Smashing Pumpkins

Smashing Pumpkins (スマッシング・パンプキンズ) プロフィール

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Smashing Pumpkins

90年代アメリカの巨大かつ混沌としたロックシーンのなかでも一際独特の世界を作り上げ、カリスマティックな存在として最も成功したオルタナティヴ・バンド、スマッシング・パンプキンズ。ハードな轟音ギターリフと、静と動の重厚で美しいメロディ、そしてビリーのエモ−ショナルで粘着質な叫びと癒しのボーカル、彼の生い立ちから遡る一貫した物語性をもった歌詞は、とりわけメランコリック=粘着質で抒情的な世界観をもつこの日本のロック・リスナーに愛されてきた。グランジ・シーンから一線を画し、自ら巨大なロック・シーンを生み出した彼らは、20世紀の終幕とともにバンド活動に終止符を打ったが、今なお多くの音楽リスナーにとって、リアルタイムの偉大なロックバンドとして忘れられる事はないだろう。

スマッシング・パンプキンズは1988年シカゴで結成された。リーダーでボーカル&ギターのビリー・コーガンと、日系人ギタリストのジェイムス・イハ、ベースのダーシー・レッキー、そしてドラムのジミー・チェンバレンが程なくして加わり最強メンバーとなる。地元のレーベル、リミテッド・ポテンシャルと、サブポップからシングルを1枚ずつリリースし、評判となる。1991年、メジャーのヴァージンレコードから1stアルバム ギッシュ をリリース。この当時はニルヴァーナネヴァーマインドが爆発的に大ヒットし、アンダーグラウンドだったグランジ・バンド勢が一躍メインストリームとなった矢先であった。

ニルヴァーナに代表されるグランジ・シーンは、80年代半ばからシアトルでハードロック/へヴィメタルとパンク/ハードコアが、歌とロックンロールで交わった、独特の傾向をもつバンドが同時発生したことによる。それ以前には、ソニック・ユースのノイズ・ギターに始まり、レッド・クロスピクシーズフランク・ブラック)、ダイナソーJr. 。これらのバンドはアメリカのルーツ・ミュージックから分離して、70年代後半から80年代前半までのパンク/ハードコアといったアンダーグラウンドから影響を受けた新世代バンドだった。そして、彼等を敬愛したニルヴァーナサウンド・ガーデンパール・ジャムといった商業的にも成功したシアトル系グランジ・バンドへと結びつき、一大オルタナ・シーンを築くのだが、スマパンはハードでへヴィなサウンドということでは共通するが、こういったグランジ勢とは一線を画したニューウェイヴ的なポップな色合いを持ったバンドとして認識されていた。

そして彼等は1993年、2ndアルバム サイアミーズ・ドリームで一気にその名を知られるようになる。Billboadチャートで最高10位を記録、全米で400万枚というセールスを上げ、その人気を不動のものとした。今作の"トゥデイ"で美しく鳴り響くギターのイントロは、まさにこの時代に鳴り響いたナンバーワン・ロックナンバーだった。1995年には、 "トゥナイト、トゥナイト"を始めとする彼らの代表曲が詰められた2枚組28曲というボリュームのある超大作、メランコリーそして終わりのない悲しみ をリリースすることで、彼らは途方も無く広がる虚無と生命への切実なる願望を吐露し、第一章を完結させた。

ドラムのジミ−脱退によって3人になったスマッシング・パンプキンズは、1998年4thアルバム アドア をリリース。「終わりのない悲しみ」から「憧れ」へと、自分を信じて現実(=鏡の中の自分)を真に受け止めようとしたビリーの新章が幕を明けた。破壊的なディストーション・ギターから、ミディアムスローな静寂の美しさと近未来的なサウンドへと進化(しかし核となるダイナミックさは失われず)。同年にはジェイムス・イハのソロ・アルバム レット・イット・カム・ダウンで、バンドとは全く正反対の、穏やかで優しいギターメロディーが印象的なポップな一面を見せて話題となる。2000年には紅一点の(暗黒のお姫様然としたルックスが本当に最高な)ダーシーが突然の脱退、代わりにホールのメリッサが加入、そしてドラムのジミ−が復活というバンド内顛末を乗り越え、5thアルバム マシーナ/ザ・マシーン・オブ・ゴッドを発表。バンドサウンドとエレクトロの融合を試みた意欲作で、これからのスマパンを示唆する作品だっただけに、この年秋に発表された本当に突然の解散宣言には心底驚いたし、残念でならなかった。混沌とした虚無感を掻き鳴らしたオルタナ・シーンに光り輝いて現れた彼等は、ロックがメインストリームでなくなった今、自らの手で幕を下ろさなければならなかった。ロックスターの不在、ヒップホップのメインストリーム化、アイドル・グループ全盛のアメリカの音楽シーンは混迷の時代を迎えることになる。

バンド解散後ビリー・コーガンは幼い頃からの憧れのバンドの一つであった、New Orderゲット・レディで共演を果たす。フジ・ロック・フェスティバルではサポート・メンバーとしてNew Orderとともに、ここ日本の地を踏んだ事も記憶に新しい。ここジェイムス・イハチャラのプロデュースを手掛けたり、自らの洋服のブランドを立ち上げるなどそれぞれの道を歩み始めている。
そして2001年11月、これまでの長い道のりを集約(しきれる筈もないが)した最初で最後のベスト・アルバムロットン・アップルズをリリースし本当にその活動の幕を閉じた。

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