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Review List of つよしくん 

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  • 8 people agree with this review
     2011/10/23

    これは素晴らしい名演だ。マタチッチはNHK交響楽団の名誉指揮者として何度も来日を行うなど、我が国にとっても特に親しみ深い指揮者と言えるが、マタチッチの芸風に最も符号した楽曲は、ブルックナーの交響曲であったのではないかと考えられるところだ。本年、XRCD盤で発売されたNHK交響楽団との第8番(1984年)など、既に神格化されている名演奏なども数多く成し遂げられているが、オーケストラの技量なども含め、最も優れたマタチッチによるブルックナーの交響曲の名演を掲げるということになれば、私としては、本盤におさめられたチェコ・フィルとの交響曲第7番を躊躇なく第一に掲げたいと考える。演奏は1967年であり、これはいまだブルックナーの交響曲がポピュラリティを獲得していない時代のもの。ヴァントや朝比奈が至高の超名演を成し遂げるのもかなり先のことであり、ブルックナーの演奏様式そのものがいまだ確立していない時期の演奏とも言えるだろう。そのような時代にあって、マタチッチがこれだけの、そして現代においてもいささかも古臭さ、時代遅れを感じさせない圧倒的な名演奏を行ったこと自体が驚異的であり、これにはマタチッチの類稀なる才能とともに、ブルックナーの交響曲との抜群の相性の良さを感じることが可能であると言える。本演奏の中でも文句なしに素晴らしいのは第1楽章と第2楽章であると言えるだろう。悠揚迫らぬインテンポを基調としつつ、情感のこもった歌心溢れる音楽が滔々と流れている。スケールも雄大であり、演奏全体の造型も堅固。とりわけ、第2楽章の崇高な美しさには神々しささえ感じられるところであり、この第1楽章及び第2楽章に関しては、後年のヴァントや朝比奈の数々の至高の名演にも比肩し得る圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。もっとも、第3楽章や第4楽章になると、これは第5番などにおいてより顕著になってくるが、アッチェレランドなどを施すなどテンポの振幅を駆使してドラマティックな表現を行っており、いささか芝居がかったような演奏と言えなくもないところである。第1楽章及び第2楽章があまりにも素晴らしいだけに、いささか残念であると言えるが、それでも演奏全体として名演との評価に揺らぎがないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからに他ならないと言える。マタチッチの統率の下、素晴らしい名演奏を展開したチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。これだけの名演だけに、これまでリマスタリングが繰り返されるとともに、Blu-spec-CD盤や本XRCD盤が発売されるなど、数々の高音質化の努力が試みられてきたところだ。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDやBlu-spec-CD盤、XRCD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、マタチッチによる圧倒的な超名演をこのような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/10/22

    バッハのマタイ受難曲をクラシック音楽史上最高傑作と評価するクラシック音楽ファンも多い。こうした考え方が正しいのかどうかは別として、少なくとも大傑作の名に値する作品であることについては異論の余地がないところであろう。これだけの大傑作だけに、かつてはメンゲルベルクやクレンペラー、そしてカラヤンなどの大指揮者によって、大編成のオーケストラと合唱団を使用した重厚な名演が繰り広げられていた。ところが近年では、オーケストラにピリオド楽器を使用した演奏、古楽器奏法を駆使した演奏、更には、各パートを一人ずつとするなど極めて小編成のオーケストラによる演奏等が現れてきており、加えて合唱団も少人数にするなど、かつてと比較すると軽妙な演奏が増えつつあるように思われる。このように、マタイ受難曲の演奏様式は刻々と変化してきていると思われるが、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもその価値がいささかも色褪せない永遠の名演こそが、本盤におさめられたリヒターによる1958年のスタジオ録音であると考えられるところだ。ミュンヘン・バッハ管弦楽団は比較的小編成のオーケストラではあるが、いわゆるシンフォニックな重厚さにおいてもいささかも申し分ないと言える。演奏は、悠揚迫らぬテンポによる荘重さ、壮麗さが支配しており、全体を演奏するのに3時間以上もの時間を要する長大な楽曲であるにもかかわらず、いささかも冗長さに陥ることなく、常に気迫溢れる力強さと峻厳さを失っていないのが素晴らしい。このようなリヒターの本演奏にかける凄まじいまでの集中力には殆ど驚異を覚えるほどだ。全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは雄大の極み。また、イエスの逮捕のシーンの劇的な迫力などにも凄まじいものがあり、ドラマティックな要素にも欠けるところがない。正に、同曲に込められた内容のすべてを音化し尽くした稀有の名演と言えるところであり、今後とも本名演を超える演奏を行うのは容易ではないと言っても過言ではあるまい。独唱陣も極めて優秀であり、特に福音史家のエルンスト・ヘフリガーの入魂の名唱は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。若きフィッシャー・ディースカウによるアリアにおける名唱も、演奏全体の緊張感の持続に少なからず貢献していると言える。ミュンヘン・バッハ合唱団やミュンヘン少年合唱団の歌唱も壮麗かつ清澄な美しさの極みであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。本演奏は、同曲演奏史上最高の超名演だけに、これまで何度もリマスタリングが繰り返してきたが、現時点でのベストの音質は数年前に発売されたSHM−CD盤ということになるだろう。しかしながら、リヒターによるバッハの管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲の一部が既にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されている実績などに鑑みれば、今後、本演奏についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売していただきたいと考えている聴き手は私だけではあるまい。

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  • 7 people agree with this review
     2011/10/22

    本盤におさめられたスーク&パネンカによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番及び第9番は、このコンビが1966〜1967年にかけてスタジオ録音を行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集から、最も有名な2曲を抜粋したものである。当該全集は、1969年のレコード・アカデミー賞を受賞した名盤として広く知られているが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を機に今一度聴き直してみたが、やはり演奏は素晴らしいと思った次第だ。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ、とりわけヴァイオリン・ソナタ史上最大の規模を誇るとともに、交響曲にも比肩するような強靭にして重厚な迫力を有している第9番「クロイツェル」については、同曲の性格に符号した力強い迫力を売りにした名演が数多く成し遂げられてきていると言える。これに対して、スークのヴァイオリン演奏は決して卓越した技量や強靭な迫力を売りにしていないと言える。むしろ、曲想をおおらかに、そして美しく描き出していくというものであり、とりわけ、第9番「クロイツェル」については、他のどの演奏よりも優美な演奏と言ってもいいのかもしれない。いささか線の細さを感じさせるのがスークのヴァイオリン演奏の常々の欠点であるとは言えるが、音楽性は豊かであり、ベートーヴェンを威圧の対象とするかのような力んだ演奏よりはよほど好ましいと言えるのではないだろうか。パネンカのピアノも優美な美しさを誇っており、スークのヴァイオリン演奏との相性にも抜群のものがあると言える。いずれにしても、本演奏は、とりわけ第9番「クロイツェル」に強靭にして重厚な迫力を期待する聴き手には肩透かしを喰わせる可能性はないではないが、演奏全体を支配している音楽性満点の美しさには抗し難い魅力があり、数々の名演奏家を生み出してきたチェコの至宝とも言うべき珠玉の名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質であると言える。本演奏は、いずれも今から50年近くも前の1966〜1967年のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わったと言える。スークのヴァイオリンの細やかな弓使いやパネンカの繊細なピアノタッチが鮮明に再現されるのは、録音年代からして殆ど驚異的であり、あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、スーク&パネンカによる至高の名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/10/22

    先月より発売が開始された、日本コロンビアによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズは好評を博しており、今月はその第2弾が登場することになった。もっとも、その対象となる演奏の選定に際して、アンチェルによるドヴォルザークの交響曲第9番やマタチッチによるブルックナーの交響曲第5番についてはおおむね妥当であると考えるが、よりによって何故にケルテスによるベートーヴェンの交響曲第4番を選定したのかは若干の疑問を感じずにはいられないところだ。もちろん、決して悪い演奏ではない。むしろ、名演との評価が可能な素晴らしい演奏ではあるが、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をするのであれば、他にもっと優れた演奏があるのではないだろうか。それはさておき、ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったことは否定し得ない事実であると言える。本演奏は1960年のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳というデビューしたばかりの時期のものだ。それだけに、演奏に奥行きのある彫の深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、正に若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっていると言える。そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以であると言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。併録の「レオノーレ」序曲第3番、「コリオラン」序曲、そして「エグモント」序曲も、交響曲第4番と同様のアプローチによる圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質であると言える。本演奏は、いずれも今から50年以上も前の1960年のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わったと言える。あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ケルテス&バンベルク交響楽団による名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/10/22

    マタチッチ&チェコ・フィルによるブルックナーの交響曲第7番(1967年)は、第3楽章や第4楽章に若干の問題はあるものの、演奏全体としては圧倒的な名演であった。これに対して、その3年後の第5番の演奏(1970年)は、いささか問題があると言わざるを得ない。第7番の第3楽章や第4楽章で露呈した問題点が、第5番では演奏全体に蔓延してしまっているようにさえ感じられる。私は、本演奏についてBlu-spec-CD盤の発売の際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。「第7番がマタチッチの本領が発揮された名演であるのに対して、この第5番は、マタチッチにしてははっきり言ってイマイチの出来と言わざるを得ない。第2楽章の終結部や終楽章の厚手のオーケストレーション、大幅なカットなど、シャルクによる悪名高い改訂版を使用しているというハンディもあるが、それ以上に、マタチッチの同曲へのアプローチが、ブルックナー演奏にしてはいささか芝居がかっていると言えるのではないか。第1楽章や第3楽章の極端な快速テンポなど、どうしてそんなに性急なのかと考えてしまう。特に、90年代に入ってからは、朝比奈やヴァントによる至高の名演が登場したこともあり、そうした名演に慣れた耳からすると、本盤の解釈はいかにもわざとらしい印象を受けることになる。第2楽章の中間部など、マタチッチならではの重厚にして美しい箇所も散見されるが、全体を俯瞰すればほとんど焼け石に水。改訂版の使用も相まって、あまりいい点数を与えることができない演奏と言うことができる。同演奏については、数年前にXRCD盤が発売され、素晴らしい音質を誇っていたが、値段がいかにも高い。Blu-spec-CD盤は、XRCD盤に迫る高音質を誇っており、費用対効果を考えると十分に推薦に値する。」そして、評価としては★3つとしたところであるが、演奏内容の評価については、現在でも変わりがないところである。ただ、当時と変わったのは、今般、究極の高音質CDでもあるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになったことである。当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDやBlu-spec-CD盤、XRCD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、これだけの高音質になると、4500円という価格も決して高いとは思えないとも言えるところだ。そして、かかる高音質化によって、マタチッチのいささか荒っぽさを感じさせた演奏にも若干の潤いが感じられるようになったところである。したがって、本盤全体の評価としては、演奏内容としては★3つとするところ、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を考慮して、★4つの評価とさせていただくことにしたい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/10/22

    累代のチェコ・フィルの指揮者はドヴォルザークの交響曲第9番の録音を行っているが、いずれも個性的な名演揃いであると言える。ターリッヒにはじまり、本盤のアンチェル、そしてクーベリックやノイマン、そして近年のマーツァルなど、これらの大指揮者による同曲の演奏は、現在においても名演としての地位を確立していると言っても過言ではあるまい。これらの名演に優劣を付けることは困難であると言えるが、本盤におさめられたアンチェルによる演奏は、ターリッヒによる演奏がモノラル録音で今一つ音質が冴えないことを考慮に入れれば、チェコ・フィルの累代の指揮者による同曲演奏の代表盤と言ってもいいのではないだろうか。アンチェルによる演奏は、どちらかと言うと聴かせどころのツボを心得たサービス精神旺盛な演奏とは言い難いと言える。もちろん、ターリッヒによる演奏のように即物的に徹した演奏とは言えないが、それでもどちらかと言えば派手さはなく、一切の虚飾を配したストレートなアプローチとさえ言えるだろう。ティンパニの効果的な使い方や低弦の歌わせ方には出色のものがあるものの、華麗さとは程遠い渋味のある演奏とさえ言えるところだ。しかしながら、一聴すると淡々と流れている曲想の端々には、両親や妻子をアウシュビッツで虐殺されるなど激動の悲劇的な人生を送ってきたこの指揮者だけが描出可能な底知れぬ奥深い情感が込められていると言えるところであり、その独特の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。巧言令色とは正反対の飾り気のない演奏であるが、その演奏の深沈たる奥行きの深さは、正にいぶし銀とも言うべき独特の輝きを放っていると高く評価したい。もっとも、これだけの名演であるが、1961年の録音ということもあって、従来CD盤では今一つ音の鮮度に欠ける(特に、高音域)という欠点があったのであるが、数年前に発売されたXRCD盤はそうした従来CD盤の欠点を補い、正に理想に近い見事な高音質に生まれ変わっていたと言える。したがって、私としても当該XRCD盤をこれまで愛聴してきたところであるが、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤を聴いて大変驚いた。XRCD盤よりも更に音質がより艶やかになっており、あたかも最新録音であるかのようなおよそ信じ難い極上の鮮明な高音質になったと言えるのではないだろうか。冒頭のティンパニのド迫力などは我々聴き手の度肝を抜くのに十分であり、あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、アンチェル&チェコ・フィルによるドヴォルザークの交響曲第9番の至高の名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 15 people agree with this review
     2011/10/15

    ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ないと言える。そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期三大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(いずれも既にSACD化)などを除いては極めて劣悪な音質で、この大指揮者の桁外れの実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にあると言える。数年前にスクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されており、音質も既発CDと比較すると格段に向上していたが、このうち、1972年のライヴ録音をおさめた盤が既に入手難となっていたところだ。そのような中で、今般、1965年及び1972年のモスクワでのライヴ録音を纏めた上で、大幅に価格を下げて発売されることになったのは、この大指揮者の指揮芸術の真価をより多くのクラシック音楽ファンが深く味わうことが可能になったという意味で、極めて意義が大きいことであると言わざるを得ないところだ。1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが何と言っても本盤の素晴らしさと言えるだろう。まず、1965年のライヴ録音であるが、先ず、冒頭のグリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲からして、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っていると言える。ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏は正に旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるような凄まじいものであったところだ。そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁さを誇っており、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的なものであった。本演奏においても同様であり、正に超絶的な豪演を展開していると言える。本演奏を聴いて、他の有名オーケストラの団員が衝撃を受けたというのもよく理解できるところであり、他のどの演奏よりも快速のテンポをとっているにもかかわらず、弦楽合奏のアンサンブルが一音たりとも乱れず、完璧に揃っているのは圧巻の至芸というほかはあるまい。ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1972年のモスクワライヴの方をより上位に掲げる聴き手もいるとは思うが、本演奏における徹底して凝縮化された演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがあると言える。厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくことによって、一聴するとドライな印象を受ける演奏ではあるが、各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、どこをとっても格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる本演奏の凄みと言えるだろう。ワーグナーの2曲も至高の超名演であるが、特に、楽劇「ローエングリーン」第3幕への前奏曲の猛スピードによる豪演は、「ルスランとリュドミュラ」序曲に匹敵する圧巻のド迫力だ。モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲も爽快な名演であるが、交響曲第39番は更に素晴らしい超名演。同曲はモーツァルトの三大交響曲の中でも「白鳥の歌」などと称されているが、ムラヴィンスキーの演奏ほど「白鳥の歌」であることを感じさせてくれる透徹した清澄な美しさに満ち溢れた演奏はないのではないか。やや早めのテンポで素っ気なささえ感じさせる演奏ではあるが、各旋律の随所に込められた独特の繊細なニュアンスと豊かな情感には抗し難い魅力があると言える。シベリウスの交響曲第7番は、ブラスセクションのロシア風の強靭な響きにいささか違和感を感じずにはいられないところであり、いわゆる北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄な演奏ではないが、同曲が絶対音楽としての交響曲であることを認知させてくれるという意味においては、比類のない名演と評価したい。シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」やヒンデミットの交響曲「世界の調和」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども、引き締まった堅固な造型の中に豊かな情感が込められた味わい深い名演であるが、さらに凄いのはバルトークの弦楽器、打楽器とチェレスタの為の音楽とオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。これらの演奏においても例によって、若干早めのテンポによる凝縮化された響きが支配しているが、それぞれの楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥深さには凄みさえ感じられるところであり、聴き手の心胆を寒からしめるのに十分な超絶的な超名演に仕上がっていると言えるところだ。次いで、1972年のライヴ録音。ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。早めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっていると言える。ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。やや早めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所においては各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると評価したい。ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがっておさめられているが、いずれもこの指揮者ならではの彫の深い素晴らしい名演に仕上がっていると言える。ブラームスの交響曲第3番は、ベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや早めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、前述の1965年の演奏も名演ではあるが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、私としては本演奏の方をより上位に置きたい。いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。チャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・デ・ラミニ」は、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。チャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、私としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容も有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で、なおかつ低廉な価格で味わうことができるという意味において、是非とも購入をおすすめしたい素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/10/15

    ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ないと言える。そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期三大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(既にいずれもSACD化)などを除いては、極めて劣悪な音質でこの大指揮者の実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にあると言える。そのような中で、スクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されているが、音質も既発CDと比較すると格段に向上しており、この大指揮者の指揮芸術の真価をさらに深く味わうことが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。何よりも、1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが素晴らしいと言える。本盤には、1972年のライヴ録音がおさめられているが、いずれも凄い演奏だ。ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏は正に旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるようなものであった。そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁なものであり、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的であったが、本盤におさめられた演奏でも随所においてそれを味わうことが可能だ。冒頭のチャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・デ・ラミニ」からして、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。続くチャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、私としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容を有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがっておさめられているが、いずれもこの指揮者ならではの彫の深い素晴らしい名演に仕上がっていると言える。ブラームスの交響曲第3番は、後述のベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや早めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感は抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1965年盤もありそれも名演であったが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、私としては本演奏の方をより上位に置きたい。いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。早めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっていると言える。ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。やや早めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所における各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると言えるだろう。いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるという意味においては、1965年盤と並んで安心してお薦めできる素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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     2011/10/15

    ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ないと言える。そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期三大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(いずれも既にSACD化)などを除いては極めて劣悪な音質で、この大指揮者の桁外れの実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にあると言える。そのような中で、スクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されているが、音質も既発CDと比較すると格段に向上しており、この大指揮者の指揮芸術の真価をより一層深く味わうことが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。何よりも、1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが素晴らしいと言える。本盤には、1965年のライヴ録音がおさめられているが、いずれも凄い演奏だ。ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏は正に旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるような凄まじいものであったと言える。そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁さを誇っており、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的なものであった。本盤においても、冒頭のグリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲からして超絶的な豪演を展開していると言える。本演奏を聴いて、他の有名オーケストラの団員が衝撃を受けたというのもよく理解できるところであり、他のどの演奏よりも快速のテンポをとっているにもかかわらず、弦楽合奏のアンサンブルが一音たりとも乱れず、完璧に揃っているのは圧巻の至芸というほかはあるまい。ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1972年のモスクワライヴの方をより上位に掲げる聴き手もいるとは思うが、本演奏における徹底して凝縮化された演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがあると言える。厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくことによって、一聴するとドライな印象を受ける演奏ではあるが、各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、どこをとっても格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる本演奏の凄みと言えるだろう。ワーグナーの2曲も至高の超名演であるが、特に、楽劇「ローエングリーン」第3幕への前奏曲の猛スピードによる豪演は、「ルスランとリュドミュラ」序曲に匹敵する圧巻のド迫力だ。モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲も爽快な名演であるが、交響曲第39番は更に素晴らしい超名演。同曲はモーツァルトの三大交響曲の中でも「白鳥の歌」などと称されているが、ムラヴィンスキーの演奏ほど「白鳥の歌」であることを感じさせてくれる透徹した清澄な美しさに満ち溢れた演奏はないのではないか。やや早めのテンポで素っ気なささえ感じさせる演奏ではあるが、各旋律の随所に込められた独特の繊細なニュアンスと豊かな情感には抗し難い魅力があると言える。シベリウスの交響曲第7番は、ブラスセクションのロシア風の強靭な響きにいささか違和感を感じずにはいられないところであり、いわゆる北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄な演奏ではないが、同曲が絶対音楽としての交響曲であることを認知させてくれるという意味においては、比類のない名演と評価したい。シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」やヒンデミットの交響曲「世界の調和」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども、引き締まった堅固な造型の中に豊かな情感が込められた味わい深い名演であるが、さらに凄いのはバルトークの弦楽器、打楽器とチェレスタの為の音楽とオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。これらの演奏においても例によって、若干早めのテンポによる凝縮化された響きが支配しているが、それぞれの楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥深さには凄みさえ感じられるところであり、聴き手の心胆を寒からしめるのに十分な壮絶な超名演に仕上がっていると言えるところだ。いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるという意味においては、1972年盤と並んで安心してお薦めできるすばらしい名盤であると高く評価したい。

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     2011/10/10

    フルトヴェングラーによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の録音としては、本演奏(1953年のいわゆるローマ盤)と1950年に録音されたミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団ほかとの演奏(いわゆるミラノ盤)の2点が掲げられる。このうち、ミラノ盤については、演奏としては極めてドラマティックで壮絶な名演であり、フラグスタートがブリュンヒルデ役をつとめるなど歌手陣は豪華ではあるが、録音状態が劣悪で、よほどの忍耐力がないと最後まで聴きとおすのがつらい音質であると言わざるを得ない。これに対して、本ローマ盤は、音質がミラノ盤よりも比較的良好であるとともに、歌手陣も錚々たる顔ぶれが揃っていること、そしてオーケストラが、フルトヴェングラーの下で何度も演奏を行っていたイタリア放送交響楽団(RAIローマ交響楽団)であることなど、ミラノ盤と比較するとよりよい条件が揃っていると言えるところであり、遺された2つの録音を総体として評価すれば、本ローマ盤をフルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の代表盤とするのにいささかも躊躇するものではない。本ローマ盤は、これまで様々なレーベルによってリマスタリングやLPからの板おこしなどが繰り返し行われてきたが、ミラノ盤よりは良好な音質とは言え、必ずしも満足できる音質とは言い難いものであったと言える。しかしながら、今般、ついにEMIがSACD化に踏み切ったのは歴史的な快挙とも言えるものであり、これまでの高音質化の取組の究極の到達点とも言えるだろう。それにしても、素晴らしい音質に蘇ったと言える。もちろん最新録音のようにはいっていないが、各歌手陣の歌唱も比較的鮮明に聴き取ることができるようになったと言えるし、それ以上に、これまでは団子のような音塊に成り下がっていたオーケストラ演奏が見違えるようなクリアな音質に生まれ変わったことにより、フルトヴェングラーの至芸を大いに満喫することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。それにしても、フルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏を、このような良好な音質で聴ける日が訪れるとはいまだかつて夢想だにもしなかったところであり、私としても長年の渇きを癒すものとして深い感慨を覚えたところだ。演奏内容は、言わずと知れた不朽の超名演だ。とある影響力のある某音楽評論家が、フルトヴェングラーによるワーグナー演奏をスケールが小さいなどと酷評しているようであるが、氏は一体何を聴いてそのような判断を下しているのであろうか。本演奏の悠揚迫らぬ確かな歩みと同時に、テンポの振幅を効果的に駆使した圧倒的なドラマ性、そして各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫の深い深遠な音楽は、ワーグナーの壮麗かつドラマティックな音楽を完璧に音化し尽くしており、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを誇っていると言えるところだ。これで、もう少し音質が優れていたとすれば、間違いなく、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏史上最高の名演の玉座を勝ち取ったことも十分に考えられると言っても過言ではあるまい。歌手陣も、さすがは巨匠フルトヴェングラーがキャスティングしただけあって豪華の極みであり、ジークフリート役のルートヴィヒ・ズートハウス、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードル、ローゲ役やジークムント役のヴォルフガング・ヴィントガッセン、そしてミーメ役のユリウス・パツァークなど、フルトヴェングラーの渾身の指揮とともに、これ以上は求め得ないような最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。イタリア放送交響楽団も、フルトヴェングラーの確かな統率の下、ドイツ風の重厚な名演奏を繰り広げているのを高く評価したい。

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     2011/10/02

    本年4月、パーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団とともにライヴ録音を行ったブラームスのドイツ・レクイエムが発売され、それは素晴らしい名演であったが、それに引き続いて、パーヴォ・ヤルヴィがパリ管弦楽団とともに録音を行ったフォーレのレクイエムが発売される運びとなった。そして演奏も、我々聴き手の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。フォーレのレクイエムは、三大レクイエムの中でも極めて慎ましやかな作品であり、近年では、同曲を十八番としているコルボも含め、室内オーケストラを使用した小規模な編成による演奏が主流となりつつある。そのような中で、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏(1962年)やジュリーニ&フィルハーモニア管弦楽団による演奏(1986年)、そしてプレートル&ベルリン・ドイツ交響楽団による演奏(2007年)などは貴重な存在であると言えるが、これらの通例のオーケストラを使用した名演の列に本盤のパーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団による演奏が加わったのは何と素晴らしいことであろうか。本演奏でのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチはオーソドックスなものと言える。曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くというものだ。もちろん、スコアに記された音符の表層だけをなぞったような浅薄な演奏には陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。静謐さに満たされた同曲であり、演奏によっては音が殆ど聴き取れずにコクを失ってしまうようなものも散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの場合はいたずらに静謐さにとらわれることなく、どこをとっても独特のニュアンスに満ち溢れた内容の濃さを失っていない点が見事である。カウンターテナーを起用しているのも本演奏の特徴であると言えるが、それも効果的であると言えるところであり、かかるフィリップ・ジャルスキー、そしてバリトンのマティアス・ゲルネも最高の歌唱を披露していると言える。そして、パリ管弦楽団合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると言えるところだ。いずれにしても、本演奏は、いわゆる通例のオーケストラを使用した演奏としては、トップクラスの素晴らしい名演と高く評価したい。併録のラシーヌの雅歌、エレジー、パヴァーヌ、バビロンの流れのほとりでも、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性が発揮された素晴らしい名演だ。このうち、バビロンの流れのほとりでは、世界初録音という意味でも大変貴重であると言える。音質も非常に鮮明かつ瑞々しささえ感じさせるほどの透明感にも満ち溢れており、HQCD化もある程度効果を発揮しているのではないかと考えられる。ただ、最近、フルトヴェングラーやアルゲリッチ、ラトルの一連の録音のSACD化によって大好評を博しているEMIであり、本盤もSACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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     2011/10/02

    驚くべき超名演の登場である。これから壮年期を迎えようとしている今を時めくイタリアの俊英指揮者であるパッパーノがついにマーラーの交響曲の録音に着手した。イタリア人指揮者によるマーラーの演奏については、アバド、シャイー、シノーポリなどが個性的な素晴らしい名演の数々を成し遂げているところであり、パッパーノがどのようなアプローチで演奏に臨むのかは実に興味深いと言えるところだ。そして、最初の録音に、いきなり中期の傑作である交響曲第6番を選んだという点に、パッパーノの並々ならぬ自信と意気込みを感じることが可能である。本演奏は、そうした我々聴き手の期待をいささかも裏切ることがない、そしてパッパーノの自信を大いに感じさせる堂々たる名演に仕上がっていると高く評価したい。それどころか、名演の前に超をいくつか加えてもいいのかもしれない。私も本演奏を聴いてそれくらい深く感動したところだ。そして、後述のように音質が極めて鮮明であり、各楽器セクションが見事に分離して聴こえるのも、本超名演に一躍買っていると言ってもいいのではないだろうか。パッパーノの基本的なアプローチは、特別な解釈を施して聴き手を驚かせようというような奇を衒ったところがいささかもなく、曲想を精緻に描き出していくという、近年主流となりつつあるマーラー演奏の王道を行くものであると言える。テンポはゆったりとした悠揚迫らぬものであるが、効果的なテンポの振幅を交えつつ、俊英指揮者パッパーノならではの片鱗を感じさせるような強靭な生命力と張り詰めるような気迫が全体を支配しており、特に、第1楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っていると言える。それでいて、各旋律を徹底して歌い抜いているのが感動的であり、これはイタリア人指揮者ならではの真骨頂とも言えるだろう。また、近年の同曲の演奏では、マーラーの意向に従って、従来版の第2楽章スケルツォと第3楽章アンダンテの順序を入れ替えて演奏するのが主流となりつつあるが、パッパーノは敢えて従来版に従って、第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテとして演奏しており、従来版を支持する私としてもこれは大いに歓迎したい。そして、第2楽章の重厚にして強靭な力感は圧倒的な迫力を誇っており、その彫の深い表現には凄みさえ感じられるところだ。第3楽章の各旋律の心を込めた歌い方は美しさの極みであり、その汲めども尽きぬ豊かな情感は抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。終楽章もおそるべき迫力だ。音質の良さも多分にあると思うが、各楽器セクションをパワフルに鳴らしつつ、いささかも雑然とした演奏には陥っておらず、加えて、同楽章のドラマティックな要素を完璧に音化した手腕は殆ど驚異的であるとさえ言えるだろう。かかるパッパーノによる驚異的な統率の下、最高のパフォーマンスを発揮したローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。特に、ブラスセクションの巧さは特筆すべきであり、あらためて同オーケストラのレベルの高さを思い知った次第だ。いずれにしても、本演奏は、パッパーノの驚くべき才能と同時に前途洋々たる将来性を大いに感じさせるとともに、ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の卓越した技量を窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。今後のこのコンビによるマーラーの交響曲チクルスの続編にも大いに期待したいと考える。そして、前述のように、音質は驚くべき鮮明さだ。重厚さにも不足はなく、これはHQCD化もある程度効果を発揮しているのではないかと考えられるところだ。もっとも、最近、フルトヴェングラーやアルゲリッチ、ラトルの一連の録音のSACD化によって大好評を博しているEMIであり、本演奏が超名演であることに鑑みれば、SACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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     2011/10/02

    クーベリック&ボストン交響楽団によるスメタナの交響詩「わが祖国」については、リマスタリングされたCDが発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。「
    クーベリックは交響詩「わが祖国」を何度も録音しているが、衆目の一致するところ、ライヴ録音では、東西冷戦終結後にチェコ・フィルに復帰し、その際にライヴ収録された歴史的な演奏(1990年)、スタジオ録音では、安定感のある本盤のボストン交響楽団(1971年)との演奏がベスト2と言われている。私としても、こうした評価に異論差し挟む気は毛頭ない。クーベリックは、実演において本領を発揮する指揮者と言われているが、スタジオ録音であっても、スメタナやドヴォルザークなどのお国ものを指揮した時は、ライヴ録音と見間違うような熱い演奏を成し遂げることが多い。本盤を、安定感ある演奏と評したが、それは安全運転という意味では決してない。それどころか、クーベリックのチェコへの深い愛着と望郷の念をうかがわせる実に熱い演奏と言うことができる。ヴィシェフラトの終結部で冒頭主題が回帰する箇所の、いわゆる「兵どもが夢のあと」といった風情をこれ以上情緒豊かに歌い上げた例がほかにあったであろうか。シャールカやボヘミアの森の草原よりの決然とした開始は我々の度肝を抜くのに十分な迫力であるし、特に、シャールカの変幻自在のテンポ設定の実に巧みなこと。ターボルの怒りの進軍の重量感は、他の指揮者が束になってもかなわないド迫力。ブラニークの圧倒的な高揚にはもはや筆舌には尽くし難い深い感動を覚える。正に、わが祖国の演奏のトップの座を争う至高の超名演と評価したい。」このレビューに付け加えることは、現在でも殆どないと言えるが、いずれにしても、本演奏を凌駕する交響詩「わが祖国」の演奏は、クーベリックの祖国復帰の際のチェコ・フィルとの歴史的な超名演(1990年)を除けば、他に殆ど存在していないのではないかと考えられるところだ。バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(1984年)を掲げる聴き手もあると思うが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、私としてはあまり採りたくない。音質については、リマスタリングされただけあって従来CD盤でも、かなり満足できる音質であったと言えるが、交響詩「わが祖国」の中でもトップの座を争う超名演でもあり、SHM−CD化など、更なる高音質化を望んでいたところであった。そのような中で、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図ったと言うのは、本演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。クーベリックによる歴史的な超名演、そしてスメタナの交響詩「わが祖国」の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/10/01

    2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリングは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、特に晩年の1990年代においては、ヴァントやジュリーニなどとともに数少ない巨匠指揮者の一人として、至高の名演の数々を披露してくれたところである。その中でも最良の遺産は、何と言っても本盤におさめられたベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行ったブラームスの交響曲全集ということになるのではないだろうか。東独出身ということもあって、東西冷戦の終結までは鉄のカーテンの向こう側に主たる活動拠点を有していたことから、同じく独墺系の指揮者で4年年長のカラヤンと比較すると、その活動は地味で必ずしも華々しいものとは言えなかったところである。もっとも、西側で活躍していたカラヤンが、重厚ではあるもののより国際色を強めた華麗な演奏に傾斜していく中で、質実剛健とも言うべきドイツ風の重厚な演奏の数々を行う貴重な存在であったと言えるところだ。ザンデルリンクは、本全集のほかにも、ライヴ録音を含め、数々のブラームスの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も名高いのは、シュターツカペレ・ドレスデンとともに1971〜1972年に行ったスタジオ録音と言えるのではないだろうか。当該全集は今でもその存在価値を失うことがない名演であると言えるが、それは、ザンデルリンクの指揮の素晴らしさもさることながら、何と言っても、ホルンのペーター・ダムなどをはじめ多くのスタープレイヤーを擁していた全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色の魅力によるところが大きいと言える。加えて、第1番についてはHQCD化やBlu-spec-CD化、第4番についてはBlu-spec-CD化に加えて、近日中にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られる予定であるなど、音質向上に向けた不断の努力が行われることによって、そのグレードはますますアップしていると言えるところである。それに対して、本盤の全集は、スタジオ録音としてはザンデルリンクによる2度目のものとなるが、演奏自体は、旧全集よりも数段優れていると言えるのではないだろうか。ザンデルリンクによる本演奏は、旧全集の演奏よりもよりかなりゆったりとしたテンポをとっているのが特徴だ。そして、演奏全体の造型は堅固であり、スケールの雄大さも特筆すべき素晴らしさであると言えるのではないか。もっとも、かかるテンポの遅さを除けば、何か特別な個性を発揮して奇を衒った解釈を施すなどということはなく、むしろ曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くと言うオーソドックスな自然体のアプローチに徹しているとさえ言えるが、よく聴くと、各旋律には独特の細やかな表情づけが行われるとともに、その端々からは、晩年を迎えたザンデルリンクならではの枯淡の境地を感じさせる夕映えのような情感が滲み出していると言えるところであり、その味わい深さには抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。かかる味わい深さ、懐の深さにおいて、本盤の演奏は旧全集の演奏を大きく引き離していると言えるところであり、とりわけ楽曲の性格からしても、第4番の奥行きの深さは圧巻であると言えるところだ。その人生の諦観のようなものを感じさせる汲めども尽きぬ奥深い情感は、神々しいまでの崇高さを湛えていると言っても過言ではあるまい。ハイドンの主題による変奏曲も、正に巨匠ならではの老獪な至芸を堪能できる名演であると言えるし、アルト・ラプソディも、アンネッテ・マルケルトやベルリン放送合唱団の名唱も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていると言える。ベルリン交響楽団も、その音色には、さすがに全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンほどの魅力はないと言えるが、それでもドイツ風の重厚さにはいささかも欠けるところはなく、ザンデルリンクの指揮によく応えた素晴らしい名演奏を行っていると言ってもいいのではないだろうか。いずれにしても、本全集は、ブラームスの交響曲を数多く演奏してきたザンデルリンクによる決定盤とも言うべき至高の名全集と高く評価したいと考える。問題は、音質であり、従来CD盤でもベルリン・イエス・キリスト教会の残響を活かした録音であることもあって決して不満を感じさせるものではないのであるが、前述のような高音質化が図られている旧全集と比較すると、必ずしも恵まれているとは言い難いと言えるところだ。特に、本全集の録音を手掛けたカプリッチョ・レーベルが解散したのが痛かったと言える。カプリッチョ・レーベルは、ケーゲルによるベートーヴェンの交響曲全集やベルティーニの一連の録音のSACD盤を発売していただけに、仮にレーベルの解散がなければ、ザンデルリンクの逝去を機に、本全集がSACD化されることも夢ではなかったと言える。現在では、ライセンスを得てプロフィール・レーベルが本全集を発売しているが、ビシュコフの名演のSACD盤の発売なども行っているレーベルだけに、今後は、本全集のSACD盤での発売をこの場を借りて大いに切望しておきたいと考える。

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     2011/10/01

    クーベリック&バイエルン放送交響楽団によるドヴォルザークのスラヴ舞曲全集については、リマスタリングされたCD(ルビジウムカッティング盤)が発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。「スラヴ舞曲集の全曲録音は、これまで様々な指揮者によってなされてきた。同じチェコ人指揮者ならばノイマンが3度にわたり録音しているし、ハンガリー人ならば、セルやドラティ、フィッシャーの名演が忘れ難い。プレヴィンの聴かせどころのツボを心得た演奏や、マゼールの個性的な演奏も頭に浮かぶ。このように、綺羅星のように輝く様々な名演の数々の中でも、クーベリックの録音は、ダントツの名演と言ってもいいのではないかと思う。チェコ人指揮者ならではの民族色豊かな情感にもいささかの不足はないが、決して民俗的なローカル色を強調するのではなく、むしろ、バイエルン放送交響楽団を統率して、より普遍的でシンフォニックな演奏を心掛けている。言うなれば、チェコ的な情感と普遍的な重厚さを併せ持つというバランスの良さが、本盤を最高の名演たらしめているのだと考える。どの曲も、緩急自在のテンポを駆使した重厚な名演であるが、特に、第16番のスケールの雄大さは特筆すべきだと思う。」当該レビューに記したように、チェコの民族色溢れる情感の豊かさと、一般的な音楽としてのシンフォニックな重厚さを兼ね備えた、いい意味での剛柔バランスのとれた名演との本演奏の評価については、現在でもいささかも変わりがないところである。ただし、他の演奏との比較については、若干の変更をしておきたいと考える。というのも、後述のノイマン盤がBlu-spec-CD盤で発売されるなど高音質化が図られたことや、かつて発売されていたセル盤のシングルレイヤーによるSACD盤を久しぶりに聴き直す機会があったからだ。したがって、ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、本盤のクーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)とともに、本演奏と同格の名演として、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏(1962〜1965年)、ノイマン&チェコ・フィルによる演奏(1985年)が掲げられると考えており、これら3つの演奏が同曲の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と評価したいと考えているところだ。本盤の音質については、リマスタリング(ルビジウムカッティング)されただけあって、従来盤でもかなり満足できる音質であったと言えるが、スラヴ舞曲全集の中でもトップの座を争う至高の超名演でもあり、SHM−CD化など、更なる高音質化を望んでいたところであった。そのような中で、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図ったと言うのは、本演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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