please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of つよしくん
Previous Page
Next Page
Showing 1531 - 1545 of 1958 items
%%header%%
%%message%%
14 people agree with this review 2010/03/20
ユンディ・リがショパン国際コンクールで優勝したのは今から10年前の2000年。そして本年はショパン生誕200年。本盤は、ユンディ・リがEMIに移籍して初録音のアルバムであるが、これは正に満を持して臨んだノクターン全集と言えるだろう。ショパンのノクターンは、スケルツォなどの激しさは薬にしたくもなく、どこまでも優美なロマンティシズムを湛えた楽曲集である。それ故に、技量だけで勝負すると、うわべだけを取り繕った浅薄な演奏に陥ってしまうし、かと言って心を込め過ぎると、チープなムード音楽と化してしまう危険性がある。それだけにアプローチが大変に難しい楽曲と言えるところであり、こうしたノクターンを節目の年の初録音に選択したところに、ユンディ・リの並々ならぬ決意と自信のほどが伺えると言える。そしてその結果は、そのような自信が決して空回りしない名演に仕上がっていると評価したい。ユンディ・リは、ショパンコンクールに優勝するだけの抜群のテクニックを有してはいるが、それよりは、東洋人ならではの繊細なリリシズムを特徴とした優美な芸術性を売りにしたピアニストである。それだけに、ノクターンのような楽曲には、その芸風が見事に符合し、芸術性において、他のピアニストの追随を許さないような高水準の演奏を行っていると言える。曲によって出来にムラがないのも見事であり、どの曲にも、ユンディ・リのこの曲はこう解釈するという確信に満ち溢れているのが素晴らしい。HQCDによる高音質録音も、ユンディ・リの繊細なタッチを見事に再現することに貢献している。
14 people agree with this review
Agree with this review
23 people agree with this review 2010/03/20
ベートーヴェンの第7は、フルトヴェングラーの50年盤(または43年盤)と並ぶ、そしてストラヴィンスキーの春の祭典はトップの座に君臨する超弩級の名演である。カラヤンの生前、そのライブ録音は、マーラーの第9(82年盤)やハイドンの天地創造など、限られたものしか発売されず、したがって、発売された演奏の殆どはスタジオ録音であった。カラヤンのスタジオ録音は、コンサートの演目に登場させる直前のゲネプロに併せて行われるとともに、発売にあたって徹底した編集が行われたことから、CDとしての完成度は高いものの、R・シュトラウスやチャイコフスキー、新ウィーン楽派の管弦楽曲集などの一部の楽曲を除いては、いささか平板な印象を与えるものが少なくない。そのようなCDとフルトヴェングラーの燃焼度の高いライブ録音と比較されれば、結果は火を見るよりも明らかである。しかしながら、そのようなフェアとは言い難い比較で、カラヤンを精神的に浅いだとか、浅薄と評価してしまうのは、いかにも不公平のそしりを免れないのではなかろうか。カラヤンは、近年発売された様々な伝記でも明らかにされているが、CDとコンサートを別ものと捉えていた。そして、コンサートに足を運んでくれる聴者を特別の人と尊重しており、ライブでこそ真価を発揮する指揮者だったことを忘れてはならない。最近、カラヤンの死後に発掘された様々なライブのCDが発売され、それらが、各方面で絶賛を浴びているのも決して不思議ではないのだ。本盤も、そんなカラヤンのライブの凄まじさを証明する一枚である。ベートーヴェンの第7は、当時楽団史上最高の状態にあったベルリン・フィルの圧倒的な合奏力を駆使した重厚な指揮ぶりであり、切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。フルトヴェングラーの名演のように、精神の高みを追及した深みのある演奏ではないが、音のドラマを極限まで追及した名演として、フルトヴェングラーの精神性の高い名演とは違った世界での頂点を極めた超名演と高く評価したい。春の祭典は、まずは管楽器奏者の抜群の技量に圧倒される。これがライブ録音なんて信じられない。弦楽合奏の厚みも桁外れのド迫力であり、こうしたベルリン・フィルの猛者を圧倒的な統率力で纏め上げていくカラヤンの凄さ。しかも、技術偏重には陥らず、音色に妖気のようなものが漂っているところが見事であり、春の祭典の本質を射抜いた史上初の演奏と言っても過言ではないのではないか。カラヤンのライブ録音は、今後もいろいろと発掘されていくと思われるが、おそらくは、それらのライブ録音によって、カラヤンの凄さがあらためて再認識されるのではないかと大いに期待している次第だ。
23 people agree with this review
4 people agree with this review 2010/03/19
数多く存在するショパンのスケルツォ全集の中でも、トップの座に君臨する超名演である。ポゴレリチは、ショパンコンクールの予選で落選し、アルゲリッチがポゴレリチを天才と称して抗議し、その後の審査をボイコットした話は有名であるが、本盤のような超弩級の名演を耳にすると、ポゴレリチがいかに抜群の才能を持った卓越した芸術家であるかということがわかろうというものだ。第1番の冒頭の力強い一撃からして、他のピア二ストの演奏とはそもそも物が違う。冒頭の一撃の後、一瞬の間をおいて、胸のすくような快速テンポによる疾風怒濤の快進撃が開始される。それでいて上滑りする箇所は皆無であり、抒情的な箇所の歌い方も実に感動的だ。有名な第2番も他のピアニストの演奏とはそもそも次元が異なる高みに達している。強弱のダイナミックレンジの幅広さや緩急自在のテンポ設定も凄いの一言であるが、特に中間部の深沈とした抒情と急進的なスケルツォの対比は、ポゴレリチの真骨頂とも言うべき魔法のような魅力に満ち溢れている。第3番や第4番も、極端と言ってもいいほどのテンポの緩急と、精妙で抒情的な演奏の美しさによって、ポゴレリチならではの個性的なショパン像を構築しており、その切れば血が出るような生命力溢れる激情的なパッションの爆発が、我々聴き手に深い感動を与えている。録音も実に鮮明であり、ポゴレリチの超絶的技巧に裏打ちされた芸術的な打鍵を余すことなく味わうことが可能だ。
4 people agree with this review
5 people agree with this review 2010/03/18
両曲ともに、ピアニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った、ピアノ協奏曲の醍醐味を存分に味合うことができる至高・至純の超名演である。ブラームスのピアノ協奏曲第2は、ピア二ストにとっても難曲ではあるが、オーケストレーションが交響曲並みに分厚いことで知られる。要するに、ピアノ入りの交響曲とも言うべき特徴を備えており、それ故に、ピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラにも相当の力量のある役者が揃わないと、楽曲の魅力を発揮することは著しく困難になる。本演奏は67年の録音であるが、この当時はベームの全盛時代。厳しい造型の下、隙間風の吹かない重厚なアプローチを繰り広げており、それが同曲の性格に見事に符合している。バックハウスは最晩年とは思えないような武骨とも言うべき力強いタッチを示しており、ベームともども最高のパフォーマンスを示していると言える。この両者の重厚ではあるが、武骨で巧言令色とは無縁の渋いアプローチを、ウィーン・フィルの美演によって、角の取れた柔和なものにしていることも特筆すべきであり、これら三者の絶妙なコラボレーションが、同曲史上最高の名演を生み出したと言っても過言ではあるまい。モーツァルトは、ブラームスよりもさらに10年ほど前の演奏であるが、バックハウスの武骨なアプローチは、本来はモーツァルトの曲とは水と油の関係と言ってもいいのに、本演奏では、そのような違和感はどこにも感じられない。それは、曲が第27番というモーツァルト最晩年の人生の諦観のような要素を多分に持った作品であることも要因の一つであると考えられる。ベームは、得意のモーツァルトだけに、水を得た魚のように躍動感溢れる指揮をしており、ウィーン・フィルの演奏も例によって美しい。録音については、かつてSACD盤が発売され、それが最高であったが、今では入手難。したがって、現在入手できる最高音質はSHM−CD盤であり、通常CDと比較すると、ピアノの音色がやや鮮明になった印象を受けた。
5 people agree with this review
6 people agree with this review 2010/03/17
全盛期の巨匠ベームの凄さを感じさせる超名演である。ブラームスの第1は、私見では、このベーム&ベルリン・フィル盤、ミュンシュ&パリ管盤、そして、昨年発売されて話題となったカラヤン&ベルリン・フィルの88年ライブ盤の3つが名演のベストスリーであると考えているが、録音の良さをも加味すると、本盤こそトップの座に君臨する至高の名演ということになるだろう。第1楽章の序奏部はゆったりとしたテンポで開始する。ところが、主部に入ると凄まじい快速のインテンポで進軍を開始する。その阿修羅のような突進は、誰も止めることができないような力強さが漲っており、有無を言わせぬ説得力がある。ミュンシュも同様の快速のテンポをとってはいるが、ミュンシュの場合は、緩急自在のテンポ設定によりドラマティックな表現を行っていた。それはそれで説得力もあるのだが、ベームのようにインテンポで、ミュンシュと同等の感動的な表現をなし得たところに、この演奏の凄みがあると言えるだろう。第2楽章や第3楽章の憂いに満ちた抒情的な表現も見事であり、終楽章の重戦車が進軍するが如き重量感溢れる演奏には、完全にノックアウトされてしまうほどのド迫力だ。また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる。)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚なアプローチに華を添えている結果となっていることも見過ごしてはならないだろう。
6 people agree with this review
0 people agree with this review 2010/03/16
北欧のシンフォニストと言えばシベリウスとニールセンが双璧であるが、同時代にスウェーデンで活躍したシンフォニストとして、ステンハンマルとアルヴェーンが掲げられる。この両者について、実力のわりにはあまり知られていないのは非常に残念である。このうち、ステンハンマルについては、50代の若さで死去したこともあって、生涯に2曲しか交響曲を遺さなかった(未完成の作品として第3番あり)のも影響しているかもしれない。しかしながら、交響曲第2番は、スウェーデンを代表するだけでなく、シベリウスやニールセンの交響曲にも匹敵する、北欧を代表する大傑作と高く評価すべき偉大な交響曲であり、もっと知られてもいい作品ではないかと考えている。これまで市場に現れた録音としては、輸入盤も含め、N・ヤルヴィ盤(BIS及びDG)、P・ヤルヴィ盤(VIRGIN)、ヴェステルベリ盤(CAPRICE)、スンドクヴィスト盤(NAXOS)と本盤の6種であるが、この中での最高の名演はヴェステルベリ盤だが現在入手難。そうなると、現在入手できるCDの中で、最高の演奏は本盤のマン盤ということになる。ヴェステルベリ盤ほどではないが、北欧の大自然を彷彿させるようなスケールの雄大さが持ち味であり、随所にあらわれる北欧的な抒情のエレガントな歌い方にもいささかの不足はない。録音がやや古いのが惜しまれる。
0 people agree with this review
0 people agree with this review 2010/03/15
エルガーの交響曲第1番は、英国の作曲家の手による交響曲の最高峰である。にもかかわらず、英国出身の指揮者による演奏は頻繁に行われているものの、それ以外の国の指揮者による演奏は驚くほど少ない。作品の質の高さを考えると、実に惜しい気がする。そんな数少ない指揮者の中で、ショルティがエルガーの交響曲第1番と第2番の録音を遺してくれたことは、何と素晴らしいことか。ショルティは、この録音に先立って、エルガーによる自作自演を繰り返し聴いてのぞんだということであるが、この点に照らしても、ショルティが単なる余興ではなく、真摯にこの傑作交響曲に取り組んだことがよくわかる。演奏の性格を大観すると、英国の指揮者による演奏に顕著な哀切漂うイギリスの詩情を全面に打ち出したものではない。むしろ、ドイツの正統派交響曲を指揮する時と同様のアプローチにより、古典的とも言える解釈を示している。それでいて決してこじんまりとまとまっているのではなく、いかにもショルティらしいスケールの雄大さを兼ね備えている。もちろん、ショルティの欠点として巷間指摘されている、ヘビーなアクセントや力づくの強奏などもみられないわけではないが、例えば第3楽章など、歌うべきところは心を込めて歌い抜くなど、決して無機的な演奏には陥っていない。併録の序曲「南国にて」も交響曲第1番に勝るとも劣らない佳演であり、ルビジウム・カッティングによる音質も良好である。
5 people agree with this review 2010/03/14
クーベリックは、本盤の約15年後に、バイエルン放送交響楽団とシューマンの交響曲全集を再録音している。シューマンの交響曲全集を2度録音した指揮者は、クーベリックのほか、バーンスタインくらいしか思い浮かばないが、いずれもマーラーを得意とした指揮者であるという点には注視する必要があると思われる。シューマンは晩年、精神病に侵されていたが、マーラーの精神分裂的とも言えるような激情的な音楽と通低するものがあるのかもしれない。バーンスタインの2度目の録音は、正にそのような点を強調した演奏であったように思う。しかしながら、クーベリックは特にそのような点を強調しているとは言えない。むしろ、シューマンがスコアに記した音楽の魅力をストレートに表現していこうという、オーソドックスなアプローチとも言える。それは、本盤だけでなく、後年の録音でも同様である。新旧両演奏を比較すると、世評では後年の録音の方を、円熟の名演として高く評価する声が大きいと思うが、本盤には、後年の録音にはない独特の魅力がある。それは、若さ故の燃え立つようなパッションの爆発ということになるのではなかろうか。どの交響曲も、そして併録の両序曲も、切れば血が出るような力強い生命力に満ち溢れており、聴いていて心が湧き立つような感慨を覚えるほどだ。それでいて、第2の第3楽章や第3の第4楽章など、抒情的な楽章の歌い方も実に美しく、ここにはみずみずしいロマン派の息吹さえ感じさせる。ベルリン・フィルの好演も指摘しておく必要があるだろう。カラヤンが、シューマンの交響曲全集を録音するのは、本盤の約10年後であることからしても、ベルリン・フィルがいかにクーベリックを高く評価していたかがよくわかろうというものである。
1 people agree with this review 2010/03/14
フルトヴェングラーの途方もない至芸を味わうことができる超名演である。いずれも既にCDで発売されている音源であることから、録音も含めてコメントしたい。先ず未完成であるが、これは録音がいかにも劣悪。グランドスラムにしてもこれ以上は難しいということなのだろう。未完成特有の繊細な弦楽の動きが非常に聴き取りにくいのが残念だ。しかしながら、そうした劣悪な音質から浮かび上がってくるフルトヴェングラーの演奏の何という素晴らしさ。ベートーヴェンなどでは顕著な激情的なアプローチはここではなりをひそめ、深沈としたインテンポで一環させているのも大正解。それは、フルトヴェングラーが未完成の本質を深く理解していることの証左と言えるだろう。第2楽章の最強奏はややきつめの印象を与えるが、これは録音状態によるのかもしれない。そして、本盤の白眉はブラームスの第4。何よりも録音の鮮明さにびっくりした。かつてCD化されたばかりの初期のEMI国内盤で聴いた時は、音の揺らぎもみられるなど聴くに堪えない音質であったと記憶するが、本盤のは、実に芯の通った力強い重厚な音質である。仏HMV盤の優秀さをあらためて認識した次第だ。本盤の売りである第3楽章のフライングなども見事に捉えられており、第2楽章の長い序奏の後の盛り上がりでの低弦によるピチカートなども完璧に再現されている。演奏は、未完成と異なり、いかにもフルトヴェングラーらしいうねるような演奏であるが、これだけのアッチェレランドの駆使、緩急自在のテンポや強弱の激変を施しているにもかかわらず、全体の造型にいささかの弛緩も感じさせないのは、殆ど驚異でもある。特に終楽章は、パッサカリア形式により表情がめまぐるしく変化する楽章であるが、そうした変幻自在の楽章の魅力を最大限に表現し尽くしており、古今東西のいかなる演奏にも優る驚天動地の至高の超名演と高く評価したい。
1 people agree with this review
7 people agree with this review 2010/03/14
いずれも20世紀に活躍した作曲家の作品をラインナップした意欲作。バルトークとヒンデミットによるヴィオラのための協奏曲を前後におき、中間にシェーンベルクの浄夜を置くというカプリングの妙にも感心させられる。今井信子は、とかくヴァイオリンとチェロの間にあって地味な存在に甘んじているヴィオラの魅力を世に広めようと地道に活動してきただけに、彼女にとっても本盤の組み合わせは会心の一枚ということになるであろう。先ず、バルトークのヴィオラ協奏曲であるが、いかにも今井信子らしく、繊細で丁寧な音楽づくりだ。それでいて、起伏に富んだ同曲の各楽章の描き分けも実に巧みに行っており、彼女の表現力の幅の広さを痛感させられる。また、これまで使用されてきたシェルイによる補筆完成版ではなく、1995年に出版された新校訂版による初録音というのも、本演奏の価値をより一層高めることに貢献している。浄夜は弦楽合奏版であり、本版にはカラヤン&ベルリン・フィルによる超弩級の名演があるだけにどうしても旗色が悪いが、ナジは、メリハリの利いた重厚な音楽づくりを行っており、実に聴きごたえのある佳演に仕上がっている。ヒンデミットは、民謡を素材としているだけに、ヒンデミットにしては非常に親しみやすい旋律に満ち溢れた作品であるが、今井信子は、このような作品でも耽溺には陥らず、どこまでも格調の高さを失わない点を高く評価したい。録音も実に優秀で、これだけ低音を巧みに捉えた録音も、通常CDにしては珍しいと思われる。
7 people agree with this review
「メリー・ウィドウ」は超有名曲だけに名演が多いが、ライバルであるカラヤンやマタチッチなどの同曲異演盤と比較した場合の本盤のアドバンテージは、何といってもウィーン・フィルを起用したことにあると思われる。レハールの甘美な円舞曲の旋律をウィーン・フィルが演奏すると、高貴にして優美な魅力がより一層ひきたつことになる。ルーペルト・シェトレの「舞台裏の神々」によると、ガーディナーとウィーン・フィルの関係は微妙(同書では指揮者名を明示していないが、文脈から十分に類推可能)であり、本盤もスタジオ録音だけに相当数の編集(つぎはぎ)が行われているものと拝察されるが、それでも収録された楽曲全体として、これだけの美演を披露されると文句のつけようがないではないか。歌手陣も実に豪華な顔ぶれである。ツェータ男爵役のターフェル、ハンナ役のステューダー、ヴァランシェンヌ役のバーバラ・ボニー、そしてダニロ伯爵役のスコウフスという主役四者に、現在望み得る最高の歌手を揃えたのが大きい。これにカミーユ役のトローストを加えた五重唱は、あまりの美しさに思わずため息が出そうになる。合唱には、いかにもガーディナーらしくモンテヴェルディ合唱団を活用しているが、これまた最高のパフォーマンスを示している。録音も非常に鮮明であり、「メリー・ウィドウ」の名演盤の一つとして高く評価したい。
1 people agree with this review 2010/03/13
本盤とほぼ同時期に録音されたカラヤン&ドレスデン国立歌劇場管弦楽団盤が空前絶後の超名演だけに、その陰に隠れて過小評価されている演奏である。さすがに指揮者やオーケストラの格などに鑑みると、どうしても旗色が悪い演奏ではあるが、歌手陣なども加味するとなかなかの佳演と評価してもいいのではなかろうか。本盤の魅力は、何といっても、両主役であるザックスとヴァルターに、それぞれフィッシャー=ディースカウ、プラシド・ドミンゴを配している点であろう。フィッシャ=ディースカウはいつものように巧すぎるとも言える歌唱を披露しているが、それでも本盤ではそうした巧さがほとんど鼻につかない。ドミンゴはいかにも色男らしさを描出しているが、それが若き騎士であるヴァルターという配役と見事に符合している。これら両者と比較すると、エヴァ役のリゲンツァは、いささか線が細く、この点だけが残念だ。べックメッサー役のヘルマンや、ポーグナー役のラッガーなど、脇を固める歌手陣も見事なパフォーマンスを示しており、合唱陣の名唱も相まって、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している。ヨッフムの指揮は、いかにも職人肌の実直な指揮ぶりであり、ワーグナーの他のオペラだと平板な印象を与えかねない危険性を孕むアプローチであると思うが、楽曲が、ワーグナーとしては肩の力が抜けた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけに、そのような不安はほぼ払拭され、総じて不満を感じさせる箇所はない名指揮ぶりであると言える。
4 people agree with this review 2010/03/11
アバドは評価の難しい指揮者である。それは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後の停滞によるところが大きい。偉大な指揮者の後任は誰でも苦労が多いが、カラヤンとは異なり、自分の個性や考え方を、退任に至るまでベルリン・フィルに徹底することが出来なかったことが大きい。アバドは、分不相応の地位での心労が祟ったせいか、退任の少し前に大病を患ったが、大病の克服後は、彫りの深い凄みのある表現を垣間見せるようになったのだから、実に皮肉なものだ。しかしながら、私は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督就任前のロンドン交響楽団時代ではないかと考えている。特に、この時期に手掛けたイタリア・オぺラには、若さ故の生命力と、アバド得意のイタリア風の歌心溢れた名演が非常に多い。そのような中にあって、このセビリャの理髪師は燦然と輝くアバドの傑作の一つとして評価してもいいのではないかと思われる。ロッシーニのオペラは、後年のヴェルディやプッチーニのオペラなどに比べると、録音の点数も著しく少なく、同時代に生きたベートーヴェンが警戒をするほどの才能があった作曲家にしては、不当に評価が低いと言わざるを得ない。そのようなロッシーニのオペラの魅力を、卓越した名演で世に知らしめることに成功したアバドの功績は大いに讃えざるを得ないだろう。独唱陣も、ベルガンサ、プライなど一流の歌手陣を揃えており、同曲随一の名演の地位は、今後とも揺るぎそうにない。
3 people agree with this review 2010/03/09
新世界よりとプラハの組み合わせ。これは、クーベリックにとっては宿命的なものだ。クーベリックが祖国に復帰後、チェコ・フィルを指揮して我が祖国などを演奏したが、ラストコンサートとなったのが、この組み合わせによる歴史的演奏会であった。本盤は、その約40年前のスタジオ録音。録音当時は、この組み合わせでカプリングを行ったわけではないので、こうしたカプリングを試みたオーパスの抜群のセンスの良さを高く評価すべきであろう。この40年間の間には、チェコも、プラハの春の後のソ連軍侵攻や、長い社会主義政権の後に訪れたビロード革命、そして民主化と激動の時代であったが、それだけに、両演奏の性格は大きく異なる。もちろん、本盤の演奏は、当該ラストコンサートの感動的名演や、この間に演奏されたベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団との名演などに比較すると、どうしても旗色が悪いが、それでも、本演奏には、他の名演にはない独特の魅力に満ち溢れていると言える。特に、新世界よりでは、若さ故の勢いがあり、一気呵成に聴かせるエネルギッシュな生命力が見事である。それでいて、第2楽章など、ボヘミアの民族色豊かな抒情の歌い方にもいささかの抜かりもない。プラハも、若さ故の一直線の演奏であるが、それでいて優美にして高貴なニュアンスにも不足はなく、モーツァルトの演奏の理想像を体現していると言える。オーパスの復刻はいつもながら素晴らしく、特に低音の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。
3 people agree with this review
8 people agree with this review 2010/03/08
トスカニーニによるアメリカでの初演の歴史的記録である。トスカニーニのショスタコーヴィチは、今では偽書であるとされているものの、一時は一斉を風靡したヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」によって、ボロカスに酷評されている。ショスタコーヴィチ曰く、テンポといいリズムといいすべてが間違っていると評しており、これによって、証言をバイブルのように信奉する私の知人など、本演奏を歯牙にもかけていなかった記憶がある。しかし、証言が偽書であるか否かにかかわりなく、いかなる楽曲も作曲者の手を離れると単なるスコアに過ぎず、絶対的に正しい演奏など存在しないのではないか。例えば、多くの聴き手に感動を与えるフルトヴェングラーのベートーヴェンも、果たしてベートーヴェンが評価したかどうかはわからないのである。私は、本演奏は、ファシズムに対して一切の妥協を排して批判し続けたトスカニーニならではの鬼気迫る歴史的名演と評価したい。初演でありながら、これほどまでに説得力のある演奏を成し遂げるトスカニーニの類まれなる才能と情熱には感服するほかはない。ショスタコーヴィチの第7は、バーンスタインの演奏がやたら世評高いが、私は、あのような外面的な効果をねらった演奏では、この交響曲の持つ真の意味を表現できないのではないかと考えている。その点ではトスカニーニの表現にいささかの抜かりはなく、この交響曲の持つ意味を深く抉り出そうという彫りの深い表現を行っている。音質も、オーパスが実に見事な復刻を行ってくれた。もちろん、最新録音のようにはいかないが、戦時中の録音ということを考えると、信じられないようなオーケストラの圧倒的な力感を感じさせてくれるのが見事である。
8 people agree with this review
Back to Top