IRON MAIDEN | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!
彼らは製作したデモ・テープを当時「バンドワコンサウンドハウス」というディスコでDJを務めていたニール・ケイにデモー・テープを渡し、それを気に入ったニールが頻繁にディスコでメイデンの曲をプレイしバンドの評判はクチこみ的に広まっていった。その評判を聞きつけたEMIは『ヘヴィ・メタルへの招待 – Metal For muthas』というタイトルのもと、New Wave Of British Heavy Metalと呼ばれたイギリスでのヘヴィ・メタル・ムーヴメントの渦中にいたバンド、プレイング・マンティス、エンジェル・ウィッチ、サムソンなどのバンドの楽曲を収録したオムニバス・アルバムを発表する。その中でも一際目立ったいたメイデンは見事EMIとの契約を勝ち取り、80年にデビュー・アルバム鋼鉄の処女 – Iron Maidenを発表する。
この後バンドは度重なるメンバー・チェンジに悩まされる事になる。90年1月新作のレーコーディングに取り掛かるのと同時にエイドリアン・スミスが脱退。93年には長年バンドのフロント・マンとして活躍してきたブルース・ディッキンソンが脱退。誰もがメイデンは終わったと存続の危機を危ぶんでいたがバンドはウルフズベインのブルース・ベイリーを加入させる。95年Xファクターを発表。98年にはヴァーチャルiron maiden - Virtual XIを発表している。しかし悲しいかなブルース・ディッキンソン在席時のような勢いは感じられない作品にファンもソッポを向けはじめる。ブレイクから迷走、ここまでが第2期と言えるだろう。
2003年には前作と同じラインナップにて死の舞踏 – Dance Of Deathをリリース。先行シングルこそあからさまなキャッチーさで、一瞬危惧を抱いたが、アルバムの内容は文句のつけようのない素晴らしい出来だった。2004年2月には来日公演を慣行。「アイアン・メイデン・フェスティバル」なるイベントにヘッドライナーとして出演する。