Crosby, Stills & Nash

Crosby, Stills & Nash (クロスビースティルスアンドナッシュ) プロフィール

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パーマネントなバンドではないが、CSN(&Y)は間をあけながらも、たびたびアルバムを発表する「スーパー・グループ」だ。「スーパー・グループ」というのは60年代最後期〜70年代初期にかけて流行った呼称で、人気バンドの看板だったアーティストやソロで活躍している人気アーティスト達が集まって作るグループのことだが、しかしながらCSNは、当時の日本ではアメリカでの爆発的な人気と比べると知名度がそれほど高くなかったという。一部音楽に敏感なリスナー層を除いては、バーズデヴィッド・クロスビーバッファロー・スプリング・フィールドスティーヴン・スティルス(とニール・ヤング)、ホリーズグレアム・ナッシュというメンツは実際に、同時期のブラインド・フェイスクリームエリック・クラプトンジンジャー・ベイカートラフィックスティーヴ・ウィンウッドら)と比べるとやはり地味とはいえる(当時の日本ロック・リスナー層の英国ロック偏重主義も関係あるかもしれないが)。ともあれCSNは69年ごろに特にアメリカにおいて「ウッドストック・フェスティヴァル的なるもの」「ヒッピー文化」の象徴として大人気を博したのだった。

クロスビー、スティルス&ナッシュ(以下CS&N)は1968年に結成。元バーズデヴィッド・クロスビー(g,vo/1941年8月14日生)は1967年にロジャー・マッギンとの音楽的相違や確執が原因でバーズを脱退、ソロ・アルバムの準備やジョニ・ミッチェルのアルバム・プロデュースなどを手掛けていた。この頃クロスビーは元バッファロー・スプリング・フィールドスティーヴン・スティルス(g,key,b,vo/1945年1月3日生)とジャム・セッションを行っており、ここにグレアム・ナッシュ(g,key,vo/1942年2月2日生)が加わりCS&Nが結成された。結成の経緯については諸説あるものの、その当時のエピソードで有名なのは、だいたい以下のようなものだ。LA郊外のジョニ・ミッチェル宅にCS&Nとなる3人のほかママス&パパスキャス・エリオットらが集まった(当時クロスビーとジョニはロマンティックな関係にあり、気の合う仲間の集いというようなものだった――後にジョニはナッシュと恋におちるのだけれど)。そこでクロスビーとスティルスが“ユー・ドント・ハフ・トゥ・クライ”を歌い、そこにナッシュがハーモニーをつけたことで、彼ら自身、自らの素晴らしい三声ハーモニーの美しさと可能性を発見し、CS&Nが結成されたという話だ。ただこの時点ではグレアム・ナッシュはまだホリーズに在籍していたため、結成直後の彼らはロンドンに渡ってリハーサルを重ねたという(ナッシュはまもなくホリーズを脱退。そのときのエピソードに、彼らにディランは歌えない、と言い残して辞めたというものがある)彼らはジョージ・ハリスンを招くなどして、ビートルズのアップル・レコードとの契約を望むが結局果たされず、アトランティック・レコードと契約。LAに戻ってアルバムのレコーディングを行うようになる。

アトランティックと契約した彼らは、その顔ぶれから「スーパー・グループ」と呼ばれ、結成年と同じ1968年、デビュー・アルバム クロスビー、スティルス&ナッシュ を発表。ここにはナッシュがホリーズのために書きながら使用されることがなかった“マラケッシュ急行”や、スティルスがジュディ・コリンズへの想いを歌った“青い目のジュディ”が収められていたが、この二曲はいずれもシングル・ヒットとなった。またアルバム自体も全米最高位6位、200万枚のセールスを記録し、彼らはグラミー賞の最優秀新人に選ばれた。

1969年にはスティルスの紹介で、彼の元同僚・ニール・ヤング(g,vo/1945年11月12日生)がグループに参加。グループはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(以下CSN&Y)となる。CSN&Yとしてのライヴ・デビューは1969年7月のNYフィルモア・イースト。またその一ヵ月後に二回目のステージとして、あの伝説的な「ウッド・ストック・フェスティヴァル」に出演。決定的な人気を得る。そして2ヶ月かけて制作されたCSN&Yとしてのアルバム デジャ・ヴ は予約だけで200万枚を記録し即座に全米一位を獲得。このアルバムからはジョニ・ミッチェル作の“ウッドストック”(映画にも使用された)、“ティーチ・ユア・チルドレン” “僕達の家”がシングル・ヒット。一方ではニール・ヤングの代表曲のひとつ“ヘルプレス”が収められた作品としても知られている。またアルバム発表後、ケント州立大学において州兵の手で学生4人が射殺された事件が起き、それに反応したヤングが書いた“オハイオ”がシングル・リリースされたこともこの時期の出来事だ。

1970年CSN&Yはツアーを行うが、その模様を収めた二枚組ライヴ作 4ウェイ・ストリート が1971年にリリースされた頃にはグループ自体が事実上、消滅してしまう(アルバムは全米1位を獲得)。解散の原因はそれぞれがソロ活動(ヤング)やデュオ(クロスビー&ナッシュ)、グループ(スティルスマナサス)へと活動の中心を移行したためで、グループとしては最高のセールスと人気を手にした形で短命な活動を終えた。

解散後、ソロやプロジェクトを経た彼らが再び集まるのは1974年のことだった。同年のツアーのための再結成。このツアーの模様を収めたライヴも企画されたがそちらは実現せず。替わりに(?)リリースされたベスト・アルバム ソー・ファー は全米一位を獲得している。その後1977年にCS&Nは再結成しアルバム CSN 発表。翌1978年にツアー、1979年には反核コンサートにも出演した。1982年にアルバム デイライト・アゲイン 、1983年にライヴ作 アライズ を発表。その後1985年の「ライヴ・エイド」、1986年にヤング主催の「ブリッジ・コンサート」にCSN&Yとしてプレイした彼らは1988年に アメリカン・ドリーム を発表。この作品後ヤングはソロ多忙のためCSNを離れたが、1989年にはCSNとして独ベルリンの壁崩壊を祝う目的で、ブランデンブルグ門にて演奏した。1990年には リヴ・イット・アップ 発表。そして1994年には彼らともともとゆかりの深い「ウッドストック」の94年度版に出演。同時期に アフター・ザ・ストーム も発表された。それから五年後の1999年にヤングも加入したCSN&Yとしての新作 ルッキング・フォワード が発表されたことはまだ記憶に新しい。

彼らの全盛期1968〜1971年頃という時代は、ヒッピー・ムーヴメント幻想の崩壊、急速に社会的混乱が沈静化していくという状況と重なっている。またロック界ではこの時期、ビートルズが解散、ジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスといった時代を象徴したスターが相次いで死亡するという事態が重なり、「ロックの幸福な季節」が終焉を迎えつつあった時期にあたる。その中で行われたCSN&Yの鮮烈な印象を残す活動は、現在でも語り継がれ、その時期のイメージと強く結びついており(特にアメリカのヒッピー世代の)ノスタルジーを刺激する存在となっているが、このことで彼らが遺した音楽の価値が貶められることにはならない。美しいハーモニーの調和と、いい意味でのメンバー各々の個性のぶつかり合い/緊張関係が保たれたCSN(&Y)の本来的な意味でのプログレッシヴなアメリカン・ロックというスタイルは今だ色褪せていない。

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