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Wagner Abend-orch.music: Svetlanov / Munch Po (1988)

Wagner (1813-1883)

User Review :4.0

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
SSS0090
Number of Discs
:
2
Label
:
Format
:
CD
Other
:
Import

Product Description

Wagner Abend 1988 (2CD)

Die Meistersinger von Nurnberg, Prelude to Act T
Die Meistersinger von Nurnberg, Prelude to Act V
Lohengrin, Prelude to Act T
Lohengrin, Prelude to Act V
Tannhauser, Overture
Tristan und Isolde, Prelude - Liebestod
Siegfried-Idyll
Ride of The Valkyries

Munchener Philharmoniker
Yevgeny Svetlanov, conductor

Live at Munich, Philharmonie am Gasteig 12/1988 (DDD)

Customer Reviews

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私の中でスヴェトラーノフは、ローマ三部作...

投稿日:2016/10/15 (土)

私の中でスヴェトラーノフは、ローマ三部作に代表される爆演と評されるような超強烈かつ奇天烈な演奏のイメージと、チャイコフスキーの全集(特に最後のスタジオ録音)やラフマニノフの全集のような、長い旋律を演歌と見紛うくらいに朗々と歌うロマンティストなイメージがあります。このワーグナーはどちらかというと後者に近いですが、それでも他の演奏よりも平穏で静かな印象です。ソビエト国立響ならもっと強烈な響きがするはずの箇所であってもいたって透明で精妙な音が聴こえてきます。これは当時のミュンヘンフィルの特徴だったのでしょうが、あの一度聴いたら忘れられないような演奏群を期待しているスヴェトラーノフファンからするとあまり好まれない傾向がありそうです。私はといいますと、曲目がワーグナーのエッセンスを凝縮したような内容になっているのと、録音の良さ、演奏自体の完成度の高さからかなりお気に入りの演奏です。他の演奏家を貶めるようなライナーはなかなかに不快。読まなくて結構と思います。

ロールパン さん | 不明 | 不明

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初めは先入観もあって、期待外れと感じまし...

投稿日:2015/12/08 (火)

初めは先入観もあって、期待外れと感じましたが、一年くらい経って、あらためて聴き直してみたら、各曲ごとにしっとりとしたり、ズッシリとしたりと聴き応えがあり、いいんじゃないとお気に入りです。よく聴きます。

Mr.Slim さん | 京都府 | 不明

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スヴェトラーノフのいつもの爆演でもなければ、ミュン...

投稿日:2014/04/01 (火)

スヴェトラーノフのいつもの爆演でもなければ、ミュンヘン・フィルならではの精緻さもない。お互いの持ち味がまるで発揮出来なかった残念至極の演奏だ。 やはり、スヴェトラーノフは手兵ロシア(ソ連)国立響でこそ本領を発揮するものだ。ティンパニの轟音や金管の咆哮は、他のオケでは聴けない。 一方のミュンヘン・フィルは、やはりチェリビダッケが振ってこそ妙味を発揮する。重厚でありながら、音の一つ一つが透けて見えるほどのクリアネスの高さ、なかんずく、最強奏でも耳障りにならない艶やかな質感は、チェリビダッケに鍛え抜かれたゆえに生まれたものなのだ。 そもそもスヴェトラーノフとチェリビダッケとでは、アプローチがまるで違う。 例えば、曲の終結のffの鳴らし方。スヴェトラーノフは、“スヴェトラーノフ・クレッシェンド”と言われるように、終結を引き延ばすだけ引き延ばし、最後の最後にティンパニがトドメの一発を打ち付けるような終わり方を好む。 しかしチェリビダッケは、そうした終わり方を無節操なものとして嫌悪した。彼は最後の一音で、サッと力を抜くのだ。それにより、完全に調和した和音の余韻をホールに充満させるのである。終演後から拍手の間が異様に長く感じられるのは、こうした余韻を殊の外重要視していたからに他ならない。 終わり方が異なれば音の初めも違う。スヴェトラーノフの場合、音の頭に、演歌で言うコブシのようなアクセントがつく。それにより、音楽にうねりが生まれるのだ。殊にチャイコフスキーやラフマニノフなどのお国物となると、如何にも民謡的な、ロシア的な音楽になるのである。 一方のチェリビダッケは、出だしも柔らかい。それは例えばシューマンの4番やR=コルサコフの《シェヘラザード》の冒頭を聴いてもらえれば分かる。鋭角的なアクセントを置かず、ふわりと始めるのがチェリビダッケ流なのである。 チェリビダッケは常々、「始まりの中に終わりがある。終わりの中に始まりがある」と言っていたそうだが、始まりも終わりもこのように違えば、ミュンヘン・フィルの団員も相当戸惑っただろう。現に団員の回想録を読むと、スヴェトラーノフの指揮にかなり不慣れであったことが窺える。 これはスヴェトラーノフの名誉のためにも、そしてミュンヘン・フィルの名誉のためにも、聴かないほうがいいような気がしてならない。 余談だが、解説も、例によって紋切り型の駄文がマイクロ文字で記載されており、これでは収録するだけ野望だ。

遊悠音詩人 さん | 埼玉県 | 不明

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