Marilyn Manson
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Marilyn Manson (マリリン マンソン) プロフィール

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Marilyn Manson

その悪魔的なイメージからか、青少年の悪の根源とされることも少なくない、暗黒から生まれたロック・モンスター、 マリリン・マンソン。その猥雑なインダストリアル・ビートとヘヴィなギター・サウンド、そして己の内面をエグった過激な歌詞…良識派の人間からは一かけらの共感も得られないのだろうが、彼らは世界中の若者から圧倒的な支持を誇り、ヘヴィ・ロック界のカリスマとしてシーンに君臨している。

マリリン・マンソンはバンドのヴォーカリストであり、中心人物マリリン・マンソンの名前をそのままバンド名にしたものである。言うまでもなくマリリン・マンソンはアメリカの大女優マリリン・モンローと希代の大悪党チャールズ・マンソンを合わせて作った芸名である。マリリン・マンソンことブライアン・ワーナーは1969年1月5日、オハイオ州カントンに生まれた。父は元ベトナム戦線の帰還兵のセールスマン、母は元看護婦であったという。そして後のマンソンにとっての消せないトラウマとなる事件が起こったのもこの幼少期であった。彼の祖父母の家には祖父ジャック・ワーナーだけが行き来できる暗い地下室あり、そこには少年であったブライアンには耐え難い世界が存在していた。おぞましいポルノ写真、性具、そして祖父の自慰行為、さらには隣人からの性的虐待も受けていたという…この地下室での出来事がブライアンの心に闇を造った。その後キリスト系私立学校に入学し、厳格な宗教教育を受けるが校風に馴染めず良心に普通の公立高校への転入を懇願し、受け入れられるもそこでも虐めにあうなど心の闇はさらに深さを増していくのであった…。

高校を卒業したブライアンはジャーナリストもしくは作家を目差し、短編小説やポエムを書き始め、雑誌「Night Terrors」などに投稿するが一度も採用される事はなかった。その後ワーナー一家はフロリダへ移住。そこでも夢を捨てきれなかったブライアンはレコード店で働きながら執筆を続け、ようやく雑誌「25th Parallel」のシニア編集長の座を獲得する。

その後、自分の表現の場を音楽に見出したブライアンはバンドを結成。結成時のメンバーは他にツイギー・ラミレス(b)、マドンナ・ウェイン・ゲイシー(key)、デイジー・バーコヴィッツ(g)、ジンジャー・フィッシュ(ds) (後にバーコヴィッツに代わりジム・ザムが加入するも、本作レコーディング中に脱退、現在の(g)はジョン・ロウリー)。そしてブライアンは自らのブライン・ワーナーという名前を捨て、マリリン・マンソンと名乗る。こうして「マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズ」が結成され、バンドの波乱含みの歴史は幕を開けた。

結成当初から総合的に計算、演出されたステージなどで、その強烈な世界観をアピールし、早くも注目を集める存在として一部で評価されていた。ややあってバンド名からスプーキー・キッズを取り、マリリン・マンソンとする。この頃には幾つかのバンド・コンテストで優勝するなど大きな注目を集めつつあった。そして'94年、それまでもオープニング・アクトを務めるなどして交流のあったナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナー(ブライアンは雑誌の編集に携わっているときレズナーにインタビューをしている)の設立したレーベル「nothing」第1弾契約アーティストとして大抜擢され、デビュー・アルバム『ポートレイト・オブ・アン・アメリカン・ファミリー』をレズナーのプロデュースにてリリースした。’95年には2ndアルバム『スメルズ・ライク・チルドレン』をリリース。ここからはユーリズミックスのカヴァーであるシングル“スウィート・ドリームス“がヒット。その名を一躍世界的なものとした。'96年末には3rdアルバム『アンチクライスト・スーパースター』をリリース。全米初登場第3位に輝いたこのアルバムにより、マリリン・マンソンの評価は不動のものとなった。翌'97年3月には初来日も行っている。

話は前後するがレズナーとの関係が悪化したのも96年頃で、この頃のマンソンはドラッグや色恋に溺れ、自堕落な生活を送っていた。アルバム制作にも取り掛からずレズナーも呆れ返るばかり。マンソンはドラッグの過剰摂取で入院をするなど周囲の人間にかなり迷惑をかけていたようだ。そうしたいきさつもあってか、レズナーとは袂を分かつ事になってしまった。プロデュースにレズナー以外の人間を立てた初の作品となる、4thアルバム『メカニカル・アニマルズ』を'98年9月にリリース。これまでとはアプローチの異なる作品であったが当然のように全米アルバム・チャート1位を記録。時代を完全に掌握した。

‘99年にはコロンバイン高校で生徒二人による銃乱射事件が発生。二人は常に黒いトレンチ・コートを身につけ、「トレンチ・コート・マフィア」と呼ばれており、ネオ・ナチズムや、そしてなによりマリリン・マンソンに傾倒していたということが報道されたのだ。過去にも同様の事件でオジー・オズボーンジューダス・プリーストは槍玉に上げられた事があったが(ようするにスケープゴートってヤツだ)、この事件はマンソンの活動に大きな影響を及ぼした。ツアーの中断を余儀なくされ、数ヶ月家に閉じ篭り、しばらく沈黙が続いた。そして2000年の5thアルバム『ホーリーウッド』である。キリストの張りつけを模したジャケからして全然懲りてない(というか元々事件には直接の関与もなければ責任もない)!当然物議を醸した訳だが、転んでもただで起きないのがマンソンだと世間に強くアピール。2001年には単独での来日、サマーソニックへの出演も果たした。その後音楽の方向性の違いから長年マンソンの右腕として活躍したツイギー・ラミレス(b)が脱退。後任にはKMFDMのティム・スコルドを迎えている。2003年には1930年代のドイツからインスピレーションを得たという『ゴールデン・エイジ・オブ・グロテスク』をリリース。ナチスを彷彿とさせるコスチュームやミッキーマウスのコスプレ(?)など相変わらずヒヤヒヤさせてくれるヴィジュアルを披露した。

…とここまでがマリリン・マンソンのバンドとしての歴史である。ご存知のようにマリリン・マンソンは過激なヴィジュアルと発言で知られる悪名高きバンドである。そういった行動、発言のおおよそはマンソンの幼少期に抱える事になってしまったトラウマからきているのであろうが、彼は敢えて必要悪として、反面教師としてそのような行動をとっていると思えてならないのである。自らを痛めつけてきた者達への復讐や報復などではなく、自分のような悲しい過去を持つ人間を一人でも減らす事が出来たら…そんな想いがマリリン・マンソンの過激なサウンドからほんのりと滲み出ている気がしてならない…きっとそれは考え過ぎではないだろう。

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