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TOP > My page > Review List of つよしくん
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1 people agree with this review 2010/05/14
ブラームスの第1は、ベートーヴェンの第10とも称されているだけに、ベートーヴェンの交響曲を得意としたフルトヴェングラーにしてみれば、数々の名演を成し遂げてもおかしくないにもかかわらず、録音運が悪かったということもあり、いわゆる決定盤というものが遺されていない。演奏がいいかと思うと録音が悪かったり、録音が比較的良好なものは、演奏がフルトヴェングラーとしてはイマイチだったり。。。そのような中で、これまで録音が悪いということで決して評判が芳しくなかった1947年のウィーン・フィル盤が、復刻で定評あるグランドスラム盤で発売されたことは何と言う素晴らしいことであろうか。これまで聴いてきたものとくらべて、各段に音質が鮮明になっており、あたかも別の演奏を聴いているかのような錯覚さえ起きる。正にフルトヴェングラーならではのうねるような劇的なブラームスであり、音質を考慮すれば、本盤をフルトヴェングラーによるブラームスの第1の最高峰に位置づけるのにいささかの躊躇もしない。併録のハンガリー舞曲の第1と第10は、舞曲としては重苦しい演奏であり、評価は分かれると思うが、その重厚な迫力はさすがと言うべきであろう。なお、ボーナストラックの別テイクの音質は、かなり劣る。
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3 people agree with this review 2010/05/12
決して聴かせどころのツボを心得た巧さを感じる演奏ではない。小品集でも、こうした名演を聴かせたカラヤンとは大違いである。しかしながら、一聴すると不器用にも思える演奏内容の何と言う深さ。フルトヴェングラーは、これらの小品に対して、一大交響曲を演奏するかのような姿勢でアプローチしていると言える。したがって、楽曲によっては重々しくなったりするなど、正に、「鶏を割くに牛刀を用ふ」の例えが符合するような演奏になっているが、逆説的に言えば、小品をこれほどまでにドラマティックに演奏し、そして、その核心に迫るような堀の深い演奏を行った例は空前にして絶後と言っても過言ではないであろう。もしかしたら、大曲よりも、こうした小品にこそ、フルトヴェングラーとカラヤンのアプローチの大きな違いがあらわれているのかもしれない。ここで言っておきたいのは、両者に一概には優劣をつけられないということ。両者ともに、異なったアプローチによって、それぞれに抜群の名演を行ったのだから、あとは好みの問題にすぎないと思うからである。グランドスラム盤ならではの復刻音質はいつもながら見事であり、フルトヴェングラーの名演を良質な音で聴くことができる喜びを大いに噛みしめたい。
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2 people agree with this review 2010/05/10
プレートルは、数年前までは、名指揮者ではあるものの、お国もののフランス音楽(特にオペラ)を得意とする名指揮者という評価がせいぜいであったが、ヴァイトブリックから発売されたマーラーの第5&第6、ベートーヴェンの第9、ブルックナーの第7&第8が発売され、それらすべてが名演と高く評価されたこともあり、今や、現代を代表する巨匠の一人と目されるに至ったと言える。また、今年のニュー・イヤー・コンサートでも、一昨年に続いて二度目の登場を果たし、既発売CDもその瀟洒な味わいから大絶賛を浴びたのも記憶に新しいところだ。そのような巨匠プレートルの指揮するラヴェルの管弦楽曲集(展覧会の絵は、ムソルグスキーの作品の編曲であるが)が発売されたのは、何と言う時宜を得た素晴らしいことであろうか。前述のように、プレートルは、今やドイツ音楽も、そしてフランス音楽も見事に表現し得る大巨匠であるが、本盤は、ドイツのオーケストラを指揮したこともあり、ドイツ風とフランス風を見事に融合させた名演と高く評価したい。重厚で重量感溢れる演奏を基本としつつ、随所に漂うフランス風の瀟洒な味わい。おそらく、現代においては、巨匠プレートルにしか成し得ない稀有の至芸と言えよう。ボレロにおける各ソロ奏者の濃厚な吹かせ方なども、実に味わい深く大変に魅力的だし、展覧会の絵のキエフの大門や、ダフニスとクロエ第2組曲の終結部も、聴き手の度肝を抜くような圧倒的なド迫力だ。
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1 people agree with this review 2010/05/09
ワルターについては、巷間ベートーヴェンの偶数番号の交響曲を得意とした指揮者であると言われている。しかしながら、奇数番号の交響曲も、それぞれの交響曲の最上位の名演とは言えないものの、ワルターならではの円熟の名演を行っていると言える。その中でも特に素晴らしいのは、この第7ではないだろうか。確かに、この第7には、フルトヴェングラーの壮絶な迫力もない。クレンペラー(68年盤)の壮麗なスケールも、カラヤン(78年のパレクサ盤)の強靭な音のドラマなども存在していない。ここにあるのは、豊かな歌心とヒューマニティ溢れる情感の豊かさだ。正に、ワルターは、第2や第6などの偶数番号の交響曲を演奏するのと同様のアプローチで、第7を指揮しているのだ。したがって、これほど叫んだりわめいたりしない、柔和な第7は、他にも類例は見られないだろう。しかしながら、その温かみのあるヒューマンな情感豊かさは、最晩年の巨匠ワルターだけが表現し得た至高・至純の境地と言えるだろう。ただ大変惜しいのは、コロンビア交響楽団の力量不足。第7は、オーケストラにとってもベートーヴェンの交響曲中最大の難曲として知られるが、さすがにこの第7は荷が重かったと言える。とりわけ、トランペットの不自然な響き(特に終楽章)は、演奏が素晴らしいだけに大変惜しい気がした。
0 people agree with this review 2010/05/09
ワルターのベートーヴェンと言えば、偶数番の交響曲を得意とした指揮者というのが通説とされている。確かに、第2や第6などは、あらゆる同曲の名演中、最上位(第6についてはベームと同等か?)に掲げられる超名演と評価しても決して過言ではないと考えているが、だからと言って、他の奇数番の交響曲の演奏が拙劣なものであるということは断じて言えないと思う。例えば本盤のエロイカ。確かに、エロイカには、他にもライバルとなる名演が多い。そうした海千山千のライバルに比べると、第2や第6のように、最上位を勝ち取ることは難しいかもしれないが、そうした順位を差し置いて考えると、最晩年のワルターならではの円熟の名演と評価してもいいのではないかと考えている。特に、感動的なのは第2楽章で、ゆったりとしたテンポで深沈たる演奏を行っているが、この情感溢れるヒューマンな歌い方は、ワルターと言えども最晩年にして漸く成し得た至芸と言えるのではなかろうか。両端楽章の力強さにもいささかの不足はないが、これらの楽章については、トスカニーニ追悼コンサートにおけるシンフォニー・オブ・ジ・エアとの57年盤(MUSIC&ARTS)の方をより上位に置きたい。残念なのは、コロンビア交響楽団の、特に金管楽器の力量に非力さが感じられる点であり、第1楽章の終結部のトランペットなど、もう少し何とかならないだろうか。DSDリマスタリングは、ブラームスの交響曲の場合と異なり、第2楽章や第3楽章にいささか不自然な奥行きを感じさせる箇所もあるものの、硬さのない、なかなかの良好な音質に仕上がっていると言える。
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ブラームスの第3は、巷間第1楽章や第4楽章の力強さから、ブラームスの「英雄」と称されることもあるが、私としては、むしろ、第2楽章や第3楽章の詩情溢れる抒情豊かな美しい旋律のイメージがあまりにも強く、ここをいかに巧く演奏できるかによって、演奏の成否が決定づけられると言っても過言ではないと考えている。その点において、ワルターほどの理想的な指揮者は他にいるであろうか。ワルターは、ヨーロッパ時代、亡命後のニューヨーク・フィルを指揮していた時代、そして最晩年のコロンビア交響楽団を指揮していた時代などと、年代毎に芸風を大きく変化させていった指揮者であるが、この最晩年の芸風は、歌心溢れるヒューマンな抒情豊かな演奏を旨としており、そうした最晩年の芸風が第3の曲想(特に第2楽章と第3楽章)にぴたりと符合。どこをとっても過不足のない情感溢れる音楽が紡ぎだされていると言える。もちろん、両端楽章の力強さにもいささかの不足もなく、総体として、第3のあまたの名演でも上位にランキングされる名演と高く評価したい。他方、併録のハイドンの主題による変奏曲は、めまぐるしく変遷する各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、これまた老巨匠の円熟の至芸を味わうことができる名演と言える。問題はDSDリマスタリングによる硬めのキンキンとした音質。今後、SACD化やBlu-spec-CD化によって、何らかの改善が図られることを大いに望みたい。
2 people agree with this review 2010/05/09
ワルターによるブラームスの第2と言えば、ニューヨーク・フィルとの53年盤(モノラル)が超名演として知られている。特に、終楽章の阿修羅の如き猛烈なアッチェレランドなど、圧倒的な迫力のある爆演と言ってもいい演奏であったが、本盤の演奏は、53年盤に比べると、随分と角が取れた演奏に仕上がっていると言える。しかしながら、楽曲がブラームスの田園とも称される第2だけに、ワルターの歌心に満ち溢れたヒューマンな抒情を旨とする晩年の芸風にぴたりと符合していると言える。第1楽章から第3楽章にかけての、情感溢れる感動的な歌い方は、ワルターと言えども最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと思われる。終楽章は、53年盤に比べると、幾分角のとれたやわらかい表現にはなっているものの、それまでの楽章とは一転して、力感溢れる重量級の演奏を行っている。併録の悲劇的序曲は、第2の終楽章の延長線にあるような、力強い劇的な演奏となっており、第2ともどもワルター円熟の名演と高く評価したい。コロンビア交響楽団は、金管楽器などにやや力不足の点も散見されるが、ワルターの統率の下、なかなかの好演を行っていると言える。問題はDSDリマスタリングによるややきつめの硬い音質。例えば、同じブラームスでも第4は、SACDやBlu-spec-CD化によって非常にいい音に仕上がっているだけに、この第2についても、何らかの改善の余地はあると思うのだが、何とかならないだろうか。
2 people agree with this review 2010/05/08
モーツァルトの弦楽五重奏曲は、私としては、最晩年のクラリネット五重奏曲と並んで、モーツァルトの室内楽曲中、最高峰に位置づけられる傑作だと考えている。にもかかわらず、弦楽四重奏曲のいわゆるハイドンセットなどと比較すると、録音の点数があまりにも少ないのは大変残念な気がしている。ただ、その理由として、理想のヴィオラ奏者を見つけるのが難しいといったこともあるのではないかと考えている。シューベルトの弦楽五重奏曲などとは異なり、モーツァルトは中音域の分厚さを重視したため、既存の四重奏団に加わる第2ヴィオラは、演奏の成否のカギを握る最重要パートと言えるからだ。アマデウス弦楽四重奏団が主体となる本盤が、名演と高く評価されているのは、第2ヴィオラのアロノヴィッツが、アマデウス弦楽四重奏団の一員と思わせるような、息がぴたりと合った好演を行っている点が大きいのではなかろうか。そして、これら五者が奏でる絶妙の演奏は、現代の弦楽四重奏団では殆ど聴かれないような温かいぬくもりのある情感豊かさを湛えており、メカニックな音など一音たりとも出していない。そして、総体として、高貴な優美さに彩られているというのは、正にモーツァルト演奏の理想像とも言うべき最高の水準に達していると言える。本盤は、録音終了から35年も経っているが、現代においても、モーツァルトの弦楽五重奏曲全集中の最高の名演であり、今後もこれを凌駕する演奏が現れる可能性は極めて低いと考えている。
11 people agree with this review 2010/05/08
ワルターの大地の歌と言えば、ウィーン・フィルを指揮した1936年盤と1952年盤の評価が著しく高いため、本盤の評価が極めて低いものにとどまっている。特に、1952年盤が、モノラル録音でありながら、英デッカの高音質録音であることもあり、ワルターによる唯一のステレオ録音による大地の歌という看板でさえ、あまり通用していないように思われる。演奏の質は非常に高いだけに、それは大変残念なことにように思われる。確かに、1952年盤と比較すると、1952年盤がオーケストラの上質さやワルターが最円熟期の録音ということもあり、どうしても本盤の方の分が悪いのは否めない事実であると思うが、本盤には、1952年盤には見られない別次元の魅力があると考えている。1960年の録音であり、それは死の2年前であるが、全体に、人生の辛酸をなめ尽くした老巨匠だけが表現することが可能な人生の哀感、ペーソスといったものを随所に感じさせる。特に、告別には、そうした切々とした情感に満ち溢れており、ここには、ワルターが人生の最後になって漸く到達した至高・至純の境地が清澄に刻印されていると思われるのである。ニューヨーク・フィルも、ワルターの統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。DSDリマスタリングによって、音質がグレードアップされている点も特筆すべきであろう。
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1 people agree with this review 2010/05/08
ワルターと言えば、モーツァルトの優美な名演の印象が強いだけに、誠実で温かみのあるヒューマンな演奏だとか、温厚篤実な演奏を行っていたとの評価も一部にはあるが、本盤のブラームスの第1や、併録の2つの序曲の熱い演奏は、そのような評価も吹き飛んでしまうような圧倒的な力強さを湛えていると言える。ブラームスの第1は、1959年の録音であるが、とても死の3年前とは思えないような、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた熱演だ。もちろん、第2楽章や第3楽章の豊かな抒情も、いかにも晩年のワルターならではの温かみを感じさせるが、老いの影などいささかも感じられない。正に、ワルター渾身の力感漲る名演と高く評価したい。併録の2つの序曲も名演。特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎに終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある名演を成し遂げている。コロンビア交響楽団は、例えば、ブラームスの第1の終楽章のフルートのヴィブラートなど、いささか品を欠く演奏も散見されるものの、ワルターの統率の下、編成の小ささを感じさせない重量感溢れる好演を示している点を評価したい。DSDリマスタリングによる高音質も見事の一言である。
1 people agree with this review 2010/05/05
ポゴレリチが、ショパン国際コンクールにセンセーショナルな落選をしたのが1980年。皮肉にも、ポゴレリチは落選によって一躍時の人となったが、その翌年にDGにデビューした際の録音が本盤だ。保守的な当時の審査員が拒否反応を示しただけあって、実に個性的なショパンであるが、素晴らしい名演と高く評価したい。ポゴレリチの特徴を一言で言えば、表現の振幅の極端なまでの幅広さであると言える。ゆったりとしたテンポの箇所は、他のピアニストよりも更にゆったりと演奏するし、音の強弱も、他に比肩する者がいないようなダイナミックレンジの広さを示している。アッチェレランドの強調なども凄まじさの限りだし、テクニックにおいても人後に落ちない抜群のものがある。このように、超個性的な演奏を行うが、それでいて、あざとさが全く感じられないのが、ポゴレリチの類まれなる才能と至芸と言うことができるだろう。選曲も実に個性的。ピアノソナタ第2番、前奏曲嬰ハ短調、スケルツォ第3番、夜想曲というように、緩急をつけた並べ方をしている点にも、ポゴレリチのこだわりと独特のセンスの良さを感じさせる。アルゲリッチは、前述のショパン国際コンクールの審査の際(そしてポーランドを去るが)に、「彼こそは天才」との評価を行ったとのことであるが、さすがは一流は一流を知るということだと思う。
ワルターのマーラーの第9と言えば、第二次大戦前夜の1938年のウィーン・フィルとのライブ録音が、同曲最高の歴史的名演としてあまりにも名高い。私も、その評価に同意する一人であるが、だからと言って、後年にスタジオ録音した本盤が、相対的にあまりにも評価が低いのも、大変不当であると考えている。様々な音楽書を読むと、本盤の演奏を、戦前のライブ録音と比較して、好々爺となったワルターの温かい演奏と評価する向きもあるようだが、果たしてそう言い切れるだろうか。確かに、戦前の壮絶なライブ録音と比較すると、若干角が取れた丸みも感じられなくはないが、むしろ、死を間近に控えた老巨匠とは思えないような生命力に満ち溢れた力強い名演だと考えている。第1楽章など、テンポや強弱の振幅の幅広さには凄まじいものがあるし、第2楽章や第3楽章は、やや遅めのテンポで濃厚な味わいを醸し出している点も素晴らしい。終楽章も、戦前のライブ録音と比較すると、やや遅めのテンポで、情感溢れる演奏を行っており、あたかもワルターが実り多き人生に別れを告げようとしているような趣きさえ感じさせる。そうしたワルターの力強い統率の下、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。DSDリマスタリングによって音質は相当にグレードアップしており、可能ならば、SACDやBlue-spec-CDで聴きたいと大いに感じた次第だ。
8 people agree with this review 2010/05/05
マーラーの直弟子であるワルターやクレンペラーは、すべての交響曲の録音を遺したわけではないが、録音された交響曲については、両指揮者ともにいずれも水準の高い演奏を行っていると言える。交響曲第1番は、クレンペラーが録音していないだけに、ワルターの独壇場ということになるが、マーラーの弟子の名に恥じない素晴らしい超名演と高く評価したい。同曲は、マーラーの青雲の志を描いた、青春の歌とも言うべき交響曲であるが、死を数年後に控えた老巨匠であるワルターの演奏には、老いの影など微塵も感じられず、若々しささえ感じさせる力強さが漲っている。マーラーの交響曲中、第4と並んで古典的な形式を維持した同曲に沿って、全体的な造型を確固たるものとしつつ、生命力溢れる力強さから、抒情豊かな歌い方の美しさに至るまで、マーラーが同曲に込めたすべての要素を完璧に表現している点が実に素晴らしい。むしろ、マーラーが人生の最後の時期に至って、過去の過ぎ去りし青春の日々を振り返っているような趣きが感じられる演奏ということが出来るのかもしれない。コロンビア交響楽団も、ワルターの統率の下、その編成の小ささをいささかも感じさせないような好演を示している。音質もDSDリマスタリングによる鮮明な音質であり、可能ならばSACDやBlue-spec-CDで発売して欲しいと思った聴き手は私だけではあるまい。
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5 people agree with this review 2010/05/03
リストのピアノ・ソナタを弾きこなすことは、あらゆるピアニストの一つの大きな目標。この世のものとは思えない超絶的なテクニックを要するとともに、各場面の変転の激しさ故に、楽曲全体を一つのソナタに纏め上げるのが至難の業であるという点において、海千山千のピアニストに、容易に登頂を許さない厳しさがあると言えよう。そうした難曲だけに、天才ピアニストであるポゴレリチがどのようなアプローチを見せるのか、聴く前は興味津々であったが、その期待を決して裏切らない超個性的な名演であった。演奏の特徴を一言で言えば、表現の振幅がきわめて激しいこと。最弱音から最強音まで、これほどまでにダイナミックレンジの広い演奏は、他の名演でも例はあまりないのではなかろうか。テンポ設定も自由奔放とも評すべき緩急自在さ。たたでさえ、各場面の変転が激しいのに、ポゴレリチは、うまく纏めようという姿勢は薬にしたくもなく、強弱やテンポの緩急を極端にまで強調している。それ故に、全体の演奏時間も、同曲としては遅めの部類に入る33分強もかかっているが、それでいて間延びすることはいささかもなく、常に緊張感を孕んだ音のドラマが展開する。これは、正に天才の至芸であり、ポゴレリチとしても会心の名演と言っても過言ではあるまい。併録のスクリャービンも、力強さと繊細な抒情を巧みに織り交ぜたポゴレリチならではの名演だ。
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4 people agree with this review 2010/05/03
インバルは、私としてはどちらかと言うとマーラー指揮者というイメージがあるが、それでも、かつて初稿などを駆使して、ブルックナーの交響曲全集を完成した指揮者であることを忘れてはならないだろう。第5は、その全集時から約25年ぶりの録音ということになるが、インバルの円熟の境地を感じさせる素晴らしい名演だ。演奏の特徴を一言で言うと、非常に緻密でしっかりと解釈された演奏ということができるだろう。全体的なテンポはかなり早めのテンポ。冒頭のピチカートからして、過去の様々な名演に比してかなり早い。第2楽章のアダージョの名旋律も、もう少しゆっくり演奏して欲しいと感じるほどの早めのテンポだ。しかしながら、インテンポではなく、場面毎に巧みにテンポを変化させる。強弱の変化にしても同様で、これほどまでにテンポや強弱の変化を精緻に駆使した演奏は、これまでにはなかったのではないか。だからと言って、杓子定規には陥らず、第5特有のスケールの雄大さにいささかの不足はないのは見事というほかはない。金管楽器などの吹奏も、迫力を欠くということはいささかもなく、それでいて無機的な音は一音たりとも出していない。こうした東京都交響楽団の好演も特筆すべきであり、インバルとのコンビが漸く軌道に乗ってきたことを大いに感じさせる。このコンビによるブルックナーの他の交響曲の演奏にも大いに期待したい。
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