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3 people agree with this review 2011/01/26
いずれも名演だ。エロイカは死の2年前、未完成は1年前の録音であり、モントゥーの最晩年の演奏ということになるが、全体としてはやや早めのテンポの中に、絶妙なニュアンスや表現が込められている。これは、人生の辛酸をなめ尽くした巨匠だけが成し得る至芸と言うべきであり、その味わい深さは、他のどの演奏にも勝るとも劣らない至高・至純の境地に達していると言 える。エロイカは、全体的にテンポが早いし、重々しくなるのを意識的に避けた感じがする。むしろ、軽快ささえ感じさせるが、それでいて、随所に温かみのあるフレージングが支配しており、演奏全体に潤いを与えていることを忘れてはならない。第1楽章の終結部のトランペットも楽譜どおりであるが、それでも弱々しさを感じさせないのは、この演奏が、威容と崇高さを湛えている証左であると考える。終楽章のホルンの朗々たる吹奏は、他のどの演奏にも負けないぐらいの力強さであり、演奏全体の制度設計の巧さもさすがと言うべきであろう。未完成は、テンポ設定が緩急自在であり、その絶妙さは他のどの演奏よりも優れていると言える。第1楽章では、第1主題を早めに、第2主題をややゆったりとしたテンポ設定としているが、その効果は抜群。いい意味でのメリハリの効いた名演奏に仕上がっている。第2楽章は、全体としたゆったりとしたテンポで進行させ、白眉の名旋律を徹底して歌い抜いているのが素晴らしい。これは、あたかも、モントゥーの輝かしい人生の最後のゴールを祝福するような趣きさえ感じさせて、実に感動的だ。
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1 people agree with this review 2011/01/25
モーツァルトの没後200年の命日のミサの貴重な記録である。この記念碑的なミサの指揮者を託されたのがショルティというのは、当時のショルティの置かれた立場がよくわかって大変興味深い。本盤の2年前にはカラヤン、そして1年前にはバーンスタインが鬼籍に入っており、仮に両者が生きていれば、先ずはカラヤン、そしてバーンスタインが、その指揮者に選ばれたことは必定であるからだ。ショルティとウィーン・フィルの相性は最悪だったということであるが、この記念碑的なミサの指揮者として、アバドやムーティなどでは役不足ということであったのだろう。しかしながら、ここでのショルティは、極力自我をおさえて、抑制的な指揮を行っている。いつもの力づくのショルティは影を潜め、むしろ、ウィーン・フィルの演奏にあわせているような印象を受ける。聖シュテファン大聖堂の残響をも意識しているかのようで、若干の早めのテンポとオーケストラの最強奏の可能な限りの抑制が、けがの功名とも言えるかもしれないが、近年の古楽器奏法に通じるような新鮮な音楽の構築に繋がっているとも言える。ショルティが、このような演奏様式を意識的に行ったのかどうかはわからないが、本盤を聴く限りにおいては、ショルティの新境地と言ってもいいのではないだろうか。合唱団も独唱陣も、ショルティの指揮の下、最高のパフォーマンスを示しており、教会の鐘の音色など、記念碑的なミサの雰囲気が伝わってきて、実に感動的だ。
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0 people agree with this review 2011/01/24
ラフマニノフの交響曲第2番は、今や多くの指揮者によるレパートリーとされている。ヤンソンスもその例にもれず、本盤を含めた全集を完成している。ただ、演奏が優れているかどうかと言うと、私としてはいささか疑問に思う点がないわけではない。おそらくは、現在の円熟の境地にあるヤンソンスならば、もっと充実した演奏が出来たのではないかとさえ思う。それくらい、この第2は、イマイチなのだ。何が物足りないかと言うと、アプローチに一貫性がないという点である。第2の演奏様式としては、ロシア音楽としてのあくの強さを強調した演奏(スヴェトラーノフやゲルギエフなど)と、20世紀の音楽を意識した洗練された演奏(デュトワなど)に大きく分かれると考えているが、ヤンソンスの演奏は、どっちつかずなのである。冒頭の開始部は、どの演奏よりもスローテンポで開始され、これはロシア的な情緒を全面に打ち出した演奏かと思うと、主部に入ると一転して颯爽とした洗練の極み。このようなどっちつかずの演奏が、全曲を支配していると言えるところであり、これでは中途半端のそしりは免れないと言える。むしろ、併録のスケルツォや、特に、ヴォカリーズは、ラフマニノフの美しい旋律を徹底的に歌い抜いた名演と高く評価したい。HQCD化によって、音質が鮮明になった点は評価できる。
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7 people agree with this review 2011/01/23
ワイセンベルクは、カラヤンと数多くのピアノ協奏曲を録音することによって、世に知られる存在となったが、カラヤンとの演奏では、どちらかと言えばカラヤンペース。カラヤン&ベルリン・フィルのゴージャスな演奏の中に、どうしても埋没してしまうような印象がぬぐえなかった。特に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集などが最たるもので、ワイセンベルクもベルリン・フィルの一つの楽器と化してしまったような感があった。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でも、ベートーヴェンほどではないが、ワイセンベルクの個性が光った演奏とはとても言えなかったように思われる。ところが、本盤は、バックがバーンスタインにかわったこともあり、ワイセンベルクが実に個性的な演奏を繰り広げる。ワイセンベルクは抜群のテクニックと、透明感溢れるピアノタッチが魅力であるが、ここでも、バーンスタイン指揮の下、最高のピアニズムを展開していると言える。バーンスタインは、特に、オペラ以外の分野では、カラヤンをも凌ぐ膨大なレパートリーを誇ったが、ラフマニノフの録音は極めて珍しいと言える。それでも、本盤では、ワイセンベルクのピアノを立てつつ、ゆったりとしたテンポで、実に情感豊かな演奏を行っている点を高く評価したい。併録の前奏曲は、フィギュアスケートでも有名になった鐘であるが、ワイセンベルクのピアノは、協奏曲以上に素晴らしく、最高のパフォーマンスを示している。
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2 people agree with this review 2011/01/23
シベリウスには、交響曲やヴァイオリン協奏曲、管弦楽曲に有名曲が多数ある一方で、ピアノ曲を数多く作曲したことはあまり知られていない。同時代のグリーグのピアノ曲が広く知られているのに比較すると、その作品の質から言っても、相当に冷遇されていると言えるのではないか。録音の点数も、綺羅星の如く輝くグリーグのピアノ作品集に比して、あまりにも少ないと言えるが、本盤は、そうした渇きを癒すのに十分な素晴らしい名CDと高く評価したい。まずは、あまたのシベリウスのピアノ作品の中でも、名作と言われるものを、若干の例外はあるが、ほぼ原則として、作曲年代順に並べているというのがいい。要は、これ一枚で、シベリウスのピアノ作品全体を俯瞰できるのだ。さらに、演奏は、北欧音楽のスペシャリストの舘野泉。最近では、半身不随を患って、左手のみで活動を行っているが、本盤は今から30年以上も前の脂が最ものり切っていた時代。ここには、北欧風の繊細な抒情を十分に表現した最高の音楽があると言えるだろう。HQCD化によって、舘野泉の優美なタッチがさらに鮮明に聴くことができるようになった点も、あわせて高く評価したい。
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3 people agree with this review 2011/01/23
フルトヴェングラーは、ベートーヴェンとともに、ブラームスの交響曲も数多く演奏し、録音もかなりの点数が遺されているが、最もフルトヴェングラー向きの交響曲を掲げるとすれば、やはり第1ということになるのではなかろうか。ベートーヴェンの第10と評されたことからもわかるように、ベートーヴェンを意識して作曲された交響曲でもあり、フルトヴェングラーとしても、アプローチのしやすい楽曲であると考えられるからである。ライナーノーツの解説にもあるように、フルトヴェングラーは10種類もの録音が確認されているようである。私も、そのうち、かなりの点数を聴いてはきたが、音質がいずれもイマイチであり、フルトヴェングラーの本領が発揮された演奏とは言い難いものがあった。しかしながら、ついに、本盤の登場によって、長年の渇きが癒されたと言える。今般の高音質のSACD盤によって、彫りの深いフルトヴェングラーならではの深みのある表現をかなり鮮明に聴き取ることが可能になったからだ。特に、弦楽器のつややかな響きが素晴らしく、これは、既発のCDとは全く次元の異なるものであると言える。全体的にオンマイクのような感じで、音場の拡がりがあまりなく、特に重要なホルンの音色が弱いのが気にはなるが、それでも、これだけの鮮明な音質に生まれ変わったのだから文句は言えまい。次いで、音質がいいのは、ハンガリー舞曲の3曲。このしたたるような弦合奏の厚みのある響きは、従来CDには全く聴かれなかったものだ。ハイドンの主題による変奏曲は、演奏自体はドラマティックな豪演であり、フルトヴェングラーの個性が全開の超名演であるが、今般の収録曲の中では、音質改善効果が一番少ないとも言える。特に、高弦がきつく聴こえるのが残念ではあるが、それでも、従来CDと比較するとかなりのレベルにまで改善されたと言えるのではないか。
14 people agree with this review 2011/01/23
フルトヴェングラーの第9のバイロイトライブ盤は、人類の持つ至宝とも言うべき永遠の歴史的名盤とされている。それ故に、初期盤以来、何度もリマスタリングを繰り返してきた。しかしながら、ブライトクランク盤も含め、いずれのCDも音質の改善効果はイマイチであったと言わざるを得ない。それ故に、私は、フルトヴェングラーによる第9の最後の録音であるフィルハーモニア盤(54年盤)が、ターラよりSACDで発売されたこともあり、そちらの方をベスト盤として、これまで愛聴してきた。ところが、今般のSACD盤は、ターラ盤に匹敵する高音質であり、ついに長年の渇きが癒されることになった。それにしても、この歴史的名演を、これほどの高音質で聴ける日が来ようとは、夢にも思わなかった。しかも、あのEMIがSACDを発売しようとは。弦楽器のつややかな、そして金管楽器のブリリアントな響きは、これまでのCDとは次元の異なる鮮明な高音質であるし、我々聴き手の肺腑を衝くようなティンパニの雷鳴のような轟きは、凄まじいまでの圧巻の迫力と言える。独唱や合唱も、これ以上は求め得ないような鮮明さであり、オーケストラと見事に分離して聴こえるのには大変驚いた。ホルンの音色がやや古いのは残念ではあるが、これは、録音年代の古さを考慮すれば、致し方がないと言える。特に、私が感心したのは、有名なエンディング。従来盤だと、フルトヴェングラーの夢中になって突き進むハイテンポにオーケストラがついていけず、それ故に音が団子状態になって聴こえていたが、本盤を聴くと、オーケストラはフルトヴェングラーの指揮に必死についていっており、アンサンブルもさほどは乱れていないことがよくわかった。これは、世紀の大発見であり、第9の肝の箇所だけに、今般のSACD化による最大の功績とも言えるのではないだろうか。
14 people agree with this review
ライナーノーツで満津岡氏が論じられておられるように、フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの奇数番号の交響曲を得意とし、偶数番号の交響曲はワルターなどの演奏に一歩譲るとされている。確かに、第2など、このシリーズの1曲しか録音がのこっていないし、第8も3種類だけしかのこされていない。しかしながら、本盤の田園や本シリーズの第4を聴くと、果たして、そのような単純な考え方が成り立つのかと疑問が生じてくる。それくらい、本盤の田園は、これまで発売されたCDとは次元が異なる高音質なのだ。弦楽器のつややかな、そしてホルンの朗々たる響きは、あたかも最新録音に近いような鮮度を誇っており、低弦の重量感溢れる迫力も出色のものだ。これほどまでに高音質化されると、第4と同様であるが、演奏内容に対する評価も俄然変更を余儀なくされることになる。フルトヴェングラーの田園は、これまでの従来盤で聴くと、あまりのスローテンポ(特に第1楽章)ぶりに、お化けが出てきそうだとの評価をしたこともあるが、本盤を聴くと、そのテンポが実に理にかなった適切なものであることがよくわかる。その深沈たるコクのある味わい深さは、フルトヴェングラーだけが成し得る至純の表現と言うべきであり、終楽章の讃歌に至るまで、これ以上は求め得ないような深みのある凄い音楽が連続する。田園と言えば、ワルターの新旧両盤やベーム盤が何よりも名演として念頭に浮かぶが、こうして高音質化された本盤を聴くと、特に、その内容の深さという点に鑑みれば、フルトヴェングラーの本演奏こそ、それら他の名演を凌駕する至高の領域に達していると言える。これに対して、第8は、音質の改善効果がイマイチである。もちろん、第2などと比較すると、まだましと言えるのかもしれないが、それでも田園と比較して聴いてみると、その音質の劣悪さが際立つ。もちろん、演奏自体は、さすがと思わせる箇所も多く、記録としては貴重なものと言えよう。
いずれもシベリウスを得意としたカラヤンの壮年期の素晴らしい壮麗なる名演だ。第2は、本盤の20年後にもベルリン・フィルと再録音しているが、なぜか長らくの間、廃盤状態。私としては、シベリウスの演奏を北欧風の清澄な抒情的演奏とすべきと固定化してしまうという考え方には異議を唱えており、80年盤の豪快な演奏にも素晴らしい面が多々あると考えるが、カラヤンによるシベリウスの第2と言えば、やはり本盤を第一に掲げるべきではないか。壮麗さと北欧風の清澄さが見事にバランスをとれているからであり、シベリウスを数多く演奏してきたフィルハーモニア管弦楽団の好パフォーマンスも、本名演に華を添える結果となっている。第5は、カラヤンが最も数多くの録音を遺したシベリウスの交響曲であるが、本盤と60年代のベルリン・フィルとの録音が2トップと言えるのではないか。60年代の録音が、やや耽美的な側面があるのに対して、こちらの方は、壮年期のカラヤンならではの燃え盛るような生命力を全面に打ち出した演奏だ。それでいて、北欧風の繊細な抒情の描出にもいささかの不足はない。残念なのは、録音がややイマイチな点で、ティンパニの音が団子状態になって聴こえる点だ。これは、HQCD化によってもあまり解消されないのは致し方ないところだろう。
カラヤンは、独墺系の指揮者では珍しいシベリウス指揮者であった。他には、独墺系指揮者でただ一人全集を完成したザンデルリングがいるだけである。カラヤンは、第3を録音せずに鬼籍に入ってしまったが、録音の予定はあったと聞く。これは大変残念なことではあるが、しかしながら、遺された録音はいずれ劣らぬ名演であると考える。認知度が高いのは、フィルハーモニア管弦楽団時代の録音や、60年代の第4以降の4曲を収録したベルリン・フィルとの録音であるが、何故か、70年代の第4及び第5、そして、80年代の本盤や第2、第6の認知度が意外にも低いのは何故であろうか。特に、これらの演奏には、オーケストラの最強奏、特に、フォーグラーの迫力あるティンパニが、シベリウスにしては大仰過ぎる、更に一部の評論家によると、シベリウスの本質を逸脱しているという批判さえなされている。しかしながら、シベリウスの本質とは一体何であろうか。確かに、北欧風のリリシズムに満ち溢れた清澄な演奏が、シベリウスの演奏により相応しいことは認めるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではないのだ。正に、21世紀初頭を代表する国際的な大シンフォニストなのであり、それ故に、演奏様式はもっと多様であってもいいのではないだろうか。カラヤンこそは、特に、認知度が低かった独墺系社会にシベリウスの交響曲や管弦楽曲の素晴らしさを認知させたという偉大な業績があり、作曲者も、カラヤンの演奏を高く評価していた事実を忘れてはならないだろう。本盤の第1は、カラヤンの唯一の録音であり、確かに、オーケストラが鳴り過ぎる、ティンパニが強靭過ぎるとの批判は予測はされるが、北欧風の清澄な抒情にもいささかの不足もなく、私としては、シベリウスの第1を、ドイツの偉大な交響曲にも比肩する芸術作品に仕立て上げた素晴らしい名演と高く評価したい。併録のカレリアも、聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの名演だ。
8 people agree with this review 2011/01/22
ロストロポーヴィチは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を得意のレパートリーとし、それこそ何度も録音を繰り返したが、小澤との競演を持って満足できるものとして、その後一切の録音をやめることになった。ロストロポーヴィチ本人が満足したのであるから、第三者である聴き手がとやかく言う権利はないのではあるが、衆目の一致するところ、数ある録音の中でも最高の名演は、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ68年盤ということになるのではないか。それは絢爛豪華とも言うべき名演であり、協奏曲というよりも、競争曲と言った方がより相応しいような、指揮者とソリスト、そしてオーケストラががぶり四つになった豪演でもあった。これに対して、本盤は、ロストロポーヴィチのチェロ協奏曲の中でも、最も優美な抒情を全面に打ち出した名演と言えるのではなかろうか。これには、ジュリーニの存在が大きいと思われる。ジュリーニの重厚で粘着質ではあるが、イタリア人指揮者ならではの優美なフレージングが随所に配することなどによって、実に温かみのある音楽を構築しているからだ。こうした温かみのあるバックの下、ロストロポーヴィチは、情感豊かな演奏を繰り広げていると言える。ジュリーニやロストロポーヴィチに引っ張られることにより、ロンドン・フィルも最高のパフォーマンスを示している。併録のサン・サーンスのチェロ協奏曲も同様の傾向の名演だ。HQCD化によって、音場が拡がるとともに、鮮明さを増した点も高く評価したい。
8 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/01/22
ラヴェルのピアノ独奏曲をこれほどまでに詩情豊かに弾いた例は他にあったであろうか。フランソワは、自らの感性のおもむくままに、自由奔放に弾いている印象を受ける。いわゆる崩して弾いているというものであり、思い切ったテンポ設定や強弱の変化など、下手をすれば、楽曲の全体像を崩してしまいかねないような即興的な表現を垣間見せている。ところが、出てきた音楽のフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが、そのような危険に陥ることを回避し、それこそ、前述のような詩情豊かな音楽が構築されているのだ。これは、正にフランソワの天賦の才能と言うべきであり、天性のラヴェル弾きと評しても過言ではあるまい。第1集と同様に、どの曲をとっても詩情の塊のような素晴らしい名演揃いであるが、特に感動的なのは鏡の5曲であろう。ラヴェルの華麗なオーケストレーションを思わせるような色彩感溢れる各曲を、フランソワは、詩情豊かな絶妙なピアニズムで弾き抜いて行く。各曲の描き分けも完璧であり、ピアノ独奏版としては、最高の名演と言ってもいいのではないか。4手のためのマ・メール・ロウも、バルビゼとの相性が抜群であり、その優美で繊細な抒情美には出色のものがある。HQCD化によって、フランソワのピアノタッチがより鮮明に再現されている点も素晴らしい。
4 people agree with this review
7 people agree with this review 2011/01/22
これは第4の極上の高音質を聴くべきCDで、それだけでも十分におつりがくるくらいの名SACDと高く評価したい。まず、第2であるが、この劣悪な音質はいかんともし難いのだと思う。何よりも、フルトヴェングラーが第2を殆ど演奏しなかったことがその理由であり、漸く発見された本演奏にしても、マスターテープが失われているのだから、そもそもリマスタリングのやりようがないということだと考える。アセテート盤からの復刻で、雑音などが頻繁に聴こえ、ダイナミックレンジの極端な狭さから、決して聴きやすい音質とは言えないが、既発のCDに比べると、幾分聴きやすくなったのではないか。ただ、演奏内容は、ワルターの名演などに比較すると、第3楽章のトリオのわざとらしいテンポ設定などイマイチであり、フルトヴェングラーとしても決して満足のできる演奏とは言えないのではないかと思う。これに対して、第4は音質が実に鮮明。これまでのCDとは全く次元の異なる高音質と言える。あたかも最新録音を聴くような趣きさえする。第4には、ワルターの優美さや、ムラヴィンスキーの透徹した鋭利さを旨とする演奏が高く評価されており、私も、それに大いに賛成するが、こうして高音質化された本CDを聴くと、フルトヴェングラーの演奏も、それらに勝るとも音なら二見事な名演と改めて再認識することになった。フルトヴェングラーは、第4を偶数番交響曲というような範疇におさめることなく、エロイカや第5に接するのと同様にアプローチしているのであり、そのスケールの雄大さにおいては、過去のどの演奏よりをも凌いでいると言えよう。
10 people agree with this review 2011/01/22
素晴らしい高音質CDの登場だ。音質において決して恵まれているとは言えなかったフルトヴェングラーの遺産が、これほどまでに極上の高音質に生まれ変わったのは正に奇跡とも言うべきであり、演奏内容の高さを加味すれば、歴史的な偉業と言ってもおおげさではあるまい。そして、EMIがついにSACDの発売に踏み切ったことも、低迷が続くレコード業界にとっては素晴らしい快挙とも言うべきであり、大いにエールを送りたい。高音質化の内容は、第5と第7では異なる面があり、第5では、音場の拡がりと音圧が見事であり、第7は、新マスターテープの発見も多分にあると思うが、あたかも新録音のような鮮明さが売りのように思われる。第1&エロイカ盤と同様であるが、これだけの高音質化が施されると、演奏内容への評価も俄然異なってくる。第5については、戦後の復帰後のライブ録音(47年)が、特に、アウディーテによる復刻によって高音質化も施されるなど、随一の名演と評価してきたが、演奏内容の精神的な深みにおいては、本盤の第5もそれに十分に匹敵するのではなかろうか。既発のCDとは異なり、低弦のうなるような響きや金管楽器及び木管楽器の鮮明さが、フルトヴェングラーの解釈をより明瞭に浮かび上がらせることに繋がり、演奏内容に堀の深さが加わったことが何よりも大きい。第7については、43年盤と50年盤が双璧であり、特に、オーパスによる素晴らしい復刻によって、これまで43年盤を推してきたが、本高音質化CDの登場によって、これからは50年盤を随一の名演に掲げることにしたい。第7の名演には、荘重なインテンポによるクレンペラー盤(68年)や、音のドラマを徹底的に追及したカラヤン盤(78年のパレクサ盤)があるが、本盤は、それら両者の長所を有するとともに、ドラマティックな要素も加えた随一の名演と高く評価したい。同じ第5と第7をカプリングしたCDとしては、昨年末にシングルレイヤーSACDで発売されたクライバー盤があり、それも極上の高音質で名演と評価はするが、本盤と比較すると(あくまでも比較論ではあるが)、何と軽妙浮薄な演奏に聴こえることか。
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6 people agree with this review 2011/01/22
初期盤以降、果たして何度リマスタリングされたのであろうか。おそらくは概ね2年毎には行われているように思うが、いずれのリマスタリングも、ブライトクランク盤も含め、音質改善効果はわずかであったように思われる。ところが、本盤はダントツの高音質であり、これを持って、決定盤と評価してもいいのではないか。それくらい、これまでの既発のCDとの音質の差が著しい。何よりも、これまでSACDを発売したことがないEMIが、ついにSACDの発売に踏み切ったこと自体が快挙である。これには、ライバルのユニバーサルやエソテリックの成功が若干なりとも影響しているとは思うが、いずれにしても、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元の異なる鮮明な高音質だ。特に、エロイカでの弦楽合奏など、実につややかで鮮明な音質がするし、既発のCDでは、音が団子状態で、およそ楽器らしい音がしていなかったホルンや木管楽器の明瞭に分離した鮮明な音質は素晴らしいの一言。低弦のうなるような重厚さも圧巻の迫力だ。これだけの高音質になると、演奏に対する評価も俄然変更を余儀なくされる。フルトヴェングラーは、ライブでこそ実力を発揮する指揮者であり、私としては、本スタジオ録音よりも、第1であれば54年の最晩年のライブ録音、エロイカであれば44年のウラニア盤をより高く評価してきたが、本高音質化CDにより、本盤の方を、前述のライブ録音と同等、あるいはさらに上位に評価してもいいのではないかとさえ考えるようになった。確かに、ここには夢中になって突き進むフルトヴェングラーは聴かれないが、音符の奥底に潜む内容を抉り出そうとする音楽的内容の深みにおいては、断然、本盤の方に軍配があがることになる。特に、エロイカについては、そのスケールの雄大さから、おそらくは過去のどの名演と比較しても、本盤が随一の名演と評価しても過言ではあるまい。昨年、フルトヴェングラーの後輩であるカラヤンによる来日時のライブ録音(77年の普門館ライブ)が発売され、それは、徹底して音のドラマを追及した超名演であったが、きしくも本盤とカプリング曲が同じ。ただ、その演奏内容のあまりの極端な違いが、ベートーヴェンの交響曲演奏の傾向の大きな歴史的な変化を示唆していて、実に興味深い。
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