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Review List of つよしくん 

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     2011/04/03

    プレトニョフは既に、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してチャイコフスキーの交響曲全集をスタジオ録音(DG)しているので、本盤は、約15年ぶりの2度目のチャイコフスキーの交響曲全集の第1弾ということになる。ペンタトーンレーベルへの復帰後第1弾でもあるということでもあり、そうした記念碑的な録音の曲目に、敢えてチャイコフスキーの交響曲全集の再録音第1弾を持ってきたところに、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い愛着と崇敬の念を大いに感じることが可能だ。前回の全集から今般の2度目の全集に至るまでの間、プレトニョフは、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集で、自由奔放とも言えるような実に個性的な演奏を繰り広げてきた。交響曲全集については賛否両論あるようであるが、ピアノ協奏曲全集については、現代を代表する名演との評価を幅広く勝ち得ている状況にあると言える。いずれにしても、今般の2度目の全集は、そうしたクラシック音楽の王道とも言えるベートーヴェンなどの演奏を経験した上での、満を持して臨む演奏ということであり、本演奏も、そうしたプレトニョフの円熟ぶりが伺い知ることができる素晴らしい名演と高く評価したい。前回の全集では、前述のベートーヴェンの交響曲全集における自由奔放さとは別人のようなオーソドックスな演奏を披露していた。ロシアの民族色をやたら強調したあくの強い演奏や表情過多になることを避け、純音楽的なアプローチを心掛けていたのが印象的であった。特に、スコアに忠実に従った各楽器の編成の下、各楽器セクションのバランスを重視した精緻な響きが全体を支配しており、聴き手にとっては、それが非常に新鮮に聴こえたり、あるいは踏み外しのない物足りなさを感じさせたりしたものであった。ところが、本演奏においては、各セクションのバランスに配慮した精緻さは従前どおりであるが、ベートーヴェンの演奏などで培われた、快速のテンポ(かのムラヴィンスキーよりも早い40分で駆け抜けている。)によるドラマティックな要素にもいささかも事欠かないところであり、硬軟バランスのとれた、正に円熟の名演に仕上がっている点を高く評価したい。プレトニョフは、本盤を皮切りに、ペンタトーンレーベルに、チャイコフスキーの全交響曲を再録音していくとのことであるが、本演奏を聴いて第2弾以降を大いに期待する聴き手は私だけではあるまい。併録の幻想序曲「ロミオとジュリエット」は、一転してテンポはややゆったりとしている(主部は猛烈に早い)が、交響曲第4番と同様に、純音楽的なアプローチの中にもドラマティックな要素を兼ね備えた円熟の名演だ。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、前回の全集に比して、大きなアドバンテージとなっている点を忘れてはならない。

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     2011/04/03

    東京弦楽四重奏団による二度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集のトリを飾る後期弦楽四重奏曲集の登場だ。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集(第12〜16番)は、弾きこなすのに卓越した技量を要するとともに、その内容の精神的な深みにおいても突出した存在であると言える。交響曲で言えば第9番、ピアノソナタで言えば第30〜32番、合唱曲で言えばミサ・ソレムニスに匹敵する奥深い内容を有した至高の名作であり、その深遠な世界を表現するには、生半可な演奏では到底かなわないと言える。このような高峰に聳える名作だけに、これまで様々な弦楽四重奏団によって、多種多様な名演が繰り広げられてきた。したがって、並大抵の演奏では、海千山千の名演の中で、とてもその存在価値を発揮することは困難であると言える。そこで、この東京弦楽四重奏団による演奏であるが、そのアプローチは、これまでの他の弦楽四重奏曲とは何ら変わるところがない。曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものだ。したがって、聴き手を驚かすような特別な個性などは薬にしたくもなく、楽曲の本質に鋭く切り込んでいくような凄みにも欠けていると言える。しかしながら、いささかも奇を衒わない真摯な姿勢は、かつてのスメタナ四重奏団による名演奏を彷彿とさせるような、豊かな音楽性に満ち溢れた優美さを兼ね備えていると言えるのではないか。東京弦楽四重奏団の各奏者は、世界に6セットしかないと言われているパガニーニ選定のストラディヴァリウスを使用しており、それによって醸し出される独特の美しい音色は、そうした豊かな音楽性に満ち溢れた優美さをさらに助長するものであると考える。また、4人の奏者による息の合った絶妙なアンサンブルも、そうした優美な演奏に一役買っていることも忘れてはならない。いずれにしても、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集の演奏に何を求めるのかによって、賛否両論が生ずる演奏ではあると思うが、私としては、楽曲の魅力をゆったりとした気持ちが味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。マルチチャンネル付きのSACDによる、各奏者の微妙な弓使いまで捉えた極上の高音質録音も、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している点も忘れてはならない。

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     2011/04/03

    東京弦楽四重奏団による二度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第2弾であるが、本盤には、初期の弦楽四重奏曲6曲がおさめられている。いずれの楽曲の演奏も、第1弾と同様の素晴らしい名演と高く評価したい。東京弦楽四重奏団のアプローチは、第1弾と何ら変わるところはない。それは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものであり、それ故に、ベートーヴェンの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで満喫できるというのが、何よりも本演奏の最大の長所であると言える。世界に6セットしか存在しないと言われているパガニーニ選定によるストラディヴァリウスを使用しているというのも本団体の、そして本演奏の魅力の一つであり、4人の奏者が醸し出す音色の美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、4人の奏者による息の合った鉄壁のアンサンブルも見事であり、一時は、団員の入れ替わりによって不調が伝えられたとは思えないような、円熟の演奏を聴かせてくれているのが素晴らしい。この演奏には、かつてのアルバン・ベルク弦楽四重奏団やカルミナ弦楽四重奏団のような、聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではないが、楽曲が初期の弦楽四重奏曲だけに、むしろ、このような自然体のオーソドックスな演奏の方がより適していると言えるのかもしれない。本演奏で残念なのは、他の弦楽四重奏曲は、マルチチャンネル付きのSACDで発売されているにもかかわらず、従来CDでしか発売されていないということだ。その理由は定かではないが、おそらくは初期の弦楽四重奏曲であるということが理由なのかもしれない。従来CDであっても録音自体は非常に鮮明ではあるが、マルチチャンネル付きのSACDとは比べるべくもないと思われる。いずれにしても、本演奏自体の素晴らしさに鑑み、今後のSACD化を大いに望みたいと考える。

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     2011/04/02

    昨年、フルトヴェングラーによるRIAS放送録音がアウディーテから発売されたが、例えば、第2次世界大戦後の復帰コンサートの際のベートーヴェンの第5など、従来CDと次元が異なる鮮明な音質によって、一世を風靡したのは記憶に新しい。フルトヴェングラーの演奏については、本年に入ってEMIからSACDが発売されたこともあって、現在ではそちらの方に注目が集まっているが、アウディーテ盤におさめられた演奏とは殆どが重複していないことから、現在においてもアウディーテ盤の存在価値には揺るぎないものがあると考えられる。そして今般、フルトヴェングラーに引き続いて、クナッパーツブッシュによるRIAS放送録音が発売される運びとなったことは、その演奏の質の高さや歴史的な価値から言っても、大いに歓迎したいと考える。クナッパーツブッシュの指揮は、特に、晩年においては、ワーグナーや、クナッパーツブッシュがワーグナーと同列の範疇で捉えていたと考えられるブルックナー(改訂版への固執がそれを物語っている。)の楽曲の演奏に際しては、荘重なインテンポを維持するなど遊びの要素は薬にしたくもなく、崇高さが際立っていたが、他の作曲家の楽曲の演奏になると、尋常ならざる極端に遅いテンポや粘ったような進行など、ある種の遊びのような要素が満載であった。バーンスタインも、最晩年には極端に遅いテンポをとるなど、大仰な表現が多々見られたが、決定的な違いは、クナッパーツブッシュの場合は、一聴すると単なる遊びのように感じられるフレーズにも、気高い芸術性が宿っているということであろう。バーンスタインのように(ただし、マーラー及びシューマンを除く。)、内容の伴わない大仰さとはとても同列には論じられないことを銘記しておかなければならないと言える。このような芸術的な遊びは、録音が悪いととても聴くに堪えない音塊になってしまう危険性があると言える。実際に、クナッパーツブッシュの既発売のCDは、いずれもそうした危険性と裏腹のあまり良好とは言えない音質であったと言わざるを得なかった。ところが、本セットにおさめられた録音は、既発売のCDとは見違えるような良好な音質に生まれ変わったと言えるところであり、本アウディーテ盤の登場によって、漸くクナッパーツブッシュの芸術の真価を味わうことが可能になったと言っても過言ではないのではないかと考える。それにしても、本セットの良好な音質で聴くと、クナッパーツブッシュの指揮芸術の桁外れのスケールの大きさをあらためて認識させられる。ブルックナーの第9は、悪名高き改訂版を使用しており、これまでは音質の劣悪さも相まって、私としても歯牙にもかけて来なかった演奏であるが、今般のCD化によって、弦楽器など実に艶やかに響くようになり、見違えるような音質に生まれ変わったのは実に素晴らしいことだ。改訂版の醜悪さが余計に目立つようになったのはご愛嬌ではあるが、クナッパーツブッシュの懐の深い至芸を良好な音質で味わえるようになった意義は極めて大きい。なお、本セットには、スタジオ録音とともに2日後のライブ録音がおさめられているが、音質の面を加味すれば一長一短と言ったところではないだろうか。未完成は素晴らしい名演だ。これまでは劣悪な音質故に、気にも留めていなかった演奏であるが、これほどの名演とは思いもしなかった。深沈たる奥行きのあるスケール雄大な演奏は、巨匠クナッパーツブッシュだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。これもスタジオ録音と2日後のライブ録音がおさめられているが、音質をも含めると、容易に優劣はつけられない。ブルックナーの第8も、これまではミュンヘン・フィルとの超弩級の名演があることや音質の劣悪さから、殆ど芳しい評価がなされてこなかった演奏であるが、これだけの良好な音質になると、さすがにミュンヘン・フィル盤にはかなわないが、それに肉薄する名演と言ってもいいのではないだろうか。ベートーヴェンの第8とハイドンの第94は、いずれも見違えるような高音質、特に低弦の重心の低い音色が響くようになったことによって、クナッパーツブッシュの桁外れにスケールの大きい至芸を味わうことができるようになった意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。これだけの高音質になると、テンポの遅さも必然のように思えてくるから実に不思議だ。小品もいずれも良好な音質に蘇り、いかにスケールの大きい素晴らしい名演であったのかをあらめて認識させられた。例えば、喜歌劇「千一夜物語」間奏曲のむせかえるような情感豊かな演奏は、何という人間味に溢れているのであろうか。組曲「くるみ割り人形」のスケール極大な音楽や、「こうもり」序曲の胸にずしんと響いてくるような低弦の重厚な響きは、圧巻の迫力を誇っていると言える。ピツィカート・ポルカやワルツ「バーデン娘」は、正にクナッパーツブッシュだけに許される桁外れにスケールの大きい芸術的な遊びと高く評価したい。

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     2011/04/02

    東京弦楽四重奏団による2度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集録音の第3弾の登場だ。第3弾においては、中期から後期への橋渡しとなる第10番と第11番を収録。「ハープ」、「セリオーソ」という、愛称を有した楽曲どうしの組み合わせだ。いずれも、第1弾(第7〜第9番のいわゆるラズモフスキー三部作)及び第2弾(第1〜第6番の初期の弦楽四重奏曲)と同様の素晴らしい名演と高く評価したい。本演奏における東京弦楽四重奏団のアプローチは、これまでのものと何ら変わるところがない。楽想を精緻に、そして情感豊かに描き出していくというものだ。本盤におさめられた両曲は、その愛称の所以にもなっているが、ピツィカートやユニゾンなどに独特の音型があらわれるのを大きな特徴としている。こうした特徴的な音型において、東京弦楽四重奏団の4人の奏者が使用している、世界にも6セットしかないとされているパガニーニ選定の銘器ストラディバリウスによる独特の美しい音色による表現は実に効果的であり、両曲の演奏をより一層魅力的なものとする結果に繋がっていることを忘れてはならない。東京弦楽四重奏団は、既に結成以来40年以上が経過しているが、その間にメンバー交代があり、現在では日本人奏者が2人しかおらず、一時は音色の調和に苦しんだ時期もあったと言われているが、本演奏においては、そのような苦難を克服し、息の合った絶妙のアンサンブルを披露してくれており、今や、この団体が円熟の境地にあることを感じさせてくれるのが素晴らしい。もちろん、円熟と言っても穏健一辺倒ではなく、第10番の第3楽章や第11番の第1楽章及び第3楽章における気迫溢れる演奏は、凄みさえ感じさせる圧巻の迫力を誇っていると言える。いずれにしても、本演奏においては、聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではないが、いささかも奇を衒うことがなく、これらの作品の持つ魅力をゆったりとした気持ちで満喫することが可能であるという点においては、過去の様々な個性的な名演にも決して引けを取らない名演であると考える。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献していると言える。

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     2011/04/02

    東京弦楽四重奏団による2度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1弾であるが、こうした記念すべき第1弾において、いきなり、ベートーヴェンの中期の傑作であるラズモフスキー三部作を採り上げたところに、この団体の確かなる自信が感じられる。東京弦楽四重奏団は、弦楽四重奏団の名称に「東京」の名を冠していても、日本人の奏者は2人しかおらず、しかも、結成してから40年が経って、その間にメンバーの入れ替わりがあり、一時は音色の調和に苦労した時期があったようでもある。しかしながら、本盤におさめられた演奏においては、すべての奏者の音色が見事に融合した、息の合った絶妙なアンサンブルを披露しており、この楽団の近年における充実ぶりを味わうことが可能だ。世界に6セットしか存在していないとされているパガニーニ選定によるストラディバリウスを使用しているというのも、本団体、そして本演奏における最大の魅力でもあり、4人の奏者が奏でる音色の美しさには出色のものがあると言える。本演奏には、例えば、先般、惜しまれる中で解散したアルバン・ベルク弦楽四重奏団や、今を時めくカルミナ弦楽四重奏団のような特別な個性があるわけではないが、かつてのスメタナ弦楽四重奏団と同様に、楽想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものであり、音楽そのものの美しさを聴き手にダイレクトに伝えてくれていると言える。このように、ベートーヴェンの作曲したラズモフスキー三部作を、ゆったりとした気持ちで満喫させてくれるという意味においては、過去の様々な名演にも決して引けを取らない素晴らしい名演と高く評価したいと考える。さらに、本盤の魅力は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のSACD盤は、現在のところ希少な存在であり、その意味でも本盤の価値は非常に高いものがあると考える。

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  • 2 people agree with this review
     2011/04/02

    インバルが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの第2や第3は素晴らしい名演であったが、本盤におさめられたチェコ・フィルとの第5も素晴らしい名演と高く評価したい。インバルは、マーラーの第5をかつての手兵フランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音(1986年)するとともに、東京都交響楽団とのライブ録音(1995年)もあるが、本演奏は、それら両演奏をはるかに凌駕する名演と言える。かつてのインバルは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションをできるだけ抑制して、できるだけ音楽に踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。したがって、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な演奏ではあるが、ライバルとも目されたベルティーニの歌心溢れる流麗さを誇るマーラー演奏などと比較すると、今一つ個性がないというか、面白みに欠ける演奏であったことは否めない事実である。前述の1986年盤など、その最たる例と言えるところであり、聴いた瞬間は名演と評価するのだが、しばらく時間が経つとどんな演奏だったのか忘却してしまうというのが正直なところ。ワンポイント録音による画期的な高音質だけが印象に残る演奏というのが関の山と言ったところであった。1995年盤になると、ライブ録音ということもあり、インバルにもパッションを抑えきれず、踏み外しが随所にみられるなど、本盤に至る道程にある名演と言うことができるだろう。そして、本盤であるが、ここにはかつての自己抑制的なインバルはいない。インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、ドラマティックな表現を施しているのが素晴らしい。それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的な表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。いずれにしても、前述の第2及び第3と同様に、本盤のようなドラマティックな表現を駆使するようになったインバルを聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニが鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられない。オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンの卓抜した技量は、本名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。SACDによる極上の高音質録音も、本名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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     2011/03/31

    ミュンシュはフランス人指揮者ではあるが、出身がドイツ語圏でもあるストラスブールであったことから、フランス音楽に加えてドイツ音楽も得意としていた。例えば、最晩年に音楽監督に就任したばかりのパリ管弦楽団とともに成し遂げたブラームスの第1(1968年)は、同曲演奏史上でもトップを争う名演との評価を勝ち得ているし、かつての手兵であるボストン交響楽団を指揮して演奏したメンデルスゾーンの第4及び第5(1957〜1958年)、ベートーヴェンの第3(1957年)及び第5(1955年)なども、フランス人離れした重厚さを兼ね備えた質の高い名演であった。本盤におさめられたベートーヴェンの第5は、前述のスタジオ録音とほぼ同時期の録音であるが、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。本盤におけるミュンシュは、スタジオ録音と同様に、重心の低いドイツ風の演奏を行っているのであるが、これにライブならではの力強い生命力が付加されていると言える。ミュンシュは、特に十八番とする楽曲においては、スタジオ録音においても、燃焼度のきわめて高い熱い演奏を行うことが多いが、ライブともなれば、その燃焼度は尋常ならざるレベルに達することになる。ドイツ風の重厚さを基調としながらも、灼熱のような圧倒的な生命力に満ち溢れた畳み掛けていくような気迫と力強さは、生粋の舞台人であるミュンシュだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。確かに、音楽の内容の精神的な深みにおいてはいささか欠けている面もないとは言えないが、これだけの豪演を披露してくれれば文句は言えまい。併録のワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」からの前奏曲等の抜粋は、前述のようなドイツ音楽を得意としたミュンシュならではの重厚さを兼ね備えた名演と高く評価したい。メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲からのスケルツォは繊細な優美さが際立っており、ミュンシュの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。また、ブラックウッドの交響曲第1番は、現代音楽らしからぬ親しみやすい旋律に満ち溢れた魅力作であるが、ミュンシュの指揮も、知られざる作品を聴き手にわかりやすく聴かせようという滋味溢れる明瞭なアプローチが見事である。ボストン交響楽団は、ミュンシュの薫陶の下、最高のパフォーマンスを発揮しているところであり、フランス風で音色がいささか軽やかになった小澤時代とは見違えるような重心の低いドイツ風の重厚な音色を出しているのが素晴らしい。録音も、ややデッドで音場が広がらない箇所も散見されるが、1960年のものとしては十分に鮮明な音質であると評価したい。

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     2011/03/30

    ミュンシュの指揮による、いわゆるフランス印象派の作曲家であるドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏については、賛否両論があるのではないだろうか。ミュンシュはフランス人ではあるが、フランス領でありながらドイツ語圏でもあるストラスブールの出身であり、フランス音楽だけでなくドイツ音楽を得意とする指揮者であった。それ故に、ミュンシュが指揮するフランス音楽は、どちらかと言えば、ドイツ風の重厚さが支配していると言えるところであり、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいにおいてはいささか欠ける演奏が多いというのは否めない事実である。したがって、ラヴェルの管弦楽曲であれば、先輩のモントゥーや後輩のクリュイタンス、デュトワによる演奏の方がはるかに魅力的であるし、ドビュッシーの管弦楽曲であれば、後輩のマルティノン、デュトワによる演奏の方に軍配があがると言えるのではないだろうか。もちろん、いずれも高い次元での比較の問題であり、ミュンシュの指揮したドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏も、そんじょそこらの指揮者の演奏などと比較すると十分に魅力的であることは指摘しておかなければならない。本盤におさめられた交響詩「海」のこれまでの既発売の録音としては、スタジオ録音としては手兵ボストン交響楽団との1956年盤、ライブ録音としては、2年前に発売され話題を独占したパリ管弦楽団との1967年盤が掲げられる。本盤の演奏は、後者の1967年盤に次ぐ名演として高く評価したい。前述のようにドイツ音楽を得意とした巨匠だけに、まずは全体の造型がきわめて堅固である。そして、3つの場面の描写が実に巧み。加えて、ライブにおける燃焼度の高い圧倒的な生命力が全体を支配している。特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っていると言える。ピストンの交響曲第6番は、現代音楽でありながら非常に親しみやすい旋律が満載の魅力作であるが、ミュンシュは曲想を非常に丁寧に描き出しており、明瞭かつ快活な名演に仕上がっているのが素晴らしい。バーバーの「メディアの瞑想と復讐の踊り」やベルリオーズのラコッツィー行進曲は、ライブにおいて燃え上がるミュンシュの面目躍如たる生命力に満ち溢れた圧倒的な名演だ。さらに凄いというか、異色の演奏は冒頭の君が代だ。君が代をフランス風にアレンジしたような、いささか場違いな演奏ではあるが、芸術的な面白みにおいては無類のものがあると言えよう。ミュンシュの薫陶を受けたボストン交響楽団も、その圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを披露してくれているのが見事である。録音も、1960年のものとは思えないような鮮明で素晴らしい高音質だ。

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     2011/03/29

    ミュンシュは幻想交響曲を十八番にしていた。これは何もミュンシュに限ったことではなく、フランス系の指揮者に共通するものであり、モントゥーにしても、クリュイタンスにしても、それこそ何種類もの幻想交響曲の録音が存在している。フランス系の指揮者にとって、やはり幻想交響曲というのは特別な存在なのではないかと考えられるところだ。ミュンシュの幻想交響曲と言えば、有名なのはパリ管弦楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された1967年盤(EMI)だ。これは、最近、SACD化されて更に名演のグレードがアップしたが、それとほぼ同時期のライブ録音は、更に素晴らしい超絶的名演であり、本年2月のレコード芸術誌のリーダースチョイスにおいてトップの座を獲得したことも記憶に新しい(アルトゥス)。これらの演奏の前の録音ということになると、当時の手兵ボストン交響楽団とのスタジオ録音(1962年)ということになる。本盤は、当該スタジオ録音の2年前の来日時のライブ録音ということになるが、さすがに前述の2種の1967年盤には劣るものの、1962年のスタジオ録音盤よりははるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。本盤を聴いて感じるのは、やはりミュンシュのライブ録音は凄いということだ。スタジオ録音でも、前述の1967年盤において顕著であるが、その生命力溢れる力強さと凄まじい気迫に圧倒されるのに、ライブとなると、とてもその比ではなく、あたかも火の玉のように情熱の炎が迸っている。前述の1967年のライブ盤(アルトゥス)でもそうであったが、ミュンシュは生粋の舞台人であったのではないかと考えられる。それ故に、多くの聴衆を前にして、あれほどの燃焼度のきわめて高い演奏を披露することが可能であったのではないだろうか。本盤においても、ミュンシュの燃焼度は異様に高く、最初から終わりまで、切れば血が出てくるような灼熱のような生命力にただただ圧倒されるばかりだ。ミュンシュの幻想交響曲は、モントゥーやクリュイタンスのようにフランス風のエスプリなどはあまり感じさせない。これは、ミュンシュがドイツ語圏でもあるストラスブール出身ということにも起因していると考えるが、これだけの気迫溢れる豪演で堪能させてくれるのであれば、そのような些末なことは何ら問題にもならないと考える。加えて、ミュンシュのドラマティックな指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示したボストン交響楽団の卓越した技量についても高く評価したい。併録のルーセルの「バッカスとアリアーヌ」組曲やヘンデルの水上の音楽からの抜粋も、ミュンシュの熱い指揮ぶりが印象的な超名演だ。録音も、特に幻想交響曲の第4楽章における金管楽器のいささかデッドな音質など、音場が今一つ広がらないという欠点も散見されるが、1960年のものとしては十分に良好な音質であり、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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     2011/03/27

    ヴァントが最晩年にベルリン・フィルを指揮して成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏は、いずれも素晴らしい歴史的な超名演であるが、その最後の録音となったのが、本盤におさめられた第8である。ブルックナーが完成させた最高傑作が、この黄金コンビによるラストレコーディングになったというのは、ブルックナー演奏にその生涯を捧げてきたヴァントに相応しいとも言えるが、次のコンサートとして第6が予定されていたとのことであり、それを実現できずに鬼籍に入ってしまったのは大変残念というほかはない。そこで、この第8であるが、ヴァントが遺した数々の第8の中では、同時期のミュンヘン・フィル盤(2000年)と並んで、至高の超名演と高く評価したい。本盤の前の録音ということになると、手兵北ドイツ放送交響楽団とスタジオ録音した1993年盤ということになるが、これは後述のように、演奏自体は立派なものではあるものの、面白みに欠ける面があり、本盤とはそもそも比較の対象にはならないと考える。ただ、本盤におさめられた演奏は、ヴァントが指揮した第8としてはダントツの名演ではあるが、後述の朝比奈による名演と比較した場合、第4、第5、第7及び第9のように、本演奏の方がはるかに凌駕していると言えるのかというと、かなり議論の余地があるのではないだろうか。というのも、私見ではあるが、第8は、必ずしもヴァントの芸風に符号した作品とは言えないと考えるからである。ヴァントのブルックナーの交響曲へのアプローチは、厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型と緻密さが持ち味だ。また、金管楽器を最強奏させるなどのオーケストラの凝縮化された響きも特徴であるが、1980年代のヴァントの演奏は、全体の造型美を重視するあまり凝縮化の度が過ぎたり、細部への異常な拘りが際立ったこともあって、スケールが小さいという欠点があったことは否めない。そうしたヴァントの弱点は、1990年代後半には完全に解消され、演奏全体のスケールも雄渾なものになっていったのだが、前述の1993年盤では、スケールはやや大きくなった反面、ヴァントの長所である凝縮化された濃密さがいささか犠牲になった嫌いがあり、峻厳さや造型美だけが際立つという第8としてはいわゆる面白みのない演奏になってしまっていると言える。むしろ、来日時の手兵北ドイツ放送交響楽団とのライブ盤(1990年アルトゥス)の方が、ライブ特有の熱気も付加されたこともあって、より面白みのある素晴らしい名演と言えるのではないだろうか。いずれにしても、ヴァントの持ち味である厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型や緻密さと、スケールの雄大さを兼ね備えるというのは、非常に難しい究極の指揮芸術と言えるところであるが、ヴァントは、ベルリン・フィルとともに、第5、第4、第9、第7と順を追って、そうした驚異的な至芸を成し遂げてきたのである。ところが、この第8は、スケールは雄大であるが、堅固な造型美や緻密さにおいては、ヴァントとしてはその残滓は感じられるものの、いささか徹底し切れていないと言えるのではないだろうか。これは、ヴァントが意図してこのようなアプローチを行ったのか、それとも肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、ヴァントらしからぬ演奏と言うことができるだろう。したがって、本盤におさめられた演奏については、細部には拘泥せず曲想を愚直に描き出して行くことによって他に類を見ないスケールの雄大な名演の数々を成し遂げた朝比奈のいくつかの名演(大阪フィルとの1994年盤(ポニーキャノン)、N響との1997年盤(フォンテック)、大阪フィルとの2001年盤(エクストン))に並ばれる結果となってしまっているのは致し方がないところではないかと考える。もちろん、これはきわめて高い次元での比較の問題であり、本盤におさめられた演奏が、第8の演奏史上に燦然と輝く至高の超名演であるとの評価にはいささかも揺らぎはない。録音は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これは、前出のミュンヘン・フィル盤への大きなアドバンテージであると言える。

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     2011/03/27

    ブルックナーの11ある交響曲の中でも第4は、ブルックナーの交響曲の演奏が現在のようにごく普通に行われるようになる以前の時代から一貫して、最も人気があるポピュラリティを獲得した作品と言える。ブルックナーの交響曲全集を録音しなかった指揮者でも、この第4の録音だけを遺している例が多いのは特筆すべき事実であると言えるのではないか(ジュリーニなどを除く)。そして、そのようなブルックナー指揮者とは必ずしも言い難い指揮者による名演が数多く遺されているのも、この第4の特殊性と考えられる。例えば、ベーム&ウィーン・フィル盤(1973年)、ムーティ&ベルリン・フィル盤(1985年)などはその最たる例と言えるところである。近年では、初稿による名演も、インバルを皮切りとして、ケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどによって成し遂げられており、第4の演奏様式も今後大きく変化していく可能性があるのかもしれない。ただ、この第4は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、二度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの第4の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。それは、朝比奈やヴァントにも当てはまるところであり、少なくとも1980年代までは、両雄ともに、第4には悪戦苦闘を繰り返していたと言えるだろう。しかしながら、この両雄も1990年代に入ってから、漸く素晴らしい名演を成し遂げるようになった。朝比奈の場合は、大阪フィルとの1993年盤(ポニーキャノン)と2000年盤(エクストン)盤が超名演であり、これにN響との2000年盤(フォンテック)、新日本フィルとの1992年盤(フォンテック)が続くという構図である。これに対して、ヴァントの場合は、本盤におさめられたベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価したい。本演奏におけるヴァントは、必ずしもインテンポに固執していない。第3楽章などにおけるテンポの変化など、これまでのヴァントには見られなかった表現であるが、それでいてブルックナーの本質を逸脱しないのは、ヴァントが最晩年になって漸く成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。また、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングを行っており、全体の造型はきわめて堅固ではあるが、細部に至るまで表現が緻密でニュアンスが豊かであり、どこをとっても深みのある音色に満たされているのが素晴らしい。金管楽器なども完璧に鳴りきっており、どんなに最強奏してもいささかも無機的には陥っていない。これは、ベルリン・フィルの卓越した技量によるところも大きいが、ヴァントによる圧倒的な統率力にも起因していると考えられる。第2楽章は、聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のようにソフトに開始されるが、その筆舌には尽くし難い繊細さは崇高な高みに達している。その後は、ブルックナーならではの情感豊かな音楽が続いていくが、ヴァントはいささかも感傷的には決して陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、ヴァントが80代半ばにして漸く成し遂げることが出来た第4の至高の超名演であり、これぞまさしく大器晩成の最たるものと評価したい。録音も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これは、通常CDである前述のミュンヘン・フィル盤やラストレコーディング盤に対して、大きなアドバンテージとなっていることも忘れてはならない。

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     2011/03/26

    ヴァントが、その最晩年にベルリン・フィルとともに成し遂げたブルックナーの一連の交響曲の演奏は、歴史的とも言うべき至高の超名演であった。この黄金コンビによるブルックナー以外の作曲家による楽曲の演奏で、唯一録音が遺されているのが、本盤におさめられたシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」である。いずれも、ブルックナーの各交響曲と同様に、素晴らしい至高の名演と高く評価したい。なお、ヴァントは、ミュンヘン・フィルとともに、これら両曲の演奏を同時期に行っているが、オーケストラの音色に若干の違いがある以外は同格の名演と言えるところであり、両演奏の比較は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。シューベルトの交響曲、とりわけ「未完成」と「ザ・グレイト」は演奏が難しい交響曲であると言える。最近音楽之友社から発売された名曲名盤300選において、これら両曲については絶対的な名盤が存在せず、各評論家の評価が非常にばらけているという点が、そうした演奏の難しさを如実に物語っていると考えられる。その理由はいくつか考えられるが、シューベルトの音楽をどう捉えるのかについて未だに正解がない、確立した見解が存在しないということに起因しているのではないだろうか。いずれにしても、シューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」は懐が深い交響曲と言えるのは間違いがないところだ。私見であるが、これまでの様々な演奏に鑑みて、シューベルトをどう捉えるのかについての見解をおおざっぱに分けると、@ウィーンの抒情的作曲家、A@に加え、人生の寂寥感や絶望感を描出した大作曲家、Bベートーヴェンの後継者、Cブルックナーの先駆者の4つに分類できるのではないかと考えている(いくつかの要素を兼ね備えた演奏が存在しているということは言うまでもない。)。「未完成」や「ザ・グレイト」の演奏に限ってみると、@の代表はワルター&コロンビア交響楽団盤(1958年)、Aの代表は、「未完成」しか録音がないが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル盤(1978年(あるいは来日時の1977年盤))、Bの代表は、「ザ・グレイト」において顕著であるがフルトヴェングラー&ベルリン・フィル盤(1942年)であると考えており、Cに該当するのが、まさしく本盤におさめられたヴァント&ベルリン・フィル盤であると考える。ヴァントのこれら両曲へのアプローチは、ブルックナーの交響曲に対して行ったのと基本的に同様のものだ。眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく緻密で凝縮化された表現には凄みがあり、全体の造型はきわめて堅固なものだ。したがって、ウィーン風の抒情的な表現にはいささか欠けるきらいがあり、前述のワルター盤の持つ美しさは望むべくもないが、シューベルトの音楽の心底にある人生の寂寥感や絶望感の描出にはいささかの不足はないと言えるのではないか。特に、「未完成」の第1主題は、ワインガルトナーが地下の底からのようにと評したが、ヴァントの演奏は、特に中間部においてこの主題を低弦を軋むように演奏させ、シューベルトの心底にある寂寥感や絶望感をより一層強調させるかのような凄みのある表現をしているのが素晴らしい。ヴァントは、2000年の来日時のコンサートにおいて「未完成」を演奏しており、とりわけ当該箇所の表現には心胆寒からしめるものが感じられたが、本盤においても、それとほぼ同等の表現を聴くことができるのはうれしい限りだ。録音は、ブルックナーの一連の演奏とは異なり、いまだSACD化されていないが、音質はなかなかに鮮明であり、更にSHM−CD化によって若干の音質の向上効果が見られるのも大いに歓迎したい。

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     2011/03/26

    マタチッチは、偉大なブルックナー指揮者であった。1990年代に入って、ヴァントや朝比奈が超絶的な名演の数々を生み出すようになったが、1980年代においては、まだまだブルックナーの交響曲の名演というのは数少ない時代であったのだ。そのような時代にあって、マタチッチは、1960年代にシューリヒトが鬼籍に入った後は、ヨッフムと並ぶ最高のブルックナー指揮者であったと言える。しかしながら、これは我が国における評価であって、本場ヨーロッパでは、ヨッフムはブルックナーの権威として広く認知されていたが、マタチッチはきわめてマイナーな存在であったと言わざるを得ない。それは、CD化された録音の点数を見れば一目瞭然であり、ヨッフムは二度にわたる全集のほか、ライブ録音など数多くの演奏が発掘されている状況にある。これに対して、マタチッチは、チェコ・フィルとの第5(1970年)、第7(1967年)及び第9(1980年)、スロヴァキア・フィルとの第7(1984年)やウィーン響との第9(1983年)、あとはフィルハーモニア管弦楽団との第3(1983年)及び第4(1954年)、フランス国立管弦楽団との第5(1979年)のライブ録音がわずかに発売されている程度だ。ところが、我が国においては、マタチッチはNHK交響楽団の名誉指揮者に就任して以降、ブルックナーの交響曲を何度もコンサートで取り上げ、数々の名演を成し遂げてきた。そのうち、いくつかの名演は、アルトゥスレーベルにおいてCD化(第5(1967年)、第7(1969年)及び第8(1975年))されているのは記憶に新しいところだ。このように、マタチッチが精神的な芸術が評価される素地が未だ残っているとして我が国を深く愛して来日を繰り返し、他方、NHK交響楽団もマタチッチを崇拝し、素晴らしい名演の数々を成し遂げてくれたことが、我が国におけるマタチッチのブルックナー指揮者としての高い評価に繋がっていることは間違いあるまい。そのようなマタチッチが、NHK交響楽団とともに成し遂げたブルックナーの交響曲の数々の名演の中でも、特に伝説的な名演と語り伝えられてきたのが本盤におさめられた第8だ。しかしながら、既発CDがきわめてデッドで劣悪な音質であることも広く知られており、その結果、窮余の策として、前述のアルトゥスレーベルから発売の1975年盤の方を上位に置かざるを得ない状況が長らく続いていた。そのような中で、今般のBlu-spec-CD化によって、本盤におさめられた伝説的な名演が見違えるような鮮明な音質に生まれ変わっており、これによって漸く長年の渇きが癒されることになったのは慶賀にたえない。本演奏におけるマタチッチのアプローチは、1990年代以降通説となった荘重なインテンポによる演奏ではない。むしろ、早めのテンポであり、そのテンポも頻繁に変化させたり、アッチェレランドを駆使したりするなど、ベートーヴェン風のドラマティックな要素にも事欠かない演奏となっている。それでいて、全体の造型はいささかも弛緩することなく、雄渾なスケールを失っていないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。このようなマタチッチの渾身の指揮に対して、壮絶な名演奏で応えたNHK交響楽団の好パフォーマンスも見事というほかはない。いずれにしても、本演奏は、1980年代以前のブルックナーの第8の演奏の中では、間違いなくトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。そして、現在は発売日未定となっているが、これだけの歴史的名演でもあり、是非ともXRCD化していただき、更なる高音質化を大いに望みたい。

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     2011/03/26

    作曲をする指揮者というのは、現代では少数派と言えるのではないか。かつての指揮者は、一つのオーケストラにとどまることが多かったが、現代では、世界中を飛び回って数多くのコンサートを指揮しなければならないというきわめて繁忙な状況にあり、とても作曲にまでは手が回らないというのが実情ではないだろうか。現役の指揮者ではスクロヴァチェフスキやマゼール、ブーレーズなどが掲げられるが、それ以外の指揮者は、作曲はできるのかもしれないが、作曲をしているという話自体がほとんど聞こえてこないところだ。少し前の時代に遡ってみれば、バーンスタインやブリテンがいたし、更に、マタチッチよりも前の世代になると、クレンペラーやフルトヴェングラー、マルティノンなど、いわゆる大指揮者と称される者が目白押しである。もちろん、現在では、作曲家としての認知が一般的なマーラーやR・シュトラウスも、当時を代表する大指揮者であったことに鑑みれば、かつては、指揮者イコール作曲家というのは、むしろごく自然のことであったと言えるのかもしれない。ただし、昨今の指揮者兼作曲家が作曲した楽曲が名作と言えるかどうかは議論の余地があるところであり、マーラーやR・シュトラウスなどはさすがに別格ではあるが、前述の指揮者の中で、広く世に知られた名作を遺したのは、大作曲家でもあったブリテンを除けば、ウェストサイドストーリーなどで有名なバーンスタインだけではないかとも考えられる。マタチッチも、そのような作曲をする指揮者の一人であるが、その作品が広く世に知られているとは到底言い難い。ヨーロッパでは二流の指揮者の扱いを受けていたマタチッチは、自作を演奏する機会などなかなか巡って来なかったのではないかと考えられるが、マタチッチが、最後の来日の際の条件として、自作の対決の交響曲の演奏を掲げたことも、そうしたマタチッチのヨーロッパでの不遇のあらわれと言えるのかもしれない。対決の交響曲は、私も本CDではじめて耳にする楽曲であり、加えて既発CDも持っていないので、今般のBlu-spec-CDとの音質の比較をすることもなかなかに困難である。ただ、従来CDではなく、Blu-spec-CDであるということで、音質が非常に鮮明であるということは十分に理解できるところであり、その結果、マタチッチの手による対決の交響曲が、細部に至るまで鮮明に表現されているということについては、本CDは十分に評価に値すると言えるのではないか。対決の交響曲は、現代音楽特有のいささか複雑な楽想や構成、不協和音なども散見されるものの、比較的親しみやすい旋律も随所に満載であり、この作品を名作と評価するにはいささか躊躇するが、マタチッチという大指揮者の作曲家としての力量やその芸術の神髄を味わうことができるという意味においては、意義の大きい名CDと高く評価したいと考える。

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