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Review List of ココパナ 

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     2021/03/09

    イギリス、ドイツ、イタリア、フランス、それぞれ国で、それぞれの言語の誌に基づいて書かれた歌曲4編を集めたアルバム。バリトン独唱はドイツのディートリヒ・ヘンシェルだが、いずれの曲も流暢で、相応しい響きを聴かせてくれる。ヘンシェルの声質と歌いぶりは、フィッシャー・ディースカウを彷彿とさせるところがあり、貫禄と落ち着きが感じられる。いずれの楽曲も、テイストが幾分ドイツ歌曲よりになっているかもしれないが、日本のファンの場合、ドイツ・リートのなじみが深い分だけ、しっくりくると思う。シュヴィングハマーの伴奏も、実にうまい。

    選曲も魅力たっぷり。ヴォーン・ウィリアムズの歌曲集「旅の歌」はイギリス歌曲を代表する名作であり、第2曲「美しい人よ目覚めよ」の旋律の美しさは、名品の薫りを漂わせる。ヴォーン・ウィリアムズが書いた最高傑作と言っても良いかもしれない。マーラーの「さすらう若者の歌」は、ピアノ伴奏で聴くことは多くはないが、描写的な部分で、ツボを押さえたシュヴィングハマーのピアノが心憎いばかりで、とても聴き味が良い。イタリアの名品、、イルデブランド・ピッツェッティの「ペトラルカの3つのソネット」が収録に選ばれているのも嬉しい。多くの歌曲を書いた人だが、日本では、その作品があまり知られているとは言えない。このアルバムは、イタリア歌曲の美しさを知るきっかけにもなるだろう。

    デュパルクからは世紀の名作「旅への誘い」ほか単独歌曲が選ばれている。〜わが子よ、妹よ、甘い夢を抱くがよい、あの地へ行って、共に暮らし、暇にまかせて、愛し合い、愛して、そして死ぬ夢を〜で開始されるボードレールの詩、暗く垂れこめた雲間から光がしてきて、次第に世界を染めていくような美しい経過を感じさせてくれて、感慨深い。そして、末尾に美しい「溜め息」が収録されていて、このアルバムにふさわしい締めくくりとなる。

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     2021/03/06

    スウェーデンの作曲家、アラン・ペッテションは人呼んで「絶望の作曲家」だ。幼少より貧困と家庭内暴力に苦しめられたペッテションは、演奏家として生きてい行くが、今度は彼を病魔がむしばむ。時に激痛をもたらす関節炎は、演奏家として致命的だ。40才になってから、彼は作曲家にその生きざまを見出す。そして彼は次々と「絶望感」に彩られた交響曲を生み出していく。交響曲第1番こそ未完ならが、第2番から第16番まで実に15曲もの交響曲を生み出した。そんな彼の作品を最初に目にとめたのは、ハンガリーの指揮者、アンタル・ドラティである。ドラティは第7交響曲のスコアを見るや、自ら演奏を申し出る。そして、それは成功した。だから、第7交響曲以降のペッテションは経済的には安定する。それに、ペッテションには、彼の活動を心身に渡って支えた妻の存在もあった。しかし、ペッテションの交響曲は、いずれのものも哀しい色を湛えている。15の交響曲のうち、第5番以降でペッテションの作風は固まっていく。基本的は長大単一楽章形式であり、最初の内は模糊とした世界がただよい、底の中から飽和するようなエネルギーは首をもたげては、体制を崩して、地面になだれ落ちるようなことを繰り返していく。それがやがて頂点に達し、そのあとどこかから、厳かな鎮魂とも称せるような歌が沸き起こってくる。この美しくも長い歌が続いた後。闇に帰るように音楽は終焉に向かう。

    当盤は史上初のペッテションの交響曲全集である。Cpoレーベルが7人の指揮者を起用し、1984年から1995年まで12年をかけて当該録音を完成した。特に美しく、傑作と思えるのは、第6番から第9番までの4曲であり、ペッテションの交響曲をこれから知るのであれば、まずこのあたりから聴いてほしいと思う。特に崇高な歌が始まる中間部以降の美しさは、他にかえがたい何かを私たちにもたらしてくれるだろう。第2番〜第4番は初期の十二音音楽の気配が残る作風、第5番は第6番以降における飛躍への準備作と言えるだろう。第10番と第11番ではより闘争的なものが描かれる。第13番から第15番までは絢爛たる成熟を感じさせる。コーラスの入る第12番と、サックス独奏が加わる第16番は、ややこれらの系列から外れた作品と言えるだろう。

    末尾には、現代音楽作曲家、ルジッカ(第15番の指揮も担当)が、自ら作曲した「ペッテションへのオマージュ」が収められて、このアルバムは閉じられる。絶望に苛まれつつも、生きて、絶望を描き続けた作曲家。その人生を能弁に表した「15の交響曲」がペッテションの壮大な「自叙伝」だとすれば、ルジッカの作品は巻末に添えられた気の利いた「あとがき」である。膨大な熱量のこもったbox-setであり、現時点で他にない貴重な全集だ。

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     2021/03/06

    第1番、第3番、第5番の3曲が収録さているが、第3番がアルバムの冒頭に置かれている。この収録順は、このアルバムを一聴すると、なるほどと思わされるはずだ。小気味よく響くスタッカートの連打に続いて、綾なすように降りてくる旋律線は、そのリズムがもたらす躍動感と、タッチがもたらす色彩感によって、たちまち聴き手をバッハのクラヴィーア曲の世界に誘うからである。このスリリングで劇的な冒頭を聴いて、私はイギリス組曲第3番という作品が、大バッハの代表作とよぶに相応しい一曲であることを確信した。アンデルジェフスキのタッチは、運動的だが軽すぎず、豊かだが発色し過ぎない。絶妙な、そこしかないというバランスを維持し、それでいてスピーディーに私たちをバッハの世界に誘う。その心地よさたるや、ピアノで弾くバッハにおける、一つの「至高」といえるものが提示された感がある。サラバンドのようなゆったりした舞曲では、心のひだに寄り添うような情緒があって、その瑞々しさに、はっとさせられる。第1番ももちろん美しいが、末尾に収められた第5番もまた、すばらしい名演だ。壮大な規模をもつプレリュードが、しなやかに展開し、気持ちよくすべてがパタンパタンと収まっていく様は、鮮やかな魔法のようだ。いつまでもこのバッハに浸っていたい、と思わせてくれる1枚。

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     2021/03/04

    カイホスルー・ソラブジ。なんとも異国情緒にあふれた名前である。ここで言う「異国情緒」というのは、クラシック音楽史における文化の主脈を演じたヨーロッパの国々とはまた異なった印象をもたらす、という意味である。いったいどこの国の作曲家なのか。イギリスである。意外にも、カイホスルー・ソラブジは英語文化の本拠地、イギリスの作曲家である。それにしても、この名前はいったい?

    実はこの人物、元はレオンという名前であった。“カイホスルー”はのちに自ら改名したもの。これには、ちゃんとした謂れがある。インド系であり、ゾロアスター教の信者であった自身に相応しい名を自ら名乗ったのだ。この作曲家のイデアは、すでにその名前からしたたかに伝わってくるのである。

    そして、このソラブジなる人物、世に奇妙なピアノ作品を続々と送り出した。その多くが、ちょっと他では見ないようなものだった。しかも、自分の作品を広く普及させたいという欲求とは無縁で、しばしば演奏を禁じるなどのお触れを自ら発していたらしい。なんのために作曲しているんだ?と、凡人の私にはその深慮を探ることなど到底無理である。

    しかし、その奇妙な作品の代表的なものの一つが、録音された。それが当盤。イギリスのピアニスト、ジョナサン・パウエルが、CD7枚を費やして収録したソラブジの楽曲は、わずか「1曲」である。間違いなく、この7枚のCDは、収録時間を存分に使って、1曲を収録している。冗談ではない。収録されているのは、「怒りの日によるセクエンツィア・シクリカ」。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律は超有名だ。この旋律を引用した作曲家を挙げると、ベルリオーズ、リスト、ラフマニノフなど指折れるし、他にも知らないだけで、たくさんいるだろう。

    「怒りの日によるセクエンツィア・シクリカ」は、その旋律を用いた「変奏曲」。といってもただの変奏曲ではない。尋常ではない巨大な変奏曲だ。楽曲は主題と27の変奏曲からなる。変奏の数だけみれば、グルドベルク変奏曲やディアベッリ変奏曲より少ない。だが、長いものとなると、一つの変奏で、90分を越えている。その変奏だけでも、CD1枚では収録できない。

    また、構造も単純ではない。「第22変奏」は、変奏主題を用いた二次的な変奏が行われるのだが、その変奏の数たるや、なんと100である。また、最後の第27変奏は、フーガの声部を2声から一つずつ増やし、最終的には6声に至る。

    これを全曲演奏するという試みが、ピアニストにとっていかにハードルの高いものであるか容易に察せられるが、しかも技術的にも至難とあっては、今まで録音がなかったのも道理。作曲者が秘匿しようが、演奏を禁じようが、広まる心配がないようなたぐいのものだった。

    なので、このCDが登場し、その全曲が聴けるというだけで、これは一種の軌跡のようなものだ。聴いてみると、長い。やっぱり長い。だが、面白いものが随所にある。どこか懐かしいところがあったり、意外と人の心に寄り添うものがあったりするし、スクリャービンを思わせる雰囲気が延々と持続するようなところもあって、聴き手によっては、十分に「楽しみよう」がある音楽なのだ。

    とにかく、当盤を置いて、全曲聴く機会はないと思われるものであり、ソラブジの提示した秘密の一端を味わうという点で、またとない体験を得られるアルバムとなっている。

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     2021/03/04

    指揮者として、ピアニストとして、長年にわたりラフマニノフ作品の啓発と普及に取り組んできたアシュケナージは、2019年で演奏家としての活動を終了した。

    現在でこそ、ラフマニノフの作品は、主要なクラシックのレパートリーとなりえているが、かつては長らくハリウッド映画音楽の一種か何かのように考える人が多かった。敬遠気味に接する批評家もいたのである。そのような時代背景を考慮すると、ラフマニノフ協会の会長職でもあったアシュケナージの活動は、ラフマニノフ作品のステイタスを向上させるのに果たした役割はきわめて大きかった。

    ラフマニノフの交響曲第2番は、現在でこそ、名曲の仲間入りをしているが、この曲だって、70年代から80年代はじめにかけて、プレヴィンやアシュケナージが積極的に取り上げたことで、一気に評価が進んだのである。それ以前と以後では、文字通り隔世の感がある。

    だから、アシュケナージが、活動の晩年近くになって、長らく良好な関係を築いてきたフィルハーモニア管弦楽団とこの曲をライヴ録音したこと自体に、様々な感慨が打ち寄せるのである。

    アシュケナージは、すでにこの曲を2度録音している。一度目は前述した1981年の録音で、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してのもの。2度目は2007年にシドニー交響楽団を指揮してのもの。そして当盤が3度目に当たる2015年の録音だ。

    前述したとおり、音楽ファンにとって、様々な思いを描くことになる録音であるが、それ以上に演奏そのものの素晴らしさが圧巻だ。かつての2つの録音もそれぞれに良かったのだが、このフィルハーモニア管弦楽団との録音で、アシュケナージは、音楽として完成された表現型へ、果てしない接近を果たした。それはラフマニノフであるというだけでなく、人類史の重要な音楽作品にふさわしい表現を徹底して吟味し、そこに演奏家としての感性と教養をすべて託したような、熱く美しい演奏である。

    オーケストラサウンドの美しさは言うまでもないが、すべてのフレーズが有機的に結びつき、「交響曲」の名に最高に相応しい練り上げられた合奏音を紡ぎ出す。すべての楽器は、歌うべきものを歌い、意志を伝えるべく主張し、必要に応じて他を支える。これぞオーケストラの醍醐味というものを、心行くまで味わわせてくれる。

    ラフマニノフの交響曲第2番、数多くのアルバムを聴いてきたが、私は、当盤を最高のものとして、位置付けることをためらわない。

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     2013/07/24

    マーラーの交響曲第5番が大好きである。ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」や伊丹十三監督の映画「たんぽぽ」で使用されてクラシックフアン以外にも人気のある作品であり、吉永小百合もこの有名な第4楽章のアダージェットが大好きだと言っていた。しかし、この音楽の魅力は甘美なアダージェットだけではない。峻嶮なる葬送行進から開始される劇的な第1楽章、嵐の激動を見せる第2楽章、マーラーらしい自然讃歌に満ちた第3楽章、そして光明へ向かう輝かしい勝利に満ちた第5楽章と、実に多彩なのだ。それで、私は、この録音のここが好き、あの録音はそこが好き、という風に数十年に渡り、色んな録音を聴いてきた。LP、CDトータルでいったい何枚になったのだが、おそらく30種以上は聴いただろう。しかし、とんでもないところから凄い録音が出たものだ。私は、当初このディスクにそこまでの期待はしていなかった。もちろんいい演奏は期待していた。しかし、このアシュケナージの録音は、そんなもんじゃない。とんでもなく素晴らしい。オーケストラの技術、一つ一つの音のバランス、そして、美しさ、一瞬も壊れることなく、しかし内から溢れかえるような白熱の迫力に満ちた造形。これはまさしく決定盤だ!もう、何度も聴いている。まったく色あせることなく、何度も峻烈な感動を喚起してくれる。マーラーの第5交響曲、これから聴くなら迷わずこれだ!早く全集をリリースしてほしい。

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     2013/01/07

    三津田信三の作品にはいつも舌を巻かされる。今回だってそうだ。ほんの一つの鍵、そのとっかかりは何度となく明瞭に提示されているのに、その姿は巧妙に覆い隠されている。だまされることの快感、最初から、眼前にぶらさがっていた答を、あらためて指摘される屈辱に似た快感。それは、読者をまるで子供時代に誘うかのよう。多くのことに興味を示し、多感で、簡単に驚くことができた子供時代に。生来の感性に沿った興奮の喚起。それが三津田作品の神髄だろう。

    この作品も良くできている。読んでいて、最初、少し長いように思う前半の様々な記述は、結局は、いずれもが必要なピースとなる。最後になって、何もないと思われたとこところに、それらのピースが組み合わさって、見事なモザイク画が完成する。

    ホラーの要素を含ませるため、たっぷりとした味付けや演出は施されているが、その演出が決して過剰で唐突なものではなく、舞台の雰囲気を醸成するのに存分な効果を上げている。屋敷の中にある闇は、目の前にあるなにかを覆う読者の心の壁と通じ、なんとも暗示的。この煙幕の張り方はどうだ?

    作者は、物語を巧妙に練り上げる一方で、その舞台となる遊郭について、よく勉強もしている。花魁を取り巻く閉鎖世界について、真摯に精緻に描いており、その成果は、多層的に引き出されている。登場人物たちが、その世界をどのように認識しているか。そこを描けるかが大きなポイントだったに違いないが、作者はこれに成功した。

    事象の積み重ねによって現象を解釈していく論理性をスコラ的厳密への歩み寄りだとるすと、幻想の奔放を交えた本書の物語は、ゴシック精神への畏敬とも読み取れよう。これからも、この作家の作品からは、目が離せない。

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