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0 people agree with this review 2012/02/19
リストの19曲あるハンガリー狂詩曲は、いずれも超絶的な技巧を要するのみならず、ラッサンとフリスカにより構成されるというハンガリーの民族音楽の形式を見事に踏襲しているなど、いずれも魅力に富んだ名作揃いであると言える。しかしながら、これら19曲をすべておさめた全集の録音ということになると、意外にもあまり存在していないと言わざるを得ない。それだけに、稀代のリスト弾きと称されたジョルジ・シフラによるハンガリー狂詩曲集の録音(残念ながら第17番及び第18番を欠いているが、後述のように演奏水準の高さからして文句は言えまい。)は、ステレオ録音であるということも相まって、ハンガリー狂詩曲集の演奏史上最高の超名演の地位を今でも譲っていないと評しても過言ではあるまい。リストのハンガリー狂詩曲については、リストやその弟子であるドップラーとともに、19曲から6曲を選んで編曲した管弦楽編曲版が有名であるが、シフラによる豪演を聴いていると、これら有名な管弦楽編曲版にも勝るとも劣らぬような圧倒的な迫力を兼ね備えているとも言えるのではないだろうか。本演奏においても、シフラの超絶的な技量に唖然とさせられる。叩きつけるような力強い打鍵や、夢見るような美しい抒情、堂々たる楽曲の進行など、幅広い表現力を駆使して、リストのピアノ曲の魅力が盛り込まれた難曲であるハンガリー狂詩曲の各曲を完璧に表現し尽くしていると言える。各楽曲毎の描き分けも見事であり、シフラが、圧倒的な技量だけでなく、表現力の幅の広さ、スケールの大きさにおいても、圧倒的な存在であったことがわかる。シフラは、前述のように稀代のリスト弾きであり、リストの再来とも称されたとのことであるが、超絶的な技量とともに、圧倒的な表現力を必要とするが故に難曲とされているハンガリー狂詩曲集を、これだけ完璧に弾きこなしたことにかんがみれば、そうしたリストの再来との評価もあながち言いすぎではないと考えられるところだ。音質については、シフラの演奏盤にしては珍しいステレオ録音であることから、従来CD盤でも十分に満足できるものであると言える。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代の録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。シフラの超絶的なピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、シフラによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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3 people agree with this review 2012/02/19
本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの三大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「くるみ割り人形」全曲がおさめられている。プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追及が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになると言える。本盤におさめられたチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相まって、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いていると言える。クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「くるみ割り人形」をはじめて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)には、スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、プレヴィンによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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本盤には、パイヤールがパイヤール室内管弦楽団ほかとともにスタジオ録音したバッハのブランデンブルク協奏曲全集(1973年)から抜粋した第1番、第4番及び第6番がおさめられている。既に、昨年11月には、当該全集のうち、第2番、第3番及び第5番が既にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて発売されており、本盤をもって、不朽の名盤とされている当該全集全体がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたことになったことは誠に慶賀に堪えないところだ。それはさておき、演奏は実に素晴らしい。ブランデンブルク協奏曲は、現在では古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が主流となっているが、本演奏が行われた当時は、現代楽器を使用した比較的編成の大きいオーケストラによる重厚な演奏が主流であったと言える。フルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤン、リヒター、ブリテンなど、このタイプによる名演は枚挙に暇がないほどであり、ブリテンによる演奏は若干その性格が異なるが、バッハという大作曲家を意識したドイツ風の重厚な演奏が行われていたと言っても過言ではあるまい。ところが、パイヤールによる本演奏はまるで異なるタイプの演奏だ。パイヤールの演奏は、現代楽器を使用した比較的小編成のオーケストラによる、どちらかと言えば伝統的な演奏様式によるものであるが、醸成された音楽は、前述のような大指揮者による重厚な演奏とは全くその性格を異にしていると言える。本盤の演奏のどこをとっても、フランス人であるパイヤールならではのフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが付加されていると言えるところであり、正に洒落たセンスの塊のような演奏とも言えるだろう。ドイツ風の重厚な演奏が主流であった同曲の演奏に新風を吹き込んだセンス満点の演奏とも言えるところであり、あたかも同曲がフランスの宮廷音楽のように聴こえるほどだ。高貴にして典雅、そして優美にしてなおかつ愉悦性に富んだ本演奏は、同曲のこれまで誰も気が付かなかった魅力を引き出すことに成功したものとして高く評価すべきであり、前述のような大指揮者による名演にも十分に対抗し得るだけの内容を兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。パイヤール室内楽団や、フルートのランパルをはじめとした各奏者のセンス満点の美演も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、1973年のスタジオ録音ではあるが、グリジー=スウィヌ、ノートルダム・デ・ローズ教会の残響を活かした名録音であったこともあり、従来CD盤でも十分に満足できるものであった。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、パイヤール&パイヤール室内管弦楽団ほかによるセンス満点の極上の美を誇る名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
5 people agree with this review 2012/02/18
本盤には、ベームがウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音したモーツァルトの管楽器のための協奏曲集やセレナード集、ディヴェルティメント集がおさめられている。ベームのレパートリーの基本は独墺系の作曲家による楽曲であったと言えるが、その中でもモーツァルトによる楽曲はその中核を占めるものであったと言えるのではないだろうか。ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも本盤は、1959年から1967年にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集とともに、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると高く評価したい。モーツァルトを得意とした巨匠と言えば、ワルターを第一に掲げるべきであるが、ワルターのモーツァルトの楽曲の演奏が優美にして典雅であったのに対して、ベーム演奏は重厚でシンフォニックなものだ。全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体としてゆったりとしたものである。そして、本盤の演奏は、1970〜1979年にかけてのものであり、とりわけ1970年代後半のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化が殆ど聴かれないのが素晴らしい。そして、全盛時代のベームの特徴でもあった躍動感溢れるリズムが本盤の演奏では健在であり、かような演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないと言えるところだ。要は、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。そして、本盤で素晴らしいのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの各首席奏者の素晴らしい名演奏であり、その卓越した技量や美しい音色など、これ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき圧倒的な名演奏を展開していると評価したい。これら首席指揮者にとどまらず、ベルリルやウィーン・フィルによる演奏も高く評価すべきであるが、とりわけベルリン・フィルについて言及しておきたい。この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。しかしながら、本盤の演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされていると言える。かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本盤の名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、1970年から1979年にかけてのスタジオ録音であるが、大半の演奏が既にリマスタリングが施された(ウィーン・フィルの首席奏者との協奏交響曲やディヴェルティメント集については久々のCD化であるとともに、私も当該CDを所有しておらず、比較出来なかったことを指摘しておきたい。)こともあって、従来盤でも十分に満足できるものであった。しかしながら、今般、SHM−CD化されるに及んで、従来盤よりも若干ではあるが、音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなったと言えるところだ。もっとも、ボックスとしてはあまりにも貧相な作りであり、安っぽい紙に包まれたCDの取り出しにくさについても大いに問題があるなど、必ずしも価格(10000円)に見合った作りにはなっていないことを指摘しておきたい。ベーム没後30年を祈念したCDとしてはいささか残念と言わざるを得ないところだ。せっかく発売するのであれば、SHM−CDと言った中途半端な高音質化ではなく、より豪華な装丁にした上で、全集が無理でもいくつかの協奏曲だけでも、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しかったという聴き手は私だけではあるまい。
5 people agree with this review
小林研一郎&チェコ・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集のシリーズ第4弾の登場だ。残すは第9番のみであり、間もなく小林研一郎による初のベートーヴェンの交響曲全集が完成されるというのは大変うれしい限りである。それはさておき、このシリーズのこれまで発売された演奏の評価は必ずしも芳しいものは言い難い。レコード芸術誌などにおける音楽評論家による評価も酷評に近い状態にあるし、本サイトにおける様々なレビューでも良い評価をされている方は殆ど稀であると言える。その理由を考えると、おそらくは、小林研一郎によるアプローチの立ち位置が難しいという側面があるのではないだろうか。ベートーヴェンの交響曲の演奏は、近年ではピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏が主流を占めていると言えるが、小林研一郎はそうした近年の流行は薬にしたくもないと言える。それでは、これまでの独墺系の錚々たる大指揮者が築き上げてきたドイツ正統派たる重厚な演奏を希求しているのかと言うと、これまた全くそうした伝統的な演奏様式などいささかも念頭にないと言えるところだ。このように、小林研一郎の演奏は、個の世界にあるものであり、その個性が演奏の隅々にまで行き渡ったものとも言えるだろう。それ故に、聴き手によっては、小林研一郎の体臭芬々たる演奏に辟易するということも十分に考えられるところだ。しかしながら、本盤におさめられた第4番及び第6番は、ベートーヴェンの交響曲の中では、剛よりも柔的な要素が多い楽曲であることから、「炎のコバケン」とも称されるようなパッションの爆発は最小限におさえられており、これまでの小林研一郎によるベートーヴェンの交響曲演奏にアレルギーを感じてきた聴き手にも、比較的受け入れられやすい演奏と言えるのではないだろうか。確かに、交響曲第6番の第4楽章などには、そうした小林研一郎のとてつもない燃焼度の高さの片鱗も感じられる点は相変わらずであるが、私としては、没個性的な凡演や、はたまた近年流行のピリオド楽器の使用や古楽器奏法による軽妙浮薄な演奏などと比較すると、はるかに存在価値のある演奏と言えるのではないだろうか。確かに、両曲のベストの名演とは到底言い難いが、小林研一郎一流の熱き歌心が結集するとともに、オーソドックスなアプローチの中にも切れば血が出てくるような灼熱のような指揮ぶりも堪能することが可能な、いい意味でのバランスのとれた名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。そして、小林研一郎による指揮に、適度の潤いと奥行きの深さを与えているのが、チェコ・フィルによる名演奏と言えよう。ホルンをはじめとする管楽器の技量には卓越したものがあり、弦楽器の重厚で深みのある音色も実に魅力的というほかはない。音質は、SACDによる極上の高音質であり、小林研一郎&チェコ・フィルによる名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
3 people agree with this review 2012/02/18
素晴らしい名演だ。ベートーヴェンやブラームス、ブルックナー、R・シュトラウスなどのドイツ音楽において、正統派とも言うべき名演の数々を遺しているケンペであるが、本盤におさめられたシューベルトの交響曲第8番「未完成」やモーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、そしてビゼーの「アルルの女」組曲の演奏も素晴らしい。シューベルトの交響曲第8番「未完成」のケンペによる本演奏は、かつてのワルターによる演奏のようなウィーン風の抒情に満ち溢れたものではない。演奏全体の造型は堅固であるなど、重厚にして剛毅であり、正にベートーヴェンの交響曲に接するようなアプローチで演奏を行っていると言えるだろう。それでいて、第2楽章における美しい旋律の数々も情感を込めて歌い抜いており、必ずしも重厚さ一辺倒の演奏に陥っているわけではない。このように懐の深さを兼ね備えた質実剛健さが持ち味の名演とも言えるところだ。近年では、シューベルトの交響曲の演奏にも、徐々に古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が浸透しつつあるが、本演奏を聴いて故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。モーツァルトのセレナードも素晴らしい。モーツァルトに私淑し、その楽曲を生涯にわたってレパートリーの基軸に位置づけていたワルターやベームの演奏のような独特の魅力があるわけではない。セレナードの演奏に必要不可欠とも思われる愉悦性においても必ずしも十分とは言い難いとも言えるが、一聴すると無骨とも思われる各旋律の端々には豊かな情感が込められていると言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏とも言えるのではないだろうか。そして、演奏全体の格調の高さには比類のないものがあると言えるところであり、正に古武士のような風格に満ち溢れた名演と言っても過言ではあるまい。ビゼーの「アルルの女」組曲は、ケンペとしては珍しいレパートリーの楽曲であると言えるが、フランス系の指揮者の演奏に聴かれるようなフランス風のエスプリに満ち溢れた洒落た味わいなど薬にしたくもなく、むしろドイツ風の重厚さが際立ったシンフォニックな演奏であると言える。しかしながら、レーグナーによる演奏などと共通するものがあると言えるが、演奏自体の充実度や密度の濃さにおいては出色のものがあり、聴き終えた後の充足感においては、フランス系の指揮者による数々の名演と比較してもいささかも遜色がないと言えるところだ。いずれにしても、本演奏は、ケンペのレパートリーの広さと、その懐の深い芸風を感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質であると言える。本演奏は、いずれも今から約50年も前の1960年台のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わったと言える。あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ケンぺ&バンベルク交響楽団による名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
12 people agree with this review 2012/02/12
4つの最後の歌は、R・シュトラウスの最晩年の傑作であるが、本盤におさめられた演奏こそは、ヤノヴィッツとカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1969年)と並んで、同曲の演奏史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。特に、歌手の個性という意味においては、本盤の演奏の方をより上位に置く聴き手も多いと言えるところだ。本演奏を名演たらしめているのは、何と言ってもシュヴァルツコップによる圧倒的な名唱にあると言えるのではないだろうか。確かに、あまりにも上手過ぎるために、とある影響力の大きい某音楽評論家が評しておられるように、音楽そのものの美しさよりも歌手の個性が全面に出てくるきらいがないわけではないが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。各4つの歌曲に込められた、人生の諦観を感じさせるような奥行きのある音楽を、シュヴァルツコップほど巧みに表現し得た歌手はこれまで存在したと言えるだろうか。シュヴァルツコップは、歌曲やオペラなどにおいて数々の名演を成し遂げた不世出の大歌手と言えるが、そうしたシュヴァルツコップが遺した数々の名演の中でも、本演奏は、その深沈たる深みにおいて最上位の部類に入ると言っても過言ではあるまい。その他の歌曲についても、シュヴァルツコップの巧さが際立った素晴らしい名演と高く評価したいと考える。シュヴァルツコップの素晴らしい歌唱を下支えしているのが、セル&ベルリン放送交響楽団、そしてロンドン交響楽団による至高の名演奏であると言える。セルと言えば、クリーヴランド管弦楽団との鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏の数々が念頭に浮かぶが、1960年代も半ばが過ぎ、そして、ベルリン放送交響楽団やロンドン交響楽団などと成し遂げた演奏においては、むしろ各奏者に自由を与え、より柔軟性のある情感豊かな演奏を行うことが多かったと言えるところだ。本盤の演奏もその最たるものと言えるところであり、シュヴァルツコップの名唱をしっかりと下支えしつつ、情感豊かな味わい深い名演奏を展開しているのを高く評価したい。音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。シュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてセル&ベルリン放送交響楽団、ロンドン交響楽団による至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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1 people agree with this review 2012/02/12
本盤には、多発性硬化症という不治の病を患い、若くしてその活動に終止符を打たざるを得なかった悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫でもあったバレンボイムとともに組んで演奏したシューマンのチェロ協奏曲とサン・サーンスのチェロ協奏曲第1番がおさめられている。いずれも圧倒的な超名演だ。このような演奏こそは、正に歴史的な超名演と言っても過言ではあるまい。それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きいと言える。本演奏は1968年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取りつかれたような底知れぬ情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言えるだろう。いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は私だけではあるまい。それでいて、特に、シューマンの最晩年の傑作であるチェロ協奏曲において顕著であるが、人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとニュー・フィルハーモニア管弦楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。音質は、従来CD盤があまり冴えない音質で大いに問題があったが、数年前にHQCD化されたことによって、格段に音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言える。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。デュ・プレのチェロ演奏の弓使いまで鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイム&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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0 people agree with this review 2012/02/12
本盤には、ノイマンが2度にわたってスタジオ録音を行ったドヴォルザークの交響曲全集のうち、最初のもの(1973年のレコード・アカデミー賞を受賞)から抜粋した交響曲第7番及び第8番がおさめられている。当該盤については、2年前にBlu-spec-CD盤が発売されたところであり、私はその際、次のようなレビューを既に投稿済みである。「ノイマンは、ドヴォルザークの交響曲全集を2度完成させるとともに、交響曲第7番〜第9番については、全集以外にも何度も録音している。いずれの演奏も、ノイマンの温厚篤実な性格があらわれた情感豊かな名演と考えるが、一般的には、2度目の交響曲全集や、ポニーキャノン(現在は、エクストンから発売)に録音した第7番〜第9番、そして、ドヴォルザーク生誕100年を記念した第9番あたりの評価が高い。それ故に、一度目の交響曲全集の旗色が悪いが、レコード・アカデミー賞を受賞した名盤でもあり、忘れられた感があるのはいささか残念な気がする。本盤は、その旧全集から、第7番と第8番をおさめているが、私としては、後年の名演にも勝るとも劣らない名演と高く評価したい。全体的に格調の高い情感の豊かさを保っている点は、後年の名演と同様の傾向ではあるが、ここには、後年の名演には見られない若々しい生命力と引き締まった独特の造型美があると言える。手兵のチェコ・フィルも、そうしたノイマンとともに最高のパフォーマンスを示しており、録音も非常に鮮明である。本盤は、Blu-spec-CD盤であるが、従来盤と比較してさらに鮮明度がアップしており、ノイマンの若き日の名演を高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。」現在でも、演奏そのものの評価については殆ど付け加えることがないと言える。本盤では、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われたことから、その点について言及しておきたい。これまで愛聴してきたBlu-spec-CD盤についても十分に満足できる素晴らしい音質であったと言えるところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によっておよそ信じ難いような次元が異なる極上の高音質に生まれ変わったと言える。音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ノイマン&チェコ・フィルによる素晴らしい名演をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。ノイマンによるドヴォルザークの演奏は、前述のレビューにも記したようにいずれ劣らぬ名演揃いであり、今後は、他の演奏についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をして欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。
6 people agree with this review 2012/02/12
フルトヴェングラーが最も得意としたレパートリーは、何と言ってもベートーヴェンの交響曲であったと言えるところであるが、次いで得意としていたのはブラームスの交響曲であったと言えるのではないだろうか。その中でも、ベートーヴェンの交響曲第10番との異名を持つ交響曲第1番を十八番としていたのは、十分に理解できるところだ。それだけに数多くの録音を遺しており、10種類もの録音が確認されているところである。私としても、その殆どをこれまで聴いてきたところであり、いずれ劣らぬ名演であると言えるが、問題はその大半の音質が今一つであり、フルトヴェングラーの芸術の本領を味わうには心もとない状況にあった。その中でも、本盤の演奏は、フルトヴェングラーは北ドイツ放送交響楽団に客演した唯一の演奏であるが、10種類ものフルトヴェングラーの同曲演奏の中では音質においても恵まれていることもあって、代表盤の地位を占めていたところである。しかしながら、昨年よりEMIやユニバーサルがフルトヴェングラーの過去の名演のSACD化を行い、ブラームスの交響曲第1番については、ウィーン・フィルとのライヴ録音(1952年1月)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1952年2月)のSACD化が行われた。もっとも、必ずしも最新録音というわけにはいかないが、少なくとも従来CD盤との違いは明らかであり、これによって、フルトヴェングラーによる同曲演奏の魅力を比較的満足できる音質で味わうことができることになり、この2つのSACD盤がフルトヴェングラーによる同曲演奏の代表盤の地位を占めることになったと言っても過言ではあるまい。したがって、本盤の演奏の影がかなり薄くなったところであったが、今般、ついにターラレーベルが本演奏をSACD化することになった。演奏自体も極めて優れたものであっただけに、今般のSACD化によって、かつての代表盤としての地位を取り戻すことになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。それにしても、本演奏は素晴らしい超名演だ。冒頭から重厚にして濃厚なフルトヴェングラー節が全開。終楽章の圧倒的なクライマックスに向けて夢中になって畳み掛けていく力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言える。また、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、その深沈とした奥行きや彫の深さは、正に神々しいばかりの崇高さを湛えていると言える。いずれにしても本盤の演奏は、フルトヴェングラーによる同曲最高の超名演と高く評価したいと考える。併録のハイドンの主題による変奏曲も、効果的なテンポの振幅や、彫の深い表現を駆使したフルトヴェングラーならではの圧倒的な超名演と評価したい。音質は、前述のように、今般のSACD化によって見違えるような良好な音質になったと言える。もちろん最新録音のようにはいかないが、弦楽器の艶やかな音色には抗し難い魅力に満ち溢れており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える
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7 people agree with this review 2012/02/11
バッハの無伴奏チェロ組曲はあらゆるチェリストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作であり、本盤のカザルスによる演奏を嚆矢として、錚々たるチェリストが数々の演奏を遺してきていると言える。カザルスによる本演奏は1936〜1939年のSP期の録音であり、その後に録音された他のチェリストによる演奏と比較すると音質は極めて劣悪なものである。そして、単に技量という観点からすれば、その後のチェリストによる演奏の方により優れたものがあるとも言えなくもない。演奏スタイルとしても、古楽器奏法やオリジナル楽器の使用が主流とされる近年の傾向からすると、時代遅れとの批判があるかもしれない。しかしながら、本演奏は、そもそもそのような音質面でのハンディや技量、そして演奏スタイルの古さといった面を超越した崇高さを湛えていると言える。カザルスの正に全身全霊を傾けた渾身のチェロ演奏が我々聴き手の深い感動を誘うのであり、かかる演奏は技量や演奏スタイルの古さなどとは別次元の魂の音楽と言えるところであり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みがあると言えるだろう。その後、様々なチェリストが本演奏を目標として数々の演奏を行ってはきているが、現在においてもなお、本演奏を超える名演を成し遂げることができないというのは、カザルスのチェロ演奏がいかに余人の及ばない崇高な高峰に聳え立っていたのかの証左であると考える。いずれにしても、カザルスによる本演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲を語る時に、その規範となるべき演奏として第一に掲げられる超名演であるとともに、今後とも未来永劫、同曲演奏の代表盤としての地位を他の演奏に譲ることはなく、普遍的価値を持ち続けるのではないかとさえ考えられる。前述のように、本演奏は音質面のハンディを超越した存在である言えるが、それでも我々聴き手としては可能な限り良好な音質で聴きたいというのが正直な気持ちであると言える。私としても、これまで輸入CD盤やリマスタリングされた国内CD盤(EMI)、さらにはナクソスやオーパスなどによる復刻など、様々な盤で本演奏を聴いてきたが、本盤の驚異的なSACD盤が登場するまでは、最も優れた復刻はオーパス盤であったと言える。特に、2010年に行われた新たなリマスタリング盤は、かなり聴きやすい音質に生まれ変わったところであった。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、これが1930年代のSPの音とは思えないような見事な音質であると言える。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カザルスによる歴史的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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5 people agree with this review 2012/02/11
プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスについては、既に後期3大交響曲集が発売されており、それは近年のプレトニョフの充実ぶりが伺える素晴らしい名演であった。そして、今般は最初期の第1番の登場となったが、後期3大交響曲集の演奏に勝るとも劣らないような圧倒的な名演と高く評価したいと考える。プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第1番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開していると言える。かかるアプローチはこれまでの後期3大交響曲集においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であると言えるのではないだろうか。もちろん、オーソドックスとは言ってもそこはプレトニョフ。奇を衒ったあざとい解釈ではないという意味であり、プレトニョフならではの個性は十二分に発揮されていると言える。冒頭のゆったりとしたテンポは、もしかしたら同曲演奏史上でも最も遅い部類に入るかもしれない。ところが主部に入るとテンポを大幅にアップさせる。要は、テンポの緩急を思い切って施しているのが本楽章の特徴であり、それでいていささかも不自然さを感じさせないのは、プレトニョフがチャイコフスキーの音楽を自家薬篭中のものとしているからに他ならない。こうしたテンポの緩急を大胆に施しつつも、ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避けており、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどであり、プレトニョフは、チャイコフスキーの交響曲を他の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲ように捉えているのではないかとさえ感じられるところだ。各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう。第2楽章〜終楽章は一転して正攻法の演奏であるが、もっとも、随所において効果的なテンポの振幅を施したり、第2楽章の4本のホルンによる壮麗な迫力、そして、終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、後期3大交響曲集の演奏と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したいと考える。これまでの第4番〜第6番での各レビューでも記したが、残る第2番、第3番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。併録のスラヴ行進曲は、中庸のテンポを基調としつつ、聴かせどころのツボを心得たオーソドックスな名演と高く評価したい。ただし、終結部は打楽器を最大限に響かせたり、反復を省略するなど、必ずしも一筋縄ではいかないプレトニョフの芸術の真骨頂があると言えるだろう。それにしても、ペンタトーンレーベルによる本チクルスの音質は素晴らしい。何と言っても、マルチチャンネル付きのSACDであるということは、本チクルスの大きなアドバンテージの一つであると言えるところであり、プレトニョフの精緻にして緻密さを基調とするアプローチを音化するのには、極めて理想的なものと言えるのではないだろうか。いずれにしても、プレトニョフによる圧倒的な名演を、マルチチャンネル付きの極上の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
2 people agree with this review 2012/02/11
本盤にはブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい超名演だ。ヴァイオリン協奏曲については、海千山千のヴァイオリニストと指揮者、オーケストラが圧倒的な超名演をあまた成し遂げていることから、ベストの名演と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、他方、二重協奏曲については、もちろん様々な見方はあるとは思うが、私としては、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したいと考える。本演奏において、何と言っても素晴らしいのはロストロポーヴィチによるチェロ演奏であると言える。ロストロポーヴィチの渾身のチェロ演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、ブラームスの最晩年の傑作に込められた枯淡の境地とも言うべき奥行きのある情感を徹底して抉り出すのに成功したと言っても過言ではあるまい。オイストラフのヴァイオリン演奏も、ロストロポーヴィチのチェロ演奏にいささかも引けを取っていない凄みのあるものと言えるところであり、この両者による重厚にして力感溢れる演奏は、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れていると言える。そして、この両雄による圧倒的な演奏を立派に下支えしているのが、セル&クリーヴランド管弦楽団による至高の名演奏であると言えるだろう。セル&クリーヴランド管弦楽団による全盛期の演奏は、巷間「セルの楽器」と称されるほどの鉄壁なアンサンブルを誇っているが、それだけにいささかメカニックなある種の冷たさを感じさせるとも言えなくもなかったところだ。しかしながら、1960年代も後半になると、セルもクリーヴランド管弦楽団の各奏者に自由を与え、より柔軟性のある伸びやかな演奏を心がけるようになったとも言える。本演奏などもその最たるものと言えるところであり、ロストロポーヴィチやオイストラフによる気迫溢れる演奏にも触発されたこともあって、一糸乱れぬアンサンブルの中にも、人生の諦観を感じさせるような味わい深い名演奏を繰り広げているとも言えるのではないだろうか。いずれにしても、本演奏は、ソリスト、指揮者、オーケストラの三拍子が揃った、同曲演奏史上最高の超名演と高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、ヴァイオリン協奏曲についてはESOTERICによるSACD化によって抜本的な音質の改善、そして二重協奏曲についてはHQCD化によってかなりの音質の改善がなされていたところだ。したがって、私としても、ヴァイオリン協奏曲については当該SACD盤、二重協奏曲についてはHQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついに二重協奏曲が待望のSACD化がなされるに及んで大変驚いた。HQCD盤などの従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える(ヴァイオリン協奏曲については、ESOTERIC盤との優劣については意見が分かれるところだ。)。ロストロポーヴィチのチェロやオイストラフのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、とりわけ二重協奏曲について、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、そしてセル&クリーヴランド管弦楽団による至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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10 people agree with this review 2012/02/11
ポリーニによるベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ集(第28〜32番)については、以前、次のようなレビューを投稿済みである。「これは評価の難しい演奏だ。ポリーニの研ぎ澄まされた鋭いタッチ。抜群のテクニックに裏打ちされたポリーニのピアニズムを、未来志向の新しい前衛的な表現と見るのか、それとも技術偏重の無機的な浅薄な表現と見るのかは、聴き手の好みにも大いに左右されるものと考える。私としては、どちらかと言えば、後者の考え方を採りたい。ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中でも難曲とされる第28番以降の5作品。これをポリーニは、一点の曇りもない完璧なテクニックで弾き抜いている。正に、唖然とするテクニックと言うべきで、場面によっては、機械じかけのオルゴールのような音色がするほどだ。このような感情移入の全くない無機的な表現は、ベートーヴェンのもっとも深遠な作品の解釈としては、いささか禁じ手も言うべきアプローチと言えるところであり、私としては、聴いていて心を揺さぶられる局面が殆どなかったのが大変残念であった。他方、これを未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えるという寛容な考え方に立てば、万全とは言えないものの、一定の説得力はあると言うべきなのであろう。それでも、やはり物足りない、喰い足りないというのが正直なところではないか。ポリーニには、最近は、バッハの平均律クラーヴィア曲集などの円熟の名演も生まれており、仮に、現時点において、これらの後期ピアノ・ソナタ集を録音すれば、かなりの名演を期待できるのではないかと考える。SHM−CD化によって、音質はかなり鮮明になっており、その点は高く評価したい。」このレビューは、リマスタリングされたSHM−CD盤を聴いた上での率直な感想を述べたものであるが、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、本演奏に対する評価についても大きく変更を余儀なくせざるを得ないところだ。こうして、鮮明かつ臨場感溢れる極上の高音質で聴くと、これまで感情移入の全くない無機的な表現と思われていたポリーニによる本演奏が、実は驚くほどの絶妙なニュアンスや表情づけがなされていることが理解できたところである。かかるポリーニによる演奏は、前述のレビューの表現を借りれば、未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えることが可能であるとともに、血も涙もない無機的な演奏ではなく、むしろポリーニなりに考え抜かれた懐の深さを伴った演奏と言えるのではないだろうか。もちろん、バックハウスやケンプなどによる人生の諦観さえ感じさせる彫の深い至高の名演と比較して云々することは容易であるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。いずれにしても、本演奏は、ポリーニの偉大な才能を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。ポリーニによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
10 people agree with this review
3 people agree with this review 2012/02/05
キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第3弾の登場だ。既発売のマンフレッド交響曲や交響曲第6番は、キタエンコの円熟を感じさせる素晴らしい名演であったが、本盤におさめられた交響曲第5番も、それらに勝るとも劣らない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。キタエンコによる本演奏のおけるアプローチは、マンフレッド交響曲や交響曲第6番と基本的には変わりがないと言える。かつてのモスクワ・フィルの音楽監督時代においては、いかにもロシア風のあくの強さを感じさせる演奏を行っていたが、ヤンソンスやプレトニョフなどにも共通していると思うが、その演奏にはより洗練度が増してきたものと思われるところだ。キタエンコがそのような洗練された演奏を行うようになったのは、ドイツに拠点を移し、フランクフルト放送交響楽団やケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団などを指揮するようになってからであり、いい意味で円熟の度を増してきたと言ってもいいのかもしれない。マンフレッド交響曲や交響曲第6番と同様に、本盤の交響曲第5番においても、キタエンコは、楽曲を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを施しており、正に全体として洗練された装いが支配していると言える。もちろん、そのように評したからと言って、キタエンコの演奏が安全運転に堕した凡庸な演奏に陥っているわけではないことに留意しておく必要がある。テンポはややゆったりとしたものとなっており、スケールは雄渾の極み。そして、ここぞと言う時のトゥッティにおけるパワフルな演奏(特に、第1楽章中間部、終楽章の展開部や終結部)は、いかにもロシアの悠久の大地を感じさせるような壮大な迫力を誇っており、ドイツに拠点を移してもキタエンコに今なお息づくロシア人としての熱き魂を感じることが可能だ。第2楽章などにおける心を込め抜いたロシア風のメランコリックな抒情の表現にもいささかの不足もなく、第3楽章のワルツの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の重心の低いドイツ風の重厚なサウンドも、本演奏に奥行きと深みを与えている点を忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、前述のようにキタエンコの円熟とともに、今後のキタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの続編に大きな期待を抱かせる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。併録として、チャイコフスキーの最晩年の傑作歌劇である「スペードの女王」の序曲がおさめられているが、これまた正攻法のアプローチによる素晴らしい名演だ。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。昨年より、大手レコード会社がSACDの発売を積極的に行うようになったことから、SACDに復活の兆しが見られるところであるが、その殆どはマルチチャンネルが付加されていないところである。本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、あらためてSACDの潜在能力の高さを再認識させられるところだ。いずれにしても、キタエンコによる素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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