Robert Plant

Robert Plant (ロバート・プラント) プロフィール

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Robert Plant

ハード・ロック・バンドという枠組みを越えて、70年代を代表するロック・バンドとなったレッド・ツェッペリン。彼らのサウンド要素はプレイヤー各人の奔放な優れたプレイヤビリティ(ここでは単に楽器が巧い、ということとは関係がないセンスのようなものを指し示したい)が組み合わさったとき、月並みな表現だが「バンド・マジック」と呼ばれる科学反応が起きる。ただ月並みとはいったが、これは優れたバンドには大なり小なり必ず存在するもので、特にツェッペリンの場合にはこの科学反応が驚異的にでかかったというべきかもしれない。それを構成したのは、リフ作りにおいて天才的なセンスを見せたジミー・ペイジの柔軟性あるギター・プレイであり、ジョン・ボーナム(通称:ボンゾ)の激しく奔放かつグルーヴィなドラムであり、ジョン・ポール・ジョーンズの豪快なサウンドの屋台骨をしっかり支えるベース・プレイであり、そして本稿の主役、ロバート・プラントのサウンドの驚異的な強度と拮抗し得るハイ・トーンでどこか神秘的なヴォーカルだった。

ロバート・プラントは1948年8月20日、イギリスのバーミンガム生まれ。名声を決定づけるレッド・ツェッペリン参加以前のプラントの活動歴は、ほとんど無名ミュージシャン程度のものだった。ツェッペリン加入直前に、ブリティッシュ・ブルースの中心的存在だったアレクシス・コーナーに認められたプラントは1968年にピアニストのスティーヴ・ミラーとのデュオ・アルバムの制作に入るが、結局完成前にツェッペリンに加入したため、この作品はお蔵入り。このセッションからの楽曲は“オペレーター“はアレクシス・コーナーのアルバム ブートレッグ・ヒム!の中の一曲として聴かれるのみとなっている。

さてここでプラントを無名のミュージシャンから一気に世界的なレヴェルの知名度まで高めたレッド・ツェッペリンの歴史を。レッド・ツェッペリンは1968年に元ヤードバーズジミー・ペイジ(g./1944年1月9日生)を中心にロバート・プラント(vo./1948年8月20日生)、ジョン・ポール・ジョーンズ(b./1946年1月3日生)、ジョン・ボーナム(ds./1948年5月31日生)というメンバーで結成。このうちイギリスの音楽業界でミュージシャンとして名の通っていたのは、ヤードバーズに在籍し、他ミュージシャンのセッションにも参加していたりしたジミー・ペイジだけといってもよく、同じくセッション・マンとして活躍していたジョン・ポール・ジョーンズにしてもバンドでのステージ・パフォーマンスなどは未知数、ロバート・プラントや彼のかつてのバンドに在籍したつてで参加したジョン・ボーナムにいたっては田舎から出てきた殆ど無名のミュージシャンに過ぎなかった。

彼らは同年9月にニュー・ヤードバーズを名乗りスカンジナビア・ツアーを敢行。そのときの演奏の出来や観客の好反応からヤードバーズの名を使う必要がない、と考えた彼らはバンド名をレッド・ツェッペリンと改めた。その後間もなく10月に2週間(のべ時間でわずか30時間程度だったといわれる)で1stアルバム レッド・ツェッペリンをレコーディングし、米アトランティック・レーベルから発表。全英2位、全米5位という好リアクションを得、その衝撃的なハード・ロック・サウンドは大きな話題となった。デビュー作で名声を得た彼らは、1969年10月に早くも2ndアルバム レッド・ツェッペリンIIを発表。前作以上にヘヴィなサウンドを展開したその作品は、全米4位を記録したシングル”胸いっぱいの愛を”のヒットにも支えられながら、遂にビートルズのアビー・ロードを押し退けて全英チャートの首位に7週間君臨し、音楽新聞の人気投票でもビートルズを抜き去り1位に。またこのアルバム、全米では300万枚以上の大ヒットを記録し、彼らの人気は早くも巨大なものとなった。

世界中にその名を轟かせたこの時期のツェッペリンにここでサウンドの変化が生じる。1970年4月から制作準備に入ったレッド・ツェッペリンIIIは、それまでの長期アメリカ・ツアーを含む15ヶ月間のロードに疲れ果てたロバート・プラントジミー・ペイジがウェールズの田舎の山中にあるコテージで曲作りを開始したと言われる。その牧歌的な空気も手伝ってか、またロバート・プラントバッファロー・スプリングフィールドモビー・グレイプのファンであったり、ジミー・ペイジペンタングルフェアポート・コンヴェンションなどを好んだりといったもともとの二人のアコースティック趣味が出たのか、3rdアルバムでは(LPでいうと)A面が従来からのハード・ロック路線を踏襲し、B面では大幅にアコースティック・サウンドが展開されるものとなった(これを契機にレッド・ツェッペリンはハード・ロックというスタイルに留まることなく、トラッド、レゲエ、ファンク、中近東サウンドなど、幅広い音楽ジャンルのエッセンスを取り入れた音作りをしていくことになる)。

この後もレッド・ツェッペリンは、名作と呼ばれる4thアルバムはじめ、意欲作聖なる館、  フィジカル・グラフィティ、 プレゼンスほかの作品を発表していき、70年代を代表するロック・グループとして確固たる地位を築いていったが1980年9月25日にバンドに突然の悲劇が訪れる。ワイルドでラウドなドラマーとして知られたボンゾことジョン・ボーナムが急逝。死因は急性のアルコール中毒だった。バンド、そしてファンや関係者も大きなショックを受けたこの事件への反応としては、後任ドラマーを迎えて活動を再開して欲しい、というファンの声もあったが、1980年12月4日、「ジョン・ボーナムを失った今、レッド・ツェッペリンとして活動を続けていくことは不可能」との声明がバンドのマネージメントから正式に発表され、レッド・ツェッペリンの12年に及ぶ活動は幕を閉じた。

レッド・ツェッペリン以降のロバート・プラントのソロ作品はオリジナル・アルバムで6枚(2002年3月現在)。それ以外では80年代半ばのハニードリッパーズでの活動、また1990年夏のネブワース・フェスティヴァルでジミー・ペイジと共演したり、互いのソロ作に参加しあったりといったことが布石となったプロジェクトで再編レッド・ツェッペリンともいうべきペイジ&プラントというプロジェクトに着手したことはまだ記憶に新しい。

ソロ作などで見せる音楽性に窺えるようにロバート・プラントに影響を与えた音楽は、古いロックンロールやR&Bといったものだ。レッド・ツェッペリンが偉大だった部分のひとつとして、ジミー・ペイジが前身のヤードバーズに代表される英国のブルース追求路線から離れ、時代感覚を押し出したハード・ロックを全面的に鳴らすことができたところが挙げられるが、ロバート・プラントもまたブルースやR&Bコンプレックスから解き放たれた超絶ヴォーカルをものにしていたことも重要だ(それを言ってしまうとボンゾのドラムもジョン・ポール・ジョーンズのベースも最強のグルーヴを叩き出していたということにもなり、バンドの個性としてのツェッペリンが圧倒的だったということに結局なってしまうのだが)。

レッド・ツェッペリン時代のプラントが吐き出す得も言われぬハイトーンなヴォーカルは、ペイジが弾くリフ中心のギター・スタイルの上で、文字通り暴れまわった。アンサンブルが一丸となったリフ攻勢だからこそ、ロバート・プラントのヴォーカルはときに浮遊するかのように超越的な世界を描くことができたとも言えるかもしれない。ともあれ、レッド・ツェッペリンで聴かせたロバート・プラントの神がかり的なヴォーカルは、ある種の幸福なロック神話とともに、あるいは普遍的なサウンド・スタイルを提示したレッド・ツェッペリンの優れた音楽とともに、「永遠の詩(うた)」として今後も聴き継がれていくに違いない。

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