Joe Strummer

Joe Strummer (ジョー・ストラマー) プロフィール

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2002年12月24日の昨日までとなんら変わらない、ただクリスマス・イヴなだけというその日の寒い朝、寝ぼけ眼で新聞をめくると我が目を疑いたくなるような記事が飛び込んできた。

「ジョー・ストラマーさん(英ロック歌手)22日、イングランド南西部サマセット州の自宅で死去、50歳。死因は不明」

香りの飛んだ薄いインスタント・コーヒーを飲む手を止め、しばし呆然とした。暫くの間、事態が飲み込めずに新聞を閉じてみるもその記事が消えるはずもなく、受け止めたくもないがようやく現実に起こった出来事なのだと理解した。そう ジョー・ストラマーが50歳という若さでこの世を去ったのだ…

ジョー・ストラマーは1952年8月21日、この世に生を受けた。ジョー・ストラマーの父親はインドで生まれ7歳の時に孤児になっているという。しかしそこから自分独りの力で大学までを卒業。その後政府の海外派遣の仕事に就き、海外暮らしをするようになる。しかしジョー・ストラマーは両親と別れヨークシャーの寄宿学校への道を選択する。

時は流れ1974年、ジョー・ストラマーは101ersというバンドを率いて主にパブなどで活動。後にジョー・ストラマーはこの時のバンドを「食べていくため」のバンドと公言していたが、その発言を裏付ける出来事が起こる。セックス・ピストルズの登場だ。マルコム・マクラーレンがニューヨークで発見したパンク・ロック・ムーヴメントを自国イギリスに持ち帰り、自分の店にたむろしていたゴロツキどもを使い仕掛けていったご存知世界一有名な悪名高きパンク・バンド。ジョー・ストラマーは自らのバンドのショーで共演したセックス・ピストルズにかつてない衝撃を受ける。「食べていくため」のバンド活動が転換していくきっかけとなった。

同じ頃ロンドンSSというバンドで活動していたミック・ジョーンズとポール・シムノンがハードドロップとして活動を開始し、ヴォーカリストを模索しているところに出会ったのが丁度セックス・ピストルズに洗礼を受けたジョー・ストラマーであった。こうしてクラッシュは誕生し、「すべての若きパンクスども」に慕われる存在へとなっていった。

あくまでパンク・ロックのスタイルにこだわるのなら1stアルバム、白い暴動(The Clash)獣を野に放て(Give ‘em Enogh Rope)を。伝統的なロックロールの恰好良さを求めるならばロンドン・コーリング(London Calling)を。パンク・ロック・バンドが様々なスタイルに挑戦した実験性(のロマンス)ならばサンディニスタ!(Sandinista!)を。レゲエ/ダブを消化しヒップホップにも挑戦、そしてそれらをポップに鳴らすことに成功した( “ロック・ザ・カスバ”はダンス・クラシックだ)コンバット・ロック(Combat Rock)ももちろん非の打ち所のない傑作だ。クラッシュはパンク・バンドとしてそのキャリアをスタートさせ最後までパンク・バンドで在り続けた。パンク・ロックの定義を上っ面のスタイルのみで語らなければ、の話しではあるが。

クラッシュ解散後のジョー・ストラマーは映画音楽の制作などを手掛け、1989年初めてのソロ・アルバムと言える『アースクウェイク・ウェザー』(現在廃盤)を発表。その他の活動としてはポーグスのメンバーとしてツアーを廻ったり、世界中を放浪したり、スペインで映画に出演してみたり…悠悠自適とまでは言わないまでも、まるで余生を楽しむかのような活動ばかりでファンからしてみれば決して納得のいくような時間を過ごしていたとは言い難い10年間であった。

先ほど「10年間であった」としたのは、99年に新バンド、メスカレロスを結成し我々の前に戻ってくるからである!「フジ・ロック・フェスティバル」で作品発表を前にバンドをお披露目。そこではクラッシュ時代の楽曲も披露し多くの観衆を沸かせ、本格カムバックを予感させた。そして同年遂にアルバム、Xレイ・スタイル(Rock Art And The X Ray Style)を発表。レゲエ/ダブ、カリプソ、ラテン、タンゴなどがミックスされたユルめな内容で10年振りのカムバック作として大いに歓迎された。2001年にはグローバル・ア・ゴーゴー(Global A Go Go)を発表し来日公演も行う。丁度日本ではTVCFでクラッシュの“アイ・フォウト・ザ・ロウ”が使われており話題となっていた為、同曲を演奏した時の盛り上がりはすごかったという。2002年9月末には朝霧ジャムのメイン・アクトして来日。このまま何事もなく年が明けていくかと思われた12月24日、あまりにも突然すぎるジョー・ストラマーの死が告げられたのであった。

クラッシュの再結成の期待していなかったといえば嘘になるだろう。実際オファーも何度もあったと聞くし、もしそれが仮に現実になっていたとしてもありがちな同窓会的なもので終わるとは考えにくかった。しかし、これで夢ははかなく散った…

最後に2001年の来日時にジョー・ストラマーがとある週刊誌のインタビューに残した発言を引用し本稿を締め括りたいと思う。

「パンクとは誠実さであり、シンプルでストレートな生き方のこと。オレにとっていちばん大事なものさ」

ジョー・ストラマーさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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