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2 people agree with this review 2011/02/13
組曲「惑星」や、ブラスバンドのための組曲第1番、第2番のみがあまりにも有名で、他の数多くの諸作品が殆ど無視されているホルストの管弦楽作品を世に知らしめるという意味でも、大変に意義のある本CDの登場を先ずは大いに歓迎したい。加えて、本CDは、ヒコックスの最後の録音ということであり、イギリス音楽の国際的認知に多大な貢献してきたヒコックスとしても、その集大成と言える畢生の名演と言える。私としては、いずれの楽曲も、かつてグローヴス盤やプレヴィン盤等で聴いて以来、約20年ぶりに耳にすることになったが、素晴らしい名作との感想をあらためて抱くことになった。これには、ホルストの作品の質の高さもさることながら、ヒコックスの卓越した指揮によるところも大きいのではないかと考える。最初の歌劇「どこまでも馬鹿な男」については、当該歌劇の中からバレエ音楽を抜粋したものであるが、劇的な迫力から繊細な抒情に至るまで実に多面的な表情を見せる内容豊かな作品であり、歌劇全体に聴き手をいざなっていくという意味でも、見事な抜粋であると言える。金色のガチョウは、随所に聴かれる惑星のような華麗なオーケストレーションにどうしても耳が奪われがちであるが、それ以上に合唱が美しさの極み。その合唱の美しくも壮麗な威容は、あたかもイギリスの教会の中で鑑賞しているかのような錯覚を覚えるほどだ。バレエ音楽「ルール」は、場面毎の感情の起伏が激しい劇的な名作であるが、ここでも、ホルストの華麗なオーケストレーションは健在だ。新年の朝は、冒頭のホルンと低弦等による深みのある音楽が印象的。そこにどこからともなく入ってくる清澄な合唱は、木漏れ日の光のような繊細な美しさで、あらためて、ホルストの作曲技法の巧みさを認識させられる。その後は、どちらかと言うと静寂が支配する楽曲ではあるが、合唱は金色のガチョウと同様で美しさの極みであり、華麗なオーケストレーションと相まって、至高・至純の音楽を構築していると言える。録音も素晴らしい。SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音によって、ホルストの華麗なオーケストレーションや壮麗な合唱を鮮明な音質で味わうことができるのも、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している点を忘れてはなるまい。
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ゲルギエフ&LSOによるマーラーチクルスもいよいよ終盤に差し掛かった。これまでの各交響曲の演奏を顧みると、名演とイマイチの演奏が混在しており、玉石混交と言った状況にあると言える。これまで発売されたいずれの交響曲も、聴く前は、名演、駄演のどちらに転ぶかわからないと言った予測が付かない不安があったが、本盤は、幸いにもいい方に転んでくれた。これまでの演奏の中でもかなり上位にランキングできる素晴らしい名演と評価してもいいのではないか。ゲルギエフは、ここでは、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなどで垣間見せた野性味溢れるドラマティックなアプローチは薬にしたくもない。むしろ、自我を極力抑えて、マーラーの音楽を精緻に美しく描き出していくことに専念しているように思われる。もちろん、演奏に強弱の起伏がないわけではなく、トゥッティにおける金管楽器やティンパニなどの最強奏は圧巻の迫力を誇っているのだが、いわゆる踏み外しがいささかも感じられないのである。これは、ゲルギエフが、テンポの変化を最小限に抑えているのに起因しているのかもしれない。したがって、この演奏の場合、ドラマティックな要素は極めて少なく、むしろ、スケールの壮大さで勝負した感がある。このようなアプローチは、本来的には第5のような劇的な要素が支配的な交響曲の場合には相応しいとは言えないが、前述のような壮大なスケール感と精緻な美しさによって、マーラーの第5に新鮮な魅力を見出すことに成功した点は評価せざるを得ないのではないかと考える。マーラーの第5に、ドラマティックな演奏を期待する聴き手、バーンスタインやテンシュテット、プレートルなどの劇的な名演を好む聴き手からは、物足りないとの批判が寄せられることは十分に予測されるが、私としては、マーラーの第5に新しい光を当てた異色の名演として、高く評価したいと考える。SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、ゲルギエフの精緻なアプローチを鮮明に再現し得るものとして、大いに歓迎したい。
4 people agree with this review 2011/02/13
若き小澤の会心作だ。先ずは、ロメオとジュリエットについて作曲された傑作を三曲ラインナップしたカプリングが素晴らしいが、ライナーノーツの解説によると、これは小澤自身の提案によるものということであり、小澤の抜群のセンスの良さを大いに感じることができる。チャイコフスキー、プロコフィエフ、ベルリオーズという、いずれも小澤が最も得意とした作曲家の手による作品であり、これらをDGデビュー第1弾にラインナップした点にも、小澤の並々ならない意欲が感じられる。後年にも再録音を行った楽曲が揃っており、円熟という意味では後年の録音の方をより上位に置くべきであるが、本盤には、若き日の小澤ならではの生命力溢れる力強さが漲っており、作品の核心に切れ味鋭く踏み込んでいく燃焼度の高さにおいては、本盤の方を採るべきであろう。例えば、チャイコフスキーでは、あたかもライブ録音を彷彿とさせるような、思い切った緩急自在のテンポ設定や幅広いダイナミックレンジを駆使しており、トゥッティにおける金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニ(特に終結部が圧巻の凄まじさ)は迫力満点であるが、楽曲全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、驚異の至芸と言える。プロコフィエフでは、後年の録音よりも、やや早めのテンポでドラマティックに曲想を巧みに描き出していく。特に、切れ味鋭いリズム感は圧巻の凄まじさであり、その畳み掛けていくような緊迫感は、若き小澤だけが醸成し得た稀有の音楽性の賜物と言える。ベルリオーズでは、一転して情感豊かな美しさが際立っており、小澤の表現力の幅の広さを認識させてくれる。サンフランシスコ交響楽団も若き小澤の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。SHM−CD化によって、音質に鮮明さと強靭さを増した点も高く評価したい。
4 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/02/13
小澤&ボストン響時代を代表する素晴らしい名演だ。小澤は、バレエ音楽の全曲版としては、本盤の8年前にもチャイコフスキーの「白鳥の湖」を録音した。そのレビューにおいて、私は、ウィーン国立歌劇場のシェフとなる大指揮者小澤への確かな道程を感じると記したが、本盤は、「白鳥の湖」よりも更に優れた名演。小澤は、かかる道程を着実に歩んでいることがよくわかる演奏だ。小澤は、本盤の直後に、ベルリン・フィルとともにプロコフィエフの交響曲全集を録音するなど、プロコフィエフを自家薬籠中の作曲家としており、そうした点から来る自信と風格が、本盤の演奏全体に漲っていると言える。プロコフィエフの管弦楽曲の特徴として、不協和音を駆使したいわゆる音の濁りというものがあるが、小澤は、それを決してオブラートには包まない。どの箇所もスコアに記された音符のすべてを鳴らすことに腐心しているようである。それでいて、重々しくなることはなく、さりとて洗練され過ぎるということもなく、剛柔バランスのとれたシンフォニックな演奏を行っている点を高く評価したい。小澤の優れた特徴として、卓越した音楽性に去来するリズム感があるが、例えば、第1幕の第15曲のマーキュシオでは、軽快でリズミカルな音楽の中に瀟洒な味わいがあるし、第18曲の客人たちの退場における、古典交響曲から引用された旋律の躍動感が素晴らしい。また、小澤の舞台人としての演出巧者ぶりも健在で、例えば、第2幕においては、第24〜第27曲及び第30〜第31曲の小気味のいいリズミカルな音楽と、第28曲及び第29曲の情感溢れる美しい音楽との思い切った対比など、テンポ設定の緩急やダイナミックレンジの幅広さを駆使して、実にドラマティックな音楽を構築している。第3幕における第41曲以降のジュリエットの心象風景の描写は素晴らしいの一言であり、第4幕のロメオの死の切れ味鋭い慟哭の音楽には戦壊を覚えるほどだ。第52曲のジュリエットの死は、至高・至純の天国的な美しさに満ち満ちていると言える。ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器の技量には卓抜としたものがある。SHM−CD化によって、音質は非常に鮮明になるとともに、音場が広くなり、音に一本芯が通ったような強靭さが増した点は素晴らしいというほかはない。小倉重夫氏による楽曲や小澤の演奏に対する詳細な解説も読みごたえがあり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
5 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/02/12
若き日の小澤による爽快な名演だ。小澤は、フランス系の音楽を十八番とするとともに、ロシア音楽を得意としている。特に、チャイコフスキーには特別な愛着を抱いているようで、昨年の手術後の復帰の際の、サイトウキネンオケとのコンサートの演目に、弦楽セレナードを選んだほどだ。チャイコフスキーの第5については、後年にベルリン・フィルと再録音しており、当該盤は、ベルリン・フィルの卓抜した力量もあって、素晴らしい名演であった。したがって、小澤のチャイコフスキーの第5と言えば、後年のベルリン・フィル盤の方をより上位に置くべきであるが、本盤には、後年のベルリン・フィル盤とは違った魅力があると言える。それは、生命力に満ち溢れた圧倒的な力強さであり、特に、第1楽章や終楽章等におけるトゥッティに向けた、アッチェレランドなどを駆使した畳み掛けるような気迫においては、新盤を大きく凌駕していると言える。また、チャイコフスキーだからと言って、重々しくなり過ぎるということはいささかもなく、洗練された優美さが全体を支配しており、その音楽の流れのよどみのなさは爽快とも言えるほどだ。もちろん、洗練されている、爽快であると言っても、軽妙浮薄などと言った愚に陥ることはなく、どこをとってもコクのある濃密な音楽が紡ぎだされている点も高く評価したい。総じて、いい意味での剛柔バランスのとれた名演と言えるのかもしれない。ボストン交響楽団も、小澤の気迫溢れる統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言えるが、特に、第2楽章の首席ホルン奏者であるカヴァロフスキのホルンソロは極上の美しさだ。SHM−CD化によって、音質は鮮明になるとともに、音場は明らかに広くなっており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
1 people agree with this review
0 people agree with this review 2011/02/12
素晴らしい名演だ。名演となった理由は2つあると思われる。1つ目は、小澤自身がチャイコフスキーを得意のレパートリーとしている点だ。小澤は、最近ではブラームスなどのドイツ音楽でも名演奏を聴かせてくれているが、もともとはフランス系の音楽やロシア音楽を十八番としていた。特に、チャイコフスキーは、かつての手兵であったボストン交響楽団とともに、交響曲第5番やバレエ音楽「白鳥の湖」などの名演を生み出しているし、近年の大病復帰後のサイトウ・キネンとの復帰コンサートに選んだ曲は、弦楽セレナードであったことなどからして、小澤としても、かなりの愛着と自信を有しているものと考えられる。2つ目は、ベルリン・フィルの気迫溢れる名演奏だ。当時のベルリン・フィルは、カラヤンとの関係が決裂寸前の状態にあり、カラヤンの高齢もあって、ポストカラヤンが現実味を帯びていた。そのような状況の下、カラヤンの後継者たる可能性のある指揮者の下では、カラヤンへの対抗意識もあって、圧倒的な名演を成し遂げることが多かった。本盤など正にその最たる演奏の一つであり、一糸乱れる精緻なアンサンブル、重量感溢れる低弦の厚み、金管楽器や木管楽器の卓抜した技量、ティンパニの圧倒的な迫力など、カラヤン全盛時代にも比肩し得るような圧巻の演奏を行っていると言える。このように、チャイコフスキーを深く愛するとともに自家薬籠中にする小澤と、超絶的な気迫溢れる名演奏を繰り広げるベルリン・フィルの絶妙の組み合わせによる演奏が、名演にならないわけがない。小澤としても、ベストの状態にあった史上最高のオーケストラを得て行った会心の名演と言っても過言ではないのではないか。SHM−CD化によって、音質に鮮明さが増すとともに、音場がより広くなった点も高く評価したい。
0 people agree with this review
圧倒的な超名演だ。小澤は、若い頃よりフランス系の音楽を十八番として、頻繁に演奏してきたが、ここでもそうした小澤の天賦の才能が全開だ。ここでの小澤は、正に水を得た魚の如く、自らの才能の赴くままに、のびのびと自由闊達に演奏を行っているような印象を受ける。幻想交響曲の録音は、ボストン交響楽団の音楽監督就任の年のものであるが、そうした記念の年に録音を行ったという事実は、小澤の同曲への深い愛着と同時に、その自信のほどが伺える。演奏全体に、若き日の小澤ならではの、畳み掛けるような気迫と力強さが支配しており、切れば血が出るほどに熱い情熱に満ち溢れている。特に、第4楽章の切れ味鋭いリズム感と強靭さ、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは圧巻の迫力だ。それでいて、力任せの空虚な演奏にはいささかも陥っておらず、フランス音楽ならではの瀟洒な味わいと内容の濃さを失っていない点を高く評価したい。小澤は、緩急自在のテンポ設定や、広範なダイナミックレンジ、アッチェレランドを巧みに駆使して、ドラマティックな演奏を行っているのだが、交響曲全体の造型がいささかも弛緩しないというのは、小澤の類まれなる才能とともに、小澤のベルリオーズとの抜群の相性の良さを大いに感じるのである。併録のボレロや亡き王女のためのパヴァーヌも、後年の録音のようにやや洗練され過ぎるという愚に陥ることはいささかもなく、若き日の小澤の生命力溢れる力強さと、フランス風の瀟洒な味わいが見事に融合した稀有の名演だ。小澤の統率の下、ボストン交響楽団は素晴らしい演奏を披露しており、特に、金管楽器や木管楽器の卓越した技量は圧巻の凄さだ。SHM−CD化によって、音質に鮮明さと音場の広さが加わった点も評価したい。
7 people agree with this review 2011/02/12
インバルは、東京都交響楽団との間でマーラーチクルスを続行しているが、前作の第3番に続いて本盤も、この黄金コンビの好調さを表す素晴らしい名演だ。インバルは、かつてフランクフルト放送交響楽団と素晴らしい全集を作り上げた。当該全集では、インバルは劇的な要素をできるだけ抑制し、客観的な視点でマーラーがスコアに記した音符の数々を無理なく鳴らすというアプローチであった。インバル自身には、マーラーへの深い愛着に去来する有り余るパッションがあるのだが、インバルは演奏の際には、それをできるだけ抑制しようとする。それ故に、客観的なアプローチを取りつつも、いささかも無味乾燥な演奏に陥ることなく、内容の濃さにおいては人後に落ちることはない。しかも、抑制し切れずに零れ落ちてくるパッションの爆発が随所に聴かれ、それが聴き手の感動をより深いものにするのだ。ここに、インバルによるマーラーの魅力の秘密がある。東京都交響楽団との新チクルスにおけるアプローチも、基本的には旧全集と同様であるが、旧全集と比較すると、パッションの爆発の抑制を相当程度緩和しており(ライブ録音とスタジオ録音の違いもあるとは思うが)、これが新チクルスをして、旧全集よりもより一層感動的な名演に仕立てあげているのだと考える。かかる点は、近年のインバルの円熟ぶりを示す証左として高く評価したい。第1楽章は、冒頭のゆったりとしたテンポによる低弦による合奏の間の取り方が実に効果的。トゥッティに至る高揚は雄渾なスケールで、その後の高弦による旋律の歌い方は、思い入れたっぷりの情感に満ち溢れていて美しい。続く主部は、緩急自在の思い切ったテンポ設定、幅の広いダイナミックレンジを駆使して、実にドラマティックに曲想を抉り出していく。随所に聴かれる金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニは、圧巻の凄まじいド迫力だ。かつての自己抑制的なインバルとは段違いの円熟のインバルならではの成せる業だ。第2楽章は、オーソドックスな解釈であるが、弦楽器も木管楽器もこれ以上は求め得ないような情感の籠った流麗な音楽を紡ぎ出している。第3楽章は、冒頭のティンパニによる強打の効果的な間の取り方が、第1楽章冒頭の低弦と同様で実に巧み。その後も、ティンパニを始めとした打楽器群の活かした方は素晴らしく、打楽器を重要視したマーラーの本質を見事に衝いている。中間部の金管楽器のファンファーレにおける猛烈なアッチェレランドは凄まじい迫力であるし、その後に続く弱音のトランペットのパッセージのゆったりしたテンポによる歌わせ方は、正に天国的な至高・至純の美しさ。終結部のトゥッティのド迫力は、もはや言葉を失ってしまうほど圧倒的だ。第4楽章は、メゾソプラノのフェルミリオンの歌唱が実に美しい。それに合わせるかのように、東京都交響楽団も雰囲気満点の実に美しい音楽を奏でている。終楽章は、冒頭圧巻の迫力で開始される。その後は、ゲネラルパウゼや思い切った強弱の変化等を効果的に駆使しつつ主部に繋いでいく。主部への導入部のティンパニは凄まじい迫力。主部は風格豊かな堂々たる進軍だ。この部分は、下手な指揮者にかかると冗長さを感じさせてしまうのだが、インバルの場合は、緩急自在のテンポ設定、アッチェレランドの効果的活用、強弱の変化など、あらゆる至芸を駆使して実に濃密でドラマティックな音楽を構築しているのが素晴らしい。合唱が導入されて以降は、スケール雄大な壮麗さが支配しており、圧倒的な高揚と迫力のうちに、全曲を締めくくっている。独唱陣は、終楽章においても見事な歌唱を披露しており、二期会合唱団も大健闘と言える。何よりも素晴らしいのは東京都交響楽団であり、インバルの見事な統率の下、最高のパフォーマンスを示している。SACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
7 people agree with this review
小澤は、ドイツ音楽の中ではブラームスを得意としており、特に交響曲第1番については、これまでのところ3種類の録音が確認されている。師匠でもあるカラヤンが、同曲を名刺代わりとして、数多くの録音・演奏を行ったし、ミュンシュも同曲を得意としたことから、その影響も多少なりともあるのかもしれない。3種類の中で、圧倒的な名演は、最近発売された大病復帰後の感動的なライブ録音ということになり、安定感という意味では、2度目のサイトウキネン盤ということになる。では、最初の録音である本盤には魅力がないのかと言うと、必ずしもそうとは言えない。むしろ、本演奏には、後年の録音には聴くことができない、若き日の小澤ならではの生命力溢れる力強さが漲っており、畳み掛けていくような迫力という意味では、本盤が随一の名演ということになるのではないかと思われる。第1楽章冒頭の序奏部は、力強くも雄渾な威容を誇っているし、主部に入っても、若干早めのインテンポで曲想をぐいぐいと推し進めていく。その勢いは圧巻の迫力であり、彫の深さにおいては後年の録音には劣るとは思うが、決して内容希薄な演奏には陥っていない。第2楽章は只管美しい。特に、中間部の弦楽器や木管楽器の艶やかな音色は、まるで、カラヤン全盛期のベルリン・フィルを聴いているような錯覚を覚えるほどだ。それにしても、若き日に、これほどの味わい深い演奏をできる小澤に対しては、今日の大指揮者小澤への確かな道程を大いに感じるのである。第3楽章は、木管楽器の活かした方が巧みであるし、中間部を、殆ど気づかれないほどであるが、若干テンポを落として熱く歌い抜くのは実に感動的。終楽章は、さりげなく開始されるが、その後の高揚への演出効果は抜群。ホルンの響きは壮麗であり、高弦も実に美しい。その後は、ゆったりとしたインテンポによる威風堂々たる進軍であり、圧倒的な迫力の下に全曲を締めくくっている。ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、ドイツ風の重厚な音色を出しているのが素晴らしい。SHM−CD化によって、音質が鮮明であるとともに、音場が拡がる点も高く評価したい。
3 people agree with this review 2011/02/11
素晴らしい名演だ。小澤は、フランス系の音楽を十八番としているが、次いでストラヴィンスキーやプロコフィエフ、そしてチャイコフスキーなどのロシア音楽も得意としている。本盤の白鳥の湖は、小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任後5年を経た時点での録音であるが、ここでは、小澤が手兵ボストン交響楽団をしっかりと掌握し、見事な演奏を聴かせてくれている。白鳥の湖には、アンセルメやデュトワなどのフランス風に洗練された名演もあり、フランス系の音楽を得意とする小澤のアプローチもそのように捉えられがちであるが、必ずしもそうとは言い切れない要素も多い。洗練はされているものの、自らの師匠でもあるカラヤンのようなドイツ風の重厚さも兼ね備えており、いい意味のバランスのとれた演奏に仕上がっている点を高く評価したい。演奏内容において特筆すべき点を列挙すると、まずは第1幕。第3曲の情景における中間部の猛烈なアッチェレランドや、第4曲のパ・ド・トロワの場面毎の描き分けの巧みさ、第5曲のパ・ド・ドゥーの1曲目の情感の豊かさ、特に、中間部のヴァイオリンソロの息をのむような美しさ、そして第8曲の乾杯の踊りの凄まじい迫力が実に印象的だ。第2幕の第10曲の有名な情景の名旋律は、テンポは速めではあるが、感傷的にはいささかも陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。第13曲の白鳥たちの踊りは、ボストン交響楽団の木管楽器の各ソロ奏者の上手さは特筆すべきものがあり、小澤もこれ以上は求め得ないようなムード満点の演奏を行っている。特に、6曲目の湧き立つようなリズミカルな演奏は出色の出来だ。第14曲の情景の終結部の踏みしめるような粘着質の演奏は圧巻のド迫力。第3幕では、第17曲及び第18曲のトランペットファンファーレの響かせ方が奥行きがあって実に美しいのが印象的。第20曲〜第23曲の各ワルツは、正に小澤の独壇場であり、生命力溢れる力演でありながら、洒落た味わいをいささかも失うことがないという、二律相反する要素を兼ね備えた極上の音楽に仕上がっている。第4幕の第29曲は、雄渾なスケールであり、圧倒的な迫力の下に全曲を締めくくっている。SHM−CD化による音質向上効果もなかなかものであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
3 people agree with this review
小澤のボストン交響楽団の音楽監督就任後間もない頃の録音であるが、今なお小澤の代表盤の一つであるとともに、同曲のトップの座を争う名演と高く評価したい。小澤は、現在でこそ、ブラームスなどのドイツ音楽でも素晴らしい名演を聴かせてくれているが、若き時代には、どちらかと言うと、フランス系の音楽を十八番として、より頻繁に採り上げていた。本盤の録音の前後には、メシアン、ラヴェル、フォーレなど、今なお他の追随を許さないような名演の数々を生み出してるが、本盤のベルリオーズも大変得意としていた。今回のシリーズでは、本盤の「ファウストの劫罰」と幻想交響曲がSHM−CD化されて再発売されるが、演奏の質の高さからしても、大いに歓迎すべきであることであると言える。それにしても、本盤の小澤のセンス満点の音楽性の豊かさを何と表現すればいいのであろうか。どこをとっても、切れば血が出るような生命力に満ち溢れており、それでいて、フランス音楽ならではの洒落た味わいにもいささかの不足はない。各場面毎の描き分けも実に巧みに行っており、その演出巧者ぶりは、ウィーン国立歌劇場のシェフとして辣腕を振った後年の円熟の小澤を彷彿とさせるのに十分だ。独唱陣はいずれも秀逸であるが、特に、ファウスト役のスチュアート・バロウズの歌唱が素晴らしい。タングルウッド音楽祭合唱団もいつもながら見事な歌唱を聴かせてくれているが、随所で活躍するボストン少年合唱団の歌唱は、至純・至高の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献していることを忘れてはなるまい。ボストン交響楽団も最高のパフォーマンスを示しており、これから若き小澤を盛り立てて行こうという力強い気迫さえ感じられる。録音も合唱を含め全体を鮮明に捉え切った見事なものであり、SHM−CD化によって、より鮮明さを増した点も高く評価したい。
6 people agree with this review 2011/02/11
先ず、何よりもエル=バシャの奏でるピアノの音が実に美しい。帯の解説によると、エル=バシャの強い希望によりべヒシュタインD−280を使用したとのことであるが、その効果は抜群であり、他の数々の名演とは一線を画するような、実に美しくも深みのある音色が演奏全体を支配している。エル=バシャのアプローチはあくまでも正攻法であり、いささかも奇を衒うことなく、曲想を丁寧に精緻に描き出していくというものだ。かかるアプローチは、前述のようなピアノの音との相性が抜群であり、このような点に、エル=バシャの同曲への深い拘りと理解を感じるのである。また、エル=バシャのアプローチは正攻法で、精緻でもあるのだが、決して没個性的というわけではない。もちろん、平均律クラヴィーア曲集の綺羅星の如く輝く過去の演奏、例えば、グールドやリヒテル、アファナシエフなどのような聴き手の度肝を抜くような特異な個性があるわけではないが、表現力は非常に幅広く、卓抜したテクニックをベースに、テンポの緩急を自在に操りつつ、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、実に内容豊かな音楽を構築している点を高く評価したい。これまでの平均律クラヴィーア曲集の名演では、構成されたプレリュード、フーガの各曲すべてが優れた演奏ということは殆どなく、曲によっては特に優れた演奏がある一方で、いささか不満が残る演奏も混在するというのが通例であったが、エル=パシャによる本演奏では、特に優れた特記すべき演奏があるわけではないが、いずれの曲も水準以上の演奏であり、不出来な演奏がないというのが素晴らしい。こうした演奏の特徴は、長大な同作品を、聴き手の緊張感をいささかも弛緩させることなく、一気呵成に聴かせてしまうという至芸に大きく貢献しており、ここに、エル=バシャの類まれなる音楽性と才能を大いに感じるのである。第2集への期待を大きく抱かせる高水準の名演と高く評価したい。録音は、SACDによる極上の高音質録音であり、エル=バシャの美しいピアノを鮮明な音質で味わうことができる点も評価したい。
6 people agree with this review
3 people agree with this review 2011/02/10
ヤルヴィによるハルヴォルセンの管弦楽曲集の第2弾であるが、第1弾に勝るとも劣らない名演だ。ヤルヴィは、若い頃から、特に北欧の知られざる作曲家の名作を熱心に録音してきたが、老いてもなおそうした情熱を失わない姿勢に大いに敬意を表したい。それにしても、ハルヴォルセンの管弦楽曲は実に親しみやすい。どの曲も、北欧の大自然を彷彿とさせるような美しい抒情豊かな旋律に満ち溢れていると言える。ノルウェーの作曲家と言えば、同時代の作曲家グリーグばかりに光が当たっているが、その作品の質の高さにおいては、殆ど遜色がないと言えるのではなかろうか。特に、本盤におさめらえた交響曲第2番は、グリーグが習作の域を出ない交響曲しか遺していないだけに、ハルヴォルセンの偉大さがよりクローズアップされる。第1番もなかなかの名作ではあったが、第2番には、チャイコフスキーの後期三大交響曲に顕著に見られるような運命のモチーフを効果的に用いるなど、とてもノルウェーのローカルな作曲家の範疇にはおさまりきらないような傑作と言えるのではないか。ノルウェー舞曲も、グリーグの作品も名作ではあったが、ハルヴォルセンのそれは、民族色の濃さにおいて、違った魅力があると言える。ノルウェーの旋律も、ヴァイオリンのソロとオーケストラが巧みに融合された実に美しい作品だ。いずれにしても、本盤は、ハルヴォルセンの再評価に繋がることについて、大いに期待を持てる名CDと高く評価したい。
ヤルヴィは、きわめてレパートリーの広い指揮者であるが、若き頃より、特に北欧の知られざる作品を数多く録音してきた。そのようなヤルヴィをなんでも屋であるなどと揶揄する批評も目にすることがよくあるが、殆どの指揮者が指揮することがない北欧の知られざる名曲を広く世に知らしめたという業績は、大きく称えざるを得ないのではないかと考える。本盤も、そうしたヤルヴィの偉大な業績の一つと言える。最近では、息子のパーヴォ・ヤルヴィが進境著しく、名演の数々を生み出していることから、ひと頃に比べると影が薄くなったきらいがないわけではないが、本盤のような名演を聴くと、老いてもなお健在であることがよくわかる。ハルヴォルセンは、グリーグとほぼ同時期のノルウェーの作曲家であるが、グリーグが国際的な認知を得ているのに対して、国際的には殆ど知られていないと言っても過言ではない。しかしながら、本盤におさめられた各楽曲を聴くと、実に北欧風の親しみやすい旋律に満ち溢れた名作揃いであり、グリーグの諸作品と比較しても、作品の質が劣るとは必ずしも言えないのではないかとも考えられる。特に、グリーグがあまり得意としなかった交響曲などの大作の分野においては、本盤の交響曲第1番の充実ぶりを聴くと、一歩先んじていたのではないかとさえ思えるほどだ。演奏内容も、いずれもヤルヴィならではの聴かせどころのツボを心得た名演であり、ハルヴォルセンの知られざる名作の数々を広く世に知らしめるという意味でも、きわめて意義の大きい素晴らしいCDの登場であり、高く評価したい。
0 people agree with this review 2011/02/09
ブルックナーの権威として、3度にわたって全集を完成させるなど、朝比奈は、ブルックナーの交響曲を数多く演奏した。したがって、朝比奈には、ブルックナー指揮者というイメージが強く、マーラー指揮者というイメージは殆どない。それでも、同じ年齢のカラヤンと比較すると、第1以外の交響曲はすべて演奏を行った記録がのこされているなど、意外にもマーラーをよく指揮しているのである。特に、第5はマスターテープの損傷が激しくてCD化が困難ということであるが、第2、第6、第9、そして大地の歌には複数の録音が遺されている点も見過ごすことはできないだろう。朝比奈のマーラーへのアプローチは、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーに対するアプローチと同じだ。荘重たるインテンポで、曲想を愚直に描き出していくというものだ。そのようなアプローチは、劇的な要素が支配的なマーラーの交響曲にはいささか符号しない点も多々見られるが、雄渾なスケールの大きさにおいては、他のどの演奏にも互角に渡り合えると思われる。朝比奈のアプローチが最も適合する交響曲は、本盤の大地の歌と言えるのではないだろうか。同様のアプローチによる名演の先例として、クレンペラー盤があるからである。もちろん、オーケストラや歌手陣は、クレンペラー盤と比較して相当程度劣ると言えるが、演奏内容の彫の深さと言った点では、クレンペラー盤にかなり肉薄しているのではないかと考える。最大公約数的には、後年の演奏(ポニーキャノン)を上位に掲げるべきであろうが、朝比奈が最円熟期を迎える直前の本盤も、十分に魅力的な名演と高く評価したい。
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