Sonic Youth

Sonic Youth (ソニック・ユース) プロフィール

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2000年に入ってからソニック・ユースは、 ジム・オルーク ・プロデュースによる『NYCゴースト&フラワーズ』をリリースした。それを聴いて筆者が想いを巡らせたのは、(「正しい、正しくない式の前衛性」、「プチブルを嘲笑いながらも、一方で自ら内ゲバ的な権力闘争に不可避的に向かってしまうような硬直した、ある種構造的に問題のあるダメな左翼的発想」などとは全く無縁の)打倒すべき資本主義を連想させるに充分な節操のなさでありながら、そこからも自由でありうるような圧倒的な強度〜連続性を可能的に思わせるような、彼らの表現のしたたかさ、しなやかさについてだった。漠然とした例えで申し訳ないが、この作品には、表向きの前衛性とは無関係に、交換の終わりを無限遠点に持っていくことで永続的に成り立つ、どこか貨幣の運動を思わせるあの忌まわしい佇まいや、日用品をギャラリーに置くことでようやく意味が生じたり、既成の概念が疑われ得るような、彼らが慣れ親しんだであろう、時代性を伴った悪意に満ちたポップ・アートの匂い(その余りに資本主義的なロマンティシズム)がしたのと同時に、それを相対化することが可能だと信じうる21世紀的な前衛性を感じた。それは常にソニック・ユースが抱えてきた表現の核のような部分を拡大して見せたのだともいえるし、ジム・オルークという、20世紀アメリカ音楽という最大最悪最高なポップ性と自家中毒寸前の前衛性のバランスを見極めている相棒を得ての企てが理想的な形で実を結んだ結果ともいえる。その意味で『NYCゴースト&フラワーズ』は非常にソニック・ユースらしい作品だった。 ソニック・ユースは現代前衛の旗印を掲げつつも、一方で貨幣のごとく、固定した価値など持ち得ない…人気のインフレ/デフレも起きるが、本人達はいたって気にしていない…、自ら息苦しさに埋没していくような「主義」に惰しない、という昔からの彼ら一流のアンヴィヴァレンツかつ無手勝流なやり口が凝縮された一枚なのだ。自らの感覚を開放しつつ、(今や古典的ともいえる)内面など信用しない表現を続け、その軌道のみがソニック・ユースである、と言うような傍若無人ぶりを、彼らはこれからも続けていってくれるだろう。

下に記したバイオは新作『NYCゴースト&フラワーズ』リリース以前に書かれたものだ。この時点で筆者は、ギター・バンド的な評価軸において幾度目かの到達点を示した『ア・サウザンド・リーヴス』を起点に遡行して俯瞰し、彼らに対して、クロニクルに語ることで、どうしても意味付けが避けられないような、よくある成功譚に終わりがちな、あの物語的なバイオグラフィを語ってしまっている。これは現在のソニック・ユースには、はっきり言って最も似合わないものだろう。ただこれはあの時点では確信を持てた物語であったのだし、いずれにせよ今回付け加えた七面倒くさいこの導入部もソニック・ユースが活動していく限りは、その都度裏切られていくものなので、開き直ってそのまま載せてしまうことにした。『NYCゴースト&フラワーズ』 は個人的には、自分がソニック・ユースをギター・バンド的な評価軸でどうしても捉えてしまうことに改めて気付かされる作品であったし、また今ではその路線を伸ばしていくだろうという予想を裏切ってくれる作品を出してくれるからこそ、のソニック・ユースという気もしている。これは心地好い裏切られ方だった。ソニック・ユースが活動していく限り、筆者を含めリスナーの多くは、自分の中に設定された評価の軸を幾重にも反転されることになるだろう。

数ある作品群の中でも、そのクオリティにおいて上位に位置するであろう傑作 『ア・サウザンド・リーヴス』(’98年)をリリースしたソニック・ユース。かつて幾度となく盛り上がりを見せてきたこのバンド周辺だが、ここへ来てその存在感、”無冠の帝王”ぶりはロック・シーンの特別な財産ともいうべき輝き方をしているのではないだろうか。

奔放で過剰な活動ぶりと、トラッシュな20世紀アメリカ文化への偏愛(ロックンロールやポップ・アートへのそれ、そして変名バンド、チコーネ・ユースに象徴されるポップ・アイコンへの愛憎どちらとも言えぬ距離の置き方など)。前者はかつて一緒にツアーを廻った御大 ニール・ヤングにも通じる感覚だが、ヤング翁が自らの業の如く対象へ飛び込み一つの作品を作るのに対してソニックスの場合、とりあえず対象を呑み込んでからその都度その都度のフィーリングで吐き出していくかのような創作態度をとる部分が異なる印象を受ける。ただし両者に共通するのは、矛盾やらを怖がらず、活動・作品の整合性よりも、常に過剰な表現欲求を第一義としているところだろうか。また後者の部分はソニック・ユース独自のものだろう。'80年代の英国インディペンデント・レーベルのアーティストを聴き慣れた筆者のような世代のリスナーにとって、ソニックスのアメリカ的な部分(曖昧な言い方だが…)は相当の衝撃だった。英国のアーティストや米国の他のアンダーグラウンドなアーティストの場合、たいていアメリカ文化というものには愛憎入り混じった(もっと言えば嫌悪する場合の方が多かった気がする)想いを抱いているのが通例だったように思う。ソニック・ユースも勿論、アメリカに対しては愛憎あるだろうが、(ニューヨークが拠点というのが関係してるのか?)どこか醒めた目で突き放しつつ、アメリカ文化のプラスティック感を愛しているという感じがする。ジャケット・スリーブやプロモ・ヴィデオに顕れる元祖オフザケ的なノリはその端緒といえる。またアメリカ的ということで思い出すのが、ソニック・ユースのライヴではサーストン・ムーアの立ち位置の横にスペースがあって、そこにギターが何本も置いてあったことだ。これは何故かというとスタジオでの作業の際に、様々な定型的でない変則チューニングを使って作曲するため、ステージにチューニングを変えたギターを何本も置き、とっかえひっかえ演奏しないと曲が演奏できないそうなのだ。この事をインタヴューで訊かれたサーストン・ムーアはベース・ボール・カードを集めるようなものだ、アメリカ人的な発想だろ?と言っていた。ついでに言うと彼らのライヴには何年演っても絶対「出来上がる」事が無いようなバランスの悪さ、不安定さがあるように思う。しかし、そのイビツさが彼らの原動力のように感じられるから不思議だ。

ここで彼らの足跡を振り返ってみよう。’70年代中盤に起こったニュー・ヨーク・パンク・ムーヴメントとその後’70年代後半の「ノー・ウェイヴ」と呼ばれるアヴァン・ギャルドなムーヴメント。その両者に影響を受けながらソニック・ユースの歴史は始まる。 サーストン・ムーア(g.vo.)とリー・ラナルド(g.)は、現代音楽家グレン・ブランカが主宰するギター・オーケストレーションのグループで出会った。意気投合した2人はサーストンのガール・フレンド、キム・ゴードンを誘ってグループを結成する(リーとサーストンはこの頃、NYパンクのテレヴィジョンのスタイルを思わせるコーチメンというグループをやっていた)。グループ名は元MC5のギタリスト、故フレッド”ソニック”スミス(因みにパティ・スミスの亡き夫)のプレイが好きだったのと、当時サーストンが聴き狂ったというレゲエのアーティストに”ユース”という言葉の付いた者が多かったので、サーストンが合わせて思いついた名前だという。

演劇もやっていたドラマーのリチャード・エドソンを加えてメンバーの固まったグループは、’82年にデビュー・アルバム『ソニック・ユース』を発表。翌’83年にはドラマーがボブ・バートに代わり、セカンド・アルバム『コンフュージョン・イズ・セックス』をリリースする。このアルバムはヨーロッパでもリリースされ一躍、評判を得る。

’85年に『バッド・ムーン・ライジング』リリース。これは当時英インディ・レーベル、ラフ・トレードの契約が徳間ジャパンにあったため、日本盤も出た。一部のインディ雑誌にはスワンズらと並ぶニュー・ヨークの新しい動きとして紹介されたり、またはドイツのアインシュツルテンデ・ノイバウテンなどとノイズ系の括りで紹介されることもあったが、一般的にこの頃のソニックスは日本では全くといっていいほど注目されなかった。それは本国アメリカでも同様で、この辺りから決定的にヨーロッパでのカリスマ的な人気と、日米との評価の違いが明確になっていく。彼らが所属したブラスト・ファースト・レーベルは英国に本拠を置くレーベルだったのも象徴的だ(ここからSST時代にダイナソー・JRを筆頭にアメリカの幾つかのインディ・バンドが有名になった)。

この頃、ドラマーがまたも交代。現在のドラマーとしてお馴染みの童顔スティーヴ・シェリーが加入。物凄く目立つというプレイではないが、スティーヴによるドラムの安定的な供給が、ソニックスに新たな魅力を与えることになった。キム・ゴードンがヴォーカルをとる名曲"スター・パワー(Star Power)"収録の『Evol』は’86年リリース。フリッパーズ・ギターの前身、ロリポップ・ソニックの”ソニック”という名前の後半部分はこの頃のソニック・ユースのカッコ良さに影響されて付けたという話もある。続く’87年『シスター』も前作とほぼ同様の感触を持つ作品で、 テレヴィジョン辺りからのメランコリアをソニック・ユース流に解釈したかのような叙情を見せるナンバーが印象的。ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー的なものも入っていそうなサウンドだ。

そして最高傑作とも言われる名作&大作(アナログ時代は2枚組)『デイ・ドリーム・ネイション』を’88年に発表する。美しいという形容がソニック・ユースの場合、当たっているかどうか分からないが、冒頭曲"ティーン・エイジ・ライオット"から、ダイナミックかつセンシティヴな世界が描き出され、有名なジャケのローソクの炎とも相俟って圧倒的な世界観を呈示。2枚組を一気に聴かせてしまう。キラキラとしたガラスの破片や金属を思わせるようなギターのカッティングと、エモーションを淡々と綴って行くようなヴォーカル、そしてソニック・ユースが熟成させてきた良質のメランコリアが大爆発した作品だ。 この時期になって日本でも一部の輸入盤店界隈で、ソニックスと現シェラックのスティーヴ・アルビニ率いるビッグ・ブラックレイプマンダイナソー・JRジョンスペが居たプッシー・ガロアクレイマー主宰のシミー・レーベルのアーティスト達などを括って、”ジャンク”なるコーナーを作る店も出てきた(そう呼ばれたアーティスト達は、後でその呼び名をインタビューの際に聞かされたときは、当然いい顔をしなかったが)。

日本との関わりで補足すると、 ボアダムス初期の名盤『恐山のストゥージズ狂』のスリーヴに、「ファック!ソニック・ユース」というのが書いてあって、それ以来(?)、山塚アイ氏とサーストンは懇意にしているらしいし、この時期に(もはや忘れられているが)初来日を果たしている。その伝説のライヴはなんと、当時の東京(日本?)インディ・シーンのメッカ、新宿ロフトという狭〜いハコでだった。

マスターピースをモノにしたソニック・ユースにとって、ここで一つの節目が訪れる…メジャー・レーベル、デヴィッド・ゲフィン・カンパニーとの契約、そしてメジャー第1作『Goo』を’90年に発表。ただ節目とは言ったが、その後のソニックスにとって、ひょっとしたらこの事は単なる通過点の一つと思わせてくれるような活動を、以降続けていくのも確かだ(NY・パンクの大先輩、リチャード・ヘル御大とソニックスとの組んだディム・スターズ――e.p.やアルバム一枚を遺した――や前衛ジャズ・ミュージシャン、ウィリアム・フッカーとの共演、エクスタティック・ピース、SYR両レーベルの諸作品など、無尽蔵とも言える量の作品を次から次へとリリースしていく)。そして実際上、この契約はソニック・ユースの決断のひとつという事以上に、それを見ていた後続のバンドにとって、かなり示唆的な指針を与えたように思う。 ニルヴァーナがサブ・ポップ・レーベルの次に契約したのが、このゲフィンだった。カート・コバーンは事実ソニック・ユースの契約内容(メジャーと契約していても、自らの音源を他のインディ・レーベルからリリースできる自由を有するなど)を見て、インディペンデントな姿勢をとりながら、配給網が強化されるという選択をとることにした、という意味の事を語っている。いわばこの後、吹き荒れるグランジの嵐をお膳立てした部分もソニック・ユースにはあったのだ。それゆえ、彼らははグランジ・ムーヴメント出身バンドの兄貴分的な見方をされることもあった。また余談だが、ニール・ヤングは”グランジの神”と呼ばれ、ソニック・ユースとこの頃―湾岸戦争があった頃―― 一緒にツアーを廻った(ニール・ヤングのコンテンポラリーな側面を理解せず、ニール往年の名曲ばかりに応えるオーディエンスとは、ソニックスは相容れなかった)。

’92年、ブッチ・ヴィッグ( ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』を手掛けたプロデューサー。現ガービッジ)プロデュースによる『ダーティ』発表。これは前作『Goo』にやや欠けていたダイナミックさを取り戻した快作だった。’94年これもブッチがプロデュースした『エクスペリメンタル・ジェット・セット〜』を発表。チャートではこれまでに最も成功した作品となった。この年暮れ、サーストンとキムの間に愛娘ココが生まれる。’95年、オルタナ・イヴェントの代名詞的フェスになっていたローラパルーザのヘッドライナーを務めたソニック・ユースは、秀作『ウォッシング・マシーン』発表。グランジ〜最近のオルタナから聴き始めた、というような世代のリスナーにも充分ソニックスの名は広まって行った。この前後『メイド・イン・USA』やテキサスでのライヴなども発表している。

そして’98年、冒頭でも触れた『ア・サウザンド・リーヴス』発表。個人的には『デイ・ドリーム・ネイション』を初めて聴いたときのような感触と同種の感動を与えてくれる作品だったし、「周縁」で在り続けようとしたからこその、彼らの貴重な存在感を改めて強く感じる作品でもあった。

――2000年には『NYCゴースト&フラワーズ』を発表。9.11、米国同時多発テロを経た2002年にはジム・オルークを正式なメンバーとして迎え『ムーレイ・ストリート』を発表。タイトルの『ム−レイストリ−ト』とはNYにある自分達のスタジオがある場所のことであり、9.11という日があったからこそのうっすらとした哀愁すら感じる作品となった。2004年には『ソノニック・ナース』を発表。バンドがニューヨークのロウアー・マンハッタンに所有する「Echo Canyon Studios」でレコーディングされたこのアルバムは、彼ら自身とジム・オルークがプロデュースを担当。NYパンクの伝説的人物、リチャード・ヘルがゲストで参加している。 (2004年5月追記)

ボアダムス関連、アルケミー・レコードのアーティスト、灰野敬二暴力温泉芸者など、日本のアンダーグラウンド・シーンのチェックを常に欠かさないサーストン・ムーア。’90年前後から、日本に来る際は必ずレコード屋を巡り、大量のレコード/CDを買っていくという彼のレコード・ジャンキーぶりは有名だ。友人らとX-GIRLという服飾ブランドを立ち上げたキム・ゴードン。それに上では触れられなかったメンバーらの本当に沢山のサイド・プロジェクトやコラボレーション…こうしたソニック・ユース周辺の膨大な仕事量を見るとき、彼らほど理想的な形で、パンク以降のアティチュードを踏襲しつつ、発展させてきたグループがいないことに気付く(サーストンに言わせれば、特に欧米では、というだろうが)。芯の強いインディ体質を持ちながら、彼らの根底にある無造作なノリ、奔放な活動ぶりが、彼らをパンク精神特有の自家中毒から救ったのだろうし、インディ的なアティチュードを貫くバンドの在り方を無理のない「ライフ・スタイル」のレベルまで押し上げた功績は大きい。またその経験は後続のインディ・バンドに大きな影響を与え続けているのである。

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