『指揮の神童』と称された世界的指揮者の華々しい初期のキャリアに光を当てた録音集
CD14枚組ボックス・セット
『指揮の神童』と称された世界的指揮者ロリン・マゼールがベルリン放送交響楽団と共演した録音が初めてまとめられて発売されます。CD14枚組ボックス・セット。マゼールが初めて本格的にオーケストラを率いた時期の華々しい初期のキャリアに新たな光が当てられています。よく知られたこの指揮者の手腕と細部へのこだわりで作り上げられたバッハからストラヴィンスキーまでのレパートリーが収められています。
1964年、フェレンツ・フリッチャイの後任としてベルリン放送交響楽団の音楽監督に就任しましたが、マゼールはそれ以前にすでにこの楽団と1955年にベルリンでデビューを果たし、緊密な関係を築いていました。ドイツ・グラモフォン・レーベルに残されたファリャ、フランク、ストラヴィンスキーのアルバムは、マゼール芸術の最も輝かしくダイナミックな一面を示す不朽の記録であり、演奏者たちから素晴らしい敏捷さと色彩のコントラストを引き出しています。フィリップスには主にバロック時代の作品が取り上げられ、バッハ、ヘンデルの作品のほか、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』ではイヴリン・リアーとクリスタ・ルートヴィヒという豪華な歌手陣と共演しました。マゼールの解釈の交響的な壮大さは、一般のバロック様式観とは相容れないと見なされていましたが、彼は「過去の芸術作品を生み出した外的状況を再現することはできませんが、私たちができること、すべきことは、その偉大さに自分なりのやり方でできる限り応えることです」と語っています。さらにモーツァルトの交響曲第38番から第41番、ドヴォルザークの交響曲第9番では稀に見る表現的高揚の境地に達しています。
オリジナル・ジャケット仕様。ブックレットにはアーカイブ写真やピーター・クアントリルによるマゼールのベルリン時代を振り返る新たなエッセーも掲載されています(欧文)。
※録音全集と謳っている商品の中にも、稀に音源が漏れているものもございますこと、予めご了承ください。(輸入元情報)
初期のマゼールについて
【マゼールとヨーロッパ】
マゼールはまだ26歳だった1957年、ドイツ・グラモフォンでカラヤンより先にベルリン・フィルとのレコーディングを開始するという異例の扱いを受けた指揮者でした。8歳で指揮者デビューしたマゼールは、10歳のときにはNBC交響楽団の夏期公演でも指揮、続いてニューヨーク・フィルも指揮して大きな注目を集めるほどの天才でした。
その後、1952年にイタリアに留学してバッハなどバロック音楽を勉強、帰国後はボストンのバークシャー音楽センターでさらに指揮を学び、翌1953年にはヨーロッパに戻ってイタリアで指揮者デビューして成功を収めることとなります。
【当時のマゼール】
ちなみにこの時期のマゼールは、1960年に史上最年少でバイロイト・デビューを果たし、1963年にはザルツブルク音楽祭にも出演したほか、ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演ではベームらと共に来日、『トリスタンとイゾルデ』の日本初演をおこなった後、東京交響楽団、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したりもしていました。
そうした成功を受けて、1964年には、亡くなったフリッチャイの後を継いでベルリン放送交響楽団の首席指揮者となり、翌1965年には、ホルライザーの後任としてベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督にも就任しています。
また、マゼールは英語のほかにドイツ語、フランス語、イタリア語に堪能で、そうした背景もあってか、フランスのオーケストラを頻繁に指揮し、さらにフランス語のオペラの録音までおこなっていたといいますから、その活動範囲の広さは驚異的。
シャープな芸風だった若きマゼールは、当時破竹の勢いだったカラヤンの対抗勢力として大いに注目を集め、ドイツ・グラモフォン、EMIに続いてデッカやフィリップス、コンサート・ホール・レーベルなどへも録音を開始、バロックから近代に至る幅広いレパートリーを取り上げ、若手指揮者としては異例の活躍ぶりを見せていました。(HMV)
【収録情報】
Disc1
J.S.バッハ:
1. 管弦楽組曲第1番ハ長調 BWV.1066
2. 管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV.1067
3. 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068
ギュンター・パッシン(オーボエ:1,3)
ロルフ=ジュリアス・コッホ(オーボエ:1,3)
ハンス・レムケ(ファゴット:1)
ヴォルフガング・マイヤー(チェンバロ)
ロジェ・ブールダン(フルート:2)
モーリス・アンドレ(トランペット:3)
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1965年11月、ベルリン
Disc2
J.S.バッハ:
1. 管弦楽組曲第4番ニ長調 BWV.1069
2. ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV.1046
3. ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV.1047
4. ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調 BWV.1048
モーリス・アンドレ(トランペット:1,3)
ギュンター・パッシン(オーボエ:1-3)
ロルフ=ジュリアス・コッホ(オーボエ:1,2)
ハンス・レムケ(ファゴット:1,2)
ヴォルフガング・マイヤー(チェンバロ:1,2,4)
フェリックス・シュレーダー(チェンバロ:3)
ゲルハルト・シュレーダー(ホルン:2)
クルト・ブランク(ホルン:2)
豊田耕児(ヴァイオリン:2,3)
カール=ベルンハルト・セボン(フルート:3)
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1965年11月(1)、10月(2-4)、ベルリン
Disc3
J.S.バッハ:
1. ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV.1049
2. ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
3. ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV.1051
ミシェル・デボスト(フルート:1)
ロジェ・ブールダン(フルート:1,2)
豊田耕児(ヴァイオリン:1,2)
レナード・ホカンソン(チェンバロ:2)
ヴォルフガング・マイヤー(チェンバロ:3)
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1965年10月、ベルリン
Disc4
● J.S.バッハ:復活祭オラトリオ BWV.249
ヘレン・ドーナト(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(メゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
マルッティ・タルヴェラ(バス)
カール=ベルンハルト・セボン(フルート)
ギュンター・ツォーン(オーボエ)
ギュンター・パッシン(オーボエ・ダモーレ)
RIAS室内合唱団
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1966年9月、ベルリン
Disc5-6
● J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調 BWV.232
テレサ・シュティッヒ=ランダル(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(メゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ジョン・シャーリー=カーク(バス)
カール=ベルンハルト・セボン(フルート)
ギュンター・パッシン(オーボエ・ダモーレ)
エーリヒ・エルテル(オーボエ・ダモーレ)
ゲルハルト・シュレーダー(ホルン)
豊田耕児(ヴァイオリン)
RIAS室内合唱団
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1965年9月、ベルリン
Disc7
ヘンデル:
1. 王宮の花火の音楽 HWV.351
2. 水上の音楽 HWV.348-350
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1965年1月、ベルリン
Disc8
● ペルゴレージ:スターバト・マーテル
イヴリン・リアー(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
RIAS室内合唱団(女声)
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1966年5月、ベルリン
Disc9
モーツァルト:
1. 交響曲第38番ニ長調 K.504『プラハ』
2. 交響曲第39番変ホ長調 K.543
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1966年8月、ベルリン
Disc10
モーツァルト:
1. 交響曲第40番ト短調 K.550
2. 交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1966年8月、ベルリン
Disc11
● ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1966年12月、ベルリン
Disc12
● フランク:交響曲ニ短調
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1961年1月、ベルリン
Disc13
ストラヴィンスキー:
1. バレエ組曲『火の鳥』(1919年版)
2. 交響詩『うぐいすの歌』
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1957年11月、ベルリン
Disc14
ファリャ:
1. バレエ音楽『恋は魔術師』
2. バレエ音楽『三角帽子』〜粉屋の女房の踊り(ファンダンゴ)/隣人たちの踊り(セギディーリャス)/粉屋の踊り(ファルーカ)/終幕の踊り(ホタ)
グレース・バンブリー(メゾ・ソプラノ:1)
ベルリン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1965年6月、ベルリン
マゼール年表
ロリン・マゼールは2014年7月13日、アメリカのヴァージニア州キャッスルトンにある自宅で、肺炎とその合併症のため亡くなられました。2013年春にはミュンヘン・フィルとの日本公演を精力的におこなっていたマゼールですが、晩年の数ヶ月は体調が思わしくなかったようで、ボストン交響楽団との日本公演や、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)での来日もキャンセル、ミュンヘン・フィルの首席指揮者も辞任するなど健康状態が心配されていた矢先のことでした。
長大なキャリアと膨大な録音
マゼールのプロ指揮者としてのキャリアは60年を超えており、膨大な数のレコーディングも遺しています。今後は、DG、DECCA、PHILIPS、EMI、SONY、RCA、EURODISCなど有名音源については、ボックス化が進むものと思われますし、ライヴ録音や映像などについても復活・再編や発掘をぜひ期待したいところです。
1930年代
1930年3月6日、パリ近郊で、ユダヤ系でロシア系の父と、ハンガリー系でロシア系の母の間に誕生し、ほどなくアメリカに移住。ピッツバーグで育ったマゼールは、幼少期から音楽的才能を示し、4歳でピアノ、5歳でヴァイオリン、7歳で指揮を学び、8歳でアイダホの大学のオーケストラを相手にシューベルトの『未完成』で指揮者デビュー。翌年にはニューヨークの世界博覧会に出演してオーケストラを指揮、天才少年指揮者として大きな話題となりました。
1940年代
10歳のときにNBC交響楽団の夏期公演でも指揮、続いてニューヨーク・フィルも指揮して注目を集めます。
しかしマゼールはその間も学業は継続、ピッツバーグ大学に在籍して哲学や語学など学ぶ一方で、バカレイニコフに就いて指揮とヴァイオリンの研鑽を積み、ピッツバーグ交響楽団でもヴァイオリン奏者として演奏、さらにアート弦楽四重奏団も結成するなどして活躍、1949年にはピッツバーグ交響楽団副指揮者となっています。
1950年代
1952年にイタリアに留学してバッハなどバロック音楽を勉強、帰国後はボストンのバークシャー音楽センターでさらに指揮を学び、1953年にはイタリアでも指揮者デビューして成功を収め、それがきっかけとなってヨーロッパ各地のオーケストラに客演を重ね、次第に知名度を高めて行きます。
レコーディングなど
マゼールのレコーディング・デビューは、1957年、DGへのベルリオーズ『ロメオとジュリエット』抜粋ほかを収めたアルバムで、ベルリン・フィルとの録音でした。このデビュー盤はモノラルでしたが、当時のレコード業界は本格的にステレオ録音を導入しはじめた時期だったこともあり、マゼールはこの時期、主にベルリン・フィルを指揮して数多くのステレオ録音を残すこととなります。
1960年代
1960年、マゼールは史上最年少でバイロイト・デビューを果たし、1963年にはザルツブルク音楽祭にも出演したほか、ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演ではベームらと共に来日、『トリスタンとイゾルデ』の日本初演をおこなった後、東京交響楽団、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団を指揮しています。
そうした成功を受けて、1964年には、亡くなったフリッチャイの後を継いでベルリン放送交響楽団の首席指揮者となり、翌1965年には、ホルライザーの後任としてベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任しています。
レコーディングなど
シャープな芸風だった若きマゼールは、当時破竹の勢いだったカラヤンの対抗勢力として大いに注目を集め、DG、EMIに続いてDECCAへの録音も開始、ウィーン・フィルを指揮したシベリウスとチャイコフスキーの交響曲全集など多くのレコーディングに取り組みます。
一方で、PHILIPSには、手兵となったベルリン放送交響楽団との録音をおこない、バロックから近代に至る幅広いレパートリーを取り上げるなど、若手指揮者としては異例の活躍ぶりを見せていました。
ほかにも、コンサート・ホール・レーベルへのブルックナー3番やマーラー4番など、面白いアルバムが多数制作されていました。
1970年代
1970年から72年にかけて、高齢のクレンペラーを補佐する役割でニュー・フィルハーモニア管弦楽団の準指揮者を務め、1972年にはジョージ・セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団に音楽監督として登場。1976年にはフランス国立管弦楽団の客演指揮者も兼任していました。
レコーディングなど
それまでのDECCAやEMIに加え、SONYとTELARCへのレコーディングも新たに開始、前者ではマルチ系、後者ではワンポイント系のマイク・セッティングによる録音という、性格の違いのはっきりしたサウンド・ポリシーにも対応して見事な演奏を聴かせています。
また、オイロディスク・レーベルでレコーディングした、アンナ・モッフォとの『カルメン』や、コーガンとのメンデルスゾーンも記憶に残る素晴らしい内容でした。
オペラ映画『ドン・ジョヴァンニ』もこの時期の代表作といえるものです。
1980年代
1982年にはウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任。しかし、政治家とのトラブルのため、1984年には辞任してしまいます。
同年、故郷にあるピッツバーグ交響楽団の音楽顧問に就任したマゼールは、1988年には同楽団の音楽監督となり、1996年まで務めあげています。
レコーディングなど
この時期のマゼールは、久々にベルリン・フィルとの録音をおこなうようになり、DGとEMIへの一連の録音のほか、TELARCでも『ニーベルングの指環』編曲集(1987)を録音していました。SONYではピッツバーグ響といくつものアルバムを制作し、DECCAではミラノ・スカラ座での『アイーダ』を録音するなど華々しい活躍を見せていました、
オペラ映画『カルメン』も素晴らしい内容です。
1990年代
1993年にバイエルン放送響の首席指揮者に就任。着任当初はピッツバーグ交響楽団の首席指揮者も兼ねていましたが、1996年からはこのバイエルンとの活動に専念し、細部まで凝った解釈と多彩なレパートリーでオーケストラの表現の可能性を拡大。2002年まで充実した演奏活動を展開していました。
レコーディングなど
RCAとの録音を開始。バイエルン放送響やウィーン・フィルと多くのアルバムを制作しています。SONYではスカラ座での『西部の娘』など収録。
2000年代
2002年には、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任、2004年には、イタリアのパルマに本拠を置くアルトゥーロ・トスカニーニ・フィル(トスカニーニ響とも)の音楽監督も兼務し、さらに各地のオーケストラへの客演も継続される多忙な中、自作のオペラ『1984』をロンドンのロイヤル・オペラで初演するなど、その活動ぶりには実にエネルギッシュなものがありました。ちなみにニューヨーク・フィルの音楽監督は2009年まで務めています。
レコーディングなど
映像では、ベルリン・フィルとの交響組曲『ニーベルングの指環』(2000 LIVE)、スカラ座での『椿姫』(2007)、フェニーチェ座での『椿姫』(2004)、マゼール&ニューヨーク・フィル・イン平壌(2008)、フェニーチェ座ニューイヤー・コンサート(2004)、ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート(2005)、トスカニーニ響とのヴェルディ:レクィエム(2007)などがあります。
2010年代
2010年の大晦日、東京文化会館でベートーヴェンの全交響曲を指揮するというスタミナで驚かせました。2012年には82歳の高齢でミュンヘン・フィルの首席指揮者となり、2013年には日本も含むワールド・ツアーを展開。しかし、2014年の春には体調が悪化し、7月13日、ヴァージニア州キャッスルトンの自宅で亡くなります。84歳でした。
レコーディングなど
フィルハーモニア管とのマーラー第1・2・3番(2011 SIGNUM)、フィルハーモニア管とのマーラー第4・5・6番(2011 SIGNUM)、ミュンヘン・フィルとのブルックナー交響曲第3番(2012 SONY)など。
映像では、ウィーン・フィル、シェーンブルン夏の夜のコンサート(2013)、バレンシアでのファリャ『はかない人生』(2010)など。(HMV)