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Review List of つよしくん 

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     2011/12/10

    ベートーヴェン、シューマン、マーラーなどの交響曲全集で好評を博しているジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が、ついにシューベルトの交響曲全集の録音を開始した。先日発売されたブラームスの交響曲全集については、短期間で、しかもライヴ録音で完成させたのに対して、今般のシューベルトの交響曲全集は、2年の歳月をかけてスタジオ録音されるとのことであり、これはジンマンがいかにシューベルトを特別視するとともに、深く愛着を抱いているかの証左であると言えるだろう。いずれにしても、全集の完成が無事に終了することをこの場を借りて心から祈念しておきたい。本盤は、当該全集の第1弾であり、交響曲第7(8)番「未完成」を軸として、ヴァイオリンと管弦楽のための作品集という組み合わせ。ジンマンは、シューベルトを心から愛するとともに、はしめて購入したスコアが「未完成」であったとのことであり、本演奏のスタジオ録音に際しては、並々ならない覚悟で臨んだものと拝察されるところだ。ジンマンのことであり、「未完成」については第3楽章以降の補筆版、あるいはシューベルト自身が書き残した冒頭の数小節だけでも録音するのではないかとの期待もしていたところであるが、見事に肩透かしを喰わされたところである。しかしながら、演奏自体はジンマンの個性が全開の強烈無比な演奏だ。これまでのシューベルトの演奏とは一味もふた味も異なるため、好き嫌いが大きく分かれる演奏と言えるのかもしれない。特に、第1楽章の無慈悲なまでの峻烈な演奏は凄まじさの限りであり、同曲の流れるような美しい旋律の数々をことごとく歌わせないなど、その徹底ぶりには戦慄を覚えるほどである。これに対して、第2楽章は、テンポこそやや早めであるが、第1楽章とは対照的に、シューベルトならではの名旋律の数々を情感豊かに歌わせているのが特徴であると言える。時として、第1楽章と同様の無慈悲な表現も垣間見られるが、それだけに、旋律を情感豊かに歌わせている箇所が際立つとともに、その美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。ジンマンの演奏は、いわゆる現代楽器を使用した古楽器奏法、ピリオド演奏を旨としており、「未完成」においては、果たしてうまくフィットするのか若干の不安を抱いていたところである。しかしながら、ジンマンの前述のようなアプローチの巧みさも相まって、聴き手によっては拒否反応を示す者がいても何らの不思議はないと言えるが、私としては、同曲の新たな魅力を十分に堪能することが可能であったと言える。ジンマンのピリオド演奏によるアプローチが、多くの指揮者によって演奏されてきた「未完成」にある種の清新さを加えるのに成功しているとさえ言えるだろう。とりわけ、第2楽章における前述のような情感の豊かさは、ピリオド演奏にありがちな無味乾燥な演奏に陥ることを避けるのに大きく貢献していると言えるところだ。いずれにしても、本演奏は、手垢に汚れていた「未完成」を洗い流したような清新さを持った素晴らしい名演と高く評価したい。併録のヴァイオリンと管弦楽のための作品集も、「未完成」と同様のピリオド演奏であるが、旋律の歌わせ方の情感の豊かさにも出色のものがあり、ジンマンと、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の第1コンサートマスターであるアンドレアス・ヤンケの抜群の相性の良さが生み出した珠玉の名演奏に仕上がっていると評価したいと考える。今後、本全集は第4弾まで続くことが決定しているが、今後の続編にも大いに期待したい。音質は、2011年のスタジオ録音だけに、本従来CD盤でも十分に満足できるものであるが、昨年よりSACDの復活の機運が高まっており、可能であれば、マーラーの交響曲などと同様に、マルチチャンネル付きのSACD盤で発売して欲しかったという聴き手は私だけではあるまい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/12/10

    2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリングは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、特に晩年の1990年代においては、ヴァントやジュリーニなどとともに数少ない巨匠指揮者の一人として、至高の名演の数々を披露してくれたところであり、その死は残念でならないところである。本盤は、巨匠ザンデルリングの追悼盤として初めて世に出る音源であるが、いかにも巨匠ならではの素晴らしい名演であると高く評価したいと考える。このような素晴らしい名演奏を聴いていると、あらためて巨匠の死を悼む聴き手は私だけではあるまい。本盤には、モーツァルトの交響曲第39番とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」がおさめられているが、このうち、モーツァルトについてはザンデルリングにとっても極めて珍しい曲目であると言える。同曲については、ザンデルリングが師事したムラヴィンスキーによる素晴らしい名演が遺されているが、ムラヴィンスキーのように絶妙なニュアンスを随所に施した颯爽としたテンポによる演奏とは、その性格を大きく異にしていると言えるだろう。テンポはゆったりとしたものであり、スケールは雄大の極み。ザンデルリングは各旋律を徹底して歌い抜いており、その豊かな情感にはロマンティシズムの香りさえ漂っていると言えるほどだ。それでいて、演奏全体として格調の高さをいささかも失うことがないというのは、ザンデルリングの類稀なる音楽性の豊かさの証左と言っても過言ではあるまい。私としては、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、必ずしもザンデルリングが得意とした楽曲ではないだけに、聴き手によっては好みが分かれる演奏と言えるかもしれない。他方、ベートーヴェンの田園は、文句の付けようのない素晴らしい名演だ。ザンデルリングの田園の名演としては、数年前に発売されたケルン放送交響楽団とのライヴ録音(1985年)が名高いが、本演奏は当該演奏から6年後のライヴ録音。演奏全体のスタイルとしては、ゆったりとしたテンポによる悠揚迫らぬ曲想の進行、深沈とした奥行きと格調の高さが支配している点においては共通しており、後はオーケストラの違いと言えるのかもしれない。本演奏はベルリン・ドイツ交響楽団であるが、巨匠ザンデルリングとの相性は抜群であり、ケルン放送交響楽団と技量においてはほぼ同格。音色の重心が、若干ではあるが、北ドイツのオーケストラだけに本演奏の方が低いと言えるところであり、田園により重厚な響きを求める聴き手には、本演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと言えるところだ。音質は1991年のライヴ録音だけに、鮮明で素晴らしいものであると高く評価したい。

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     2011/12/10

    ベートーヴェンの三重協奏曲はベートーヴェンが作曲した労作であり、一部の評論家が指摘しているような駄作とは思わないが、それでも5曲のピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲などと比較するといささか魅力に乏しいと言わざるを得ないのではないだろうか。もちろん、親しみやすい旋律などにも事欠かないと言えなくもないが、よほどの指揮者やソリストが揃わないと同曲の真価を聴き手に知らしめるのは困難と言えるだろう。したがって、本演奏の関心は、もっぱら演奏者とその演奏内容の方に注がれることになる。カラヤンとロシアの偉大な3人のソリストという超豪華な布陣は、ネット配信の隆盛などによりクラシック音楽界が不況下にある現代においては望むべくもない、夢のような共演と言えるだろう。ましてやオーケストラが世界最高のベルリン・フィルであり、三重協奏曲のような楽曲ではもったいないような究極の布陣とも言える。そして、本演奏が凄いのは(裏方では微妙な意見の食い違いがあったようであるが、我々は遺された録音を聴くのみである。)、4巨匠とベルリン・フィルがその能力を最大限に発揮しているところであろう。カラヤン&ベルリン・フィルは、この黄金コンビの全盛時代ならではのオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っているし、ロストロポーヴィチの渾身のチェロ演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言える。オイストラフのヴァイオリンも、ロストロポーヴィチのチェロに引けを取らないような凄みのある演奏を展開しているし、リヒテルのピアノも、本名演の縁の下の力持ちとして、重心の低い堂々たるピアニズムを展開していると言える。いずれにしても、凄い演奏であるし超名演に値すると言える。そして、このような凄い超名演を持ってして漸くこの三重協奏曲の魅力が聴き手に伝えられたというのが正直なところであり、その意味では、本演奏こそが同曲の唯一無二の名演と言えるのかもしれない。もっとも、本演奏は狭い土俵の上で、天下の大横綱が5人いてお互いに相撲をとっているようなイメージとも言えるところであり、このような5人の大横綱には、もう少し広い土俵で相撲をとって欲しかったというのが正直なところだ(と言っても、広い土俵たり得る三重協奏曲に変わる作品は存在しないが)。音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、HQCD化によってかなり音質の改善がなされていたところだ。したがって、私としても、これまではHQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。HQCD盤などの従来盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。ロストロポーヴィチのチェロやオイストラフのヴァイオリンの弓使い、そしてリヒテルのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、リヒテル、そしてカラヤン&ベルリン・フィルによる超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 4 people agree with this review
     2011/12/10

    カラヤンは、独墺系の指揮者としては稀少であると言えるが、シベリウスを得意のレパートリーとしていた。ザンデルリングやホルスト・シュタインなどもシベリウスをレパートリーとしていたが、遺された録音の多さからすれば、カラヤンは群を抜いた存在であったと言えるだろう。交響曲第3番については、録音の計画はあったものの、ついにそれを果たすことなく鬼籍に入ってしまったのが大変残念ではあるが、第1番を除けば、それぞれ複数の録音を行っており、これは、カラヤンがいかにシベリウスの交響曲を深く愛していたかの証左と言っても過言ではあるまい。シベリウスの番号付きの7曲の交響曲の中で、最も有名なものは第2番であるが、カラヤンは同曲を2度にわたってスタジオ録音している。最初の録音はフィルハーモニア管弦楽団との演奏(1960年)であり、2度目の録音が本盤におさめられたベルリン・フィルとの演奏(1980年)である。そして、一般に評価が高いのは1960年盤であると言えるところであり、リマスタリングされた国内盤も発売されるなどカタログから消えることはなく現在に至っているが、他方、本盤におさめられた1980年盤は、国内盤では単独盤では長らく発売されておらず、不当にも忘れられた存在になりつつあるところだ。これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が、シベリウスの本質からの逸脱などという意味不明な偏向的な論法を用いて、本演奏を事あるごとに貶し続けていることにも起因していると言えるところであるが、果たして、本演奏はそれほどまでに凡庸な演奏と言い切れるのであろうか。確かに、豪壮華麗な演奏と言える。当時、全盛期にあったカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビは、鉄壁のアンサンブルを駆使した究極の名演奏を繰り広げていたところであるが、本演奏においてもそれは健在であり、ここには圧倒的な音のドラマが展開されていると言えるだろう。それでいて、豪快さ一辺倒の演奏にはいささかも陥っておらず、同曲の随所に盛り込まれた北欧の大自然を彷彿とさせる名旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いており、正に剛柔のバランスがとれた圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。前述のように、これだけの名演であるにもかかわらず、国内盤は長らく発売されておらず、私は、初発売時の最初期盤で愛聴してきたところであるが、音場の拡がりや音圧において、今一つの音質であったと言わざるを得なかった。ところが、先般、ESOTERICが、ついに本演奏のSACD化を行ったところだ。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、前述の初期の国内盤や既発輸入CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、カラヤンによる圧倒的な名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 5 people agree with this review
     2011/12/10

    本年よりSACDの発売を開始したEMIであるが、これまではフルトヴェングラー、アルゲリッチ、ラトルによる演奏に限られていたところであった。このような中で、今般、その他の大指揮者による数々の名演のSACD化が行われることになったのは何という素晴らしいことであろうか。クレンペラーやセル、カラヤンなどによる名演のSACD化は、昨年より急速に息を吹き返しつつあるSACDの更なる広範な普及に繋がるものとして、大いに歓迎したいと考えるものである。本盤におさめられたデニス・ブレインとカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトのホルン協奏曲は、同曲演奏史上最高の超名演として、現在においてもその地位にいささかの揺らぎがない歴史的な演奏と言えるだろう。カラヤンは、後年、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、首席奏者であったゲルト・ザイフェルトとともに同曲をスタジオ録音(1968年)しており、それも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏の持つ後述のような独特の魅力には及んでいないのではないかと考えられるところだ。また、同曲については、ホルン協奏曲の絶対数が少ないということもあって、これまで名うての名ホルン奏者がこぞって録音を行ってきている。前述のゲルト・ザイフェルトだけでなく、シヴィル、ペーター・ダム、ヘグナー、タックウェル、クレヴェンジャー、ティルシャルなど、いずれ劣らぬ個性的な名演を披露してはいるが、デニス・ブレインによる独特の魅力的な演奏には敵わないのではないかと考えられる。デニス・ブレインのホルン演奏は、卓越したテクニックもさることながら、その音色の朗々たる美しさには際立ったものがあり、どこをとっても技巧臭がせず、コクのある豊かな情感が込められているのが素晴らしいと言える。旋律の歌い方もごく自然であり、演奏全体のスケール雄大で、線の細さなどいささかも感じられない骨太の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。この当時、デニス・ブレインは、若干32歳の若さではあったが、若さを感じさせない成熟した名演奏を展開していると言えるところであり、正に天才の所業と言っても過言ではあるまい。かかるデニス・ブレインの圧倒的なホルン演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演奏であると言える。本演奏でのカラヤンによるアプローチは、後年の演奏のようにレガートを駆使した流麗かつ重厚なものではなく、むしろ颯爽とした新鮮な息吹を感じさせる強靭な生命力が全体に漲っており、デニス・ブレインのホルン演奏を引き立てつつ、気迫に満ち溢れた爽快な名演奏を展開している点を高く評価したい。音質は、モノラル録音ではあるが、これだけの歴史的な名演だけに、これまで疑似ステレオ化やリマスタリング盤、HQCD盤、LPからの板おこし盤など、数々の高音質化への取組が行われてきたところであり、それぞれに良好な音質に仕上がっていたと言える。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。デニス・ブレインの息遣いまでが聴こえる鮮明さは殆ど驚異的であり、弦楽合奏の艶やかな美しさなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、デニス・ブレイン、そしてカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団による歴史的な名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 3 people agree with this review
     2011/12/10

    本盤は、全盛時代のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏がいかに凄まじいものであったのかを伺い知ることが可能な名CDであると言える。カラヤンは、交響曲やオペラのような大作においても、はたまたポピュラリティを獲得した管弦楽曲の小品などにおいても、楽曲の演奏に臨むに際していささかの手抜きをしなかった。カラヤンは、本盤のような有名な管弦楽曲の小曲を集めたCD(レコード)を何枚もスタジオ録音したが、いずれの演奏も水準が高い名演に仕上がっているというのは、こうしたカラヤンのこれらの楽曲の演奏に臨む真摯な姿勢に起因しているとも言えるところだ。とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭として、いわゆるアンチ・カラヤン派の識者からすれば、かかる所業は単なるセールスマンとしか思えないのであろうが、私としては、カラヤンのような大指揮者が、かような有名な管弦楽曲の小品に対しても手抜きをせずに真剣勝負で演奏に臨んだ真摯な姿勢に、心から敬意を表するものである。それにしても、本盤の演奏は素晴らしい。あまりにも見事な演奏で、筆舌には尽くし難いレベルに達しているとも言えるだろう。何よりも、前述のようにオーケストラ演奏には凄まじいものがある。演奏は、1971年というカラヤンが心身ともに充実していた時代のものであり、加えて、手兵ベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーが数多く在籍する黄金時代にあったと言える。そして、カラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの咆哮、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルのもとに融合し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していたところだ。そして、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、重厚さと華麗さ、そして流麗な美しさを誇るいわゆるカラヤン・サウンドの醸成に成功していたと言える。本盤の各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた、豪華絢爛にして豪奢な演奏に仕上がっている。加えて、カラヤンならではの聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも相まって、これ以上は望み得ないような完全無欠の圧倒的な超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。本盤については、長らく廃盤の状態にあったが(一部の楽曲については、別の楽曲との組み合わせで発売されている。)、今般、LP時代のカプリングによって発売の運びになったことは慶賀に耐えないところだ。加えて、従来CD盤での発売ではなく、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売となったことは、全盛時代のカラヤンを代表する圧倒的な超名演であることに鑑みても極めて意義が大きいと言える。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の音質の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の圧倒的な超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/12/04

    ポリーニによるショパンの練習曲集として有名なのは1972年のスタジオ録音(DG)であるというのは論を待たないところだ。もっとも、有名ではあるが、当該演奏については評価が大きく分かれると言える。確かに、技量という意味においては卓越したものがあると言えるところであり、おそらくはあらゆるピアニストの中でも最も完璧にショパンの練習曲集を音化するのに成功した演奏とさえ言えるのではないだろうか。もっとも、聴きようによってはメカニックな機械じかけの演奏のようにも感じられるところであり、同練習曲集に込められた詩情や豊かな情感が犠牲になっているという批判も、あながち根拠がないものとは言えないところである。ポリーニによるショパンの楽曲の演奏については、その後に登場したバラード集やスケルツォ集、前奏曲集、ノクターン集などにおいても同様のことが言えるところであり、技量においては完璧、しかしながら、その内容においてはいささか疑問符を付ける者も多く存在していると言わざるを得ないところだ。このように、ポリーニのショパン演奏については、賛否両論が渦巻いているとも言えるところであるが、ショパン国際コンクール優勝直後にスタジオ録音された本演奏は素晴らしい。もちろん、卓越した技量を披露している点においては、後年の演奏と変わりがないところであり、その抜群のテクニックの凄さには唖然とさせられるほどであると言える。しかしながら、本演奏はそれだけにはとどまっていない。本演奏には、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が全体に漲っていると言えるところであり、音楽をひたすら前進させていこうという鬼気迫るような強靭な生命力に満ち溢れていると言える。かかる強靭な迫力は聴いていて手に汗を握るほどであり、ショパン国際コンクールにおいて満場一致で優勝したのは当然のことであると思われるところだ。さすがのポリーニも、本演奏のような気迫や生命力を、その後の演奏においても引き続き持ち続けるのは困難であったとも言えるところであり、その後は約10年にわたって対外的な演奏活動を休止したのは周知のとおりである。ここ数年のポリーニには、バッハの平均律クラヴィーア曲集(第1巻)の名演(2008〜2009年)などにも見られるように、技術偏重には陥らず、円熟の境地とも言うべき味わい深い演奏の数々を聴かせてくれるようになってきたところであり、仮に、現時点でポリーニがショパンの練習曲集を録音した場合には、余人には及びもつかない素晴らしい円熟の名演を成し遂げるのではないかと大いに期待が持てるところだ。もっとも、ポリーニも最近では録音により一層慎重になってきており、望み薄であるとは言えるが、可能であれば、ショパンの練習曲集や前奏曲集、スケルツォ集、バラード集などの再録音を大いに望んでおきたいと考える。音質は、1960年のスタジオ録音であるが、ステレオ収録ということもあって、十分に満足できる水準であると高く評価したい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/12/04

    アバド&モーツァルト管弦楽団による、ホルン協奏曲全集に続くモーツァルトの管楽器のための協奏曲集の第2弾の登場だ。アバドは、今般の管楽器のための協奏曲集の録音開始以前にも、若手の才能ある音楽家で構成されているモーツァルト管弦楽団とともに、モーツァルトの主要な交響曲集やヴァイオリン協奏曲全集などの録音を行っており、お互いに気心の知れた関係であるとも言える。それだけに、本演奏においても息の合った名コンビぶりを如何なく発揮していると言えるところであり、名演であった第1弾のホルン協奏曲全集に勝るとも劣らない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。本演奏でソロをつとめたのは、いずれもモーツァルト管弦楽団の首席奏者をつとめるなど、アバドの芸風を最も理解している気鋭の若手奏者であり、アバドとともにこれらの協奏曲を演奏するには申し分のない逸材であると言える。ホルン協奏曲全集でも圧倒的な名演奏を披露してくれたアレッシオ・アレグリーニは当然であるが、オーボエのルーカス・マシアス・ナヴァッロ、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレ、ファゴットのギヨーム・サンタナ、 フルートのジャック・ズーン、そしてハープのレティツィア・ベルモンドのいずれの演奏も、卓越した技量をベースとしつつ、アバドによる薫陶の成果も多分にあると思われるところであるが、あたかも南国イタリアを思わせるような明朗で解放感に溢れたナチュラルな音色が持ち味であると言える。そして、その表現は意外にも濃密で、歌謡性豊かでロマンティシズムの香りさえ漂っているところであり、いわゆる古楽器奏法を旨とする演奏としては異例と思われるほどの豊かな情感に満ち溢れていると言っても過言ではあるまい。また、アバドの指揮についても指摘しておかなければならないだろう。アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督の退任間近に大病を患い、その大病を克服した後は彫の深い凄みのある表現をするようになり、今や現代を代表する大指揮者であると言えるが、気心の知れたモーツァルト管弦楽団を指揮する時は、若き才能のある各奏者を慈しむような滋味豊かな指揮に徹していると言える。本演奏でも、かかるアバドによる滋味豊かな指揮ぶりは健在であり、これらの気鋭の各若手奏者の演奏をしっかりと下支えするとともに、演奏全体に適度の潤いと温もり、そして清新さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。第1弾のホルン協奏曲全集や、第2弾である本演奏の素晴らしい名演を聴いて、続く第3弾に期待する聴き手は私だけではあるまい。音質についても、最新の録音であるとともにSHM−CD化がなされたこともあって、十分に満足できる素晴らしい高音質と高く評価したいと考える。

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  • 3 people agree with this review
     2011/12/03

    本盤におさめられたブリテンの戦争レクイエムは、食道がんを患い長期療養していた小澤がニューヨーク公演において奇跡的な復帰を果たしたが、その記念すべき復帰コンサートの最終日(18日)の記録である。既に発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)、幻想交響曲(15日)は圧倒的な超名演であったが、本演奏もそれらにいささかも劣らない至高の超名演と高く評価したい。小澤&サイトウ・キネン・オーケストラは、2009年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本におけるコンサートのライヴ録音も既に行っており、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤により発売されている。したがって、演奏内容自体は、小澤の健康状態やホームグラウンドであるということによるオーケストラ演奏の安定性等の観点から、2009年盤の方が優れていると言わざるを得ないだろう。したがって、本演奏を2009年盤と比較することによって、演奏上の瑕疵などについて批判することは容易なことである。しかしながら、本演奏には、小澤のこの演奏にかける執念や灼熱のように燃え上がる圧倒的な生命力が感じられるところであり、かかる渾身の命がけの豪演は我々聴き手の肺腑を激しく打つものであると言える。ショスタコーヴィチが20世紀における最高傑作と評価し、ブリテン自身の反戦思想を色濃く反映した戦争レクイエムであるが、小澤による渾身の豪演を聴いていると、死を克服してひたすら力強く生きようとする小澤の「死」というものに対するレクイエムのような趣きさえ感じられるところだ。小澤の命がけの指揮に導かれて、サイトウ・キネン・オーケストラやアンソニー・ディーン・グリフィーをはじめとする独唱陣、そしてサイトウ・キネン・フェスティバル合唱団及び少年合唱団も、持ちうる実力を最大限に発揮した渾身の演奏や歌唱を披露しているのが素晴らしい。小澤や、オーケストラ、独唱者、合唱団による大熱演を客席において固唾をのんで見守った当日の聴衆も、この超名演の立派な立役者であると言えるところであり、正に、本演奏は、指揮者、オーケストラ、歌手、合唱団そして聴衆が一体となって作り上げた聖なる音楽と言っても過言ではあるまい。音質は、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音であり、音質の鮮明さ、臨場感溢れる音場の幅広さのすべてにおいて、一級品の仕上がりとなっていると言える。あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラ等によるかかる聖なる至高の超名演をこのような極上の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/12/03

    本盤にはヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番及び第2番がおさめられている。ヤナーチェクと言えば、数年前まではスメタナやドヴォルザークの陰に隠れたチェコ出身の知る人ぞ知る作曲家という地位に甘んじていたところであるが、村上春樹氏のとある小説が大ブレークしてからは、その知名度は大きくアップしたと言えるところだ。もちろん、小説にも採り上げられていたシンフォニエッタがダントツに有名であるが、ヤナーチェクはタラス・ブーリバをはじめ、合唱曲(特に、グラゴル・ミサ)やオペラ、そして室内楽曲などにも数多くの傑作を遺しているところであり、今後、これらの傑作が幅広く認知されることを大いに祈念したいと考えている。ヤナーチェクが作曲した弦楽四重奏曲は、本盤におさめられた第1番及び第2番のみであるが、これは20世紀に作曲された弦楽四重奏曲としては、バルトークやショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に次ぐ内容の充実度を誇っていると言えるのではないだろうか。これだけの傑作であるにもかかわらず、バルトークやショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲と比較すると、その録音の点数はいささか少ないと言わざるを得ない。最近では、エマーソン弦楽四重奏団による名演などが登場するなど、好ましい傾向にもあるとは言えるが、いまだにチェコの弦楽四重奏団の演奏が幅を利かせている現状を打破するには至っていないと言える。本盤におさめられた演奏は、ヤナーチェク弦楽四重奏団が1963年に行ったスタジオ録音によるものだ。「ヤナーチェク」を弦楽四重奏団の名に冠しているだけあって、演奏もヤナーチェクへの深い愛着を伺い知ることが可能な素晴らしい名演に仕上がっていると言える。チェコの弦楽四重奏団だけに、弦楽の音色の美しさには出色のものがあり、アンサンブルの緻密さも相まって、正に珠玉の名演奏を行っているとさえ言えるだろう。この楽団にかかると、これらの楽曲の随所に見られる不協和音についても、いささかも美しさを失わないと言えるところであり、それでいて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力においてもいささかの不足はない。また、ヤナーチェクは、モラヴィアの民謡を高度に昇華させてこれらの楽曲の随所に採り入れているが、これらモラヴィア風の旋律の情感豊かな歌わせ方には、正に抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。いずれにしても、本盤の演奏は、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲の演奏として最右翼に掲げられる名演であるとともに、同曲の美しさや魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としても素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、1960年代のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、ヤナーチェク弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/12/03

    本盤には、パイヤールがパイヤール室内管弦楽団ほかとともにスタジオ録音したバッハのブランデンブルク協奏曲全集(1973年)から抜粋した第2番、第3番及び第5番がおさめられている。当該全集は不朽の名盤とされているだけに、残る第1番、第4番及び第6番についても、来年1月にもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されるとのことであり、足掛け2年にわたって高音質化がなされるということになる。それはさておき、演奏は素晴らしい。ブランデンブルク協奏曲は、現在では古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が主流となっているが、本演奏が行われた当時は、現代楽器を使用した比較的編成の大きいオーケストラによる重厚な演奏が主流であったと言える。フルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤン、リヒター、ブリテンなど、このタイプによる名演は枚挙に暇がないほどであり、ブリテンによる演奏は若干その性格が異なるが、バッハという大作曲家を意識したドイツ風の重厚な演奏が行われていたと言っても過言ではあるまい。ところが、パイヤールによる本演奏はまるで異なるタイプの演奏だ。パイヤールの演奏は、現代楽器を使用した比較的小編成のオーケストラによる、どちらかと言えば伝統的な演奏様式によるものであるが、醸成された音楽は、前述のような大指揮者による重厚な演奏とは全くその性格を異にしていると言える。本盤の演奏のどこをとっても、フランス人であるパイヤールならではのフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが付加されていると言えるところであり、正に洒落たセンスの塊のような演奏とも言えるだろう。ドイツ風の重厚な演奏が主流であった同曲の演奏に新風を吹き込んだセンス満点の演奏とも言えるところであり、あたかも同曲がフランスの宮廷音楽のように聴こえるほどだ。高貴にして典雅、そして優美にしてなおかつ愉悦性に富んだ本演奏は、同曲のこれまで誰も気が付かなかった魅力を引き出すことに成功したものとして高く評価すべきであり、前述のような大指揮者による名演にも十分に対抗し得るだけの内容を兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。パイヤール室内楽団や、フルートのランパルをはじめとした各奏者のセンス満点の美演も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、1973年のスタジオ録音ではあるが、グリジー=スウィヌ、ノートルダム・デ・ローズ教会の残響を活かした名録音であったこともあり、従来CD盤でも十分に満足できるものであった。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、パイヤール&パイヤール室内管弦楽団ほかによるセンス満点の極上の美を誇る名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/12/03

    スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していると言える。もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、正に音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番及び第16番は、前述の名盤の誉れ高い全集におさめられた弦楽四重奏曲第15番及び第16番の演奏(1983〜1985年)の約15年前の演奏(1967〜1968年)だ。全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはないと言える。しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言えるところであり、現に、第15番については、1968年のレコード・アカデミー賞を受賞しているほどの歴史的な名演との評価を勝ち得ているところである。第15番及び第16番は、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、1960年代のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/12/03

    これは素晴らしい名演だ。ウィンナ・ワルツをおさめたCDは数多く存在しているが、本盤は、その中でも最も魅力的な名演の一つと言ってもいいのではないだろうか。ケンぺは、ベートーヴェンやブラームス、そしてブルックナーの交響曲などにおいて、ドイツ風の重厚な名演の数々を成し遂げていた指揮者だけに、どちらかと言えば謹厳実直で質実剛健な演奏を行うというイメージが付きまとっていると言っても過言ではないところだ。しかしながら、本盤のような愉悦に富んだ名演を聴いていると、ケンペは必ずしも質実剛健一辺倒の演奏を行っていたわけではなく、むしろ、ケンペという指揮者の表現力の幅広さ、多彩さ、そしてその豊かな音楽性を伺い知ることが可能だ。それにしても、演奏全体に漲っているリズミカルな躍動感は、ウィンナ・ワルツの演奏としては申し分がない理想的なものと言えるところであり、とりわけ喜歌劇「こうもり」序曲の畳み掛けていくような気迫や強靭さは圧倒的な迫力を誇っており、聴いて思わず度肝を抜かれるほどだ。それでいて、ケンペならではのドイツ風の重厚さも随所に聴かれるところであり、レハールのワルツ「金と銀」やヨゼフ・シュトラウスのワルツ「天体の音楽」の重心の低い深沈たる味わいの深さには抗し難い魅力があると言える。かかる演奏は、もはやウィンナ・ワルツという領域を超えた、ベートーヴェンやブラームスの交響曲などにも比肩し得る至高の芸術作品のレベルに達していると言っても過言ではあるまい。そして、このようなドイツ風の重厚な演奏を行っているにもかかわらず、いわゆる野暮ったさなどはいささかも感じさせず、愉悦性を失わないというのは、大芸術家ケンペだけに可能な圧巻の至芸とも言うべきであろう。そして、いぶし銀の音色を有するシュターツカペレ・ドレスデンによる名演奏が、ケンペによる重厚な演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、あまた存在するウィンナ・ワルツ集の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。音質は、1970年代のスタジオ録音ではあるが、リマスタリング、HQCD化等が行われたことや、聖ルカ教会の残響を活かした名録音であったこともあり、十分に満足できるものであった。しかしながら、先般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤やHQCD盤などとはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、ケンペ&シュターツカペレ・ドレスデンによる至高の超名演を、かかる極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/12/03

    これは素晴らしい名演だ。ウィンナ・ワルツをおさめたCDは数多く存在しているが、本盤は、その中でも最も魅力的な名演の一つと言ってもいいのではないだろうか。ケンぺは、ベートーヴェンやブラームス、そしてブルックナーの交響曲などにおいて、ドイツ風の重厚な名演の数々を成し遂げていた指揮者だけに、どちらかと言えば謹厳実直で質実剛健な演奏を行うというイメージが付きまとっていると言っても過言ではないところだ。しかしながら、本盤のような愉悦に富んだ名演を聴いていると、ケンペは必ずしも質実剛健一辺倒の演奏を行っていたわけではなく、むしろ、ケンペという指揮者の表現力の幅広さ、多彩さ、そしてその豊かな音楽性を伺い知ることが可能だ。それにしても、演奏全体に漲っているリズミカルな躍動感は、ウィンナ・ワルツの演奏としては申し分がない理想的なものと言えるところであり、とりわけ喜歌劇「こうもり」序曲の畳み掛けていくような気迫や強靭さは圧倒的な迫力を誇っており、聴いて思わず度肝を抜かれるほどだ。それでいて、ケンペならではのドイツ風の重厚さも随所に聴かれるところであり、レハールのワルツ「金と銀」やヨゼフ・シュトラウスのワルツ「天体の音楽」の重心の低い深沈たる味わいの深さには抗し難い魅力があると言える。かかる演奏は、もはやウィンナ・ワルツという領域を超えた、ベートーヴェンやブラームスの交響曲などにも比肩し得る至高の芸術作品のレベルに達していると言っても過言ではあるまい。そして、このようなドイツ風の重厚な演奏を行っているにもかかわらず、いわゆる野暮ったさなどはいささかも感じさせず、愉悦性を失わないというのは、大芸術家ケンペだけに可能な圧巻の至芸とも言うべきであろう。そして、いぶし銀の音色を有するシュターツカペレ・ドレスデンによる名演奏が、ケンペによる重厚な演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、あまた存在するウィンナ・ワルツ集の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。音質は、1970年代のスタジオ録音ではあるが、リマスタリング、HQCD化等が行われたことや、聖ルカ教会の残響を活かした名録音であったこともあり、十分に満足できるものであった。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤やHQCD盤などとはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、ケンペ&シュターツカペレ・ドレスデンによる至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/11/27

    カラヤン&ベルリン・フィルの1977年の来日時の東京でのライヴ録音については、昨年秋に、単品5枚のCDで発売されたが、一部のアンチ・カラヤン派のクラシック音楽ファンを除いていずれも大変な好評を博したことは記憶に新しい。それから約1年を経て、今般ついにボックス化されて発売されることになった。一枚ずつ単品で購入した者にとっては、いささか無駄使いのような気もしなくもないが、初回生産のセットには豪華写真集が付いているとのことであり、私としても思い切って購入してみた次第だ。豪華写真集については、必ずしも豪華とは言い難いものであり、若干の失望を禁じ得ないが、それでも演奏自体はやはり素晴らしい。昨年発売の5枚のCDの各レビューには絶賛の評を記したところであるが、こうしてボックス化された全集をあらためて聴いた印象もいささかも変わるものではなく、あらためて本全集の各演奏の凄さを思い知った次第である。カラヤンは、DVD作品を除くと、4度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本全集はそれらいずれの全集をも大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。1977年と言えば、正にカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代。カラヤンの体調も若干の陰りは見られつつあったものの、心身ともにベストコンディションにあったと言える。ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーがあまた在籍した楽団史上でも特筆すべき技量を誇った時代であり、それぞれ最高の状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、おそらくはオーケストラ演奏史上でも空前にして絶後の高水準を誇っていたと言ってもいいのではないだろうか。弦楽合奏の鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感のある響き、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群の美しい響き、そして雷鳴のように轟わたるティンパニの響きなどが見事に融合するとともに、カラヤン一流の流麗なレガートが施された、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた正に圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。カラヤンの前任者であるフルトヴェングラーのような音楽の精神的な深みの徹底した追及などは薬にしたくもないが、音楽の持つ根源的な力強さにおいては、フルトヴェングラーの数々の名演にいささかも劣っているものではないと言えるところだ。フルトヴェングラーの目指した音楽とカラヤンの目指した音楽は、このようにそもそも次元の異なるものであり、その優劣を論ずること自体がナンセンスであると考えられるところである。とある影響力の大きい某音楽評論家の偏向的な批評などを鵜呑みにして、本全集のような圧倒的な名演に接する機会すら放棄してしまうクラシック音楽ファンが少なからず存在すると想定されるのは大変残念なことであると言えるだろう。カラヤンの個性が全面的に発揮されたベートーヴェンの交響曲全集の演奏としては、1970年代にスタジオ録音された3度目の全集を掲げる者も多くいると思われるが、本全集は、実演でこそ真価を発揮するカラヤンならではのとてつもない生命力溢れる力感が随所に漲っているなど、音のドラマとしての根源的な迫力においてはかかるスタジオ録音による全集を大きく凌駕していると言えるところであり、正にカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビによる全盛時代の演奏の凄さを大いに堪能させてくれる究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。音質も、音響がイマイチとされる普門館でのライヴ録音と思えないような鮮明さだ。第9番については、アンプの故障によって、特に終楽章の音のバランスが悪いとのことであるが、確かにそういった感じはしたが、気になるほどのものではないと言える。本全集の演奏のうち、第3番については1982年のベルリン・フィル創立100周年記念ライヴ盤(ソニークラシカルのDVD作品)、第7は、同時期の1978年のベルリンでのライヴ盤(パレクサレーベル)に一歩譲るが、それ以外は、カラヤン自身にとって最高の超名演で構成されている圧倒的な名全集と高く評価したいと考える。

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