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3 people agree with this review 2011/04/24
本盤は、プロコフィエフの交響曲第5番と組曲「キージェ中尉」の人気作をおさめているが、いずれもそれぞれの楽曲の魅力を満喫させてくれる素晴らしい名演だ。我々聴き手に、何と素晴らしい曲なのだろう、と思わせてくれるのが何よりも本名演の優れたところであり、このことは指揮者にとっても最高の栄誉であるとも言える。正に、パーヴォ・ヤルヴィの音楽性豊かな自然体のアプローチが功を奏していると言えるだろう。これら両曲の演奏において、パーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻に丁寧に描き出していく。プロコフィエフの管弦楽法には独特のものがあり、これら両曲においても不協和音を駆使したいわゆる音の濁りというものが散見されるのだが、パーヴォ・ヤルヴィは、そうした不協和音についても、オブラートに包んだりはせずに、明瞭に音を響かせている。したがって、プロコフィエフがスコアに記した音楽の全てを完全に鳴らし切ることにつとめていると言えよう。では、単にスコアに記した音符を音化しただけの内容の薄い浅薄な演奏になっているのかというと、決してそのようなことにはなっていない。演奏のどこをとってもコクがあり、豊かな情感に満ち溢れていると言える。ここに、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性が感じられるところであり、聴き手は、深い呼吸の下にゆったりとした気持ちでプロコフィエフの魅力的な音楽を味わうことができるのだ。確かに、この演奏には、ロシア風の民族色を全面に打ち出したあくの強さであるとか、聴き手を驚かせるような特別な個性があるわけではない。しかしながら、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えてくれるという意味においては、過去のいかなる名演と比較しても遜色のない名演と高く評価したい。シンシナティ交響楽団も、パーヴォ・ヤルヴィの統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器なども色彩感溢れる素晴らしい音色を出しているのが素晴らしい。これは、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶の賜物と言っても過言ではあるまい。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値をより一層高めていることも忘れてはならない。
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11 people agree with this review 2011/04/23
本盤におさめられた演奏は、マーラーの第9演奏史上最も美しい演奏であるだけでなく、カラヤン&ベルリン・フィルが成し遂げた数々の名演の中でも究極の美を誇る至高の超名演と高く評価したい。カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代というのは1960年代及び1970年代というのが大方の見方だ。1982年末になると、ザビーネ・マイヤー事件が勃発し、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能になるまで悪化するが、それ以前の全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏はそれは凄いものであった。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器による朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどを展開するベルリン・フィルをカラヤンは卓越した統率力で纏め上げ、流麗なレガートを駆使して楽曲を徹底的に美しく磨きあげた。そうして生み出された演奏は、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべきものであり、かかる演奏に対しては、とある影響力のある某音楽評論家などは精神的な内容の浅薄さを批判しているが、それを一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。本演奏は、前述のザビーネ・マイヤー事件が勃発する直前にライブ録音されたものであり、カラヤン&ベルリン・フィルが構築し得た最高の音のドラマがここにあると言えるだろう。スタジオ録音に固執しライブ録音を拒否してきたカラヤンが、本演奏の3年前にスタジオ録音した同曲の演奏(1979年)を、当該演奏も完成度が高い名演であるにもかかわらず、本ライブ盤に差し替えたというのは、カラヤン自身としても本演奏を特別視していた証左であると考えられる。マーラーの第9には、バーンスタイン&COA盤(1985年)やワルター&ウィーン・フィル盤(1938年)といった、マーラーが同曲に込めた死への恐怖と闘いや生への妄執や憧憬を音化したドラマティックな名演があり、我々聴き手の肺腑を打つのはこれらドラマティックな名演であると言える。これに対して、カラヤンによる本演奏は、それらのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にある演奏であり、ここには前述のような人間のドラマはいささかもなく、純音楽的な絶対美だけが存在していると言える。しかしながら、その圧倒的な究極の音のドラマは、他の指揮者が束になっても構築不可能であるだけでなく、クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンとしても、晩年になって漸く構築し得た高峰の高みに聳えた崇高な音楽と言えるところであり、バーンスタイン盤などの名演との優劣は容易にはつけられないものと考える。本演奏については、数年前に他の交響曲とのセットでSHM−CD化が図られたが、音質の抜本的な改善は図られなかったと言える。カラヤン&ベルリン・フィルによる究極の超名演であり、可能であれば、現在評判のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望みたい。
11 people agree with this review
3 people agree with this review 2011/04/23
ラフマニノフの第2番は、今や最も人気のある交響曲と言えるだろう。30年ほど前までは、ロシア系の指揮者は別として、プレヴィンなどの一部のラフマニノフを信奉する指揮者のみによる演奏に限られていたことを考えると隔世の感がある。プレヴィンによる完全全曲版の復刻というのも大きいとは言えるが、マーラーブームの到来などにより、重厚長大な交響曲に対する聴き手のアレルギーが相当程度払拭されたことも、その理由の一つではないかと考える。もちろん、テレビドラマにおいて、第3楽章の名旋律が使用されたことを理由に掲げることに躊躇するつもりはない。いずれにしても、演奏に60分程度を要する重厚長大な交響曲ではあるが、ロシアの悠久の大地を思わせるような壮大なスケールや、ロシアへの郷愁が漂うメランコリックな旋律の美しさなど、同曲の持つ魅力が、現在の圧倒的な人気を勝ち取る原動力となっていることに疑問を差し挟む余地はないのではないか。これだけの人気曲だけに、現在においてはあまたの名演が生み出されているが、それらの性格を分析すると、大きく2つに分類できるのではないかと考える。それは、ロシア風の民族色を全面に打ち出した演奏と、純音楽的な洗練された美しさを誇る演奏の2つであり、前者は、主としてスヴェトラーノフやゲルギエフ(特に、ロンドン響との2008年盤)などによる名演、後者はデュトワやラトルなどによる名演が掲げられる。プレヴィンやオーマンディなどの名演は、これらの中間に分類されると言えるのかもしれない。それでは、本盤のパーヴォ・ヤルヴィの演奏はどのように分類すべきであろうか。私としては、デュトワやラトルの名演に繋がる純音楽的な名演と高く評価したい。パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していくというものだ。したがって、ロシア風の民族色をやたら強調したり、聴き手を驚かすような特別な個性的解釈を施すことはいささかもないが、楽曲の魅力を自然体で表現し、聴き手がゆったりとした気持ちでその魅力を味わうことができる点を高く評価したい。このような名演を可能にしたのは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性と、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶により好パフォーマンスを示したシンシナティ交響楽団の卓抜した技量の賜物であると考える。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。
2 people agree with this review 2011/04/23
ブルッフはブラームスと同時代のドイツ人作曲家であるが、本盤におさめられたヴァイオリン協奏曲第1番、そしてスコットランド幻想曲やコル・二ドライは非常に有名であるが、その他の楽曲は殆ど知られていないと言っても過言ではない。これらの有名作品以外にも、交響曲や協奏曲、室内楽曲、合唱曲など多岐にわたる質の高い作品を数多く作曲し、ブラームスもその作品を高く評価していたにもかかわらず、現在のブルッフの前述の3曲以外の作品に対する評価はあまりにも低すぎると言わざるを得ない。このような非常に嘆かわしい状況にある中で、本盤のように、ヴァイオリン協奏曲第1番以外の名作がおさめられたCDが発売されたというのは、大変に喜ばしいことと言わざるを得ない。そして、演奏についても素晴らしい名演と高く評価したい。まずは、メインのヴァイオリン協奏曲第1番であるが、グルズマンの思い入れたっぷりの豊かな情感に満ち溢れたヴァイオリンが素晴らしい。同曲は、ドイツ音楽とは思えないような甘美なメロディが売りの作品であるが、そうした甘美な名旋律を、グルズマンはこれ以上は求め得ないような陶酔的な演奏で、旋律を徹底的に歌い抜いている。同曲の演奏には、これまでも様々な名演があるが、美しさと言った点においては、グルズマンの名演はあまたの名演の中でも上位にランキングされるのではないかと考える。リットン指揮のベルゲン・フィルも、劇音楽「ペールギュント」などにおいて成し遂げた名演と同様に、北欧のオーケストラならではのいささかも華美に走ることがない、抒情豊かな潤いのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。ロマンスは、ブルッフ自身がヴィオラパートをヴァイオリンに編曲したものであるが、ここでもグルズマンの情感豊かで美しさの極みとも言えるヴァイオリンを満喫することが可能だ。遺作の弦楽五重奏曲も、この曲の持つロマン的な抒情を情感豊かに描出した至高の名演と高く評価したい。グルズマンを含めた若き奏者たちの息の合った絶妙のアンサンブルも見事というほかはない。さらに、本盤の魅力は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音にあると言える。ブルッフの甘美な名旋律の数々を、鮮明な高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
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6 people agree with this review 2011/04/22
悠揚迫らぬ素晴らしい名演だ。ベートーヴェンの第9の名演としては、フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管弦楽団によるドラマティックな超名演(1951年)の印象があまりにも強烈であるが、当該名演とは対照的に、微動だにしないゆったりとしたインテンポによって曲想を精緻に、そして格調高く描き出しているクレンペラーによる重厚な名演もまた、格別な味わいに満ち溢れていると言える。クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、とりわけ木管楽器をやや強めにするのはユニークであると言えるが、いささかも無機的な演奏に陥ることがなく、どこをとっても彫の深い音楽が紡ぎ出されていく。巧言令色などとは全く無縁であり、飾り気が全くない微笑まない音楽であるが、これは正に質実剛健な音楽と言えるのではないだろうか。全体の造型はきわめて堅固であるがスケールは極大であり、いずれにしても、本演奏は、前述のフルトヴェングラーによる名演も含め、古今東西の様々な指揮者による名演の中でも、最も峻厳で剛毅な名演と高く評価したい。独唱陣はいずれも優秀であるが、とりわけバリトンのハンス・ホッターとメゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒは比類のない名唱を披露していると言える。クレンペラーの統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。録音は、今から50年以上も前のものではあるがステレオ録音であり、前述のフルトヴェングラーによる演奏などと比べると、条件的には恵まれた状況にあると言える。現時点では本HQCD盤がベストの音質であるとは言えるが、前述のフルトヴェングラーによる1951年盤がSACD化されたことによって素晴らしい高音質に蘇ったことを考えると、抜本的な音質改善が図られたとは言い難い。クレンペラーによる至高の名演であることもあり、今後SACD化を行うなど更なる高音質化を大いに望みたい。
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3 people agree with this review 2011/04/20
冒頭の2つの和音からして胸にずしりと響いてくるものがある。その後は微動だにしないゆったりとしたインテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さを失うことなく描き出して行く。クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。木管楽器をやや強めに演奏させるのは、いかにもクレンペラーならではのものであるが無機的になることはなく、どこをとっても彫の深さが健在であると言える。全体の造型はきわめて堅固であると言えるが、スケールは極大であり、悠揚迫らぬ重量感溢れる音楽が構築されている。エロイカには、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる1944年盤(ウラニア)及び1952年盤(EMI)という至高の超名演が存在しており、この2強を超える演奏を成し遂げることは困難を極めると言える(私見ではあるが、この2強を脅かすには、カラヤンのように徹底した音のドラマの構築という、音楽内容の精神的な深みを追及したフルトヴェングラーとは別の土俵で勝負する以外にはないのではないかと考えている。)が、クレンペラーによる本演奏は、そのスケールの雄大さや仰ぎ見るような威容、演奏の充実度や重厚さにおいて、前述の2強に肉薄する素晴らしい名演と高く評価したい。併録の歌劇「フィデリオ」序曲や「レオノーレ」序曲第3番も、いかにもクレンペラーならではの重厚でスケール雄大な名演だ。録音は、今から50年以上も前のものではあるがステレオ録音であり、前述のフルトヴェングラーによる演奏などと比べると、条件的には恵まれた状況にあると言える。現時点では本HQCD盤がベストの音質であるとは言えるが、前述のフルトヴェングラーによる1952年盤がSACD化によって素晴らしい高音質に蘇ったことを考えると、抜本的な音質改善が図られたとは言い難い。クレンペラーによる至高の超名演であることもあり、今後SACD化を行うなど更なる高音質化を大いに望みたい。
5 people agree with this review 2011/04/19
雄渾の極みとも言うべき至高の超名演だ。クレンペラーは格調の高さをいささかも損なうことなく、悠揚迫らぬテンポで精緻に楽想を描き出している。木管楽器を強調するのはクレンペラーならではのユニークなものではあるが、各楽器を力強く演奏させて、いささかも隙間風が吹かない重量感溢れる重厚な音楽が紡ぎだされていく。ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、微動だにしないインテンポが基調であり、造型は極めて堅固であると言える。第5については、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる至高の超名演(1947年)とは対照的な演奏であると言えるが、そのスケールの雄大さや巨木のような威容、崇高さにおいては、フルトヴェングラーによる超名演にもいささかも引けを取っていないと高く評価したい。第8については、テンポの面だけをとれば、クナッパーツブッシュによる各種の演奏と似通っているとも言えるが、決定的な違いは、本演奏にはクナッパーツブッシュの演奏には存在した遊びの要素が全くないということであろう。したがって、どこをとってもにこりともしない峻厳な音楽が構築されていくが、その仰ぎ見るような威容や演奏の充実度、立派さにおいては、クレンペラーによる本演奏の方をより上位に置きたいと考える。併録の「エグモント」序曲も重厚にしてスケール雄大な素晴らしい名演だ。クレンペラーによるこのような重厚な演奏を聴いていると、昨今の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。録音は、今から50年以上も前のスタジオ録音ではあるがステレオ録音でもあり、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュによる演奏などと比べると、音質面においては恵まれた状況にあると言えるだろう。現時点ではHQCD盤がベストの音質と言えるところであるが、至高の超名演であることもあり、今後SACD化を行うなど更なる高音質化を大いに望みたい。
5 people agree with this review
2 people agree with this review 2011/04/18
一昨年秋に行われた、フランクフルト放送交響楽団の創設80周年記念コンサートでのライブ録音の登場だ。演奏は、パーヴォ・ヤルヴィの近年の充実ぶりをうかがわせる素晴らしい名演と高く評価したい。パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィと同様に、レパートリーが実に幅が広い。ドイツ音楽からフランス音楽、ロシア音楽、東欧や北欧諸国の音楽に至るまで、あまりの広範さに唖然としてしまうほどだ。しかも、レパートリー毎にオーケストラを使い分けているのも特徴であり、ベートーヴェンやシューマンの交響曲、協奏曲はドイツ・カンマー管弦楽団と、マーラーやブルックナーの交響曲はフランクフルト放送交響楽団と、そして、その他の楽曲はシンシナティ交響楽団(2012年以降はパリ管弦楽団?)と録音するというのが基本的な方針であるように思われる。ブラームスも、既にピアノ協奏曲をフランクフルト放送交響楽団と録音しており、そうした方針の下、ドイツ・レクイエムも、フランクフルト放送交響楽団を起用したことになったのではないかと考えられる。本演奏でのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、ある意味では非常にオーソドックスなものと言える。曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くというものだ。もちろん、スコアに記された音符の表層だけをなぞったような浅薄な演奏には陥っておらず、どこをとっても独特のニュアンスがあり、情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。静謐さに満たされた同曲ではあるが、劇的な局面が時としてあらわれるのを特徴としており(例えば第2楽章及び第6楽章の中間部)、そのような局面における畳み掛けていくような気迫や生命力溢れる力強さは、圧巻の迫力を誇っているところであり、パーヴォ・ヤルヴィの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。もっとも、そのような箇所においてもいささかも無機的には陥らず、常に透明感溢れる美しい響きが支配しているというのは、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性の賜物と言えるだろう。ソプラノのナタリー・デセイとバリトンのリュドヴィク・デジエも最高の歌唱を披露しており、世界的にも、その実力において高い評価を得ているスウェーデン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。音質も非常に鮮明かつ瑞々しささえ感じさせるほどの透明感にも満ち溢れており、HQCD化もある程度効果を発揮しているのではないかと考えられる。ただ、最近、フルトヴェングラーの一連の録音のSACD化によって大好評を博しているEMIであり、本盤もSACDで発売して欲しかったという聴き手は私だけではあるまい。
5 people agree with this review 2011/04/17
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タは、すべてのヴァイオリニストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作である。それ故に、これまで数多くのヴァイオリニストによって多種多様な演奏が繰り広げられてきた。これまでの各種の演奏の中には、名演と評されるものもあまた存在しているが、それらすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤におさめられたシェリングによる2度目の録音であると考える。録音年が1967年であり、40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお、本名演に比肩し得る名演があらわれていないのは殆ど驚異的ですらある。クレーメル(2001〜2002年)による2度目の録音も、レコード・アカデミー賞を受賞するなど素晴らしい名演ではあるが、それでも本シェリング盤の地位がいささかも揺らぐものではないと言える。シェリングの演奏が素晴らしいのは、月並みな言い方にはなるが基本に忠実であるということである。同曲は前述のように聖典とも言うべき特別な作品ではあるが、だからと言って何か特別な演奏をしてやろうという気負いや邪心がないのである。あくまでも、徹底したスコアリーディングによって真摯に同曲に接するという姿勢が素晴らしい。これは至極当然のことではあるが、なかなか出来ることではないのだ。その上で、シェリングは、卓越したテクニックをベースとして、格調高く、そして情感豊かに演奏を進めていく。長大な作品ではあるが全体の造型はきわめて堅固であり、フレージングがいささかも崩れることがなく、あらゆる音階が美しさを失うことなく鳴り切っているのは圧巻の至芸と言える。正に、いい意味での非の打ちどころがない演奏であり、その演奏が醸し出す至高・至純の美しさには神々しささえ感じさせるほどだ。これほどの崇高な超名演を超える演奏は、今後ともおそらくは半永久的にあらわれることはないのではないかとさえ考えられる。録音は、40年以上も前のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって、十分に満足し得る音質である。数年前にSHM−CD盤が発売され、それが現時点での最高の高音質ではあるが現在では入手難である。もっとも、同曲演奏史上トップの座に君臨する歴史的な超名演であり、ユニバーサルが誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図って欲しいと考える聴き手は私だけではあるまい。
0 people agree with this review 2011/04/17
本盤にはストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」と「火の鳥」がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。パーヴォ・ヤルヴィは、バレエ音楽「春の祭典」についても、ニールセンの交響曲第5番とのカプリングにより録音を行っているので、これによって手兵シンシナティ交響楽団とともに、ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽をすべて高音質録音で評価の高いテラークレーベルに録音したことになる。パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、春の祭典で行ったものと何ら違いはないと言える。曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、各楽器セクションをバランス良く鳴らしていくというものである。それでいて、スコアに記された音符のうわべだけをなぞるだけの薄味な演奏にはいささかも失っておらず、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが見事であると言える。聴き手を驚かすような奇手を繰り出すことはいささかもなく、解釈自体はオーソドックスなものであるが、各場面の表情豊かな描き分けが実に巧みに行われており、演出巧者ぶりも如何なく発揮されていると言える。要は、ストラヴィンスキーの音楽の魅力をダイレクトに享受することが可能な演奏と言えるところであり、聴き終えた後の充足感においても並々ならないものがあると言える。これは、まさしくパーヴォ・ヤルヴィの豊かな才能と音楽性の勝利と言えるだろう。シンシナティ交響楽団もパーヴォ・ヤルヴィの統率の下卓越した技量を披露しており、その素晴らしい演奏は本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。また、本盤が優れているのは、演奏内容のみならず、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると考える。ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽は光彩陸離にして華麗なオーケストレーションで知られているが、それを精緻に表現したパーヴォ・ヤルヴィによる至高の名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができる意味は極めて大きいと言わざるを得ないだろう。
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7 people agree with this review 2011/04/17
両曲ともに素晴らしい名演だ。現在の様々な指揮者の中で、ショスタコーヴィチの交響曲の名演を成し遂げる可能性がある指揮者と言えば、これまでの実績からして、本盤のゲルギエフのほかは、インバル、ラトルなどが掲げられると思うが、インバルは、ウィーン交響楽団との全集完成以降は新たな録音が存在せず、ラトルも第4の超名演以外には論ずるに値する名演を成し遂げているとは言い難い。他の指揮者による名演もここ数年間は成し遂げられていないという現状に鑑みると、現在では、ショスタコーヴィチの交響曲の演奏についてはゲルギエフの独壇場と言えるのかもしれない(もっとも、昨年発売された若手指揮者のクルレンツィスによる交響曲第14番「死者の歌」は名演であったが)。いずれにしても、本盤におさめられた名演は、このような考え方を見事に証明するものと言えるだろう。特に、第10番が壮絶な名演だ。第10番の過去の名演としては、初演者として同曲が有する精神的な深みを徹底して追及したムラヴィンスキーの名演(1976年)と、鉄壁のアンサンブルと卓越した管楽器奏者の技量によって、圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンの名演(1981年)が双璧であると考えられる。ゲルギエフは、この両雄の薫陶を受けた指揮者であるが、本盤の演奏は、どちらかと言うと、ムラヴィンスキーの系列に繋がるものと言える。全体として堅固な造型を構築しつつ、畳み掛けていくような緊迫感や、生命力溢れる力強さは圧巻の迫力を誇っていると言える。スコアに記された音符の表層をなぞるだけでなく、スターリン時代の粛清や死の恐怖などを描いたとされている同作品の本質をこれだけ音化し得た演奏は、おそらくはムラヴィンスキー以来はじめてではないかとさえ思われるほどだ。その壮絶とも言える圧倒的な迫力は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。他方、第3番は、ショスタコーヴィチの各交響曲の中でも、第2番と並んであまり演奏されない楽曲と言えるが、ゲルギエフは、同曲においても、楽曲の本質を抉り出していくような鋭さを感じさせる凄みのある演奏を披露しており、おそらくは、同曲演奏史上ベストを争う名演と高く評価したい。ゲルギエフの統率の下、手兵マリインスキー劇場管弦楽団は最高のパフォーマンスを示していると言える。マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。
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6 people agree with this review 2011/04/16
ベームは、ベートーヴェンの交響曲全集を完成させるなど、ベートーヴェンを重要なレパートリーとしていたが、ライブ録音も含め数あるベームによるベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも最高の名演は、本盤におさめられた田園ということになるのではないか。それどころか、他の指揮者による田園の名演の中でも、ワルター&ウィーン・フィル(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団(1958年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。なお、ベームには、1977年の来日時のライブ録音(1977年)もあるが、オーケストラの安定性などを含めて総合的に評価すると、本演奏の方をより上位に置きたいと考える。ワルターが、田園を情感豊かに描き出したのに対して、ベームの演奏は重厚でシンフォニックなものだ。全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。スケールも雄渾の極みであり、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさにおいても、いささかも不足することはない。テンポは全体として非常にゆったりとしたものであるが、最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。このようなベームの重厚でシンフォニックな演奏に適度な潤いと深みを与えているのが、ウィーン・フィルによる素晴らしい演奏だ。その演奏は、正に美しさの極みであり、とりわけウィンナ・ホルンなどの朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力があると言える。また、本盤には、シューベルトの第5がカプリングされているが、これまた素晴らしい名演だ。ベームのシューベルトは、堅固な造型の中にも、豊かな情感が満ち溢れており、硬軟併せ持ついい意味でのバランスのとれた演奏と言える。私見ではあるが、ワルターとクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。録音も、リマスタリングを繰り返してきたこともあって通常CDでも比較的鮮明な音質である。数年前に発売されたSHM−CD盤はさらに高音質であったが、現在は入手困難のようである。演奏史上にも残る超名演だけに当該SHM−CD盤の再発売、さらには今後のSACD&SHM−CD化を大いに望みたい。
4 people agree with this review 2011/04/16
デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録と言えるところであり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。特に、第1〜第5は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける第6や第7を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。私事で恐縮であるが、私も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。最初の全集において、いささか透明感に欠けていた第6及び第7についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。本盤は、かつて通常CDで発売されていて、唯一SACD化されていなかった第5及び第6をSACD化したものである。シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。
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7 people agree with this review 2011/04/16
ゲルギエフ&ロンドン交響楽団の近年における進境の著しさを表す一枚だ。この黄金コンビは、ドビュッシーと同じフランス印象派の大作曲家であるラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲においても、その録音の超優秀さも含めて、極めて優れた名演を成し遂げているが、本盤のドビュッシーも、ラヴェルに勝るとも劣らない至高の名演と高く評価したい。ラヴェルもそうであったのだが、ドビュッシーの場合も、その極上の最優秀録音についてまずは指摘をしておきたいと考える。ドビュッシーの管弦楽曲は、フランス印象派ならではの精緻にして繊細であり、なおかつ光彩陸離たるオーケストレーションが満載であり、これを完璧に再現するためには、録音が鮮明であることが必要不可欠である。マルチチャンネル付きのSACDであれば、なおさら理想的な音質であると言えるところであり、本盤も、そうした臨場感溢れる極上の高音質録音によって、ドビュッシーの管弦楽曲のおける魅力的なオーケストレーションを大いに満喫することができるのが何よりも素晴らしいと言える。ゲルギエフは、ヴァイオリンの両翼型配置を採用しているとのことであるが、各ソロ奏者の卓抜した技量も含め、オーケストラを構成する各奏者の位置関係を明瞭に聴き取ることが可能であるというのは、正にドビュッシーの管弦楽曲を鑑賞する醍醐味があると言うべきであろう。演奏も、前述のように素晴らしい名演だ。交響詩「海」は、オペラにおいても数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの演出巧者ぶりが際立っており、3つの場面の描き分けはきわめて秀逸であると言える。特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは、圧倒的な迫力を誇っていると言える。バレエ音楽「遊戯」は、チャイコフスキーやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーのバレエ音楽でも数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの色彩豊かで、切れ味鋭いリズムが魅力のセンス満点の名演だ。そして、牧神午後への前奏曲は、同曲が持つ官能的な美しさを極限まで表現し得た稀有の名演と高く評価したい。ゲルギエフの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮しているロンドン交響楽団の卓越した技量も見事であり、特に、牧神午後への前奏曲のフルートの美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。
3 people agree with this review 2011/04/15
クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ第8及び第9については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤におさめられたベルリン・フィル盤であると考える。第8については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライブ録音(1976年)、第9については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライブ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、私としてはあまり採りたくない。第9のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの第8及び第9の決定盤は、本盤におさめられた演奏ということになる。それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。このうち第8は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。これに対して、第9は1972年の録音。ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、第9の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、第8と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。録音は、これまで何度もリマスタリングを繰り返しているだけに鮮明で良好な音質であるが、SHM−CD盤が、現時点においては、音場の広がりといい、鮮明さといい、ベストの高音質であると高く評価したい、
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