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4 people agree with this review 2012/02/05
ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。独唱陣もフィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップという超豪華な布陣であり、その歌唱の素晴らしさは言うまでもないところだ。フィッシャー=ディースカウは、クレンペラーに嫌われ、数々の悪質ないじめを受けていたことで有名ではあるが、本演奏ではそのようなことを微塵も感じさせないほどの文句の付けようのない名唱を披露していると言える。クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、これだけの名演だけに、これまで本盤のようなARTによるリマスタリングなどが繰り返し行われてきたことや、数年前にはHQCD化もなされたこともあって、比較的満足できる音質であったと言える。しかしながら、先般、ついに待望のSACD化が行われたことによって大変驚いた。本リマスタリング盤やHQCD盤などとは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。オーケストラと合唱の見事に分離して聴こえることや、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、1961年のスタジオ録音であるとはにわかに信じがたいほどだ。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップ、そしてクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団による至高の超名演であり、多少高額でも、SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたいと考える。
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ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。独唱陣もフィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップという超豪華な布陣であり、その歌唱の素晴らしさは言うまでもないところだ。フィッシャー=ディースカウは、クレンペラーに嫌われ、数々の悪質ないじめを受けていたことで有名ではあるが、本演奏ではそのようなことを微塵も感じさせないほどの文句の付けようのない名唱を披露していると言える。クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、これだけの名演だけに、これまでリマスタリングが繰り返し行われてきたことや、数年前にはHQCD化もなされたこともあって、比較的満足できる音質であったと言える。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤などとは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。オーケストラと合唱の見事に分離して聴こえることや、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、これが1961年のスタジオ録音であるとはにわかに信じがたいほどだ。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップ、そしてクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団による至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
6 people agree with this review 2012/02/05
70歳になり、名実ともに現代を代表する巨匠ピアニストとなったポリーニであるが、ポリーニの評価については現在でも二分する状況にあると言える。これには、とある影響力の大きい某音楽評論家がポリーニの演奏を事あるごとに酷評し続けていることに起因しているものと思われる。確かに、ポリーニの壮年期の演奏の一部には、某音楽評論家が指摘しているように、いささか技術偏重に堕した内容が伴わない演奏が垣間見られたのは事実である。しかしながら、他のピアニストの追随を許さないような名演も数多く成し遂げてきたところであり、ポリーニの演奏をすべて否定してしまうという某音楽評論家の偏向的な批評には賛同しかねるところだ。本盤におさめられたショパンの練習曲集は1972年のスタジオ録音。今から40年も前の、若き日のポリーニによる演奏だ。昨年、ショパン国際コンクール優勝直後の1960年に録音された練習曲集の演奏が発売(テスタメント)されたが、畳み掛けていくような気迫といい、強靭な生命力といい、申し分のない圧倒的な名演に仕上がっていたところだ。当該演奏と比較すると、本盤の演奏は、スタジオ録音ということも多分にあると思うが、前述の演奏と比較するとやや大人し目の演奏に仕上がっていると言えるだろう。加えて、これまで従来CD盤で聴いていた際は、卓越した技量が全面に出た、いささか内容が伴わない演奏のように思っていたところだ。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて大変驚いた。もちろん、ポリーニの卓越した技量を味わうことができる点においては何ら変わりがないところであるが、SACD化によって、これまで技術偏重とも思われていたポリーニの演奏が、随所に細やかな表情づけやニュアンスが込められるなど、実に内容豊かな演奏を行っていることが理解できるところだ。本演奏を機械仕掛けの演奏として酷評してきた聴き手にとっても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された本盤を聴くと、本演奏の評価を改める者も多いと言えるのではないだろうか。私としては、本演奏は、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって漸くその真価のベールを脱いだ圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。前述の1960年の演奏のレビューにおいて、本演奏について疑問符を付けたところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を機に、その評価をあらためたいと考える。それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ポリーニによる圧倒的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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5 people agree with this review 2012/02/04
正に超個性的な演奏であると言える。ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないと言えるのではないだろうか。いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏とも言えるところであり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたと言えるが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っていると言える。各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあると言えるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。本盤におさめられたポロネーズ集や幻想曲、タランテラ、舟歌なども、正にセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代後半のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。フランソワのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フランソワによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
5 people agree with this review
2 people agree with this review 2012/02/04
今や女流指揮者の第一人者としてだけではなく、期待の若手指揮者の一人として多大な活躍をしているシモーネ・ヤングと、その手兵であるハンブルク・フィルによるブラームスの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。第1弾の交響曲第1番が重厚にしてスケール雄大な名演であっただけに、本盤におさめられた交響曲第2番や悲劇的序曲の演奏にも大いに期待したところであるが、そうした期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。ベートーヴェンの交響曲第10番との異名をとるほどの力強さが持ち味の第1番とは異なり、より抒情的で情感豊かな表現が要求される第2番だけに、女流指揮者たるシモーネ・ヤングにとっても、第1番よりもより一層取り組みやすい楽曲であったとも言えるのかもしれない。第1楽章の幾分憂いに満ちた情感に満ちた旋律の数々を、シモーネ・ヤングは心を込めて歌い抜いているところであるが、どこをとっても陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、常に格調の高さや、女流指揮者ならではのエレガントな気品に満ち溢れているのが素晴らしい。第2楽章のややゆったりしたテンポによる演奏も美しさの極みであり、随所から漂ってくる熱き情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。そして、第3楽章の典雅とも言うべき洒落た味わいには出色のものがあると言えるだろう。終楽章は、一転して女流指揮者離れした強靭さが全体に漲っており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や重厚な強靭さ、そして、終結部の猛烈なアッチェレランドは、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、シモーネ・ヤングの卓越した音楽性と、前途洋々たる将来性を大いに感じることが可能な圧倒的な名演と高く評価したいと考える。併録の悲劇的序曲も、とてつもない緊張感と強靭な迫力に貫かれた凄みのある名演に仕上がっているところだ。ハンブルク・フィルも、シモーネ・ヤングの確かな統率の下、渾身の名演奏を繰り広げていると評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。昨年より、大手レコード会社がSACDの発売を積極的に行うようになったことから、SACDに復活の兆しが見られるところであるが、その殆どはマルチチャンネルが付加されていないところである。本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、あらためてSACDの潜在能力の高さを再認識させられるところだ。いずれにしても、シモーネ・ヤングによる至高の超名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
2 people agree with this review
10 people agree with this review 2012/02/04
これは素晴らしい名演だ。30代半ばの若き日のポリーニと、80歳を超えた巨匠ベーム、そしてウィーン・フィルとの絶妙な組み合わせ。演奏が悪かろうはずがないと言える。モーツァルトの楽曲の演奏については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏や、ピリオド楽器を使用した演奏が主流となっており、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものとなってしまった。しかしながら、モーツァルトの存命していた時代の演奏の再現に無常の喜びを感じる音楽学者は別として、芸術的な感動という観点からすれば、そうした時代考証学的な演奏が一体どれほどの価値があると言えるのだろうか。確かに、一部の指揮者による芸術性の高い演奏は存在はしているものの、その殆どは軽妙浮薄な演奏にとどまっていると言わざるを得ない。そうした演奏の中にあって、本演奏がむしろ時代遅れなどではなく、むしろどれほどの光彩を放っているのかは計り知れないものがあるとも言えるところだ。演奏自体は、年功から言っても巨匠ベームのペースで行われているというのは致し方ないと言える。モーツァルトを心から愛し、モーツァルトの交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラの様々なジャンルにおいて名演の数々を成し遂げてきたベームだけに、本演奏においても、そうしたモーツァルトの楽曲との抜群の相性の良さが発揮されていると言えるだろう。そのアプローチは、前述のように重厚にしてシンフォニック。演奏全体の造型は例によって堅固そのものであるが、スケールは雄大。近年主流の軽妙浮薄なモーツァルトの演奏とは一線を画する壮麗さを誇っているとさえ言える。それでいて、モーツァルトの演奏に必要不可欠な優美さや、時としてあらわれる寂寥感を感じさせる憂いに満ちた旋律もいささかの格調を失うことなく的確に表現し得ており、正に、かつてのモーツァルト演奏の王道を行くものであると言っても過言ではあるまい。ポリーニも、こうしたベームの偉大な演奏にただただ従っているだけにはとどまっていない。卓越したテクニックや研ぎ澄まされた音の美しさは相変わらずであり、そうしたポリーニのピアニズムは随所に発揮されているとも言えるところだ。それでいて、ベームの懐の深い指揮芸術に触発されたせいか、情感の豊かさにも不足はないと言えるところであり、一部の評論家が指摘しているような無機的な演奏にはいささかも陥っていないと言える。加えて、ウィーン・フィルによる極上の美演が、演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠ベームと当時上げ潮にあったポリーニ、そしてウィーン・フィルによる絶妙の組み合わせが見事に功を奏した素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音であると言える。音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、とりわけ冒頭の繊細な美しさはこの世のものとは思えないような抗し難い魅力を有した響きであると言える。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、素晴らしい名演をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
10 people agree with this review
1 people agree with this review 2012/01/29
ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったことは否定し得ない事実であると言える。本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲第2番の演奏は1960年頃のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳という若き日の演奏だ。それだけに、演奏に奥行きのある彫の深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、正に若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっていると言える。そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以であると言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。併録のハイドンの交響曲第45番も素晴らしい名演だ。ハイドンの交響曲の演奏様式については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した、いわゆる小編成のオーケストラによる軽妙な演奏が主流となっていると言える。そのような中で、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものと言えるが、演奏の持つ力感や内容の濃さには尋常ならざるものがあり、その充実度は近年の演奏など本演奏の足元にも及ばないと言えるだろう。何よりも凄いのは、このような偉大な演奏を1960年というケルテスが指揮者デビューした若干31歳という若き日に成し遂げたということであり、いかにケルテスが類稀なる才能を有した指揮者であったのかがわかろうというものである。いずれにしても、本演奏は、若き日のケルテスによる素晴らしい名演であるとともに、軽妙浮薄な演奏が流布している現代においてこそその存在価値が大きい至高の名演と高く評価したいと考える。そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質であると言える。本演奏は、いずれも今から約50年も前の1960年のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わったと言える。あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ケルテス&バンベルク交響楽団による名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
1 people agree with this review
11 people agree with this review 2012/01/29
現代の世界の一流オーケストラは、英国系やイタリア系、ロシアを含めた北欧系の指揮者に席巻されていると言っても過言ではあるまい。ベームやカラヤンが全盛期を迎えた頃の独墺系の指揮者が大活躍をしていた時代とは隔世の感があると言ってもいいのではないだろうか。本年、大往生を遂げたザンデルリンクも2002年には指揮活動から引退しており、そのような状況の中で、指揮者として壮年期を迎えつつあるドイツ人指揮者ティーレマンにかけられた期待は極めて大きいものと言わざるを得ない。歌劇場でキャリアを積んできたという経歴も、独墺系の指揮者の伝統に根差したものであり、ティーレマンの今後の更なる発展を大いに期待したいと考える。ウィーン・フィルは、ベートーヴェンの交響曲全集をこれまでイセルシュテット(1965〜1969年)、ベーム(1970〜1972年)、バーンスタイン(1977〜1979年)、アバド(1985〜1988年)、ラトル(2002年)と録音をしてきているが、イセルシュテット、ベーム、バーンスタインは別格として、アバドやラトルは、ウィーン・フィルとの全集録音後ベルリン・フィルの芸術監督に就任しており、ウィーン・フィルのティーレマンに対する期待を感じさせるとともに、本全集は今後のティーレマンのキャリアアップに繋がる一大エポックメーキングと言えるのではないだろうか。演奏は、正に独墺系のかつての大指揮者によるベートーヴェンの交響曲の演奏の伝統に根差した重厚にしてシンフォニックなドイツ色の濃い演奏と言えるところだ。近年では、ピリオド楽器の活用や、現代楽器を使用した古楽器奏法などが、ベートーヴェンの交響曲の演奏様式の主流になりつつあるが、ティーレマンによる本演奏は、そうした軽妙浮薄な演奏への強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。楽譜も、定番化しつつあるペンライター版ではなく、旧来のブライトコプフ版を使用するという徹底ぶりであり、将来を嘱望された独墺系の指揮者による意地の名演とさえ言えるところだ。ウィーン・フィルの各奏者も、ティーレマンの指揮に心から共感して渾身の名演奏を行っているようであり、近年の軽妙浮薄なベートーヴェンの交響曲演奏を苦々しく思っていた聴き手には、正に一服の清涼剤のように、懐かしき故郷に帰省したような気持ちになると言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤におさめられた各交響曲の演奏は、決して古色蒼然ではなく、軽妙浮薄な風潮に毒されているが故に存在意義が極めて大きい、そして、むしろ新鮮ささえ感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、Blu-spec-CD盤であり、十分に満足できる鮮明な高音質であると言える。したがって、本盤を聴く限りにおいては、何ら不満はないところであるが、ソニーは、何故にBlu-spec-CDに固執するのであろうか。ユニバーサルにしても、EMIにしても、そして一時はBlu-spec-CD盤に傾斜したコロンビアまでがSACD盤の発売に積極的になっている中で、依怙地になっているのではないかとさえ考えられるところだ。こうした批判が届いたからというわけではないだろうが、漸くソニーは、RCAの遺産ではあるが、ヴァントの過去の名演のSACD化を開始したところだ。いずれにしても、ソニーに対しては、パッケージメディアの活況を取り戻すためにも、恥も外聞もかなぐり捨てて、ヴァントの過去の名演にとどまらず、再びSACD盤の積極的な発売を開始することをこの場を借りて強く要望しておきたい。特に、いまだSACD化されていないワルターの数々の名演(例えば、マーラーの交響曲第1番、ベートーヴェンの交響曲第2番、シューベルトの交響曲「ザ・グレート」等)がSACD化されれば、クラシック音楽界の大きな話題になることは必定である。
11 people agree with this review
3 people agree with this review 2012/01/29
ワルター・ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏はやはり素晴らしい。そうしたギーゼキング代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと言える。そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。本盤におさめられた有名なベルガマスク組曲や子供の領分、アラベスク、夢なども、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、正に古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したいと考える。このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
3 people agree with this review
5 people agree with this review 2012/01/28
江崎昌子による待望のショパンのピアノ作品集の第4弾の登場だ。私は、マズルカ全集におけるセンス満点の素晴らしい名演に接してから、江崎昌子が発売するショパンのピアノ作品集の演奏に注目してきたところである。エチュード集にしても、はたまたピアノ・ソナタ全集にしても、江崎昌子の類稀なる音楽性とセンスの良さが如何なく発揮された演奏に仕上がっていると言えるところであり、前述のマズルカ全集にも比肩し得るだけの素晴らしい名演と言えるところだ。そして、本盤のノクターン全集であるが、前述の既発売のピアノ作品集にも勝るとも劣らない、そして、正に我々聴き手の期待がいささかも裏切られることがない圧倒的な名演と高く評価したいと考える。江崎昌子による本演奏は、マズルカ全集と同様に、ショパンの各楽曲に対する深い洞察力に裏打ちされた、実に考え抜かれた解釈が光っていると言える。おそらくは、録音に至るまでに何度も同曲を弾きこなすとともに、スコアに記された音符の表層にとどまらず、各曲の音符の背後にある作曲当時のショパンの精神構造や時代背景に至るまで、徹底した追究が行われたのではないかと考えられるところだ。江崎昌子は、こうした徹底した自己研鑽とスコアリーディングに基づいて、ノクターン全集を構成する各曲を万感の思いを込めて情感豊かに曲想を描き出していると言える。このように考え抜かれた演奏を旨としてはいるが、理屈っぽさや生硬さは皆無であり、音楽が滔々と自然体に流れるとともに、ノクターンの美しさや魅力を聴き手にダイレクトに伝えることに成功しているのが素晴らしい。加えて、ショパンの演奏に時として聴かれる陳腐なロマンティシズムなど薬にしたくもなく、どこをとっても気高い品格と洒落た味わいを兼ね備えているのが素晴らしい。もちろん、ルービンシュタインやフランソワ、コルトーなどによる歴史的な超名演などと比較すると、いわゆる強烈な個性にはいささか不足していると言えなくもないが、ノクターン全集を安定した気持ちで味わうことができるという意味では、これまでの様々なピアニストによる同曲の名演にも引けを取らないところであり、少なくとも、我が国の女流ピアニストによるショパンの演奏としては、間違いなく最右翼に掲げられるべき圧倒的な名演と評価しても過言ではあるまい。音質は、SACDによる極上の高音質録音であり、江崎昌子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは実に見事であると言えるところであり、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。いずれにしても、本盤は、江崎昌子による素晴らしい名演と極上の高音質録音が相まった名SACDと高く評価したいと考える。マズルカ全集と同様に、ライナーノーツに、江崎昌子によるノクターン全集の各曲の寸評が掲載されているのも、本盤の演奏をより深く理解する意味において大変貴重である。
3 people agree with this review 2012/01/28
ディーリアスのチェロ協奏曲は知る人ぞ知る名作であるが、同曲の録音は殆ど存在していない。最近発売されたポール・ワトキンスがチェロ演奏をつとめたアンドリュー・デイヴィス&BBC交響楽団による演奏は、マルチチャンネル付きのSACDという極上の高音質も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていたところであり、同曲の真価を広く知らしめる意味でも大変意義のある名CDであったと言えるところだ。もっとも、かかる名演の登場にもかかわらず、今なおその存在価値を失わないだけでなく、同曲の演奏史上最高の超名演こそは、本盤におさめられたデュ・プレによる演奏であると言えるだろう。同曲は、英国の詩情溢れる情感豊かな作品であるが、デュ・プレの心の込め方には尋常ならざるものがあると言える。本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、二度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような心を込め抜いたチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言える。もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものであり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言える。かかるデュ・プレの素晴らしいチェロ演奏を下支えしたサージェント&ロイヤル・フィルもイギリスの詩情に満ち溢れた素晴らしい演奏を展開していると評価したい。併録の告別の歌や夜明け前の歌も極上の美を誇る名演であり、正に、チェロ協奏曲ともども英国の詩情ここに極まれりと言っても過言ではあるまい。ロイヤル・コーラル・ソサエティも最高のパフォーマンスを誇っていると評価したい。音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えないものであったが、数年前にエルガーのチェロ協奏曲とのカプリングでHQCD化された(告別の歌及び夜明け前の歌はカプリングされていない。)ことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。したがって、私としても、これまではHQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。HQCD盤などの従来盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。デュ・プレのチェロの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、デュ・プレ、そしてサージェント&ロイヤル・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
10 people agree with this review 2012/01/22
クラシック音楽を数多く聴いてきた者にとっては、おそらくはこの指揮者ならばこのような演奏をするということが聴く前において大方予測できるのではないだろうか。それは私の場合にも当てはまるが、たまに、いい意味でそうした予測を裏切られることがある。そうした予想外の名演に巡り合った時の喜びや感動には何物にも代えがたいものがあると言えるだろう。いや、そうした喜びや感動を希求するために、同じ楽曲であっても繰り返し何度も、様々な演奏家による演奏を聴いていると言えるのかもしれない。もっとも、そのようなことは年に数度あればいい方である。そして、私にとっての本年のいい意味で予測を裏切られた名演第1号こそは、本盤におさめられたサヴァリッシュ&ウィーン・フィルによる演奏であると言える。とにかく本演奏を聴いて大変驚くとともに深い感銘を覚えた。サヴァリッシュと言えば、どうしてもNHK交響楽団を指揮した、立派ではあるが大人しい演奏が印象的であるだけに、私としても、これまで所詮はベームの亜流指揮者としてあまり高い評価をして来なかった。これまでサヴァリッシュに関して私が記した本サイトへのレビューは次に掲げる2つの演奏のみ。1つ目は、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮してスタジオ録音を行ったシューマンの交響曲全集(1972年)であり、もう1つは、昨年末に発売されたNHK交響楽団を指揮してライヴ録音を行ったブラームスの交響曲全集(1971〜1975年)の2点だ。もちろん、これらの全集にしても、すべての交響曲の演奏が様々な指揮者による他の演奏よりも特段優れているというわけではない。要は、全集としては優れているということであり、最大公約数的に優れた名全集と言えるところだ。史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、才能には抜群のものがあり、凡演は少ないものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることも殆どないと言ったところが、これまでのサヴァリッシュに対する共通の評価と言えるのかもしれない。しかしながら、本盤の両曲の演奏は、そうした印象を覆すのに十分な圧倒的な演奏と言えるのではないだろうか。冒頭のモーツァルトの交響曲第39番からして、重厚で彫の深い表現に大変驚かされる。演奏全体の堅固な造型美は相変わらずであるが、それ以上にどこをとってもあたりを振り払うような威容に満ちた風格が漂っているのが素晴らしい。あたかもベートーヴェンの交響曲に接する時のような硬派の演奏と言えるが、それでいて四角四面に陥らず、モーツァルトらしさをいささかも失わないというのは、多分にウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言える。いや、むしろ、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたサヴァリッシュの類稀なる才能と統率力を褒めるべきであろう。いずれにしても、このような素晴らしい超名演を聴いていると、ベームがサヴァリッシュを何故に高く評価し、信頼していたのかがよく理解できるところだ。次いで、ブルックナーの交響曲第9番も凄い超名演だ。正に壮絶の極みとも言うべき豪演であり、指揮者の名前を伏せて聴くと、サヴァリッシュによる演奏であると言い当てる者は殆どいないのではないか。とてもNHK交響楽団を指揮していたサヴァリッシュとは思えないような凄みのある指揮ぶりであり、前述のように私もそうであったが、多くの聴き手が、サヴァリッシュに対するこれまでの印象を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。そして、おそらくは、サヴァリッシュによる最高の超名演と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。第1楽章からしてテンションは全開。とかく安全運転に終始しがちなサヴァリッシュ&NHK交響楽団による演奏とはそもそも次元が異なる緊迫感に貫かれていると言えるところであり、どこをとっても濃密かつ重厚な音楽が紡ぎ出されているのが素晴らしい。ブラスセクションなども最強奏させているが、いささかも無機的になることなく、懐の深さを有しているのが見事である。第2楽章の早めのテンポによって畳み掛けていくような気迫や怒涛のような重量感溢れる進軍にはただただ手を汗握るのみ。本気になった指揮者とオーケストラによる真剣勝負のぶつかり合いがここにあると言えるだろう。終楽章も凄まじい。1990年代にヴァントや朝比奈が成し遂げた悠揚迫らぬインテンポによる演奏とは大きく異なり、テンポの効果的な振幅なども織り交ぜたドラマティックな表現も駆使しているが、ブルックナーらしさをいささかも失わないというのは、サヴァリッシュがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているからに他ならないと言える。そして、ウィーン・フィルによる極上の美を誇る名演奏が、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。演奏終結の後、かなりの間をおいて拍手が沸き起こるのも、当日の聴衆の深い感動を物語るものと言えるだろう。いずれにしても、本演奏は、サヴァリッシュによる至高の超名演であり、サヴァリッシュに対する印象を一変させるだけのインパクトのある圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。音質は、1983年のライヴ録音であるが、十分に満足できる良好な音質と高く評価したい。
6 people agree with this review 2012/01/22
本盤におさめられたブルックナーの交響曲第3番は、ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーチクルスの第5弾であるが、前作の第5番と同様に素晴らしい名演と高く評価したい。このコンビによるブルックナーは、いよいよ快調の波に乗ったことを裏付ける内容であると言える。本演奏の売りは、何と言っても初稿を採用しているということであろう。このコンビによるこれまでの演奏では、第5番や第8番などにおいても初稿を採用していなかったことに鑑みれば、第3番において何故にブロムシュテットが初稿を採用したのかは疑問が残るところだ。かつては、初稿はブルックナーを研究する音楽学者の学究的な関心事項でしかなかったが、インバルやケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどの初稿を尊重する指揮者によって、芸術的にも優れた名演が数多く成し遂げられるようになってきたことから、今日では初稿のグレードが大いに上がってきていると言える。とりわけ、第3番の初稿は、その愛称が示すとおりワーグナーの楽曲からの引用が数多く見られるなど、一般的な第2稿や第3稿とはその内容が大きく異なり、あたかも別の作品のような楽曲であることから、ブロムシュテットも余程のポリシーを持って初稿を採用するに至ったことは想像するに難くない。いずれにしても、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる名演に仕上がっていると言える。この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献していると言える。ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。随所にあらわれる初稿ならではのワーグナーの楽曲の旋律の歌わせ方も実に巧みであり、初稿を採用したこれまでの演奏の中でも、シモーネ・ヤングによる名演と同格か、あるいはオーケストラの優秀さを勘案すれば、それ以上の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると考える。コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。
3 people agree with this review 2012/01/22
デイヴィス&ロンドン交響楽団によるニールセンの交響曲チクルスの待望の第2弾の登場だ。前作の第4番及び第5番、とりわけ第5番が圧倒的な超名演であっただけに、大いに期待して本盤を聴いたのであるが、その期待をいささかも裏切ることがない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。本盤におさめられた交響曲は、初期の第1番とニールセンの最後の交響曲である第6番という、対照的な楽曲どうしの組み合わせである。第1番といっても、決して習作ではなく、20代半ばで作曲された完成度の高い作品であると言える。さすがに、第3番〜第5番のいわゆる三大交響曲に比肩するとは言い難いが、ニールセンならではの独特の華麗なオーケストレーションと、北欧風の情感の豊かさも盛り込まれた魅力的な作品であると言えるところだ。デイヴィスは、そうした同曲の特色を十分に生かすとともに、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が漲った見事な名演奏を繰り広げていると言える。とりわけブラスセクションの強靭な迫力は、とても80歳の老巨匠によるとは思えないほどの凄まじさであり、デイヴィスが満を持して臨んだニールセンの交響曲チクルスにかける本気度を窺い知ることが可能であると言っても過言ではあるまい。他方、第6番は、シンプルシンフォニーとの副題が示すように、最高傑作の第5番とは一転して簡潔な書法で書かれた名作であると言える。トゥッティは殆ど存在せず、室内楽的な静けさが全体を支配しているとともに、打楽器セクションの効果的な扱いが特色と言えるが、それだけに指揮者にとっても、演奏全体を纏めるのに難渋することを強いられる作品とも言えるだろう。デイヴィスは、そうしたニールセンの最晩年の枯淡の境地さえ感じさせる同曲の魅力を十二分に描出するとともに、巧みにメリハリを施すことによって、聴かせどころのツボを心得たいい意味で明晰な演奏に仕立て上げた点を評価したいと考える。デイヴィスによるニールセンの交響曲チクルスは、残すところ第2番及び第3番のみとなったが、これまでの演奏はいずれも名演であり、第3弾に大きな期待を寄せる聴き手は私だけではあるまい。ロンドン交響楽団も、老匠ニールセンの下、渾身の名演奏を展開しているのを評価したい。そして、本盤で素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、デイヴィスによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
5 people agree with this review 2012/01/21
とてつもない超名演の登場だ。ブルックナーの交響曲を心から愛するとともに十八番とし、とりわけ最晩年には、世界にも誇る至高の超名演を成し遂げた朝比奈だけに、ブルックナーの交響曲第7番については、数多くの名演を遺しているところだ。そうしたあまた存在する朝比奈による同曲の名演の中でも双璧とされるのは、最晩年の大阪フィルとのライヴ録音(2001年)と聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音(1975年)であるというのが衆目の一致するところと言えるのではないだろうか。そのような中に登場した本盤の演奏であるが、これは、前述の聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音とほぼ同時期の演奏。1975年のヨーロッパ公演の最終日のものであり、初めて発売されるものだ。聴き終えて大変驚いた。そして感動した。聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音と同格、いや、音質面や楽器編成(聖フローリアン大聖堂での演奏では、音響の点から木管楽器の倍管編成を一部縮小せざるを得なかった。)までを含めると、本演奏の方が優れているとも言えるところであり、正に前述の2強に本演奏が加わり、朝比奈による同曲の名演の3強の一角を占める至高の超名演と言っても過言ではないのではないだろうか。確かに、神々しさや深みという面においては、2001年の最晩年の演奏などと比較すると一歩譲るが、荘重にして悠揚迫らぬテンポによるスケールの雄大さは、後年の演奏にも勝るとも劣らないと言えるところであり、朝比奈は既に1975年の時点において、ブルックナー演奏の理想像の具現化に成功していたことに驚きの念を禁じ得ないところだ。音楽の懐の深さ、悠揚迫らぬ格調の高い曲想の運び方やゲネラルパウゼの効果的な活用の妙など、どれをとっても文句の付けようのないレベルに達しており、いささかも隙間風の吹かない重厚にして荘重な奥行きの深い音楽に満たされているのが素晴らしい。特筆すべきは大阪フィルの力量であり、聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音では、大聖堂の残響に配慮してブラスセクションを一部抑え気味にマイルドに演奏させていたところであるが、本演奏では存分に鳴らしており、それでいていささかも無機的な響きを出していないのが見事であると言える。弦楽合奏の分厚い響きなども、とても1975年当時の日本のオーケストラの水準とは思えないような素晴らしさであり、おそらくは、当日の会場の独特の雰囲気や、ヨーロッパ公演の最終日であるという特別な事情が、大阪フィルをして、持ち得る実力を超えるような奇跡的な名演奏に導いたのではないかとも考えられるところだ。演奏終了後の長く続く拍手喝采も当然のことであると思われる。いずれにしても、本演奏は、朝比奈による同曲の数ある名演の中でも、トップ3の一角を占める圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。そして、このような超名演を商品化にこぎつけたアルトゥスレーベルに深く感謝の意を表したい。音質は、1975年のライヴ録音とは思えないような鮮明で優秀な音質であり、十分に満足できるものと評価したい。また、いささか気が早いが、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいと思う聴き手は私だけではあるまい。
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