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TOP > My page > Review List of つよしくん
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3 people agree with this review 2010/08/07
キーシンの確かな円熟を感じさせる名演だ。第20番にも第27番にも言えることであるが、キーシンは、実に精緻で丁寧な表現を心がけているように思う。キーシンにとって初となる弾き振りだけに、慎重になったということもあるのだろう。クレーメルとの競演で名をあげているクレメラータ・バルティカも、キーシンの指揮の下、ある種の静けささえ感じさせるような落ち着いた演奏を行っている。しかしながら、キーシンは必ずしも安全運転だけに終始はしていない。時折見せる力強い打鍵や、モーツァルトの音楽特有の高貴にして優美かつ繊細な抒情の表現にもいささかの不足はない。要は、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏を行っていると言える。キーシンも、40歳に差し掛かろうとしており、神童と言われ、どのような弾き方も許される時代はとうに過ぎ去ったと言えるが、本名演を耳にして、キーシンも、更なる芸術家としての高みに向けて、確かな一歩を踏み出していることを大いに確信した次第である。数年前に発売された第24番も名演であったが、残るナンバーである第21〜23番や第25、第26番も、ぜひとも、本盤で見せた円熟のキーシンの至芸で聴いてみたいと思う。HQCDによる高音質録音も見事であると言える。
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14 people agree with this review 2010/08/07
数あるマーラーの交響曲全集の中でも、かなり上位にランクされる名演であると高く評価したい。ベルティーニは、必ずしもレパートリーの広い指揮者ではなかったが、そのような中で、マーラーについてはかなりの録音を遺した。正にマーラー指揮者とも言える存在であったが、ベルティーニのマーラー演奏の特色は、許氏がライナーノーツに記しておられるように、流麗なる美しさということになるであろう。どんなに劇的な箇所に差し掛かっても、バーンスタインやテンシュテットのように踏み外したりすることはなく、どこまでも流麗な美しさを失わない。それでいて、軟弱さなどとは皆無であり、劇的な箇所における力強い迫力にいささかの不足を感じさせることはない。同世代のライバルのマーラー指揮者のインバルは、内なる激しいパッションをできるだけ封じ込めて、実に抑制的な表現につとめているが、ベルティーニは、あくまでも自然体で指揮をしており、こうした自然体のアプローチによって、硬軟併せ持つ、いい意味でのバランスのとれたマーラーを表現できるというのは、天性のマーラー指揮者の手による類まれなる至芸と言える。おさめられたいずれの曲も名演の名に値するが、特に、第2の第2楽章や第4の第3楽章、第5の第4楽章、第6の第3楽章、そして第9の終楽章など、緩徐楽章の決して耽美には陥らない高潔な美しさは、他の指揮者の追随を許さない高みに達していると言える。第3の第1楽章や第9の第1楽章などのいい意味でのバランスのとれたスケールの大きい演奏も見事であるし、合唱や独唱の入る第8や大地の歌なども素晴らしい名演だ。HQCD化によって、明らかに音質が向上しており、1万円を切るという良心的な価格の観点からも、きわめて水準の高い名盤と言える。
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6 people agree with this review 2010/08/01
かつてフィリップスから発売され、現在は廃盤となっていたSACDの再発売である。ユニバーサルは、数年前にSACDから撤退したが、最近、再びSACDの発売を開始した。それは、レコード業界にとっても大変に素晴らしいことだと思うが、このフィッシャー盤が再発売される可能性は、フィリップスレーベル自体が消滅した今となっては、なかなか望むべくもないのかもしれない。その意味では、チャンネル・クラシックからの再発売は、演奏の水準の高さからしても、快挙と言ってもいいだろう。いずれも名演だが、特に、高く評価したいのは第8の方だ。冒頭の何と言う情感の豊かな豊穣さだろう。フィッシャー&ブラペスト祝祭管弦楽団は、これ以上は求め得ないような流れるような美演を行っている。第2楽章の変化の著しい場面毎の描き方も実に巧みであり、第3楽章の抒情の豊かさも感動的。終楽章の早めのテンポによるリズミカルな進行も実に音楽性豊かであり、様々な第8の名演中、上位にランキングされる名演と高く評価したい。第9も、音楽性豊かな名演と言えるが、こちらの方は、ライバルの多さもあって、第8ほどの高みには達していないように思われる。かつて聴いたフィリップスのSACDマルチチャンネルは極上の高音質であったが、本盤も勝るとも劣らぬ高音質を維持していると言える。
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5 people agree with this review 2010/07/31
シューベルトの未完成とブルックナーの第9の組み合わせ。この未完成でありながら、両作曲家の手による最高傑作どうしの組み合わせは、ヴァントが得意としたコンサートの演目であった。ヴァントの最後の来日(2000年)も、この組み合わせによる至高の名演を聴かせてくれた。本盤は、その7年前の演奏であるが、既に最晩年の完成された至芸を十分に予見させるような素晴らしい名演に仕上がっていると言える。まず、未完成。来日時の超名演と比較すると、そちらの方に軍配を上げたくなるが、同時期のベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、北ドイツ放送交響楽団との名演と同格の名演と高く評価したい。特に、第1楽章の展開部への導入の地下から響いてくるような荘重な厳粛さなど、最晩年のヴァントだけが表現し得た至高・至純の大芸術と言えるだろう。ブルックナーの第9は、さすがに、この数年後のベルリン・フィルやミュンヘン・フィルとの超名演や、来日時の手兵北ドイツ放送交響楽団との超名演の高峰には登頂し得ていないが、それらの高峰に達する道程にある名演と言うことは十分に可能であり、少なくとも、80年代のヴァントに見られたスケールの小ささは微塵も見られない。
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4 people agree with this review 2010/07/31
シューマンの第4が超名演。ヴァントは、本盤の少し前に手兵北ドイツ放送交響楽団とともに、同曲を録音しているが、それをはるかに上回る名演だ。独墺系の大指揮者は、その最晩年にシューマンの第4の名演を遺して鬼籍に入る傾向がある。フルトヴェングラー、カラヤン、ベームなど、いずれも素晴らしい名演を遺しているが、ヴァントも、本名演を持って、こうした大巨匠の列に連なることになったと言えるだろう。全体の厳しい造型を堅持しつつ、これ以上は考えられないような情感の豊かな演奏を繰り広げており、録音面まで含めると、かのフルトヴェングラーの名演をも凌ぐと言っても過言ではあるまい。ブラームスの両交響曲も名演だ。ただ、ヴァントは、同時期に手兵の北ドイツ放送交響楽団と両交響曲の超名演を成し遂げており、シューマンの場合と異なり、手兵との名演の方にどうしても軍配を上げたくなる。しかしながら、それは極めて高い次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もない。特に、第4は、淡々とした早めの進行の中に、実に豊かなニュアンスが込められており、正に名人の一筆書きのような枯淡の境地が一点の曇りもなく表現されており、第4演奏の理想像とも言えるのではないか。同じタイプの名演としては、シューリヒト(特に、最晩年のバイエルン放送交響楽団との演奏)やムラヴィンスキー、クライバーの名演が思い浮かぶが、クライバーは深みにおいて一格下。ということは、録音面まで含めると、ヴァントの名演こそ、同曲最高の名演の一つと評価しても過言ではないだろう。
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5 people agree with this review 2010/07/25
ヴァントは、ブルックナーの第5と第9を、大衆に迎合しない作品として最も高く評価し、その中でも、第5については、ヴァントの芸風と最も符合することもあって、他の指揮者の追随を許さない数々の名演を遺してきた。同時代のブルックナー指揮者である朝比奈としても、第5については、ヴァントに一歩譲るのではないだろうか。そのヴァントの第5の数々の名演の中でも、最高峰は、95年にベルリン・フィル、そしてミュンヘン・フィルと録音した名演であることは衆目の一致するところである。この両名演は、ヴァントの厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい凝縮型の演奏様式に、最晩年になって漸く垣間見せるようになった懐の深さが加わり、スケールに雄大さを増し、剛柔併せ持つ至高・至純の境地に達していると言える。本盤は、これらの超名演の4年前の録音ということになるが、頂点に登りつめる前の過渡期にある演奏と言えるかもしれない。後年の超名演にあって、本盤の演奏に備わっていないのは正に懐の深さとスケール感。全体の厳しい造型は本盤においても健在であり、演奏も荘重さの極みであるが、例えば、第4楽章冒頭など、後年の演奏に比較すると素っ気ない。つまるところ、いささか懐の深さが不足し、スケールがやや小さいと言えるのではないだろうか。しかしながら、これは極めて高い次元での比較であり、本盤を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。
プロコフィエフの親しみやすい小品の名作を集めた好企画CDだ。そして、その演奏も、ピアノ協奏曲をピアノと指揮の両方で全曲録音するなど、プロコフィエフを得意としたアシュケナージならではの名演と高く評価したい。キージェ中尉と3つのオレンジへの恋は、親しみやすい旋律が散りばめられた名曲であるが、アシュケナージはこれらの各組曲の描き分けを巧みに行い、各場面の描写を非常に精緻に行っているのが素晴らしい。キージェ中尉のロマンスやトロイカにおけるラプデフによるバリトン独唱も見事であり、シドニー交響楽団も、アシュケナージの統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。みにくいアヒルの子は、プロコフィエフとしては珍しいオーケストラ伴奏付き歌曲であり、名作にしては録音が少ないが、本盤の名演の登場で、長年の渇きが漸く癒されたと言えるだろう。ポーターによる非常に美しいソプラノ独唱が見事であり、アシュケナージ&シドニー交響楽団による併せ方も非の打ちどころがない完璧さだ。SACDによる高音質録音も、さすがはエクストンと言えるだけの高水準であり、シドニー・オペラハウスにおける録音も完全に板に付いてきたとものと思われる。
5 people agree with this review 2010/07/24
昨年発売されたミュンヘン・フィルとの名演の1カ月後の録音である。演奏の性格は殆ど同じであり、あとは、オーケストラの音色とコンサートホールの音響だけの違いと言える。ミュンヘン・フィルは、南ドイツならではのやや温かみのある柔和な音色が持ち味であるが、力量のある指揮者に恵まれた時のベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルに匹敵するような重心の低い深みのある音色を出す。本盤の名演はその最たるものであり、これほどの次元の高い演奏になると、あとは好みの問題と言えるだろう。本盤の数年後に、ヴァントは、ベルリン・フィルと同曲をライブ録音しているが、演奏の内容に(オーケストラの力量も含めて)差は殆ど見られない。シューベルトの第9は、ベートーヴェンによって確立された交響曲の形式を、その後のブルックナーの交響曲を予見させるまでに昇華させた傑作交響曲であるが、ブルックナーを得意としたヴァントの第9は、正に、ブルックナーの交響曲を思わせるような荘厳さを湛えている。眼光紙背に徹したスコアリーディングをベースに、全体の厳しい造型を堅持し、重厚にして剛毅な演奏を行っている。それでいて、第2楽章の中間部などの抒情も高踏的な美しさを保っており、剛柔のバランスのとれた至高の名演と高く評価したい。
4 people agree with this review 2010/07/24
既にチャイコフスキーの番号付きの交響曲をすべて録音したマーツァルが、マンフレッド交響曲を録音したのは大変素晴らしいことであると思う。番号付きの交響曲、特に、後期三大交響曲と比較すると、マンフレッド交響曲の録音点数はあまりにも低いし、チャイコフスキーの交響曲全集を録音した指揮者でも、このマンフレッド交響曲の録音をしない者が多く、作品の質の高さを考慮すれば大変残念なことであると言える。最近では、輸入盤ではあるが、ロシア風の民族色の濃いキタエンコによる名演が発売されたが、本盤のマーツァルの演奏は、それとは対照的な純音楽的な名演と言うことができる。マーツァルは、チャイコフスキーの他の交響曲や、マーラーの交響曲でもそうであるが、オーケストラを無理なく鳴らし、いわゆる良い意味でのオーソドックスな解釈を行っている。したがって、チャイコフスキーの傑作交響曲の魅力をダイレクトに味わうことができるのが最大の長所ということができる。同曲に、ロシア風のあくの強さを求める聴き手からすると、いささか物足りなさを感じさせるかもしれないが、これだけ楽曲の魅力を美しく、そしてストレートに表現してくれれば文句は言えまい。チェコ・フィルも最高のパフォーマンスを示しており、SACDによる高音質録音も本盤の魅力の一つである。
本年初に発売されたヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団のライヴ集成ボックスからの分売である。ボックス全体のレビューについては、本年1月24日に記したが、今回、分売された各CDを聴いて、あらためて深い感動を覚えた。本盤は、そのボックスからベートーヴェンの諸作品を集めたものであるが、いずれ劣らぬ名演だ。その中でも、エロイカは、これまで発売されていた最新録音が、手兵の北ドイツ放送交響楽団との89年盤だけに、本盤は、現在発売されている中では、最も後年の録音であり、それだけに、ヴァントの芸術の総決算とも言うべき至高・至純の名演に仕上がっていると言える。厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい造型とやや早めのテンポは健在であるが、随所に見られる豊かなニュアンスは正に円熟の至芸と言うべきであり、同曲に不可欠の重厚さや剛毅さんにもいささかの不足はない。第1と第4は、後年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との超名演があるだけに、やや不利な点があることは否めない事実であるが、例えば第1の冒頭の豊かな表情づけや、第4の剛柔バランスのとれた音楽の勢いのある前進性など、聴きどころには事欠かず、名演と評価するのにいささかの躊躇もない。併録の両序曲も、ヴァントならではの透徹した名演。本盤は、ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団という、いわば隠れた名コンビによる会心作と高く評価したい。
2 people agree with this review 2010/07/18
いずれもブラームスの若書きの作品であり、後年の傑作ピアノ作品と比較すると、いささか水準が劣る作品とも言える。それ故に、録音の点数も限られているが、その中でも、このルプー盤は、知られざる作品の価値を高めることに大きく貢献する最高の名演の一つと言っても過言ではないのではなかろうか。ピアノソナタ第3番という、若きブラームスの青雲の志を描いた作品を、これまた若きルプーによる生命力溢れるピアニズムが見事に表現し尽くしていると言えるだろう。正に作曲者の作曲年代と演奏者の演奏年齢の見事なマッチング。千人に一人のリリシストであるルプーだけに、抒情的な箇所の美しさは、他のピアニストを一切寄せ付けない至高・至純の境地に達しているが、それでいて、第3楽章や第5楽章などについても、若きルプーならではの勢いのある前進性、力強さにも不足はなく、その意味においては、各場面の描き分けを巧みに行ったバランスのとれた名演と言える。他方、主題と変奏は、力強い打鍵の下、峻厳な表情を見せる。リリシストたるルプーの異なった一面を垣間見せる異色の名演と言えるだろう。SHM−CD化によって、通常CDよりかなり音質に力強さと鮮明さが加わったところであり、2800円という価格は少々高いとは思うが、音質については十分に合格点を与えることができる。
2 people agree with this review
10 people agree with this review 2010/07/18
若き日のルプーによるブラームスであるが、いずれも名演だ。2つのラプソディは、千人に一人のリリシストと称されるルプーとは信じられないような劇的な表情を垣間見せる。もちろん、抒情的な箇所における美しさにもいささかの不足もなく、その意味においては、剛柔バランスのとれた名演と高く評価したい。3つの間奏曲は、かのグレン・グールドやアファナシエフの超個性的な名演の印象があまりも強いために、他のいかなるピアニストが弾いても物足りなさを感じさせる危険性が高いが、ルプーのような清澄な美しさを湛えた演奏に接すると、正直ほっとさせられる。あたかも故郷に帰郷したような気分だ。ブラームスの最晩年の傑作が内包する深い精神性は、むしろ、このような抒情的な演奏によってこそ表現し得るのではないかとも考えさせられるような強い説得力が、本名演にはあると言える。6つの小品や4つの小品にも、3つの間奏曲とほぼ同様のことが言える。抒情溢れる清澄な音楽の中から、ブラームスの最晩年の至高・至純の深遠な境地が浮かび上がってくるような趣きがある。本盤のSHM−CD化は、ブラームスの重厚な音楽ということもあるが、ピアノの各音が通常CDと比較して、明快に分離し、かなり鮮明な高音質になったような印象を受けた。その意味では、本盤については、SHM−CD化は、2800円という価格が適正かどうかはともかくとして、先ずは成功と言えるだろう。
10 people agree with this review
5 people agree with this review 2010/07/17
ショスタコーヴィチの第5は、ムラヴィンスキーが生涯をかけて数多くの演奏を行った作品。それに併せて、数多くの録音が遺され、いずれ劣らぬ名演であるが、演奏や録音の両方を兼ね備えた名演としては、本盤とこの数日後の来日時の演奏ということになるのではないかと考える。ムラヴィンスキーの演奏を聴いていると、ショスタコーヴィチの演奏の王道は、今では偽書ととされているものの、ショスタコーヴィチの証言が何と言おうが、初演者であるムラヴィンスキー以外の演奏ではあり得ないと痛感させられる。世評では、バーンスタインの演奏の評価が高いが、あのような外面的な効果を狙っただけの演奏では、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を表現することはできないと考える。ソヴィエト連邦、しかも独裁者スターリンの時代という、現代で言えば北朝鮮に酷似した恐怖の時代。この恐怖の時代をともに生きたものでないとわからない何かが、この交響曲には内包されているはずで、ムラヴィンスキーの名演も、外面的な効果ではバーンスタインの演奏などには一歩譲るが、神々しいまでの深遠さにおいては、他の演奏が束になってもかなわない至高・至純の次元に達していると言える。ムラヴィンスキーの統率の下、レニングラード・フィルの鉄壁なアンサンブルも凄い。ホルンのブヤノフスキーやフルートのアレクサンドラ夫人の巧さも際立っており、第2楽章のコントラバスの重量感溢れる合奏も凄まじい迫力である。録音も、1973年のソヴィエト連邦時代のものとしては、きわめて鮮明な高音質と言える。
8 people agree with this review 2010/07/17
チャイコフスキーの第5は、ムラヴィンスキーの十八番だけに、かなりの点数の録音が遺されているが、本盤の演奏は、DGに録音した60年のスタジオ録音、この数日後の11月18日の録音(ロシアンディスク)と並んでベスト3を形成する至高の超名演であると高く評価したい。1982年は、ムラヴィンスキーが最後の輝きを発揮した年。レニングラード・フィルも、名コンサートマスターのリーベルマンは退団していたが、ホルン主席のブヤノフスキーやフルートのアレクサンドラ夫人などが全盛期にあり、ムラヴィンスキーの統率の下、鉄壁のアンサンブルを誇っていた。それにしても凄い演奏だ。金管楽器など最強奏させているが、全体の厳しい造型の下、いささかの違和感も感じさせない。テンポは早いが、歌うべきところはしっかりと歌い抜き、どこをとってもコクのある深いニュアンスに満ち溢れている。あたかも、音符がおしゃべりをするような趣きであり、このようにオーケストラを手足のように操っていく至芸には表現する言葉さえ思いつかないほどの素晴らしさだ。ロメオとジュリエットも超名演。鉄壁のレニングラード・フィルを思うように操り、珠玉の名演を行っている。時折見せるオーケストラの最強奏のあまりの迫力には、完全にノックアウトされてしまった。音質も非常に鮮明であり、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの芸術を最高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
8 people agree with this review
2 people agree with this review 2010/07/17
フモレスケと子供の情景が、ルプーの個性が発揮された名演だと思う。千人に一人のリリシストと言われるルプーであるが、この2曲でも美音家ルプーの面目躍如たる抒情豊かな演奏を繰り広げている。シューマンのピアノ曲は、同時代のショパンなどとは異なり、下手なアプローチをすると、やたらと理屈っぽい演奏に陥る危険性を孕んでいるが、ルプーの場合は、そのような心配は皆無。シューマンのピアノ曲の美しさをいささかの嫌みもなく、安心した気持で満喫できる点を高く評価したい。もちろん、抒情豊かさだけではなく、フモレスケの第5曲や、子供の情景の大事件、竹馬の騎手などにおける力強い打鍵による迫力においても、いささかの遜色はない。他方、クライスレリアーナは、フモレスケや子供の情景の名演に比較すると、やや落ちると言わざるを得ない。同曲の演奏にあたっては、各曲の性格を巧みに弾き分けていくことが必要不可欠であるが、同曲を得意とし、思い切った表現を行ったアルゲリッチの豪演などに比較すると、いささか大人しい感じがしないでもない。ルプーなら、もう一歩次元の高い演奏を期待したい。SHM−CD化によって、ほんのわずかではあるが、鮮明さが増したように感じたが、通常CDとの差は、殆ど誤差の範囲と言える。
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