Fairport Convention

Fairport Convention (フェアポート・コンヴェンション) プロフィール

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トレイダー・ホーン / 朝の光のなかで チュダー・ロッジ / チュダー・ロッジ メロウ・キャンドル/ 抱擁の歌 など’70’sブリティッシュ・トラッドの名盤に対する日本国内での再発への気運には正直驚かされるが(それも限定再発ながら紙ジャケという凝り方)、ただことフェアポート・コンヴェンションとなると話しは別で、何故かすっかりこの対象から取り残されたままだ。現在比較的簡単に入手出来る国内盤作品となると’72年にリリースされた ザ・ヒストリー・オブ・フェアポート・コンヴェンション というベスト盤ぐらい、名盤と名高い UnhalfbrickingLiege And Liefですら廃盤となって久しい。こうした状況がイギリスのフォークロック・シーンが生んだ最大のバンドの日本での知名度をこんなにも低くしてしまっているかと思うと正直残念でたまらない。

フェアポート・コンヴェンションは’67年ロンドンのマスウェル・ヒルにて結成、オリジナル・メンバーは、後にトレイダー・ホーン に参加するジュディ・ダイブル(vo)、アシュレイ・ハッチングス(b)、リチャード・トンプソン(g)、サイモン・ニコル(g、vo)、ショーン・フレイター(ds)の5人、翌’68年ショーン・フレイターが脱退し、マーティン・ランブル(ds)と後にマシューズ・サザン・コンフォートプレインソングで活躍するイアン・マシューズ (vo)が加入し、デビュー・アルバム Fairport Convention を発表。直後にジュディ・ダイブルが脱退、元ストローブスサンディ・デニー(vo)、が加入、翌’69年にはセカンド・アルバム What We Did On Our Holidays を発表する。この頃のフェアポート・コンヴェンションボブ・デイランジョニ・ミッチェルの曲をカヴァーするなどフォークはフォークでもどことなくアメリカナイズされていて、正直まだ他と一線を画するレベルのものではなかった。

イアン・マシューズ が脱退し、同’69年に発表したサード・アルバムUnhalfbricking でフェアポート・コンヴェンションは転機を迎える。初めてトラディショナル・ナンバー「Sailor’s Life」を取り上げ、見事なトラッドのロック化(エレクトリック化とでも言うべきか)に成功したのだ。ついにその方向性を見出した彼らはその「Sailor’s Life」で見事なフィドル・プレイを披露したデイブ・スワブリック(vln、etc)、さらには交通事故で他界したマーティン・ランブルに代わり、デイヴ・マタックス(ds)を加えフォークロックとトラッドの融合を全面で展開した傑作Liege And Lief(’69年)を発表、バンドのヴォルテージは一気に最高潮に達する。

その歌声が各方面から絶賛を受けたサンディ・デニーだったが、フォザリンゲイ結成のために脱退(’75年に一度復帰を果たす)、アシュレイ・ハッチングススティールアイ・スパン結成のために脱退し、フェアポート・コンヴェンションは新たにデイブ・ペッグ(b)を加入させるも、専任ヴォーカリストは加入させず、リチャード・トンプソンのギターとバイオリンというインストゥルメンタルを強化させた名作 Full House(’70年)を発表し健在振りを示す。がFull Houseを最後にリチャード・トンプソンが脱退(ソロへと転向)、デイブ・スワブリックを中心にAngel Delight(’71年)、Babbacomb Lee(’71年)を発表するも唯一のオリジナル・メンバーだったサイモン・ニコルがデイヴ・マタックス等とアルビオン・カントリー・バンドを結成のため脱退、その後も変遷を繰り返していった。

何とかその根を絶やすことのなかったフェアポート・コンヴェンションだったが、’79年に一度は正式に解散する。しかしその後すぐに再結成、数々の作品を残し、現在もトラッド・フェスティバル等ライヴ活動を中心に活動を続けているようだ。またウォーターボーイズポーグスアイオナコアーズなどトラッドに根ざしたアーティストがブレイクするその度ごとに海外では彼らの再評価の波が高まるのも見逃せない事実である。

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