CD

ベートーヴェン:交響曲第2番、ストラヴィンスキー:『火の鳥』組曲、モーツァルト:交響曲第34番 カール・ベーム&ベルリン・フィル(1968年ステレオ)(日本語解説付)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKC6071
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明


ベームの愛好曲3曲、68年ザルツブルクでのステレオ・ライヴ
「火の鳥」ではベルリン・フィルの機能全開!大迫力!
ベートーヴェン第2番、ストラヴィンスキー「火の鳥」、他
ベーム&ベルリン・フィル
1968 年ザルツブルク ステレオ・ライヴ


英テスタメント・レーベルのCDは、解説書に力が入っていることでも定評があり、ヒストリカル・クラシック音楽の持つ歴史の面白さを際立たせることにもなっているので、日本語訳が付された国内盤の価値には大きなものがあります。

シリーズ概要
★歴史的録音の復刻で有名なイギリスの名門レーベル、テスタメント。1990年にスチュアート・ブラウン氏により設立され、正規音源にもとづく、高品質の音質でファンから絶大な支持を集めてきました。ここ数年日本への窓口が途絶えていましたが、このほど国内販売権をキングインターナショナルが獲得。400に近いタイトルのなかから、歴史的名盤はもとより最近話題の新盤までえりすぐって、全20タイトル、国内仕様にして発売します。
★日本語解説=オリジナル・ライナーノーツの和訳+ 曲目解説+ 歌詞対訳(声楽曲のみ)

このアルバムについて
★カール・ベーム(1894-1981)の1968年ザルツブルク音楽祭ライヴ、ステレオ。晩年ベームが特に好んで演奏していたベートーヴェンの2番。この曲はウィーン・フィル(VPO)とのセッション(72年)のほか、バイエルン放送響(78年)、VPO(80年ザルツブルク)、VPO(80年東京)の3種ライヴが知られてきましたが、ベルリン・フィル(BPO) との録音はなかっただけに貴重。古典派の正統的アプローチがされた「リズムにもフレーズにもまったく欠点が見当たらない演奏」(Richard Osborne ライナーノーツより)になっております。
★モーツァルト34番もベームの愛好曲。有名な後期交響曲6曲(第35〜41番)の発端となった大規模編成の名曲です。それまで54年VPO、66年BPOと2つのセッション録音をおこなっています。ほかに、北ドイツ放送響との56年ライヴがありました。
★「火の鳥」も、63年ケルン放送響とのライヴ録音、75年VPO との東京公演が知られている得意曲ですが、ここにベームが最も充実していた時期ともいえる60年代の音源が加わります。有名な「魔王カスチェイの凶悪な踊り」からフィナーレまで、ベーム渾身の指揮のもと、BPOのパワーが爆発、大迫力で迫ってきます。
★音質は68 年とは思えないほど明快かつ細部まで鮮明で、アナログ録音時代の充実した響きが味わえます。コンサート全プログラムを1 枚のCDにした長時間収録盤(80:14)


【収録情報】
●ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 Op.36
●モーツァルト:交響曲第34番ハ長調 K.338
●ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1919年版)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
カール・ベーム(指揮)

録音時期:1968年8月11日
録音場所:祝祭大劇場、ザルツブルク
録音方式:ステレオ(ライヴ/アナログ)

【ベーム年表(未完)】

1894年(0歳)
●8月28日、ベーム、オーストリア=ハンガリー帝国のグラーツに誕生。世界遺産に指定されるほどの美麗な街並みのグラーツの当時の人口は約17万人で、200万人を超えていたウィーンや、70万人を超えていたブダペストに較べれば小規模な都市ですが、同じ帝国内ではプラハとほぼ同じ規模で、オーストリア地域ではウィーンに次ぐ第2の規模の都市。父は弁護士でグラーツ市立劇場の法律顧問もしていました。

1895年(1歳)

1896年(2歳)

1897年(3歳)

1898年(4歳)

1899年(5歳)

1900年(6歳)

1901年(7歳)

1902年(8歳)

1903年(9歳)

1904年(10歳)

1905年(11歳)

1906年(12歳)

1907年(13歳)

1908年(14歳)

1909年(15歳)

1910年(16歳)

1911年(17歳)

1912年(18歳)

1913年(19歳)
●ベーム、グラーツの高等字校を卒業。
●ベーム、グラーツのカール・フランツ大学に入学。
●ベーム、フランツ・シャルクの紹介により、ウィーンで、オイゼビウス・マンディチェフスキーに作曲、和声、対位法を師事。マンディチェフスキーはブラームスの友人で、遺産管理人でもありました。
●ベーム、ウィーンで、グローアーにピアノを師事。

1914年(20歳)
●7月1日、ベーム、徴兵によりグラーツ輜重(しちょう)師団に配属。近代戦の重責を担う輸送・補給を担当する部隊。大伯父は陸軍大臣。

1915年(21歳)
●ベーム、伍長、分隊長、小隊長と昇進。軍務中に馬に蹴られ膀胱破裂の重傷。

1916年(22歳)
●ベーム、除隊。
●ベーム、グラーツ市立劇場のコレペティトア(助手)として契約。同劇場で働いていた知人のユダヤ系オーストリア人指揮者、ゲオルク・マルコヴィツ[1889- ?]の誘いでした。1899年に開場した豪華なグラーツ市立劇場は、座席数約1,400の劇場で、常設のオーケストラは、シンフォニー・コンサート開催時には、「グラーツ・フィルハーモニー」として演奏。



1917年(23歳)
●3月18日、ベーム、グラーツ市立劇場。ブフビンダー『彼とその妹』。指揮者デビュー。
●10月20日、ベーム、グラーツ市立劇場。ネスラー『ゼッキンゲンのトランペット吹き』。

1918年(24歳)

1919年(25歳)
●4月、ベーム、カール・フランツ大学で法学博士号取得。
●ベーム、グラーツ市立劇場の第2指揮者に昇格。

1920年(26歳)
●ベーム、グラーツ市立劇場の第1指揮者に昇格。ベートーヴェン生誕150年記念公演の『フィデリオ』を指揮。

1921年(27歳)
●1月、ベーム、バイエルン国立歌劇場に客演。『魔弾の射手』、『蝶々夫人』を指揮。指揮者を探していた同劇場音楽監督のブルーノ・ワルター[1876-1962]に、ベームの『ローエングリン』を見て気に入ったカール・ムック[1859-1940]が推薦して実現した客演でした。
●6月、ベーム、バイエルン国立歌劇場の第4指揮者として契約。『カルメン』を指揮。


●10月、ベーム、バイエルン国立歌劇場での『ボエーム』でソプラノ歌手テア・リンハルト[1903-1981]と初めて共演。

1922年(28歳)

1923年(29歳)
●10月、ベーム、バイエルン国立歌劇場。『ナクソス島のアリアドネ』を急遽リハーサル無しで指揮して成功。

1924年(30歳)

1925年(31歳)

1926年(32歳)
●ベーム、バイエルン国立歌劇場の第1指揮者に昇格。

1927年(33歳)
●5月8日、ベーム、テア・リンハルトと結婚。
●12月、ベーム、ダルムシュタット州立劇場の音楽総監督に就任。ヘンデル『ジュリアス・シーザー』でデビュー。



1928年(34歳)
●3月16日、長男カールハインツ誕生。

1929年(35歳)

1930年(36歳)

1931年(37歳)
●2月、ベーム、ダルムシュタット州立劇場。『ヴォツェック』。ベルクも絶賛。
●4月、ベーム、ハンブルク市立劇場(のちに国立歌劇場)のオペラ監督に就任。『マイスタージンガー』でデビュー。



1932年(38歳)

1933年(39歳)
●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場に初めて客演。『トリスタンとイゾルデ』で成功。
●4月、ベーム、ウィーン・フィルを初めて指揮。
●5月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場に初めて客演。『トリスタンとイゾルデ』で成功。

1934年(40歳)
●1月1日、ベーム、ドレースデン国立歌劇場音楽監督に就任。7日には『マイスタージンガー』を指揮。


●6月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場。リヒャルト・シュトラウス70オ記念公演で『ばらの騎士』を指揮。
●ベーム、ベルリン・フィルに初客演。

1935年(41歳)
●ベーム、シュターツカペレ・ドレスデンとベルリン公演。レコーディングも実施。
●6月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場。『無口な女』初演。
●12月、ドレスデン国立歌劇場のオペラ学校校長に任命され教授の称号を授与。

1936年(42歳)
●11月、ベーム、ドレスデン国立歌劇場。ロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場へ引越公演。『ばらの騎士』、『トリスタン とイゾルデ』、『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』を指揮。クィーンズ・ホールでは、シュターツカペレ・ドレスデンとブルックナーの交響曲第4番を演奏。

1937年(43歳)

1938年(44歳)
●6月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『ジプシー男爵』のプレミエを指揮。
●7月、ザルツブルク音楽祭に初出演。『ばらの騎士』、『ドン・ジョヴァンニ』を指揮。



1939年(45歳)

1940年(46歳)

1941年(47歳)

1942年(48歳)

1943年(49歳)
●1月1日、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督に就任。28日に『マイスタージンガー』プレミエ。


●4月、ベーム、シュターツカペレ・ドレスデン。ベートーヴェン交響曲第9番で告別演奏会。
●6月、ベーム、チューリッヒ六月音楽祭出演。市立劇場で『トリスタンとイゾルデ』を指揮。
●ベーム、ウィーン交響楽団の首席指揮者に就任。

1944年(50歳)
●1月、ベーム、ベルリン・フィル。定期公演で、リヒャルト・シュトラウスの記念演奏会を指揮。
●6月11日、ベーム、ウィーン・フィル。リヒャルトシュトラウス80歳記念演奏会をマチネーで開催。『マイスタージンガー』前奏曲、『ばらの騎士』ワルツをベームが指揮、『家庭交響曲』を作曲者本人が指揮。
●6月11日、ベーム、ウィーン国立歌劇場。作曲者臨席で『ナクソス島のアドリアネ』を指揮。
●6月、ベーム、チューリヒ六月音楽祭出演、市立劇場で『カプリッチョ』を指揮。

1945年(51歳)
●ベーム、フランツ・シャルク以来の「オーストリア音楽総監督」の称号を授与(名誉職)。
●3月12日、連合軍の爆撃により国立歌劇場が焼失。
●ベーム、グラーツ芸術祭出演。
●ベーム、アメリカ占領軍政府により非ナチ化裁判で裁かれ、2年間の演奏禁止処分。

1946年(52歳)

1947年(53歳)
●6月、ベーム、グラーツ市立劇場管弦楽団を指揮して活動再開。
●6月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『フィデリオ』。
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『アラベラ』。

1948年(54歳)
●2月、ベーム、ミラノ・スカラ座。『ドン・ジョヴァンニ』で初客演。

1949年(55歳)
●3月23日、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。声楽陣とのパリ公演。

1950年(56歳)
●ベーム、ブエノス・アイレスのコロン劇場ドイツ・オペラ・シーズン主任指揮者に就任(1953年まで)。『ワルキューレ』でデビュー。『イェヌーファ』、『青髭公の城』等をラテン・アメリカ初演。


●ベーム、ザルツブルク音楽祭で『カプリッチョ』を指揮。

1951年(57歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『ヴォツェック』。
●ベーム、コロン劇場。『エレクトラ』、『大地の歌』など。

1952年(58歳)
●6月1日、母ゾフィー、死去。
●ベーム、ザルツブルク音楽祭をキャンセル。網膜剥離手術の為。
●ベーム、コロン劇場。『ヴォツェック』が絶賛。

1953年(59歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『コジ・ファン・トゥッテ』、アイネム『審判』。


1954年(60歳)
●9月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督に就任。
●10月、ベーム、ベルリン・フィル。ハンブルク、オランダ、ベルギー・ツアー。

1955年(61歳)
●11月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総再建記念公演。『フィデリオ』、『ドン・ジョヴァンニ』、『ヴォツェック』、『影のない女』を指揮。

1956年(62歳)
●1月、ベーム、モーツァルト生誕200年祭で『イドメネオ』を指揮。
●2月、ベーム、シカゴ響に客演。アメリカ・デビュー。
●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督を辞任。
●4月、ベーム、デュッセルドルフとデュースブルクの劇場が新たに統合組織となった「ライン・ドイツ・オペラ」の最初の公演で『フィデリオ』を指揮。
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、『コジ・ファン・トゥッテ』。
●ベーム、国際モーツァルト財団よりモーツァルト記念メダルを授与。

1957年(63歳)
●2月、ベーム、シュターツカペレ・ドレスデンとレコーディング。
●10月31日、ベーム、メトロポリタン歌劇場に初客演。『ドン・ジョヴァンニ』、『薔薇の騎士』。

1958年(64歳)

1959年(65歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『無口な女』。
●11月4日、ベーム、ベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)に客演。『ヴォツェック』。
●ベーム、ザルツブルク市よりモーツァルト・メダル授与。

1960年(66歳)
●12月、ベーム、ニューヨーク・フィルに初客演。
●12月、ベーム、眼のトラブルでウィーンに戻り手術。

1961年(67歳)
●8月、ベーム、ザルツブルク音楽祭。シュターツカペレ・ドレスデン。
●9月29日、ベーム、ベルリン・ドイツ・オペラ落成記念公演の『アイーダ』を指揮。


●10月、ベーム、カラヤンとベルリン・フィルの北米ツアーに同行。

1962年(68歳)
●7月24日、ベーム、バイロイト音楽祭に初登場。『トリスタンとイゾルデ』
●ベーム、ウィーン芸術週間。ベルク『ルル』。

1963年(69歳)
●ベーム、バイロイト音楽祭。べートーヴェン交響曲第9番。
●10月、ベーム、日生劇場落成記念公演のため、ベルリン・ドイツ・オペラと初来日。『フィデリオ』、『フィガロの結婚』、ベートーヴェン交響曲第9番を指揮。

1964年(70歳)
●1月26日、ベーム、インスブルック冬季オリンピック開会式でリヒャルト・シュトラウスの『オリンピック讃歌』を指揮。
●4月14日、ベーム、オーストリア音楽総監督(名誉職)に任命。
●8月28日、ベーム、ザルツブルク市より名誉市民称号を授与。
●8月31日、ベーム、グラーツ市より名誉市民称号を授与。
●9月30日、西ベルリン市長ヴィリー・ブラントから「ドイツ連邦功労十字勲章」授与。
●11月、ベーム、ヴュルッテンベルク国立歌劇場。『エレクトラ』。演出は息子のカールハインツ。

1965年(71歳)
●ベーム、グラーツ大学名誉評議員。

1966年(72歳)

1967年(73歳)
●ベーム、ウィーン・フィル創立125周年を記念し、楽団史上初の「名誉指揮者」の称号を授与。
●9月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。モントリオール万博に引っ越し公演。
●10月3日、ベーム、ニューヨーク・フィル創立125周年記念コンサートを指揮。

1968年(74歳)
●ベーム、ウィーン国立歌劇場より名誉団員の称号授与。

1969年(75歳)

1970年(76歳)
●ベーム、メトロポリタン歌劇場。ベートーヴェン生誕200年を記念して『フィデリオ』を上演。

1971年(77歳)
●10月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。モスクワ公演。ウィーン・フィル演奏会も開催。

1972年(78歳)
●ベーム、パリ・オペラ座。『影のない女』。

1973年(79歳)

1974年(80歳)
●ベーム、ザルツブルク音楽祭。『コジ・ファン・トゥッテ』。
●9月、ベーム、ハンブルク国立フィルより名誉指揮者の称号授与。

1975年(81歳)
●2〜3月、ベーム、ウィーン・フィル。来日公演。

1976年(82歳)
●ベーム、ウィーン・フィル。ヨーロッパ・ツアー。

1977年(83歳)
●2〜3月、ベーム、ウィーン ・フィル。来日公演。
●8月13日、ベーム、ロンドン交響楽団の名誉会長に就任。
●12月1日、ベーム、ロンドンのロイヤル・オペラに初客演。『フィガロの結婚』
●ベーム、ウィーン国立歌劇場合唱団より「クレメンス・クラウス・メダル」を授与。

1978年(84歳)
●7月、ベーム、ウィーン市より名誉市民の称号を授与。
●ベーム、バイエルン国立歌劇場より名誉指揮者の称号を授与。

1979年(85歳)
●3月、ベーム、読売日本交響楽団との演奏会を体調不良によりキャンセル。
●5月、ベーム、ロンドンのホテルで脳卒中の発作。
●8月、ベーム、ザルツブルク音楽祭。『ナクソス島のアリアドネ』
●10月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。ワシントンへの引越公演。『フィガロの結婚』、『ナクソス島のアリアドネ』を指揮。

1980年(86歳)
●1月、ベーム、グラーツ大学より名誉博士号の称号を授与。
●3月、ベーム、パリ管弦楽団に客演。
●6月、ロンドン交響楽団。ベートーヴェン交響曲第4番、ドヴォルザーク『新世界』。
●9〜10月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。日本への引越公演。『フィガロの結婚』、『ナクソス島のアリアドネ』を指揮。
●11月、ダルムシュタット国立歌劇場より名誉会員の称号を授与。

1981年(86歳)
●1月、ベーム、シュターツカペレ・ドレスデン。パリ公演。
●2月、ベーム、バイエルン国立歌劇場管弦楽団の創立450年記念演奏会で『ジュピター』を指揮。
●2月、ベーム、ベルリン・ドイツ・オペラ。『フィガロの結婚』。
●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。ベーム最後の公開演奏。
●4〜6月、ベーム、ウィーン・フィル。映画『エレクトラ』のため指揮。
●8月5日、ベーム、脳卒中の発作。
●8月12日、ベーム、昏睡。
●8月14日、ベーム、ザルツブルクの別荘で死去。


内容詳細

1968年のザルツブルグでのライヴを収録。いずれもベームが得意とした曲で、「火の鳥」は意外そうだが、本作以外にも数種の録音が存在する。交響曲第2番は、晩年のベームが特に好んだもの。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

  • 01. 交響曲第2番 ニ長調 Op.36
  • 02. 交響曲第34番 ハ長調 K.338
  • 03. 「火の鳥」組曲 (1919年版)

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没後すでに35年。1/3世紀を超えたというの...

投稿日:2016/10/02 (日)

没後すでに35年。1/3世紀を超えたというのに、こうしてまた60年代の元気なベームの演奏に接することができ、関係者に対し感謝の念に堪えない。同時発売のブルックナーの方が注目度が高いようだが、こちらもBPOとのドイツ的で、精気に溢れた素晴らしい名演揃いである。ベートーヴェンの2番は晩年ベームが特に好んだ曲で、VPOとのセッション(72)以外に、正規盤だけでも日本公演を含め3種のライブが知られている(演奏時間当盤34分22秒、72VPO35分8秒、78年BRSO34分17秒-老齢を感じさせない素晴しいライブ、80年ザルツブルクVPO37分58秒、80年日本公演VPO36分32秒)。3番と2番の飛躍より1番と2番の差が大きいと語っていたベームの言葉通り、曲の大きさを感じさせる。リズムの弾力性はやはり60年代のベームで、往時のBPO(ベームが指揮するとゲルマン魂が顔を出すなどと言われたものだ)が相手ということもあり、がっしりとした構築性と推進力が表に出る。しかし一方2楽章を中心に「歌」の要素にもこと欠かない。新たな名盤登場と言えるだろう(VPO盤の「歌」と「流れ」の魅力にも抗しがたいものがあるが)。モーツァルトの34番はBPOとのセッション録音(66)とよく似た感じだが、やはり表情、リズムの精彩が上回り、凛として格調高い「ベームのモーツァルト」の魅力横溢。曲が一段レヴェルアップしたかと思わせる。火の鳥は3大バレエでは唯一晩年のベームがしばしば採りあげた曲だが、解釈そのものはVPO日本公演(75)と変わらない(ドイツ系指揮者が振る国民楽派交響詩の感)。演奏時間はVPO盤と63年のケルン放響ライブの中間に位置する。迫力では当盤が勝り、情緒では(筆者は実演を聴いたので思い入れがはいっていようが)VPO盤が勝ると思う。3曲聴き終えて、大曲を取り上げている訳ではないのに、音楽的充実度は極めて高い。聴衆もさぞや満足であったろう。TESTAMENTさんには続編を是非お願いしたい。60年代も勿論、ベームのBPOライブでは70年代にも素晴らしいものが沢山放送された。ファン一同お待ちしています。(追記:当盤の商品説明には今日現在(10月2日)ベームのザツルブルク音楽祭の初登場が1956年との記載があるがこれは誤り。R.オズボーン氏のライナーノーツを誤解したのではないかと思われるが、初登場は1938年(自叙伝「回想のロンド」他)であり、録音でも記念碑的な47年のアラベラ等が存在する。訂正をお願いしたい。)

千葉のアリアドネ さん | 千葉県 | 不明

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