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Review List of つよしくん 

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  • 1 people agree with this review
     2011/12/25

    夜想曲集の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものと言えるのではないだろうか。いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏とも言えるところであり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたと言えるが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っていると言える。各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあると言えるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。本盤におさめられた夜想曲集も、正にセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年のスタジオ録音(一部モノラル録音)とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。フランソワのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フランソワによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 9 people agree with this review
     2011/12/24

    本盤におさめられたシューベルトの交響曲全集は、ベームのいくつか存在している様々な作曲家による交響曲全集の中でも、モーツァルトの交響曲全集と並ぶ最高傑作と言ってもいいのではないだろうか。そして、シューベルトの交響曲全集については、現在に至るまで様々な指揮者が録音を行ってきたが、ベームによる本全集こそはそれらの中でトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したいと考える。ベームは、交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレート」については、本盤の演奏以外にも複数の録音を遺しており、交響曲第8番「未完成」についてはウィーン・フィルとの演奏(1977年)、第9番「ザ・グレート」についてはウィーン・フィルとの演奏(1975年東京ライヴ録音)やシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1979年ライヴ録音)の方をより上位の名演に掲げたいが、本盤の演奏もそれらに肉薄する名演であり、本全集の価値を減ずることにはいささかもならないと考える。なお、LPの全集では収録されていた劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋がおさめられていないのはいささか残念であるという点は敢えて指摘しておきたい。本盤の演奏におけるベームのアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。全体の造型はきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。もっとも、ベームの演奏は必ずしも剛毅さ一辺倒ではなく、むしろ堅固な造型の中にも豊かな情感が満ち溢れており、いい意味での剛柔併せ持つバランスのとれた演奏と言えるだろう。私見ではあるが、ベームによるシューベルトの演奏は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名演の数々を成し遂げたワルターによる演奏と、剛毅で古武士のような風格のあるクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。そして、ベームのしっかりとした統率の下、素晴らしい名演奏を披露しているベルリン・フィルについても言及しておかないといけないだろう。本演奏は、1963〜1971年のスタジオ録音であるが、この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。しかしながら、本演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされていると言える。かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本名全集に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、1960年代後半から1970年代初めのかけてのスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものであった。本全集のうち、第5番については既にSHM−CD化されていたが、今般、全集がSHM−CD化されるに及んで、従来盤よりも若干ではあるが、音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなったと言えるところだ。もっとも、ボックスとしてはあまりにも貧相な作りであり、安っぽい紙に包まれたCDの取り出しにくさについても大いに問題があるなど、必ずしも価格(6000円)に見合った作りにはなっていないことを指摘しておきたい。ベーム没後30年を祈念したCDとしてはいささか残念と言わざるを得ないところだ。せっかく発売するのであれば、SHM−CDと言った中途半端な高音質化ではなく、より豪華な装丁にした上で、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しかったという聴き手は私だけではあるまい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/12/24

    モーツァルトの交響曲第40番&第41番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1959〜1960年)(特に、第40番についてはワルター&ウィーン・フィル(1952年))、ベーム&ベルリン・フィル(1961〜1962年)、クーベリック&バイエルン放送響(1980年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。これらの名演と比較すると、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除きこれまで殆ど注目されることがないと言っても過言ではあるまい。確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくもないと言える。むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。正にクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、このような演奏の彫の深さと言った面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。音質は今から約50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年や1964年のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2011/12/23

    稀代のドビュッシーのピアノ曲の演奏家として知られたワルター・ギーゼキングであるが、遺された録音がモノラル録音であったこともあって、どうしてもその後の様々なピアニストによる演奏と比較すると、必ずしも絶対的な地位を確立していたとは言い難い状況にあったと言えるところだ。そのようなギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと言える。そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。本盤におさめられた練習曲集をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、正に古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したいと考える。このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 4 people agree with this review
     2011/12/18

    ディヌ・リパッティによる名演としては、ショパンのワルツ集の録音(1950年)が極めて名高い存在と言えるが、その他に遺された録音も、必ずしも数多いとは言い難いが、そのすべてが素晴らしい名演であると言っても過言ではあるまい。モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、より録音の優れた演奏の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまにリパッティの演奏を耳にすると、とてつもない感動を覚えるところだ。本盤におさめられたバッハのピアノ曲の小品やスカルラッティのソナタを軸とした小品集も、リパッティの表現力の幅の広さを感じさせる至高の超名演と言える。リパッティによる本演奏の魅力は、何と言っても1940年代〜1950年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせず、むしろ現代の様々なピアニストの演奏に通ずる清新さを秘めている点にあると考えられるところだ。そして、それだけにとどまらず、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫の深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとも言える。いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる本演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。いずれにしても、リパッティによるかかる命がけの渾身の名演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な底知れぬ迫力を有していると言えるところだ。いずれにしても、リパッティによる本盤の演奏は、あまた存在している様々なピアニストによるこれらの各楽曲の演奏の中でも、別格の深みを湛えた至高の超名演と高く評価したいと考える。このような至高の超名演を聴いていると、あらためてリパッティのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとっていかに大きな損失であったのかがよく理解できるところだ。もっとも、リパッティによる本盤の各楽曲の演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいと言えるが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、前述のように鮮明さにいささか欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。とりわけ、1950年に録音されたバッハの4曲については、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。他方、スカルラッティの2曲や、ショパンの舟歌、ラヴェルの道化師の朝の歌については、今般のSACD化を持ってしてもいささか鮮明さに欠けると言えるが、それでも従来CD盤との違いは明確であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 5 people agree with this review
     2011/12/18

    とてつもなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、正に満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」がおさめられているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると言えるところだ。河村尚子は、既に約2年前にもショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のピアノ・ソナタ第3番の演奏においては、更にその芸風が深化していると言えるだろう。何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。一つ一つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしいと言える。もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。ピアノ・ソナタの演奏に必要不可欠な全体の造型も堅固であり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みであると言える。また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはピアノ・ソナタ第2番や他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は私だけではあるまい。他方、シューマンのフモレスケも素晴らしい名演だ。シューマンのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われていると言える。そして、フモレスケの場合は、シューマンの移ろいゆく心情の変化が散りばめられているだけに、更に演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。シューマン=リストの「献呈」は、演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げていると言える。そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音であると言える。ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を活かした録音は素晴らしいという他はない。そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2011/12/18

    モーツァルトの交響曲第35番&第36番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1960年)、ベーム&ベルリン・フィル(1959年、1966年)、クーベリック&バイエルン放送響(1980年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。これらの名演と比較すると、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除き、必ずしもこれら両曲のベストの名演との評価がなされてきたとは言い難いと言っても過言ではあるまい。確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくもないと言える。むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。正にクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、このような演奏の彫の深さと言った面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。なお、おさめられた交響曲のうち、第36番については、演奏年代が古い分だけ、クレンペラーとしてはいささか早めのテンポで、第35番と比較するといささか彫の深さに不足しているきらいもないわけではないが、それは高い次元での比較の問題であり、名演との評価にいささかも揺らぎがあるものではない。併録の歌劇「後宮からの誘拐」序曲は、クレンペラーだけに可能な壮大なスケールによる巨大な音楽であり、その威容には居住まいを正さずにはいられないほどの凄みを感じさせる超名演と高く評価したい。音質は今から50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代後半から60年代前半にかけてのスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。録音年代の古い第36番については、今一歩の鮮明さが欲しいと思うが、それでもこれだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2011/12/18

    素晴らしい名演だ。ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないと言えるのではないだろうか。いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏とも言えるところであり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたと言えるが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っていると言える。各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあると言えるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。本盤におさめられた24の前奏曲、即興曲集も、正にセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。有名な幻想即興曲など、他の誰よりも快速のテンポで颯爽と演奏しているように聴こえるが、よく聴くと各フレーズには独特のニュアンスが込められていると言えるところであり、その洒落たセンスに満ち溢れた味わい深さにおいては、他のピアニストが到底及ばない独特の魅力を兼ね備えていると評価したい。音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。フランソワのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フランソワによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2011/12/17

    本盤にはベーム&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集がおさめられている。ベームは、本演奏以外にもブラームスの交響曲を単独でウィーン・フィルのほかベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団などと録音しており、全集という纏まった形でのスタジオ録音としては、本全集が唯一のものと言えるところだ。本全集におさめられた楽曲のうち、第1番についてはベルリン・フィルとの演奏(1959年)に一歩譲ると言えるが、その他の楽曲については、ベームによる最高の名演と言っても過言ではあるまい。本全集を聴いていて思うのは、ベームの芸風とブラームスの楽曲は抜群の相性を誇っているということである。ベームは、本全集のほかにも、前述の第1番の1959年の演奏や、バックハウスと組んでスタジオ録音したピアノ協奏曲第2番の演奏(1967年)など、圧倒的な名演の数々を遺しているのは、ベームとブラームスの相性の良さに起因すると考えられるところだ。ベームの本盤の各楽曲の演奏におけるアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。そして、ベームは、各楽器セクションを力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。かかる充実した隙間風の吹かない重厚な響きをベースとした質実剛健たる演奏が、ブラームスの各楽曲の性格と見事に符号すると言えるのではないだろうか。演奏は、1975〜1977年のスタジオ録音であり、この当時のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。また、各曲の緩徐楽章や、第2番及び第4番の緩徐箇所における各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、これはベームが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地をあらわしていると言えるのかもしれない。併録のハイドンの主題による変奏曲における、各変奏曲の描き分けの巧みさは老巨匠ならではの圧巻の至芸と言えるところであり、アルト・ラプソディにおいては、クリスタ・ルートヴィヒやウィーン楽友協会合唱団による渾身の名唱も相まって、スケール雄大な圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。とりわけ、第1番第2楽章におけるゲアハルト・ヘッツェルによる甘美なヴァイオリン・ソロのあまりの美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。いずれにしても、かかるウィーン・フィルによる美演が、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。音質は、1975〜1977年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できるものであった。本全集のうち、第3番及び第4番については既にSHM−CD化されていたが、今般、全集及び悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲、アルト・ラプソディの3曲がSHM−CD化されるに及んで、従来CD盤よりも若干ではあるが、音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなったと言えるところだ。もっとも、ボックスとしてはあまりにも貧相な作りであり、安っぽい紙に包まれたCDの取り出しにくさについても大いに問題があるなど、必ずしも価格(5000円)に見合った作りにはなっていないことを指摘しておきたい。ベーム没後30年を祈念したCDとしてはいささか残念と言わざるを得ないところだ。せっかく発売するのであれば、SHM−CDと言った中途半端な高音質化ではなく、より豪華な装丁にした上で、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しかったという聴き手は私だけではあるまい。

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     2011/12/17

    歌曲集「白鳥の歌」は、同じく3大歌曲集の一角を占める歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」とは異なり、一連のストーリーが存在しているわけではない。様々な内容の歌曲を、シューベルトの没後に一つの歌曲集に纏めたに過ぎないところであり、その意味では同歌曲集を構成する各歌曲の内容には脈略がないとも言えるだろう。それ故に、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」の演奏のように、演奏全体の構成力や表現力が問われるのではなく、むしろ個々の歌曲一つ一つをいかに的確に歌い上げていくのかが問われると言えるだろう。したがって、このような同歌曲集の場合、力量のある歌手にとってはその実力を如何なく発揮し得るものと言えるところであり、フィッシャー=ディースカウは正に水を得た魚のようにその実力を十二分に発揮することが可能と言えるところだ。フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1972年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したいと考える。それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考える。それにしても、本演奏におけるフィッシャー=ディースカウの歌唱は、巧いという他はないと言える。フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしいと言える。これは、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」において圧倒的な名演を成し遂げるとともに、シューベルトの歌曲を知り尽くしているからこそ可能であった名唱とも言えるところであり、正に他の歌手を寄せ付けないような圧倒的な名唱と言っても過言ではあるまい。ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトによる寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。なお、パッケージやライナー・ノーツについて一言。これまで、ユニバーサルによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDシリーズに対しては、演奏内容の素晴らしさ(そのような演奏を選んで高音質化していることから自明の理であると言えるが)と極上の高音質のために批判を控えてきたが、それでも本盤のような歌曲集において対訳がないというのはやはり問題ではないだろうか。先般、EMIが過去の素晴らしい名演を100種選んでSACD化したが、扱いが容易な通常のパッケージであり、ライナー・ノーツも必ずしも詳細なものではないが、少なくとも対訳が添付されるなど、最低限の配慮はなされているところだ。ユニバーサルに対しては、本シリーズのこれまでの扱いにくい紙パッケージを通常のパッケージにあらためること、そして歌曲集や合唱曲には最低限でも対訳を添付することについて、この場を借りて強く要望をしておきたい。

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     2011/12/17

    本盤には、シューベルトの最晩年の傑作である歌曲集「冬の旅」がおさめられている。歌曲集「冬の旅」は、恋に破れ、さすらいの旅に出た若者を歌った救いようもない絶望的な暗いストーリーを、シューベルトならではの寂寥感溢れる美しい旋律が散りばめられた  曲にも呼ぶ歌曲で描き出した傑作である。その内容の深さには尋常ならざるものがあると言えるところであり、シューベルトの他の作品で言えば、最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番〜第21番)や弦楽五重奏曲ハ長調、交響曲第9番「ザ・グレート」などにも比肩する崇高さを湛えていると言えるだろう。いずれにしても、同歌曲集は、歌曲の王と言われたシューベルトの膨大な数に及ぶ歌曲の中でも最高傑作であるだけでなく、あらゆる作曲家による歌曲の中でもトップの座に君臨する不朽の名作と言っても過言ではあるまい。これだけの名作だけに、フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を7度というとてつもない数の録音を行っているところだ。その中で、随一の名演を一つ選ぶということであれば、私は躊躇なく、本盤におさめられたジェラルド・ムーアとともに演奏を行ったスタジオ録音(1971年)を掲げたいと考える。1971年と言えば、フィッシャー=ディースカウにとって心身ともに最も充実していた時期に相当するが、それだけに、本演奏においても圧倒的な名唱を披露していると言える。フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしいと言える。あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である若者の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。もっとも、かかるフィッシャー=ディースカウによる歌唱は、歌曲集「美しき水車小屋の娘」では他の演奏の追随を許さない名演に仕上がっていたが、歌曲集「冬の旅」の場合は、その内容の奥行きのある深遠さに鑑みて、より楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みが欲しいとも言えるところだ。したがって、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、歌曲集「美しき水車小屋の娘」の場合のように、唯一無二の名演と評価するのは困難であることを指摘しておきたいと考える。ジェラルド・ムーアのピアノ演奏についても同様のことが言えるところであり、シューベルトによる美しい旋律の数々を情感豊かに描き出してはいるが、今一歩表現に凄みというか彫の深さが欲しいという気がしないでもないところだ。もっとも、フィッシャー=ディースカウによる名唱の引き立て役としては十分にその任を果たしていると言えるだろう。音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。なお、パッケージやライナー・ノーツについて一言。これまで、ユニバーサルによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDシリーズに対しては、演奏内容の素晴らしさ(そのような演奏を選んで高音質化していることから自明の理であると言えるが)と極上の高音質のために批判を控えてきたが、それでも歌曲集に対して対訳がないというのはやはり問題ではないだろうか。先般、EMIが過去の素晴らしい名演を100種選んでSACD化したが、扱いが容易な通常のパッケージであり、ライナー・ノーツも必ずしも詳細なものではないが、少なくとも対訳が添付されるなど、最低限の配慮はなされているところだ。ユニバーサルに対しては、本シリーズのこれまでの扱いにくい紙パッケージを通常のパッケージにあらためること、そして歌曲集や合唱曲には最低限でも対訳を添付することについて、この場を借りて強く要望をしておきたい。

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     2011/12/17

    2年前には殆ど絶滅の危機に瀕していたSACDであるが、昨年よりユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズ開始したことや、EMIが本年よりSACDに参入したことによって、急速に息を吹き返しつつあると言える。ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACDと考えるところであり、今後とも、大手メーカーが引き続きSACDの発売を積極的に行っていただくことを強く要望しておきたいと考える。ところで、ユニバーサルによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズであるが、当初は、これまでに既にハイブリッドSACD盤で発売されていたものの焼き直しに過ぎなかった。しかしながら、本年6月より、これまで一度もSACD化されていない録音を採り上げており、フルトヴェングラー、ベーム、アルゲリッチ、クーベリック、ヨッフム、カラヤンと続き、今般はディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによるシューベルトの3大歌曲集の登場となった。合唱曲については、モーツァルトやブラームスのレクイエム、オルフのカルミナ・ブラーナなどが既発売であるが、独唱曲は今般が初めてであり、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、どのような鮮明な高音質に生まれ変わるのかが大変興味深いと言えるところだ。本盤には、シューベルトの若き日の傑作(シューベルトは31歳でこの世を去ったことから、若き日というのは生涯のことではなく創作期のことを指すことを指摘しておきたい。)である歌曲集「美しき水車小屋の娘」がおさめられている。同歌曲集は、主人公の青年が水車小屋の若き乙女に恋をするが、恋敵が登場するに及んで乙女の心が恋敵に移り、絶望のうちに小川に身投げをするという一連のストーリーを、シューベルトならではの瑞々しさを感じさせる美しい旋律が散りばめられた20曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。シューベルトの若き日の感性が全体に漲った楽曲だけに、同歌曲集については、演奏の時期を選ぶと言えるのではないだろうか。フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1971年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したいと考える。それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考える。フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしいと言える。あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である青年の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトの楽曲に特有の寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。なお、パッケージやライナー・ノーツについて一言。これまで、ユニバーサルによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDシリーズに対しては、演奏内容の素晴らしさ(そのような演奏を選んで高音質化していることから自明の理であると言えるが)と極上の高音質のために批判を控えてきたが、それでも本盤のような歌曲集において対訳がないというのはやはり問題ではないだろうか。先般、EMIが過去の素晴らしい名演を100種選んでSACD化したが、扱いが容易な通常のパッケージであり、ライナー・ノーツも必ずしも詳細なものではないが、少なくとも対訳が添付されるなど、最低限の配慮はなされているところだ。ユニバーサルに対しては、本シリーズのこれまでの扱いにくい紙パッケージを通常のパッケージにあらためること、そして歌曲集や合唱曲には最低限でも対訳を添付することについて、この場を借りて強く要望をしておきたい。

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     2011/12/11

    先般CD3枚にも及ぶヨハン・ハルヴォルセンの管弦楽作品集をスタジオ録音したネーメ・ヤルヴィであるが、今度は同じくノルウェーの作曲家、ヨハン・スヴェンセンの管弦楽作品集のスタジオ録音に着手した。ネーメ・ヤルヴィは74歳の高齢であり、近年では息子のパーヴォ・ヤルヴィの華々しい活躍の陰に隠れがちと言えなくもないが、それでも、果敢に新しいレパートリーの開拓に勤しむ飽くなき姿勢には、我々聴き手としてもただただ頭を下げざるを得ないところだ。ネーメ・ヤルヴィに対しては、一部の評論家からは何でも屋のレッテルが貼られ、必ずしも芳しい評価がなされているとはいえないようであるが、祖国の作曲家であるトゥヴィンをはじめとして、ステンハンマルやアルヴェーン、そしてゲーゼやホルンボーなど、北欧の知られざる作曲家の傑作の数々を広く世に認知させてきた功績は高く評価しなければならないのではないかと思われるところである。確かに、誰も録音を行っていない楽曲は別として、一つ一つの演奏に限ってみれば、より優れた演奏が他に存在している場合が多いとも言えるが、それでも水準以上の演奏には仕上がっていると言えるところであり、巷間言われているような粗製濫造にはいささかも陥っていないと言えるのではないだろうか。本盤におさめられたヨハン・ハルヴォルセンの管弦楽作品集については、そもそもいずれの楽曲も輸入盤でしか手に入らないものだけに、正にネーメ・ヤルヴィの独壇場。私の所有CDで見ても、アンデルセン&ベルゲン交響楽団による演奏(1988年)しか持ち合わせておらず、比較に値する演奏が稀少という意味において本演奏について公平な評価を下すことはなかなかに困難であると言えるが、本演奏に虚心坦懐に耳を傾ける限りにおいては、いかにもネーメ・ヤルヴィならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演奏と言うことができるところだ。スヴェンセンは、グリーグとほぼ同時代に活躍した作曲家であるが、国外での活動が多かったこともあって、グリーグの作品ほどに民族色の濃さは感じられないと言える。それでも、ネーメ・ヤルヴィは、各楽曲の曲想を明朗に描き出すとともに、巧みな表情づけを行うことによって、実に味わい深い演奏を行っていると言えるところであり、演奏全体に漂っている豊かな情感は、正に北欧ノルウェーの音楽以外の何物ではないと言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、スヴェンセンの知られざる名作の数々に光を当てることに大きく貢献した素晴らしい名演と高く評価したい。今後は、スヴェンセンが作曲した2曲の交響曲やヴァイオリン協奏曲なども録音がなされるのではないかとも考えられるが、続編に大いに期待したいと考える。音質は、従来CD盤ではあるが、十分に満足できる良好なものと評価したい。

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     2011/12/11

    マーラーの交響曲第5番は、今やマーラーの交響曲の中でも最も人気が高く、なおかつ演奏機会の多い作品となっていると言えるのではないだろうか。それにはCD時代になって1枚に収録することが可能になったことが大きく作用していると考えられるが、それ以上に、オーケストレーションの巧みさや旋律の美しさ、感情の起伏の激しさなど、マーラーの交響曲の魅力のすべてが第5番に含まれていると言えるからに他ならない。したがって、第5番については、これまで数々の海千山千の大指揮者によって個性的な名演が成し遂げられてきたが、特に、圧倒的な名演として高く評価されているのは、ドラマティックで劇的なバーンスタイン&ウィーン・フィル(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1988年)による名演であると言える。これに対して、本盤におさめられたバルビローリによる演奏は、それらの劇的な名演とは大きくその性格を異にしていると言える。もちろん、軟弱な演奏ではなく、ここぞという時の力強さに欠けているということはないが、演奏全体がヒューマニティ溢れる美しさ、あたたかさに満たされていると言えるだろう。また、バルビローリは、テンポの思い切った振幅を効果的に駆使して、同曲が含有する各旋律をこれ以上は求め得ないほど徹底して心を込めて歌い抜いているが、その美しさには抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。第4楽章などは、意外にも早めのテンポで一聴するとあっさりとした表情づけとも言えなくもない。しかしながら、よく聴くと、そうした早めのテンポの中で各旋律を徹底して歌い抜くなど耽美的な絶対美の世界が構築されており、これはかのカラヤン&ベルリン・フィルの名演(1973年)にも比肩し得る美しさを誇っているとも言えるが、カラヤンの演奏が圧倒的な音のドラマであるのに対して、本演奏はヒューマニティ溢れる人間のドラマと言えるのではないだろうか。もっとも、バルビローリのヒューマニティ溢れる指揮に対して、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、熱演ではあるもののアンサンブルの乱れが見られるなど、必ずしも技術的には万全な演奏を展開しているとは言い難いと言えるが、技術的に優れていたとしてもスコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏よりは、本演奏の方がよほど好ましいと言えるところであり、聴き終えた後の感動もより深いと言えるところだ。いずれにしても、本演奏は、バルビローリが遺した数少ないスタジオ録音によるマーラーの交響曲の演奏の中でも、ベルリン・フィルとの第9番(1964年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前にリマスタリングが施されたことによってかなりの改善がみられたところであり、私も当該リマスタリング盤を愛聴してきた。ところが、先般、ESOTERICが、ついに本演奏のSACD化を行ったところだ。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、バルビローリによる至高の超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2011/12/11

    本盤には、クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団によるメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」と序曲「フィンガルの洞窟」がおさめられている。このカプリングはLP時代のもの(CD時代になってからは、交響曲第3番「スコットランド」と交響曲第4番「イタリア」との組み合わせとなった。)であり、その意味では極めて懐かしく感じられるところだ。スコットランドの名演は、これだけの名曲にしては意外にも少ないと言えるのではないだろうか。独墺系の作曲家による交響曲については、相当の点数の名演が存在するのが通例であると言えるが、スコットランドについては、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏がダントツの超名演であり、他はマーク&ロンドン交響楽団による演奏(1957年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)、アバド&ロンドン交響楽団による演奏(1984年)が掲げられる程度。シューマンの交響曲全集で素晴らしい名演を成し遂げたバーンスタインによるイスラエル・フィルとの演奏(1979年)も、決して凡庸な演奏とは言えないものの、今一つ魅力に乏しい演奏にとどまっていると言えるところだ。それにしても、本盤のクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、今なお同曲最高の超名演の座に君臨しているというのは、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。悠揚迫らぬテンポによる演奏であり、その古武士のような風格と、奥行きのある深沈たる味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。第2楽章のゆったりとしたテンポによる味の濃い音楽は、他の指揮者によるどの演奏よりも図抜けた芸術性を発揮していると言っても過言ではあるまい。終楽章の終結部において、クレンペラーは、後年のバイエルン放送交響楽団との演奏(1966年)で、冒頭部の主題に改編して演奏しているが、本盤の雄渾にしてスケール雄大な名演を聴いていると、原作に忠実な本演奏の方がより優れているのではないかと考えたくなるところだ。序曲「フィンガルの洞窟」も、スコットランドと同様に、その雄渾なスケール感に圧倒されると言える。ゆったりとしたインテンポによる演奏で、特に、何か特別な解釈を施しているわけではないが、その深沈たる内容の濃さは、他のいかなる名演をも凌駕する至高のレベルに達していると高く評価したい。音質は、1960年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、そもそも次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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