アレクサンドル・ガウク〜ライヴ・レコーディングズ(22CD))
ムラヴィンスキーやスヴェトラーノフの師匠としても知られる名指揮者、アレクサンドル・ガウクのコレクション。
ウクライナ・ドイツ人の家系に生まれたガウクは、ロシア帝国がソ連へと姿を変える激動の時代に生きた人物で、レニングラード・フィル、ソ連国立交響楽団、モスクワ放送交響楽団の音楽監督という重要ポジションを歴任、多くのライヴ録音も遺しています。
今回登場するセットは、有名な
ブリリアントの2巻ボックス・プラス・アルファといった内容で、重厚なベートーヴェンの『運命』、ショスタコーヴィチの交響曲第8番と祝典序曲、レスピーギの『ローマの松』という、ブリリアントには入っていなかった曲も含めて、聴きごたえある演奏を数多く楽しめる内容となっています。
【アレクサンドル・ガウク】
ロシア帝国生まれの指揮者
ロシア/ソ連では、ロマノフ朝[1613-1917]の末期から劇場やオーケストラが増えたこともあって多くの職業指揮者が登場。洗練されたニコライ・マルコや、爆演のゴロワーノフ、緊迫のムラヴィンスキー、鋭利なコンドラシンまでさまざまな指揮者が個性を競っていました。
ガウクの芸風も彼らに負けない個性的なもので、作品によって、かっちりしたスタイルから柔軟にテンポを動かすスタイル、雄大なスケールの演奏まで実に多彩、モスクワ放送響との演奏では、楽団に染み込んだ爆演の伝統も生かした面白い演奏を聴かせていました。
レフ・シテインベルク[1870-1945]
アレクサンドル・オルロフ[1873-1948]
セルゲイ・クーセヴィツキー[1874-1951]
コンスタンチン・サラジェフ[1877-1954]
ニコライ・マルコ[1883-1961]
サムイル・サモスード[1884-1964]
ニコライ・ゴロワノフ[1891-1953]
アレクサンドル・ガウク[1893-1963]
アレクサンドル・クリモフ[1898-1974]
ワシリー・ネボルシン[1898-1958]
ニコライ・アノーソフ[1900-1962]
レオ・ギンズブルク[1901-1979]
エフゲニー・ムラヴィンスキー[1903-1988]
イリヤ・ムーシン[1904-1999]
ボリス・ハイキン[1904-1978]
アレクサンドル・メリク=パシャエフ[1905-1964]
ナタン・ラフリン[1905-1979]
コンスタンティン・イワノフ[1907-1984]
カール・エリアスベルク[1907-1978]
コンスタンティン・シメオノフ[1910-1987]
キリル・コンドラシン[1914-1981]
アルヴィド・ヤンソンス[1914-1984]
ガウクのキャリア
69年のガウクの人生を大まかに拠点別に見ると、以下のような感じです。
◆ オデッサ:16年間(少年期)
◆ レニングラード:25年間(勉強8年・仕事17年)
◆ モスクワ:26年間(仕事24年・オフ2年)
◆ トビリシ:2年間(仕事)
在留ドイツ人という法的立場ゆえに、ソ連とドイツの関係に翻弄されることもありましたが、ガウクはソ連国民として過ごし、東ドイツ、ハンガリー、ルーマニアといった東側諸国だけでなく、日本やメキシコ、キューバにも演奏旅行に出かけたりもしたものの、最後までソ連に留まりました。指揮者としての主要な仕事は下記の通りです。
マリインスキー劇場/指揮者[1923-1930]
主にバレエ指揮者として活躍。ストラヴィンスキー『プルチネッラ』、グラズノフ『四季』、グリエーエル『赤いけしの花』など上演。
レニングラード・フィル/音楽監督[1930-1934]
ソ連建国の1922年からヒトラー内閣誕生直前の1932年にかけて、レニングラード・フィルは政府の支援を受け、ドイツを中心に国外から数多くの指揮者を招聘していました。社会主義プロパガンダの一環ということもあってか、その人選は非常に豪華。フリート、
クレンペラー、
アーベントロート、シュレーカー、シュティードリー、
モントゥー、
ワインガルトナー、ミヨー、ワルター、
エーリヒ・クライバー、カゼッラ、コーツ、アンセルメ、
クレメンス・クラウス、オネゲル、ツェムリンスキー、
クナッパーツブッシュ、ブッシュ、ターリヒなどすごい顔ぶれで、しかもクレンペラーが5年度、シュティードリーが4年度、フリートが4年度、ワルターが3年度など、人によっては複数年度という状況で、そうした客演ラッシュに対応する必要もあってか、レニングラード・フィルは、指揮者とのリハーサルまでに、楽員たちが首席奏者を中心に技術的な問題をなるべく解決、指揮者は音楽の内容に集中できる環境となっていました。
ガウクは1925年からレニングラード・フィルに客演、シュレーカーやプフィッツナー、R.シュトラウス作品などのほか、作曲者との共演でバルトークのピアノ協奏曲第1番をとりあげていました。
また、多くのリハーサルを見学することにもなり、指揮者はオーケストラを圧迫するタイプと、圧迫しないタイプに分けられ、前者の代表はマーラーやクレンペラー、後者の代表はニキシュやワルターであるとして、自分はオーケストラを圧迫しないようにすると考えるようになります。
秘密警察組織が暗躍し、密告が推奨される不穏な社会環境の中、クーセヴィツキー、クーパー、マルコと3代続いて音楽監督が短期間で亡命していたレニングラード・フィルで、客演時代を含めると9年間も指揮していたガウクですが、1933年のヒトラー内閣誕生による独ソ関係悪化の影響は直撃でした。国家政治保安部は1934年に在留ドイツ人を名簿化し、ドイツ国籍者であるガウクの立場も悪化、ナチを逃れてきたユダヤ人指揮者のフリッツ・シュティードリーに音楽監督を譲ることになります(シュティードリーも3年後に亡命)。
ソ連国立交響楽団/音楽監督[1936-1941]
ガウクは在留ドイツ人への影響が少ないと言われたモスクワに移り、1936年、全ソ連放送委員会管弦楽団(1958年にモスクワ放送交響楽団と改名)の楽員とモスクワ音楽院卒業生によって新設されたコンサート・オーケストラ「ソ連国立交響楽団」の音楽監督に就任。妻と子供のカール(のちのカルロス)らがユダヤ系ということでドイツから移住していたドイツ人指揮者エーリヒ・クライバーと共にオーケストラ・ビルディングに打ち込み、着実に成果をあげて行きますが、ドイツとの戦争の開始で在留ドイツ人の僻地追放など迫害が開始、ガウクも音楽監督を1941年に解任され、ユダヤ人指揮者のナタン・ラフリンが音楽監督を引き継いでいます。
当時のソ連政府は、アメリカのユダヤ人資産家たちや有名人に出資話を持ち掛けて戦費調達をおこなっており、しばらくはプロパガンダを兼ねたユダヤ人優遇策が続くこととなります。
グルジア国立交響楽団/指揮者[1941-1943]
独ソ戦開戦により失職したガウクに対し、弟子でグルジア出身の指揮者メリク=パシャエフが、グルジアの首都トビリシでの教育と指揮者の仕事を紹介。国家政治保安部の手に落ちかけていたガウクは窮地を救われ、戦後も毎年のようにトビリシを訪れて指揮したほか、グルジア出身の作曲家の作品をモスクワでもとりあげるなどしています(もっとも、スターリンもベリヤもグルジア出身ではありますが)。
ソ連国立交響楽団/指揮者[1943-1952]
1943年、ガウクはモスクワに復帰し、ラフリン音楽監督のもと、ソ連国立交響楽団での指揮を再開、次の音楽監督イワノフのもとでも数多く指揮。スターリン存命のため役職復帰は叶いませんでしたが、ソ連国立交響楽団のメインの指揮者のひとりとして多くの録音も遺しています。
ちなみに、1938年度の全ソ指揮者コンクールでは、1位はガウクのレニングラード音楽院での弟子ムラヴィンスキーで、2位も同じくガウクの弟子のメリク=パシャエフ、もうひとりの2位がラフリンで、3位はイワノフでした。ラフリンとイワノフは共にモスクワ音楽院の出身です。
全ソ連放送交響楽団(西側通称:モスクワ放送交響楽団)/音楽監督[1953-1961]
1953年8月、名物音楽監督のゴロワーノフが亡くなり、3月にスターリンが死去していたこともあって、ガウクが音楽監督に就任。
16年間にわたってゴロワーノフのもとで、楽譜にあまりこだわらないやりたい放題な演奏をおこなってきた全ソ連放送委員会管弦楽団(1953年から全ソ連放送交響楽団)は、油断するとすぐにほころびが出てしまうオーケストラになってしまっており、引き継いだガウクにも相当な苦労があったようです。
もっとも、そうした爆演の伝統が、ガウクの演奏に独特の面白い効果をもたらしたことも確かなようで、ときに聴かれる野趣あふれるごつい響きは、ソ連国立響やボリショイ劇場管との録音ではあまり聴くことのできないものでもあります。
ちなみにガウクが健康問題で辞任すると、ロジェストヴェンスキーが後を引き継ぎ、オーケストラの粗削りで個性的なサウンドは、その後はシャープな形で生かされることとなります。
ロシアのドイツ人
ロシア帝国のロマノフ王朝は国力増大のために、400年に渡ってドイツの農民、商人、職人、軍人などを積極的に受け入れており、特にエカチェリーナ2世(元ドイツ人)の治世では「外国人招待令」を布告してユダヤ人を除くすべての外国人を対象とした移民政策を積極的に推進、七年戦争やフランス革命戦争で疲弊していたヘッセンや南西ドイツ地域の農民や職人の大規模移住が進められます。移住先の中心となったのはヴォルガ流域で、次いで黒海周辺にも多くのドイツ人が暮らすようになり、その数は19世紀の終わりには180万人に達していました。
その後、第1次世界大戦でドイツとオーストリアが敵国となると、公的な場所でのドイツ語の使用が禁じられ、サンクト・ペテルブルクがペトログラードとなるなどドイツ語の地名も変更、さらに約20万人のドイツ人をウクライナ北西部から追放するなど、「汎スラヴ主義者」の圧力に屈した皇帝アレクサンドル2世の施策はエスカレートし、1917年2月にはヴォルガ入植地の解体と追放まで決定。
しかし、第1次世界大戦と同時に進行していたロシア革命によって皇帝が失脚、ロシア臨時政府が誕生すると、「全民族と宗教の同権」が布告され、危機は回避されることになります。やがてドイツ人たちの自治が認められ、ソ連誕生2年後の1924年には「ヴォルガ・ドイツ人ソヴィエト社会主義自治共和国」が成立。ドイツ本国との交流もおこなわれ、途中、農業の集団化・富農撲滅宣言による約5万人の富農(反共勢力含む)の追放はあったりしたものの、1941年にドイツとの戦争が始まるまでは比較的平和な状態が続いていました。
1941年6月、独ソ不可侵条約を破って攻め込んできたドイツ軍のバルバロッサ作戦によるソ連軍の死者は約80万人(ドイツ軍は約18万人)で、ソ連政府は「ヴォルガ・ドイツ人ソヴィエト社会主義自治共和国」の解体を宣言、ドイツ人たちをシベリアや中央アジアに追放したほか、場合によっては敵国スパイという虚偽の名目で多くの処刑もおこなわれ、ウクライナ・ドイツ人リヒテルの父親もその犠牲となっていました。
【年表】
1893年(0歳)
◆ 8月15日、アレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・ガウクはウクライナ地方のオデッサに誕生。当時のオデッサは、サンクトペテルブルク、モスクワ、ワルシャワに次ぐロシア帝国で4番目の人口を擁する都市で、ガウク家はウクライナ・ドイツ人(黒海ドイツ人)の家系でドイツ国籍、ガウクの最初の妻でバレエ・ダンサーのエレナ・ゲルトもドイツ系でした。
ガウクは軍楽隊や母の歌などに刺激されて3歳から音楽に興味を持つようになり、7歳で本格的にピアノの勉強を開始して16歳までオデッサで生活。その間、ウィーン音楽院出身のバッハマンからコルネットやアルトホルン、バリトンホルンも習ってオデッサ音楽学校のブラス・バンドで演奏したりもしていました。
1905年(12歳)
● 1月、首都サンクトペテルブルクで「血の日曜日事件」発生。ロシア第1革命へ発展。
● 6月、戦艦ポチョムキンでの反乱。ロシア帝国海軍の黒海艦隊に所属する戦艦ポチョムキンの兵士たちによる戦艦乗っ取り事件。艦がオデッサ港に入港しようとした際には、反乱兵士たちを迎えるオデッサ市民がコサック兵に虐殺されるという事件も発生していました。
1910年(17歳)
◆ サンクトペテルブルク大学に入学。大学のオーケストラではパーカッションを担当。サンクトペテルブルク音楽院への入学に向け、ダウゴヴェットにピアノを師事して準備。
1911年(18歳)
◆ サンクトペテルブルク音楽院に入学。指揮をニコライ・チェレプニン[1873-1945]、作曲をアレクサンドル・グラズノフ[1865-1936]、ピアノをフェリックス・ブルーメンフェリト[1863-1931]に師事。在学中に、アルトゥール・ニキシュ、リヒャルト・シュトラウス、クロード・ドビュッシーらの指揮を見学。ロシア帝国の首都でもあったサンクトペテルブルクは、オデッサの北約1500キロに位置していました。
1912年(19歳)
◆ 学生オーケストラを指揮。
1914年(21歳)
● 8月、第1次世界大戦勃発。ロシア帝国軍は東プロイセンに侵攻するもののすぐに形勢逆転。ドイツ軍の大規模な毒ガス使用などにより膨大な戦死者。国民の不満が蓄積されてやがて3月革命、11月革命、ロシア内戦へと繋がり、1922年にはソ連が成立することになります。
1917年(24歳)
● 3月、3月革命(ユリウス暦では2月革命)勃発。ロシア臨時政府樹立。
◆ ペトログラード音楽院を卒業(サンクトペテルブルク音楽院から改称)。
● 7月、ペトログラードで7月蜂起。50万人のデモがロシア臨時政府により鎮圧。
◆ 10月、ペトログラード音楽演劇劇場で、チャイコフスキーのオペラ『チェレヴィチキ』を上演。これがプロ・デビューとなります。
● 11月、11月革命(ユリウス暦では10月革命)勃発。ユダヤ系のレーニンが最高指導者を務めるボリシェヴィキ政権樹立。第1次世界大戦と並行してロシア内戦(第1期)が勃発。
1918年(25歳)
● 3月、ブレスト=リトフスク条約により、第一次世界大戦の東部戦線での戦闘が終結し、ロシア内戦(第1期)も休戦。
1919年(26歳)
● 3月、ロシア内戦(第2期)勃発。
● 11月、ロシア内戦(第2期)、ユダヤ系のトロツキー率いる赤軍が白軍を撃退。
1920年(27歳)
● 4月、ヴランゲリ将軍が白軍の全権を掌握。翌月にはロシア軍と名を改めてクリミア半島を拠点に赤軍と戦闘。ロシア内戦(第3期)勃発。
● 11月、ヴランゲリ将軍が敗北、ユーゴスラヴィアに亡命。ロシア内戦(第3期)終了。内戦は深刻な飢餓も引き起こし、死者数は800万人とも言われています。
内戦後の耕地面積は内戦前の62パーセント、生産量は37パーセントに減少、耕作馬の頭数は350万頭から240万頭に減少、牛は580万から370万に減少、米ドル1ドルに対する為替レートは2ルーブルから1,200ルーブルとなり600分の1の価値に下落していました。
1922年(29歳)
● 12月、ソビエト社会主義共和国連邦成立宣言。
1923年(30歳)
◆ 国立オペラ&バレエ・アカデミー劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。のちにバレエ団所属のダンサー、エレーナ・ゲルトと結婚。
1924年(31歳)
● 1月、レーニン死去、スターリンが最高指導者に。
◆ 国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)のバレエ指揮者。
1925年(32歳)
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
1926年(33歳)
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
1927年(34歳)
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
◆ レニングラード音楽院講師。レニングラード音楽院在職中にムラヴィンスキー、メリク=パシャエフ、ラビノヴィチなどを指導。
1928年(35歳)
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
◆ レニングラード音楽院講師。
1929年(36歳)
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
◆ レニングラード音楽院講師。
1930年(37歳)
◆ 3月、ショスタコーヴィチ:組曲『黄金時代』初演。レニングラード・フィル。
◆ 10月、ショスタコーヴィチ:バレエ『黄金時代』初演。レニングラード国立オペラ&バレエ劇場。計18回上演。
◆ レニングラード・フィルハーモニー交響楽団音楽監督兼首席指揮者に就任。
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
◆ レニングラード音楽院准教授。
1931年(38歳)
◆ 4月、ショスタコーヴィチ:バレエ『ボルト』初演。レニングラード国立オペラ&バレエ劇場。
◆ 4月、弟子のムラヴィンスキーをレニングラード国立オペラ&バレエ劇場副指揮者に推薦。
◆ 11月、ショスタコーヴィチ:交響曲第3番『メーデー』初演。レニングラード・フィル。
◆ レニングラード音楽院准教授。
◆ レニングラード国立オペラ&バレエ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者。
◆ レニングラード・フィルハーモニー交響楽団音楽監督兼首席指揮者。
1932年(39歳)
◆ レニングラード音楽院准教授。
◆ レニングラード・フィルハーモニー交響楽団音楽監督兼首席指揮者。
1933年(40歳)
◆ 1月、ショスタコーヴィチ:組曲『ボルト』初演。レニングラード・フィル。
◆ レニングラード音楽院准教授。
◆ レニングラード・フィルハーモニー交響楽団音楽監督兼首席指揮者。
1934年(41歳)
● レニングラード地域委員会第一書記でロシア人のセルゲイ・キーロフ暗殺。
◆ レニングラード音楽院准教授。
◆ レニングラード・フィルハーモニー交響楽団音楽監督兼首席指揮者。
1936年(43歳)
◆ 10月、新設された「ソ連国立交響楽団」と音楽監督としての最初のコンサート「ベートーヴェン・シリーズ」をエーリヒ・クライバーと共同で開催。「ソ連国立交響楽団」は、全ソ連放送委員会管弦楽団(1958年にモスクワ放送交響楽団と改名)の楽員とモスクワ音楽院卒業生によって創設されたコンサート・オーケストラ。ドイツ人指揮者エーリヒ・クライバーは、妻と子供のカール(のちのカルロス)らがユダヤ系ということでドイツから移住しており、レニングラード時代の客演で旧知のガウクと共にオーケストラ・ビルディングに打ち込み、着実に成果をあげています。
1937年(44歳)
◆ 10月、ミヤスコフスキーの交響曲第18番初演。
◆ 12月、ミヤスコフスキーの交響曲第17番初演。
◆ ソ連国立交響楽団音楽監督。
1938年(45歳)
◆ ソ連国立交響楽団音楽監督。
1939年(46歳)
◆ ソ連国立交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院講師。
1940年(47歳)
◆ 11月、ミヤスコフスキーの交響曲第21番初演。
◆ ソ連国立交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院講師。
1941年(48歳)
◆ ソ連国立交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院講師。
◆ 独ソ戦開始に伴い、在留ドイツ人をシベリアや中央アジアに追放するなど迫害が始まり、ドイツ国籍だったガウクも、ソ連国立交響楽団の音楽監督を解任され失職。
◆ グルジア出身のメリク=パシャエフの紹介で、グルジアの首都トビリシでの教育と指揮者の仕事を獲得。
◆ トビリシ音楽院講師。
◆ グルジア国立交響楽団指揮者。
1942年(49歳)
◆ トビリシ音楽院講師。
◆ グルジア国立交響楽団指揮者。
1943年(50歳)
◆ トビリシ音楽院講師。
◆ グルジア国立交響楽団指揮者。
◆ モスクワに復帰。
◆ モスクワ音楽院講師。指揮科に長く在籍し、スヴェトラーノフ、マキシム・ショスタコーヴィチなどを指導。
◆ モスクワ音楽院の資料室で、ラフマニノフの交響曲第1番のパート譜を発見し、音楽学者でチームを編成、作曲者により破棄された総譜を復活させることに成功。
1944年(51歳)
◆ 4月、ソ連国立交響楽団と、軍楽隊作曲家イワノフ=ラドケヴィチのロシア序曲
(CD13)
◆ モスクワ音楽院講師。
1945年(52歳)
◆ 10月、ラフマニノフの交響曲第1番をモスクワで復活蘇演。大きな成功を収めます。
◆ モスクワ音楽院講師。
1946年(53歳)
◆ モスクワ音楽院講師。
◆ ミヤスコフスキーのチェロ協奏曲初演。
1947年(54歳)
◆ 3月、ミヤスコフスキーの交響曲第25番初演。
◆ モスクワ音楽院講師。
1948年(55歳)
◆ 1月、2番目の妻リュドミラとの間にパヴェル誕生。
◆ 7月、ソ連国立交響楽団とチャイコフスキー:交響詩『運命』
(CD09)
◆ 12月、ミヤスコフスキーの交響曲第26番初演。
◆ モスクワ音楽院教授。
1949年(56歳)
◆ 4月、ソ連国立交響楽団とリャプノフ:交響曲第1番
(CD20)、交響詩『ジェラゾヴァ・ヴォラ』 op.37
(CD20)
◆ 11月、ソ連国立交響楽団とチャイコフスキー:『マンフレッド交響曲』
(CD06)
◆ 11月、ワインベルクの『モルダヴィアの主題による狂詩曲』初演。
◆ 12月、ソ連国立交響楽団とシューベルト:交響曲第3番
(CD22)
◆ モスクワ音楽院教授。
1950年(57歳)
◆ 1月、ソ連国立交響楽団とタネーエフ:クラリネットと弦楽のためのカンツォーナ
(CD17)
◆ 2月、ソ連国立交響楽団とキュイ:組曲第2番、第3番、ラスコフスキー:クラリネットと管弦楽のためのマズルカ
(CD16)(CD16)、ダルゴムイシスキー:『バーバ・ヤガー』
(CD18)
◆ 4月、ソ連国立交響楽団とシューベルト:交響曲第4番『悲劇的』
(CD22)
◆ 5月、ソ連国立交響楽団とチャイコフスキー:組曲第1番
(CD04)
◆ 6月、ショスタコーヴィチ:組曲『ベルリン陥落』初演。モスクワ放送交響楽団。
◆ 9月、ソ連国立交響楽団とタネーエフ:『デルフォのアポロンの神殿』
(CD17)
◆ 11月、ソ連国立交響楽団とチャイコフスキー:組曲第2番
(CD04)
◆ 12月、ソ連国立交響楽団とチャイコフスキー:組曲第4番『モーツァルティアーナ』
(CD05)、グリンカ:『祖国愛の歌』
(CD10)
◆ モスクワ音楽院教授。
1951年(58歳)
◆ 5月、ソ連国立交響楽団とアミロフ:アゼルバイジャン組曲
(CD19)
◆ 6月、ソ連国立交響楽団とタネーエフ:交響曲第4番
(CD17)
◆ 7月、ソ連国立交響楽団とラヴェル:ハープ、フルート、クラリネットと弦楽のための序奏とアレグロ
(CD09)
◆ 9月、モスクワ放送交響楽団とチャイコフスキー:劇付随音楽『雪娘』
(CD07)、劇付随音楽『ハムレット』
(CD08)
◆ 10月、ソ連国立交響楽団とグリンカ:ポルカ第1番変ロ長調
(CD10)
◆ モスクワ音楽院教授。
1952年(59歳)
◆ 1月、ソ連国立交響楽団とドビュッシー:『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』
(CD09)◆ 4月、ソ連国立交響楽団とリスト:ファウスト交響曲
(CD14)
◆ 9月、ソ連国立交響楽団とソロドゥホ:交響詩『ゾーヤ』
(CD12)、ボリス・チャイコフスキー:ロシア民謡の主題による幻想曲
(CD18)
◆ 11月、ソ連国立交響楽団とクリューコフ:チェコ狂詩曲
(CD20)
◆ モスクワ音楽院教授。
1953年(60歳)
◆ モスクワ音楽院教授。
● 3月、スターリン死去。
● 3月、ウクライナ人、フルシチョフが最高指導者に。
◆ 全ソ連放送交響楽団(以下、西側通称のモスクワ放送交響楽団と記載)音楽監督就任。
◆ 11月、モスクワ放送交響楽団とチャイコフスキー:交響曲第4番
(CD05)、シューマン:『子供の情景』 (管弦楽版)
(CD14)、ベートーヴェン:序曲『コリオラン』
(CD15)、スヴェトラーノフ:『ダウガーヴァ川』
(CD17)、マチャヴァリアニ:グルジア祝典序曲
(CD19)
● 12月、ベリヤ処刑(フルシチョフによる粛清)。
◆ 12月(翌年1月と2月も)、モスクワ放送交響楽団とチャイコフスキー:『四季』
(CD08)
◆ ショスタコーヴィチ:組曲『若き親衛隊』初演。モスクワ放送交響楽団。
1954年(61歳)
◆ 2月、モスクワ放送交響楽団とドルハニャン:アルメニア奇想曲
(CD19)、ボリス・チャイコフスキー:カプリッチョ
(CD18)
◆ 12月、モスクワ放送交響楽団と、ラトヴィアの作曲家イヴァノフスの交響曲第7番、グルジアの作曲家ツィンツァーゼのピアノと管弦楽のための幻想曲
(CD19)、ショスタコーヴィチの弟子で有名なチャイコフスキーとは無関係のボリス・チャイコフスキー:弦楽のためのシンフォニエッタ
(CD18)
◆ ソ連政府から人民芸術家の称号を授与。
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1955年(62歳)
◆ 12月、モスクワ放送交響楽団とショスタコーヴィチ:祝典序曲
(CD01)
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1956年(63歳)
◆ 1月、モスクワ放送交響楽団とエネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番
(CD15)
◆ 5月、モスクワ放送交響楽団とルーセル:交響曲第4番
(CD22)
◆ 12月、モスクワ放送交響楽団とラフマニノフ:3つのロシアの歌
(CD12)
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1957年(64歳)
◆ 1月、モスクワ放送交響楽団とベートーヴェン:交響曲第5番
(CD21)
◆ 1月、ボリショイ劇場管弦楽団とハチャトゥリアン:『スパルタカス』組曲
(CD11)
◆ 3月、ボリショイ劇場管弦楽団とグリンカ:『友情の追憶』
(CD10)
◆ 3月、モスクワ放送交響楽団とバラキレフ:イスラメイ(カゼッラ編)
(CD09)
◆ 12月、モスクワ放送交響楽団とショスタコーヴィチ:交響曲第5番
(CD01)
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1958年(65歳)
◆ 1月、モスクワ放送交響楽団とグラズノフ:『春』
(CD11)
◆ 2月、モスクワ放送交響楽団とグラズノフ:ワルツ
(CD11)、アレンスキー:『スヴォロフの思い出に』
(CD12)、『草原にて』、『子どものための6つの小品』からワルツ
(CD12)
◆ 4〜5月、レニングラード・フィルと来日。ショスタコーヴィチ交響曲第5番、グリンカ『ルスランとリュドミラ』序曲、チャイコフスキー交響曲第4番、モーツァルト交響曲第39番などを指揮。
◆ 6月、モスクワ放送交響楽団とラフマニノフ:カンタータ―『春』
(CD12)
◆ 12月、モスクワ放送交響楽団とショスタコーヴィチ:交響曲第11番『1905年』
(CD03)、ハチャトゥリアン:交響曲第1番ホ短調
(CD10)、グリンカ:『カマリンスカヤ』
(CD10)
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1959年(66歳)
● 1月、キューバ革命開始。
◆ 7月、モスクワ放送交響楽団とミャスコフスキー:交響曲第17番
(CD13)
◆ 9月、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのモスクワ公演に列席。
◆ 11月、ショスタコーヴィチがメキシコ音楽院から名誉教授の称号を受けたことを祝うメキシコ交響楽団の演奏会でショスタコーヴィチの交響曲第5番を指揮。キューバも訪問し、設立間もないキューバ国立交響楽団を指揮。
◆ 12月、モスクワ放送交響楽団とショスタコーヴィチ:交響曲第8番
(CD02)
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1960年(67歳)
◆ 2月、モスクワ放送交響楽団とレスピーギ:交響詩『ローマの松』
(CD09)、デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』
(CD21)
◆ 3月、モスクワ放送交響楽団とビゼー:序曲『祖国』
(CD15)
● 5月、アメリカ軍のU2型高高度偵察機を、ソ連軍がS-75地対空ミサイルで撃墜。
◆ 5月、モスクワ放送交響楽団とミヨー:プロヴァンス組曲
(CD20)
◆ 9月、モスクワ放送交響楽団とカゼッラ:狂詩曲『イタリア』
(CD15)
◆ モスクワ放送交響楽団音楽監督。
◆ モスクワ音楽院教授。
1961年(68歳)
◆ 1月、モスクワ放送交響楽団とプロコフィエフ:ロシア序曲
(CD13)
● 4月、元軍人で前大統領アイザンハワーのキューバ対策を手ぬるいと批判していたケネディ大統領がキューバ爆撃と上陸作戦を実施して失敗。
◆ 4月、モスクワ放送交響楽団とプロコフィエフ:偉大なる十月社会主義革命30周年のためのカンタータOp.114
(CD13)、ピストン:交響曲第6番
(CD21)
◆ 春、風邪をこじらせて重篤な症状に。
◆ 夏、ラトヴィアのユールマラ・フェスティヴァルにモスクワ放送交響楽団と共に参加。途中で体調を崩し、代役をロジェストヴェンスキーとアルヴィド・ヤンソンスが務めます。
◆ 9月、モスクワ放送交響楽団音楽監督辞任。
◆ モスクワ音楽院教授。
1962年(69歳)
● 10月、キューバ危機。
◆ モスクワ音楽院教授。
1963年(70歳)
◆ モスクワ音楽院教授。
◆ 3月30日、モスクワで死去。69歳。
◆ 4月、モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬。
【収録情報】
CD01
◆ ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op.47
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 4 December 1957
◆ ショスタコーヴィチ:祝典序曲 Op.96
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 24 September 1955
CD02
◆ ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調 Op.65
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 7 October 1959
CD03
◆ ショスタコーヴィチ:交響曲第11番ト短調 Op.103『1905年』
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 21 December 1958
CD04
◆ チャイコフスキー:組曲第1番ニ短調 Op.43
ソ連国立交響楽団
Recorded on 26 May 1950
◆ チャイコフスキー:組曲第2番ハ長調 Op.53
ソ連国立交響楽団
Recorded on 19 November 1950
CD05
◆ チャイコフスキー:組曲第4番ト長調 Op.61『モーツァルティアーナ』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 14 December 1950
◆ チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 Op.36
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 1 November 1953
CD06
◆ チャイコフスキー:『マンフレッド交響曲』ロ短調 Op.58
ソ連国立交響楽団
Recorded on 6 December 1949
CD07
◆ チャイコフスキー:劇付随音楽『雪娘』Op.12
アレクサンドル・オルフェノフ(テノール)
ザラ・ドルチャノワ(アルト)
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 17 September 1951
CD08
◆ チャイコフスキー:『四季』Op.37b
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 8, 19 Dec. 1953 & 1 Jan., 1 Feb. 1954
◆ チャイコフスキー:劇付随音楽『ハムレット』Op. 67a
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 29 September 1951
CD09
◆ チャイコフスキー:交響詩『運命』ハ短調 Op.77
ソ連国立交響楽団
Recorded on 31 July 1948
◆ バラキレフ:イスラメイ(編:カゼッラ)
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 25 March 1957
◆ レスピーギ:交響詩『ローマの松』P.141
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 3 February 1960
◆ ドビュッシー:『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 13 January 1952
◆ ラヴェル:ハープ、フルート、クラリネットと弦楽のための序奏とアレグロ
ソ連国立交響楽団
Recorded on 13 July 1951
CD10
◆ ハチャトゥリアン:交響曲第1番ホ短調
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 15 December 1958
◆ グリンカ:『友情の追憶』
ボリショイ劇場管弦楽団
Recorded on 26 March 1957
◆ グリンカ:『祖国愛の歌』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 30 December 1950
◆ グリンカ:ポルカ第1番変ロ長調
ソ連国立交響楽団
Recorded on 31 October 1951
◆ グリンカ:『カマリンスカヤ』
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 13 December 1958
CD11
◆ ハチャトゥリアン:『スパルタカス』組曲
ボリショイ劇場管弦楽団
Recorded on January 1957
◆ グラズノフ:『春』Op. 34
モスクワ放送交響楽団
Recorded on January 30, 1958
◆ グラズノフ:ワルツ ニ長調 Op.42-3
モスクワ放送交響楽団
Recorded on February 2, 1958
CD12
◆ ラフマニノフ:3つのロシアの歌 op.41
モスクワ放送交響楽団&合唱団
Recorded on December 19, 1956
◆ ラフマニノフ:カンタータ―『春』Op.20
モスクワ放送交響楽団&合唱団
Recorded on June 26, 1958
◆ アレンスキー:『スヴォロフの思い出に』
モスクワ放送交響楽団
Recorded on February 1, 1958
◆ アレンスキー:『草原にて』Op.36-24
◆ アレンスキー:『子どものための6つの小品』Op.34からワルツ
モスクワ放送交響楽団
Recorded on February 2, 1958
◆ ソロドゥホ:交響詩『ゾーヤ』
ソ連国立交響楽団
Recorded on September 28, 1952
CD13
◆ ミャスコフスキー:交響曲第17番嬰ト短調 Op.41
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 15 July 1959
◆ プロコフィエフ:偉大なる十月社会主義革命30周年のためのカンタータOp.114
モスクワ放送交響楽団&合唱団
Recorded on 15 April 1961
◆ プロコフィエフ:ロシア序曲ハ長調 Op.72
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 11 January 1961, Stereo
◆ イワノフ=ラドケヴィチ:ロシア序曲
ソ連国立交響楽団
Recorded on 7 April 1944
CD14
◆ リスト:ファウスト交響曲
ソ連国立交響楽団
Recorded on 24 April 1952
◆ シューマン:子供の情景 op.15 (管弦楽版)
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 1 November 1953
CD15
◆ リムスキー・コルサコフ:『賢者オレーグの歌』op.58
ドミトリー・タルコフ(テノール)
コンスタンティン・ポリャエフ(バス)
モスクワ放送交響楽団&合唱団
Recorded on 1950s
◆ ベートーヴェン:序曲『コリオラン』op.62
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 1 November 1953
◆ ビゼー:序曲『祖国』op.19
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 22 March 1960
◆ カゼッラ:狂詩曲『イタリア』op.11
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 7 September 1960
◆ メンデルスゾーン:序曲『ルイ・ブラス』op.95
ソ連国立交響楽団
Recorded on 1950s
◆ エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番イ長調 op.11-1
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 4 January 1956
CD16
◆ キュイ:組曲第2番ホ長調 op.38
ソ連国立交響楽団
Recorded on 2 February 1950
◆ キュイ:組曲第3番 op.43
ソ連国立交響楽団
Recorded on 2 February 1950
◆ ラスコフスキー:クラリネットと管弦楽のためのマズルカ
ウラジーミル・ソローキン(クラリネット)
ソ連国立交響楽団
Recorded on 1 February 1950
CD17
◆ タネーエフ:交響曲第4番ハ短調 op.12
ソ連国立交響楽団
Recorded on 21 June 1951
◆ タネーエフ:『デルフォのアポロンの神殿』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 25 September 1950
◆ タネーエフ:クラリネットと弦楽のためのカンツォーナ
ウラジーミル・ソローキン(クラリネット)
ソ連国立交響楽団
Recorded on 6 January 1950
◆ スヴェトラーノフ:『ダウガーヴァ川』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 1 November 1953
CD18
◆ ボリス・チャイコフスキー:弦楽のためのシンフォニエッタ ト短調
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 7 December 1954
◆ ボリス・チャイコフスキー:ロシア民謡の主題による幻想曲
ソ連国立交響楽団
Recorded on 28 September 1952
◆ ボリス・チャイコフスキー:カプリッチョ
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 22 February 1954
◆ ダルゴムイシスキー:『バーバ・ヤガー』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 20 February 1950
◆ ダルゴムイシスキー:『カザチョク』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 1951
CD19
◆ イヴァノフス:交響曲第7番ハ長調
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 7 December 1954
◆ ツィンツァーゼ:ピアノと管弦楽のための幻想曲
ルドミラ・ソシーナ(ピアノ)
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 7 December 1954
◆ マチャヴァリアニ:グルジア祝典序曲
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 16 October 1953
◆ アミロフ:アゼルバイジャン組曲
ソ連国立交響楽団
Recorded on 1 May 1951
◆ ドルハニャン:アルメニア奇想曲
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 22 February 1954
CD20
◆ リャプノフ:交響曲第1番ロ短調 op.12
ソ連国立交響楽団
Recorded on 23 April 1949
◆ リャプノフ:交響詩『ジェラゾヴァ・ヴォラ』 op.37
ソ連国立交響楽団
Recorded on 23 April 1949
◆ クリューコフ:チェコ狂詩曲
ソ連国立交響楽団
Recorded on 20 November 1952
◆ ミヨー:プロヴァンス組曲 op.152
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 11 May 1960
CD21
◆ ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 23 January 1957
◆ ピストン:交響曲第6番
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 4 April 1961
◆ デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 15 February 1960
CD22
◆ シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200
ソ連国立交響楽団
Recorded on 27 December 1949
◆ シューベルト:交響曲第4番ハ短調 D417『悲劇的』
ソ連国立交響楽団
Recorded on 26 April 1950
◆ ルーセル:交響曲第4番イ長調 op.53
モスクワ放送交響楽団
Recorded on 19 May 1956
年表付き商品説明ページ一覧
【バロック作曲家(生年順)】
◆
カッツァーティ [1616-1678]
◆
ルイ・クープラン [1626-1661]
◆
ダンドリュー [1682-1738]
◆
スタンリー [1713-1786]
【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】
◆
モンジュルー [1764-1836] (ピアノ系)
◆
ベートーヴェン [1770-1827]
◆
ジャダン [1776-1800] (ピアノ系)
◆
リース [1784-1838]
【近現代作曲家(生年順)】
◆
レーバイ [1880-1953] (ギター系)
◆
ショスタコーヴィチ [1906-1975]
◆
ラングレー [1907-1991] (オルガン系)
◆
アンダーソン [1908-1975]
◆
デュアルテ [1919-2004] (ギター系)
◆
ヘンツェ [1926-2012]
◆
坂本龍一 [1952-2023]
【指揮者(ドイツ・オーストリア)】
◆
アーベントロート (ベートーヴェン、
シューマン、
ブルックナー、
ブラームス、
モーツァルト、
チャイコ、
ハイドン)
◆
エッシェンバッハ
◆
カラヤン
◆
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィル、
ベルリン・フィル、
ミュンヘン・フィル、
国立歌劇場管、
レジェンダリー)
◆
クラウス
◆
クリップス
◆
クレンペラー (VOX&ライヴ、
ザルツブルク・ライヴ、
VENIASボックス
◆
サヴァリッシュ
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シューリヒト
◆
スイトナー (ドヴォルザーク、
レジェンダリー)
◆
フルトヴェングラー
◆
ベーム
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メルツェンドルファー
◆
ライトナー
◆
ラインスドルフ
◆
レーグナー (ブルックナー、
マーラー、
ヨーロッパ、
ドイツ)
◆
ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】
◆
ガウク
◆
クーセヴィツキー
◆
ゴロワノフ
◆
ペトレンコ
◆
マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】
◆
クーチャー(クチャル)
◆
スラトキン(父)
◆
ドラゴン
◆
バーンスタイン
◆
フェネル
【指揮者(オランダ)】
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オッテルロー
◆
クイケン
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ベイヌム
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メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】
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パレー
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モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】
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セル
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ドラティ
【指揮者(スペイン)】
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アルヘンタ
【指揮者(スイス)】
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アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】
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クレツキ
【指揮者(チェコ)】
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ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】
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チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】
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トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】
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バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】
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ミトロプーロス
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】
【ピアノ(ロシア・ソ連)】
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ヴェデルニコフ
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グリンベルク
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ソフロニツキー
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タマルキナ
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ニコラーエワ
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ネイガウス父子
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フェインベルク
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フリエール
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モイセイヴィチ
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ユージナ
【ピアノ(フランス)】
◆
カサドシュ
◆
ティッサン=ヴァランタン◆
ハスキル
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ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
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キルシュネライト
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シュナーベル
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デムス
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ナイ
【ピアノ(南米)】
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タリアフェロ
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ノヴァエス
【チェンバロ】
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ヴァレンティ
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カークパトリック
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ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】
【ヴァイオリン】
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オイストラフ
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コーガン
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スポールディング
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バルヒェット
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フランチェスカッティ
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ヘムシング
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リッチ
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レビン
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カサド
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シュタルケル
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デュ・プレ
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ヤニグロ
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ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】
【クラリネット】
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マンツ
【ファゴット】
◆
デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
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モワネ
【歌手】
◆
ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】
【三重奏団】
◆
パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
◆
フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
◆
グリラー弦楽四重奏団
◆
シェッファー四重奏団
◆
シュナイダー四重奏団
◆
ズスケ四重奏団
◆
パスカル弦楽四重奏団
◆
ハリウッド弦楽四重奏団
◆
バルヒェット四重奏団
◆
ブダペスト弦楽四重奏団
◆
フランスの伝説の弦楽四重奏団
◆
レナー弦楽四重奏団
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