Donny Hathaway
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Donny Hathaway (ダニー・ハサウェイ) プロフィール

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公民権運動やキング牧師暗殺といった時代背景の中で、黒人音楽も"R&B"から”ソウル・ミュージック”へと歴史的な過渡期を迎えていた70年代初頭、 スティーヴィー マーヴィン・ゲイ等と歩調を合わせる様に登場した稀代の天才シンガー、 ダニー・ハザウェイ 。”ニュー・ソウル”という新しい時代の扉を鮮やかに解き放った彼の存在無しでは、今のフリー・ソウル・ブームも語る事は出来ないだろう。


1945年、イリノイ州シカゴに生まれたダニーは生まれてすぐにセントルイスに移り住み、ゴスペル・シンガーだった祖母のマーサ・クラムウェルに育てられた。ダニーはすでに3歳の頃から祖母のゴスペル・グループでウクレレの弾き語りをしていたという。またその一方で彼は子供の頃から先生についてクラシックを学び、アカデミックな音楽知識を身に付けていった。’64年にワシントンDCにある黒人大学の名門ハワード大学に入学、ピアノと音楽理論を専攻した彼は奨学金を受けるほどの優秀な学生であった。彼がポピュラー音楽に興味を持つようになったのも大学時代で、後に深い関りを持つ事になるロバータ・フラックリロイ・ハトソンと知り合ったのもこの時代だ。


やがてダニーは大学に通いながらリック・ポウェルというドラマーが率いていたジャズ・トリオのピアニスト/オルガニストとしてワシントンDCのクラブで演奏するようになり、この時始めて教会以外で歌うを事を経験する。大学中退後、彼は妻と後にシンガーとなる一人娘レイラを連れて故郷のシカゴに戻り、カーティス・メイフィールドのカートム・レーベルで働き始め、主にアレンジャーとして活動をしていたが、’66年にリロイ・ハトソンがリード・シンガーを努めていたメイフィールド・シンガーズの一員としてシングル「I've Been Tryin' If」を録音。また、’69年にはジューン&ダニー名義(ジューン・コンクェストという女性シンガー)のシングル「I Thank You Baby」を発表する一方、プロヂューサー/ライターとしてアレサ・フランクリンジェリー・バトラーステイプル・シンガーズカーラ・トーマス等を手掛け、インプレッションズのバンド・ディレクターも努めた。


その後、カートムを離れ、スタックスやオン・トップ・レーベルなどでも裏方として活動を続けていたダニーは、やがてキング・カーティスと出会い、彼の後押しを受けて’70年、アトランティック・レコードと契約を結んだ。こうして発表された記念すべきデビュー・アルバムが「Everything Is Everything/新しきソウルの光と道」である。まさしく彼の原点とも言うべき本作はアメリカ社会の厳しい現実や、黒人の苦悩や誇り、そして神への感謝と純粋な愛を歌い綴ったソウル史に残る傑作であり、と同時に故キング牧師の意志を受け継ぐその姿勢に多くの同胞の共感を得る事になった。ここからは初のシングル「The Ghetto」がR&Bチャート23位を獲得、”ニュー・ソウル”の旗手として一躍脚光を浴びた。


翌’71年、アルバム「Donny Hathaway」を発表。同アルバムからは「Giving Up」がヒット。このあと、後のライヴ盤に収録されるキャロル・キング>の「You've Got A Friend」をTop10入りさせたダニーは同年、大学時代の旧友ロバータ・フラックとデュエット・アルバムを発表し、これが爆発的なヒットを記録。「Where Is The Love」はR&Bチャートで遂に1位に輝き、ポップ・チャートでも5位となった。翌’72年、ライヴ・アルバムを発表。マーヴィン・ゲイの「What's Going On」等、当時26歳ながら、その味わいヴォーカルはすでに円熟の境地に達しており、その歌声からは、ダニーの鼓動までもが聴く者に伝わってくるほどだった。同年に、クィンシー・ジョーンズの招きで映画「Come Back Charleston Blue」のスコアを担当、その活動の幅を広げていった彼は、翌’73年、 「Extention Of A Man/愛と自由を求めて」を発表。社会的メッセージと崇高な愛を歌い上げ、また、音楽的にもオーケストラ風組曲のオープニングに、ブルージーなインストも巧みに交えたその見事な構成は、傑出した彼の才能と個性が脈々と息衝いた、まさに最高傑作と呼ぶに相応しいソウル史の金字塔となった。「Love Love Love」や映画 「マルコムX」 にも使われたアレサ・ヴァージョンの「Someday We'll All Be Free」での心温まるヴォーカルにはもう言葉すら無用だろう。


しかし、そうした彼の理念とあまりにも矛盾した現実とのギャップに悩み苦しんだダニーはうつ病の為、入退院を繰り返すようになり、音楽活動にも大きな影響を与える結果となってしまった。’77年、未発表ライヴ・テイクを集めた「In Performance」を経て、本格的な復帰作となる(筈だった)ロバー・フラックとの再共演アルバムのレコーディングを開始。シングルのみのリリースとなった、かの名曲「The Close I Get To You」は久々の大ヒットとなった。しかし、ダニーはアルバム録音中の’79年1月13日、N.Y.のアパートの15階から飛び降り自殺を遂げ、33歳というあまりにも短い生涯に自ら終止符を打ってしまう事になる。


グレン・ジョーンズアレキサンダー・オニールフレディ・ジャクソン等、後世のアーティスト達に多大な影響を与え続ける不世出のシンガー、ダニー・ハザウェイ。その遺児、レイラ・ハサウェイも’90年に歌手デビューを果し、彼の”魂”は今尚、いや永遠に私達の心に生き続けるに違いない。

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