1973年にサード・アルバム キャプテン・アンド・ミー(Captain And Me) を発表。前作にも参加していたリトル・フィートのキーボード奏者、ビル・ペインが再び加わり、更にスティーリー・ダンのジェフ・バクスターもゲストとして参加している。同作は彼らの初期の代表作として名高い作品だ。印象的なギター・カッティングをフィーチャーした“ロングトレイン・ランニン”、“チャイナ・グローヴ”の二曲がヒット。トム・ジョンストンの手によるこの二曲のヒットは、ドゥービー・ブラザーズを西海岸のみならずアメリカを代表するバンドの一角に押し上げたのだった。
1974年に通算4作目となるアルバム ドゥービー天国(What Are Once Vices Are Now Habits) を発表。ここからは泥臭い南部テイストも感じさせる“ブラックウォーター”がじわじわとチャートを昇り、遂には彼らにとって初の全米ナンバーワンとなる楽曲となった。もともと同曲はシングル“アナザー・パーク”のB面曲だったが、この曲を気に入った南部のラジオ・ステーションがエアプレイし始めたことがきっかけで、全米へとその人気が波及していったのだった。
1978年に発表された ミニット・バイ・ミニット(Minute By Minute) で彼らはその活動の頂点を極めた。アメリカ国内だけでも発売後短期間に400万枚を売り上げるセールスとなったこのアルバムは、マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスの共作となる“ある愚か者の場合”(全米1位)の大ヒットを生んだ。なお同曲は翌年発表のグラミー賞でレコード・オブ・ジ・イヤー、ソング・オブ・ジ・イヤーなど4部門を受賞するという栄誉にも輝いた。