Duane Allman

Duane Allman (デュアン・オールマン) プロフィール

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デュアン・オールマンがオートバイ事故で亡くなってしまったのは、1971年10月。わずか24歳という若さでの、あまりにも早すぎる死は本当に悲劇としか言いようがない。フィルモアでの神がかり的なプレイ、いとしのレイラでの圧倒的なスライド・ギター・・・。奇跡的ともいえる数々の名演は伝説に彩られて、未だに多くのファンを魅了し続けている。

デュアン・オールマンは1946年11月20日、テネシー州ナッシュビルで生まれている。後にクラプトンが舌を巻き、なんとかしてその秘密を盗もうとしたという、独自のグルーブを持ったプレースタイルはこの地で、生粋の南部人として育つことで、ゆっくりと培われていった。弟のグレッグ・オールマンと共に競うようにしてギターを手にしたのが10代の頃。やがて二人は65年にオールマン・ジョイズを結成し一枚のアルバムを製作しているが、やがてバンドは解散している。

その後67年にデュアングレッグはアワーグラスを結成。今や伝説のバンドといった趣もあるこのアワーグラスだが、実際はというとレコード会社からの介入をかなり受けながら活動していたグループだったようで、結局2枚のアルバム、アワーグラス、パワーオブラブを発表して解散してしまっている。サウンドの方は、純粋に黒人音楽のグルーブを目指したもので、それが成功に到っているとはいえないが、なかなか興味深い演奏となっている。とはいえデュアンはここで一旦バンド活動から離れて、アラバマ州にあるマッスル・ショールズ・スタジオでセッション・ミュージシャンとして活動するようになる。

このあたりから、デュアンのギタリストとしての躍進が始まる。R&B、ブルースといった南部音楽の中心拠点ともいえるこのスタジオで、ウィルソン・ピケットクラレンス・カーターアレサ・フランクリンボズ・スキャッグスといったそうそうたるミュージシャンの曲に参加。デュアンはここで数多くの名演を残しているが、その人気はうなぎ上りで、様々なアーティストからの誘いを受ける毎日だったという。この時期のセッションの数々は現在アンソロジー1アンソロジー2というアルバムに収録されて発表されていて、ファンにはうれしい限りだ。そしてこれらのオールマン・ブラザーズ・バンド以前のものを聴くにつれ、やはりデュアンの突出した才能を感じずにはおれない。スライド奏法、独特のひきずるような音色、すぐにその音色がはっきりと分かるほどの個性。デュアンは既にこの時期に独自のスタイルを確立していたといえる、後はこのサウンドを理想の形態で表現するだけ・・・。

そして3度目の正直、といったところだろうか。デュアンは弟のグレッグを呼び戻し、さらにディッキー・ベッツ等に声をかけてここにバンドを結成、オールマン・ブラザーズ・バンドの誕生である。69年、新進レーベルのキャプリコーンからデビュー作オールマン・ブラザーズ・バンドを発表。ツイン・ギター、ツイン・ドラムという当時では珍しい編成のバンド・サウンドは独特のフィーリングを生み出すことに成功。さらにそこに泥臭いまでのテイストが加えられることで、ツェッペリンクリームといったブリティッシュロックにはない、聴いていると血がわきあがるような感覚がもたらされた・・・サザン・ロックの誕生である。

バンドは全米各地を精力的にツアーしていくが、この時期の演奏がLive At Ludlow Garage 1970という2枚組で聴くことが出来る。まだまだ後のようなテンションこそないものの、バンドが一体となったときの迫力は凄まじく、44分にもわたる"マウンテン・ジャム"は圧巻。そして何よりデュアンのスライド・ギターが熱い。そしてこの時期特筆しておくべきなのが、エリック・クラプトンとのセッション、デレク&ザ・ドミノスのアルバムいとしのレイラへのデュアンの参加である。バンド活動と平行してまだセッション・ギタリストの活動を続けていたデュアンは、ここで奇跡的な出会いをすることになる。70年8月にデュアンクラプトンはジャムセッションの場を設け、初めてギターを手にして顔をあわせることに。すぐにデュアンのギタープレイに魅了されたクラプトンは”何曲かアルバムでひいてもらえないか”と持ちかけたのだが、ふたを開けてみるとデュアンは実にアルバムの大半の曲でリードギターを取っている。"レイラ"の印象的なフレージングもデュアンの発案だ。セッションの後半、クラプトンはあの手この手でデュアンをスタジオにつなぎとめようとしたらしい。デュアンの泣きのスライドが後ろの方で響く中、感情をぶつけたクラプトンのシャウトが重なる、という名曲"レイラ"はこうして生まれたのである。

70年9月、バンド本体の活動として待望の2ndアルバム、アイドルワイルドサウスをリリース。プロデューサーはトム・ダウド。1stにあった荒削りな魅力こそ半減しているものの、ここにある絶妙なグルーブこそが、オールマンズの魅力を雄弁に物語るものではないだろうか。ルースで穏やかな雰囲気、これがレイド・バックという言葉を生んだ。古めかしいポートレイトのようなジャケットも秀逸で、バンドのクールな一面を垣間見ることも出来る。オールマンズのターニングポイントとなった一枚であり、他のどのバンドも出すことの出来ないであろう微妙な空間がここにある。

そして71年、数あるロックのライブ盤の中でも最高傑作といえるLive At Fillmore Eastを発表。当初レコード会社の反対に会い、リリースを渋られたというエピソードが残っているが、バンド側の強行策によりアルバムはリリース。この一枚が大ヒットしてオールマンズは一躍スターダムにのしあがる。適度な緊張感をもって進められる演奏、ここぞというときに爆発をみせるダイナミズム、さらにそこにデュアンのギターが滑るように乗っかっていくさまは凄いとしか言いようがない。デュアンが弾いているというよりは、デュアンとギターが一体となって、ギターそのものが鳴いてしまっているような印象だ。この時のフィルモアの熱演は、長いあいだLive At Fillmore Eastとして親しまれてきたが、92年に音質がリマスターされ、収録曲も完全に近い形でリイシューされた2枚組みFillmore Concertsというアイテムもあり、こちらも素晴らしい。

いよいよ順風満帆に見えたオールマンズであったが、ここで突然の悲劇が彼らを襲うことに。デュアン・オールマンがバイクでツーリング中、事故を起こして帰らぬ人に。葬儀に参列したバンドメンバー、ミュージシャン、家族の悲しみは始めとしてファンにとっても非常に残念な事件となってしまう。オールマンズはその後デュアン生前のテイク等を含むアルバム、イート・ア・ピーチを発表。1曲目"Ain't Wasting Time No More"(時はもう無駄には出来ない)というフレーズには、バンドの悲壮な決意が感じられる。さらに次作ブラザーズ&シスターズは、レーナード・スキナード等の登場にもより湧き上がるサザン・ロックブームの追い風を受けて、全米で大ヒットを記録する。しかしここに既にデュアンの姿はないのであった。

24歳という若さで早世してしまった天才ギタリスト、デュアン・オールマン。”スカイ・ドッグ”の愛称で呼ばれているように、デュアンのスライド・ギターはどこまでも空高く上り詰めていくように、衰えを知らず未だに鳴り響いている。

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