John Lydon

John Lydon (ジョン・ライドン) プロフィール

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ジョン・ライドンの声は一度聴いたら忘れられないほど強烈だ。彼のキャリアが始まったセックス・ピストルズ時代からパブリック・イメージ・リミテッド以下P.I.L)に至るまで(90年代にはソロ名義の作品やピストルズ再結成なんてのもあった)、一貫してバックのサウンドからどうしても浮いてしまうヴォーカルが聴こえてくる。一言で表現すれば、人を不快にさせ得るヴォーカル、といったところだろうか。全体の印象として残るのはあの高音域でゆらめくような(性格悪そうな)声ではあるが、と同時にメタル・ボックスの冒頭”アルバトロス”に代表される唱えるような低音の使い方を見せる部分もあるし、演劇的な語りを思わせる低音ヴォイスをインパクトを持たせる部分に挟み込んだりもする。どちらにしろ不穏な空気、世界との絶対的な違和といったものを思い起こさせるが、まだピストルズでは、バンド編成ということもあり、あのサウンドにハマらせることを考えていたのかもしれないとも思う(ハマってないところがいいんだという説もありましょうが)。

ニュー・ヨーク・ドールズのマネージャーだったマルコム・マクラレンがロンドンで経営していたブティック“SEX”にたむろする若者を集めて、1974年に結成されたスワンカーズ。これがセックス・ピストルズの前身だった。当初はジョン・ライドンは参加しておらず、スワンカーズは数ヶ月で解散。1975年に同じく“SEX”に出入りしていたジョニー(ジョン・ライドン。出身は北アイルランドで、北海油田の労働者の息子として生まれた)を迎え入れ、セックス・ピストルズが誕生する(ジョニーはジョニー・ロットンを名乗った)。同年11月、セント・マーチン美術学校でのギグを皮切りにライヴ活動を開始したピストルズは、以後演奏するたびに暴動まがいの騒ぎを起こし、ロンドンのライヴ・ハウスから締め出しを食うようになってしまった。その後パンク・フェスティヴァルなどに出演しつつ、パンク・ロック・ムーヴメントの中心的存在として音楽関係者の大きな注目を集めたピストルズは、1976年にEMIと契約。シングル“アナーキー・イン・ザ・UK”でデビューするも、いきなり放送禁止。その後もバンドは複数のレコード会社とのゴタゴタをはじめ英音楽業界の鬼ッ子といえる活動を展開していくが、1978年にあっさりと解散してしまうのだった。名言といわれる“ロックは死んだ”なる言葉を遺してジョニー・ロットンはジョン・ライドンと名を改め、ポスト・パンクとも言うべき自在で前衛的な音楽性を持ったP.I.L.というユニットに移行していった。

ジョン・ライドンの余りにも個性的過ぎる声質は、言うまでもなく唯一無二だが、デッド・ケネディーズジェロ・ビアフラニルヴァーナのカート・コバーン辺りは、パンク経由でジョン・ライドンのどこか不穏な空気、人を激しく動揺させるような要素を受け継いでいるかもしれない。またオアシスのリアム・ギャラガーは、 ビートルズとともにピストルズが二大フェイヴァリットのひとつであり、ジョン・ライドンの語尾を巻くようなヴォーカルを無邪気に取り入れたりしている。ただこれはリアムの不遜ともいえるアティチュードと相俟って、なかなか堂に入っていて憎めないのだが。

世界との違和を感じさせ、平穏な空気を切り裂くナイフのようなものとして組織される、ジョン・ライドンのヴォーカルは特異な個性だ。またそうでなくてはロンドンのパンク・ムーヴメントを先導していくことはできなかっただろうし、サウンド志向でありながら思索的でもあった初期P.I.L.のカッコ良さもジョン・ライドンの声があったからこそ、尋常ではないインパクトで響いたのだろう。また再びあの声が水を得たように復活してくることは、集金ツアーと言われたピストルズ再結成を経た今では、もはや無いのかもしれない。とはいえ、もういいじゃん、あんだけのことやり遂げたんだから、という声も聞こえてきそうだし、かつてこの人の声にある意味人生を変えられたリスナーが多く存在するという事実だけが、これからも残っていくのだろう、と今では思える。

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