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Review List of ココパナ 

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     2021/07/06

    素晴らしい録音。練習曲集「音の絵」には、別に8曲からなる作品33もあるが、当盤に収録されているのは全9曲からなる作品39。いずれもラフマニノフらしいヴィルトゥオジティが横溢する作品群だが、ロマノフスキーの演奏は、決して技巧やパワーの閲覧を主眼としているわけではない。それよりも、ラフマニノフの作品の根底に流れる旋律線をいかに明瞭な形で描きだし、十分な活力を持ってこれを表現するかに力点がおかれている。このピアニストの特徴は、卓越した運指技能を駆使しながら、微妙な加減速や強弱を強靭にコントロールし、音楽の起伏を鮮やかに演出する点にある。39-1では強力で弾力に富む低音のアクセントがよく効き、実に爽快。39-5では音楽の多層構造を解き明かし重層的な迫力を築き上げていく過程が圧巻で、荘厳な音楽が導かれている。圧巻は名曲39-7で、後半の鐘楼の鐘が次々と打ち鳴らされるような音響は、立体的で実にダイナミック。「コレルリの主題による変奏曲」はイタリアの作曲家、アルカンジェロ・コレルリの高名なフォリアの旋律に基づく変奏曲で、ラフマニノフのピアノ曲の中でも名高い名品。こちらもまた名演。冷静沈着でクールを装うようなテンポでありながら、音楽の掘り下げが実に鮮やか。各変奏曲の個性を機敏に描きながら、全体としての繋がりが実になめらかで、一音としてないがしろにしない十全な響きが心地よい。このピアニスト、いまのところ何を弾いても凄いと思うが、ことにこのラフマニノフとの相性は抜群のようだ。2011年のチャイコフスキー・コンクールでロマノフスキーは第4位。このときの第1位 がダニール・トリフォノフ、第2位がソン・ヨルム、第3位がチョ・ソンジン。それぞれに現在まで活躍している。2011年のチャイコフスキー・コンクールが、きわめてレベルの高いコンクールであったことだけは明確だ。

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     2021/07/06

    評論家の大束省三氏は、「仮にシベリウスは歌曲のほかに何も書かなかったとしても、音楽史に名を残す作曲家であった。」と指摘している。歌曲はシベリウスが生涯を傾け、大きな成果を得たジャンルであった。このデッカによる全集は、1978年から1981年にかけて録音されたものだが、全集と言う網羅性と演奏の質の高さから、グラモフォン賞を受賞した名盤。CD4枚に収録された93の曲目を記載しておこう。ギター伴奏の歌曲も含んだ本格的な全集となっているのが特徴。女声の歌曲は伴奏をアシュケナージが担当している点も注目される。


    【CD1】
    1) セレナード
    5つのクリスマスの歌 op.1
    2) 第1曲 いまクリスマスは雪のポーチのそばに
    3) 第2曲 いまクリスマスがやって来る!
    4) 第3曲 外は暗くなる
    5) 第4曲 華やぎを与え給うな
    6) 第5曲 降り積もった雪の吹き溜りが
    7) アリオーソ op.3
    7つの歌曲 op.13
    8) 第1曲 岸辺の樅の木の下で
    9) 第2曲 口づけの望み
    10) 第3曲 心の朝
    11) 第4曲 春はいそぎゆく
    12) 第5曲 夢
    13) 第6曲 フリッガへ
    14) 第7曲 狩人の少年
    7つの歌曲 op.17
    15) 第1曲 もはやわたしは問わなかった(*
    16) 第2曲 眠れ!
    17) 第3曲 鳥のさえずり
    18) 第4曲 道に迷って
    19) 第5曲 とんぼ(*
    20) 第6曲 夕べに
    21) 第7曲 川面の木屑

    【CD2】
    1) 帆走
    2) 泳げ青い鴨
    2つの歌曲 op.35
    3) 第1曲 ユバル(*
    4) 第2曲 テオドーラ
    6つの歌曲 op.36
    5) 第1曲 黒い薔薇
    6) 第2曲 しかしわたしの鳥は帰って来ない(*
    7) 第3曲 トリアノンでのテニス(*
    8) 第4曲 葦よそよげ
    9) 第5曲 三月の雪
    10) 第6曲 三月の雪の上のダイヤモンド
    5つの歌曲 op.37
    11) 第1曲 はじめての口づけ
    12) 第2曲 小さなラッセ
    13) 第3曲 日の出
    14) 第4曲 夢なりしか?
    15) 第5曲 逢引きから帰った乙女
    5つの歌曲 op.38
    16) 第1曲 秋の夕べ
    17) 第2曲 海辺のバルコニーで
    18) 第3曲 夜に
    19) 第4曲 ハープ弾きと彼の息子
    20) 第5曲 わたしは願う

    【CD3】
    6つの歌曲 op.50
    1) 第1曲 春の歌
    2) 第2曲 あこがれ
    3) 第3曲 少女が野原で歌っている
    4) 第4曲おののく胸から
    5) 第5曲 静かな町
    6) 第6曲 薔薇の歌(*
    7) 燃え尽きて
    8) タイスへの讃歌
    8つの歌曲 op.57
    9) 第1曲 川とかたつむり
    10) 第2曲 ひともとの花が道端に咲いていた
    11) 第3曲 水車の輪
    12) 第4曲 五月(*
    13) 第5曲 ひともとの樹
    14) 第6曲 マグヌス公爵
    15) 第7曲 友情の花
    16) 第8曲 水の精
    シェークスピアの「十二夜」による2つの歌曲 op.60
    17) 第1曲 来たれ 死よ!
    18) 第2曲 ホイサー 嵐の中でも 雨の中でも
    8つの歌 op.61
    19) 第1曲 ゆっくりと夕ベの空が
    20) 第2曲 水のはねる音
    21) 第3曲 私が夢みるとき…
    22) 第4曲 ロメオ(*
    23) 第5曲 ロマンス
    24) 第6曲 ドルチェ ファール ニエンテ
    25) 第7曲 むなしい願望
    26) 第8曲 春にとらわれて(*

    【CD4】
    6つの歌曲 op.72
    1) 第3曲 口づけ
    2) 第4曲 山彦の妖精(*
    3) 第5曲 さすらい人と小川
    4) 第6曲 私の思いには百もの道がある
    6つの歌曲 op.86
    5) 第1曲 春の予感
    6) 第2曲 私の遺産の名はあこがれ
    7) 第3曲 ひそかなつながり
    8) 第4曲 一つの考えが浮ぶ
    9) 第5曲 歌い手の報酬
    10) 第6曲 あなた達姉妹よ 兄弟よ 愛し合う者達よ(*
    6つの歌曲 op.88
    11) 第1曲 青いアネモネ
    12) 第2曲 二つの薔薇
    13) 第3曲 白いアネモネ
    14) 第4曲 アネモネ
    15) 第5曲 いばら
    16) 第6曲 花の運命
    6つの歌曲 op.90
    17) 第1曲 北国
    18) 第2曲 彼女の便り
    19) 第3曲 朝
    20) 第4曲 鳥を捕える人
    21) 第5曲 夏の夜
    22) 第6曲 誰がお前の道をここへ?
    23) 水仙
    24) 可愛い娘たち
    25) 鬼蜘蛛の歌 op.27-4
    26) 三人の眼の不自由な姉妹たち

    演奏はトム・クラウゼのバリトンと、アーウィン・ゲイジのピアノによるが、*印の付いている11曲については、エリザベート・ゼーダーシュトレームのソプラノとウラディーミルアシュケナージのピアノによる。また、シェークスピアの「十二夜」による2つの歌曲 op.60 では、伴奏にカルロス・ボネルのギターが参加する。【CD4】の冒頭に収録されている「6つの歌曲 op.72」については、第1曲と第2曲は一度出版されたものの、第一次世界大戦でスコアが消失しており、本全集においても欠損扱いとなっている。シベリウスは偉大なシンフォニストとしてその名を知られているが、歌曲においても立派な功績を遺した人である。ただ、彼の歌曲の評価と録音がその内容に比して寂しいのは、その多くがスウェーデン語の歌唱のために書かれているという言語的マイノリティに属するためである。そのような状況で、大手レーベルである英デッカが、実力確かなアーティストたちを起用して作り上げた当全集の価値が高いことは言うまでもない。北欧の風土や伝説に根差した音楽たちが、これを深く理解する演奏者たちによって、見事に表現されているし、現在まで、これに比較しうる全集(別個に録音されたものを集めたものはあるが)が製作されていないことも踏まえて、独壇場と言ってもいいくらいの「名盤の位置」を確保している。ゼーダーシュトレームが担当した曲数が11曲だけというのは、他にも女声域に適した曲があると思う(それにアシュケナージの素晴らしい伴奏が聴ける!)ので、少ないという印象を受けるが、それでも全体的なレベルは安定しているし、寂しいと感じるほどではない。前述のシベリウスの歌曲を特徴づける要素は、的確に表現されている。名曲として知られるop.36の6つの歌曲(わけても「黒い薔薇」「葦よそよげ」「三月の雪」)、それに、5つの歌曲op.37の「夢なりしか?」「逢引きから帰った乙女」などは、シベリウス、そして北欧歌曲を代表する作品に相応しいもの。もし、シベリウスの歌曲に馴染みが薄いということであれば、この辺りから聴き始めるのがよいだろう。シベリウス、あるいは北欧の音楽が好きな人には、シベリウスの歌曲集は必聴のジャンルだと思うし、その場合、当全集は、筆頭に推薦すべきだろう。

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     2021/07/06

    チアーニは現在のクロアチアで1941年に生まれたピアニスト。極めて強いパーソナリティーを感じさせる芸術表現を体得した人でもあった。しかし、彼は1974年、ローマ近郊で交通事故のため、33歳の若さで世を去っている。彼が無事生き長らえていたら・・・その後のクラシック音楽界の演奏・録音史は異なるものになっていたのはないか。思わず、そんなことを想像してしまうのが、この録音。それほどのピアニストであったにもかかわらず、レコード会社による正規の録音は、とても満足のいくラインナップではない。この全集も本来非正規なもの。1970年にトリノで行われたベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏会の模様を収録したのだが、同封の解説によると、彼の芸術の理解者であり協力者であった友人たちの手による、きわめてプライヴェートな録音が音源とのこと。録音用のテープレコーダはホールの中心に据え置かれたもので、当然モノラル録音。聴衆の拍手の音が一番大きくてびっくりする。もしこのような方法がこのとき行われなかったら、この貴重な記録は、永遠に失われていたであろう。。。当然の事ながら、録音はやはり聴きやすいものではなく、とくに低音が濁り、高音がややキンキンする。しかし、これはないものねだり。それを差し引いても、素晴らしい演奏であることはよくわかる。まずその音量の豊麗なこと。そしてロマンティックな感情の高ぶりの見事さ。音楽全体が生気溢れる躍動感に満ちている。瞬間瞬間の刹那的ベクトルがもつエネルギーもすごい。個人的には、テンペスト・ソナタは、この演奏がベストと思う。深い音の谷間に深淵をのぞき込むような深みがあり、美しく、そして恐ろしい。

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     2021/07/06

    きわめて真摯な演奏。ハイドンの楽曲は、自然な伸びやかさや品の良さとともに、ウィットの表現が含まれている。ゆえに機知に富んだアプローチを心掛けることは、楽曲の魅力を明らかにすることに繋がるが、場合によっては、愛想を振りまき過ぎて、楽曲の格式が少し低下したように感じられてしまうこともある。しかし、タカーチのこの演奏においては、心配皆無。典雅なメヌエットであっても、一種の凛々しさを崩さず、楽器のバランスとアクセントのポイントを慎重に配置し、ルバートも一定の範囲内で収まる。しかも、音色自体の深みとコクがあいまって、楽曲が気高く響く。この演奏を聴くと、おそらく本来ハイドンのこれらの楽曲は、このように演奏されてしかるべき作品なのだろう、ととても納得させられる。一言で言うと、説得力のある演奏。そして、楽曲自体も言うまでもないかもしれないが、魅力的だ。あえてそう書くのは、これらの弦楽四重奏曲が、最晩年の名作群、エルデーディ四重奏曲(第75番〜第80番)の輝かしさの影に隠れて、その素晴らしさに比し、聴かれる機会が少ないのではとの危惧ゆえである。第69番では深遠な第2楽章のアダージョ、そして軽快なトークを思わせる終楽章が絶品。第70番は第1楽章の短い序奏の後に開始される4つの楽器がこまかいフレーズを受け渡しつつ進む主題が、弦楽四重奏曲を聴く醍醐味を伝えてやまないし、第71番の冒頭の合奏音はタカーチの響きの素晴らしさとあいまって、一瞬で聴き手を音楽の世界に引き込んでくれる。

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     2021/07/06

    スイスの指揮者、マリオ・ヴェンツァーゴによる5つのオーケストラを指揮しての一連のブルックナー録音の最後となるもの。ヴェンツァーゴのブルックナーは、音が軽く、テンポも速い。そしてピリオド奏法を思わせる弦楽器の響き。イネガル奏法のようなニュアンス。全曲の演奏時間は60分ほどで、これはおそらく原典版のブルックナーの第5交響曲の演奏時間として、最速ではないかと思われる。特徴的な奏法と速さ・軽さの組み合わせが彼らのブルックナーをとても特徴的なものにしている。彼らのピリオド的奏法は、アーノンクールの存在感のある演奏を思い起こさせる。アーノンクールの録音は、特有の間合いを用いながら、踏み込みもあり、別のステップをとりながらも、ブルックナー的な要素を維持しながら、新しい地形にたどり着いたような、説得力のある演奏だった。当ヴェンツァーゴ盤は、それに似ている。ヴィブラートを抑制することで、壮大さを減じている。それはブルックナー的なものからの乖離を意味する。しかし、アーノンクールの録音が、その清浄な音で、独特のうねりを作り出したのに対し、このヴェンツァーゴの録音は、この交響曲を「ブルックナーらしく」響かせることになど、いよいよ興味がないように感じられる。もちろん、これは私がそう感じるというだけで、ヴェンツァーゴは、これこそブルックナーにもたらされるべき響きである、と確信をもってドライヴしているのかもしれないが。。。とはいえ、長い事ブルックナーを聴き、自分の体に、自分なりの「ブルックナーらしさとは」みたいなものがそれなりに醸成された私の感覚で言えば、すごく違うのである。方法論はアーノンクールを踏襲しているが、意図はまったく別といった感じ。それで、このブルックナーの交響曲第5番を聴いていると、音自体は率直に言って軽やかで聴き易い。終楽章など、テキパキと、透明感のあるフレージングで、展開部の構成が分かりやすい。・・ではあるが、私がブルックナーの演奏に求めるプライオリティーにおいて、その点はそれほど重要ではなくて、やはり壮大な遠近感の中で、精神美や神秘性がいかに扱われるか、どのように表現されるか、といったことにより大きな注意が向く。なので、この演奏に接していると、どうもエネルギーの流れ方が、方向違いと感じられてしまう。とはいえ、ブルックナーの交響曲を長い事聴いてきた身には、ある種の気分転換になる演奏ではある。オーケストラも指揮者の意図をよく汲んで、響きは精緻と言って良い。そういった点で言うと、アーノンクールにはあまり感じられない洗練の要素は、当盤の魅力の一つとなるだろう。というわけで、全局的に歓迎というわけではないが、一定の面白さと興味を満たす、純度の高い演奏ではあると感じた次第。

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     2021/07/06

    ウクライナのピアニスト、ヴァレンティーナ・リシッツァによる、アメリカのミニマル・ミュージックの大家、フィリップ・グラスのピアノ作品集。収録曲の詳細は以下の通り。「ハウ・ナウ」はグラスのオリジナル・アルバムではオルガン曲。「ライティング・オブ・ザ・トーチ」は、1984年のロスアンジェルス・オリンピックに際して委嘱された作品で、後に作曲家自身によってピアノ編曲されたもの。「ウィチタ・ヴォルテックス・スートラ」というタイトルはアレン・ギンスバーグの反戦詩から採られた。「クロージング」は映画「ミシマ:4章からなる伝記」のために書かれた作品。

    グラスの作品は、いわゆる現代音楽に分類されるが、これらの作品を聴いても、不協和な響きや複雑なリズム処理には、ほとんど遭遇しない。それどころか、和声的には非常に調和的な進行が特徴だろう。大体が、次はこう来るだろうと思うとおりに進むので、聴いていて刺激が少ないが、心地よさを感じる。作曲書法はミニマル・ミュージックの名そのままといったところで、扱われている主題は、断片的な性格のものだが、これをひたすらに繰り返し、コード進行を積み重ねることで、音楽的な効果を挙げていく。収録されているものに映画音楽が多いが、同じ主題を扱うことでの持続性に基づく効果の獲得という点で、映画音楽とミニマル・ミュージックの相性の良さを再認識する。中で「めぐりあう時間たち」は、映画の中で扱ういくつかの主題を提示する役目を持っているためか、ミニマル・ミュージックとイージーリスニングの折衷的作風で親しみやすい。私が気に入ったのは、「ポエット・アクツ」「ウィチタ・ヴォルテックス・スートラ」といった暖かい情感を巡らせた作品。また、「マッド・ラッシュ」はエンディングに向けて、ノスタルジックな情感が高まるあたり、なかなか聴かせてくれる音楽。他方、オルガン曲を編曲したという「ハウ・ナウ」はいつ果てるともしれない音が30分近くも続くから、ミニマル・ミュージックに肌が合うという人でない限り、正直聴き疲れするところもある。リシッツァのピアノはさすがである。作曲者自身の自作自演盤と比べると、はるかに音色のパレット、音量のギアが豊富で、様々な情緒を感じさせる。むしろ自作自演盤は、無機的な効果を狙ったのかもしれないが、私にはリシッツァによって、細部まで血を通わせたような、当録音の方が、これらの曲をより理解できた気がする。全般に気軽に聴けるテイストに満ちているので、今までミニマル・ミュージックに触れる機会のなかった人には、良い入門編にもなりえる。

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     2021/07/06

    スドビンのピアノで特筆すべきは、突き通るように鋭利な切れ味である。相当の指の力があり、かつ鍵盤の適所に集中的に力点を集中させるテクニックに秀でている。その結果、繊細なコントロールで、ソノリティをシャープに描き分けている。次に挙げるべきは、その技量を駆使して描かれる恍惚感と官能性。しかも、それらは透明な配色を持って表現されていて、決して不健全なイメージには結びつかない不思議さがある。無限定に甘美に陥るわけでなく、厳しい統御が利いている。だから、聴き手は、思い切り奏者の音楽に身をゆだねることが出来る。幻想曲は上記のスドビンの特性が様々に繰り広げられた熱演で、情動的とも言える振幅がある。微細な音符の抑揚を紡ぎ合わせて描きだされる音像は、言い様のない艶やかな生命力を持っていて、その変化のさまが極めて美しい。古今の幻想曲の名演の一つに数えたい。夜想曲第7番も美しい。この曲はスドビンの個性にビタリとはまる曲だ。たゆたうような低音から、ためらうような霧か幻のような旋律が編まれてゆき、やがて、どこか夜の海のような怖さと引力を感じかのように脈々と広がってゆく・・・。不思議なぬくもりを湛えた夜想曲だ。夜想曲第16番も見事。特に終結部のテンポをはやめて滴り落ちるように描かれた情感は、きわめて自然な力感を内包し、魅惑的に響く。他のマズルカ、バラードも、スドビンの個性の一層映える曲が選ばれており、心地よい陶酔感が得られている。スドビンならではのショパンの世界が描かれている。そして、末尾に収録されたスドビンによる「ア・ラ・ミヌート(ショパンの小犬のワルツによるパラフレーズ)」。これは凄い!。ヴィルトゥオジティ全開モード。これを聴くだけでもこのアルバムを買う価値がある。子犬のワルツの有名な旋律が重音で奏でられる心地よさ。こんな重量感と迫力に満ちたワルツは、聴いたことがない!スドビンの多才ぶりを堪能する。

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     2021/07/06

    モーツァルトのピアノ協奏曲第24番を聴いたベートーヴェンは深い感銘を受けた。その影響がもっとも端的に顕れているのが、ピアノ協奏曲第3番である。ともにハ短調という情熱的な調性を持つ2曲。なので、当アルバムの組み合わせは、蓋然性が高い。だが、このアルバムで、私が最も心を動かされたのは、その構成感ではなく、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番の第1楽章のカデンツァである。それは、スドビン自身によって書かれたもの。すさまじいパワーを持っている劇的なカデンツァだ。壮大な旋律のふくらみ、蓄えられたエネルギーの放出。ヴィルトゥオジティに満ち溢れ、ロマン派の薫りを放ちながらも、その連結点において、みごとにモーツァルトの音楽に繋がる。そもそも、この楽曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、もっともダイナミックなものだろう。だからこそ、スドビンの豪快なカデンツァであっても、見事に収まるのだ。そして、そのベートーヴェンが同じハ短調で書いたピアノ協奏曲がこの第3番。先述の通り、両曲の冒頭が似ているのは偶然ではない。スドビンはベートーヴェンにおいても、とてもスリリングなピアノを示す。スコア通りに弾いているのだが、鮮烈なイントネーションの効果を操り、劇的な濃淡を描き出す。それにしてもスドビンのテクニックは凄い。普通は、ここまで情動の激しい表現を行うと、細かい歩調が乱れたり、前後の脈絡が乏しい突飛さが現れたりするのだけれど、スドビンの演奏にはそのような要素を感じない。テンポを速める瞬間であっても、スラーで奏でられる音階の整いは、見事に保持されている。細部がしっかしりしているから、全体の流れも一つの表現として完成度が高まり、協奏曲という大規模な音楽の形式的な美観も損なうことがない。ヴァンスカ指揮のミネソタ管弦楽団も、スドビンのピアノに引っ張られるかのようにして、非常に熱のある演奏を繰り広げる。ベートーヴェンの協奏曲の終結部で奏でられるティンパニの鮮烈な連打音にその特徴はよく表れているだろう。

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     2021/07/06

    フィンランドの作曲家、エルンスト・ミエルクの「交響曲」と「ヴァイオリンと管弦楽のための演奏会小品」を収録。オラモ指揮、フィンランド放送交響楽団の演奏。ヴァイオリン独奏はストゥールゴールズ。2002年の録音。ミエルクは、22歳の誕生日を目前に夭折した作曲家兼ピアニスト。当盤に収録されている「交響曲 ヘ短調」を書き上げたのは、20歳の時。当時、シベリウスは本格的な交響曲を作曲しておらず(第1番は1899年の作曲)、フィンランドで初めて国外で認められた交響曲となった。しかし、病弱だったミエルクは持病のリンパ腺結核が悪化してわずか22歳で世を去ってしまう。ミエルクの創作期間は真の個性を作り上げるのにはあまりに短く、フィンランドの音楽界に強い影響を及ぼすまでには至らなかった。交響曲は4楽章構成。メンデルスゾーンやシューマンの影響が感じられる。第1楽章はティンパニのトレモロから始まる葬送の音楽を思わせる序奏部をもち、主部に入ると、軍隊行進曲風のはつらつとした音楽と抒情的なメロディが対照的。第2楽章スケルツォ。ミエルクを研究した ヨン・ルーサスは、この第2楽章を「さまざまな発言が飛び交う、活気のある討論」と呼んだ。第3楽章はやさしい表情の音楽。終楽章では勇壮さとメランコリーが交差する。ピアニッシモの和音で消え入るように曲を閉じることが印象に残る。楽器編成にはハープ、トライアングル、シンバル、小太鼓が加わっている。

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     2021/07/06

    ハンガリーの作曲家、エルンスト・フォン・ドホナーニによる、ロマン派のウィットに富んだ作品たちを楽しめるアルバム。収録曲中「童謡の主題による変奏曲」の「童謡」とは、日本では「きらきら星」の名で知られるもので、原曲は18世紀フランスのシャンソン。モーツァルトが同じ旋律に基づいて独奏ピアノのための変奏曲を書いている。ドホナーニの作風は、ロマン派ならではの情緒に満ちたもので、旋律的にも保守的。しかし、そこに一流の着こなしというか、ユーモアの介在があってとても楽しめるもの。音響的にはブラームスやR.シュトラウスへの親近性が高い。「童謡の主題による変奏曲」は、ドホナーニのユーモア精神が如何なく発揮された名品で、この簡素でかわいらしい主題と、壮大でシンフォニックなオーケストラの響きを、気の効いた節回しで繋いで見事な逸品に仕立てたもの。大家が本気の遊び心で書いた作品だろう。冒頭に収録されている「交響的小品」は、彼の代表作の一つと言って良く、5つの性格的な楽章がおりなす色彩感が魅力だ。とくに偶数楽章の郷愁的な雰囲気は、多くの聴き手の心に響くものに違いない。末尾の「組曲 嬰ヘ短調」は、こまかく10のパーツに分かれるが、前半は変奏曲のような構造をもっている。その結果、当番に収録された3曲すべてに、「変奏曲」的要素があることになる。ファレッタは、これらの楽曲を、単に愉悦に満ちた演奏を心掛けるだけでなく、全体的な重厚さを十分踏まえながら、一つ一つ丁寧にアプローチしており、結果として、ドホナーニの作品の魅力がとてもよく引き出されている。オーケストラの反応も手堅く、立派なもの。また「童謡の主題による変奏曲」におけるネボルシンのピアノの美しさと細やかさも圧巻と言って良く、全3曲とも、同曲を代表する録音と言って差し支えない。とにかく親しみやすい1枚で、ドホナーニというあまり知られない作曲家の魅力を、良く伝える内容。

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     2021/07/06

    ペリアネスというピアニストは、「無常観」や「寂寥感」といった情感を引き出すのが巧い。枯淡の響き、とでも言おうか。独特の存在感のあるピアニストである。このメンデルスゾーンでも、特有の気配を持った音楽が息づいている。メンデルスゾーンの無言歌は、技巧的には簡単で、メロディーも美しいので、初学者にも愛好して弾かれる音楽だし、全般にそのたたずまいも可愛らしい。全集としてはバレンボイムやプロッセダのものがあるが、彼らの演奏は、概してテンポが早く、模範的ではある一方で、私には薄味に感じるところもある。他方で、選集ではあるが、シフやペライアは、少しテンポを落して、抒情性を味わわせてくれた。ペリアネスの演奏は、そのどちらでもない。音楽そのものを昇華させ、作品自体のステイタスをより高貴なものに移したような印象を受ける。透明な音で、決して急ぐことはないが、かといって旋律に豊かな肉付きを施すわけでもない。ルバート奏法で健やかな情感を巡らせながらも、感情を表面だたせることなく、たたずまいを崩すことがない。ロマンティックな音楽からも、不思議な悲しい色を持った陰りが顔をのぞかせる。「デュエット」や「海辺で」における弾きこなしなど、美と鬱の切っても切れない関係が感じられる音楽で、かつてないほどにこれらの曲に「深み」を感じさせてくれる。「ヴェネツィアの舟歌」や「そよ風」の格調の高さにも注目したい。一方で、「ロンド・カプリチオーソ」「6つの前奏曲とフーガ 第1番」「厳格な変奏曲」といった作品では、強く鋭角的な音を積極的に用い、きわめて厳しい諸相を表出させている。これらの楽曲には、メンデルスゾーンのロマン派の香を持った楽想と、バッハ、ベートーヴェンら先人たちへの畏敬がないまぜとなった雰囲気があるのだが、ペリアネスの解釈には、どこか悲劇的なソノリティを秘めた壮絶さがある。ペリアネスの才気を、認識させてくれる。

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     2021/07/06

    “From Darkness to Light”というタイトルが与えられている。ヒューギルによると、「2つのソナタがもつパッセージの暗さに基づくものだが、それらは普遍的かつ希望的な解決へと導く可能性を内在している」とのこと。独奏チェロを担うヒューギルはシドニー交響楽団の首席奏者。2009年から12年まで同オーケストラの首席指揮者であったアシュケナージと、形を変えての協演は、感慨深いものもあるだろう。そのアシュケナージのピアノは、室内楽として理想的なものに感じられる。崩れないバランス、チェロ奏者の表現を踏まえたこまやかなアクション、運動的な個所であっても、客観的な視点をつねにキープした造形性。アシュケナージは、これらの2つのソナタを、1988年にハレルと録音しているが、それと比べても、さらに完成度が高まった感がある。プロコフィエフは、第1楽章の薄明かりの下の不安を感じさせるメロディーと憂鬱な情感がとてもきれいな繋がりをもって奏でられる。第2楽章はウィットな感覚と叙情的なフレーズの役割分担が明晰に表現されており、チェロの適度に艶やかな音色に軽やかに沿うピアノの距離感が抜群だ。第3楽章ではロシア民謡の影響を受けたリズムがほどよい活力で表現されていて瑞々しい。プロコフィエフのチェロ・ソナタという楽曲における現代を代表する録音と呼ぶにふさわしいだろう。ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタは、28歳のショスタコーヴィチか書き上げた作曲者最初の大規模室内楽である。4つの対比感のある楽章から構成される。ショスタコーヴィチらしい不穏さはあるものの、作曲者特有のダークさはそこまで色濃くはなく、むしろ彼の作品の中では保守的なものとして分類されることが一般的だ。ヒューギルとアシュケナージは、純音楽的なアプローチといって良く、自然なアーティキュレーションで、しなやかな流れを形作る。楽曲本来の姿を正しく伝えながらかつ味わい深い大家ならではの演奏だ。第3楽章のラルゴにおける透明な情感、そして以外に小規模でスケルツォ的性格をもつ第4楽章の一貫した流れの美しさにとくに感銘を受ける。末尾に収録されているヴォカリーズは、アメリカのチェリスト、レナード・ローズによる編曲版が用いられている。淡さの中にいるようでいて、気がついいた時には、深い情緒の薫りの中に誘われている演奏で、アルバムを美しく締めくくる。

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     2021/04/16

    北海道の歴史は長くはない。もちろん、昔からそこに居住し、生活してきた人はいた。しかし、少なくとも開拓使が置かれ、開拓と産業育成が誘導されるようになったのは、道南の函館・江差周辺を除けば、わずかここ150年程度のことでしかない。しかし、この短い歴史の中で、北海道の産業は大きな盛衰を辿る。中心的に開発されたのは、エネルギーと食糧であった。前者では国内最大の石狩炭田を中心とした石炭の他、様々な鉱物資源、木材等の森林資源、後者では漁業と畑作、そして品種改良を行いながらの稲作、そして広大な土地を利用した酪農が展開した。しかし、時代は急激に変化する。エネルギーの主力が石炭から石油へと変化し、さらに海外から安価な鉱物資源、森林資源が供給されるようになる。食料も同様で、漁業に関しては、最大の資源であったニシンの魚群が去るとともに、農業・酪農はともに、近代化・大規模化した海外の供給源との競争に直面し、衰退を余儀なくされた。つまり、わずか150年の歴史でありながら、北海道で行われた様々な経済活動や関連する投資、施設の建設は、その後、つまり1970年以降の経済に寄与することのないものが大半であったため、複合的な不良債権を抱え込む形で、否応なく経済活動が衰退することとなった。この40年ほどの間で、かつての国内の産業振興に大きく寄与した数々の巨大施設は、山野に埋もれ、解体され、元の自然に飲み込まれつつある。私が、北海道で生まれた時は、すでにこの転轍点の後であった。産業遺産などという言葉で彩られることもなく、強靭な力で、今まで作られてきたものが、なし崩しになっていく様を見た。炭鉱が閉山し、ニシン漁が終焉を迎えた。総延長900kmを越えた森林軌道、総延長700kmを越えた開拓のための殖民軌道、物資の輸送を支えた私鉄線はすべて廃止され、国鉄線も(生活の用に十分に供されているものまで含めて)1,500km相当が廃止となった。私が生まれ育ったころ周りにあったものは、急速に歴史の表舞台から去り、静かにいなくなった。だから、今の北海道に暮らしていると、何かのおりに不思議なものを目にする時がある。山奥の廃道のような道を辿ると、その先に驚くような廃墟が眠っている。森の奥に不思議な築堤や橋脚が残っている。山に登ると、人為的な工作物や坑道の入り口が見える。そういったものに、「産業遺産」という名前が付き、何かしら歴史的な情緒をかもしだすようになったのは、比較的最近のことだと思う。北海道の産業遺産は、その性格上、人里を離れたものが多く、各所に散らばっている。そして、貴重なものであっても、それを保存する経済基盤がない。だから、仮に人里や道路に近いところにあった場合、今度は取り壊されてしまう。例えば、美唄市にあった巨大な滝の里発電所跡など、一時はその貴重さが鑑み、維持されていたが、ついに安全性の問題から、最近になって取り壊されてしまった。本書は、北海道大学で物理学の教授を務めながら、1960年代から全国の旧道、廃線跡、産業遺産など巡っている堀淳一(1926-)氏による、「北海道 産業遺跡の旅―栄華の残景」と題した産業遺産訪問の記録。 1997年刊行で、197ページ。堀氏は、はやくから、これらの産業遺産の魅力と、時と共に失われる儚さに注目し、訪ね歩いていたのだ。項目を書こう。

    1 鉱山
     1) 下川鉱山跡 1993年10月
     2) イトムカ鉱山跡 1994年7月
     3) 恵庭鉱山跡 1992年10月
     4) 石狩油田の残址を訪ねて 1987年7月
     5) 羽幌炭鉱上羽幌鉱跡 1994年7月
     6) アトサヌプリ 1994年9月
     7) 鴻の舞金山跡 1990年9月,1993年6月
     8) 中外鉱山
    2 農業・林業・漁業
     9) 夕張森林鉄道跡 1991年10月
     10) 当別高岡の水田盛衰 1994年6月
     11) 農村懐旧行 1994年6月
     12) 積丹半島西岸の袋澗群 1993年9月
     13) 上富良野・静修開拓地 1994年6月
     14) 恵庭森林鉄道跡 1994年9月
    3 交通・通信・エネルギー
     15) 張碓・朝里間の「軍事道路」 1992年10月,1994年7月
     16) 落石無線電信局跡 1991年7月
     17) 豊平川発電所導水路の跡 1994年10月
     18) 幌内発電ダムその後 1994年9月
     19) 豊富ガス発電所群 1994年9月
     20) 礼文華山道 1993年10月
     21) 問寒別殖民軌道 1992年8月

    本書は「訪問記」であり、これらの場所の案内本ではない。そのため、記述は、堀氏が実査に訪れて見たものに対する感想が中心である。参考にはなるが網羅的なものではなく、抒情的なものだ。しかし、参考資料として、さかんに当時の地形図が引用されており、これは貴重なもので、私のような地形図好きにはたまらないところだ。さて、私にとって印象深かったものについて書こう。1)の下川鉱山は、私は行ったことはないのだけれど、鉱山廃水の管理を継続する関係で、まだ維持施設が残っている。鉱山のまわりにかつて集落が形成されていたとのことで、教育施設の廃墟など興味深いものが残っているほか、鉱山内で使用されていたトロッコ軌道なども訪問時はあったとのことで、私もいずれ行ってみたい。4)の石狩油田について、は、一時期これらの場所に油井があり、石油の生産、運送、精製が行われていたことを知る人は少なくないだろう。かつて石油輸送のための軽便鉄道も敷設されていたのである。その痕跡も、歴史を知ってこその産業遺産であろう。5)の羽幌の炭鉱跡は私も訪問したことがある。最近になって、羽幌町によって、旧ホッパーや、炭鉱付近の集合住宅跡、消防署跡、病院跡付近が整備され、容易に立ち寄れるようになっている。付近の廃墟は今も(毎年朽ちつつあるが)よく残っており、私も大好きな場所だ。9)の夕張の森林鉄道跡は、2014年のシューパロダムの完成により、三弦橋をはじめとする数々の美しい橋梁群が水没してしまった。私は2015年2月の試験湛水で水位が低下した際に、これらの遺構に接することが出来た。堀氏はさらに上流部の橋梁も含めて訪れており、貴重な写真が掲載されている。12)には私もよく知らず、驚かされた。ニシン漁が盛んだったころ、漁師たちは自費で自分の港のようなものを整備し、袋澗と呼ばれる港湾構造を作り、そこに捕獲したニシンをしばらく置いておいたとのこと。積丹半島西岸には、この自家製簡易港の残骸が残っているとのこと。今もあるのなら、是非見てみたいと思う。14)の札幌近郊の森林鉄道であるが、山奥に素敵な橋梁が残っていることが示されている。アプローチは簡単ではなさそうだが、とても興味深い。また、今ではおそらく痕跡を見つけることは難しいインクラインがあったことも解説してくれている。18)は、北海道電力の電力網の届く前に、枝幸、雄武の共同体が行った電力供給事業のため、作られたダム。今だったら電力自由化の先駆け的プロジェクトになったかもしれないが、北電の電力網の整備とともにその役目を終え、現在では、往時の半分の高さ(推定)に半解体されているとのこと。そのうらぶれた半廃墟のダムと、それでも水を蓄えた周囲の状況、これを囲む森と尾根から見渡された最果ての遠景が、美しく記述されている。堀氏は、雨が通り過ぎる中、この光景にしばし時間の経過を忘れ見入っていたというから、私も行ってみたいと感じた。21)は個人的思い入れがある。私の父が、廃止前のこの軌道に乗り、写真を多く記録している。その写真と照らし合わせながら、読ませていただいた。

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     2021/04/16

    北海道の写真をライフワークの一つとして精力的に活動している埼玉県在住の写真家、工藤裕之氏による、80年代以降に廃止された北海道の鉄道路線が健在だったころの写真をあつめたもの。本書の特徴はなんといってもコスト・パフォーマンスの素晴らしさに尽きる。415ページの紙面を目いっぱいに使って、1200を越える美しいカラー写真が掲載されている。その情報量が圧巻だ。人それぞれに「この写真はもっと大きいサイズで見たい」という気持ちを想起させるものがあるだろうが、それでも当本のサービス精神旺盛な編集方針に、私は感謝したい。とりあえず、「北海道の、廃止鉄道の現役時の写真集」というテーマ性で、まず1冊買うということであれば、本書は絶好だろう。より精緻な画素像がほしいところもあるが、この価格と内容であれば、それは不満とは言えないささいなものだ。むしろ、当時のフィルム写真ならではの感触さえ伝えてくれているように思う。対象となっている路線は以下の通り。天北線/羽幌線/深名線/美幸線/名寄本線/湧網線/標津線/池北線/広尾線/士幌線/富内線/胆振線/岩内線/瀬棚線/松前線/歌志内線/函館本線上砂川支線/幌内線/住友赤平炭砿専用線/三菱大夕張鉄道/青函航路/さよなら列車の風景  また、その他に駅を題材としたフォト・エッセイや、時折ゲストを招く形でのフォト・コラムも挟まれていて、構成も工夫されている。写真はいずれも旅情に満ちたもの。また道内時刻表にさえ掲載されなかった幻の仮乗降場、新士幌など、貴重なものも多い。住友赤平炭砿専用線は、このような写真集で紹介されることはほとんどなかったと思うので、そういった点でも嬉しい。各線の沿線風景の美しいこと。かつての羽幌線の豊岬駅の近くには、日本海を望む海岸段丘に金駒内橋梁があり、無二といってよい美しい眺望があったが、その様子もわかる。北海道ならではの春夏秋冬の中で、スケールの大きい自然に配された鉄道の「絵」としての完全性に、あらためて心を奪われる。これらの線路の半分程度に乗車したことのある私にとって、これらの写真は小さいころの思い出ともリンクするもので、様々に胸に伝わるものがある。それにしても、北海道に住んでいると、痛切な切なさにたびたび襲われる。つい最近も、日高線の長期運休や留萌線の廃止について、報じられたところ。思わず「もう勘弁してくれ」といいたくなる。冬の北海道の厳しさを知りもしない人が、「赤字だから廃止は当然」みたいな論調を掲げるのも痛々しい。ここ数十年で、この国の人々の心から、「山の向こうには、自分の知らない人たちが住み、生活している」という謙虚な暖かさが、急速に薄れていったとしか思えない。本来、公共の交通機関等の生活基盤に関わるものは、収支以外の計り知れない価値を持っているものだ。北海道の歴史は浅い。しかし、この国の近代化のため、多くの人が移住し、厳しい土地を切り開き、石炭、森林、鉱物資源の供給源あるいは食糧基地を確保してきた。その最前線で使命を担った人々が、いまや撤退を余儀なくされている。四季を通じて、万人が利用できる安定した交通手段である鉄道の衰退は、その象徴のように思う。バスでいいだろう、という人には、酷寒の大地で風か荒ぶ中、いつくるともわからないバスを待つということがどういうことなのか、おそらく想像すらできないのだろう。鉄道を失った北海道の地方の多くが、血管を失った組織のように、壊死に向かっている。それは、現地をたびたび訪れている私にとって、強烈な実感なのだ。生活基盤を失う、というのはそういうことだ。本写真集に郷愁を感じながら、その郷愁の対象が次々と消えつつある現在にあって、その行き着く先に広がっているのは、決して全体の幸福などではないだろう。今、この国を覆う考え方に従って、次々と地方を切り捨ている刃は、いずれ、順番にすべてに巡っていくのであろう。

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     2021/04/16

    北海道レールフォトライブラリィ所属し、45年に渡り鉄道写真を撮り続けている上田哲郎氏による写真集。全編カラーで175ページ。2012年発行。掲載項目は以下の通り。【道北】 天北線/興浜北線/羽幌線/美幸線/名寄本線/興浜南線/渚滑線/湧網線/深名線  【道東】 相生線/標津線/白糠線/士幌線/広尾線/池北線/北海道ちほく高原鉄道  【道央・道南】 幌内線/万字線/歌志内線/富内線/岩内線/胆振線/瀬棚線/松前線/登川支線(夕張線支線)/上砂川支線(函館本線支線)/手宮線  【車両でたどる北海道の国鉄動力近代化】 【もう見ることのできない鉄道風景】  ・・・以上の様に、国鉄再建法制定後に相次いで廃止されていった路線の風景、北海道で走行していた車両の写真紹介、ダイヤ改正などで消えていった列車の風景がまとめられている。私がこの写真集を見て、最初に感じたのは、羨望に近い。鉄道に乗るのが好きな私は、もし今これらの路線があったなら、おそらく2週間に1度は鉄道であちこち出掛けていたに違いない。もちろん、現在も時折出かけてはいるが、鉄道の路線がほとんど失われてしまった今、そのため、鉄道で目的地まで赴いたり、旅をしたりする上での制約が多くなり過ぎた。北海道では、恐ろしいほどの距離の路線が廃止されてしまった。総延長1,500km。私は別のところでも書いたのだけれど、地域の社会や経済を支える性格のものを、収支という目安だけで扱うというのは、かなり乱暴なものであったと感じている。全部残せ、と言うつもりは毛頭ないけれど、当時、廃止の目安とされた「輸送密度」という指標には、地域事情をほとんど反映しない行政の冷たさを感じざるをえない。これは人口における利用率ではなく、単純に利用者の数のみを背景とした指標であったため、元来人口密度の少ない北海道には不向きな指標であり、地元の人の多くが利用していても、その実情は反映されず、達成不可能な基準であった。そのため、利用の実態とは関係なく、次々と狙い撃つように路線が廃止となっていった。実際、私が乗った多くの路線では、時には通路まで一杯の利用者がいたのである。しかし、地域の人の多くが利用しても、地域の絶対的な人口がなければ、先の指標により「利用価値のない」「無用な」ものと見做された。現地の状況を知らない人が、まるで、我がことの利益に係る重大事のように「廃止すべき」という論調を掲げることもあった。紋別という町がある。町を通じる名寄線が廃止されたとき、この駅の一日の乗客数が800人。人口3万人の町の一駅で800人が列車に乗車していたのである。この比率は、当該年度の札幌市の人口と札幌駅の乗客数の比と大きく変わるものではない。紋別市の両隣の興部町、湧別町にいたっては、当時の人口:代表駅の1日利用者数比はさらに高まり、それぞれ6,600人:403人、1万7千人:686人である。つまり、当時札幌よりも、はるかに「日常的に鉄道を利用する人の割合」は高く、依存度が大きかったのである。当時もっともらしく囁かれた「現地の人が利用してない」は、現状を知らない都会に住んでいる人たちが、「輸送密度」という数字から誘因した勝手な妄想でしかなかった。本来、より熟慮を要する決め事であったと思うが、いまとなっては仕方ない。このような美しい写真集で、当時の様子を知るしかないわけだ。それにしても、本当に美しいロケーション、季節、時間帯の、見事な瞬間をとらえた写真だ。羽幌線幌延付近から見える利尻富士は、写真がなければ想像する他ないが、このように見えていたのだと実感する。同じ羽幌線の金駒内橋梁は、その遺構も近年撤去されてしまって寂しい限りであるが、写真を見ると、どれほど美しい車窓が展開していたが、一目で知れることとなる。他にも紅葉の糠平湖を行く士幌線、サンゴ草の海を行く湧網線、斜内山道の岬の突端をへばりつく様にまわる興浜北線など、どれも絶好の瞬間が捉えられている。冬の風景も美しい。北海道の風景は雪があってこそ、と私も時々思うが、写真撮影に不向きなコンディションが多く、なかなか良い写真は撮りにくいのだ。美幸線の終着駅、仁宇布の雪景色など、情緒に溢れている。その他、石勝線開通前の特急おおぞらや、滝里ダムが出来る前の根室線旧線など、どれも貴重な写真ばかり。景勝地が多く掲載されているため、北海道の写真集と銘じてもよいような内容となっています。

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