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凡庸な芸術家の肖像 上 マクシム・デュ・カン論 講談社文芸文庫

Shigehiko Hasumi

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784062902717
ISBN 10 : 4062902710
Format
Books
Publisher
Release Date
May/2015
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

『「ボヴァリー夫人」論』執筆中に誕生した著者中期の代表作。「フロベールの才能を欠いた友人」を描きスリリングに展開する傑作評論

【著者紹介】
蓮實重彦 : 1936・4・29〜。フランス文学者、映画批評家。東京都生まれ。東京大学仏文学科卒業。パリ大学にて博士号取得。東京大学教授を経て、東京大学第26代総長。1978年『反=日本語論』で読売文学賞、89年『凡庸な芸術家の肖像』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、99年にはフランス芸術文化勲章コマンドールを受章する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • しゅん

    名著中の名著。「フローベールの恩知らずな友人」としてしか文学史に登場しない作家マクシム。「凡庸さ」という概念は19世紀中葉に発生した歴史的なものであり、それが現代の我々をも規定していることを証明するための長尺な物語は、一人称が「話者」、「わたし」は語り手ではなくマクシムを表すための代名詞として使われるという破格の人称操作により、語ることそのものに含まれる虚構性を暴いていく。物語であり同時に批評でもあるような言葉の複数性は、我々の貧しさを鋭く刺せば刺すほどに豊かに感じれられていく。前代未聞の読み心地だ。

  • しゅん

    再読。ここで紹介されているマクシム・デュ・カンの書籍が全く面白くなさそうなのにも関わらず、マクシムを物語る本書がひたすら面白いことの不均衡を改めて味わう。「芸術家とは、この(=自分を芸術家にしたい)欲望の共有者たちを示す厳密に歴史的な名称に他ならない」から「あらゆる芸術家は、定義からして凡庸な連中なのだ」という文章に出会った時の、胸がすくような気分はなんなのだろう。本書を含めて優れた「芸術」と思う対象は沢山あるが、ではその製作に関わる人々を何と呼べばいいのだろうか。この問い自体が間違っているだろうか。

  • hitotoseno

    『『ボヴァリー夫人』論』によると、『ボヴァリー夫人』の話者は、1843年(つまり研究者たちが『ボヴァリー夫人』の時代設定と想定している年代)にパリ〜ルーアン間に開通した鉄道について、それが元からないもののごとく見做して物語を進めていると思うと、ある時急に「汽車駅」の存在に言及し始める、といった具合にとにかく融通無碍な扱い方をしているという。それを読みながら、ふと本書にも「韻文の蒸気機関車」という章があることを思い出した。

  • 三柴ゆよし

    じぶんが批評なるものに求める「エモさ」(大嫌いな言葉です)、そのすべてが詰まったと言っても大袈裟ではない感動的な書物。感想は下巻で。

  • kana0202

    感動的な書。凡庸という、現代に生きるわれわれが避けて通れないものが、いかにデュカンという人の生の周りに吸い付けられたか、いや、逆に凡庸という磁場に引き込まれ続けた男としてのデュカンがいかなる生をおくったか。そこに近代的な装置とそれに伴い、生じてくる今では凡庸としか映らない様々な、身振り。芸術が意味もなく崇拝され、音楽は意味もなく脱政治化された現代になんらかの気詰まりを感じる人々にとって、歴史化、虚構化の作用の不可視の浸透を自覚させ、凡庸を肯定的に、しかし、それに同調せず生きるために役立つのではないか。

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