DVD

Days That Shook The World Series 2/Terror-Made In America;Assasination Of Abraham Lincoln.Oklahoma B

Item Details

Catalogue Number
:
GNBW7361
Number of Discs
:
1
:
2 (Japan)
Format
:
DVD
Other
:
Vistasize/Squeeze, 2003

Content Description

【エイブラハム・リンカーン暗殺事件】
1865年4月14日、アメリカ合衆国ワシントンD.C.。フォード劇場で、『われらがアメリカのいとこ』の夜の部が始まろうとしていた。観客の中には、アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーンがいる。午後9時半頃、ジョン・ウィルクス・ブースという名の若い俳優が裏通りに到着し、劇場で働いているジョセフ・バローズに馬をつないでおくよう頼む。隣の酒場で酒を飲んだ後、ブースはフォード劇場の正面入り口から入り、大統領の席に向かってゆっくりと歩いて行った…。 10時15分頃、ブースは大統領のボックス席に侵入する。彼は、単発銃のデリンジャーと狩猟刀を持っている。リンカーン夫妻は、クララ・ハリスとヘンリー・ラスボーンとともに座っている。リンカーンの警護をしていた警察官のジョン・パーカーは、持ち場を離れている。ブースは、至近距離からリンカーンの後頭部を撃つが、逃げる際にラスボーンととっくみ合いになる。ラスボーンの腕を刺したブースは、3メートル以上も下の舞台に飛び降り、左足の腓骨を折る。彼は、舞台を横切って裏口へと向かい、馬に乗って街を離れ、ネイビー・ヤード橋へと逃走する。 リンカーンは客席にいたチャールズ・リール医師の診察を受けた後、近くのピーターセンハウスの寝室に運ばれるが、午前7時22分に死亡する。彼の最期を看取った陸軍長官のエドウィン・スタントンは、「今や彼は、時代の所有物となった」と発言する。それが、1865年4月15日、世界中がショックを受けた日である。 南部陸軍総司令官のロバート・E・リーが、北軍のユーリシーズ・S・グラント総司令官に降伏した直後に、リンカーンは暗殺された。この暗殺事件には、南部連合の支持者の大きな陰謀が働いていた。同時に、アンドリュー・ジョンソン副大統領とウィリアム・ソワード国務長官が襲撃にあったが、彼らの暗殺は未遂に終わった。ブースは、共謀者のデイビッド・ヘロルドとメリーランドでおちあった。彼らは、メアリー・サラットの酒場に立ち寄り、午後になって南部へ出発する前に、ブースの足に添え木と包帯を巻いてもらうため、サミュエル・マッド医師の家に向かう。連邦当局は、4月26日の早朝、ヴァージニア州ポート・ロイヤル付近のガレット農場で彼らを発見した。納屋に隠れていたヘロルドは降参したが、ブースは出ることを拒んだため、納屋に火がつけられた。それでもブースが出てくることはなく、彼はボストン・コーベット軍曹に撃たれた。数日のうちに、ブースの共謀者たちは政府に逮捕され、軍事裁判にかけられて全員が有罪。 リンカーンは、アメリカ史上、初めて暗殺された大統領である。すべての暗殺がそうであるように、暴力による行為というものは逆効果を生む。今回の暗殺も、事件の共謀者たちは「南部の救済」を願いつつ、ブースに暗殺の実行を託したが、反対にアメリカが「南北戦争」から「国民統合と平和」へと移行していくスピードを速める結果となった。

【オクラホマ連邦ビル爆破事件】
1995年4月19日、アメリカ合衆国のオクラホマシティ。自作の爆弾を積んだバンを運転している、33歳の第一次湾岸戦争の退役軍人ティモシー・マクベイが、オクラホマシティのダウンタウンにあるアルフレッド・P・ムラー連邦ビルの正面に車を停める。午前9時2分、そのバンは爆発する。9階建てビルの半分が倒壊し、保育所にいた19人の子供を含む168人が死亡、500人以上が負傷。後に、被害総額は8,000万ドルと推定される。 1時間半もたたないうちに、ナンバープレートをつけずに走行していたためにティモシー・マクベイはオクラホマ警察に車を止められ、銃などの所持により拘束される。 爆破が起きた後の数時間、評論家たちは中東の原理主義テロリストグループによる犯行だと疑ったが、FBI捜査官のクリントン・バンザントは真実に迫っていた。彼はウェーコ事件で人質交渉人のチーフを担当し、実行日の重要性をよく知っていた。この日はテキサス州ウェーコ近辺にあったカルト集団ブランチ・デビディアンの敷地内で、連邦軍が51日間にわたる立てこもりを銃撃戦で終わらせ、82人が集団自殺した日のちょうど2年後だった。バンザントは「今回の爆破は、20代半ばの白人男性の単独もしくは共犯者1名による犯行であろう」と言ったとされている。マクベイは軍隊経験を持ち、ウェーコ事件で政府に怒りを抱いており、バンザントの読みは正しかったのだ。 4月21日、マクベイは拘留を解かれ、身元確認ののち爆破容疑で起訴されようとしていた。彼の軍隊時代の仲間テリー・ニコラスは、故郷であるカンザス州ヘリントンで警察に自首する。その後の8月10日には、3人目の男、マクベイの軍隊時代の仲間マイケル・フォティエが司法取引の中で共犯の罪を認める。 マクベイは自身の公判に、知的かつ良識ある態度で現れた。彼は、連邦政府や国民に対抗したのだと信じていた。またメディアを通して、ジャーナリストとのインタビューに応じたり、国営テレビでの処刑の放映を要求したりした。彼は2001年6月11日に毒物注射によって処刑されるまでずっと、自責の念を見せはしなかった。 この残虐行為とその後の余波を見てきた目撃者たちや公判の記録書、手紙、マクベイを知る人々、もしくはインタビューした人々のおかげで、自国の国民によってアメリカの平和的な暮らしがおびやかされたもっとも恐ろしい1日を、時間を追いながら再現することが可能となった。

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  • Creator:望月ハルヒ