please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of つよしくん
Previous Page
Next Page
Showing 1096 - 1110 of 1958 items
%%header%%
%%message%%
9 people agree with this review 2011/02/04
ブロムシュテット壮年期の素晴らしい名演だ。同じコンビによる第7番も極上の名演であったが、本盤もそれに勝るとも劣らない出来を誇っていると言える。影響力の大きい某評論家は、ブルックナーの第4には冗長な箇所が多いので、あまり味付けをせずにインテンポで演奏してしまうと、のっぺりとした味気のない薄味の演奏になるとして、特に、ベーム&ウィーン・フィルの名演を酷評している。そして、ヴァントや朝比奈の最晩年の名演を絶賛している。確かに、ヴァントや朝比奈の最晩年の演奏はいずれも、ブルックナー演奏史上に冠たる至高の名演だ。そのことを否定するものではないが、しかしながら、ヴァントや朝比奈の演奏だけが正しいわけではない。ベーム&ウィーン・フィルのような、ある意味では、愚直な演奏も、同曲の魅力を知らしめるに足る素晴らしい名演と評価してもいいのではないか。本盤も、アプローチの仕方はベームにきわめて近い。比較的ゆったりとしたインテンポで、愚直に曲想を描いていくというものであるが、ベーム盤と同様に、オーケストラの音色の魅力が素晴らしいと言える。ベーム盤では、ウィーン・フィルの極上の響きが演奏に潤いとコクを与えていたが、本ブロムシュテット盤も決して負けていない。ドレスデン・シュターツカペレのいぶし銀の音色は、演奏に重心の低い渋みと内容の濃さをもたらしていると言える。そして、何といっても素晴らしいのは、ペーター・ダムのホルンであろう。当時のドイツにおけるザイフェルトと並ぶ二大ホルン奏者であるが、ダムの深みのあるホルンの音色を聴くだけでも、一聴の価値があると言える。Blu-spec-CD化によって、音質がより鮮明になった点も高く評価したい。
9 people agree with this review
Agree with this review
6 people agree with this review 2011/02/03
素晴らしい名演の登場だ。かつては、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」と言えば、2つの組曲で演奏するのが主流であった。わずかに抜粋版としてバルビローリ盤などがあったが、ヤルヴィによる完全全曲盤が登場するに及んで、その流れが変わってきたように思う。その後、ブロムシュテットなどの名演も登場するなど、劇音楽全体に対する評価がかなり高まってきたと言えるのではないか。そうした一連の流れの中での、本盤の登場であるが、フランスの新進気鋭の指揮者ならではの生命力溢れる快演と言える。ヤルヴィ盤と異なり、セリフのみの箇所をすべて省略しているが、音楽として鑑賞するには、この方がちょうど良いと言えるのかもしれない。それでも、長大な当劇音楽を、CD1枚におさまる75分程度で演奏したというのは、テンポ設定としても、やや早めと言えるのかもしれない。とは言っても、若さ故の上滑りするような箇所は皆無であり、むしろ、緩急自在のテンポ設定を駆使した演出巧者と言った評価が相応しいと言える。第4〜第5曲にかけての畳み掛けるような劇的な表現は、実に堂に行ったものであるし、第8曲の有名な山の魔王の宮殿にての、ゆったりとしたテンポは、あたかも豹が獲物を狙うような凄みがあり、猛烈なアッチェレランドは圧巻のド迫力。合唱団も実に優秀で、最高のパフォーマンスを示していると言える。第9曲の威容はあたりを振り払うような力強さであり、第10曲の壮絶な迫力にはほとんどノックアウトされてしまう。それと対照的な第12曲のオーゼの死の情感豊かさは、この指揮者の表現力の幅の広さを大いに感じさせるのに十分だ。その後に続く音楽も、ここに書ききれないくらい素晴らしいが、特に、第13曲の爽快な美しさ、そして第21曲の帰郷は、圧巻の迫力であるし、第19曲や第26曲のソルヴェイの歌、子守唄は、北欧音楽ならではの至高・至純の美を誇っていると言える。独唱陣も合唱団も実に上手く、本名演に華を添えているのを忘れてはなるまい。本盤が、昨年の管弦楽部門でのレコード・アカデミー賞を受賞したのも当然のことであると考える。
6 people agree with this review
0 people agree with this review 2011/02/02
バーンスタインは、マーラー演奏史上最高の指揮者であったと考えるが、生涯に、ビデオ作品も含め、三度にわたって、主要な歌曲集を含めた交響曲全集を完成させた。もちろん、それには一部語弊があり、三度目の全集については、ついに交響曲第8番、第10番、「大地の歌」を録音することができずに世を去ってしまい、過去の録音で補填せざるを得ない事態に陥ったのは、実に残念なことであったと言える。いずれの全集も、バーンスタイン=マーラー指揮者という名に恥じない素晴らしい名演であると言えるが、やはり、最も優れているのは、最後の全集と言えるのではなかろうか。当該全集の諸曲の録音時には、併行して、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、シベリウスの交響曲などで、大仰なテンポ設定を駆使した駄演を悉く行っていたにもかかわらず、マーラーでは、同様に大仰とも言えるゆったりとしたテンポをとっているにもかかわらず、いささかもそのような演奏には陥らず、むしろ、そうした大仰なテンポが真実のように聴こえるのが素晴らしい。これは、バーンスタインがマーラーの本質を鷲掴みにしていることの証左であり、バーンスタインが正にマーラーの化身となっているとも言える。本盤の3つの歌曲集は、当該全集の中でも、最も後年の録音、特に、さすらう若人の歌とリュッケルトの詩による5つの歌曲は、バーンスタインの死の年の録音であり、健康を害している中での思い入れたっぷりの、そして命がけの演奏は、我々聞き手の肺腑を打つのに十分な深い感動を与えてくれる。ハンプソンも、そうしたマーラーの化身と化したバーンスタインの下、最高のパフォーマンスを示していると言える。
0 people agree with this review
7 people agree with this review 2011/02/01
カラヤンの指揮によるモーツァルトのホルン協奏曲と言えば、デニスブレインとの録音がいの一番に思い浮かぶ。オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団、そしてモノラル録音であるが、天才ホルン奏者デニスブレインの卓越した演奏もあって、これまで、同曲随一の歴史的な名盤として、今日においても揺らぎのない評価を得ている。それだけに、当該盤は、リマスタリングや疑似ステレオ化などが何度も繰り返されるなど、販売カタログから外れたことが一度もない。ところが、カラヤン指揮による二度目の録音である本盤は、演奏内容の高さからしても、不当な扱いを受けているとは言えないだろうか。そもそも、今回の発売は久しぶりのものであるし、ましてや、オリジナルジャケットでの発売は、CD化後はじめてではないかと思われる。カラヤンは、最晩年にはその関係が決裂し、ザイフェルトが一時的にベルリン・フィルを解雇されることに繋がったという不幸もあるが、ザイフェルトを生涯で出会った最高のホルン奏者と高く評価していたのは有名な逸話である。カラヤンのレパートリーの太宗を占めるドイツ音楽を的確に演奏できるのは、デニスブレインではなく、ジャーマンホルンの体現者たるザイフェルトでなくてはならなかったのであろう。本盤でも、そうしたザイフェルトの卓抜したテクニックと、ジャーマンホルンの体現者たるにふさわしい格調高き名演奏を存分に味わうことができるのが素晴らしい。カラヤン&ベルリン・フィルも、両者の黄金時代ならではの最高のパフォーマンスを示していると言える。私としては、デニスブレインとの旧盤が随一の名演であるとの評価には変わりはないものの、本盤も魅力のある名演として、十分に存在価値の高いものであると考える。
7 people agree with this review
0 people agree with this review 2011/01/31
マイスキーは、ロストロポーヴィチ亡き現在においては、最高の力量を持ったチェリストと言えるのではないか。本盤は、今から25年以上も前の若き日のマイスキーによる弾き振りによる録音であるが、今日における偉大なマイスキーを予見させるのに十分な素晴らしい名演だ。ハイドンのチェロ協奏曲は、例えば、ドヴォルザークやエルガー、シューマンのそれとは異なり、超絶的な技巧を要するものではないが、その分、情感豊かな音楽性がないと、ひどく退屈で、つまらない演奏に成り下がってしまう危険性がある。もちろん、マイスキーには、ロストロポーヴィチにも匹敵するくらいの圧倒的な技量と強靭さを有しているのであるが、本盤でのハイドンでは、それを極力封印し、これ以上は求め得ないような情感豊かな演奏を心掛けていると言える。本演奏に聴かれるマイスキーのチェロの音色は、正に美しさの極みとも言うべきであり、その瑞々しいとさえ表現できるような豊かな音楽性は、マイスキーのチェロに見事に合わせているヨーロッパ室内管弦楽団とともに、音楽をする喜びに満ち溢れているとさえ言える。本演奏は、間違いなく、ハイドンのチェロ協奏曲の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。録音も、マイスキーのチェロの弓使いが鮮明に聴こえるなど、実に素晴らしい。
2 people agree with this review 2011/01/30
まず、SACDシングルレイヤーとSHM−CDを組み合わせた本盤の超極上の高音質を高く評価したい。本演奏は、もともと英デッカによる高音質録音であり、従来CDでもかなりの高音質を誇っていたが、その後、SACDハイブリッド盤、SHM−CD盤など、様々な高音質化への取組がなされてきた。しかしながら、本盤は、これまでのCDとは一線を画する究極の高音質であると言える。演奏内容であるが、素晴らしい名演だ。バーンスタインは、マーラー指揮者としては、歴史にも名が残る大巨匠と言えるが、他の作曲家の作品については、アメリカの作曲家など、一部を除いて疑問符をつけざるを得ないと考えている。特に、ドイツ音楽は、雄弁ではあるが、底の浅さが目立つ浅薄な演奏が多く、名演とは言い難いものが多い。ベートーヴェンやブラームスの交響曲全集など、ウィーン・フィルの力もあって、一定の水準には達しているとは思うが、大仰さだけが際立った演奏であり、せいぜい佳演という評価がせいいっぱい。シューマンは、作曲当時の病的な精神状態がマーラーのそれと似通った側面があるせいか、名演との評価は可能だと思うが、濃厚な表情づけのモーツァルトのレクイエムなど、凡庸な演奏には事欠かない。しかしながら、そのような中でも、本盤は例外中の例外と言った趣きの名演なのだ。それには1966年という録音年代を考慮に入れる必要があるだろう。バーンスタインも、ウィーン・フィルにデビューしたばかりであり、リンツなど殆どウィーン・フィル任せで殆ど指揮しなかったであろうし、ピアノ協奏曲第15番におけるピアノも、ウィーン・フィルの演奏に合わせた印象を受ける。こうした自我を抑えた謙虚な姿勢が、皮肉にも、このような素晴らしい名演を生み出したと言える。当時のウィーン・フィルは、カラヤンを失い、カラヤンに対抗し得るスター指揮者の発掘にやっきとなっていたが、そうした力強い意気込みが、ウィーン・フィルをして、このような名演奏を成し遂げさせたのだとも言える。
2 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/01/30
第1集と比較すると、いずれも録音年代が古いだけに、音質においてやや分が悪いことは否めない。しかしながら、この年代の録音にしては、素晴らしい高音質に蘇っており、演奏の質の高さも含め、至高の名SACDとして高く評価したい。少なくとも、初期盤や、その後に何度も繰り返されたリマスタリングCDとはけた違いの高音質であると言える。冒頭の「さまよえるオランダ人」序曲の圧倒的な音場、音圧からして、その圧巻の迫力に大変驚かされる。演奏内容も、フルトヴェングラーならではの振幅の激しいものであり、終結部のゲネラルパウゼなど、いささかやり過ぎのきらいがないわけではないが、音楽が矮小化することがないのは、さすがの至芸と言える。「トリスタンとイゾルデ」は、さすがに30年代の録音だけに、音質はいささか古いが、それでも、望みうる最大限の音質の鮮明化は施されているように思われる。フルトヴェングラーは、後年、このオペラの全曲をスタジオ録音しているが、演奏自体は、本盤の方がはるかに上。同曲の不健康な官能美を、いささかも感傷に陥らず、高踏的な崇高さで描いたのは見事と言うほかはない。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲は、最もフルトヴェングラー向きの作品だけに、あたりを振り払うかのような峻厳たる威容は、他のどの演奏よりも素晴らしいと言える。そして、本盤の白眉は「パルシファル」だ。その中でも、聖金曜日の音楽の純音楽盤は、他にもきわめて録音が少ないが、これまではフルトヴェングラー盤の音質が悪いだけに、窮余の策としてワルター盤を最上位の名演に掲げてきたが、今般の高音質化によって、かなり満足できる音質に生まれ変わっており、今後は、このフルトヴェングラー盤をより上位に置きたいと考える。
5 people agree with this review
6 people agree with this review 2011/01/30
ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽には、これまでも数々の名演が目白押しであるが、その演奏様式たるや実に多様である。ゲルギエフなどに代表されるロシア風の民族的なあくの強さを全面に打ち出した演奏や、アンセルメなどに代表される洗練された美しさで聴かせる演奏、ブーレーズなどに代表される作品の持つ前衛性を全面に打ち出した演奏など、枚挙にいとまがないほどである。そのような中で、デュトワの演奏は、間違いなくアンセルメの系列に連なるものであると言える。いたずらにロシア風の民族色を強調するわけでもなく、さりとて、作品の持つ前衛性を強調するわけでもない。オーケストラをバランスよく鳴らして、実に洗練された美の世界を構築していると言える。もちろん、聞かせどころのツボを心得た演出の上手さにも卓抜したものがあり、表面的な美に固執するという、内容が伴わない浅薄さにもいささかも陥っていない。モントリオール交響楽団に、これだけの雰囲気豊かな演奏をさせたデュトワのオーケストラトレーナーとしての才覚も、高く評価されるべきものと考える。併録の幻想スケルツォや幻想曲「花火」は、三大バレエ音楽などと比較すると、作品の認知度は著しく劣るが、デュトワが演奏すると、実に魅力的な作品に聴こえるのは不思議であり、こうした点にもデュトワの演出巧者ぶりが発揮されていると言える。各楽器が鮮明に分離して聴こえる英デッカによる超優秀録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。
凄い高音質SACDの登場だ。ワルキューレの騎行を除いて、いずれも1950年代のスタジオ録音であり、もともと音質の条件は良かったと言えるが、それでも、既発売のリマスタリングCDとは段違いの高音質であると高く評価したい。重厚な弦楽合奏もつややかに響くし、金管楽器がいささかも古臭さを感じさせず、ブリリアントに鳴り切っているのが素晴らしい。ブリュンヒルデの自己犠牲におけるフラグスタートの歌唱も鮮明の極みであるし、オーケストラの音色と明瞭に分離するとともに、ホールの空間さえ感じさせる点など、これまでのフルトヴェングラーのCDでは考えられなかったことだ。これほどの高音質になると、これまでかなりの偏見で捉えられてきたフルトヴェングラーのワーグナーについても、全面的にその評価を改める必要が出てくるのではないか。その偏見とは、影響力の大きいとある高名な音楽評論家による、「ワーグナーはクナッパーツブッシュによるインテンポによる演奏が名演で、これに対して、フルトヴェングラーの演奏は、テンポの激変が音楽を著しく矮小化しており、クナッパーツブッシュの名演には一歩も二歩も譲る」との評価であるが、私としては、そうした見解は、多分にこれまでのCDの劣悪な音質によるのではないかと考えている。本盤のような高音質CDになると、フルトヴェングラーの演奏に堀の深い内容の濃さが出て、スケールの大きさにおいても、クナッパーツブッシュの名演に必ずしも劣るとは言えないと考えるからだ。確かに、テンポの揺れは感じるが、決して音楽を矮小化することには繋がっておらず、むしろ、オペラ指揮者としての演出巧者ぶりが遺憾なく発揮されていると言うべきである。特に、ブリュンヒルデの自己犠牲のラスト、愛による救済のテーマが流れる箇所の雄渾なスケールは、フルトヴェングラーだけが成し得る至高・至純の高みに達していると言える。
3 people agree with this review 2011/01/30
素晴らしい名演だ。ゲルギエフは、3年前にも、現在の手兵であるロンドン交響楽団とともに、同曲の再録音に臨んだが、当該盤も、近年のゲルギエフの進境の著しさを表す名演ではあった。しかしながら、オーケストラの性格も多分にあるとは思うが、やや角のとれた円満さが目立つきらいがないわけでもなかった。ところが、本盤は、今から20年も前の、ゲルギエフが新進気鋭の指揮者として注目を広めつつあった時期の録音でもあり、しかも、オーケストラがマリインスキー劇場管弦楽団であることもあって、ロシア風の民俗色溢れた力強い名演に仕上がっている点を高く評価したい。最新盤とは異なり、SACDマルチチャンネル盤ではないが、従来盤であっても、素晴らしい音質で捉えられており、音質面においても、遜色のないものとなっている。ゲルギエフの素晴らしい点は、新盤でもそうであったが、オペラを数多く指揮している指揮者だけに、長大な作品全体を、冗長さを感じさせることなく、実に見事に纏め上げている点であり、2時間以上も要するこの作品を、聴き手の集中力をいささかも切らせることなく、一気呵成に聴かせてしまう点は、オペラ指揮者としてのゲルギエフの真骨頂とも言える。いい意味での演出巧者とも言えるところであり、これはゲルギエフの指揮者としての大きな強みと言える。
3 people agree with this review
3 people agree with this review 2011/01/29
シフは、シューベルトのピアノソナタ全集を録音するなど、シューベルトを得意としているが、本盤は、シューベルトのピアノ曲の小品のほとんどを収録した好企画CDである。シフは、コチシュなどとともに、ハンガリー出身の若手ピアニストとして、その将来を嘱望されていたが、当初は、コチシュなどとは異なり決して目立つ存在ではなかった。しかしながら、コチシュが、バルトークなどのハンガリー音楽のスペシャリストとして成長していく一方で、シフは、本盤のシューベルトやスカルラッティ、ブラームスなどにレパートリーを拡げることに伴って、その才能をますます開花することになり、その名声においては、現在ではコチシュにも匹敵する存在となっているのは論を待たないところである。シフには、コチシュのような強烈な個性はないが、作品に内在する音楽の魅力を最大限に発揮させるという真摯な姿勢が、演奏に潤いと情感の豊かさを与えている点を高く評価したい。本盤は、そうしたシフの長所がプラスに働いた名演と言える。ここには、例えば内田光子などの精神的な深さや、リリークラウスのようなチャーミングな魅力はないが、作品の持つ抒情性や清澄な詩情を存分に味あわせてくれるという意味においては、他の名演にもいささかも劣らない高次元の演奏に仕上がっていると言える。本盤は、今から約20年も前の録音であるが、仮に、現時点で再録音すれば、さらに深みのある演奏が出来るのではないか。その意味でも、再録音を大いに期待したい。
6 people agree with this review 2011/01/29
素晴らしい高音質SACDの登場だ。今般のフルトヴェングラーの一連のSACDシリーズの中でも白眉の出来と言えるのではなかろうか。フルトヴェングラーによるブラームスの第4の初期盤をかつて聴いたが、音の揺れがひどく、とても聴くに堪えない音質であったと記憶する。爾来、初期盤は、私のCD棚に埃をかぶって放置されているが、その後、何度もリマスタリングを繰り返したものの、いずれもどんぐりの背比べといった状態であった。数年前に、グランドスラムからかなり満足し得る音質のCDが発売されたが、今般のSACDとは比べるべくもない。それくらい、今般のSACDは、次元の異なる高音質と言えるだろう。これだけの高音質録音になると、フルトヴェングラーのドラマティックな表現が見事に再現されることになり、その演奏に対する評価も大きく変更を余儀なくされることになる。ブラームスの第4については、シューリヒトやムラヴィンスキーなどの淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、重厚な渋みを加えたベーム盤などが、高く評価されてきた。私も、それに異論を唱えるつもりはないが、それは、今般のフルトヴェングラーのSACD盤が存在しないことが前提である。ブラームスの第4について、これだけドラマティックな演奏をして、名演の評価を勝ち得た演奏は皆無であり、その意味では、本盤は、画期的な名演と評価できる。第1楽章の、自然体ではじまる開始部の何とも言えない深みからして、別次元の名演と言えるし、その後の緩急自在のテンポ設定は、あたかも魔法の指揮のようだ。第2楽章のむせ返るような熱い抒情は感動の極みであるし、第3楽章の効果的な間の取り方など、巨匠だけが成し得る至芸と言えるだろう。終楽章のパッサカリアについては、凄まじい音のドラマであり、これは他のいかなる名演をも凌駕する至高・至純の高みに達していると言える。併録のコリオラン序曲は、おそらくはフルトヴェングラーの同曲の演奏中最高の名演。ということは、史上最高の名演と言うことであり、今般の高音質化によって、さらに名演のグレードがあがったと言える。レオノーレ序曲の巨大なスケールと圧巻のドラマについては、もはや表現する言葉が追いつかないような凄まじさだ。
5 people agree with this review 2011/01/29
今般のブラームスの交響曲全集のSACD化に当たって、最も高音質化の効果が著しかったのは、第1と第4であり、その両者に挟まれた本盤はやや分が悪いと言えるが、それでも、これまでのリマスタリングCDと比較すると、次元の異なる良好な音質に生まれ変わったものと高く評価したい。マスターテープの状態や録音年の違いもあるが、第2の方が、より音場に拡がりがあり、第3の方は、ノイズを抑えた分だけ、ややダイナミックレンジが狭まった感じがしないでもない。第2の場合は、特に高音にピークがあり、やや音質が濁る傾向があるが、弦楽器などつややかで実に鮮明な音質に蘇っており、十分に満足し得る音質であると言える。演奏内容についてであるが、第2も第3も、フルトヴェングラーが必ずしも数多く指揮しなかった楽曲であることもあり、遺された音源も本盤を含め限られるが、こうして高音質化したSACDを拝聴すると、あらためて、この巨匠の演奏の素晴らしさを大いに感じることができる。第2は、第1楽章と第2楽章は自我を抑制した印象を受ける。フルトヴェングラーのライブとしては珍しいが、それでも、むせ返るような弦楽合奏の抒情は、至高・至純の美しさを湛えている。第3楽章の終結部の大きなリタルランドは、大見えを切るようないつものフルトヴェングラーであるが、これは終楽章の熱狂への橋渡しと考えられないわけではない。そして、終楽章は完全なフルトヴェングラーの独壇場。冒頭から、夢中になって突き進んでいく。そして、終結部の猛烈なアッチェレランドは、かの名演の誉れ高いワルター&ニューヨーク・フィル盤と同格の迫力と言える。第3は、冒頭から、フルトヴェングラー節が全開。第2楽章や第3楽章のむせ返るような抒情も美しさの極みであるし、終楽章の熱狂も、さすがはフルトヴェングラーならではの圧巻の至芸と言える。
6 people agree with this review 2011/01/28
ショルティは、ブラームスの交響曲全集を80年代になって初録音したことで知られている。これは、広範なレパートリーを誇るショルティの七不思議の一つとして捉えられたが、満を持して取り組んだだけに、期待をたがわぬ名演であった。本盤は、全集の完成後、7年後の録音であるが、80年代も後半になって、演奏に奥行きと懐の深さを感じさせるようになったショルティならではの名演と高く評価したい。ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、オーケストラパートが特に分厚く書かれており、オーケストラ演奏が薄っぺらでは話にならないが、ここでのショルティの指揮はこれ以上は求め得ないような重厚なもので、ショルティとの相性が必ずしも良くはなかったウィーン・フィルも、ここではショルティの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。こうした素晴らしいバックの下、シフも堂々たるピアニズムを披露している。同国人であるショルティにも、その音楽性において深く共鳴するものがあるのだとは思うが、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、ブラームスの青雲の志を見事に描き出していると言える。併録のシューマンの主題による変奏曲は、カプリングの抜群のセンスの良さとともに、演奏内容も、ショルティとの息の合った至高の名演と高く評価したい。
6 people agree with this review 2011/01/27
素晴らしい名演だ。同曲演奏史上でもトップの座を争う名演として高く評価したい。モントゥーは、若き日に生前のブラームスと会ったことがあることもあり、フランス人指揮者でありながら、こよなくブラームスを愛していたことで知られている。第2については、本盤以外にもウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)があり、第3については2種(COA(ターラ)及びBBC(BBCレジェンド))、第1についてはCOA盤が発売されている。第4については、私は入手しておらず未聴であるが、既発売のCDのいずれもが名演であると言える。しかしながら、本盤の第2は、これらの名演とは別次元の超名演と言える。自らの死を2年後に控えたこともあるが、ここには、人生の辛酸をなめ尽くした巨匠だけが表現し得る風格と、至高・至純の美しさに満ち溢れていると言える。第1楽章など、提示部の繰り返しを行うなど、決して前に進んでいかない音楽であるが、それが決していやではないのは、モントゥーの深みのある音楽性の賜物と言える。終楽章の堂々たる進軍は、あたりを振り払うような威容に満ち満ちており、これぞ大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。併録の2つの序曲も、制度設計がしっかりした風格のある素晴らしい名演と高く評価したい。
Back to Top