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Review List of つよしくん 

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  • 4 people agree with this review
     2011/04/14

    ウィーン出身のピアニストであるにもかかわらず、ジャズ音楽に裾野を広げたりするなど、自由奔放な活動が目立つグルダであるが、そのようなグルダが、ベートーヴェンのピアノソナタなどの独墺系の音楽を演奏する際には、自由奔放なグルダはすっかりと影をひそめ、真摯なピアニストに変貌する。実際に、グルダによるベートーヴェンの2度目ピアノソナタ全集(アマデオ)は、現在においてもなお誉れ高き名演と高く評価されている。また、ホルスト・シュタインと組んで録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(英デッカ)も重厚な名演であったが、モーツァルトのピアノ協奏曲においても、そのような真摯な姿勢は変わりがないと言えるのではないか。実際に、本演奏におけるグルダのピアノも、曲想を心を込めて描き出して行くという真摯なものだ。そのアプローチは、いささかも気を衒うことがなく、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えていこうという自然体の姿勢そのものであり、モーツァルトの音楽特有の優美さをいささかも損なっていないのが素晴らしい。それでいて、時として見られる寂寥感の描出についても抜かりはなく、全体として、いかにもドイツ風の重厚かつシンフォニックな演奏を行っている点を高く評価したい。第21番の第3楽章においては、グルダならではの自作のカデンツァを聴くことができるが、ここでは、常々の自由奔放なグルダを垣間見ることが可能であり、演奏全体に新鮮さを与えている点も見過ごしてはならない。このようなグルダを下支えするのが、アバド&ウィーン・フィルの素晴らしい好演ということになるであろう。本演奏は1974年であるが、この当時のアバドは、イタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と、音楽の核心にひた向きに切り込んでいこうという生命力溢れる気迫がマッチングした素晴らしい名演の数々を生み出していたが、本演奏においても、そうしたアバドの指揮は健在であると言える。若きアバドの指揮の下、ウィーン・フィルが素晴らしい演奏を繰り広げている点も特筆すべきであり、演奏全体に適度な潤いと奥行きの深さを与えているのを見過ごしてはならない。録音は1970年代のものとは思えないような鮮明さであるが、数年前に発売されたSHM−CD盤はさらに素晴らしい高音質であった。当該SHM−CD盤は現在入手困難であるが、演奏の素晴らしさに鑑み是非とも再発売を望みたい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/04/12

    スメタナの交響詩「わが祖国」については、楽曲の性格もあり、かつてはチェコ出身の指揮者による名演が幅を利かせていた。古くはターリヒにはじまり、アンチェル、スメターチェク、クーベリック、ノイマン、コシュラーなど、錚々たる重鎮指揮者が民族色溢れる名演を繰り広げてきたのである。もちろん、ドラティ、マタチッチや小林研一郎などの名演もあったが、「わが祖国」の演奏様式に大きな影響を与えるほどではなかったのではないかと考えられる。このような中で、2001年に録音されたアーノンクール盤は、これまでの演奏において主流であった民族色を全面に打ち出す演奏とは異なり、かかる民族色を極力排した純音楽的なアプローチによって、同曲に新しい光を当てた斬新的な名演であり、同曲の演奏様式にある種の革命を起こすような衝撃的な演奏でもあった。チェコの音楽界も、前述のようなお歴々が鬼籍に入り、新しい世代が活躍するようになったこともあって、アーノンクール盤の影響を反映したかのように、民族色をやたら強調するという同曲の演奏様式にも大きな変化の波が押し寄せてきているのではないだろうか。そのような変化の息吹を感じさせる名演が、昨年発売されたフルシャ&プラハ・フィル盤であった。本盤におさめられた、チェコの期待の若手指揮者ネトピルによる演奏も、このような一連の変化の流れの中で生み出された素晴らしい名演と高く評価したい。ネトピルは、もちろんベースには祖国への深い愛着や、それから生じる民族色の濃さがあると思われるが、かつてのお歴々の演奏のようにそれをいささかも強調していない。この点は、前述のフルシャの演奏と同様であろう。大きく違うのは、フルシャは、楽曲の持つ美しさを際立たせた優美な演奏を心掛けていたが、ネトピルは、各交響詩の性格の違いを強調させた、メリハリのある演奏を行っている点であると考える。トゥッティにおける強靭さから、繊細な抒情に至るまで、表現の幅は桁外れに極大であり、畳み掛けていくような気迫や若さ故の力強い生命力にも不足はない。まさしく、前述のフルシャ盤と並ぶ、21世紀における「わが祖国」の新時代を象徴する演奏の具現化であり、今後の同曲の演奏の基調となっていくことが大いに期待される名演とも言える。録音も鮮明であり、素晴らしい高音質に仕上がっている点も高く評価したい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/04/11

    最近では、ベートーヴェンを通り越してロマン派の作曲家にまで広がりつつある古楽器奏法やピリオド楽器による演奏であるが、バッハについては、そうした演奏様式が既に主流となっていることについては論を待たないであろう。しかしながら、かかる演奏様式が芸術的であるかどうかは別問題であり、聴き手を驚かすような演奏はあっても、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのはまだまだ少数派と言えるのではないだろうか。ブランデンブルク協奏曲は、かつてはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンと言った大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを使って、重厚な演奏を繰り広げていた。古楽器奏法やピリオド楽器による演奏様式が主流となった今日において、これらの重厚な演奏を聴くと、とある影響力のある評論家などは大時代的な演奏などと酷評しておられるが、昨今の浅薄な演奏の数々に接している耳からすると、故郷に帰った時のような安らいだ気持ちになり、深い感動を覚えることが多い。最近、SACD&SHM−CD化されて発売されたリヒターの演奏(現時点では第1〜3番のみしか発売されていない)も立派で崇高な名演であるし、先日音楽之友社から発売された名曲名盤300選においても、リヒター盤が堂々の第一位を獲得している。こうしたことからすれば、バッハの演奏様式についても、現代楽器を活用した従来型の演奏を顧みるべき時期に来ていると言えるのかもしれない。そうした機運の更なる起爆剤になりそうなCDこそが、本盤におさめられたアバドによる素晴らしい名演であると考える。アバドの下で演奏している各独奏者や、モーツアルト室内管弦楽団のメンバーは、いずれも前途洋々たる将来性がある若き音楽家たちだ。そうした若き音楽家たちが、現代楽器を使用して、実に楽しげに演奏を行っており、そうした音楽家たちの明るく楽しげな気持ちが音楽を通じて聴き手に伝わってくるのが素晴らしい。本演奏には、フルトヴェングラーなどによる演奏が有していた重厚さはないが、他方、古楽器奏法やピリオド楽器による演奏が陥りがちな軽妙浮薄な演奏にも堕しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。アバドは、大病を克服した後は、音楽に深みと鋭さが加わり、皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督を退いた後は、大指揮者という名に相応しい数々の名演を成し遂げているが、本演奏では、若くて将来性のある音楽家たちをあたたかく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。ブランデンブルク協奏曲を番号順ではなく、ランダムに並べた配列もなかなかにユニークであると評価し得る。録音も鮮明であり、本名演を素晴らしい音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/04/10

    昨年、生誕300年を迎えたペルゴレージは、後の世に活躍したモーツァルトに匹敵する才能を有した作曲家と評されているが、若くして夭折したため、現存する作品はさほど多いとは言えない。ただ、その中でもスターバト・マーテルは、ペルゴレージの代表作であるばかりでなく、その後に作曲された、様々な作曲家の手によるスターバト・マーテルの中でも、随一の傑作の誉れ高き名作(ロッシーニの名作との優劣は議論が分かれるところかもしれない。)である。同作品のこれまでの名演としては、一昨年、声楽曲部門においてレコード・アカデミー賞を受賞したアバド盤(2007年)が記憶に新しい。大病を克服した後、その芸風に深みと鋭さを増したアバドによる滋味溢れる指揮と、若くて才能のある音楽家で構成されたモーツァルト管弦楽団によるフレッシュな息吹を感じさせる清新な演奏が絶妙の魅力を誇っていた。独唱も秀逸であったが、特に、コントラルトのサラ・ミンガルドの名唱が極めて印象的であったことも忘れてはならない。これに対して、本盤は、何と言ってもアンナ・ネトレプコの深みのある名唱が売りと言えるだろう。とてもソプラノとは思えないような重心の低い発声であり、どちらかと言えばオペラ的な発声と言えるもの。これは宗教音楽初挑戦のご愛嬌と言った側面もあろうかとも思うが、楽曲の核心に切り込んで行くような奥行きの深さにおいては、無類の名唱と評価できるのではないだろうか。コントラルトの若きマリアンナ・ピッツォラートも、ネトレプコと一体となって、重厚な歌唱を披露しているのも聴き応え十分である。イタリア指揮界の俊英であるパッパーノの指揮は、さすがに円熟の境地に達したアバドと比較するとどうしても分が悪いと言えるが、それでも、演奏全体に顕著なオペラ的な迫力においては(宗教音楽らしくないとの批判も十分に予測はされるが)、本盤の方をより上位に置きたいと考える。併録の「閉ざされた中心に」におけるネトレプコの思い入れたっぷりの絶唱は我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っているし、「ここは平野、ここは小川」におけるピッツォラートの名唱もネトレプコにいささかも引けを取っていない。シンフォニアも湧き立つような力感に満ち溢れた素晴らしい名演だ。俊英パッパーノの指揮の下、最高のパフォーマンスを示している聖チェチーリア音楽院管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

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  • 1 people agree with this review
     2011/04/10

    パーヴォ・ヤルヴィが手兵シンシナティ交響楽団とともに行った演奏は、これまで数多くのSACDやCD(テラーク)が発売されており、私は、その殆どを名演と高く評価しているが、一つだけやや踏み込み不足の物足りない演奏があると考えている。その一つが、本盤におさめられたチャイコフスキーの悲愴だ。チャイコフスキーの悲愴は、後期3大交響曲集の中でも最もドラマティックな作品であり、古今東西の交響曲の中でもトップの座を争う傑作である。それ故に、数多くの指揮者によって多種多様な個性的名演が成し遂げられてきたが、チャイコフスキーの激情的で起伏の激しい音楽をどれくらいうまく表現できるのかに、演奏の成否がかかっていると言えるだろう。ここでのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって曲想を精緻に丁寧に描いて行くというものであり、どこをとっても情感の豊かさを失わない点については評価に値すると言える。したがって、第1楽章の第2主題や第2楽章などは、チャイコフスキー一流のロシア風のメランコリックな抒情をたくみに歌い上げており、ここは、他の名演と比較しても遜色のない出来であると言える。しかしながら、第1楽章及び第3楽章においては、劇的な表現をやや避けた面も散見され、チャイコフスキーの音楽の神髄に切り込んでいくという鋭さがいささか欠けていると言わざるを得ない。終楽章がなかなかの上出来で極上の美しさを誇っているだけに大変惜しい気がする。チャイコフスキーの演奏には、ムラヴィンスキーのような一部の天才は別として、洗練された純音楽的な表現だけで勝負するのはいささか無理があると考えられるところであり、ある程度の踏み外しとか表情過多になる寸前になるほどの思い切った劇的な表現をしないと、その本質に迫ることははなはだ困難と言えるのではないだろうか。もっとも、パーヴォ・ヤルヴィは、最近、フランフルト放送交響楽団とマーラーの交響曲第2番の名演を成し遂げており、近年の進境著しさを考慮すれば、今後、悲愴のより素晴らしい名演を成し遂げる可能性も十分にあると考える。他方、併録の幻想序曲「ロメオとジュリエット」は、パーヴォ・ヤルヴィの音楽性の豊かさが存分に発揮されるとともに、ドラマティックな要素も兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したい。本盤のメリットは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これらを総合的に勘案して、★4つの評価とするのが至当であると考える。

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  • 0 people agree with this review
     2011/04/10

    ベルリオーズの幻想交響曲は、巧みなオーケストレーションや標題交響曲としてのドラマティックな展開の面白さなどから、古今東西の様々な指揮者によって、多種多様な個性的名演が繰り広げられてきた。特に、フランス系の指揮者には必須のレパートリーであり、ミュンシュやクリュイタンス、モントゥーなどには、それぞれ複数の名演が遺されているほどだ。また、ドイツ系の指揮者にも人気が高く、クレンペラーによる重厚な名演は今なお燦然と輝いているし、カラヤンも三度にわたって絢爛豪華な名演を成し遂げている。鐘の音色にやや違和感があるが、ケーゲルによる心胆寒からしめるような演奏もあった。その他にも、前衛的なブーレーズ(旧盤)による怪演、レコード・アカデミー賞を受賞したチョン・ミュンフンによる名演、2度にわたって名演を成し遂げた小澤など、名演には枚挙にいとまがない。これだけ、数多くの指揮者による多種多様な名演が成し遂げられている理由としては、幻想交響曲にはオーケストラ演奏の醍醐味があるということになるのではないだろうか。このような楽曲になると、パーヴォ・ヤルヴィの卓越した豊かな音楽性は、存分にその力を発揮すると言える。パーヴォ・ヤルヴィは、ベルリオーズの華麗なオーケストレーションを精緻に、そして丁寧に描き出して行く。それでいて、スコアの音符の表層を取り繕った薄味の演奏には陥ることなく、どこをとっても豊かな情感に満たされているのが素晴らしい。また、パーヴォ・ヤルヴィは、各楽章の描き分けを巧みに行うなど、演出巧者ぶりを存分に発揮しており、第1楽章及び終楽章におけるドラマティックな表現にも抜かりはないし、第4楽章の強靭さは圧倒的な迫力を誇っていると言える。いずれにしても、本演奏は、聴き手を驚かすような特別な個性のある演奏とは言い難いが、純音楽的なアプローチで楽曲の持つ魅力をダイレクトに表現するのに成功したという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したい。併録の劇的交響曲「ロミオとジュリエット」からの抜粋も、こうしたパーヴォ・ヤルヴィの演出巧者ぶりが発揮された名演であり、この演奏を聴いて、長大な同曲全曲を聴きたいと思った聴き手は私だけではあるまい。そして何よりも素晴らしいのは、シンシナティ交響楽団の卓越した技量であり、管楽器も弦楽器も最高のパフォーマンスを示していると言える。録音も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、パーヴォ・ヤルヴィの精緻な演奏を鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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  • 8 people agree with this review
     2011/04/10

    仲道郁代は、最近でこそベートーヴェンのピアノソナタ全集や、パーヴォ・ヤルヴィと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の名演によって、稀代のベートーヴェン弾きとの評価が定着しつつあるが、もともとはショパンを得意としていたピアニストであったと言える。仲道自身も、「ショパンがいなかったらピアニストにはならなかった」などと発言するなどショパンへの深い愛着を隠そうとはしておらず、特にモダン楽器を使用しての演奏には定評がある。そのような仲道が、ショパンイヤーを記念して行った録音が、本盤におさめられたピアノ協奏曲第1番及び第2番だ。本演奏の特徴は、オーケストラにピリオド楽器を使用するとともに、何よりもピアノに、ショパンが自分自身を自由に表現できるとして好んで弾いていたプレイエルを使用している点であろう。しかも、1841年製のプレイエルということで、ショパンが使用していたのと同時代のピアノであるということであり、これは、ショパンのピアノ作品を再現するには最高のアイテムということになるのではないだろうか。現代のスタンウェイなどのピアノの音に慣れた耳からすると、聴き手によっては違和感を感じることもあろうかとも思うが、現代のピアノでは表現し得ない独特の繊細さが付加されており、私としては今般のプレイエルの使用を大いに歓迎したい。また、前述のようなピリオド楽器の使用や、ピアノ独奏部分においては弦楽器による独奏も聴かれるなど、ショパンの時代における演奏様式を再現しようという徹底ぶりには、指揮者とピアニストのこの演奏にかける熱意とあくなき探究心が大いに感じられるのが素晴らしい。このような徹底ぶりは、近年の古楽器奏法やピリオド楽器を活用した演奏にも一部みられるように、学術的には貴重であっても芸術的な感動からはほど遠い浅薄な演奏に陥ってしまう危険性もあるが、本演奏に限ってはそのような危険にはいささかも陥っていない。仲道の馥郁たる情感豊かなピアニズムは、演奏全体が無味乾燥になることを防ぎ、どこをとってもニュアンス豊かなロマンティシズム溢れる演奏に仕立てあげるのに大きく貢献していると言える。有田正弘&クラシカル・プレイヤーズ東京は、もともとバッハなどのバロック音楽の演奏において名を馳せてきた団体であるが、本演奏では、ピリオド楽器の効果的な使用により、仲道が弾くプレイエルのピアノを巧みに引き立てつつ、従来型のショパン演奏に清新さを吹き込んだ点を高く評価したい。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるものとして大いに歓迎したい。

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  • 9 people agree with this review
     2011/04/09

    カラヤンは、ブルックナーの交響曲の第8番を、DVD作品などを除けば、3度スタジオ録音している。その中でも本演奏は3度目の最後の録音に当たるものであるが、ダントツの名演であり、他の指揮者による様々な同曲の名演の中でも、上位にランキングされる至高の名演として高く評価したい。カラヤンの最初の録音は、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃の演奏であり(1957年盤)、カラヤンがいまだベルリン・フィルを必ずしも掌握しきれていないこともあるせいか、立派ではあるがいささか重々し過ぎる演奏になってしまっていた。そして、モノラル録音というのも大きなハンディがあると言わざるを得ない。これに対して、2度目の録音(1975年盤)は、その後に全集に発展する第1弾となったものであるが、カラヤン全盛時代ということもあり、鉄壁のアンサンブルと流麗なレガートの下、金管楽器のブリリアントな響きや肉厚の弦楽合奏、フォーグラーによる雷鳴のようなティンパニなど、いわゆるカラヤンサウンド満載。音のドラマとしては最高ではあるが、ブルックナーというよりはカラヤンを感じさせる演奏であったことは否めない。これら1957年盤及び1975年盤に対して、本盤の演奏は、そもそもその性格を大きく異にしていると言える。ここには、カラヤンサウンドを駆使して圧倒的な音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにもない。第1楽章や第2楽章などにはその残滓がわずかに聴き取れるが、第3楽章以降に至っては、自我を抑制し、虚心坦懐に音楽そのものの魅力をダイレクトに伝えていこうという自然体のアプローチの下、滔々と流れる崇高な音楽が流れるのみだ。カラヤンとしても、最晩年になって漸く到達し得た忘我の境地、至高・至純の清澄な境地であると言うべきであり、これほどの高みに達した名演は、神々しささえ感じさせる荘厳さを湛えているとさえ言える。このようなカラヤンとともに、美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げたウィーン・フィルの好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。録音については従来CDでも十分に鮮明ではあるが、いまだにSACD化どころか、SHM−CD化すらされていないのは、非常に不思議な気がしている。歴史的な名演でもあり、今後、更なる高音質化を大いに望みたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/04/09

    朝比奈隆はブルックナーの交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。本盤におさめられた第8の演奏は、1990年代前半に完成させた朝比奈による3度目の全集に含まれるものである。3度目の全集に含まれる演奏は、いずれ劣らぬ素晴らしい名演揃いであるが、その中でも第8は、第3及び第9に並ぶ素晴らしい名演であると言える。それどころか、朝比奈が録音したブルックナーの第8の中でも、NHK交響楽団と録音した1997年盤、大阪フィルとの最後の演奏となった2001年盤と並んで、3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。朝比奈は、ブルックナーの交響曲の中でも第5とこの第8を得意としていたことはよく知られているところだ。その理由はいくつか考えられるが、つまるところ朝比奈の芸風に最も符合した交響曲であったからではないだろうか。朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。スコアに記された音符を一つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう(カラヤン&ウィーン・フィルによる1988年盤を除く。)。俺はブルックナーの第8をこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの同曲への解釈はあるのだが、そうした自我を極力抑え、同曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい(最晩年のベルリン・フィル盤(2001年)及びミュンヘン・フィル盤(2000年)を除く。)。本盤で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であり、特に終結部のドランペットが殆ど聴こえないというのは致命的とも言えるが、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。録音はマルチチャンネル付きのSACDであり、朝比奈による崇高な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 1 people agree with this review
     2011/04/09

    本盤には、エルガーの傑作であるエニグマ変奏曲と、ブリテンの有名な管弦楽曲2曲がおさめられているが、いずれも名演だ。パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇る指揮者であり、発売されるCDの多種多様ぶりやその質の高さに大変驚かされるが、本名演によって、イギリス音楽においても名演を成し遂げることが可能なことを広く認知させるのに成功したと言えるだろう。北欧出身の指揮者であるだけに、既発CDで見ても、シベリウスの第2やトゥヴィンの第5、ステンハンマルの第2などで見事な名演を成し遂げているだけに、北欧音楽との親近性が囁かれるイギリス音楽においても名演を成し遂げたのは当然と言えるのかもしれない。実際に、一昨年に発売された、イギリス音楽の人気作でもあるホルストによる組曲「惑星」も素晴らしい名演であり、今後、他のイギリス音楽にも、更なるレパートリーの拡充を図っていただくように大いに期待したいと考える。それはさておき、本盤におさめられた各楽曲におけるパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって純音楽的な自然体のものと言える。恣意的な解釈などを行うことを避け、曲想を精緻に丁寧に描いて行くというものだ。音楽は滔々と流れるとともに、どこをとっても情感の豊かさを失うことはない。したがって、イギリス音楽特有の詩情の豊かさの描出にはいささかも不足はなく、これは正にパーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性の面目躍如と言ったところではないかと考える。エニグマ変奏曲における各変奏曲や、ブリテンの4つの間奏曲における各間奏曲の描き分けの巧みさも特筆すべきであり、パーヴォ・ヤルヴィの演出巧者ぶりが見事に発揮されていると高く評価したい。シンシナティ交響楽団も、パーヴォ・ヤルヴィの統率の下、最高のパフォーマンスを誇っており、とりわけパーセルの主題による変奏曲とフーガ(「青少年のための管弦楽入門」という曲名は、楽曲の内容の充実度からしても私は全く好みではない。)では、あたかも同楽団の各奏者が、その卓越した技量を披露する品評会のような趣きさえ感じさせる。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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  • 5 people agree with this review
     2011/04/09

    ラヴェルの有名な管弦楽曲をおさめたCDであるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。ラヴェルの管弦楽曲は、その光彩陸離たる華麗なオーケストレーションからきわめて人気が高く、これまで数多くの指揮者によって名演が成し遂げられてきた。クリュイタンスやアンセルメ、マルティノン、デュトワなどのフランス系の指揮者によるフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいのある名演、歌謡性豊かなジュリーニやアバドによる名演、ラヴェルの心眼を鋭く抉り出すようなインバルによる異色の名演、オーケストラ演奏の醍醐味を味わうことが可能なカラヤンによる重厚な名演など、多種多様な名演が目白押しである。こうしたあまたの個性的な名演の中で、本盤のパーヴォ・ヤルヴィによる名演の特徴を掲げるとすれば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した純音楽的な名演と言うことになるのではないだろうか。パーヴォ・ヤルヴィは、同じく印象派のドビュッシーの管弦楽曲集で行ったアプローチと同様に、ラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが施された曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していく。確かに、ここには聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではなく、奇を衒ったり恣意的な解釈など薬にしたくもないが、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、常にコクのあるニュアンス豊かな音楽が流れていく。このような自然体とも言える純音楽的なアプローチによって、我々聴き手は、ラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを深い呼吸の下で、ゆったりとした気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。これは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性の証左であると考える。パーヴォ・ヤルヴィの薫陶を受けたシンシナティ交響楽団も、その圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器、そして弦楽器なども卓越した技量を披露しているのが素晴らしい。また、このようなラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを精緻に表現した名演を、マルチチャンネル付きのSACDという望み得る最高の鮮明な音質で味わえるという点についても、高く評価したいと考える。

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     2011/04/07

    ベームは、いわゆるブルックナー指揮者とは言い難いのではないだろうか。ドレスデン・シュターツカペレとともに第4及び第5、ウィーン・フィルとともに第3、第4、第7及び第8をスタジオ録音しており、これ以外にも若干のライブ録音が存在しているが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの各交響曲全集を録音した指揮者としては、必ずしも数多いとは言えないのではないかと考えられる。しかしながら、遺された録音はいずれも決して凡演の類ではなく、特に、ウィーン・フィルと録音した第3及び第4は、他の指揮者による名演と比較しても、今なお上位にランキングされる素晴らしい名演と高く評価したい。ところで、この第3(1970年)と第4(1973年)についてであるが、よりベームらしさがあらわれているのは、第3と言えるのではないだろうか。ベームの演奏の特色は、堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響き、峻厳たるリズム感などが掲げられると思うが、1970年代初頭までは、こうしたベームの特色が存分に発揮された名演が数多く繰り広げられていた。しかしながら、1970年代後半になると、リズムが硬直化し、テンポが遅くなるのに併せて造型も肥大化することになっていった。したがって、スケールは非常に大きくはなったものの、凝縮度が薄くなり、それこそ歯応えのない干物のような演奏が多くなったことは否めない事実である(ドレスデン・シュターツカペレを指揮したシューベルトのザ・グレイトのような例外もあり)。第4は、そうした硬直化にはまだまだ陥っているとは言えないものの、どちらかと言えば、ウィーン・フィルによる美演を極力活かした演奏と言うことができるところであり、名演ではあるが、ベームらしさが発揮された演奏とは言い難い面があるのではないだろうか。これに対して、本盤の第3は、徹頭徹尾ベームらしさが発揮された演奏ということが可能だ。堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響きは相変わらずであり、峻厳たるリズムで着実に進行していく音楽は、素晴らしいの一言。全体のスケールはさほど大きいとは言えないが、ヴァント&ケルン放送交響楽団盤(1981年)よりははるかに雄渾と言えるところであり、これだけの凝縮化された密度の濃い音楽は他にもあまり例はみられない。金管楽器がいささか強すぎるきらいもないわけではないが、全体の演奏の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと考える。ブルックナーの第3の他の名演としては、1990年代に入って、朝比奈&大阪フィル盤(1993年)が登場するが、それまでは本演奏はダントツの名演という存在であった。朝比奈盤に次ぐのが、ヴァント&北ドイツ放送交響楽団盤(1992年)であると考えるが、本演奏は、現在でもこれら両名演に次ぐ名演の地位をいささかも譲っていないと考える。SHM−CD化によって、従来CDよりも音場が広がるとともに、音質も若干ではあるが鮮明さを増している点も評価したい。

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     2011/04/06

    グールドとカラヤンという異色の組み合わせが話題を呼んだ、1957年のベルリンでの記念碑的なコンサートにおける歴史的な演奏の登場だ。本盤には、当日のコンサートの演目のうち、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」を除いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とシベリウスの交響曲第5番がおさめられている。本演奏はモノラル録音であり、音質も必ずしも鮮明とは言い難いが、本国内盤の登場は、その演奏の質の高さや歴史的な価値に鑑みて、大いに歓迎すべきであると考える。まずは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番であるが、これが意外にもまともな演奏であるというのに大変驚かされた。聴く前は、グールドが何か聴き手を驚かすような奇手を講ずるのではないかと思ったのだが、そのアプローチは実にオーソドックスそのもの。バーンスタインを辟易させるような超スローテンポで演奏したピアノ協奏曲第1番とは別人のような正統的なテンポで、堂々たるピアニズムを披露していると言える。帝王への道を駆け上がりつつあったカラヤンへの遠慮や崇敬もあったのかもしれないが、いずれにしても、重厚で立派な名演であることは疑いようがない。ベルリン・フィルも、オーケストラの音色などにいまだフルトヴェングラー時代の残滓があった時期でもあり、壮年期のカラヤンによる気迫溢れる指揮とその圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルが醸し出すドイツ風の重心の低い音色によって、グールドのピアノをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。他方、シベリウスの第5番は、本盤以外にも4度にわたってスタジオ録音しているカラヤンの十八番とも言うべき交響曲だけに、本演奏は至高の超名演と高く評価したい。本演奏は、他のスタジオ録音とは異なり、ライブでこそその真価を発揮すると言われる壮年期のカラヤンならではの、生命力溢れる力強さが持ち味であると言えるところであり、それでいて、北欧の大自然を彷彿とさせる繊細な抒情美においてもいささかの不足もない。私しては、これまでカラヤンによるシベリウスの第5の演奏の中では、1965年盤(DG)を随一の名演と高く評価してきたが、今後は、本演奏も、それとほぼ同格の名演と位置付けたいと考える。本盤で惜しいのは、前述のように、録音が鮮明とは言えない点であるが、1957年という、今から50年以上も前のライブ録音であるということに鑑みれば、致し方がないと言えるのかもしれない。

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     2011/04/05

    ステンハンマルは、同時代のシベリウスやニールセンと並ぶスウェーデンの大作曲家であるにもかかわらず、その作品は殆ど知られていないという嘆かわしい状況にある。ステンハンマルは、管弦楽曲や協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲など、多岐にわたるジャンルにおいて数々の名作を遺しているが、その代表作と言えば、やはり交響曲第2番ということになるのではないだろうか(セレナードを掲げる者もいるかもしれない。)。交響曲第1番は、ブルックナーなどのドイツロマン派の影響を多分に受けた作品であり、ステンハンマルの個性が必ずしも発揮されているとは言え難いし、交響曲第3番は断片しか遺されていない(ピアノ協奏曲に転用されている。)ことを考慮に入れると、ステンハンマルの個性が発揮された名作は、やはりこの交響曲第2番ということになるのは論を待たないところだ。同曲のこれまでの録音としては、既に廃盤になっているものも含めると、マン(1959年)、ヴェステルベリ(1978年)、ネーメ・ヤルヴィによる2つの録音(1983年及び1993年)、スンドクヴィスト(1996年)、パーヴォ・ヤルヴィ(1999年)の6種である。このうち、最も優れた名演として評価が高いのはヴェステルベリ盤であるが、これは今では廃盤で入手難である。これに次ぐのが、録音がいささか鮮明ではないがマン盤であり、これは現在でも入手可で、既にレビューを投稿済みであるので、そちらを参照されたい。他の演奏も決して悪い演奏ではなく、それぞれ一聴の価値がある演奏であり、この知られざる傑作を演奏する指揮者の見識とレベルの高さのほどをうかがい知ることが可能だ。本盤は、同曲の10年ぶりの新録音であり、まずは、このような知られざる傑作の録音を試みたという姿勢を高く評価したい。演奏内容も、学生オーケストラによる演奏とは言えども十分に水準以上のものであり、私としては名演と評価するのにいささかも躊躇しない。私としては、このような知られざる傑作こそは、有名指揮者がもっと積極的に演奏して、それこそ国内盤で発売されることを大いに期待するものである。私は未聴であるが、かつて知人から、ブロムシュテットがNHK交響楽団を指揮して同曲を演奏して大変感動したと聞いている。ブロムシュテットは、ステンハンマルと同郷のスウェーデン人であり、シベリウスやニールセンの交響曲全集を録音した実績もある(シベリウスは名演とは言い難いが、ニールセンは名演と評価できる。)。既に80歳を超えて高齢ではあるが、できれば、ブロムシュテットによる同曲の録音を大いに期待したいものだ。

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     2011/04/04

    ハルヴォルセンの管弦楽作品集の第3弾であるが、第1弾及び第2弾と同様に、知る人ぞ知る作曲家の名作を広く認知させるのに大きく貢献する素晴らしい名演だ。ネーメ・ヤルヴィは、広範なレパートリーを誇る指揮者であり、一般にはあまり知られていない作品などについても数多く録音してきた。ただ、そのすべてが名演というわけではなく、一部の作品の演奏については粗製濫造との批判があったのも事実である。しかしながら、北欧の作曲家の作品については、ヤルヴィ自身が北欧エストニア出身ということもあり、当たり外れが殆どない名演揃いであると言えよう。本盤も、そうしたヤルヴィ得意の北欧の作曲家の作品だけに、第1集及び第2集に劣らない名演を成し遂げていると言える。ハルヴォルセンは、やや前の世代のグリーグと比較すると、ノルウェー国内は別としてその作品は殆ど認知されておらず、知る人ぞ知る存在に甘んじている。作品の質の高さ、とりわけ交響曲などの大規模な作品については、グリーグを上回る事績を遺しているにもかかわらず、現在においてもそのような存在にとどめおかれているというのは、大変残念な事態であると言えるだろう。本盤には、ハルヴォルセンが作曲した最後の交響曲である第3番を軸として、世界初録音となる黒鳥やカラスの森のワタリガラスの結婚をはじめ、管弦楽の小品がおさめられているが、いずれも、グリーグ以上に北欧の大自然を彷彿とさせる親しみやすい旋律の数々が盛り込まれた名作揃いである。特に、交響曲第3番については、ハルヴォルセン自身が抒情交響曲と称したことからもわかるように、北欧の白夜を思わせるような繊細な抒情に満ち溢れた美しい旋律が満載の作品であるが、ヤルヴィは、聴かせどころのツボを心得た見事な演奏を行っているのが素晴らしい。とりわけ第2楽章のような抒情的な箇所では心を込め抜いて歌い抜くなど、情感の豊かさにおいてもいささかの不足はない。黒鳥、結婚行進曲、カラスの森のワタリガラスの結婚、フォッセグリムといった各小品も、北欧音楽を得意とするヤルヴィの面目躍如たる名演に仕上がっているが、特に素晴らしいのは、フォッセグリムとベルゲンシアーナであろう。これら両曲を構成する各組曲や変奏曲を巧みに描き分け、楽曲全体を的確に纏めあげているのは、今や老匠となったヤルヴィならではの卓越した至芸であると言える。録音も鮮明であり、素晴らしい音質であると評価したい。

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