坂井孝一

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プロフィール

1958年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。現在、創価大学文学部教授。専門は日本中世史。愛猫家。平安末期・鎌倉初期の政治史・文化史、室町期の芸能史を主な研究テーマとする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
考証 鎌倉殿をめぐる人々 NHK出版新書』より

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  • 『豊臣秀頼 (歴史文化ライブラリー)』と同様のコンセ...

    投稿日:2014/10/20

    『豊臣秀頼 (歴史文化ライブラリー)』と同様のコンセプトの本である。誤解され、軽視されてきた人物の復権の書。本書の主人公は鎌倉幕府3代将軍源実朝である。実朝は古くから無力で文弱、幸薄い悲劇の将軍という見方が有力だった。生母北条政子と執権北条義時に実権を奪われ、和歌・蹴鞠に耽り官位の向上のみを楽しみとした貴族趣味の持ち主で、最期は甥で猶子(養子)の公暁に暗殺され26年の短い生涯を終えた。彼の死によって源氏将軍は断絶し、幕府は北条氏専制の時代へと移っていく。実朝には非力で無能な歌人将軍というイ メージが定着していった。本書はこれまでの負のイメージを取り去り、政治家としての実朝の再評価を試みた一冊である。 実兄の2代将軍頼家の非業の最期を受けて将軍職を継いだ実朝、12歳の少年であったため生母政子や外祖父で執権の北条時政・義時らが政務を担ったが、成長するにつれ実朝も親裁を行うようになっていき、時政が失脚し義時が執権となってからは徐々に増えていく。実権が北条氏側にあったのは変わらないが、実朝も政務に意欲を示していたことを著者坂井氏は資料を紐解きながら説き起こしていく。当初は実朝のことを青二才と軽視していたらしい義時も一目置くようになったという。生母である「尼御台所」政子にはさすがに頭が上がらなかったようだが、それでも実朝は少しづつ独自色を打ち出していった。 実朝は歌人として優れた才能を発揮し、当代一の歌人藤原定家からも高く評価され『小倉百人一首』の一人に選ばれたほどであった。それゆえに「文弱」のイメージも付きまとったのだが、坂井氏はそれを否定する。歌集『金槐和歌集』をはじめ実朝の残した和歌を丹念に調査し「文弱」に見えて実はしたたかな政治家実朝の実像を炙り出していく。実朝が和歌に打ち込んだ真意、それは当時朝廷の「治天の君」であった後鳥羽上皇に範を求め、その上で幕府の長として朝廷の長である上皇と渡り合うためのツールとするためであった。当代随一の総合文化人であった上皇から伝統文化を吸収し、もって御家人たちの上に君臨し、さらに朝廷とも向き合う。官位を追い求めたのも幕府統治に必要だと考えたからであり、決して貴族趣味などという軟弱な理由によるものでなかった。 しかし、実朝の前途は多難であった。緊密な関係にあった幕府の重臣和田義盛が執権義時の度重なる挑発を受けて挙兵、いわゆる「和田 合戦」によって一族全滅となる。これにより義時は幕府に揺るぎない権勢を確立するが、その義時に担がれて幕府軍の象徴となった実朝 の権威も向上していく。実朝の官位は右大臣にまで上昇、将軍親裁の強化が図られていく。この頃実朝は唐突に渡宋計画をぶち上げ幕府 重臣で義時派の大江広元を慌てさせる、という行動をとる。従来この渡宋計画は実権を失い厭世的になった実朝の気まぐれ、現実逃避で はないか、と考えられてきた。しかし坂井氏は「将軍を支持するか否かをみきわめる試金石」であり「将軍親裁に抵抗する勢力への強力な 示威」ではないか、と指摘する。また実朝は「必ずしも自分の子孫が将軍職を継がなくてもよい」と発言するなど、なかなかしたたかな一面 を見せている。 歴史では実朝の死後、京都から摂関家の子弟や皇族を将軍に迎えるようになっていくが、元々の発案者は実朝その人であった。坂井氏は公暁の受けた衝撃は大きかったはずだ、と見る。自分が実朝の養子として次の将軍になれると思い込んでいたはずの公暁にしてみれば、ハシゴを外されたようなものだ。そして1219年、ついに公暁は鶴岡八幡宮において実朝を襲撃し殺害、自身もその日の内に討ち取られ、かくて源氏の嫡流は断絶することとなった。この暗殺事件については北条義時黒幕説、三浦義村黒幕説などがあったが、坂井氏は両説とも 否定、追い詰められてヤケを起こした公暁の単独犯行と結論づける。いずれにせよ、実朝は志半ばで無念の横死を遂げたのである。 「文弱の人」と見られてきた実朝のイメージに一石を投じた最初の人は正岡子規であった。子規は実朝の残した和歌に「文弱」では説明できない剛毅な精神性を感じとり「古来凡庸の人と評し来りしは必ず誤なるべく、北条氏を憚りて韜晦せし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候」と書いている。実際は子規の見立て以上にしたたかで積極的な君主であったわけだが。 きわめて真面目な学術書であり、和歌の解釈に多くのページを割いているのでスラスラと読み通せる本ではないが読み応えは十分な一冊である。

    金山寺味噌 さん

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