譲っていると言えるだろう。今後、本名演を脅かすとすれば、未だDVDも含め製品化されていない、朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)がCD化された場合であると考えるが、権利関係もあって容易には事が運ばないと考えられるところであり、おそらくは、本名演の天下は、半永久的に揺るぎがないものと考える。本名演でのヴァントのアプローチは、いつものように眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングによって、実に緻密に音楽を組み立てていく。造型の堅固さにも際立ったものがある。金管楽器なども最強奏させているが、無機的な音はいささかも出しておらず、常に深みのある壮麗な音色が鳴っている。スケールも雄渾の極みであり、前述の堅固な造型美や金管楽器の深みのある音色と相まって、神々しささえ感じさせるような崇高な名演に仕上がっていると言える。特に、終楽章のこの世のものとは思えないような美しさは、ヴァントとしても、80代の半ばになって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。いずれにしても、前述のように、本名演が古今東西の様々な名演に冠絶する至高の超名演であるということに鑑みれば、ヴァントは、本超名演を持って、ブルックナーの第9の演奏史上において、未踏の境地を切り開いたとさえ言えるだろう。録音もマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、この崇高とも言うべき至高の超名演の価値を高めるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。
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7 people agree with this review 2011/03/26
ヴァントがその最晩年にベルリン・フィルと成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏の数々は、いずれも至高の超名演であるが、本盤におさめられた第5は、一連の演奏の中でのトップバッターとなったものである。ヴァントの伝記などを紐解くと、ヴァントは、ブルックナーの交響曲の中でも特に第5と第9を、妥協を許すことなく作曲した楽曲として特に高く評価していたことが記されている。それだけに、ヴァントとしても相当に自信を有していたと考えられるところであり、ベルリン・フィルを指揮した演奏の中でも第5と第9は、他の指揮者による名演をはるかに引き離す名演を成し遂げていると言えるのではないだろうか。辛うじて比較し得る第5の他の名演としては、ヨッフム&コンセルトへボウ・アムステルダム盤(1964年)、朝比奈&東京交響楽団盤(1995年)が掲げられるが、前者はいささかロマンティシズムに傾斜する傾向、後者はオーケストラの力量に難点があり、ヴァント&ベルリン・フィル盤には遠く及ばないと考える。唯一対抗し得るのは、同じヴァントによるミュンヘン・フィル盤(1995年)であると考えるが、剛毅な性格を有する第5には、ベルリン・フィルの音色の方がより適しているのではないかと考える。現在、DVDでしか発売されていない朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)が今後CD化されるとすれば、本盤を脅かす存在になる可能性はあるが、そのようなことがない限りは、本名演の優位性は半永久的に安泰と言っても過言ではあるまい。本演奏におけるヴァントのアプローチは、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく峻厳たるものだ。やや早めのインテンポによる演奏は、巧言令色とは正反対の質実剛健そのものと言える。全体の造型はきわめて堅固であり、それによる凝縮化された造型美はあたかも頑健な建造物を思わせるほどであるが、それでいて雄渾なスケール感を失っていないのは、ヴァントが1990年代半ば、80歳を超えて漸く達成し得た圧巻の至芸と高く評価したい。金管楽器なども常に最強奏しているが、いささかも無機的な響きになることなく、常に奥深い崇高な音色を出しているというのは、ベルリン・フィルのブラスセクションの卓越した技量もさることながら、ヴァントの圧倒的な統率力の賜物と言うべきであろう。また、峻厳な装いのブルックナーの第5においても、第2楽章などを筆頭として、聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情的な音楽が随所に散見されるが、ヴァントは、このような箇所に差し掛かっても、いささかも感傷的には陥らず、常に高踏的とも言うべき気高い崇高さを失っていない点が素晴らしい。このように、非の打ちどころのない名演であるのだが、その中でも白眉は終楽章であると言える。ヴァントは、同楽章の壮大で輻輳したフーガを巧みに整理してわかりやすく紐解きつつ、音楽がごく自然に滔々と進行するように仕向けるという、ほとんど神業的な至芸を披露しており、終楽章は、ヴァントの本超名演によってはじめてその真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。録音も、マルチチャンネルは付いていないものの、SACDによる極上の高音質であり、この史上最高の超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している。
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6 people agree with this review 2011/03/25
今から25年以上も前のことであるが、NHK教育テレビにおいて、本盤におさめられたマタチッチ&NHK交響楽団によるベートーヴェンの第7を放送していたのを視聴した時のことを鮮明に記憶している。それは、マタチッチがほとんど指揮をしていなかったということだ。手の動きはきわめて慎ましやかであり、実際にはアイコンタクトだけで指揮していたと言えるのではないだろうか。しかしながら、そうした殆ど動きがないマタチッチを指揮台に頂きながら、NHK交響楽団がそれこそ渾身の力を振り絞って力強い演奏を行っていたのがきわめて印象的であった。当時のNHK交響楽団は、技量においては、我が国のオーケストラの中でトップと位置づけられていたが、演奏に熱がこもっていないとか、事なかれ主義の演奏をするとの批判が数多く寄せられており、死ぬ直前の老匠とは凄い演奏をするなどと揶揄されていた。そうした批評の是非はさておき、死を1年後に控えていた最晩年のマタチッチによるこのような豪演に鑑みれば、そのような批評もあながち否定できないのではないかと考えられる。いずれにしても、あのような手の動きを省略したきわめて慎ましやかな指揮で、NHK交響楽団に生命力溢れる壮絶な演奏をさせたマタチッチの巨匠性やカリスマ性を高く評価すべきであると考える。本盤には、そうした巨匠マタチッチと、その圧倒的なオーラの下で、渾身の演奏を繰り広げたNHK交響楽団による至高の超名演がおさめられている。以前に発売されていたCDでは、音質がややデッドな面があり、演奏がやや大味に聴こえるという致命的な欠陥があったのだが、今般のBlu-spec-CD化によって、見違えるような鮮明な高音質に生まれ変わった。これによって、マタチッチの最晩年の至高・至純の芸術を、きわめて満足できる音質で味わうことができるようになったことは慶賀にたえない。なお、少し前に、本盤におさめられたベートーヴェンの第2及び第7、そしてブルックナーの第8を組み合わせたXRCDが発売されるとの発表があったが、その後一向に音沙汰がなくなり、現時点でも発売日未定とのことである。Blu-spec-CDでも十分に高音質であるが、歴史的な名演であることもあり、この場を借りて是非とも実現していただくよう重ねて要望しておきたい。
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4 people agree with this review 2011/03/24
マタチッチが死の1年前に行ったNHK交響楽団との一連のコンサートは、いずれも巨匠ならではの至高の名演であった。いずれも既にCDとして発売されているが、15年前から一度もリマスタリングされていなかったことあり、音質が今一つ良くないという問題があった。ところが、今般、一連のCDがBlu-spec-CDとして発売されることになったことは、演奏の質の高さや歴史的価値に鑑みると、非常に喜ばしいことと言えるだろう。実際に、本盤におさめられたブラームスの第1も、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わっていると言える。これによって、巨匠の最晩年の至高の芸術の真価を漸く満足できる高音質で味わうことが可能となったと言えるのではないだろうか。ブラームスの第1は、NHK交響楽団にとっては得意のレパートリーとも言うべき楽曲である。最近でこそ、デュトワやアシュケナージなどを音楽監督に迎え、フランス系やロシア系の音楽も十八番にしつつあるNHK交響楽団であるが、本盤の録音当時は、名誉指揮者であるサヴァリッシュやスウィトナー、ホルスト・シュタインなどのドイツ系の指揮者が幅を利かせ、ドイツ系の音楽を中心に演奏していたと言える。さらに前の時代のカイルベルトやシュヒターなども含め、ブラームスの第1は、それこそ自己薬籠中の楽曲と言っても過言ではなかったと考えられる。実際に、サヴァリッシュなどによる同曲のCDも発売されているが、本マタチッチ盤はそもそも次元が異なる名演と高く評価したい。テンポは全体で約42分という、ブラームスの第1としては早めのテンポであるが、音楽全体のスケールは極めて雄大である。マタチッチは、必ずしもインテンポには固執せずに、随所でテンポを変化させており、特に終楽章のアルペンホルンが登場する直前など、いささか芝居がかったような大見得を切る表現なども散見されるが、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは、巨匠ならではの圧巻の至芸と言える。NHK交響楽団も力の限りを振り絞って力奏しており、その圧倒的な生命力は切れば血が飛び出てくるほどの凄まじさだ。当時は、力量はあっても事なかれ主義的な演奏をすることが多いと揶揄されていたNHK交響楽団であるが、本盤では、こうした力強い生命力といい、畳み掛けていくような集中力といい、実力以上のものを出し切っているような印象さえ受ける。したがって、NHK交響楽団の渾身の演奏ぶりを褒めるべきであるが、それ以上に、NHK交響楽団にこれだけの鬼気迫る演奏をさせた最晩年の巨匠マタチッチのカリスマ性を高く評価すべきであると考える。いずれにしても、本盤のブラームスの第1は、NHK交響楽団の同曲演奏史上においても、特筆すべき至高の名演と高く評価したい。
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1 people agree with this review 2011/03/23
バーンスタインならではの至高の超名演と高く評価したい。「子供の不思議な角笛」は、マーラーが同名の民謡詩集から選んで作曲した歌曲集であるが、同歌曲集を構成する各歌曲が有する諧謔や皮肉、そしてユーモアに満ち溢れた独特の内容は、交響曲第2番〜第4番のいわゆる角笛交響曲にも通底するものと言えるのかもしれない(「さかなに説教するパトバのアントニオ」や「原光」の旋律については、第2番に活用されている。)。バーンスタインのアプローチは、同歌曲集においても、これら角笛交響曲で行ったアプローチと何ら変わるところはない。その表現は濃厚さの極みであり、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、粘ったような進行や猛烈なアッチェレランドの駆使など、考え得るすべての表現を駆使して、曲想を濃密に、そしてドラマティックに描き出していく。各歌曲毎の描き分けも見事に行っており、あたかも歌曲集全体が一大交響曲のような雄大なスケール感を有しているのが素晴らしい。バーンスタインがこれだけ自由奔放な指揮を行っているにもかかわらず、歌曲集全体に纏まりがあるというのは驚異的であり、これは、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。そして、このようなバーンスタインの壮絶な指揮に適度な潤いと奥行きを与えているのが、コンセルトヘボウ・アムステルダムによる名演奏と言うことになるだろう。同オーケストラは、シャイーが音楽監督になってからはその音色が随分と変化したとも言われているが、本盤の録音当時は、北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の深みのある音色を誇っており、ここでもそうした同オーケストラの持ち味を活かした好パフォーマンスを発揮しているのが見事である。独唱のポップとシュミットも最高の歌唱を行っていると言えるところであり、この諧謔と皮肉、そしてユーモアに満ち溢れたマーラーの歌曲の独特の内容を見事に表現し尽くしている点を高く評価したい。
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4 people agree with this review 2011/03/21
マーラーの第7は、最近では多くの指揮者によって数々の名演が成し遂げられており、他の交響曲と比較しても遜色のない演奏回数を誇っていると言えるが、本盤の録音当時(1985年)は、マーラーの他の交響曲と比較すると一段下に見られていたのは否めない事実である。本盤と、ほぼ同時期に録音されたインバル&フランクフルト放送交響楽団による名演(1987年レコードアカデミー賞受賞)の登場によって、現代における第7の名演の隆盛への道が開かれたと言っても過言ではないところである。その意味では、本盤におさめられた演奏は、第7の真価を広く世に認知させるのに大きく貢献した至高の超名演と高く評価したい。ここでのバーンスタインの演奏は、他の交響曲におけるアプローチと同様に実に雄弁であり、濃厚さの極みである。バーンスタインの晩年の演奏は、マーラー以外の作曲家の楽曲においても同様のアプローチをとっており、ブラームスの交響曲全集やドヴォルザークの第9、シベリウスの第2、チャイコフスキーの第6、モーツァルトのレクイエム、ショスタコーヴィチの第7など、雄弁ではあるが、あまりにも大仰で表情過多な面が散見され、内容が伴っていない浅薄な凡演に陥ってしまっているものが多い。ところが、同じようなアプローチでも、マーラーの交響曲や歌曲を指揮すると、他の指揮者の演奏を圧倒する素晴らしい名演が仕上がるという結果になっている。これは、バーンスタインがマーラーの本質を誰よりも深く理解するとともに、心底から愛着を抱いていたからに他ならず、あたかもマーラーの化身のような指揮であるとさえ言える。本盤の第7も、第1楽章の葬送行進曲における激しい慟哭から天国的な美しさに至るまで、表現の幅は桁外れに広範。これ以上は求め得ないような彫の深い濃密な表現が施されており、その情感のこもった音楽は、聴き手の深い感動を呼び起こすのに十分だ。また、第7の愛称の理由でもある第2楽章及び第4楽章の「夜の歌」における情感の豊かな音楽は、至高・至純の美しさを誇っていると言える。終楽章の光彩陸離たる響きも美しさの極みであり、金管楽器や弦楽器のパワフルな力奏も圧巻の迫力を誇っている。ここには、正にオーケストラ演奏を聴く醍醐味があると言えるだろう。第7の評価が低い理由として、終楽章の賑々しさを掲げる者が多いが、バーンスタインが指揮すると、そのような理由に何らの根拠を見出すことができないような内容豊かな音楽に変貌するのが素晴らしい。録音の当時、やや低迷期にあったとされるニューヨーク・フィルも、バーンスタインの統率の下、最高のパフォーマンスを示しているのも、本名演の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。
6 people agree with this review 2011/03/21
マーラーの第6は、マーラーの数ある交響曲の中でも少数派に属する、4楽章形式を踏襲した古典的な形式を維持する交響曲である。「悲劇的」との愛称もつけられているが、起承転結もはっきりとしており、その内容の深さからして、マーラーの交響曲の総決算にして最高傑作でもある第9を予見させるものと言えるのかもしれない。マーラーの交響曲には、様々な内容が盛り込まれてはいるが、その神髄は、死への恐怖と闘い、それと対置する生への憧憬と妄執であると言える。これは、第2〜第4のいわゆる角笛交響曲を除く交響曲においてほぼ当てはまると考えるが、とりわけ第9、そしてその前座をつとめる第6において顕著であると言えるだろう。このような人生の重荷を背負ったような内容の交響曲になると、バーンスタインは、正に水を得た魚のようにマーラー指揮者としての本領を発揮することになる。本演奏におけるバーンスタインのアプローチは、他の交響曲と同様に濃厚さの極み。テンポの緩急や強弱の変化、アッチェレランドなどを大胆に駆使し、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。それでいて、第3楽章などにおける情感の豊かさは美しさの極みであり、その音楽の表情の起伏の幅は桁外れに大きいものとなっている。終楽章の畳み掛けていくような生命力溢れる力強い、そして壮絶な表現は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言える。そして、素晴らしいのはウィーン・フィルの好パフォーマンスであり、バーンスタインの激情的とも言える壮絶な表現に、潤いと深みを加えるのに成功している点も高く評価したいと考える。これだけの超名演であるにもかかわらず、影響力のあるとある高名な音楽評論家が、バーンスタインの体臭がしてしつこい演奏などと難癖をつけ、ノイマン&チェコ・フィル盤(1995年)や、あるいは数年前に発売され話題を呼んだプレートル&ウィーン交響楽団盤(1991年)をより上位の名演と評価している。私としても、当該高名な評論家が推奨する2つの演奏が名演であることに異論を唱えるつもりは毛頭ない。しかしながら、本盤におさめられたバーンスタイン&ウィーン・フィルの超名演を、これら2つの演奏の下に置く考えには全く賛成できない。マーラーの第6のような壮絶な人間のドラマを表現するには、バーンスタインのようなドラマティックで壮絶な表現こそが必要不可欠であり、バーンスタインの体臭がしようが、しつこい演奏であろうが、そのような些末なことは超名演の評価にいささかの瑕疵を与えるものではないと言えるのではないか。むしろ、本超名演に匹敵し得るのは、咽頭がんを患った後、健康状態のいい時にのみコンサートを開催していたテンシュテット&ロンドン・フィルによる命がけの渾身の超名演(1991年)だけであり、他の演奏は、到底足元にも及ばないと考える。併録の亡き子をしのぶ歌も超名演であり、バリトンのハンプソンの歌唱も最高のパフォーマンスを誇っていると高く評価したい。
9 people agree with this review 2011/03/21
バーンスタインが遺した3度にわたるマーラーの交響曲全集の中で、3度目の全集は、第8、第10及び大地の歌の新録音を果たすことができなかったものの、いずれ劣らぬ至高の超名演で構成されていると言えるのではないだろうか。ところが、これほど優れた超名演で構成されているにもかかわらず、レコード・アカデミー賞を受賞(1989年)したのは、本盤におさめられた第3のみとなっている。これは、各交響曲のCDの発売のタイミングに起因するとも考えられるところであるが、何と言っても、それだけ演奏が優れているからにほかならない。マーラーの第3は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの交響曲の中でも、群を抜いて最大の規模を誇る交響曲である。あまりの長さに、マーラー自身も、第3に当初盛り込む予定であった一部の内容を、第4の終楽章にまわしたほどであったが、これだけの長大な交響曲だけに、演奏全体をうまく纏めるのはなかなかに至難な楽曲とも言える。また、長大さの故に、演奏内容によっては冗長さを感じさせてしまう危険性も高いと言える。ところが、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインにとっては、そのような難しさや危険性など、どこ吹く風と言ったところなのであろう。バーンスタインの表現は、どこをとってもカロリー満点。濃厚で心を込め抜いた情感の豊かさが演奏全体を支配している。特に、終楽章は特筆すべき美しさでスケールも気宇壮大。誰よりも遅いテンポで情感豊かに描き出しているのが素晴らしい。他方、変幻自在のテンポ設定や、桁外れに幅の広いダイナミックレンジ、思い切ったアッチェレランドなどを大胆に駆使するなど、ドラマティックな表現にも抜かりがない。このように、やりたい放題とも言えるような自由奔放な解釈を施しているにもかかわらず、長大な同曲の全体の造型がいささかも弛緩することなく、壮麗にして雄渾なスケール感を損なっていないというのは、マーラーの化身と化したバーンスタインだけに可能な驚異的な圧巻の至芸であると言える。特筆すべきは、ニューヨーク・フィルの卓越した技量であり、金管楽器(特にホルンとトロンボーン)にしても、木管楽器にしても、そして弦楽器にしても抜群に上手く、なおかつ実に美しいコクのある音を出しており、本名演に華を添える結果となっている点を忘れてはならない。ルートヴィヒの独唱や、ニューヨーク・コラール・アーティスツ及びブルックリン少年合唱団による合唱も、最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。
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5 people agree with this review 2011/03/21
ヴァントが最晩年にベルリン・フィルを指揮して行ったブルックナーの交響曲の数々の演奏はいずれ劣らぬ歴史的な超名演であるが、その中でも最高峰の超名演は、紛れもなく本盤におさめられた第7であると考える。ヴァントは、同時期にミュンヘン・フィルとともにブルックナーの数々の交響曲を演奏しており、それらの演奏もベルリン・フィル盤と同様にいずれも至高の超名演であるが、第7についてはミュンヘン・フィル盤がないだけに、なおさら本演奏の価値が際立っていると言える。ブルックナーの第7には、マタチッチ&チェコ・フィル(1967年)、朝比奈&大阪フィル(1975年、聖フローリアンライブ)、マゼール&ベルリン・フィル(1988年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1989年)、スクロヴァチェフスキ&読売日響(2010年)など、多種多様な名演が目白押しであるが、本ヴァント&ベルリン・フィル盤は、それら古今東西のあまたの名演に冠絶する史上最高の超名演と高く評価したい。ヴァントのアプローチは、例によって厳格なスコアリーディングに基づく計算し尽くされたものであり、凝縮化された堅固な造型が持ち味だ。ただ、1980年代のヴァントは、こうしたアプローチがあまりにも整理し尽くされ過ぎていることもあって神経質な面があり、いささかスケールの小ささを感じさせるという欠点があった。しかしながら、1990年代に入ってからは、そのような欠点が散見されることは殆どなくなったところであり、本盤の演奏でもスケールは雄渾の極みであり、神々しささえ感じさせるほどだ。音楽はやや早めのテンポで淡々と流れていくが、素っ気なさなど薬にしたくも無く、どこをとってもニュアンス豊かな情感溢れる音楽に満たされているのが素晴らしい。ヴァントは、決してインテンポには固執せず、例えば第1楽章終結部や第3楽章のトリオ、そして終楽章などにおいて微妙にテンポを変化させているが、いささかもロマンティシズムに陥らず、高踏的な優美さを保っている点は見事というほかはない。金管楽器などは常に最強奏させているが、いささかも無機的な音を出しておらず、常に奥行きのある深みのある音色を出しているのは、ヴァントの類稀なる統率力もさることながら、ベルリン・フィルの圧倒的な技量の賜物と言えるだろう。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本超名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。
1 people agree with this review 2011/03/21
ドビュッシーの有名な管弦楽曲をおさめたCDであるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りのきわめて広範なレパートリーを誇っている指揮者であるが、決して粗製濫造には陥らず、多種多様な楽曲のいずれについても水準の高い演奏を繰り広げているというのは、類稀なる才能の証左であると言えるところであり、現代における最も注目すべき指揮者との評価もあながち言い過ぎではないと考える。ドビュッシーの管弦楽曲については、フランス印象派を代表する楽曲であるだけに、マルティノン、アンセルメ、近年ではデュトワなどのフランス系の指揮者によるフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいがある名演がもてはやされてきた。また、フランス風とドイツ風を融合させたカラヤンによる重厚な名演や、豊かな歌謡性を全面に打ち出したアバドやジュリーニによる名演もあった。これら海千山千の指揮者による個性的な名演と比較すると、パーヴォ・ヤルヴィの演奏には、聴き手を驚かせるような特別な個性があるというわけではない。では、没個性的な演奏かというと、決してそのようなことがないのである。ここでのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって精緻で丁寧に曲想を描き出していくというものである。恣意的な解釈はいささかもなく、音楽も滔々と流れていくが、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。このように、持ち前の豊かな音楽性を発揮し、いわゆる自然体のアプローチを施すことによって、ドビュッシーの印象派ならではの精緻にして色彩感豊かなオーケストレーションの魅力をダイレクトに満喫することができるのが、何よりも本名演の最大の長所と言っても過言ではあるまい。要は、聴き手がゆったりとした気持ちで音楽自体の素晴らしさを味わうことができるということであり、その意味では、本名演は、過去のいかなる名演にも決して劣っていないものと考える。さらに、本盤が優れているのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、ドビュッシーの精緻にして色彩感豊かなオーケストレーションを鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
10 people agree with this review 2011/03/19
マーラーの交響曲第2番の優れた名演が、最近相次いで登場している。昨年以降の演奏に限ってみても、パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団、インバル&東京都交響楽団、そしてラトル&ベルリン・フィルが掲げられ、その演奏様式も多種多様だ。また、少し前の時代にその範囲を広げてみても、小澤&サイトウキネンオーケストラ(2000年)、テンシュテット&ロンドン・フィル(1989年ライブ)、シノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団(1985年)など、それぞれタイプの異なった名演があり、名演には事欠かない状況だ。このような中で、本盤におさめられたバーンスタインによる演奏は、これら古今東西の様々な名演を凌駕する至高の超名演と高く評価したい。録音から既に20年以上が経過しているが、現時点においても、これを超える名演があらわれていないというのは、いかに本演奏が優れた決定的とも言える超名演であるかがわかろうと言うものである。本演奏におけるバーンスタインの解釈は実に雄弁かつ濃厚なものだ。粘ったような進行、テンポの緩急や強弱の思い切った変化、猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使し、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。また、切れば血が出るとはこのような演奏のことを言うのであり、どこをとっても力強い生命力と心を込めぬいた豊かな情感が漲っているのが素晴らしい。これだけ大仰とも言えるような劇的で熱のこもった表現をすると、楽曲全体の造型を弛緩させてしまう危険性があるとも言える。実際に、バーンスタインは、チャイコフスキーの第6、ドヴォルザークの第9、シベリウスの第2、モーツァルトのレクイエムなどにおいて、このような大仰なアプローチを施すことにより、悉く凡演の山を築いている。ところが、本演奏においては、いささかもそのような危険性に陥ることがなく、演奏全体の堅固な造型を維持しているというのは驚異的な至芸と言えるところであり、これは、バーンスタインが、同曲、引いてはマーラーの交響曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。バーンスタインのドラマティックで熱のこもった指揮にも、一糸乱れぬアンサンブルでしっかりと付いていっていったニューヨーク・フィルの卓越した技量も見事である。ヘンドリックスやルートヴィヒも、ベストフォームとも言うべき素晴らしい歌唱を披露している。ウェストミンスター合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、楽曲終結部は圧巻のド迫力。オーケストラともども圧倒的かつ壮麗なクライマックスを築く中で、この気宇壮大な超名演を締めくくっている。
10 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/03/19
本盤は、ドヴォルザークの第9とマルティヌーの第2という、チェコの作曲家による名作をカプリングしているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。特に、マルティヌーの第2については、チェコ出身の指揮者やオーケストラ以外ではあまり演奏がなされないだけでなく、SACD盤が極めて珍しい(というか、私の記憶が正しければ、本盤以外にはないかもしれない。)こともあり、このカプリングは大いに歓迎すべきであると考える。これは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇るパーヴォ・ヤルヴィの面目躍如たるものと言えるだろう。両曲ともに、いわゆるチェコの民族色を全面に打ち出した演奏ではない。曲想を精緻に丁寧に描き出していくという純音楽的な演奏ということができる。恣意的な解釈は薬にしたくもなく、どこをとっても嫌みのない情感の豊かな音楽が滔々と流れていく。したがって、これらの楽曲に、チェコ風の民族色豊かな演奏を期待する聴き手にとっては、肩透かしを喰らうことにもなりかねないと思われるが、音楽自体が有する魅力を深い呼吸の下でゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、古今東西の様々な名演と比較しても、十分に存在意義がある名演と言える。そして、本演奏において何よりも素晴らしいのは、シンシナティ交響楽団の好パフォーマンスであろう。かつては、必ずしも一流とは言えなかったシンシナティ交響楽団であるが、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶によって、数々の素晴らしい演奏を繰り広げるようになってきている。このコンビによるかなりの点数にのぼる既発売CDの演奏の水準の高さが、それを如実に物語っていると言えるが、本盤においても、そうした薫陶の成果が存分に発揮されていると言える。管楽器や弦楽器、そして打楽器の技量には卓抜としたものがあり、両曲を名演たらしめるのに大きく貢献していることを忘れてはならない、また、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音によって、パーヴォ・ヤルヴィによる精緻なアプローチが鮮明に再現されている点も大いに歓迎したい。
5 people agree with this review 2011/03/19
先ずは、有名なバルトークの管弦楽のための協奏曲と、知る人ぞ知るルトスワフスキによる同名の楽曲をカプリングしたセンスの良さを高く評価したい。大方の指揮者は、バルトークの管弦楽のための協奏曲と組み合わせる楽曲は、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽や「中国の不思議な役人」組曲など、バルトークが作曲した有名曲であるのが通例であるが、敢えて、このような特異なカプリングを行ったところに、前述のようなセンスの良さとともに、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇る指揮者の面目躍如たるものがあると考える。演奏も、これまた素晴らしい名演と高く評価したい。パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、何か特別な個性があるわけではなく、聴き手を驚かすような奇を衒ったような演奏はいささかも行っていない。では、没個性的で内容のない浅薄な演奏かというと、決してそのようなことはないのである。要は、恣意的な解釈を施すことを一貫して避けていると言うことであり、その結果、嫌みのない、あざとさのない自然体の美しい音楽が醸成されるのに繋がっていると言える。そして、細部に至るまでニュアンスが豊かであり、どこをとっても豊かな情感に満たされているのが素晴らしい。もちろん、ルトスワフスキの第1楽章及び終楽章、ファンファーレなどに聴かれるように強靭な力強さにもいささかの不足はなく、パーヴォ・ヤルヴィの卓越した表現力の幅の広さを感じさせてくれるのも見事である。バルトークの管弦楽のための協奏曲には、ライナーやオーマンディ、セル、ショルティなどのハンガリー系の指揮者による名演や、カラヤンなどによる演出巧者ぶりが発揮された名演が目白押しであるが、ルトスワフスキの作品も含め、ゆったりとした気持ちで音楽それ自体の魅力を満喫させてくれるという意味においては、本演奏を過去の名演と比較しても上位に掲げることにいささかの躊躇もしない。これは、正に、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性の勝利と言えるだろう。シンシナティ交響楽団も卓越した技量を示しているのも素晴らしい。本盤が、2006年のレコード・アカデミー賞を受賞したのも当然のことであると考える。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
4 people agree with this review 2011/03/19
パーヴォ・ヤルヴィは、今や最も録音を活発に行っている指揮者と言えるだろう。その数の多さもさることながら、楽曲の多種多様ぶりには驚かされるばかりである。これは、パーヴォ・ヤルヴィが、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇っていることの証左であると考える。ところが、不思議なのは、北欧エストニア出身の指揮者であるにもかかわらず、そして、父ネーメ・ヤルヴィが2度にわたってシベリウスの交響曲全集を録音しているにもかかわらず、シベリウスの交響曲を、現時点においても本盤におさめられた第2番しか録音していないということである。しかも、唯一の録音が、有名な人気作ではあるが、必ずしもシベリウスの交響曲の代表作とは言えない第2番だけというのは、パーヴォ・ヤルヴィなりの独特の考え方があるのかもしれない。いずれにしても、本盤の第2は、そうした残念な思いを補ってあまりあるほどの素晴らしい名演と高く評価したい。本名演が素晴らしいのは、何よりもパーヴォ・ヤルヴィの表現が実に音楽性豊かであるという点である。パーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻かつ丁寧に描き出しており、どこをとっても恣意的な解釈が聴かれず、音楽が自然体で滔々と流れていくのが素晴らしい。特別な個性があるというわけではないが、スコアに記された音符のうわべだけを鳴らすという浅薄な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れているのが素晴らしい。北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現にも秀逸なものがあり、第2楽章の表現もなかなかにドラマティック。終楽章の圧倒的な盛り上がりも圧巻の迫力であり、表現の幅はきわめて広いが、それでいて、管楽器、弦楽器そして打楽器ともに、荒っぽさを感じさせず、常にニュアンス豊かな奥行きのある演奏を繰り広げているのが見事である。これは、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶の下、最高のパフォーマンスを示したシンシナティ交響楽団の力量によるところが大きいと言わざるを得ない。カプリングされているトゥビンの第5も、シベリウスと同様に豊かな音楽性が感じされる素晴らしい名演。同曲をおさめたCDで、現在入手できるのは父ネーメ・ヤルヴィによる演奏のみであり、楽曲の質の高さの割には殆ど演奏されていないと言える。このような同曲の真価を広く認知させるという意味でも、本名演の登場は大いに歓迎されるべきであると考える。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を大いに高める結果となっている点を忘れてはならない。
6 people agree with this review 2011/03/18
マーラーの交響曲第5番は、マーラーの数ある交響曲の中でも最も人気のある作品と言えるだろう。CD時代が到来する以前には、むしろ第1番や第4番が、LP一枚におさまることや曲想の親しみやすさ、簡潔さからポピュラリティを得ていたが、CD時代到来以降は、第5番が、第1番や第4番を凌駕する絶大なる人気を誇っていると言える。これは、CD1枚におさまる長さということもあるが、それ以上に、マーラーの交響曲が含有する魅力的な特徴のすべてを兼ね備えていることに起因するとも言えるのではないだろうか。先ずは、マーラー自身も相当に試行錯誤を繰り返したということであるが、巧みで光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが掲げられる。次いで、マーラーの妻となるアルマ・マーラーへのラブレターとも評される同曲であるが、同曲には、葬送行進曲などに聴かれる陰鬱かつ激情的な音楽から、第4楽章における官能的とも言える極上の天国的な美しい音楽に至るまで、音楽の表情の起伏の幅が極めて大きいものとなっており、ドラマティックな音楽に仕上がっている点が掲げられる。このように魅力的な同曲だけに、古今東西の様々な指揮者によって、数々の個性的な名演が成し遂げられてきた。無慈悲なまでに強烈無比なショルティ盤(1970年)、官能的な耽美さを誇るカラヤン盤(1973年)、細部にも拘りを見せた精神分析的なシノーポリ盤(1985年)、劇的で命がけの豪演であるテンシュテット盤(1988年)、瀟洒な味わいとドラマティックな要素が融合したプレートル盤(1991年)、純音楽的なオーケストラの機能美を味わえるマーツァル盤(2003年)など目白押しであるが、これらの数々の名演の更に上を行く至高の超名演こそが、本バーンスタイン盤と言える。バーンスタインのアプローチは大仰なまでに濃厚なものであり、テンポの緩急や思い切った強弱、ここぞと言う時の猛烈なアッチェレランドの駆使など、マーラーが作曲したドラマティックな音楽を完全に音化し尽くしている点が素晴らしい。ここでのバーンスタインは、あたかも人生の重荷を背負うが如きマーラーの化身となったかのようであり、単にスコアの音符を音化するにとどまらず、情感の込め方には尋常ならざるものがあり、精神的な深みをいささかも損なっていない点を高く評価したい。オーケストラにウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、バーンスタインの濃厚かつ劇的な指揮に、適度な潤いと奥行きの深さを付加している点も忘れてはならない。
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