CD

Sym, 8, : Bohm / Bpo (Berlin 1969)

Bruckner (1824-1896)

User Review :5.0
(2)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
KKC6068
Number of Discs
:
1
Format
:
CD

Product Description


ブルックナー:交響曲第8番
ベーム&ベルリン・フィル
1969年ステレオ・ライヴ


英テスタメント・レーベルのCDは、解説書に力が入っていることでも定評があり、ヒストリカル・クラシック音楽の持つ歴史の面白さを際立たせることにもなっているので、日本語訳が付された国内盤の価値には大きなものがあります。

シリーズ概要
★歴史的録音の復刻で有名なイギリスの名門レーベル、テスタメント。1990年にスチュアート・ブラウン氏により設立され、正規音源にもとづく、高品質の音質でファンから絶大な支持を集めてきました。ここ数年日本への窓口が途絶えていましたが、このほど国内販売権をキングインターナショナルが獲得。400に近いタイトルのなかから、歴史的名盤はもとより最近話題の新盤までえりすぐって、全20タイトル、国内仕様にして発売します。
★日本語解説=オリジナル・ライナーノーツの和訳+ 曲目解説+ 歌詞対訳(声楽曲のみ)

このアルバムについて
★ブルックナーと同国(オーストリア)に生まれたカール・ベーム(1894-1981)。ハンス・リヒター(8 番の初演者)と旧知の仲であった父親からの影響もあり、ブルックナーの音楽はベームが指揮者として形成されていく過程で、風景画の意味合いを持っていました。1936 年に第4 番を世界初録音(ドレスデンで、エレクトローラに)、48 年にはVOX に第7 番を録音。しかしながら、フルトヴェングラー死去後のベルリン・フィル(BPO)首席指揮者のポストは選考から漏れ、ウィーン国立歌劇場音楽監督の座は辞任に追い込まれて、56 年以降フリーになったベームは、海外公演を積極的に行い、シカゴやニューヨークでブルックナーを盛んに演奏、評判を高めていきます。ところがDG にはヨッフム、カラヤンとのブルックナー録音計画がありました。ベームは、70 年、73 年にDECCA にウィーン・フィル(VPO)と第3 番、第4 番を録音、ベストセラーを生み出します。76 年にはDG に第8 番をVPO と録音しています。
★今回のCDはDECCA,DG への録音の端緒となった、69 年ベルリン・フィルとのライヴ!おりからベームは75 歳、全盛期を極めた頃。晩年の遅いテンポではなく、きびきびと締まり、勢いのある演奏を展開。機能美満点のBPO を前に、全編無駄のない率直な指揮。ベームには複雑な音楽もシンプルに表現する天賦の才がありました。一方で、BPO の優雅な音色を活かした抒情美の創出も忘れていません。(なお、本録音は1890 年稿をもとに、ハース版とノヴァーク版の出版譜を併用)
★真正のステレオ録音。会場の音も生々しく、響きます。冒頭から迫りくるBPO の金管、弦楽陣のパワー!極上のマスタリングが施されており、これが1969年とは思えないほど鮮明鮮烈な音質になっております。


【収録情報】
●ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 (1890年稿)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
カール・ベーム(指揮)

録音時期:1969年11月26日
録音場所:フィルハーモニー、ベルリン
録音方式:ステレオ(ライヴ/アナログ)

【ベーム年表(未完)】

1894年(0歳)
●8月28日、ベーム、オーストリア=ハンガリー帝国のグラーツに誕生。世界遺産に指定されるほどの美麗な街並みのグラーツの当時の人口は約17万人で、200万人を超えていたウィーンや、70万人を超えていたブダペストに較べれば小規模な都市ですが、同じ帝国内ではプラハとほぼ同じ規模で、オーストリア地域ではウィーンに次ぐ第2の規模の都市。父は弁護士でグラーツ市立劇場の法律顧問もしていました。

1895年(1歳)

1896年(2歳)

1897年(3歳)

1898年(4歳)

1899年(5歳)

1900年(6歳)

1901年(7歳)

1902年(8歳)

1903年(9歳)

1904年(10歳)

1905年(11歳)

1906年(12歳)

1907年(13歳)

1908年(14歳)

1909年(15歳)

1910年(16歳)

1911年(17歳)

1912年(18歳)

1913年(19歳)
●ベーム、グラーツの高等字校を卒業。
●ベーム、グラーツのカール・フランツ大学に入学。
●ベーム、フランツ・シャルクの紹介により、ウィーンで、オイゼビウス・マンディチェフスキーに作曲、和声、対位法を師事。マンディチェフスキーはブラームスの友人で、遺産管理人でもありました。
●ベーム、ウィーンで、グローアーにピアノを師事。

1914年(20歳)
●7月1日、ベーム、徴兵によりグラーツ輜重(しちょう)師団に配属。近代戦の重責を担う輸送・補給を担当する部隊。大伯父は陸軍大臣。

1915年(21歳)
●ベーム、伍長、分隊長、小隊長と昇進。軍務中に馬に蹴られ膀胱破裂の重傷。

1916年(22歳)
●ベーム、除隊。
●ベーム、グラーツ市立劇場のコレペティトア(助手)として契約。同劇場で働いていた知人のユダヤ系オーストリア人指揮者、ゲオルク・マルコヴィツ[1889- ?]の誘いでした。1899年に開場した豪華なグラーツ市立劇場は、座席数約1,400の劇場で、常設のオーケストラは、シンフォニー・コンサート開催時には、「グラーツ・フィルハーモニー」として演奏。



1917年(23歳)
●3月18日、ベーム、グラーツ市立劇場。ブフビンダー『彼とその妹』。指揮者デビュー。
●10月20日、ベーム、グラーツ市立劇場。ネスラー『ゼッキンゲンのトランペット吹き』。

1918年(24歳)

1919年(25歳)
●4月、ベーム、カール・フランツ大学で法学博士号取得。
●ベーム、グラーツ市立劇場の第2指揮者に昇格。

1920年(26歳)
●ベーム、グラーツ市立劇場の第1指揮者に昇格。ベートーヴェン生誕150年記念公演の『フィデリオ』を指揮。

1921年(27歳)
●1月、ベーム、バイエルン国立歌劇場に客演。『魔弾の射手』、『蝶々夫人』を指揮。指揮者を探していた同劇場音楽監督のブルーノ・ワルター[1876-1962]に、ベームの『ローエングリン』を見て気に入ったカール・ムック[1859-1940]が推薦して実現した客演でした。
●6月、ベーム、バイエルン国立歌劇場の第4指揮者として契約。『カルメン』を指揮。


●10月、ベーム、バイエルン国立歌劇場での『ボエーム』でソプラノ歌手テア・リンハルト[1903-1981]と初めて共演。

1922年(28歳)

1923年(29歳)
●10月、ベーム、バイエルン国立歌劇場。『ナクソス島のアリアドネ』を急遽リハーサル無しで指揮して成功。

1924年(30歳)

1925年(31歳)

1926年(32歳)
●ベーム、バイエルン国立歌劇場の第1指揮者に昇格。

1927年(33歳)
●5月8日、ベーム、テア・リンハルトと結婚。
●12月、ベーム、ダルムシュタット州立劇場の音楽総監督に就任。ヘンデル『ジュリアス・シーザー』でデビュー。



1928年(34歳)
●3月16日、長男カールハインツ誕生。

1929年(35歳)

1930年(36歳)

1931年(37歳)
●2月、ベーム、ダルムシュタット州立劇場。『ヴォツェック』。ベルクも絶賛。
●4月、ベーム、ハンブルク市立劇場(のちに国立歌劇場)のオペラ監督に就任。『マイスタージンガー』でデビュー。



1932年(38歳)

1933年(39歳)
●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場に初めて客演。『トリスタンとイゾルデ』で成功。
●4月、ベーム、ウィーン・フィルを初めて指揮。
●5月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場に初めて客演。『トリスタンとイゾルデ』で成功。

1934年(40歳)
●1月1日、ベーム、ドレースデン国立歌劇場音楽監督に就任。7日には『マイスタージンガー』を指揮。


●6月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場。リヒャルト・シュトラウス70オ記念公演で『ばらの騎士』を指揮。
●ベーム、ベルリン・フィルに初客演。

1935年(41歳)
●ベーム、シュターツカペレ・ドレスデンとベルリン公演。レコーディングも実施。
●6月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場。『無口な女』初演。
●12月、ドレスデン国立歌劇場のオペラ学校校長に任命され教授の称号を授与。

1936年(42歳)
●11月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場。ロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場へ引越公演。『ばらの騎士』、『トリスタン とイゾルデ』、『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』を指揮。クィーンズ・ホールでは、シュターツカペレ・ドレスデンとブルックナーの交響曲第4番を演奏。

1937年(43歳)

1938年(44歳)
●6月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『ジプシー男爵』のプレミエを指揮。
●7月、ザルツブルク音楽祭に初出演。『ばらの騎士』、『ドン・ジョヴァンニ』を指揮。



1939年(45歳)

1940年(46歳)

1941年(47歳)

1942年(48歳)

1943年(49歳)
●1月1日、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督に就任。28日に『マイスタージンガー』プレミエ。


●4月、ベーム、シュターツカペレ・ドレスデン。ベートーヴェン交響曲第9番で告別演奏会。
●6月、ベーム、チューリッヒ六月音楽祭出演。市立劇場で『トリスタンとイゾルデ』を指揮。
●ベーム、ウィーン交響楽団の首席指揮者に就任。

1944年(50歳)
●1月、ベーム、ベルリン・フィル。定期公演で、リヒャルト・シュトラウスの記念演奏会を指揮。
●6月11日、ベーム、ウィーン・フィル。リヒャルトシュトラウス80歳記念演奏会をマチネーで開催。『マイスタージンガー』前奏曲、『ばらの騎士』ワルツをベームが指揮、『家庭交響曲』を作曲者本人が指揮。
●6月11日、ベーム、ウィーン国立歌劇場。作曲者臨席で『ナクソス島のアドリアネ』を指揮。
●6月、ベーム、チューリヒ六月音楽祭出演、市立劇場で『カプリッチョ』を指揮。

1945年(51歳)
●ベーム、フランツ・シャルク以来の「オーストリア音楽総監督」の称号を授与(名誉職)。
●3月12日、連合軍の爆撃により国立歌劇場が焼失。
●ベーム、グラーツ芸術祭出演。
●ベーム、アメリカ占領軍政府により非ナチ化裁判で裁かれ、2年間の演奏禁止処分。

1946年(52歳)

1947年(53歳)
●6月、ベーム、グラーツ市立劇場管弦楽団を指揮して活動再開。
●6月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『フィデリオ』。
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『アラベラ』。

1948年(54歳)
●2月、ベーム、ミラノ・スカラ座。『ドン・ジョヴァンニ』で初客演。

1949年(55歳)
●3月23日、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。声楽陣とのパリ公演。

1950年(56歳)
●ベーム、ブエノス・アイレスのコロン劇場ドイツ・オペラ・シーズン主任指揮者に就任(1953年まで)。『ワルキューレ』でデビュー。『イェヌーファ』、『青髭公の城』等をラテン・アメリカ初演。


●ベーム、ザルツブルク音楽祭で『カプリッチョ』を指揮。

1951年(57歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『ヴォツェック』。
●ベーム、コロン劇場。『エレクトラ』、『大地の歌』など。

1952年(58歳)
●6月1日、母ゾフィー、死去。
●ベーム、ザルツブルク音楽祭をキャンセル。網膜剥離手術の為。
●ベーム、コロン劇場。『ヴォツェック』が絶賛。

1953年(59歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『コジ・ファン・トゥッテ』、アイネム『審判』。


1954年(60歳)
●9月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督に就任。
●10月、ベーム、ベルリン・フィル。ハンブルク、オランダ、ベルギー・ツアー。

1955年(61歳)
●11月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総再建記念公演。『フィデリオ』、『ドン・ジョヴァンニ』、『ヴォツェック』、『影のない女』を指揮。

1956年(62歳)
●1月、ベーム、モーツァルト生誕200年祭で『イドメネオ』を指揮。
●2月、ベーム、シカゴ響に客演。アメリカ・デビュー。
●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督を辞任。
●4月、ベーム、デュッセルドルフとデュースブルクの劇場が新たに統合組織となった「ライン・ドイツ・オペラ」の最初の公演で『フィデリオ』を指揮。
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、『コジ・ファン・トゥッテ』。
●ベーム、国際モーツァルト財団よりモーツァルト記念メダルを授与。

1957年(63歳)
●2月、ベーム、シュターツカペレ・ドレスデンとレコーディング。
●10月31日、ベーム、メトロポリタン歌劇場に初客演。『ドン・ジョヴァンニ』、『薔薇の騎士』。

1958年(64歳)

1959年(65歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『無口な女』。
●11月4日、ベーム、ベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)に客演。『ヴォツェック』。
●ベーム、ザルツブルク市よりモーツァルト・メダル授与。

1960年(66歳)
●12月、ベーム、ニューヨーク・フィルに初客演。
●12月、ベーム、眼のトラブルでウィーンに戻り手術。

1961年(67歳)
●8月、ベーム、ザルツブルク音楽祭。シュターツカペレ・ドレスデン。
●9月29日、ベーム、ベルリン・ドイツ・オペラ落成記念公演の『アイーダ』を指揮。


●10月、ベーム、カラヤンとベルリン・フィルの北米ツアーに同行。

1962年(68歳)
●7月24日、ベーム、バイロイト音楽祭に初登場。『トリスタンとイゾルデ』
●ベーム、ウィーン芸術週間。ベルク『ルル』。

1963年(69歳)
●ベーム、バイロイト音楽祭。べートーヴェン交響曲第9番。
●10月、ベーム、日生劇場落成記念公演のため、ベルリン・ドイツ・オペラと初来日。『フィデリオ』、『フィガロの結婚』、ベートーヴェン交響曲第9番を指揮。

1964年(70歳)
●1月26日、ベーム、インスブルック冬季オリンピック開会式でリヒャルト・シュトラウスの『オリンピック讃歌』を指揮。
●4月14日、ベーム、オーストリア音楽総監督(名誉職)に任命。
●8月28日、ベーム、ザルツブルク市より名誉市民称号を授与。
●8月31日、ベーム、グラーツ市より名誉市民称号を授与。
●9月30日、西ベルリン市長ヴィリー・ブラントから「ドイツ連邦功労十字勲章」授与。
●11月、ベーム、ヴュルッテンベルク国立歌劇場。『エレクトラ』。演出は息子のカールハインツ。

1965年(71歳)
●ベーム、グラーツ大学名誉評議員。

1966年(72歳)

1967年(73歳)
●ベーム、ウィーン・フィル創立125周年を記念し、楽団史上初の「名誉指揮者」の称号を授与。
●9月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。モントリオール万博に引っ越し公演。
●10月3日、ベーム、ニューヨーク・フィル創立125周年記念コンサートを指揮。

1968年(74歳)
●ベーム、ウィーン国立歌劇場より名誉団員の称号授与。

1969年(75歳)

1970年(76歳)
●ベーム、メトロポリタン歌劇場。ベートーヴェン生誕200年を記念して『フィデリオ』を上演。

1971年(77歳)
●10月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。モスクワ公演。ウィーン・フィル演奏会も開催。

1972年(78歳)
●ベーム、パリ・オペラ座。『影のない女』。

1973年(79歳)

1974年(80歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『コジ・ファン・トゥッテ』。
●9月、ベーム、ハンブルク国立フィルより名誉指揮者の称号授与。

1975年(81歳)
●2〜3月、ベーム、ウィーン・フィル。来日公演。

1976年(82歳)
●ベーム、ウィーン・フィル。ヨーロッパ・ツアー。

1977年(83歳)
●2〜3月、ベーム、ウィーン ・フィル。来日公演。
●8月13日、ベーム、ロンドン交響楽団の名誉会長に就任。
●12月1日、ベーム、ロンドンのロイヤル・オペラに初客演。『フィガロの結婚』
●ベーム、ウィーン国立歌劇場合唱団より「クレメンス・クラウス・メダル」を授与。

1978年(84歳)
●7月、ベーム、ウィーン市より名誉市民の称号を授与。
●ベーム、バイエルン国立歌劇場より名誉指揮者の称号を授与。

1979年(85歳)
●3月、ベーム、読売日本交響楽団との演奏会を体調不良によりキャンセル。
●5月、ベーム、ロンドンのホテルで脳卒中の発作。
●8月、ベーム、ザルツブルク音楽祭。『ナクソス島のアリアドネ』
●10月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。ワシントンへの引越公演。『フィガロの結婚』、『ナクソス島のアリアドネ』を指揮。

1980年(86歳)
●1月、ベーム、グラーツ大学より名誉博士号の称号を授与。
●3月、ベーム、パリ管弦楽団に客演。
●6月、ロンドン交響楽団。ベートーヴェン交響曲第4番、ドヴォルザーク『新世界』。
●9〜10月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。日本への引越公演。『フィガロの結婚』、『ナクソス島のアリアドネ』を指揮。
●11月、ダルムシュタット国立歌劇場より名誉会員の称号を授与。

1981年(86歳)
●1月、ベーム、シュターツカペレ・ドレスデン。パリ公演。
●2月、ベーム、バイエルン国立歌劇場管弦楽団の創立450年記念演奏会で『ジュピター』を指揮。
●2月、ベーム、ベルリン・ドイツ・オペラ。『フィガロの結婚』。
●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。ベーム最後の公開演奏。
●4〜6月、ベーム、ウィーン・フィル。映画『エレクトラ』のため指揮。
●8月5日、ベーム、脳卒中の発作。
●8月12日、ベーム、昏睡。
●8月14日、ベーム、ザルツブルクの別荘で死去。


Track List   

  • 01. 交響曲第8番ハ短調

Customer Reviews

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熱心なファンにとっても、音の悪い少数のプライウ...

投稿日:2016/10/02 (日)

熱心なファンにとっても、音の悪い少数のプライヴェート盤しか存在しない60年代のベームのブルックナーは霧の彼方であった。50年近く前の名演を往時のベルリンの聴衆と同様に聞けることは望外の喜びであり、まずは関係者に深甚の謝意を表したい。比較的近い時期のベーム、BPOのブルックナー(7番)につき吉田秀和氏は次の様に述べている〔「ヨーロッパの響き、ヨーロッパの姿」中公文庫1988年P263-265、プラハの春(1968)から3年半との記述から71年秋と推測される(同時期のプライベート盤もある)〕。「私はベームのブルックナーがこれほどまでにすぐれたものとは知らなかった。(中略)特に各声部が透明な動きと柔らかな響きとで、−つまりヨッフムのオルガンみたいな厚ぼったく重なり合った響きの塊でなくて―きいていてよくわかることと、それでいて、あのブルックナー独特のものすごく長くて、重いものをひきずるようなクレッシェンドが完全に実現されているのと、この二つのものが矛盾なく、双方きちんと出てくるので、感心してしまった。(中略)〔緩徐楽章で〕オーケストラと指揮者の呼吸が、水も洩らさぬようぴったり息があったままに、呼吸のように、小さなふくらみとへこみの運動を繰り返しながら、長い長い坂をのぼって、クライマックスに到達する。そこには、優れた演奏であると同時に、精神の尊厳の勝利とでもいいたくなるような圧倒的で絶対的なものがあった」。長い引用をしたが、これは、当8番の演奏にも-8番故剛毅なところもあるものの-そのまま当てはまるのではないだろうか〔ベームの8番ではこの演奏に限らず第3楽章(アダージオ)が特に素晴らしいと私は思う〕。ベームの8番は総体的にテンポが速めで最晩年にも「減速」しなかった〔VPOのセッション録音のみ80分台、当盤74分、BRSO(71)76分、ケルン放響(74)73分、最速はチュ-リッヒト-ンハレ管(78)の72分台〕。特に第二楽章が速めなのが特徴である。「ブルックナー嫌いにも理解しやすいブルックナー」との噂もあるベームの「ブル8」を皆さんはどうお聞きになるだろうか。4番、5番の初録音(1936)、またアメリカでの普及にも情熱をかけたにもかかわらず、70年の3番迄ステレオ録音の機会に恵まれなかったベーム(R.オズボーンによれば、マーラー同様、ブルックナーの研究家でもあったデリック・クックは大変これを惜しんだとういう-ライナーノーツより)、彼を「ブルックナー指揮者」と呼ぶかはとにかくとして、まだまだ彼のブルックナーを聴きたいと思う。NHKで放送された74.5.26の8番VPOライブ(確か楽友協会の行事でのベームのスピーチも放送されたと思う)なども是非とも発掘をお願いしたい。

千葉のアリアドネ さん | 千葉県 | 不明

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1969年のライブ録音とは思えないほどの鮮明...

投稿日:2016/09/16 (金)

1969年のライブ録音とは思えないほどの鮮明な録音。弦楽器の圧力がすごい。 当時のBPOのおそるべき合奏力をまざまざと見せつけられる感じ。カラヤン色に染まっていただろうこのオーケストラを、短期間の稽古で完全に自分のものとして掌握してしまうベームの手腕は、見事の一言では済まされないようなすさまじいものを感じる。こうゆう録音を聴くと大指揮者のやる仕事はすごいなぁと思ってしまう。演奏はVPOのDG盤と比べると全体的にテンポは速めで(特に2楽章)前へ前へと進む。4楽章まで一気に聴かされる感じ。ライブのベームをとらえた録音と言えると思う。でも、私はVPOのDG盤(1976年録音)の方が好きだ。

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