CD 輸入盤

オットー・クレンペラー・コレクション 1934〜1963年録音集(72CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
VN030
組み枚数
:
72
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


クレンペラー・ボックス(72CD)

オットー・クレンペラーの非商業録音を集めた大規模なセットが、ヒストリカル系レーベル「VENIAS(ヴェニアス)」から登場。1934年のニューヨーク・フィルとのブルックナー第9番から1963年のマーラー『復活』に至るまで、ライヴ録音と放送録音から成るセレクションで、同一作品の別録音も大量に収録。
 クレンペラーといえば、沈着冷静でスケールの大きなEMIスタジオ録音の印象が強いですが、ライヴ録音と放送録音ではまた様子が違ったりもしますし、これだけ分量があると、時期やオーケストラによる演奏の違いなど比較鑑賞も楽しめるので資料としても役立ちます。
 ちなみにクレンペラーは、「わたしはスタジオでレコーディングするよりも、むしろ公演を録音するほうが好きです。」とも語っていました。

【クレンペラーの芸風】
「クレンペラーの演奏には、冷めたところ、口当たりの良さを排したところが常にあり、聴く者を安楽椅子で夢心地にさせるのではなく、覚醒させ考えさせる」と評したのはドイツの作曲家パウル・デッサウ[1894-1979]。
 クレンペラーの友人の哲学者、エルンスト・ブロッホ[1885-1977]も次のように語っています。
「不思議なパラドクスで、彼自身はまったく論理的な人間ではない。ところが指揮をはじめるやいなや、とたんにものすごく論理的になるのです。同時に非情動的で、衝動性も陰気さもなく、なんといっても甘味、消費にもってこいの甘味が皆無なのです。」

 たしかにクレンペラーは、美しく整えられた外観や、豊かな情感表現といったものにはあまり興味が無かったようです。楽譜の情報を徹底的に掘り起こすために、旋律・リズム・動機などの諸要素を克明に示し、結果として楽曲構造が常に見通し良く浮かび上がるというクレンペラーならではの流儀は、抽象的な美感ともいうべき独特の魅力を生み出していたようにも思います。
 そうした基本方針は、生涯に3度遭遇した健康危機に際しても変わることは無かったようですが、指揮行為が身体を駆使する性格を伴う以上、身体ダメージが及ぼす変化も無視できず、特にコンサートや放送といったいわゆる「ナマ」の演奏では、テンポや声部バランス、細部の仕上げに影響が出る可能性が高くなりますし、70代半ばを過ぎれば高齢による影響も出てきます(リハーサルの制約や録音の質という問題もありますが)。
 このセットに収められたクレンペラーの非商業録音は49歳から78歳にかけてのもので、実際の音でそうした影響を検証できるのも便利です。たとえばマーラーの『復活』は4種類、ベートーヴェンの『運命』は5種類聴くことが出来るので、比較してみるのも面白いかもしれません。


【健康問題で活動時期を区分】
クレンペラーは生涯に3度、指揮活動に支障を来たすほどの健康危機に襲われており、その音楽にも多少なりとも影響が表れていると考えられるため、ここではクレンペラーの活動時期を4つに区分し、当セットの収録曲も併せてご紹介します。

 なお、クレンペラーの苦難については、指揮者のラファエル・クーベリック[1914-1996]が以下のように述べています。
「それは力と集中の啓示、精神的なものへの変容でした。そして、彼がたいへんな苦しみに陥っていた苦難の時期に見せたこの内なる力を通じて、精神は肉体より強いということが、彼の場合、ほかのだれよりも示されるのです。」

 また、娘のロッテ・クレンペラー[1923-2003]はこう語っていました。
「重病で何度も活動の中断があったので、父は演奏の見込めない譜面まで読んでいました。それがとてもよかったんだと思いますね。人が大きな不運だとみていたことが、父にとって、そして父の芸術家精神にとって、じつは恵みだったんです。」


頑健な体と双極性障害[1907-1939]
●プラハ・ドイツ劇場 [1907-1910]
●ハンブルク歌劇場 [1910-1913]
●バルメン歌劇場 [1913-1914]
●シュトラースブルク歌劇場 [1914-1917]
●ケルン歌劇場 [1917-1924]
●ヴィースバーデン歌劇場 [1924-1927]
●クロル歌劇場 [1927-1933]
●ロサンジェルス・フィル[1933-1939]

1907年からプロとして指揮を始めたクレンペラーは、1939年までの32年間、体そのものは丈夫だったものの、1910年に双極性障害と診断されてからは、ときにメンタル面でのトラブルを抱えるようになり、施設療養することもたびたびありました(上のアート画像の右側はクレンペラーがサナトリウムにいたときに知り合った画家エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー[1880-1938]による作品で、左側はクロル・オペラ時代のクレンペラーを彫った友人エーヴァルト・デュルベルク[1888-1933]の作品)。
 マーラーの紹介状のおかげで22歳から歌劇場で揉まれることになったクレンペラーの生活は、26年間で8つの歌劇場を渡り歩く一方で、オーケストラ・コンサートも指揮するという多忙なもので、ときおりサナトリウムを訪れてメンタルな問題を解決していました。
 1933年のアメリカへの亡命後は、ロサンジェルス・フィルの音楽監督に就任、コンサートをメインに活動するようになり、加えて、ニューヨーク、モスクワ、プラハ、ブダペスト、ウィーン、シュトラースブルクに演奏旅行。さまざまな作品をとりあげるようになります。

ブレスラウ [1885−1889]
1885年
5月14日、父ナータン、母イーダの子としてドイツのブレスラウに誕生。ほかの兄弟は姉と妹。

ハンブルク [1889-1901]
1889年
クレンペラー家はハンブルクに転居。
1891年
ピアノのレッスン開始。
1895年
ヨハネーウム・ギムナジウムに入学。

フランクフルト [1901-1903]
1901年
フランクフルト・ホーホ音楽院に入学。ヤーメス・クヴァストにピアノ、イヴァン・クノアに作曲と理論を師事し、ほかにヴァイオリンも学習。
1902年
フランクフルトでピアニストとしてシューマンのピアノ協奏曲を演奏。

ベルリン [1903-1907]
1903年
師クヴァストの転職に伴い、ベルリンのクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院に転学、クヴァストにピアノを、フィリップ・シャルヴェンカに理論を師事。
1905年
再び師クヴァストの転職に伴い、ベルリンのシュテルン音楽院に転学。引き続きクヴァストにピアノを師事したほか、指揮と作曲をハンス・プフィッツナーに師事。同年、オスカー・フリート指揮するマーラー交響曲第2番『復活』の舞台裏アンサンブルを指揮、リハーサルでマーラーと会話。
1906年
有名な演出家、マックス・ラインハルト[1873-1943]によるオッフェンバック『天国と地獄』のプロダクションをフリートの代役で指揮して成功、計50回も指揮することとなります。同じころ、クレンペラーは、マーラーに気に入られようと交響曲第2番『復活』をピアノ用に編曲する作業を続けており、『天国と地獄』と『復活』尽くしの日々を送ることとなります。


プラハ・ドイツ劇場 [1907-1910]
1907年
『復活』の舞台裏アンサンブルの指揮やピアノ編曲でマーラーに気に入られたクレンペラーは、マーラーから推薦状を受け取り、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の主要劇場に送付し、プラハ・ドイツ劇場の指揮者兼合唱指揮者としての契約を獲得。着任後3週間でウェーバーの『魔弾の射手』を指揮してデビュー。
1908年
マーラーがプラハを訪れ、チェコ・フィルと交響曲第7番を初演。滞在期間中、クレンペラーは、ワルター、ボダンツキーらと共にリハーサルやホテルでマーラーと過ごします。
1909年
ボダンツキーの退任により第2楽長に昇格。6月に『ローエングリン』を上演。バイロイトに行きカール・ムックの『ローエングリン』を見て古色蒼然とした上演に愕然。
1910年
プラハ・ドイツ劇場の支配人アンジェロ・ノイマンと衝突して解雇。

ハンブルク歌劇場 [1910-1913]
再びマーラーに推薦状を依頼し、ハンブルク歌劇場の指揮者として契約。『ローエングリン』でデビューし、『カルメン』、『リゴレット』なども指揮、大スターのエンリコ・カルーソーや、新進スターのロッテ・レーマンと交流。双極性障害の診断。
1911年
鬱病によりケーニヒシュタインのサナトリウムに滞在。シェーンベルクとの出会い、アルマ・マーラーからの資金援助のほか、リヒャルト・シュトラウスと交流し、自作歌曲を認めてもらいます。
1912年
アルマ・マーラーの援助によりハンブルク・フィルと自主公演を開催。歌劇場では『ニーベルングの指環』、『ローエングリン』、『ばらの騎士』、『フィガロの結婚』、『フィデリオ』などを上演。ソプラノのエリーザベト・シューマンとスキャンダル。ハンブルク歌劇場を追われ、ドイツ中西部のバルメンの歌劇場の指揮者の職を得ます。

バルメン歌劇場 [1913-1914]
1913年
エルバーフェルトの隣町、バルメン歌劇場の第1指揮者に任命され、ワーグナーの『タンホイザー』でデビュー。
1914年
第1次世界大戦開戦直前のドイツ国粋主義風潮とバイロイトでの独占上演権の失効により『パルジファル』ブーム到来。クレンペラーもバルメン歌劇場で23回指揮。隣町のエルバーフェルト歌劇場では第2指揮者のクナッパーツブッシュが数回指揮。

シュトラースブルク歌劇場 [1914-1917]
ハンス・プフィッツナーの後任としてシュトラースブルク歌劇場の音楽監督就任、『エレクトラ』のリハーサルを開始するものの第1次世界大戦開始にともなう総動員令により中止。
1915年
1月、シュトラースブルク歌劇場で臨時のアンサンブルを編成して『フィデリオ』を上演して成功。翌月には戦時下にもかかわらず『カルメン』を上演して賛否両論に。夏、躁状態になったクレンペラーは、ケーニヒシュタインのサナトリウムに滞在し、劇音楽『ファウスト』など作曲。秋から翌年にかけてのシーズンでは、戦時ながら『アイーダ』、『トリスタンとイゾルデ』、『こうもり』、『フィガロの結婚』、『預言者』などを上演。
1916年
プフィッツナーとの衝突が原因で再びサナトリウムに滞在。院長の19歳の息子ルドルフの戦死を悼み『宗教的闘争歌』を作曲。


ケルン歌劇場 [1917-1924]
1917年
ハンブルク歌劇場時代の上司グスタフ・ブレッヒャー[1879-1940]後任としてケルン歌劇場の音楽監督に就任。『フィガロの結婚』でデビュー。ケルン歌劇場のオーケストラは、ギュルツェニヒ管弦楽団としてコンサート活動もおこなっており、そこでは市立音楽院院長でもあるヘルマン・アーベントロート[1883-1956]が実権を掌握、徴兵で半分近くの人数になってしまったオーケストラをめぐってクレンペラーと対立していました。
1918年
この頃、プフィッツナーの新著『未来主義者の脅威』が、ブゾーニの著書『新音楽美学構想』を批判目的に書かれたことを機に巻き起こった論争で、クレンペラーはブゾーニの反論に賛同。11月、交戦国でもあるチェコの作品、ヤナーチェクの『イェヌーファ』をドイツ初演。
1919年
2月、ブゾーニ『トゥーランドット』と『アルレッキーノ』上演。3月、アヴァンギャルド画家らが開催する「諸芸術協会」第1回演奏会で、フリードリヒ・ショルのバリトン独唱、クレンペラーのピアノ伴奏でマーラーの『亡き子を偲ぶ歌』を演奏。4月、カトリックの地、ケルンのザンクト・パウル教会で洗礼。自作「ミサ曲」完成。ワーグナー『パルジファル』上演。ケルン歌劇場でシンフォニー・コンサートを開催。マーラーの交響曲第2番『復活』を指揮。プフィッツナーの友人でアーベントロートの部下でもある反ユダヤ主義音楽学者ヘルマン・ウンガーが新聞記事でクレンペラーを攻撃。6月、ソプラノ歌手、ヨハンナ・ガイスラーと結婚。自作「ミサ曲」試演。
1920年
1月、プフィッツナー『パレストリーナ』リハーサル開始。ライン川氾濫によりケルン市旧市街が広範囲に渡って浸水。歌劇場は無事。3月、長男ヴェルナー誕生。5月、プフィッツナー演出、クレンペラー指揮による『パレストリーナ』上演。成功に終わるものの、ほどなく発表されたプフィッツナーのユダヤ人攻撃論『音楽的不能の新美学。腐敗の徴候』により、クレンペラーの立場は微妙なものに。9月、ケルン歌劇場のコンサートでシェーンベルクの『ペレアスとメリザンド』を演奏。12月、ヨハンナのマリエッタ役でコルンゴルト『死の都』上演。同月より、バルセロナ、ウィーン、ベルリンなどに客演。クレンペラーの客演の増加と、シュレーカー、ツェムリンスキー、バルトーク、ヤナーチェクといった作曲家たちとの交渉に時間がかけられるよう、パウル・デッサウ、ヴィルヘルム・シュタインベルク(スタインバーグ)ら3人の指揮者が雇われます。
1921年
4月、ベルリン・フィルとシェーンベルク・コンサート(浄夜、ペレアスとメリザンド)を開催。5月、ベルリン・フィルとマーラーの交響曲第2番『復活』を演奏。9月、シュレーカー『宝探し』上演。11月、ブラウンフェルス『鳥』上演。
1922年
5月、シェーンベルク『月に憑かれたピエロ』上演。ツェムリンスキー『こびと』、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』。12月、アーベントロートとの確執に劇場側が配慮し、クレンペラーは音楽総監督に昇格。ケルン歌劇場でヤナーチェク『カーチャ・カバノヴァー』上演。イタリアに客演、ファシスト賛歌演奏。
1923年
1月、フランス・ベルギーがドイツの工業地帯ルール地方を占領したことでハイパー・インフレ開始。2月、母イーダが死去。3月、ケルンで自作「ミサ曲」を上演。10月、レンテンマルク導入によりハイパーインフレ停止。11月、ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』上演。娘ロッテ誕生。
1924年
2月、ケルン歌劇場との契約解消を発表。3月、ケルン歌劇場でシュレーカー『イレローエ』上演。4月、ベルリン・フィルハーモニーに客演。ハイドン交響曲第95番、モーツァルト『ジュピター』、ベートーヴェン交響曲第7番。

ヴィースバーデン歌劇場 [1924-1927]
5月、国際的保養都市ヴィースバーデンの州立歌劇場と契約。6月、シュナーベルを独奏者に招いてケルンで告別演奏会を実施。7月、ブゾーニ死去。9月、『フィデリオ』でヴィースバーデン歌劇場デビュー。舞台装置はデュルベルク。11月、レニングラードとモスクワに客演。トロツキーと会話。同月、クレンペラー初のレコーディング。ベートーヴェン交響曲第1番とシューベルトの『未完成』、ブルックナー交響曲第8番のアダージョをベルリン国立歌劇場管弦楽団とアコ―スティック録音。アコースティック方式なので音はかなり貧弱。
1925年
11月、ストラヴィンスキー本人の独奏でピアノ協奏曲を演奏。クーセヴィツキーの委嘱作。
1926年
1〜3月、ニューヨーク・フィルに10週間に渡って客演。夏、ドイツ文化省音楽部長ケステンベルクからクロル歌劇場の総監督就任について打診。11月、ヴィースバーデンでベルク『ヴォツェック』3章を演奏。12月、チェコ・フィルを指揮してドビュッシー&ラヴェル・プログラムを演奏。


ベルリン、クロル歌劇場ほか [1927-1933]
1927年
1月、2度目のアメリカ・ツアー。9月、クロル歌劇場での最初のシンフォニー・コンサート。バッハの管弦楽組曲第3番にモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(シュナーベル独奏)、ヤナーチェクのシンフォニエッタというもので、ヤナーチェク本人もリハーサルから臨席。11月、『フィデリオ』でオペラ上演をスタート。舞台装置と共同演出はデュルベルク。12月、翌月にかけてベルリン国立歌劇場管弦楽団とブラームスの交響曲第1番を録音。
1928年
1月、『ドン・ジョヴァンニ』上演。クロル歌劇場の属する組織はウンター・デン・リンデン歌劇場との二重組織になっており、そのことに起因する煩雑な運営などからクレンペラーの健康状態が悪化、総監督辞職を願い出るものの却下され、代わりに、カッセルの州立劇場で総監督をしていた実務経験豊富なエルンスト・レーガルがクレンペラーの補佐役として着任。その結果、クレンペラーには十分な時間が出来、現代作品のスペシャリストとして、ウニヴェルザール社やショット社から新作の上演依頼が数多く舞い込み、クレンペラーは十分に楽譜を検討したうえで、作曲家と打ち合わせをすることが可能になりました。特にシェーンベルクよりも先に音列作曲に挑んでいたハウアーとの打ち合わせは、具体的な演奏に際してのアイデアをもとに改訂を要求して上演を成功に導いており、クレンペラーの業績が単なる紹介者ではないことを窺わせます。6月、ヒンデミットのオペラ『カルディヤック』を上演。10月、ストラヴィンスキー『兵士の物語』を上演。11月、クレネクの小交響曲、ストラヴィンスキー『ミューズをつかさどるアポロ』、12月、ハウアーのシンフォニエッタ、クレネクの『独裁者』、『秘密の王国』、『国家の名誉』。
1929年
1月、『さまよえるオランダ人』を初期稿&モダン演出で上演。ワーグナーの息子ジークフリート・ワーグナーは当惑、そのイギリス生まれの妻でヒトラー崇拝者であるヴィニフレート・ワーグナーは激怒するものの、ワーグナーの孫のフランツ・ヴィルヘルム・バイドラー[1901-1981]は絶賛。後年のヴィーラント・ワーグナーの演出にも影響を与えることになりますが、新聞は批判的な記事を書き立て世間も騒然となり、これに怒ったクレンペラー自身が新聞社編集部に怒鳴り込んでさらに事態が悪化、劇場存続が危ぶまれる事態に陥ります。同月、コンセルトヘボウ管弦楽団と最初のコンサート。2月、クルト・ヴァイルに依頼した『小さな三文音楽』を演奏。オッフェンバック『ホフマン物語』を上演。3月、レニングラードでワーグナー『パルジファル』抜粋コンサート。4月、ヒンデミットの管弦楽のための協奏曲を演奏。4月、コンセルトヘボウ管弦楽団とマーラーの交響曲第2番『復活』、『大地の歌』を演奏。6月、ヒンデミット『今日のニュース』、ストラヴィンスキー『結婚』、『ミューズをつかさどるアポロ』、ピアノ協奏曲(ストラヴィンスキー本人独奏)を演奏。『結婚』の4人のピアニストのうちの一人はジョージ・セル。10月、世界大恐慌。11月、ロンドン交響楽団とブルックナーの交響曲第8番を演奏(ロンドン・デビュー)。同月、『魔的』上演。シェーンベルク『映画の一場面への伴奏音楽』演奏会初演(放送初演はロスバウト)。12月、バッハのヨハネ受難曲上演。
1930年
1月、ドイツ国家人民党と国家社会主義ドイツ労働者党がクロル歌劇場閉鎖要求動議を議会に提出。同月、ストラヴィンスキーの『カプリッチョ』(ストラヴィンスキー本人独奏)、『妖精の口づけ』。3月、クレネクの『オレストの生涯』。6月、シェーンベルク『幸福な手』、ハウアー『変化』、マーラー交響曲第2番『復活』。11月、議会によりクロル歌劇場閉鎖決定。ストラヴィンスキー『兵士の物語』。ヒンデミットのヴィオラ協奏曲。12月、ヒンデミット『行きと帰り』


1931年
1月、『フィガロの結婚』。2月、『蝶々夫人』。4月、ハウアー『サランボ』からの2場面、ヴェーベルン交響曲、トッホ:チェロと小管弦楽のための協奏曲(フォイアマン独奏)。4月、『ファルスタッフ』。ヒンデミット:ピアノ、金管と2台のハープのための協奏音楽(ギーゼキング独奏)、ベートーヴェン『合唱付き』など。5月、クレンペラーはクロル歌劇場最終公演となるヤナーチェク『死者の家』の指揮を拒否、アルゼンチンのブエノスアイレスにあるテアトロ・コロンに向けて出発。同地で『指環』、『マイスタージンガー』など指揮して10月に帰還。その間にクロル歌劇場は閉鎖。12月、ベルリンのウンター・デン・リンデン歌劇場の指揮者となりモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』を指揮。
1932年
ウンター・デン・リンデン歌劇場で『フィガロの結婚』。3月、バッハ:マタイ受難曲。4月、ベートーヴェン『合唱付き』。『ファルスタッフ』、10月、ベートーヴェン:大フーガ、ブルックナー:交響曲第5番。12月、R.シュトラウス:『英雄の生涯』、ヒンデミット:協奏音楽、モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番(ギーゼキング独奏)。ベルリン・フィルハーモニー合唱団とバッハ:ロ短調ミサを演奏。さらにフルトヴェングラーやトーマス・マンらと共にゲーテ・メダル授与。
1933年
1月、ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲、ブゾーニ:母の棺に寄せる男の子守歌、ヤナーチェク:シンフォニエッタ。1月30日、ヒトラー内閣発足。2月、ワーグナー『タンホイザー』上演、大きな騒ぎとなります。2月、オランダ共産党員が国会議事堂に放火。ヒトラーはこれを政治利用し、共産主義者、社会民主主義者、無政府主義者を弾圧。同月、クレンペラーはライプツィヒでゲヴァントハウス管弦楽団とのリハーサル中に指揮台から転落、強い脳震盪と左半身打撲。3月、国会議事堂の正面に位置するクロル歌劇場はドイツ国会の暫定議会場となり、ヒトラーの演説会なども開催。同月、ベルリン・フィルハーモニー合唱団とベートーヴェン:ミサソレムニスを演奏。その後、ローマとミラノに客演旅行。4月、政情不安からチューリッヒに向けてドイツを出国。5月、ウィーンに客演。バルトークのピアノ協奏曲第2番を作曲者本人の独奏で演奏。6月、ブダペストに客演。バルトークのピアノ協奏曲第2番をルイス・ケントナーの独奏で演奏。

ロサンジェルス・フィル[1933-1939]
1933年
10月、ロサンジェルス・フィル音楽監督に着任。
1934年
10月、ニューヨーク・フィルとブルックナー交響曲第9番を演奏。
1935年
6月、ロサンジェルスに家族到着。11月、ニューヨーク・フィルとベルク『ルル』組曲とマーラー:交響曲第2番『復活』。
1936年
5月、プラハ、ブダペスト、モスクワに演奏旅行。モスクワではショスタコーヴィチがクレンペラーに交響曲第4番をピアノで弾いて披露。9月、再びヨーロッパ・ツアー開始。ウィーンとシュトラースブルク、モスクワを訪問。ウィーンではベルクの死を悼み、クラスナーの独奏でヴァイオリン協奏曲を演奏。
1937年
シベリウス:交響曲第4番、マーラー:『大地の歌』、バッハ:ヨハネ受難曲など演奏。
1938年
5月、ブラームス:ピアノ四重奏曲のシェーンベルクによる管弦楽編曲ヴァージョンの初演。

 この時期の録音で、当セットに収録されているのは下記の作品。曲目並びはオーケストラ別の五十音順で、末尾の()内の数字はディスク番号となります。

ニューヨーク・フィル[1934]
・ブルックナー:交響曲第9番(72)

1926年以来の関係となるニューヨーク・フィルへの客演録音。音はひどいものの力強い演奏スタイルを確認することが出来ます。

ロサンジェルス・フィル[1935-1938]
・アルベニス:トゥリアーナ(71)
・ヴェルディ『シチリア島の夕べの祈り』序曲(71)
・ガーシュウィン:前奏曲第2番(71)
・R.シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲル(70)
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(70)
・ブラームス:ピアノ五重奏曲第1番(69)
・ベートーヴェン:交響曲第5番(71)
・ベルリオーズ:『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲(70)
・ヘンデル:コンチェルト・グロッソ(70)
・モーツァルト:交響曲第35番(70)
・ワーグナー『マイスタージンガー』第1幕前奏曲(71)
・ワーグナー『リエンツィ』序曲(71)

劣悪な音質ながら、ロサンジェルス・フィル音楽監督時代の壮健だったクレンペラーによる活気のある演奏を聴くことができます。当時のクレンペラーはまだ十分とはいえなかったロサンジェルスのクラシック音楽の環境を少しでも向上させるべく、ラジオで解説をしたり、ハリウッドボウルで演奏したり、出資者たちに向けて演説をしたりと非常に熱心に活動していました。


脳腫瘍手術と極度の躁状態による5年のブランクと復帰[1939-1951]
●フリーランス[1939-1946]
●ブダペスト歌劇場[1947-1950]
●フリーランス[1950-1951]

1939年
夏、ハリウッドボウルで指揮した後、メキシコに演奏旅行、ベートーヴェン、シェーンベルク、ブラームスを指揮。現地で体調に異変。平衡障害に陥り歩行困難、重度の頭痛を発症。帰国後に診察を受けると脳腫瘍の診断。9月、ボストンで専門医による4時間半の手術を受け、小さなオレンジほどの腫瘍を摘出。クレンペラー本人は6年前にライプツィヒでおこした脳震盪が原因と推測。12月にはベッドから起き上がれるようになったものの髄膜炎もあって右半身に麻痺が残る状態で、さらに手術の影響で長期の「躁状態」となり、不適切な発言と、モラル上、問題の多い行動によるトラブルも多発。ロサンジェルス・フィルを解雇されるなど危機に追い込まれます。
1940年
アメリカに帰化。5月、リハビリに励み、言語障害や麻痺はあるもののなんとか歩けるようになったニューヨーク在住のクレンペラーのもとを、指揮者モーリス・アブラヴァネルの35歳の妻で歌手のマリア・シャコーが訪問。歌を聴いてもらったのが縁で、看護師のようにクレンペラーの世話をするようになって行動を共にし、アルマ・マーラー、フランツ・ヴェルフェル、エルンスト・ブロッホ、トーマス・マン、パウル・デッサウ、ホーレンシュタイン、スタインバーグ、シェーンベルク、そしてかつての恋人エリーザベト・シューマンらのもとを訪れたりしています。
1941年
2月、サナトリウムで医師と衝突、怒った医師が危険な精神病患者脱走などと8つの州の警察に虚偽通報し、捕えられたクレンペラーは、ニュージャージー州の警察に26時間に渡って収監され、そのことが、鉄格子の中の写真付きで新聞にも書きたてられるなど、狂騒の時期を過ごします。4月、不適切な報道により社会的信用を失いかけていたクレンペラーは、指揮者としての復活を示すために、家族の資金でオーケストラを編成、カーネギー・ホールを借りて自主公演を開催、興行手配は有名なアーサ・ジャドソン[1881-1975]でしたが、クレンペラーは彼と6年前にニューヨーク・フィルでマーラー『復活』の公演をめぐり衝突してもいました。
1942年
移民オーケストラを指揮したりして過ごすうちに、「躁状態」も9月には沈静化。
1943年
娘ロッテが同行して東海岸ツアー。4月、ロサンジェルスの家に帰還。
1944年
ニューヨーク、ハリウッドボウル、ロサンジェルスで指揮。ロサンジェルス・フィルとの仕事も増え、シェーンベルク70歳記念連続公演も指揮。
1945年
ストラヴィンスキーと共同で指揮したロシア音楽祭で名声も回復。「躁状態」が引き起こした一連の騒動も収束に向かいますが、アメリカで定職を得ることはやはり難しく、翌年にはヨーロッパに活路を見出そうと渡欧します。なお、双極障害の症状は亡くなるまで繰り返し現れますが、このときほどひどい状態になることはありませんでした。
1946年
ストックホルム、ローマ、フィレンツェ、トリノ、バーデン・バーデン、パリに客演したほか、スイスでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮。ストックホルムでは、ピアニストのアニー・フィッシャーの夫でもある音楽学者のアラダール・トートに出会い、これが翌年のブダペスト歌劇場音楽監督への就任へと繋がります。
1947年
ロサンジェルス・フィルに客演、その後、黒人2人組の強盗に襲われ、意識を失って朝がたに警察に保護ざれるという事件に遭遇するものの、クレンペラーはほどなく渡欧。5月にパリ・オペラ座では得意の『ローエングリン』に取り組みますが、リハーサルで監督と衝突して劇場を訴えたのち、8月にはウィーン・フィルとザルツブルク音楽祭に出演してマーラーの4番とロイ・ハリスの3番ほかのオーケストラ・コンサートと、『フィガロの結婚』を指揮、その後、ウィーン国立歌劇場で『ドン・ジョヴァンニ』を指揮、そしてブダペスト国立歌劇場音楽監督に就任し、12月にはコンセルトヘボウ管弦楽団に客演するという忙しさでした。
1948年
3月にフィルハーモニア管弦楽団を初めて指揮。ストラヴィンスキー『3楽章の交響曲』とバッハの管弦楽組曲第3番、ベートーヴェン『英雄』というプログラム。5月にはベルリン・フィルを指揮してマーラー4番ほかを指揮、その後、ゲヴァントハウス管弦楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮。また、かつて歌劇場音楽監督を務めたストラスブールで、バッハ・フェスティヴァルに出演。
1949年
1月、フェルゼンシュタインと組んでベルリンで『カルメン』を上演、7か月後にはオーストラリア・ツアーに出かけて成功、11月には再びフィルハーモニア管弦楽団と演奏会。
1950年
スカラ座で『魔笛』を上演、そして前年に一党独裁国家となったハンガリー政府のたび重なる干渉に嫌気がさして、7月にはブダペスト歌劇場音楽監督を辞任、すぐに前年訪れて好感触だったオーストラリア・ツアーに3か月間に渡って出かけ、その後、10月から11月にかけてロサンジェルス・フィルとモントリオール交響楽団を指揮、11月にパリでラムルー管弦楽団、12月にベルリンでRIAS交響楽団を指揮。
1951年
1月にコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮、2月、ローマで『フィデリオ』をトラブルでキャンセル、同月イスラエルに行き、エルサレムとテル・アヴィヴで指揮、3月、ウィーン交響楽団とVOXに録音、3〜4月、コンセルトヘボウ管弦楽団とメンゲルベルク・メモリアル公演、4〜6月、ウィーン交響楽団とVOXに録音&ギリシャ・ツアー、7月、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮、8月、南米を訪れ、アルゼンチンとヴェネズエラに客演。


 この時期の録音で、当セットに収録されているのは下記の作品。曲目並びはオーケストラ別の五十音順で、末尾の()内の数字はディスク番号となります。
 手術によって健康を取り戻し、直立して指揮していたクレンペラーが、アメリカ、オーストリア、ハンガリー、オーストラリア、ドイツ、オランダのオーケストラを指揮した演奏を聴くことができます。

フレンズ・オブ・ミュージック[1942]
・バッハ:管弦楽組曲第2番(29)

「フレンズ・オブ・ミュージック」は、シェーンベルクの弟子で義兄でもあるヴァイオリニストのルドルフ・コーリッシュほかによるニューヨークの臨時編成アンサンブルです。

ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団[1945]
・J.シュトラウス:『こうもり』序曲(72)
・R.シュトラウス:ドン・ファン(69)
・トマ:『ミニョン』序曲(72)
・バッハ:あなたがそばにいてくだされば(72)
・バッハ:アリア(69)
・ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番(69)

1945年にロサンジェルス・フィルに客演した演奏では、クレンペラー自身の編曲によるバッハの「あなたがそばにいてくだされば」が注目されます。音楽監督への返り咲きをユーモラスに引っ掛けたのでしょうか。レオノーレやバッハのアリアは後年と同じスタイルですが、『こうもり』序曲の快速ぶりは強烈です。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団[1947]
・パーセル:妖精の女王(62)

ブタペスト・フィルハーモニー管弦楽団[1948]
・シューベルト:未完成(68)

ブダペスト交響楽団[1948]
・マーラー:大地の歌(65)

ハンガリー放送交響楽団[1948-1950]
・バッハ:管弦楽組曲第2番(64)
・バッハ:管弦楽組曲第4番(64)
・バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番(65)
・モーツァルト:交響曲第39番(64)
・モーツァルト:フリーメーソンのための葬送音楽(65)

バッハの管弦楽組曲第4番では第1曲で反復をおこなうなどセッション録音と異なるアプローチが聴けます。

シドニー交響楽団[1950]
・マーラー:交響曲第2番(67)

2度目のシドニー交響楽団連続演奏会の白眉となったマーラー『復活』は、演奏時間68分という快速演奏。

ベルリンRIAS交響楽団[1950]
・モーツァルト:交響曲第25番(53)
・モーツァルト:交響曲第29番(53)
・モーツァルト:交響曲第38番(54)
・モーツァルト:セレナード第6番(53)
・モーツァルト:セレナード第11番(54)

コンセルトヘボウ管弦楽団[1947-1951]
・ファリャ:スペインの庭の夜(28)
・ブルックナー:交響曲第4番(34)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(25)
・ベートーヴェン:交響曲第8番(32)
・マーラー:交響曲第2番(33)
・メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟(34)
・モーツァルト:交響曲第25番(31)
・モーツァルト:フリーメーソンのための葬送音楽(31)
・ヤナーチェク:シンフォニエッタ(27)


左大腿骨骨折と共産主義活動疑惑による2年半のブランクと復帰[1951-1958]
●フリーランス[1951-1958]

1951年
10月、クレンペラーはモントリオール交響楽団を指揮するためにカナダに到着しますが、その際、モントリオール空港でタラップから転落して左大腿骨頸部ほか数か所を複雑骨折。回復には時間がかかるため入院。
1952年
4月、ようやく退院に漕ぎつけ、5月にはウォルター・レッグとディスカッションしてEMIと契約。再びヨーロッパに演奏旅行に出ようとしたクレンペラーを待っていたのは、アメリカ政府が新たに制定したマッカラン=ウォルター法による帰化外国人の海外滞在制限でした。当時のアメリカではケネディも支持した「赤狩り」旋風が吹き荒れており、クレンペラーの職場がハンガリーだったことから共産主義活動の嫌疑をかけられ、また、なぜかナチ疑惑までかけられて、パスポートの更新拒否という処分となり、出国できなくなってしまったのです。12月、クレンペラー家はニューヨークに転居。
1953年
シカゴ、ピッツバーグ、ロサンジェルス、モントリオールと北米限定の少数の公演で指揮。その後、弁護士を雇っての交渉が実を結び、12月末に6か月間のみ有効なパスポートを獲得、再び出国できることとなります。
1954年
1月、デンマーク王立管、2月、ベルリンのRIAS響、2〜4月、ケルン放送響を指揮、5月、クレンペラーは西ドイツ国籍を取得しますが、住居に選んだのはスイスのチューリヒでした。これは妻のヨハンナが、ドイツ、オーストリア以外のドイツ語の通じる場所を希望したためです。6〜7月、コンセルトヘボウ管、7月、同じオランダでスヘーフェニンヘンのレジデンティ管を指揮、10月、ロンドンでフィルハーモニア管とEMIに初録音。同月、再びケルン放送響を指揮、11月、再びフィルハーモニア管とEMIに録音。
1955年
5〜6月、ケルン放送響、6月、ウィーン響、7月、コンセルトヘボウ管、9月、北西ドイツ放送響を指揮、10月、フィルハーモニア管とEMIに録音、同月、再びケルン放送響、11月、再びコンセルトヘボウ管、12月、BBC響を指揮。
1956年
2月、ベルリンのRIAS響、同月、ケルン放送響、3月、ウィーン響を指揮、同月、フィルハーモニア管とEMIに録音、5〜7月、コンセルトヘボウ管とベートーヴェン・チクルス、7月、フィルハーモニア管とEMIに録音、9月、スイスのモントルーでケルン・ギュルツェニヒ管、10月、バイエルン放送響を指揮、10〜11月、フィルハーモニア管とEMIに録音、11月3日、妻ヨハンナがミュンヘンの病院で死去。12月、トリノRAI響を指揮。
1957年
1月、ベルリン放送響、2月、コンセルトヘボウ管、3月、スイス・ロマンド管を指揮、同月、フィルハーモニア管とEMIに録音、4月、デンマーク王立歌劇場管、5月、コンセルトヘボウ管、6月、ケルン放送響、9月、バイエルン放送響を指揮、10〜11月月、フィルハーモニア管を指揮&EMIに録音。
1958年
1月、ケルン放送響、2月、ウィーン響、3月、ベルリン放送響、4月、フィルハーモニア管、6月、ウィーン・フィル、8月、エディンバラでフィルハーモニア管、9月、ルツェルンでベルリン・フィルを指揮。

 この大怪我の後、クレンペラーは1955年まで車椅子の生活となり、杖を使って歩けるようになってからも、椅子に座って指揮をしていました。結果として、1954年以降はかつてのような快速テンポは影を潜め、その芸風は冷静なコントロールの効いたバランスの良いスタイルに変化しています。そのため、スピード感や興奮と引き換えに、力強さや緊張感のいっそうの向上が認められ、造形的な打ち出しの強さも比類が無いという、まさにベストと思われる状態に到達します。

 この時期の録音で、当セットに収録されているのは下記の作品。曲目並びはオーケストラ別の五十音順で、末尾の()内の数字はディスク番号となります。
 ドイツ、オランダ、イギリス、フランス、イタリア、スイスと各国のオーケストラを指揮して充実した演奏を聴かせています。

ベルリンRIAS交響楽団(ベルリン放送交響楽団)[1954-1958]
・R.シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲル(51)
・ハイドン:交響曲第101番(55)
・ヒンデミット:気高い幻想(54)
・ブラームス:交響曲第2番(52)
・ベートーヴェン:交響曲第2番(51)
・ベートーヴェン:交響曲第3番(50)
・ベートーヴェン:交響曲第6番(55)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(58)
・ベートーヴェン:『エグモント』序曲(50)
・マーラー:交響曲第4番(56)
・モーツァルト:交響曲第40番(52)

クレンペラーと縁の深いベルリンに客演した、RIAS響との演奏は1954年から1958年にかけての録音。クレンペラーは1950年代から1960年代にかけてベルリンに客演を何度もおこない、得意演目中心に高水準な演奏を聴かせていました。音質も上々です。
 1955年、北ドイツ放送響との演奏は、ベートーヴェンの7番とモーツァルトの29番という得意曲で、クレンペラーが少年時代を過ごしたハンブルクへの客演。当時はまだ北西ドイツ放送響という名称でした。
 1955年、ロンドンへの客演では、音は悪いながらBBC響とのブルックナー7番が聴けます。

スヘーフェニンヘン・レジデンティ管弦楽団[1954]
・モーツァルト:『ドン・ジョヴァンニ』序曲(52)

フランス国立放送管弦楽団[1954]
・ブラームス:交響曲第1番(68)

後年、リハーサルの問題でこじれてこのオーケストラを指揮しなくなりますが、ここで聴けるブラームスは立派なものです。

ウィーン交響楽団[1955-1958]
・ブルックナー:交響曲第7番(61)
・マーラー:交響曲第4番(62)

北ドイツ放送交響楽団[1955]
・ベートーヴェン:交響曲第7番(63)
・モーツァルト:交響曲第29番(63)

BBC交響楽団[1955]
・ブルックナー:交響曲第7番(35)

ケルン放送交響楽団[1954-1956]
・グルック:『アウリスのイフィゲニア』序曲(46)
・R.シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲル(44)
・R.シュトラウス:ドン・ファン(39)
・バッハ:管弦楽組曲第3番(40)
・ヒンデミット:気高い幻想(42)
・ブラームス:交響曲第1番(40)
・ブルックナー:交響曲第4番(44)
・ブルックナー:交響曲第8番(37)
・ベートーヴェン:交響曲第1番(43)
・ベートーヴェン:交響曲第3番(41)
・ベートーヴェン:交響曲第4番(39)
・ベートーヴェン:交響曲第8番(43)
・ベートーヴェン:交響曲第9番(36)
・ベートーヴェン:『エグモント』序曲(43)
・マーラー:交響曲第4番(42)
・メンデルスゾーン:真夏の夜の夢(45)
・モーツァルト:交響曲第29番(45)
・モーツァルト:セレナード第6番(43)
・ヤナーチェク:シンフォニエッタ(39)

クレンペラーと縁の深いケルンに客演したケルン放送響との演奏は、クレンペラーが大好きなグルックの『アウリスのイフィゲニア』序曲や、ご執心だったヤナーチェクのシンフォニエッタ、そして得意のベートーヴェン1・3・4・8・9番に、ブルックナーの4番と8番、マーラーの4番にブラームス1番、メンデルスゾーン『真夏』に、バッハ、ヒンデミット、R.シュトラウス、モーツァルトという豪華なプログラム。どれも素晴らしい演奏で、音質も十分です。

コンセルトヘボウ管弦楽団[1955-1957]
・シェーンベルク:浄夜(28)
・シューベルト:交響曲第4番(19)
・R.シュトラウス:『ティル・オイレンシュピーゲル』(21)
・ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲(19)
・バッハ:管弦楽組曲第2番(24)
・ヒンデミット:気高い幻想(28)
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲(21)
・ブルックナー:交響曲第5番(20)
・ベートーヴェン:交響曲第2番(22)
・ベートーヴェン:交響曲第3番(31)
・ベートーヴェン:交響曲第4番(23)
・ベートーヴェン:交響曲第5番(23)
・ベートーヴェン:交響曲第6番(32)
・ベートーヴェン:交響曲第6番(24)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(21)
・ベートーヴェン:交響曲第8番(27)
・ベートーヴェン:交響曲第9番(26)
・ベートーヴェン:『プロメテウスの創造物』序曲、アダージョ、フィナーレ(22)
・ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番(22)
・マーラー:交響曲第4番(30)
・メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟(19)
・メンデルスゾーン:真夏の夜の夢(29)
・モーツァルト:交響曲第29番(25)
・モーツァルト:セレナーデ第13番(30)
・ワーグナー:『マイスタージンガー』第1幕前奏曲(19)

アムステルダムへの客演では、コンセルトヘボウ管とシェーンベルク:浄夜、シューベルト4番、R.シュトラウス『ティル』、ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲、バッハ:管組2番、ヒンデミット:気高い幻想、ブラームス:ハイドン変奏曲、ブルックナー5番、ベートーヴェン2・3・4・5・6・6・7・8・9番、『プロメテウスの創造物』抜粋、『レオノーレ』3番、マーラー4番、メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟、真夏の夜の夢、モーツァルト29番、セレナーデ第13番、ワーグナー:『マイスタージンガー』前奏曲を演奏。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団[1956]
・モーツァルト:交響曲第29番(38)
・モーツァルト:交響曲第41番(38)
・モーツァルト:セレナーデ第13番(38)

クレンペラーの住むスイス国内、モントルー音楽祭に出演した際のもの。得意のモーツァルトを良い音で楽しめます。ちなみにギュルツェニヒ管はクレンペラーが1917年から1924年にかけて音楽監督を務めたケルン歌劇場のオーケストラでもあります。

トリノRAI交響楽団[1956]
・シューベルト:未完成(59)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第9番(57)
・ストラヴィンスキー:『プルチネッラ』組曲(58)
・ハイドン:交響曲第101番(57)
・ベートーヴェン:交響曲第1番(59)
・ワーグナー:『マイスタージンガー』第1幕前奏曲(59)

バイエルン放送交響楽団[1956-1957]
・ストラヴィンスキー:『プルチネッラ』組曲(41)
・ハイドン:交響曲第101番(46)
・ブルックナー:交響曲第7番(47)
・マーラー:交響曲第4番(48)
・モーツァルト:交響曲第29番(46)

ミュンヘンに客演したバイエルン放送響との演奏では、ハイドンからストラヴィンスキーまで、幅広い作風の音楽を聴けます。ちなみにクレンペラーがミュンヘンを離れた11月に妻ヨハンナが同地のホテルで亡くなっています。

スイス・ロマンド管弦楽団[1957]
・バッハ:管弦楽組曲第3番(49)
・ヒンデミット:組曲『気高い幻想』(51)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(49)

スイス国内客演。バッハからヒンデミットまでの得意作品を聴けます。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[1958]
・ブルックナー:交響曲第7番(60)

スイス国内で開催されたルツェルン音楽祭に客演したもので、バランスの取れた演奏です。

フィルハーモニア管弦楽団[1957-1958]
・ハイドン:交響曲第101番(10)
・ベートーヴェン:交響曲第2番(12)
・ベートーヴェン:交響曲第4番(12)
・ベートーヴェン:交響曲第5番(10)
・ベートーヴェン:交響曲第5番(13)
・ベートーヴェン:交響曲第6番(11)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(13)
・ベートーヴェン:『エグモント』序曲(11)
・ベートーヴェン:『献堂式』序曲(10)

ロンドンへの客演では、フィルハーモニア管とのベートーヴェン2・4・5・5・6・7番とハイドン101番を聴けます。1957年のベートーヴェン・チクルスは、クレンペラーのロンドンでの名声を決定的にしたものでした。


全身大やけどによる1年間のブランクと復帰[1958-1972]
●フィルハーモニア管弦楽団[1959-1964]
●ニュー・フィルハーモニア管弦楽団[1964-1972]

1958年
5年ほど絶好調だったクレンペラーですが、10月にチューリヒの自宅で、寝タバコが原因でシーツが燃え、全身の15パーセントに及ぶ大やけどを負って重体に陥ってしまいます。その後、皮膚移植手術を何度か繰り返して 1959年
7月にはなんとか回復。その間、バイロイトでの『マイスタージンガー』や、オランダ音楽祭での『トリスタンとイゾルデ』という重要な演目がキャンセルとなってしまったものの、9月にはルツェルン音楽祭でフィルハーモニア管とハスキルとの共演で指揮に復帰。しかし10月に入ると、今度は急性良性心膜炎と診断され、メトロポリタン歌劇場で予定されていた『トリスタンとイゾルデ』をやむなくキャンセル。フィルハーモニア管との『ドン・ジョヴァンニ』のEMI録音も中止となります。ほどなく回復し、下旬にはフィルハーモニア管と『運命』『英雄』などをEMI録音、11月には終身首席指揮者となったフィルハーモニア管弦楽団とベートーヴェン・チクルスをおこなっています。
1960年
1〜3月、フィルハーモニア管とEMI録音、4月、ベロミュンスター放送管弦楽団、5月、フィルハーモニア管とEMI録音、5〜6月、フィルハーモニア管とウィーン芸術週間出演してベートーヴェン・チクルス、6月、フランス国立放送管弦楽団とEMI録音、9〜11月、フィルハーモニア管とEMI録音。
1961年
1〜5月、フィルハーモニア管とEMI録音、6月、コンセルトヘボウ管を指揮、10〜12月、フィルハーモニア管とEMI録音。
1962年
1月、コヴェントガーデンで『魔笛』。2〜3月、フィルハーモニア管とEMI録音。10〜11月、フィラデルフィア管を指揮。
1963年
1〜5月、フィルハーモニア管とEMI録音、6月、ウィーン・フィルを指揮、9〜12月、フィルハーモニア管を指揮&EMI録音。
1964年
2〜3月、フィルハーモニア管とEMI録音、3月8日、ウォルター・レッグによりフィルハーモニア管弦楽団解散。3月18日、クレンペラーはニュー・フィルハーモニア管弦楽団首席指揮者兼名誉総裁に就任。5月、ベルリン・フィル、7月、コンセルトヘボウ管を指揮、10〜11月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音、12月、ケルン放送響を指揮。
1965年
1月、バイエルン放送響、5月、ストックホルム・フィルを指揮、9月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮&EMI録音。
1966年
1〜2月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮&EMI録音、3月、ケルン放送響、4月、バイエルン放送響、5月、北ドイツ放送響、同月、ベルリン・フィルを指揮、6月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音。
1967年
2〜3月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音、5月、イスラエル放送管弦楽団、5月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮。10〜11月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音。
1968年
1〜4月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮&EMI録音、5〜6月、ウィーン・フィルを指揮、8月、エディンバラでニュー・フィルハーモニア管を指揮、9〜10月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音。
1969年
1〜3月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮&EMI録音、5月、バイエルン放送響を指揮、9〜11月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音。
1970年
1〜2月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音。5〜6月、ニュー・フィルハーモニア管とベートーヴェン・チクルス、8月、イスラエル放送管弦楽団を指揮、9月、ボンのベートーヴェン・フェスティヴァルでニュー・フィルハーモニア管を指揮、10月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音、11月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮。
1971年
1月、ニュー・フィルハーモニア管とEMI録音、5月、ニュー・フィルハーモニア管、6月、イスラエル放送管弦楽団を指揮、9月、ニュー・フィルハーモニア管を指揮&EMI録音。9月28日、ロイヤル・アカデミーの名誉会員に。
1972年
1月、ニュー・フィルハーモニア管とのブルックナーの第7番をキャンセル。EMIは肺炎などによるクレンペラーの健康状態の悪化に伴い、録音計画を取り消します。10月には小康状態となり、カテーテル付きで歩けるようにもなりますが、仕事は無理なため、12月に、娘ロッテがクレンペラーの名前を削除するようニュー・フィルハーモニア管に連絡。
1973年
4月24日、マゼールがニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してクレンペラーの交響曲第2番を演奏。クレンペラーもロンドンまで赴いて臨席。6月28日、昏睡状態に。7月6日、午後6時15分、チューリッヒの自宅で睡眠中に逝去。7月10日、フリーゼンベルクの墓地に埋葬。


 この大やけどと急性良性心膜炎の後のクレンペラーは、さらに冷静なスタイルになり、EMI録音でおなじみのクレンペラー晩年様式の世界が開かれることとなりますが、それでも実演になるとテンポはいくらか動的になり、セッション録音とは傾向が異なることも多いので、それぞれのライヴ録音には固有の性格が備わっているものと考えられます。

 この時期の録音で、当セットに収録されているのは下記の作品。曲目並びはオーケストラ別の五十音順で、末尾の()内の数字はディスク番号となります。

フィルハーモニア管弦楽団[1960-1963]
・ベートーヴェン:交響曲第1番(8)
・ベートーヴェン:交響曲第1番(3)
・ベートーヴェン:交響曲第2番(7)
・ベートーヴェン:交響曲第3番(6)
・ベートーヴェン:交響曲第4番(7)
・ベートーヴェン:交響曲第5番(3)
・ベートーヴェン:交響曲第6番(5)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(8)
・ベートーヴェン:交響曲第8番(5)
・ベートーヴェン:交響曲第8番(1)
・ベートーヴェン:交響曲第9番(9)
・ベートーヴェン:交響曲第9番(4)
・ベートーヴェン:『プロメテウスの創造物』序曲(8)
・ベートーヴェン:『献堂式』序曲(11)
・ベートーヴェン:『エグモント』序曲(6)
・ベートーヴェン:『コリオラン』序曲(6)
・マーラー:交響曲第2番(1-2)
・モーツァルト:交響曲第29番(1)

1960年ウィーン芸術週間でのベートーヴェン・チクルスのほか、翌年の第九、1963年のベートーヴェン1番と8番、そしてステレオ録音のマーラー『復活』とモーツァルト29番を収録。

コンセルトヘボウ管弦楽団[1961]
・クレンペラー:交響曲第1番(18)
・ブルックナー:交響曲第6番(18)

クレンペラーの自作、交響曲第1番と、こだわりのブルックナー第6番。

フィラデルフィア管弦楽団[1962]
・シューマン:交響曲第4番(17)
・バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番(15)
・ブラームス:交響曲第3番(16)
・ベートーヴェン:交響曲第3番(14)
・ベートーヴェン:交響曲第6番(15)
・ベートーヴェン:交響曲第7番(17)
・ベートーヴェン:『エグモント』序曲(14)
・モーツァルト:交響曲第41番(16)

久々のアメリカ遠征ではフィラデルフィア管弦楽団を指揮。モーツァルト『ジュピター』、シューマン第4番、ブラームス第3番、ベートーヴェン第3・6・7番などをステレオで収録。フィラデルフィア管としては異例の対向配置による演奏が聴けます。

【VENIAS/ヴェニアス・レーベル】
このレーベルのポリシーは、往年の個性的な演奏を手軽に楽しめるように低価格でボックス化するというもので、音についても、過剰なノイズカットや高域強調をおこなわずに、なるべく本来のサウンドを楽しめるようにするということです。(HMV)


【収録情報】

Disc1-2
● モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K201/186a
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1963年12月19日

● ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 op.93
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1963年10月14日

● マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1963年12月19日

ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音。モーツァルトとマーラーはステレオで、FM放送などでも有名だったもの。1963年後半のクレンペラーはゆとりのある指揮をすることが多かったようで、同時期のセッション録音などでもそうした傾向は顕著でしたが、ここでは実演ならではの流れの良さの中にもそうした特徴が感じられて見事な仕上がりとなっています。モーツァルトの29番は25分、マーラーは80分、ベートーヴェンは26分という演奏時間です。

Disc3
● ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 op.21
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1963年12月2日

● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年5月31日

交響曲第1番はロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音で、演奏時間は27分ほど。交響曲第5番『運命』は、ウィーンを訪れた際のムジークフェラインザールでの録音。演奏時間は35分ほど。クレンペラーは体調も絶好調だったようで、ベートーヴェンの連続演奏会を大成功に導いていました。

Disc4
● ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op.125『合唱』
アグネス・ギーベル(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
リチャード・ルイス(テノール)
ワルター・ベリー(バリトン)
フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
録音:1961年11月27日

ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音で、演奏時間は68分ほど。常よりも速めのテンポが設定されており、同年3月に大成功を収めた『フィデリオ』同様、自然な息づきを感じさせながらも巨大で推進力に富むという稀有な演奏を堪能することが可能です。なお、4人のソリストは、全員マーラーもレパートリーとする歌手であるのが興味深いところです。それにしても面白いのは、現存するクレンペラーの第九のテノールが、7種類中、6種類までが『大地の歌』の名唱で知られる歌手たちによるものであるという点。

Disc5
● ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 op.93
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月4日

● ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月2日

Disc6
● ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年5月29日

● ベートーヴェン:『エグモント』序曲 op.84
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年5月31日

● ベートーヴェン:『コリオラン』序曲 op.62
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月4日

Disc7
● ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 op.36
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年5月29日

● ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年5月31日

Disc8
● ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 op.21
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月7日

● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月2日

● ベートーヴェン:『プロメテウスの創造物』序曲 op.43
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月2日

Disc9
● ベートーヴェン:交響曲第9番二短調 op.125『合唱』
ヴィルマ・リップ(ソプラノ)
ウルズラ・ベーゼ(アルト)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
フランツ・クラス(バス)
ウィーン楽友協会合唱団
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月7日

ムジークフェラインザールでの録音。ウィーン芸術週間出演のため、フィルハーモニア管弦楽団を率いてウィーンを訪れたクレンペラーは体調も絶好調だったようで、ベートーヴェンの連続演奏会を大成功に導いています。初日の5月29日には、得意の『英雄』と第2番ほかを演奏。この日は同じ楽友協会大ホールで、昼間にはブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルによりマーラーの4番と『未完成』が演奏されたという記念すべき日で、情緒豊かなワルターの演奏会に対して、クレンペラーの演奏会は、聳え立つようなスケールと力強さで迫る『英雄』など対照的なものでした。クレンペラーのこのときのベートーヴェン・ツィクルスの成功は、『エグモント』序曲の有名なリハーサル映像でも窺えるように、厳しい練習の果てにもたらされたものといえ、重要な要素については細かい音形でも徹底的に正確に再現するというフォルム重視の基本姿勢がよくあらわれています。そのため、自由度の増す実演とはいっても、フォルムに破綻をきたすことはなく、実演ならではの音の勢いを吸収しながらも、堅牢で豊富な情報を完璧に示す稀有なベートーヴェン像が築かれています。

Disc10
● ベートーヴェン:『献堂式』序曲 op.124
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1958年8月24日

● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1958年8月24日

● ハイドン:交響曲第101番ニ長調『時計』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1958年8月24日

エディンバラのアッシャー・ホールでの録音。スコットランドのエディンバラ音楽祭での演奏で『運命』は両端楽章呈示部反復ありで33分ほどという快速タイム。
 『献堂式』序曲は11分、
 ハイドン『時計』は27分という演奏時間で、クレンペラーが「寝タバコ全身大やけど重体事件」を起こす直前の演奏ということがよくわかるテンションの高い雰囲気が魅力的。

Disc11
● ベートーヴェン:『献堂式』序曲 op.124
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年5月29日

● ベートーヴェン:『エグモント』序曲 op.84
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1957年11月3日

● ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1958年10月7日

『献堂式』序曲はムジークフェラインザールでの録音で演奏時間は11分。
 『エグモント』序曲はロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音で、演奏時間は9分17秒。
 『田園』はエディンバラのアッシャー・ホールでの録音で第1・3楽章反復ありで42分という快適テンポ。Disc10の『運命』に通じるテンションの高い雰囲気が魅力。

Disc12
● ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 op.36
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1957年10月24日

● ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1957年11月8日

ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音。第2番はEMIセッション録音の約3週間後の収録ですが、演奏時間はセッションが37分31秒に対し、ライヴが34分21秒と速めのテンポ。
&nnbsp;第4番は約2週間後の収録で、演奏時間はセッションが35分40秒に対し、ライヴが34分17秒と若干速めのテンポとなっています。

Disc13
● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1957年10月24日

● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1957年11月3日

ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音。第5番はEMIの最初のセッション録音の2年後の収録ですが、演奏時間はセッションが35分2秒に対し、ライヴが34分9秒と若干速めのテンポ。
 第7番はEMIの最初のセッション録音の2年後の収録ですが、演奏時間はセッションが36分56秒に対し、ライヴが37分4秒とほぼ同じになっています。

Disc14
● ベートーヴェン:『エグモント』序曲 op.84
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年10月27日

● ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年10月20日

Disc15
● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV.1046
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年11月3日

● ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年10月20日

Disc16
● モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年11月3日

● ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年10月27日

Disc17
● シューマン:交響曲第4番ニ短調 op.120
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年10月27日

● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1962年11月3日

クレンペラーがオーマンディ時代のフィラデルフィア管弦楽団に客演した際のライヴ録音。音質には問題がありますが貴重な記録です。ストコフスキー、オーマンディと続き、「モダン配置」の牙城でもあったフィラデルフィア管弦楽団ですが、このときのクレンペラーは同地に2週間ほど滞在したこともあってか、同楽団としてはきわめて珍しい「正統配置(ヴァイオリン両翼型)」を導入して演奏に臨んでおり、エグモント、英雄、田園、ブラ3ではいちおうステレオで聴くことができるのは朗報です。

Disc18
● ブルックナー:交響曲第6番イ長調 WAB106 (ハース版)
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1961年6月22日

● クレンペラー:交響曲第1番
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1961年6月22日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。ブルックナー第6番はEMIセッション録音の3年前の収録となりますが、テンポ配分は大きく異なっています。トータルではセッション54分55秒に対し、ライヴ50分41秒と4分も違っていますが、第1楽章についてはコンセルトヘボウ盤の方が10秒遅く、冒頭のゴツゴツしたリズム動機の扱いや、続く第1主題での巨大さ、数多い構成動機を際立たせながら表出するあたりはいかにもクレンペラーらしいところで、その情報量の多さ、荒っぽいまでの迫力はさすが。一方で第2楽章はライヴが2分速く、スケルツォで同じく49秒、フィナーレで1分41秒速いという時間配分になっており、けっこうメリハリの効いたスタイルになっています。
 1960年に完成した自作の交響曲第1番は2楽章構成で18分というコンパクトな作品。後期ロマン派風な雰囲気が基調で、ヒンデミットやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー風な近代要素から『オテロ』の二重唱の伴奏を思わせる部分、不気味なラ・マルセイエーズに至るまでコラージュ的な面白さの感じられる親しみやすい音楽で結尾の美しさも魅力的。クレンペラーはこの作品のセッション録音をおこなわなかったので、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したこの録音の存在は貴重。音質もモノラルながら良好です。

Disc19
● メンデルスゾーン:序曲『フィンガルの洞窟』op.26
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月21日

● シューベルト:交響曲第4番ハ短調 D417『悲劇的』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月21日

● ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲 op.26
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月21日

● ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月21日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。一部音質に難あり。クレンペラーのシューベルト交響曲第4番は1950年のVOX録音しかないのでコンセルトヘボウ録音は貴重。演奏時間は似ていますが、コンセルトヘボウとの演奏では起伏が大きく表情付けもより濃やかになっています。ちなみに第1楽章がVOX6分47秒でコンセルトヘボウ9分10秒なのは呈示部反復をVOXでは実施していないためで、未実施状態としてコンセルトヘボウを計算すると7分2秒になり似た感じです。
 ストラヴィンスキーの3楽章の交響曲は、1962年EMIセッション録音が24分27秒に対してコンセルトヘボウが23分45秒。実演ならではの第1楽章の物々しい表現やティンパニの音の大きさによって迫力ある演奏となっています。
 『フィンガルの洞窟』は1960年EMIセッション録音10分14秒に対し9分34秒と40秒ほど速く、『マイスタージンガー』は1960年EMIセッション録音10分57秒に対し10分6秒と51秒ほど速なっています。どちらも広々と冷静なセッション録音に対し、熱いライヴという違いが出ています。

Disc20
● ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 WAB105
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月16日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。音質に難あり。クレンペラーのブルックナー交響曲第5番は、1967年のEMIセッション録音が79分27秒だったのに対し、10年違いのこのコンセルトヘボウ録音は67分37秒と約12分も演奏時間が違っているのが特徴。残念ながら音は冴えませんが、第4楽章コーダなどすごいです。

Disc21
● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月13日

● ブラームス:『ハイドンの主題による変奏曲』 op.56a
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月7日

● R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.28
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月7日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。一部音質に難あり。クレンペラー得意のベートーヴェン第7番。コンセルトヘボウとの録音は、EMIの最初のセッション録音の翌年の収録で、演奏時間はセッションが36分56秒に対し、ライヴが37分44秒となっています。
 『ハイドンの主題による変奏曲』は1954年EMIセッション録音16分54秒に対し17分28秒と34秒ほど遅くなっています。
 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』1960年EMIセッション録音15分1秒に対し14分13秒と48秒ほど速くなっており、実演らしいノリの良さも感じられます。

Disc22
● ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 op.36
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月2日

● ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番 op.72b
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月2日

● ベートーヴェン:バレエ音楽『プロメテウスの創造物』op.43〜序曲、アダージョ、フィナーレ
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月2日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。一部音質に難あり。クレンペラー得意のベートーヴェン交響曲第2番。コンセルトヘボウとの録音は、EMIのセッション録音の翌年の収録で、演奏時間はセッションが37分31秒に対し、ライヴが35分59秒と1分半ほど速くなっています。
 『レオノーレ』序曲第3番は1954年EMIセッション録音13分32秒に対し13分33秒とほぼ同じ。
 『プロメテウスの創造物』抜粋は1969年にEMIでセッション録音もおこなっていますが23分35秒に対し20分34秒と3分ほど速くなっています。豪快な序曲、個性的な抒情が面白いアダージョ、そして『英雄』交響曲に転用された旋律が印象深いフィナーレを実演らしいノリの良い演奏で聴かせます。

Disc23
● ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月9日

● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月9日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。一部音質に難あり。交響曲第4番のコンセルトヘボウとの録音は、EMIのセッション録音の前年の収録で、演奏時間はセッションが35分40秒に対し、ライヴが34分42秒と1分半ほど速くなっています。
 交響曲第5番『運命』のコンセルトヘボウとの録音は、EMIの最初のセッション録音の2年後の収録で、演奏時間はセッションが35分2秒に対し、ライヴが35分46秒と若干遅くなっています。

Disc24
● バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV.1067
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1957年2月7日

● ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月13日

管弦楽組曲第2番のコンセルトヘボウとの録音は、EMIのセッション録音の2年後の収録で、演奏時間はセッションが22分33秒に対し、ライヴが22分54秒と21秒遅くなっています。
 交響曲第6番『田園』のコンセルトヘボウとの録音は、EMIのセッション録音の前年の収録で、演奏時間はセッションが45分58秒に対し、ライヴが44分28秒と速くなっています。

Disc25
● モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K201/186a
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年7月12日

● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1951年4月26日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。音質に難あり。交響曲第29番のコンセルトヘボウとの録音は、EMIのセッション録音の2年後の収録で、演奏時間はセッションが24分43秒に対し、ライヴが24分08秒と35秒ほど速くなっています。
 ベートーヴェン第7番は35分31秒で1955年EMIセッション録音の36分56秒よりも速くなっています。

Disc26
● ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op.125『合唱』
グレ・ブロウェンスティーン(ソプラノ)
アニー・ヘルメス(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ハンス・ウィルブリンク(バリトン)
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月17日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。クレンペラーの第9は数多く遺されていますが、コンセルトヘボウ録音は非常にバランスの良い演奏内容とモノラルながら良好な音質でマニアに知られてきた傑作。ちなみに1957年EMIセッション録音は72分10秒でしたがコンセルトヘボウのは67分21秒と5分近い差があります。

Disc27
● ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 op.93
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1956年5月17日

● ヤナーチェク:『シンフォニエッタ』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1951年1月11日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。交響曲第8番はEMIセッション録音の前年の収録で、セッション27分51秒に対し、26分51秒と1分ほど速いノリの良い演奏となっています。
 ヤナーチェクのシンフォニエッタはクレンペラーがセッション録音していない作品ですが、初演後間もない時期にクレンペラーはヤナーチェクに手紙で演奏したい旨を伝え、ドイツ初演、アメリカ初演、ソ連初演をおこなっていたので、作品へのこだわりは強かったようです。ライヴ録音は2種類遺されていますが、音の状態やオケのコンディション、思い切った表情付けの面白さなどでケルン放送響録音が聴きごたえがありますが、コンセルトヘボウ録音もクレンペラーの解釈の変化を知るためには貴重です。

Disc28
● ヒンデミット:組曲『気高い幻想』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年7月7日

● シェーンベルク:『浄夜』op.4
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年7月7日

● ファリャ:交響的印象『スペインの庭の夜』
ウィレム・アンドリーセン(ピアノ)
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1951年1月11日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。『気高い幻想』はEMIセッション録音の翌年の収録で、セッション20分35秒に対し、20分2秒と若干速めの演奏となっています。
 『浄夜』はファンの間では有名な激しく濃厚な演奏。需要と供給の関係もあってかクレンペラーは親しかったシェーンベルクのセッション録音をおこなえませんでしたが、ここでは若きシェーンベルクの熱い思いを見事に表現しています。
 『スペインの庭の夜』も唯一の録音。ピアノ独奏の活躍する近代の交響詩のような音楽ですが、大怪我前のクレンペラーの指揮は即物的な傾向が強く、雰囲気的なアプローチ主体のこの作品の演奏では異質で面白いとも言えます。

Disc29
● バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV.1067
フレンズ・オブ・ミュージック
録音:1942年12月14日

● メンデルスゾーン:劇付随音楽『真夏の夜の夢』op.61(抜粋)(ドイツ語歌唱)
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年11月3日

● グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』〜「シャコンヌ」
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1961年6月22日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。音質に難あり。
 『真夏の夜の夢』(10曲構成)は、1960年EMIセッション録音47分53秒に対し、43分9秒と速めのテンポ。スケルツォなどかなり違います。驚くのはフィナーレ。冒頭に49秒ほどクレンペラーによる「導入部」が演奏されているのです。「結婚行進曲」や序曲などの素材を用いたこの導入部演奏、セッション録音ではおこなっていないので、実演でのクレンペラーの自由さが偲ばれます。ちなみにクレンペラーは後年、バイエルンでのメンデルスゾーン『スコットランド』で結尾を差し替えるという改変をおこなっていましたが元祖はこちらということでしょうか。もっともこちらは「追加」ですが。
 グルックの『シャコンヌ』はクレンペラー唯一の録音。戦前はグルックのオペラ上演にも意欲的に取り組んでいたクレンペラーならではのレパートリー。

Disc30
● マーラー:交響曲第4番ト長調
マリア・シュターダー(ソプラノ)
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年11月10日

● モーツァルト:セレナーデ第13番『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年11月10日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。マーラーの交響曲第4番はトータル52分47秒とEMIセッション録音の54分53秒に対し2分ほど速くなっていますが、第3楽章は逆にライヴが19分5秒、セッションが18分9秒と約1分遅くなっているというところが注目されます。
 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は、4カ月違いの1956年EMIセッション録音17分48秒に対し、16分8秒と速めのテンポです。

Disc31
● ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年7月7日

● モーツァルト:交響曲第25番ト短調 K.183
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1951年1月18日

● モーツァルト:『フリーメーソンのための葬送音楽』K.477
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1951年7月12日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。1955年録音の『英雄』は49分7秒と、5か月後のEMIセッション録音の52分27秒よりだいぶ速くなっています。
 モーツァルト交響曲第25番は、1956年EMIセッション録音19分15秒に対し、16分23秒と猛烈な速度で驚かされます。特に第1楽章は強烈です。
 モーツァルト『フリーメーソンのための葬送音楽』は、1964年EMIセッション録音5分26秒に対し、4分59秒となっています。

Disc32
● ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年7月7日

● ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 op.93
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1949年5月1日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。『田園』は42分58秒で1957年EMIセッション録音の45分58秒よりも速くなっています。
 ベートーヴェン:交響曲第8番は23分58秒で1957年EMIセッション録音の27分51秒よりも大幅に速くなっています。非常に迫力のある演奏です。

Disc33
● マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
キャスリーン・フェリアー(コントラルト)
ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)
コンセルトヘボウ管弦楽団&合唱団
録音:1951年7月12日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。トータル71分26秒とこの作品のCDの中で最速の演奏。ブダペスト国立歌劇場のポストを離れ、いよいよ西欧での復帰活動が本格化してきたクレンペラーは気合も十分。フェリアーの歌唱も含めてすごい内容です。
Disc34
● メンデルスゾーン:序曲『フィンガルの洞窟』op.26
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1947年12月4日

● ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB.104『ロマンティック』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1947年12月4日

アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールでの録音。『フィンガルの洞窟』は1947年録音で演奏時間8分42秒と、1960年EMIセッション録音の10分13秒に対し大幅に速くなっています。当時のクレンペラーはブダペスト国立歌劇場の音楽監督に就任したばかりで、1954年の大けがや1958年のおおやけどの前ということもあり、速めのテンポとなっています。
 トータル53分51秒と1951年VOXセッション録音の51分20秒ほどではないもののかなりの快速演奏。ハース版。

Disc35
● ブルックナー:交響曲第7番変ホ長調 WAB.107
BBC交響楽団
録音:1955年12月2日

Disc36
● ベートーヴェン:交響曲第9番二短調 op.125『合唱』
マリア・シュターダー(ソプラノ)
グレース・ホフマン(メゾソプラノ)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
ハンス・ホッター(バリトン)
ケルン放送合唱団
ケルン放送交響楽団
録音:1958年1月6日

ケルンでの録音。直前におこなわれたフィルハーモニアとのセッション録音、ライヴ録音と同じ解釈ながら、オーケストラとコーラスの違いからか、こちらの方がよりソリッドな力強さに満ちているのがポイント。男声ソリスト2人はフィルハーモニアと共通で、ホッターの歌唱などまるでヴォータンのような神々しい力強さで迫ってきます。合唱パートもやはり力強く克明で、神秘性よりも実在感を重視したクレンペラーならではのスタイルがより徹底されている印象です。

Disc37
● ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 WAB.108 [ノヴァーク版]
ケルン放送交響楽団
録音:1957年6月7日

ケルンでの録音。クレンペラーはEMIセッション録音では第4楽章の展開部の大部分と再現部の第3主題部をカットしてしまうという暴挙に出ていましたが、ここではノーカットで演奏していました。テンポもセッション録音ではかなり遅かったのですが、こちらはトータル71分53秒とけっこうな快速ぶりです。

Disc38
● モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K201/186a
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
録音:1956年9月9日

● モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
録音:1956年9月9日

● モーツァルト:セレナーデ第13番『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
録音:1956年9月9日

モントルー音楽祭での録音。モーツァルト交響曲第29番はEMIのセッション録音の2年後の収録で、演奏時間はセッションが24分43秒に対し、23分25秒と1分20秒ほど速くなっています。
 交響曲第41番『ジュピター』はEMIの最初のセッション録音の2年後の収録で、演奏時間はセッションが28分53秒に対し、ライヴが32分53秒となっています。ライヴの方は第1楽章呈示部の反復をおこなっています。『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は半年違いの1956年EMIセッション録音17分48秒に対し、17分5秒と速めのテンポです。

Disc39
● ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
ケルン放送交響楽団
録音:1954年10月25日

● ヤナーチェク:『シンフォニエッタ』
ケルン放送交響楽団
録音:1956年2月27日

● R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』op.20
ケルン放送交響楽団
録音:1956年2月27日

ヤナーチェク『シンフォニエッタ』の録音はライヴ2種類が遺され、コンセルトヘボウとの1951年の演奏は23分5秒、ケルン放送響との1956年の23分16秒とトータルは似ていますが、ケルン盤では、第2楽章が12秒遅く、第3楽章が23秒速く、第5楽章が18秒遅くなっており、テンポ設定はけっこう異なります。
 『ドン・ファン』はEMIセッション録音の4年前の収録で、演奏時間はセッションが17分13秒に対し、16分9秒と1分4秒速くなっています。

Disc40
● バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068
ケルン放送交響楽団
録音:1955年10月17日

● ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
ケルン放送交響楽団
録音:1955年10月17日

ブラームスはクナッパーツブッシュの演奏と信じて売られていた(いる)もので、ファンの間ではとりわけ有名だったもの。全編をつらぬくガッチリとした造形がこたえられない魅力となっています。EMIセッション録音44分13秒に対し、41分44秒と速くなっています。
 バッハ管弦楽組曲第3番は22分59秒と、1954年EMIセッション録音が23分10秒と近い数字になっています。

Disc41
● ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』
ケルン放送交響楽団
録音:1954年2月8日

● ストラヴィンスキー:『プルチネッラ』組曲
バイエルン放送交響楽団
録音:1957年9月27日

『英雄』は1954年におこなわれた有名なEMIのセッション録音が49分27秒だったのに対し、47分12秒と大幅に速くさらにエネルギッシュな仕上がりとなっています。

Disc42
● マーラー:交響曲第4番ト長調
エルフリーデ・トレッチェル(ソプラノ)
ケルン放送交響楽団
録音:1954年2月21日

● ヒンデミット:組曲『気高い幻想』
ケルン放送交響楽団
録音:1954年2月8日

トータル・タイム49分9秒は、全てのマーラー第4番のディスクの中でも最速となるものですが、時間の短さは主に第3楽章の16分52秒というタイムに起因しているので、ほかの楽章がそれほど極端に速いというわけではありません。 が、スタジオ録音のEMI盤に較べると、トータルで5分違うので印象はやはり大きく異なります。この演奏の特徴は、作品のイメージそのままに推進力に満ちたテンポ設定がおこなわれている点と、飛び交う数々のフレーズにより、魅惑的な場面が連続的に形成されているということになるでしょうか。ここにはEMI盤のように足を止めて景色をじっくり眺めるといった雰囲気はありませんが、快適なテンポで闊歩し、それぞれの景色を積極的に楽しむといった趣があります。ソプラノのトレッチェルも明るく屈託の無い歌唱で曲にふさわしい仕上がりです。
 『気高い幻想』はEMIセッション録音の8ヶ月前の収録で、セッション20分35秒に対し、20分14秒と近い数字になっています。

Disc43
● ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 op.21
ケルン放送交響楽団
録音:1954年2月21日

● ベートーヴェン:交響曲第8番ハ長調 op.21
ケルン放送交響楽団
録音:1955年5月28日

● ベートーヴェン:『エグモント』序曲 op.84
ケルン放送交響楽団
録音:1955年5月28日

● モーツァルト:セレナード第6番ニ長調KV.239『セレナータ・ノットゥルナ』
ケルン放送交響楽団
録音:1954年10月25日

Disc44
● ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB.104『ロマンティック』
ケルン放送交響楽団
録音:1954年4月5日

● R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.28
ケルン放送交響楽団
録音:1954年10月25日

ブルックナーは過去に複数のレーベルから出ていた有名な演奏で、のちのフィルハーモニア管との録音と比較しても全体に4分半ほど短くテンポが速めとなっています。ノヴァーク版。

Disc45
● モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K201/186a
ケルン放送交響楽団
録音:1954年2月8日

● メンデルスゾーン:劇付随音楽『真夏の夜の夢』op.61(ドイツ語歌唱)
ケイト・メーラー=ジーパーマン(ソプラノ)
ハンナ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
ケルン放送合唱団
ケルン放送交響楽団
録音:1955年6月9-11日

演奏はどちらも50年代半ばのクレンペラーならではの優れた特徴を備えたもので、特にメンデルスゾーンはこの時期ならではの適度な重みを持ったフットワークの良さが、作品の内容に合致して魅力的な仕上がり。

Disc46
● グルック:歌劇『アウリスのイフィゲニア』序曲
ケルン放送交響楽団
録音:1956年2月27日

● モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K201/186a
バイエルン放送交響楽団
録音:1956年4月12日

● ハイドン:交響曲第101番ニ長調『時計』
バイエルン放送交響楽団
録音:1956年10月19日

『アウリスのイフィゲニア』序曲はEMIセッション録音が11分39秒に対し、11分と、39秒ほど速くなっています。

Disc47
● ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB.107
バイエルン放送交響楽団
録音:1956年4月12日

トータル・タイムは1960年のフィルハーモニア盤65分に対し、バイエルン盤58分と全楽章を通じて速めのテンポ設定ながら、細部に至るまで豊かな表情が盛り込まれ、なおかつテンションの高い演奏スタイルはこの時期のクレンペラーならでは。ノヴァーク版。

Disc48
● マーラー:交響曲第4番ト長調
エリーザベト・リンダーマイヤー(ソプラノ)
バイエルン放送交響楽団
録音:1956年10月19日

タラップ転落事故による怪我も癒え、絶好調だったクレンペラーのエネルギーがほとばしる演奏。作品のイメージそのままに推進力に満ちたテンポ設定がおこなわれ、飛び交う数々のフレーズにより、魅惑的な場面が連続的に形成されるといった印象です。ここにはEMI盤のように足を止めて景色をじっくり眺めるといった雰囲気はありませんが、快適なテンポで闊歩し、それぞれの景色を積極的に楽しむといった趣があります。指揮者ケンペ夫人でもあるソプラノのリンダーマイヤーも美しい歌唱を聴かせています。

Disc49
● バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年3月6日

● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年3月6日

Disc50
● ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』
ベルリン放送交響楽団
録音:1958年3月29日

● ベートーヴェン:『エグモント』序曲 op.84
ベルリン放送交響楽団
録音:1958年3月29日

Disc51
● ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 op.36
ベルリン放送交響楽団
録音:1958年3月29日

● R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.28
ベルリン放送交響楽団
録音:1957年1月21日

● ヒンデミット:組曲『気高い幻想』
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年3月6日

Disc52
● ブラームス:交響曲第2番ニ長調 op.73
ベルリン放送交響楽団
録音:1957年1月21日

● モーツァルト:交響曲第40番ト短調 KV.550
ベルリン放送交響楽団
録音:1957年1月21日

● モーツァルト:『ドン・ジョヴァンニ』序曲
レジデンティ管弦楽団
録音:1954年6月26日

Disc53
● モーツァルト:セレナード第6番ニ長調KV.239『セレナータ・ノットゥルナ』
RIAS交響楽団
録音:1950年12月21、22日

● モーツァルト:交響曲第25番ト短調KV.183
RIAS交響楽団
録音:1950年12月20日

● モーツァルト:交響曲第29番イ長調KV.201
RIAS交響楽団
録音:1950年12月20日

Disc54
● モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504『プラハ』
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1950年12月22、23日

● モーツァルト:セレナード第11番変ホ長調 K.375
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1950年12月

● ヒンデミット:組曲『気高い幻想』
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1954年2月15日

Disc55
● ハイドン:交響曲第101番ニ長調『時計』
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1956年2月12日

● ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1954年2月15日

ハイドンはスタジオ盤での比較的ノーマルな演奏とは大きく異なるアプローチが素晴らしく、緩急の激しさや陰影の濃さ、強い拍節感が特徴的です。

Disc56
● マーラー:交響曲第4番ト長調
エルフリーデ・トレッチェル(ソプラノ)
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1956年2月12日

● R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.28
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月21日

Disc57
● ハイドン:交響曲第101番ニ長調『時計』
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月21日

● ショスタコーヴィチ:交響曲第9番変ホ長調 op.70
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月21日

Disc58
● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
ベルリンRIAS交響楽団
録音:1954年10月1日

● ストラヴィンスキー:『プルチネッラ』組曲
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月21日

Disc59
● ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月17日

● シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759『未完成』
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月17日

● ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 op.21
トリノRAI交響楽団
録音:1956年12月17日

クレンペラーは戦後、世界各地のオーケストラに客演、イタリアも何度も訪れておりいくつかのライヴ録音も遺されていますが、録音やオーケストラのコンディションが良くないものが多いという難点もありました。中ではこの1956年の録音は条件に恵まれ、『マイスタージンガー』では各パートを鮮やかに描き出しています。

Disc60
● ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB.107
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1958年9月3日

1958年9月3日、ルツェルン音楽祭でのライヴ録音。クレンペラーが「寝タバコ全身大やけど重体事件」を起こす直前の演奏で、壮健な健康状態を反映したテンションの高い雰囲気とベルリン・フィルの重厚なサウンドに特徴がありますが、バイエルン盤から2年を経過していることもあってか、アダージョ以外は若干落ち着いた演奏となっているのが作品にはかえってふさわしいとも言えそうです。

Disc61
● ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB.107
ウィーン交響楽団
録音:1958年2月26日

Disc62
● マーラー:交響曲第4番ト長調
テレサ・シュティッヒ=ランダル(ソプラノ)
ウィーン交響楽団
録音:1955年6月21日

● パーセル:組曲『妖精の女王』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年8月24日

Disc63
● モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K201/186a
北ドイツ放送交響楽団
録音:1955年9月28日

● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
北ドイツ放送交響楽団
録音:1955年9月28日

ベートーヴェンの第7番は得意曲で、ここでのアプローチはEMI旧盤(1955年)に似ており、1960年盤のような第1楽章序奏部オクターヴ上げなどはおこなっていません。
 モーツァルトの29番もクレンペラー得意の曲で、1963年のライヴなども素晴らしい美感を示したものでしたが、この演奏ではより生命力が強く快活なイメージが支配的。ホルンの元気なことも要因でしょうが、品格よりは推進力を感じさせ、若いモーツァルトの作品にはむしろふさわしいとも言えそうです。

Disc64
● モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543
ハンガリー放送交響楽団
録音:1949年4月17日

● バッハ:管弦楽組曲第4番ニ長調 BWV.1069
ハンガリー放送交響楽団
録音:1949年1月17日

● バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV.1067
ハンガリー放送交響楽団
録音:1949年6月24日

Disc65
● マーラー:『大地の歌』
ユーディト・シャーンドル (ソプラノ)
エンドレ・レスラー (テノール)
ブダペスト交響楽団
録音:1948年11月2日

● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
ハンガリー放送交響楽団
録音:1950年1月13日

● モーツァルト:『フリーメーソンのための葬送音楽』
ハンガリー放送交響楽団
録音:1948年11月2日

第2次大戦後、ヨーロッパに戻ったクレンペラーの最初の重要な仕事は、ハンガリー国立歌劇場の音楽監督というもので、ワーグナーやモーツァルトなどで注目される上演をおこなっていました。この時期の演奏の特徴はとにかくテンポが速いこと。ここでもトータル50分40秒と、快速で知られる3年後のVOX録音に較べても2分以上速い演奏時間となっており、『大地の歌』史上、最速の演奏となっています。後年のEMI盤とは実に13分も違いますが、基本的な解釈は変わっておらず、勢いの良さゆえの粗暴な感覚、ハンガリーの2人の歌手による力強い歌唱は、もともとのクレンペラーの『大地の歌』の持ち味でもある荒涼・殺伐といった面をさらに際立たせて痛快。1948年のライヴ録音なので音質は冴えませんが、クレンペラー・ファンにとっては資料としても貴重な録音と言えると思います。

Disc66
● マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
ヒルデガルト・レッスル=マイダン(アルト)
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1963年6月13日

Disc67
● マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
ヴァルダ・バグノール(ソプラノ)
フローレンス・テイラー(アルト)
ハールストーン合唱協会
シドニー交響楽団
録音:1950年9月日

史上最速。シドニー交響楽団を指揮して大成功を収めたコンサートの放送録音。終演後、静寂の後に雷鳴のような拍手が湧き起こったという伝説の公演ですが、古いライヴゆえ音質の方は当時としてもいまひとつの水準。おまけに歌詞は英語版で、ごくごく僅かながら欠落もあるとはいえ、クレンペラーの解釈そのものは、力にあふれた実に素晴らしいもの。その精悍なフォルムと緊迫感、高揚感は素晴らしく、有名な翌年のコンセルトヘボウ盤ととても雰囲気が似ています。

Disc68
● シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759『未完成』
ブタペスト・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1948年6月18日

● ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
フランス国立放送管弦楽団
録音:1954年9月17日

Disc69
● ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番 op.72b
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1945年12月16日

● バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068〜「アリア」
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1945年12月16日

● R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』op.20
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1945年12月16日

● ブラームス(シェーンベルク編):ピアノ五重奏曲第1番 op.25
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年5月7日

Disc70
● ベルリオーズ:歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲op.23
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年1月1日

● モーツァルト:交響曲第35番ニ長調 K.385『ハフナー』
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年1月1日

● ドビュッシー:『牧神の午後への前奏曲』
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年1月1日

● R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.28
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年1月1日

● ヘンデル(シェーンベルク編):コンチェルト・グロッソ op.6-7
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年1月6日

Disc71
● ヴェルディ:歌劇『シチリア島の夕べの祈り』序曲
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1935年1月1日

● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1935年1月1日

● ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1935年1月1日

● ワーグナー:『リエンツィ』序曲
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1937年6月6日

● ガーシュウィン:前奏曲第2番
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1937年9月8日

● アルベニス(アルボス編):組曲『イベリア』〜「トゥリアーナ」
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1937年6月6日

Disc72
● J.シュトラウス:『こうもり』序曲
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1945年2月11日

● トマ:歌劇『ミニョン』序曲
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1945年2月11日

● バッハ:『あなたがそばにいてくだされば』BWV.508
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1945年2月11日

● ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 WAB.109
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
録音:1934年10月14日

ブルックナーは、アメリカに亡命したクレンペラーが、トスカニーニ時代のニューヨーク・フィルを指揮した演奏。最晩年のEMI盤より約10分も速いタイムとなっています。

総合評価

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4.5

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きょう商品が届いたばかりですが、思いの外...

投稿日:2018/02/25 (日)

きょう商品が届いたばかりですが、思いの外、リマスタリングは良いかもの感あり。いま聴いてみた1960年5月ウィーン芸術週間のベートーベン第5は、MEMRIESはもちろん、Altusのsacdと比べても音に潤いがあって聞きやすく、購入してよかったと思っています。

surwolf さん | 東京都 | 不明

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大量のライヴ録音を収集したことは素晴らし...

投稿日:2017/11/01 (水)

大量のライヴ録音を収集したことは素晴らしいと思います。ただ,別のレビュアーの方も指摘しているように,収録順・1枚のCD内のカップリングに規則性が余り見られないので,マイナス1とします。

Poirot さん | 東京都 | 不明

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とにかく72枚という膨大なものですから、ど...

投稿日:2017/09/02 (土)

とにかく72枚という膨大なものですから、どこから聴くべきか。 とりあえず1枚目から72枚目と外から内へと順番に(?)聴いていますが、70枚目ですが、順番が訳が分からない! 再生される順番が、全くいい加減。まあこれは72枚もあるうちのご愛嬌ということで。 それはともかく、この演奏があるから晩年のあのクレンペラーがあるのだと改めて確認しながら聴いています。

642reims1955 さん | 福島県 | 不明

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