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6 people agree with this review 2010/04/22
ショスタコーヴィチの第8は、初演者で献呈者でもあるムラヴィンスキーによる超弩級の名演(82年盤)があるだけに、他のいかなる演奏を持ってきても物足りなさを感じるのは否めない事実である。そのような中にあって、本盤のゲルギエフ盤は、なかなかに健闘しており、部分的にはムラヴィンスキーを凌駕する箇所も散見される点を考慮すれば、名演と評価しても過言ではないものと思われる。第1楽章は、ゲルギエフにしては随分と抑制された表現で開始されるが、その後の展開部では一転して、金管楽器による最強奏がさく裂する。要は、冒頭の抑制された表現は、楽曲全体を見据えた上での計算された解釈ということであり、ここに俊英ゲルギエフのしたたかさがあらわれていると言える。展開部終了後のイングリッシュ・ホルンは美しさの極みであるが、終結部のトランペットの絶叫はいささか凡庸のような気がした。第2楽章は、ゲルギエフとしては普通の出来。ゲルギエフならば、もう一段次元の高い演奏を望みたい。第3楽章は、本演奏の中では問題が多いと言える。丸みを帯びたリズムの刻み方はいかにも生ぬるく、これでは、この楽章の狂気は表現できないと思う。しかしながら、終結部のティンパニの重量感溢れる強打は他のどの演奏よりも最高のド迫力。続く第4楽章は本名演の白眉。ピアニシモを意識するあまり殆ど聴き取れないような軟弱な演奏が散見される中で、切々たる心の痛みを、力強さをいささかも損なうことなく気高く描いて行くのは、俊英ゲルギエフならではの至芸と言えよう。終楽章のシニカルな喜劇も、すきのない卓越した表現で描き、いわゆる「強制された平和」のうちに全曲を締めくくるのである。
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5 people agree with this review 2010/04/21
こんなに素晴らしい名演であるとは知らなかった。本盤のグランドスラムによる素晴らしいLP復刻を聴いたのを契機として、フルトヴェングラーはブルックナー向きの指揮者ではないとの認識をあらためなければならなくなった。それほどまでに、既発売CDと、今回のグランドスラム盤の音質の差は大きいと言える。ベルリン・フィルならではの重厚な低音も見事に捉えられているし、最弱音の繊細は響きもかなり鮮明に捉えられている。演奏も、ベートーヴェンの交響曲などで顕著な劇的なアプローチは決して行っていない。時折、テンポの変化も見られるが、全体としては荘重なインテンポを維持していると言える。これは、ブルックナー演奏の王道とも言うべきアプローチであり、フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの交響曲とは異なるブルックナーの交響曲の本質をしっかりと鷲掴みにしていたことがよくわかる。ライナーノーツによれば、改訂版を使用とのことであるが、第7の場合はあまり問題にはならない。現代でこそ、ヴァントや朝比奈、そして少し時代を遡ればマタチッチによる名演などが目白押しの同曲であるが、本名演の録音は1949年。まだ、第7の名演など殆ど生まれていなかった時代だ。その意味では、第7の真価をはじめて世に知らしめた歴史的な名演との評価もあながち言いすぎではあるまい。
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4 people agree with this review 2010/04/20
フルトヴェングラーによるフランクの交響曲の名演と言えば、衆目の一致するところ53年の英デッカ盤であると考えるが、本盤のグランドスラムによる見事なLP復刻に接して、この45年盤も53年盤に決して引けを取らない名演であることを思い知った。第1楽章の第1主題に向けてのハチャメチャなアッチェレランドはいかにもやり過ぎだとは思うが、テンポ設定の思い切った変化やダイナミックレンジの幅広さ、そして情感の豊かさなどを織り交ぜつつ、全体としての造型をいささかも損なうことのない点は、フルトヴェングラーならではの至芸だと言える。それにしても、ナチスドイツの敗色濃厚な中で、敵国であるフランス音楽(フランクはベルギー人であるが)を堂々と演奏するフルトヴェングラーの反骨精神には、ほとほと感心させられる。他方、モーツァルトの第39番も名演だ。さずがのフルトヴェングラーも、モーツァルトではフランクのように荒れ狂ったりしない。この点は、モーツァルトの本質をしっかりと捉えていたことの証左であろう。それにしても、この荘重たるインテンポから漂ってくる深みは、何と表現すればいいのだろうか。正に、天才だけが可能な至高・至純の境地と言えよう。グランドスラムによる復刻も最高だ。
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3 people agree with this review 2010/04/19
本盤の売りは、初出音源のレオノーレ序曲第3番であるが、これは我々聴き手の期待を決して裏切ることがないフルトヴェングラーならではの名演だ。冒頭の一撃からして驚かされるが、劇的なテンポの変化や切れば血が出てくるような生命力が迸る熱い演奏などを駆使。特に、終結部の猛烈なアッチェレランドは圧倒的迫力だ。トリノ・イタリア放送交響楽団も、さすがにベルリン・フィルのようにはいかないが、フルトヴェングラーの棒の下、なかなかの好演を行っている。録音もなかなかに良好。他方、ベートーヴェンの第7は、あくまでも私見であるが、フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(50年盤)、クレンペラー&ニューフィルハーモニア管(68年盤、EMI)、そしてカラヤン&ベルリン・フィル(78年盤、パレクサ)を名演のベスト3と考えているが、本盤のような高音質盤があらわれると、前述の50年盤との比較をどうしても考えてしまう。劇的な迫力という観点からすれば、むしろ50年盤よりも上ではないかと思われる。テンポはめまぐるしく変化し、随所におけるアッチェレランドの連続、金管楽器の最強奏や低弦によるどすの利いた重低音のド迫力など、自由奔放と言ってもいいくらい夢中になって荒れ狂うが、それでいて全体の造型にいささかの揺るぎもなく、スケールの雄大さを失わないのは、フルトヴェングラーだけがなし得た天才的な至芸と言えるだろう。
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8 people agree with this review 2010/04/18
これは、ドヴォルザークの「新世界より」という交響曲の魅力を、ゆったりした気持ちで味わうことができる名演だ。第2楽章の中間部の微妙なテンポの変化や、終楽章の第1主題のレガートのかけ方などに、やや個性的な箇所も散見されるが、それ以外はいかにも模範的な解釈。奇を衒うということはいささかもなく、中庸のテンポで、交響曲の全体像を描き出していく。要するに、指揮者の個性というよりは、楽曲の素晴らしさを存分に味わうことができる演奏ということが出来るだろう。したがって、「新世界より」に何か特別な個性的解釈や、意味深さなどを求める聴き手からすると、物足りないと感じる者もいるとは思うが、これだけ、「新世界より」の魅力を心行くまで堪能させてくれるのであれば文句は言えないのではないかと思われる。ヤンソンスによって鍛え抜かれた手兵COAの好演も特筆すべきであろう。弦楽器も、そして、金管楽器や木管楽器も実に巧く、ここぞという時のティンパニをはじめとする打楽器群の迫力も圧倒的だ。そして、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、本名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。
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10 people agree with this review 2010/04/18
いかにもロシア的な抒情に満ち溢れた超名演だ。ラフマニノフの第2は、最近では多くの指揮者が演奏する人気曲として認知されているが、現代風に洗練された演奏が主流となり、ロシア音楽ならではのアクの強い演奏が鳴りそひそめているのが何とも残念な傾向にあると思っていた。そこに登場したのがゲルギエフの再録音に当たる本盤であり、スヴェトラーノフほどではないものの、ロシア音楽ならではのあくの強さが顕在化しているのが何とも嬉しい限りだ。第1楽章は、提示部を繰り返しているのに大変驚かされた。他の指揮者でも、ザンデルリンクの新盤くらいしか見当たらず、非常に稀な例と言えるだろう。しかしながら、繰り返しによる冗長さはいささかも感じられず、むしろ繰り返しが必然のように思えてくるのは、演奏の素晴らしさの証左と言える。ロシアの悠久の大地を思わせるようなスケールの大きい重量感や、ロシア風の情感溢れるうねるような演奏が実に感動的だ。第2楽章は、各局面におけるテンポ設定の巧みさが際立つ。畳み掛けるような弦楽による重厚な進軍やアッチェレランドの駆使は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力だ。第3楽章は、旧盤よりもゆったりとしたテンポで、名旋律を歌い抜く。スヴェトラーノフに比べると、幾分抑制がかかっているように思うが、それでも情緒に溺れることなく、高貴な芸術性を失わない点は、さすがの至芸とも言える。特に、コーダの意味深さはゲルギエフが一番だ。終楽章は、華麗なる音の饗宴であるが、それでいて単なるばか騒ぎには陥らず、テンポといい、強弱といい、いずれも申し分なく、決して上滑りしない彫りの深い表現を行っている点を高く評価したい。終結部の踏みしめるようなティンパニや金管の最強奏や、猛烈なアッチェレランドには、もはや言葉を失うほどの感動を覚えた。SACDマルチチャンネルによる極上の高音質も本盤の魅力の一つであり、今後録音が予想される第1や第3への期待を持った聴き手は、決して私だけではあるまい。
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3 people agree with this review 2010/04/18
このような超個性的な名演を発掘した東武レコーディングズの快挙である。マーラーの第7は、場面の変遷が激しく、大変音符の多い楽曲だけに、うまく纏めるのが難しい交響曲である。ケーゲルは、全体として、各旋律の輪郭をはっきりさせ、幾何学的に計算され尽くしたアプローチを行っているが、それでいて劇的な迫力や情感の豊かさにもいささかの不足はなく、相反する要素を高次元でコラボさせた稀有の名演と言うことができるだろう。第1楽章は、ねばるようなテンポ、アッチェレランドの駆使、そして効果的なゲネラルパウゼが実に印象的である。特に、中間部のゆったりとしたテンポによる抒情豊かな演奏は、これこそ夜の歌というべき深沈たる雰囲気に満ち溢れている。第2楽章は、実にきまじめな演奏だ。しかしながら、そこから漂ってくる何と言う不気味さ。これは夜想曲ではなく、まるで死神のワルツだ。各楽器の響かせ方は、カウベルの力強さも相まって、独特の不気味な雰囲気を醸し出すのに大きく貢献している。第3楽章は早めのテンポで、一聴すると何でもないように演奏しているが、スパイスの効いた各楽器の活かし方は超個性的だ。特に、中間部のテンポ設定は独特で、終結部のトロンボーンの力奏や、ラストのティンパニの一撃の凄まじさなど、はじめて聴くような場面が連続する。第4楽章は、それまでのシリアスな雰囲気とは一転して、官能的な夜の世界が出現する。冒頭の独奏ヴァイオリンの極端なグリッサンドや、ホルンの甘いヴィブラートなど、情感過多な妖しい世界に聴き手を導いていく。この過激とも言える濃厚な表現こそ、世紀末芸術家マーラー演奏の醍醐味と言うべきである。終楽章は、ここにきてケーゲルの秘められたパッションが大爆発。中途でのテンポの激変や猛烈なアッチェレランドなど個性的な解釈をふんだんに駆使して、圧倒的な迫力のうちに大団円を迎えるのである。東京都交響楽団は、若杉やインバル、ベルティー二に鍛え抜かれた我が国最高のマーラーオーケストラと言えるが、本演奏でもケーゲルの個性的な棒にしっかりと応えている点を高く評価したい。演奏終了後の熱狂も当然で、演奏会場にいた聴衆に羨望の念を禁じえない。
1 people agree with this review 2010/04/17
フルトヴェングラーの田園については、私は、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたCDのほぼすべて(ブライトクランク盤を含めて)で聴いてきたが、正直言ってあまり評価をしてこなかった。特に、第1楽章のテンポがあまりにも遅く、まるでお化けが出てくるようなおどろどろしい雰囲気が、いわゆる田園のイメージとあまりにも乖離していると思われたからである。ところが、このグランドスラム盤を聴いて、これまでのイメージが吹き飛んでしまった。それぐらい、この英HMV盤のLPから復刻された本CDの音質は素晴らしく、あらためて、フルトヴェングラーの田園の真の魅力に開眼した次第である。これだけ奥行きのある音質で聴くと、このいささか常識外れとも言えるスローテンポが実は大正解で、深沈たる懐の深い含蓄ある名演に聴こえてくるのだから本当に不思議な気がする。ウィーン・フィルも実に美しい演奏を行っており、フルトヴェングラーの指揮ともども最高の至芸を展開していると言える。第1番も名演。こちらの方は、これまで発売されたCDでも、それなりに音質にも、そして演奏にも満足していたので、田園ほどの感激はなかったが、それでもグランドスラムによる復刻は、相当に優秀だ。
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2 people agree with this review 2010/04/17
プッチーニの「蝶々夫人」は、私としてはどうしてもカラヤン&ウィーン・フィルの超名演のイメージが強烈であり、なかなかその呪縛から抜けられなかったが、本盤で、イタリア人指揮者とイタリアのオーケストラによる演奏に接して、久々に新鮮な気持ちで「蝶々夫人」に接することができた。先ずは、パッパーノの指揮であるが、大変健闘していると思われる。もちろん、カラヤンと比較してどうという評価を行うことは容易であるが、このオペラの随所にちりばめられた日本風の旋律を情感溢れる指揮で抒情的に描いており、それでいて、ここぞという時の重量感溢れる迫力にもいささかの不足はなく、プッチーニの魅力的な音楽をゆったりとした気持ちで満喫できたのは、やはりパッパーノの指揮が優れていることの証左ではないかと思う。サンタ・チェチーリア国立音楽院管も好演であり、パッパーノともども最高のパフォーマンスを示していると言える。歌手陣も、ゲオルギューが蝶々夫人を可憐に演じており、その可憐さが、終結部の悲劇性を大いに高めていると言えるだろう。ピンカートンのカウフマンにはやや疑問を感じるが、ゴローのボンファッティやシャーブレスのカピタヌッチ、スズキのシュコサには十分に合格点を与えることができるだろう。HQCD化によって、音質にやや奥行きが出ている点も決して見逃すことができない。
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5 people agree with this review 2010/04/17
R・シュトラウスの「ダフネ」は、「エレクトラ」と同様にギリシャ神話を題材にしたオペラであるが、「エレクトラ」のようにエキセントリックなところは微塵もなく、牧歌的な抒情に彩られた作品ということができるだろう。もちろん、悲劇であり、劇的な箇所もないわけではないが、随所に見られるR・シュトラウスならではの色彩感溢れる華麗なオーケストレーションが、前述の牧歌的な抒情も相まって、独特の魅力を放っていると言える。正に、R・シュトラウスお得意の交響詩を聴くような面白さがあると言えるのかもしれない。ビシュコフ&ケルン放送交響楽団は、「エレクトラ」や一連の交響詩の録音において既に名演を成し遂げているが、本盤においても、R・シュトラウスがスコアに書き記した音楽を精緻に、そしてスケール雄大に描き出していく。そのダイナミックレンジの幅の広さ、牧歌的な抒情における情感の豊かさ、劇的な箇所の迫力など、いずれもとっても見事と言うべき好演を行っている。歌手陣も豪華。特に、主役のダフネのフレミングは適役であり、アポロのボータ、ロイキッポスのシャーデともども最高のパフォーマンスを示しており、特に、終結部に至る手前の三者による三重唱は、鬼気迫る迫真の歌唱を行っている。録音も非常に鮮明であり、本名演の価値を大いに高めている。
2 people agree with this review 2010/04/16
シューリヒトによるブラームスの第2は、晩年の颯爽としたインテンポによる演奏ではなく、濃厚な表情づけによる熱い演奏である。第1楽章など、ねばったテンポやアッチェレランドなどを駆使して、うねるような音楽を展開するが、それでいて全体の造型が弛緩することはいささかもない。第2楽章も冒頭からむせ返るような抒情に満ち溢れており、第3楽章のコクのある堀の深い表現も特筆すべきである。終楽章は、スタジオ録音とは思えないようなパッションの爆発があり、その地鳴りのような重量感溢れる迫力の凄まじさは圧倒的だ。グランドスラムによるLP復刻の音質も、おそらくは望み得る最高のものであり、この歴史的な名演を満足し得る音質で味わうことができることを大いに喜びたい。他方、ベートーヴェンの第1も名演だ。こちらは、1952年の録音ではなるが、ブラームスの場合と異なり、晩年の颯爽としたシューリヒトのスタイルがあらわれた演奏と言えるだろう。もちろん、表面上は颯爽としていても、随所に見られる情感の豊かさや繊細なニュアンスはこの指揮者ならではの至芸であり、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示している。グランドスラムによるLP復刻も、ブラームスの場合以上に成功しており、この名演の価値を大いに高める結果となっている。
2 people agree with this review 2010/04/13
シューリヒト&ウィーン・フィルの英デッカへの名録音を集めたCDであるが、何よりも復刻された音質が実に素晴らしい。ハフナーなど、未開封のテストCDとのことであるが、とてもLP復刻とは思えないような鮮明な音質で、艶やかなオーケストラの音色が印象的だ。未完成は、特に第1楽章の沈み込んでいくような低弦の重量感溢れる重低音が完璧に捉えられており、高弦による繊細さも見事に再現されている。ベートーヴェンの第2も、モノラル録音というハンディを忘れさせるような艶やかにして鮮明な音質に大変驚かされた。演奏の評価について言うと、ハフナーとベートーヴェンの第2が、シューリヒトならではの名演と言えるだろう。ハフナーは、颯爽としたテンポの下、随所に見せる繊細な表情づけが素晴らしく、正に、モーツァルト演奏の規範とも言うべきアプローチと言えるだろう。ウィーン・フィルの美演も、高貴にして優雅さを湛え、この名演の価値を高めるのに大いに貢献している点も見過ごしてはならない。ベートーヴェンの第2は、特に、第3楽章の中間部の微妙にテンポを緩やかにしている点や、終楽章の超スローテンポが大変ユニークであるが、それでいて演奏全体の堂々たる風格をいささかも失うことがないのはさすがというべきである。他方、未完成は、ライナーノーツにもあるように、シューリヒトとしてはベストフォームとは言い難く、どこか中途半端な解釈に終始しているきらいがある。シューリヒトならば、もっといい演奏が出来たのではないかと少々残念な気がした。
1 people agree with this review 2010/04/12
いずれもシューリヒトならではの名演であると考えるが、録音の状態も含めると、私としては第7の方により強く惹かれた。演奏は、いかにもシューリヒトならではの颯爽としたインテンポであるが、テンポが早めであるからと言って上滑りするような箇所は皆無。どこをとっても、情感豊かなニュアンスに満ち溢れた堀の深さを失わない点が素晴らしい。金管楽器もしっかりと鳴り切っており、特に、第1楽章の終結部の低減のうなるような響きや、その後の踏みしめるようなオーケストラの力奏は、圧倒的なド迫力だ。緩徐楽章の情感豊かさも特筆すべきであり、終楽章のラストは、これぞベートーヴェンと評すべき重厚さだ。第6も名演ではあるが、録音のせいか、やや全体的に音の輪郭がはっきりしない点が残念だ。しかしながら、音響に広い空間性を感じる点がけがの功名となり、演奏に豊穣さを感じることができる点は高く評価したい。第1楽章や第2楽章など、やや遅めのテンポをとっているが、豊穣な音色が田園という楽曲にぴったりだ。第3楽章や第4楽章は一転して颯爽としたシューリヒトに戻るが、あらゆる楽器が鳴り切る凄まじい迫力には言葉を失うほど。終楽章は、深沈としたテンポと情感豊かなニュアンスが見事であり、感動のうちに全曲を締めくくるのである。
5 people agree with this review 2010/04/11
小林は決してレパートリーの広い指揮者ではない。しかしながら、レパートリーとして選ばれた限られた楽曲については、何度も繰り返して演奏(録音)して、その解釈を極めて行こうとする。そのような小林にあって、チャイコフスキーの交響曲は、その限られたレパートリーの中核をなす最重要の作品と言えるだろう。既に、日本・フィル、チェコ・フィルと2度にわたり全集を完成しているが、現在ではアーネム・フィルとの全集録音を開始した。当該全集に含まれる本盤の第4は、過去の2度の全集や番外編であるライブ録音を経て、4度目の録音に当たるが、おそらくは小林のこれまでの第4の演奏中、最高の名演であると評価したい。第1楽章の序奏部のファンファーレは中庸のテンポであるが、主部の第1主題は実に遅い。しかしながら、決してもたれるということはなく、堀の深いコクのある表現をしているのが印象的だ。第2主題の心の込め方も尋常ならざる美しさであり、展開部の冒頭のファンファーレ主題が繰り返される箇所の劇的な表現は凄まじい迫力だ。第2楽章は中庸のテンポで開始するが、中間部のメランコリックで濃厚な抒情は、これぞロシア音楽の粋と言えよう。第3楽章はゆったりとしたテンポをとるが、これほど内容の濃い表現は他に類例を見ないほどだ。終楽章は決然とした力奏で開始するが、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさは、これぞ「炎のコバケン」の面目躍如たるものであろう。録音は、SACDによる極上の高音質であり、マルチチャンネルがないにもかかわらず、これほどまでに臨場感溢れる音響がするのは実に素晴らしいことだ。
2 people agree with this review 2010/04/11
チャイコフスキーの第3の演奏史上、最高の玉座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。第3は、チャイコフスキーが作曲した交響曲の中でも最も不人気であり、後期の偉大な3大交響曲の直前の交響曲ということもあって、チャイコフスキーの番号付きの交響曲の中でも最大規模を誇る意欲作であるにもかかわらず、作品の質においても見るべきものがないというのが専らの定評であった。しかしながら、小林の演奏を聴いていると、そのような不人気は演奏のせいではないかと思えてくる。それくらい小林の演奏は見事であり、不当に評価の低い第3の魅力を再認識させることに成功したという点においても、本名演は高く評価すべきであると考える。第1楽章からして、小林はうなり声を発して燃えまくる。とてもスタジオ録音とは思えない凄まじさであり、切れば血が出てくるような生命力に満ち溢れていると言える。第2楽章は、同じような旋律が繰り返される、悪く言えば冗長な楽章でもあるが、小林の手にかかるとそのような冗長さなど微塵も感じられない。どこをとっても血の通った情感溢れる音楽が紡ぎだされていく。そして本名演の白眉は第3楽章。この情緒豊かな熱い演奏は、あたかも小林が得意としたマーラーの緩徐楽章のような高踏的な美しさを誇っていると言える。第4楽章も実に細やかに精緻に表現していく繊細さが見事であり、終楽章は、正に、「炎のコバケン」の面目躍如たる劇的な表現が連続する。録音も、マルチチャンネルはないものの、SACDによる極上の高音質であり、小林の超名演を鮮明に味わうことができることを大いに喜びたい。
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