その後チェットは仕事を求めて各地のラジオ局を転々としていった。1946年、チェットは、自分より7つ年上のカントリー歌手レッド・フォーリーの助力もあって、現在でも続く長寿カントリー番組 Grand Ole Opryに初出演を果たす。そして同年に初めてのレコーディングも経験している。またこの頃チェットは、ヴァージニア州リッチモンドのラジオ局でのレギュラーを獲得するが、ラジオ局のお偉方が期待するものとは異なるアレンジメントを施したことがもとで、何度かレギュラーを降ろされたとも言われている。結局、その後チェットはミズーリ州スプリングフィールドのラジオ局で働くことになるが、このときのチェットのパフォーマンスを収録したテープが、シカゴのRCAレコード・オフィスに渡る。そしてそのテープを聴いたのが、RCAのカントリー部門プロデューサー、スティーヴ・ショールズだった。ショールズはそれ以前にチェットのパフォーマンスを聴いたことがあり、それ以来数年間、彼を探していたという。ともあれ既にコロラド州デンヴァーに移っていたチェットは、RCAからの連絡を受け、レコーディングのためナッシュヴィルに移住することになった。