福島交通軌道線(下)が郊外を扱っているのに対し、福島交通軌道線(上)は、この鉄道の歴史および福島駅周辺と近郊を扱っている。私の福島交通軌道線に対する思いについては福島交通軌道線(下)のレビューに存分に書いたので、そちらをご覧いただきたい。ちなみに、掛田を訪問した昔日は、福島交通軌道線という「めちゃめちゃに」面白い鉄道の利用の歴史であった。
福島交通軌道線(上)についての評価も福島交通軌道線(下)の評価と変わらない。絵葉書を含む写真、資料の類は極めて豊富である。説得力がある。評価は五つ星とした。
しかし、福島交通軌道線(上)は福島交通軌道線(下)ほど多くを語ることができない。鉄道は、思い出と繋がっているものであるが、その思い出は楽しいものとは限らない。苦い思い出もある。福島交通軌道線(上)の表紙のカラー写真は、福島駅の近くであるが、私はこの通りに面した旅館に泊まったことがあった。福島県立医科大学に入院していた祖母が危篤となり、父、妹と一緒にお見舞いに来た私は、旅館の二階で行き来する電車を見ながら、病院からの連絡を待っていた。ついに祖母は、この地で亡くなった。福島交通軌道線(上)は、亡くなった祖母を思いだす。そうであっても、私は本書を購入して良かったと思っている。理由は二つある。一つは、福島交通軌道線の歴史を知る、あるいは確認することができるから。もう一つは、「灯台下暗し」というが、福島交通軌道線の出発駅は、何といっても福島駅前である。その福島駅前から伊達町までの区間は、あまり知らなかったのである。極めて有益な資料を勉強することができた。
福島交通軌道線がナローゲージであったころ、路線は掛田終着駅ではなく、さらに川俣まで延々15.6kmの路線があった。この路線の存在は頭では知っていたが、路線図で確認したのは本書においてが初めてである。また、長岡分岐点と保原駅の途中にある旭町から東北本線の桑折(こおり)まで、路線が存在していたのだ。この路線の存在を知ったこと自体、本書においてが初めてであった。両路線ともに、昭和2年に廃止になっている。掛田〜川俣、旭町〜桑折を含めて、福島交通軌道線全線の路線図」と停留所名が、停留所名の移変りとともに示してある。これだけで極めて意義のある資料である。
以下、資料名を資料の種類とともに示す。本書の概要がおおよそ、ご理解いただけるであろう。
(1)表紙の写真:本町-福島駅前、荻原二郎
(2)モノクロ写真:福島市と伊達町の境、幸橋にて。高井薫平
(3) モノクロ写真:福島駅前の賑わい。今井啓輔
(4) モノクロ写真:信達軌道の特許状 提供:福島交通
(5)軽便時代、福島駅前から伸びる本町通り。ラッキョウ煙突の「へっつい」が行く。絵はがき所蔵:白土貞夫
(6)「福島市内本町四ツ辻」と書かれた絵葉書より。「7」と書かれた客車が通り去る。絵はがき所蔵:白土貞夫
(7)軽便時代の福島駅前、絵はがき所蔵:白土貞夫
(8)内務省への大日本軌道合併の届。 所蔵:国立公文書館
(9) 福島市内本町通り、日本銀行支店前。バック運転の「へっつい」が行く。絵はがき所蔵:白土貞夫
(10) 軽便時代の本町通り。絵はがき所蔵:白土貞夫
(11)不鮮明ながらわずか5年のみの運行であった保原〜桑折間を含む信達軌道全線が掲載された「福島県伊達郡全図」 所蔵:幕田一義
(12) 信達軌道の成り立ち
(13)信達軌道の運賃表 提供:福島交通
(14)軽便時代の東北本線跨線橋 絵はがき所蔵:白土貞夫
(15)電車化後の東北本線跨線橋 絵はがき所蔵:白土貞夫
(16)電車化後の本町通り 絵はがき所蔵:白土貞夫
(17)飯坂西線(現在の飯坂線)飯坂温泉駅に停車中の福島電気鉄道1号車
絵はがき所蔵:白土貞夫
(16)福島駅前から出発、旧飯坂電車の飯坂西線への分岐を行く福島電気鉄道10号車。 所蔵:伊藤東作
(17)福島交通軌道線略年表
(18)廃止の前日、続行運転で松川橋を渡るお別れ記念の花電車