CD 輸入盤

アルトゥーロ・トスカニーニの芸術〜ライヴ&ブロードキャスト・レコーディング(24CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AN122
組み枚数
:
24
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


トスカニーニ・ライヴ&放送録音ボックス(24CD)

ヒストリカル・レーベル「アルス・ノヴァ(Ars Nova)」から、トスカニーニのライヴ系ボックスが登場。80年間も維持された超人的な映像記憶能力と、歳をとってもまったく抑制されなかった自我と強烈な自己実現手法によって、独特の世界をつくりあげたトスカニーニの実演には、ある種の凄味が備わっており、かのクレンペラーも「指揮者の王」と称えていました。
 83歳の誕生日にも、特に老化を感じなかったと語るトスカニーニは、フルトヴェングラーやクレンペラーを上回る好色漢としても勇名を馳せており、そのテストステロンとアドレナリンの量がケタ違いだったことを窺わせます。
 そのトスカニーニも、最晩年には膝痛など足の故障が原因で体調が悪化しますが、それでも87歳まで指揮を続け、最後まで暗譜だったのは驚異的です。
 このセットには、1939年のベートーヴェン全集や、最後のワーグナー・コンサートのステレオ録音など、トスカニーニの実演の面白さが楽しめる音源が多数収録されています。


 収録情報

CD1
ベートーヴェン
・「フィデリティ」序曲 Op. 72
・交響曲第1番 ハ長調 Op. 21
・交響曲第3番 変ホ長調 Op. 55「英雄」

録音:1939年10月28日

CD2
ベートーヴェン
・交響曲第2番 ニ長調 Op. 36
・交響曲第4番 変ロ長調Op. 60
・レオノーレ序曲 第3番 Op. 72a

録音:1939年11月4日

CD3
ベートーヴェン
・「コリオラン」序曲 Op. 62
・交響曲第6番 ヘ長調 Op. 68「田園」
・交響曲第5番 ハ短調 Op. 67

録音:1939年11月11日

CD4
ベートーヴェン
・エグモント序曲 Op. 84
・木管、ホルンと弦楽のための七重奏曲 変ホ長調 Op. 20
・交響曲第7番 イ長調 Op. 92

録音:1939年11月18日

CD5
ベートーヴェン
・レオノーレ序曲 第1番 Op. 138
・交響曲第8番 ヘ長調 Op. 93
・弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op. 135から
III. Lento assai, cantata e tranquillo
II. Vivace
・序曲「プロメテウスの創造物」Op. 43
・レオノーレ序曲 第2番 Op. 72a

録音:1939年11月25日

CD6
ベートーヴェン
・合唱幻想曲 Op. 80
アニア・ドルフマン(ピアノ)
・交響曲第9番 ニ短調 Op. 125「合唱」
ヤルミラ・ノヴォトナ(ソプラノ),ケルステン・トルボルイ(アルト)
ヤン・ピアース(テノール),ニコラ・モスコーナ(バス)
ウエストミンスター合唱団

録音:1939年12月2日

CD7
ワーグナー
管弦楽作品集
・歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」〜第3幕への前奏曲
・歌劇「タンホイザー」〜序曲と「ヴェヌスベルクの音楽」
・歌劇「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死
・歌劇「ワルキューレ」〜ワルキューレの騎行

録音:1943年11月28日

CD8
モーツァルト
・歌劇「魔笛」序曲 K620
・ディヴェルティメント第14番 変ロ長調 K287
・交響曲第35番 ニ長調KV 385「ハフナー」

録音:1946年11月3日

CD9
シューマン
・マンフレッド序曲 Op. 115

チャイコフスキー
・マンフレッド交響曲 Op. 58

録音:1946年11月10日

CD10
フランク
・交響曲 ニ短調
録音:1940年12月14日

・交響詩「プシュケ」〜プシュケとエロス
録音:1942年1月5日

・交響詩「アイオリスの人々」
録音:1938年11月12日

・フランク交響詩「贖罪」
録音:1952年3月15日

CD11
プロコフィエフ
・交響曲第1番 ニ長調 Op. 25「古典」

チャイコフスキー
・交響曲第6番 ロ短調 Op. 74「悲愴」

録音:1947年11月15日

CD12
グリンカ
・スペイン風序曲 第1番 「アラゴンのホタによる華麗な奇想曲」

チャイコフスキー
・マンフレッド交響曲 Op. 58

録音:1948年2月28日

CD13
ロッシーニ
・「セヴィリアの理髪師」序曲

チャイコフスキー
・交響曲第6番 ロ短調 Op. 74 「悲愴」

録音:1954年3月21日, Stereo

CD14
ショスタコーヴィチ
・交響曲第1番 ヘ短調 op. 10
録音:1939年1月14日

カヴァレフスキー
・交響曲第2番
録音:1942年11月8日

・歌劇「コラ・ブルニョン」序曲
録音:1943年4月11日

CD15
プロコフィエフ
・交響曲第1番 ニ長調 Op. 25「古典」

ドビュッシー
・映像〜イベリア
I. Par les rues et par les chemins
II. Les Parfums de la nuit
III. Le Matin d'un jour de fête

サン・サーンス
・交響詩「死の舞踏」ト短調 Op.40

リヒャルト・シュトラウス
・交響詩「ドン・ファン」 Op. 20, TrV 156

録音:1950年3月25日

CD16
ブラームス
・交響曲第1番 ハ短調 Op. 68
録音:1951年11月3日

ムソルグスキー
・組曲「展覧会の絵」
録音:1948年2月14日

CD17
ブラームス
・交響曲第2番 ニ長調 Op. 73
録音:1951年2月10日

・交響曲第3番 ヘ長調 Op. 90
録音:1941年2月8日

CD18
ブラームス
・悲劇的序曲 Op. 81
・交響曲第4番 ホ短調Op. 98

録音:1945年10月28日

CD19
ベルリオーズ
・交響曲「イタリアのハロルド」 Op. 16
録音:1939年1月2日

・序曲「宗教裁判官」Op. 3
・ロメオとジュリエット Op. 17〜愛の場面
・ラコッツィ行進曲
録音:1941年4月5日

CD20
チャイコフスキー
・マンフレッド交響曲 Op. 58
録音:1953年1月10日

・幻想序曲「ロメオとジュリエット」
録音:1953年3月21日

CD21
ベートーヴェン
・交響曲第3番 変ホ長調 Op. 55「英雄」
録音:1945年9月1日

・交響曲第5番 ハ短調 Op. 67
録音:1945年5月8日

CD22
リヒャルト・シュトラウス
・交響詩「ドン・キホーテ」 Op. 35
録音:1938年10月22日

・交響詩「ドン・ファン」, Op. 20, TrV 156
録音:1939年10月14日

・サロメ〜7つのヴェールの踊り
録音:1939年1月14日

CD23
リヒャルト・シュトラウス
・交響詩「英雄の生涯」, Op. 40
録音:1941年2月1日

・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 Op. 28
録音:1946年5月17日

・交響詩「死と変容」Op. 24, TrV 158
録音:1946年11月17日

CD24
トスカニーニ・ファイナル・コンサート
ワーグナー
管弦楽作品集
・歌劇「ローエングリン」〜第1幕への前奏曲
・楽劇「ジークフリート」〜森のささやき
・楽劇「神々の黄昏」〜夜明けとジークフリートのラインへの旅
・歌劇「タンホイザー」序曲
・歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」〜第1幕への前奏曲

録音:1954年4月4日, Stereo

NBC交響楽団
アルトゥーロ・トスカニーニ(指揮)


 劇的なオペラ指揮者デビュー

1886年春、18歳のトスカニーニは、知人のカルロ・スペルティに誘われて、ブラジルでのオペラ公演に向け、一流歌手を中心に組織された「コンパニア・クラウディオ・ロッシ」と契約。ブラジルでの興行名は「コンパニア・リリカ・イタリアーナ」。
 スペルティはこの巡業歌劇団の副指揮者で、トスカニーニの立場は、首席チェロ奏者、合唱指揮者助手というもので、合唱指揮者はアリスティーデ・ヴェントゥーリ、指揮者は現地で合流する手筈でした。
 3月、巡業歌劇団の一員として、イタリアの港町ジェノヴァからブラジルの港町サントスに向け、蒸気船ペルセオ号で出航。1883年に就航したペルセオ号(4,857トン、全長116メートル、全幅12.8メートル)は、1917年にUボートに撃沈され、227名が殺害されています。


 ソロ歌手の多くは当時の有名どころということで1等船室、トスカニーニやオケ楽員、合唱団員、バレエ団員は2等船室でした。
 約3週間という長旅だったので、多くの時間、トスカニーニはピアノを弾いて合唱団やソロ歌手たちの練習に付き合い、すべての曲のスコアを暗譜していたことから、少年ながら重宝がられて信頼関係を構築。
 4月中旬、巡業歌劇団は、最初の目的地、高原都市サン・パウロに到着。当時のブラジルは、イタリア系を中心に本格的な国策移民が始まってすでに十数年という状況で、サン・パウロの人口もまだ10万人ほどでしたが、ブラジルの中では過ごしやすい標高約760メートルの高原ということで、大がかりな都市建設と共に人口も爆発的に増加する過程にありました。
 4〜8月、この巡業では、指揮者はなぜか現地のスペイン系ブラジル人作曲家で副業で指揮もするという程度のレオポルド・アメリコ・ミゲス[1850-1902]と契約していました。本業がオペラ指揮者ではない人物が初顔合わせの音楽家たちを率いるのには無理があり、2カ月間のサン・パウロ公演の聴衆の反応は否定的で、音楽家の不満も溜まっていました。
そして人口規模が5倍の大都市リオ・デ・ジャネイロのドン・ペドロ2世劇場(約1,500席・1871年)に到着して間もなく、歌手たちの不満が爆発、ミゲスに辞任を要求し、ミゲスは健康上の問題として以後の指揮をキャンセル。
 6月27日の「アイーダ」公演は、指揮者キャンセルということで、副指揮者のスペルティが指揮しています。


 こうした一連の動きが現地の音楽愛好家たちに伝播。ミゲスはリオ生まれのブラジル人で、巡業歌劇団の方は殆どがイタリア人ということで、一種の民族対立の様相を呈してしまい、国策移民が激増して民族主義が高まりつつあったブラジルでは致命的な状況に陥ってしまいます。
 6月30日午後8時、「アイーダ」の開演時刻、ブラジル人指揮者降板がイタリア人のせいだと誤解して怒り狂った聴衆が騒ぎ立てる中、副指揮者のカルロ・スペルティがピットに入り指揮者席に向かいますが、野次り倒されて断念。事態収拾に向け、ポルトガル語のできるバレエ団長が舞台に上がって、別の指揮者に替える旨を聴衆に伝え、合唱指揮者のアリスティーデ・ヴェントゥーリが指揮者席に座って指揮を始めるものの、罵声による妨害が激しく撤退。
 続いて主催者のクラウディオ・ロッシが通訳と共に舞台上に登場して釈明しようとするものの騒ぎは収まらず退散。
 仕方なく、舞台裏で対応策が協議され、ある歌手が合唱指揮助手のトスカニーニが全作品を暗譜していることを訴え、指揮者関係の人員も、指揮者ミゲスが×、副指揮者スペルティが×、合唱指揮者ヴェントゥーリも×、ということで、合唱指揮助手のトスカニーニしかいなかったため、まだ19歳ではあったものの、代役はトスカニーニに決定。
 幸い、すでに1時間15分も経過し、聴衆の中には帰ろうとする者もいるなど場内の興奮状態が収まっていてたこともあり、トスカニーニは無事に指揮を開始。明確な指揮と「アイーダ」という作品の受けやすさもあって公演は成功裏に終了。
 7〜8月、トスカニーニは、ロッシの要請で巡業歌劇団の残りの公演を代役として指揮することになり、数百回のリハーサルとオペラ本番の指揮をすべて暗譜でおこなっています。
 結局、トスカニーニがこの巡業で指揮したオペラは12演目で全26公演という膨大なものでした(「アイーダ」「トラヴィアータ」「トロヴァトーレ」「リゴレット」「ファヴォリータ」「マリオン・デロルメ」「ジョコンダ」「ハムレット」「ファウスト」「ユグノー教徒」「サルヴァトール・ローザ」「ローリアーネ」)。
 また、巡業歌劇団の帰りの旅費が不足していることが判明したため、全日程終了後、追加演奏会をおこなってなんとか現金を調達。少し古いフランス船「サヴォワ」で帰途についています。
 ちなみに、巡業歌劇団を率いたクラウディオ・ロッシ[1850-1935]は、舞台美術や室内装飾、建築デザインが専門で、長年、生地北イタリアの劇場などを拠点としていましたが、この後、ブラジルで主に活動し、やがてブラジル国籍を得ています。ロッシが関わった建築の代表作はサン・パウロ市立劇場、サン・パウロのメトロポリターナ大聖堂など。


 年表
 1867年
(0歳)

●3月25日午前3時頃、アルトゥーロ・アレッサンドロ・トスカニーニ、北イタリア内陸の都市パルマに誕生。父クラウディオ[1833-1906]、母パオラ(旧姓:モンターニ)[1840-1924]は、中流階級の都市の職人で、仕立て屋を経営。アルトゥーロは長男で、兄弟は他に、ナルチーザ[1869-1879]、アーダ[1875-?]、ジーナ[1877-?]という3人の妹。パルマの当時の人口は約4.7万人。
●トスカニーニ家、市内のボルゴ・デル・ヴォルトーネに転居。以後、引っ越しは頻繁におこなわれ、トスカニーニが十代のあいだに、パルマで15か所、ジェノヴァ1か所に住んでいました。

 1868年(0〜1歳)


 1869年(1〜2歳)

●トスカニーニ家、人口の多いジェノヴァに転居し、仕立て屋を新規開業。ジェノヴァはパルマの南西約120kmの海辺の都市。ジェノヴァの当時の人口は約25万人。
●妹、ナルチーザ、ジェノヴァで誕生。
●トスカニーニ家、ジェノヴァの店を畳んでパルマに帰還。

 1870年(2〜3歳)

◆イタリア王国統一。ヴィットリオ・エマヌエレ2世の軍隊がローマに入城。

 1871年(3〜4歳)

●パルマ王立劇場で「仮面舞踏会」を鑑賞。初めての劇場体験。

 1872年(4〜5歳)


 1873年(5〜6歳)


 1874年(6〜7歳)


 1875年(7〜8歳)

●妹、アーダ誕生。

 1876年(8〜9歳)

●小学校2年で転機。小学校教師のルイーザ・ヴェルノーニが、トスカニーニ少年の異常な記憶力に気づき、さらにヴェルノーニが自宅でピアノの手ほどきをするようになると高い能力を見せたため、両親にトスカニーニを音楽院に入学させるようアドヴァイスし、音楽好きだった両親も承諾。
●11月、パルマ王立音楽院(1821年創設)に入学。通学生枠で合格。受験前にパルマ王立劇場のチューバ奏者ボニーニから指導を受けていました。
8年間在学した音楽院では、指揮をジュリオ・チェーザレ・フェラリーニ、作曲と和声は院長のジュスト・ダッチ、チェロをレアンドロ・カリーニに師事。その他、音楽理論、ピアノ、音楽史、合唱、歴史、文学、数学、ラテン語、教理などを学び、苦手科目は数学だけでした。フランス語、ヴァイオリン、コントラバスについては自分で勉強。



 1877年(9〜10歳)

●チェロ専攻開始。
●トスカニーニの妹、ジーナ誕生。

 1878年(10〜11歳)

●1月、国王ヴィットリオ・エマヌエレ2世[1820-1878]死去。パルマ王立音楽院ではケルビーニのレクイエムを追悼演奏。トスカニーニは合唱に参加。
●2月、パルマ王立音楽院の寄宿生(給費学生)に選出。
●パルマの四重奏協会の演奏会で、「タンホイザー」序曲を鑑賞。

 1879年(11〜12歳)


 1880年(12〜13歳)


 1881年(13〜14歳)


 1882年(14〜15歳)

●音楽院の寄宿舎では、学生の多くが10代なかばから喫煙を覚え、同時に娼館訪問もおこなうようになったとか。トスカニーニも喫煙習慣以外は影響を受けたようです。

 1883年(15〜16歳)


 1884年(16〜17歳)

●3月、パルマ王立劇場(座席数:約1,200席・開業:1829年)。「ローエングリン」パルマ初演。チェロ奏者として参加。


●5月、音楽院の演奏会で、参加者の一人として学生オーケストラを指揮、自作「アンダンテ」と「スケルツォ」を演奏。
●夏、カルピ市立劇場(572席・1861年)。グリエルモ・ブランカ[1849-1928]の指揮するオーケストラでチェロを演奏。初の有給仕事で、日給は5リラ。交通費・宿泊費・食費はそこから賄わなければならなかったのであまり残りませんでした。また、音楽院に無許可でおこなったため、ダッチ院長から叱られています。カルピは北イタリア内陸部、パルマとボローニャの中間にある都市で当時の人口は2万人ほど。


●秋、クレオフォンテ・カンパニーニ[1860-1919]のオーケストラに参加し、トリノとミラノで演奏。カンパニーニは、前年の1883年に23歳でパルマ王立歌劇場でデビューして成功、すぐにメトロポリタン歌劇場から招かれ、以後、ミラノ・スカラ座、コヴェントガーデン王立歌劇場、パリ市立歌劇場などに客演し、59歳で亡くなるまで世界的に活躍したオペラ指揮者。イタリア物とフランス物を得意としていました。


●秋、トリノ、イタリア博覧会大ホール。クレオフォンテ・カンパニーニ率いる120人編成のオーケストラにチェロ奏者として参加。34回のコンサートで、60人の作曲家による133の作品を演奏するポプリ・コンサート。この博覧会は、514ページにおよぶ画集のような紹介本まで出版されるほど政府が力を入れたものでした。


●秋、ミラノ、ダル・ヴェルメ劇場。クレオフォンテ・カンパニーニ率いる120人編成のオーケストラのポプリ・コンサートにチェロ奏者として参加。


●トスカニーニ、音楽院の和声のクラスの助手に任命されます。

 1885年(17〜18歳)

●7月、パルマ王立音楽院を卒業。チェロ、作曲で最高点を得たほか、バルバチーニ賞を受賞して賞金137.5リラも獲得。


●パルマ王立歌劇場のオーケストラでチェロ奏者として演奏。「アイーダ」「ファウスト」「ジョコンダ」「マリオン・デロルメ」など。
●夏、再びカルピ市立劇場のオーケストラで演奏。

 1886年(18〜19歳)

●パルマ王立歌劇場のオーケストラでチェロ奏者として演奏。
●3〜8月、巡業歌劇団の一員として、ブラジルで活動。「アイーダ」でオペラ指揮者デビューを果たし、全12演目26公演を指揮。


●9月、ブラジルから帰国。地元ジェノヴァの劇場でチェロ奏者として活動。ブラジル公演での成功は、情報伝達がままならなかった時代ということで、イタリアではほとんど報じられず、トスカニーニは元の生活に戻っていました。
そのトスカニーニのもとに、巡業歌劇団で一緒だったロシア人テノール歌手のニコライ・フィグネルから手紙が届き、いろいろな人を紹介されて道が開けます。

●11月、トリノ、カリニャーノ劇場(875席・17世紀末)。カタラーニ「エドメア」を10回指揮。指揮者として契約した初めての公演。


●トスカニーニ家、アルトゥーロの説得によりミラノに転居。


 1887年(19〜20歳)

●トスカニーニ家、ミラノのサン・シモーネ通りに転居。
●2月、ミラノ、スカラ座。ヴェルディ「オテロ」初演に第2チェロ奏者として参加。
●6月、10月、11月、カザーレ・モンフェラート、ソチアーレ劇場。「アフリカの女」「ジョコンダ」「十字軍のロンバルディア人」を指揮。カザーレ・モンフェラートは北イタリアの小都市。ソチアーレ劇場は多目的劇場。「ジョコンダ」でアンコールに応じなかったことでトスカニーニと客が口論に。


●12月、ヴェローナ、フィラルモニコ劇場(約1,200席・1732年)。ヴェローナは北イタリア内陸の中規模都市。「カルメン」

 1888年(20〜21歳)

●1月、ヴェローナ、フィラルモニコ劇場。年末からの客演。「ミニョン」「ルクレツィア・ボルジア」


●8月、マチェラータ、ラウロ・ロッシ劇場(約550席・1765年)。マチェラータは中部イタリア内陸の小都市。「アイーダ」


●10〜11月、ミラノ、ダル・ヴェルメ劇場(約1,436席・1872年)。「運命の力」「婚約者」「カニョーニ:フランチェスカ・ダ・リミニ」


●12月、ノヴァーラ、コッチャ劇場(約806席・1888年)。ノヴァーラは北イタリア内陸の小都市。こけら落とし。「ユグノー教徒」

 1889年(21〜22歳)

●1〜2月、ノヴァーラ、コッチャ劇場。年末からの客演。「アイーダ」「運命の力」
●ノヴァーラ、トスカニーニがチェロを担当し、コッチャ劇場のオケの楽員3名とのアンサンブルで、弦楽四重奏曲コンサートを開催。ベートーヴェン、チャイコフスキー、ラフなどを演奏。好評のため4日後に再び演奏。


●3月、トリノ、ヴィットリオ・エマヌエーレ劇場(約4,500席・1856年)。「カルメン」。


●5月、トリノ、カリニャーノ劇場。「カルメン」「エドメア」


●7月、ジェノヴァ、ジェノヴェーゼ劇場。カニョーニ「フランチェスカ・ダ・リミニ」


●10〜11月、ヴォゲーラ、ソチアーレ劇場(約600席・1845年)。ヴォゲーラは北イタリア内陸の小都市。「アイーダ」「ファヴォリータ」


●12月、ブレーシャ、グランデ劇場(約970席・1810年)。ブレーシャは北イタリア内陸の中規模都市。「ジョコンダ」

 1890年(22〜23歳)

●1月、ブレーシャ、グランデ劇場。「妖精ヴィッリ」。


●1〜2月、ジェノヴァ、ジェノヴェーゼ劇場。「アイーダ」「運命の力」


●3月、ジェノヴァ、レジーナ・マルゲリータ(約2,000席・1885年)。前身のアンドレア・ドリア劇場は1854年開場。「ミニョン」「カルメン」
●4〜5月、トリノ、カリニャーノ劇場。「ミニョン」「カルメン」「ファウスト」


●春〜夏、トスカニーニは室内楽奏者として、ミラノの裕福な音楽愛好家の邸宅で開催された室内楽コンサートに6回参加。ピアノ、チェロを演奏。
●6月頃、トスカニーニ家、ミラノ市内、コルソ・トリノにある大きなアパートに転居。
●11月、バルセロナ、リセウ大劇場(約3,400席・1862年)。エドアルド・マスケローニ[1852-1941]のアシスタントとしての契約でしたが、ベッリーニの「カプレ―ティとモンテッキ」の本番も3回指揮することができました(トスカニーニのことが気に入らなかったマスケローニが、嫌がらせの為に振らせたという説もあり)。


トスカニーニにとって、ブラジル以来4年ぶりとなる海外公演での指揮は、経緯はともかく結果は成功でした。



 1891年(23〜24歳)

●8月、セニガリア、ラ・フェニーチェ劇場(約1,000席・1828年)。「カヴァレリア・ルスティカーナ」。セニガリアはイタリア中部沿岸部の小都市。


●11月、トリノ、カリニャーノ劇場。大成功を収め17公演となった「カヴァレリア・ルスティカーナ」、2公演で終わった「ルイーザ・ミラー」


 1892年(24〜25歳)

●1〜3月、ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場(約2,000席・1828年)。「預言者」「シモン・ボッカネグラ」「友人フリッツ」「ローレライ」「ヴィンディーチェ」


●3月、父クラウディオが300リラの借金の担保に息子の名前を勝手に使用していたため、トスカニーニは現金を用意することができず、ジェノヴァからミラノに帰ることもできず困り果て、興行師のルイージ・ピオンテッリに手紙を書いて助けを求めます。ピオンテッリは昨シーズンの成果への感謝の気持ちとして200リラを送金し、その後数年間、トスカニーニの代理人を務めています。
●5月、ミラノ、ダル・ヴェルメ劇場。「ハムレット」「道化師(世界初演)」。


●9月、ルッカ、ジーリオ劇場(約750席・1817年)。ルッカはイタリア中西部内陸の中規模都市でプッチーニの生地。「ワリー」。


●10月、ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場。フランケッティ「クリストフォロ・コロンボ」「ワリー」。「クリストフォロ・コロンボ」はヴェルディが臨席。


●10〜11月、ローマ、コスタンツィ劇場(約2,200席・1880年)。1958年に小型化、現在の名称はローマ歌劇場。「カルメン」「グワリティエーロ・スワルテン(世界初演)」「運命の力」


●12月、パレルモ、ガリバルディ劇場(約950席・1874年)。パレルモはシチリア島最大の都市。翌年4月まで5か月間の長期滞在で8演目全80公演を指揮。上演は大半が成功で、中にはボーイ・ソプラノの歌うセヴィリアの理髪師という面白いものもありましたが、一方で、マフィアから血まみれの手紙を届けられて脅されたほか、聴衆たちによる「ガリバルディ賛歌」の演奏要求や、執拗なアンコール要求が、聴衆との罵りあいや公演中断にまで発展するなど、若いトスカニーニにとって凄まじい劇場体験でもありました。オーケストラのレベルも低かったため、リハーサルでは現地の音楽院を売春宿に替えろと侮辱するなどトスカニーニの方にも問題があり、後年、厄介な性格だったと述懐しています。「道化師」

 1893年(25〜26歳)

●1〜4月、パレルモ、ガリバルディ劇場。年末からの客演。「カヴァレリア・ルスティカーナ」「ローレライ」「ノルマ」「さまよえるオランダ人」「セヴィリアの理髪師」「リゴレット」「ジョコンダ」。


●8月、トスカニーニと最も親しかった作曲家カタラーニ、結核のため39歳で死去。カタラーニは、例年通りスイスの山で夏を過ごすための鉄道での旅の途中、ミラノから1時間ほどのキアッソで喀血、ミラノに戻って療養しますが数日後に死去。アパートでの最後の数日間、トスカニーニは朝9時から深夜までカタラーニの部屋で過ごし、彼の親族や台本作家のルイージ・イッリカと共に見送っています。


 1894年(26〜27歳)

●2月、ピーザ新王立劇場(約900席・1876年)。「オテロ」上演時に爆発騒ぎの嫌がらせ。斜塔で有名なピーザ(ピサとも)はイタリア中西部の小都市。ピーザ新王立劇場は現在はピーザ市立ヴェルディ劇場。「オテロ」「マノン・レスコー」


●5月、ラヴェンナ、アリギエーリ劇場(約830席・1852年)。オペラ経験の無い者まで含む歌手陣や、エキストラだらけのオーケストラを2週間徹底的にトレーニングして成功に導き14公演を実現。「ラオールの王」


●8月、ブレーシャ、グランデ劇場。「マノン」「清教徒」「トラヴィアータ」


●10月、トレヴィーゾ、ソチアーレ劇場。「ファルスタッフ」「クリストフォロ・コロンボ」
●11〜12月、ボローニャ、市立劇場(テアトロ・コムナーレ)。「ファルスタッフ」「サヴィートリ」「クリストフォロ・コロンボ」


●12月、ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場。「ファルスタッフ」。翌年2月までの2か月強で7演目59公演を指揮。

 1895年(27〜28歳)

●1〜2月、ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場。年末からの客演。「クリストフォロ・コロンボ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「友人フリッツ」「タンホイザー」「サヴィートリ」「運命の力」


●3月、ピーザ(ピサとも)、新王立劇場。「ファルスタッフ」「クリストフォロ・コロンボ」


●4月、ヴェネツィア、マリブラン劇場。「ファルスタッフ」「運命の力」
●4〜5月、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場(1,126席・1792年)。「クリストフォロ・コロンボ」「ファルスタッフ」「妖精ヴィッリ」ロッツィ「エマ・リオナ」


●6月、トレント、ソチアーレ劇場。「クリストフォロ・コロンボ」
●10月、トレヴィーゾ、市立劇場(テアトロ・コムナーレ)。「タンホイザー」「ローレライ」
●12月、トリノ、王立劇場(約2,500席・1740年)。音楽監督に就任。翌年2月までの約2か月で6演目59公演指揮。現在は火災消失により小型化して再建。「神々の黄昏」(イタリア初演)「ファルスタッフ」

 1896年(28〜29歳)

●1〜2月、トリノ、王立劇場。年末からの公演。「サヴィートリ」「ボエーム(世界初演)」ロッツィ「エマ・リオナ」パエル「宮廷楽士長」
●3月、トリノ、王立劇場管。初めて本格的なオーケストラ・コンサートを指揮。「未完成」「くるみ割り人形」組曲、他


●4〜5月、スカラ座管。ハイドン第101番、ベートーヴェン第1番、「グレート」、ワーグナー管弦楽曲、他


●6月、トレント、ソチアーレ劇場。「ボエーム」「仮面舞踏会」
●8月、ブレーシャ、グランデ劇場。「ボエーム」


●11〜12月、ボローニャ、市立劇場。「ボエーム」「妖精ヴィッリ」


●12月、トリノ、王立劇場管の演奏会2回。ベートーヴェン第1番、ブルックナー第7番アダージョ他。
●12月、トリノ、王立劇場。「アンドレア・シェニエ」。翌年3月まで5演目48公演指揮。



 1897年(29〜30歳)

●1〜3月、トリノ、王立劇場。年末からの公演。「サムソンとダリラ」「メフィストーフェレ」「トリスタンとイゾルデ」ブッツィ=ペッチャ「愛の力(世界初演)」。
●3月、トリノ、王立劇場管の演奏会5回。「悲愴」、シューマン第2番、他


●4月、ヴェネツィア、ロッシーニ劇場。「ボエーム」
●6月21日、結婚。ミラノでカルラ・デ・マルティーニと。
●8月、ベルガモ、ドニゼッティ劇場。「ファヴォリータ」
●10〜11月、ミラノ、ダル・ヴェルメ劇場。「ボエーム」「ルチア」「マノン・レスコー」


 1898年(30〜31歳)

●1〜4月、トリノ、王立劇場。「エーロとレアンドロ」「ボエーム」「メフィストーフェレ」「ワルキューレ」「カマルゴ」「ノルマ」
●3月、トスカニーニの第1子、ヴァルテル、トリノで誕生。
●5月、トリノ、王立劇場管の演奏会。ヴェルディ:「スターバト・マーテル」、「処女マリアへの讃歌」「テ・デウム」世界初演。聖歌四篇のうち3曲。


●12月、ミラノ、スカラ座。音楽監督に就任。「マイスタージンガー」


 1899年(31〜32歳)

●1〜4月、ミラノ、スカラ座。「イリス」「ユグノー教徒」「ファルスタッフ」「ラオールの王」「ウィリアム・テル」
●4〜5月、スカラ座管。シューマン第4番、ペロージ「ラザロの復活」、ブラームス第2番、他
●12月、ミラノ、スカラ座。「ジークフリート」「オテロ」

 1900年(32〜33歳)

●1月、トスカニーニの第2子ヴァッリ誕生。
●1〜4月、ミラノ、スカラ座。音楽監督に就任。「ローエングリン」、ガレオッティ「アントン(世界初演)」、「トスカ」「エフゲニー・オネーギン」
●4〜5月、スカラ座管。「田園」「新世界より」、ブラームス第2番、ワーグナー管弦楽曲、他


●11月、ミラノ、リリコ劇場。レオンカヴァッロ「ザザ(世界初演)」。主役を歌ったロジーナ・ストルキオと恋愛関係に。のちに子供も。
●12月、ミラノ、スカラ座。「ボエーム」「トリスタンとイゾルデ」。カルーソーがロドルフォ役でスカラ座デビュー。

 1901年(33〜34歳)

●1〜4月、ミラノ、スカラ座。マスカーニ「マスケレ(世界初演)」、「サバの女王」「愛の妙薬」「メフィストーフェレ」、ラーラ「メッサリーナ」
●1月27日、ヴェルディ死去。
●2月1日、ミラノ、スカラ座。ヴェルディ追悼コンサートで指揮。オペラからの抜粋。


●3〜8月、ブエノスアイレス、オペラ劇場(約2,500席・1889年)。「トスカ」「タンホイザー」「サムソンとダリラ」「サバの女王」「アイーダ」「リゴレット」、フランケッティ「アスラエル」「愛の妙薬」「ローエングリン」「トラヴィアータ」「トリスタンとイゾルデ」「クリストフォロ・コロンボ」、パニッツァ「ラテン中世」。パニッツァはすでにイタリアでオペラ指揮者として活動を始めていましたが、もともとはブエノスアイレス生まれのイタリア移民の子で、パニッツァを気に入っていたトスカニーニが、彼の故郷で彼の書いたオペラを上演。ブエノスアイレスのオペラ劇場は1870年に開場し、1889年には発電設備も備えるなど大幅に改造、2,500の座席を備えたブエノスアイレス最大の劇場として注目を集めます。同じく2,500席を擁するテアトロ・コロンが完成するのは1908年のことなので、この劇場が約20年先行していたことになります。


●9月、トスカニーニの第3子ジョルジョ誕生。
●12月、ミラノ、スカラ座。「ワルキューレ」

 1902年(34〜35歳)

●1月、スカラ座管。ヴェルディ:レクイエム。没後1周年記念コンサート
●1〜4月、ミラノ、スカラ座。「シャモニーのリンダ」「ヘンゼルとグレーテル」「トロヴァトーレ」、フランケッティ「ジェルマニア」、「オイリアンテ」
●4月、スカラ座管。ベートーヴェン第9番、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、「真夏の夜の夢」序曲、他


●9月、ルーゴ、ロッシーニ劇場(448席・1761年)。ルーゴは北イタリア内陸の小都市。1859年にロッシーニ劇場と改名。「アイーダ」。
●12月、ミラノ、スカラ座。「ファウストの劫罰」

 1903年(35〜36歳)

●1〜4月、ミラノ、スカラ座。「ルイーザ・ミラー」、スマレリア「オチェアナ」、フランケッティ「アスラエル」、ポンキエッリ「リトアニア人」、「パルジファル」「仮面舞踏会」
●4月、スカラ座音楽監督を辞任。新しい運営委員会との不和などが原因。
●5〜8月、ミラノ、スカラ座。「ルイーザ・ミラー」、スマレリア「オチェアナ」、フランケッティ「アスラエル」、ポンキエッリ「リトアニア人」、「パルジファル」「仮面舞踏会」


●ソプラノ歌手ロジーナ・ストルキオとの子、ジョヴァンニ[1903-1919]誕生。
●3〜8月、ブエノスアイレス、オペラ劇場。「トスカ」、フランケッティ「ジェルマニア」、「ジョコンダ」「ファウストの劫罰」「愛の妙薬」「リゴレット」「ヘンゼルとグレーテル」「アイーダ」「イリス」「マノン・レスコー」「マイスタージンガー」「トラヴィアータ」「グリゼルダ」「アドリアーナ・ルクヴルール」「メフィストーフェレ」

 1904年(36〜37歳)

●5〜8月、ブエノスアイレス、オペラ劇場。「アドリアーナ・ルクヴルール」「シャモニーのリンダ」「シベリア」「イリス」「ファウスト」「トスカ」「蝶々夫人」「」「マノン・レスコー」「ファウストの劫罰」「ローエングリン」「ボエーム」「ファルスタッフ」「ワリー魔弾の射手」「マノン」


●10〜11月、ボローニャ、市立劇場。「マイスタージンガー」「ディノラー」

 1905年(37〜38歳)

●10〜12月、ボローニャ、市立劇場。「ジークフリート」「蝶々夫人」「ヘンゼルとグレーテル」、ニェッキ「カサンドラ」(世界初演)


 1906年(38〜39歳)

●5〜8月、ブエノスアイレス、オペラ劇場。「リゴレット」「ワリー」「ドン・パスクワーレ」「蝶々夫人」「ジョコンダ」「ワルキューレ」「マノン」「メフィストーフェレ」「トラヴィアータ」「クリストフォロ・コロンボ」「トスカ」「セビリアの理髪師」「トリスタンとイゾルデ」「ドン・ジョヴァンニ」「ローレライ」、フランケッティ「イオリオの娘」


●モンテビデオ、ソリス劇場(約1,500席・1856年)。モンテビデオは巨大なラ・プラタ川河口のブエノスアイレスの斜向かいに位置するウルグアイの大都市。「リゴレット」「ワリー」「ドン・パスクワーレ」「蝶々夫人」「マノン」「トラヴィアータ」「トリスタンとイゾルデ」「ローレライ」


●6月、トスカニーニの父クラウディオ、死去。
●6月、トスカニーニの次男ジョルジョ、ジフテリアにより死去。
●12月、ミラノ、スカラ座に復帰。「サロメ」イタリア初演をめぐり作曲者とトラブル。
●12月、ミラノ、スカラ座。「サロメ」「カルメン」

 1907年(39〜40歳)

●1〜4月、ミラノ、スカラ座。「ジョコンダ」「トリスタンとイゾルデ」「アイーダ」「ワリー」「オルフェオとエウリディーチェ」、チレア「グローリア」(世界初演)、「カヴァレリア・ルスティカーナ」
●4〜5月、スカラ座管。ベートーヴェン第4番、ボロディン第2番、「ドン・ファン」「序奏とアレグロ」、他
●12月、トスカニーニの次女ヴァンダ誕生。
●12月、ミラノ、スカラ座。「神々の黄昏」「トスカ」

 1908年(40〜41歳)

●1〜4月、ミラノ、スカラ座。「クリストフォロ・コロンボ」「ルイーズ」「ジョコンダ」「運命の力」「ペレアスとメリザンド」「メフィストーフェレ」
●5月、スカラ座管。「ハフナー」「英雄の生涯」「牧神の午後への前奏曲」「魔法使いの弟子」「序奏とアレグロ」、他
●トスカニーニ、スカラ座音楽監督を辞任。スカラ座の運営委員会とオーケストラ・コンサートの曲目をめぐって衝突して訴訟になり敗訴したことが原因。これがメトロポリタン歌劇場に移るきっかけとなります。


●トスカニーニ、メトロポリタン歌劇場首席指揮者に就任。マーラーとの2人体制。
●11〜12月、メトロポリタン歌劇場(3,625席・1883年)。「アイーダ」「蝶々夫人」「リゴレット」「トスカ」「カルメン」「神々の黄昏」「妖精ヴィッリ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」


◆12月28日、メッシーナ大地震発生。マグニチュード7.1の地震と最大12メートルの津波がシチリア島などイタリア南部に深刻な被害をもたらし、犠牲者は10万人ともいわれています。


 1909年(41〜42歳)

●1〜3月、NY、メトロポリタン歌劇場。「ワリー」「ファルスタッフ」
●1〜4月、メトロポリタン歌劇場管弦楽団演奏会。1月10日にイタリア南部地震の被災者救援基金のためのコンサートを開催。25人の歌手と、マーラー、トスカニーニを含む4人の指揮者が出演。2月21日、28日、3月28日、4月9日、トスカニーニの指揮でヴェルディのレクイエムを演奏。4月4日、トスカニーニの指揮で、メトロポリタン歌劇場年金基金のためのコンサート開催。「メフィストーフェレ」プロローグ他を演奏。
●11〜12月、メトロポリタン歌劇場。「アイーダ」「ジョコンダ」「オテロ」「蝶々夫人」「トリスタンとイゾルデ」「オルフェオとエウリディーチェ」


 1910年(42〜43歳)

◆1月、パリ大洪水。長雨でセーヌ川の水位が8.6メートル上昇し、2か月に渡ってパリは洪水状態に。


●1〜3月、NY、メトロポリタン歌劇場。「ジェルマニア」「ファルスタッフ」「マイスタージンガー」
●2〜3月、メトロポリタン歌劇場管弦楽団演奏会。2月6日、3月13日、トスカニーニの指揮でヴェルディのレクイエムを演奏。2月の公演はパリ大洪水の被災者支援のための慈善演奏会。
●5〜6月、メトロポリタン歌劇場、パリ・シャトレ座引っ越し公演。オーケストラは現地契約でコンセール・ラムルー管、コンセール・コロンヌ管の楽員が演奏。「アイーダ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「オテロ」「ファルスタッフ」「マノン・レスコー」
●11〜12月、メトロポリタン歌劇場。グルック「アルミーダ」「蝶々夫人」「アイーダ」「ボエーム」「ジョコンダ」「オルフェオとエウリディーチェ」「西部の娘(世界初演)」

 1911年(43〜44歳)

●1〜3月、NY、メトロポリタン歌劇場。「トリスタンとイゾルデ」「マイスタージンガー」「ジェルマニア」「トスカ」「オテロ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「アリアーヌと青髭」


●5〜6月、ローマ、コスタンツィ劇場。「ファルスタッフ」「西部の娘」


●11〜12月、メトロポリタン歌劇場。「蝶々夫人」「アイーダ」「西部の娘」「トリスタンとイゾルデ」「ジョコンダ」「トスカ」「アルミーダ」「オルフェオとエウリディーチェ」

 1912年(44〜45歳)

●1〜3月、NY、メトロポリタン歌劇場。ヴォルフ=フェラーリ「せんさく好きな女たち」「アリアーヌと青髭」「オテロ」「」「マイスタージンガー」「マノン」


●5〜8月、ブエノスアイレス、コロン劇場(約2,500席・1908年)。「トリスタンとイゾルデ」「アイーダ」「メフィストーフェレ」「マノン」「ドン・パスクワーレ」「マノン・レスコー」「ボエーム」「ジェルマニア」「トスカ」「アリアーヌと青髭」「蝶々夫人」「リゴレット」「ファルスタッフ」「神々の黄昏」「王様の子供たち」


●12月、メトロポリタン歌劇場。「オルフェオとエウリディーチェ」「蝶々夫人」「トリスタンとイゾルデ」

 1913年(45〜46歳)

●1〜4月、メトロポリタン歌劇場。「トスカ」「西部の娘」「マノン」「マノン・レスコー」「せんさく好きな女たち」「アイーダ」「ボリス・ゴドゥノフ」「ドン・パスクワーレ」「ジョコンダ」
●4月、メトロポリタン歌劇場管弦楽団演奏会。ベートーヴェン第9番、「ティル・オイレンシュピーゲル」、他


●9月、ブッセート、ヴェルディ劇場(307席・1868年)。ヴェルディ生誕100周年記念公演。「トラヴィアータ」「ファルスタッフ」


●10月、ミラノ、スカラ座。「ファルスタッフ」
●10月、ミラノ、スカラ座管。オケ120人、合唱360人の特別編成。ヴェルディ:レクイエム


●11〜12月、メトロポリタン歌劇場。「ジョコンダ」「仮面舞踏会」「蝶々夫人」「ボリス・ゴドゥノフ」「トスカ」「アイーダ」「トリスタンとイゾルデ」「マノン」

 1914年(46〜47歳)

●11〜12月、メトロポリタン歌劇場。モンテメッツィ「三王の恋」、「マイスタージンガー」「ドン・パスクワーレ」「オルフェオとエウリディーチェ」、ヴォルフ=フェラーリ「恋する医者」


●10月、ローマ、コスタンツィ劇場。戦争により帰国したイタリア移民支援基金のための公演。カルーソーも参加。「道化師」&「蝶々夫人」第2幕


●11〜12月、メトロポリタン歌劇場。「仮面舞踏会」「カルメン」「アイーダ」「ボリス・ゴドゥノフ」「蝶々夫人」「トリスタンとイゾルデ」「トスカ」「オイリアンテ」「マノン」

 1915年(47〜48歳)

●1〜4月、メトロポリタン歌劇場。ジョルダーノ「マダム・サン=ジェーヌ(世界初演)」、「三王の恋」「トロヴァトーレ」「マイスタージンガー」「カルメン」「イリス」
●トスカニーニ、メトロポリタン歌劇場運営陣と対立、「イリス」を最後に、その後のオペラ公演とオーケストラ公演の両方をキャンセル。
●トスカニーニ、ジェラルディン・ファーラーとの不倫問題。


●トスカニーニ、第1次大戦開戦の為、帰国。
●9〜11月、ミラノ、ダル・ヴェルメ劇場。戦争で失業した音楽家のための全43回の慈善公演。ジョルダーノ「マダム・サン=ジェーヌ」、「道化師」「スザンナの秘密」「トラヴィアータ」「トスカ」「仮面舞踏会」「ファルスタッフ」


 1916年(48〜49歳)

●1〜3月、ローマ、アウグステオ劇場(約3,000席・1908年)。聖チェチーリア管。「時計」「エニグマ」「悲歌的子守歌」「死の島」「田園」「エン・サガ」「ペトルーシュカ」抜粋、ブラームス第2番、他


●5月、トリノ、王立劇場管。マルトゥッチ第1番、「悲歌的子守歌」、「聖金曜日の音楽」、他


●11月、ローマ、アウグステオ劇場。聖チェチーリア管。マルトゥッチ第1番、ワーグナー管弦楽曲、他


 1917年(49〜50歳)

●9〜10月、イタリア王国軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍が戦うイタリア北東部のイゾンツォ川近くの前線まで出向き慰問演奏。慰問直前までおこなわれていた第11次イゾンツォの戦いでの勝者はイタリア軍でしたが、死傷者はイタリア軍約15.8万人(うち死者約3万人)、オーストリア=ハンガリー軍約11.5万人(うち死者約2万人)という膨大な規模。
トスカニーニは各所で軍楽隊を指揮してオペラの序曲や間奏曲を編曲演奏しますが、ほどなく戦闘が再開され、コルモンスで演奏しているときに周囲から人がいなくなり、トスカニーニは自分たちで荷馬車を調達してその場から去り、鉄道に乗って退避しています。新たに始まったこの「カポレットの戦い」ではイタリア軍は惨敗していたので、トスカニーニは危ないところでした。ちなみに、これら一連の慰問演奏で、トスカニーニに対して「勇気ある市民のための銀メダル」が授与されています。



 1918年(50〜51歳)

●1〜3月、ミラノ音楽院管。チェコ系イタリア人新進作曲家、リッカルド・ピック=マンジャガッリ[1882-1949]の「呪文」のほか、「オルガン付」「英雄」「プラハ」「禿山の一夜」など。ピック=マンジャガッリとは親しくなり、やがてその夫人でソプラノ歌手のエルザ(旧姓クルツバウアー)と非常に親しくなります。


●11月、ミラノ、スカラ座。「メフィストーフェレ」


 1919年(51〜52歳)

●5〜6月、トリノ、王立劇場管。ベートーヴェン第9番、ワーグナー管弦楽曲、他


◆9月、フィウメ進軍。詩人ダンヌンツィオ率いる義勇兵の一団がフィウメを占領。現在はクロアチアのリエカとして知られるその地には、当時はイタリア語話者が多かったため、イタリア領とすべきいう無茶な理由で、愛国詩人ダンヌンツィオによって私的に占領されたものでした。ダンヌンツィオは「ドゥーチェ(統領)」と称して占領を続け、イタリア政府の弱腰によって1年以上もその状態が継続。1920年10月にはダンヌンツィオは、ムッソリーニ率いる「イタリア戦闘者ファッシ」にも加入。放置できなくなった新首相のジョヴァンニ・ジョリッティはイタリア海軍を派遣して艦砲射撃をおこない、ダンヌンツィオが投降して一連の騒動は終結。


◆11月、議会選挙で、トスカニーニの名前が、ムッソリーニ率いる「イタリア戦闘者ファッシ」の作成した候補者名簿の6番目に登録。実質的には、マリネッティ、ポトレッカと並ぬ「ナンバー2」の扱いでした。

 1920年(52〜53歳)

●1月、ピック=マンジャガッリの紹介でチェコのヴァーシャ・プシホダ[1900-1960]をオーディションし、プライヴェート・リサイタルを手配。
●1月、トリノ、王立劇場管。ベートーヴェン第9番、ワーグナー管弦楽曲、他


●7月、トスカニーニ、ミラノ・スカラ座の総監督に就任。
●10〜11月、ミラノ・スカラ座管。イタリア・ツアー。21都市で33公演。
ラパロ条約の直後の1920年11月20日、マエストロアルトゥーロトスカニーニは家族を連れてフィウメに到着しました。アルセステ・デ・アンブリスの詩人であり友人である彼は、ヴェルディ市立劇場でコンサートを行うというダヌンツィオの招待を何年にもわたって受け入れていました。彼のオーケストラはすぐにOrphicLegionと改名され、カントリダの岩の間で意気揚々と歓迎され、大胆な人たちによる危険な操作の本当の好戦的なショーで、コンサートは素晴らしい愛国的なイベントとして発表されました:Vivaldi、ベートーベンの第5交響曲、コンサートの最後に、レオーネ・シニガリア、デブッシー、レスピーギ、ヴェルディとワーグナーによるシチリアのベスパー、グッドフライデーのエンチャントとイゾルデ・デル・トリスターノとイソッタの死、恍惚とした聴衆からの大きな要求。シンフォニアコであるトスカニーニは、間違いなく世界で最も有名なイタリア人の1人でしたが、ダヌンツィオへの感謝を隠しませんでした。逆もまた同様です。イベントの確かなヨーロッパの共鳴を頼りに、それはエピローグに向かって劇的に進化していました。コンサート後のダヌンツィオへの感謝の電報にあるトスカニーニの言葉は次のとおりです。あなたの魅力的な言葉の調和、あなたの勝利の仕事のエネルギーに匹敵するものは何も知りません。イタリア人と芸術家の献身的な感謝の心を持って、あなたの誓いが果たされることを願っています。 ●11〜12月、ミラノ・スカラ座管。翌年3月までの4か月間という日程で北米ツアーを実施。25都市で55公演のほか、レコーディングも実施。11月30日、ナポリをプレジデント・ウィルソン号(12,567トン、全長145.4メートル、全幅18.3メートル)で出航、12月13日にニューヨークに到着。



 1921年(53〜54歳)

●1〜3月、ミラノ・スカラ座管。年末からの北米公演。25都市で55公演のほか、レコーディングも実施。
●4〜6月、ミラノ・スカラ座管。イタリア・ツアー。
●12月、ミラノ、スカラ座。「ファルスタッフ」

 1922年(54〜55歳)

●1〜4月、ミラノ、スカラ座。年末からの公演。「リゴレット」「ボリス・ゴドゥノフ」「メフィストーフェレ」「マイスタージンガー」
●6〜7月、ミラノ・スカラ座管。ベートーヴェン第9番、他


●4〜6月、ミラノ・スカラ座管。イタリア・ツアー。
◆8〜10月、ローマ進軍。ファシスト党員たちが武装してローマ占領を目指して進軍したクーデター。政府は戒厳令を発動しようとするものの、国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世が拒否、内閣は解散し、後任として国王がムッソリーニに組閣させています。


●12月、ミラノ、スカラ座。翌年5月まで11演目75公演を指揮。「ファルスタッフ」「ピツェッティ:デボラとヤエーレ 」「マノン・レスコー」

 1923年(55〜56歳)

●1〜5月、ミラノ、スカラ座。年末からの公演。「マイスタージンガー」「リゴレット」「ルイーズ」「ボリス・ゴドゥノフ」「ルチア」「ジョルダーノ:物怖じしない夫人」「魔笛」「メフィストーフェレ」
●5月、ミラノ・スカラ座管。マンゾーニ没後50周年記念特別演奏会。ヴェルディ:レクイエム


●11〜12月、ミラノ、スカラ座。翌年5月まで14演目81公演を指揮。「魔笛」「アイーダ 「トラヴィアータ」」「マノン・レスコー」「トリスタンとイゾルデ」「イリス」

 1924年(56〜57歳)

●1〜5月、ミラノ、スカラ座。年末からの公演。「オルフェオとエウリディーチェ」「ファルスタッフ」「リゴレット」「デボラとヤエーレ」「ルイーズ」「マイスタージンガー」「ボリス・ゴドゥノフ」「ネローネ(世界初演)」


●母パオラ、死去。
●6月、ミラノ・スカラ座管。ヴァレーゼ、ソチアーレ劇場で公演。ヴァレーゼはミラノ近郊の小都市。「運命」「ローマの泉」「聖金曜日の音楽」「前奏曲と愛の死」、他


●6月、ミラノ・スカラ座管。スイス・ツアー。「運命」「ブラームス第2番」「ローマの泉」「聖金曜日の音楽」「前奏曲と愛の死」、他
●11月、プッチーニ、ブリュッセルで死去。喉頭癌の手術後、合併症を発症。
●10〜12月、ミラノ、スカラ座。翌年5月まで15演目75公演を指揮。「ネローネ」「ボリス・ゴドゥノフ」「イリス」「メフィストーフェレ」「ボエーム」

 1925年(57〜58歳)

●1〜5月、ミラノ、スカラ座。年末からの公演。「トラヴィアータ」「ルイーズ」「ザンドナイ:エケブの騎士たち(世界初演)」「マノン・レスコー」「オルフェオとエウリディーチェ」「リゴレット」「ファルスタッフ」「トロヴァトーレ」「ペレアスとメリザンド(仏語)」


●3月、トリノ、王立劇場。「ネローネ」


●6月、ミラノ・スカラ座管。スイス・ツアー。「英雄」「エニグマ変奏曲」「ローマの松」、他
●6月、ミラノ・スカラ座管。「英雄」「エニグマ変奏曲」「ローマの松」、他
●10月、ミラノ・スカラ座管。「モーツァルト第40番」「海」「マルトゥッチ第2番(世界初演)」、他
●11〜12月、ミラノ、スカラ座。「仮面舞踏会」「トロヴァトーレ」「ファウスト」「蝶々夫人」「マイスタージンガー」「ジョルダーノ:おふざけの夕食」「ザンドナイ:エケブの騎士たち」「イリス」


 1926年(58〜59歳)

●1〜2月、ニューヨーク・フィル。初客演。カーネギー・ホール(2804席・1891年)を中心に演奏。「ローマの松」「運命」「英雄」「時計」「海」、他


●2〜5月、ミラノ、スカラ座。「オルフェオとエウリディーチェ」「聖セバスチャンの殉教」「山王の恋」「ネローネ」「ペレアスとメリザンド」「トラヴィアータ」「トゥーランドット(世界初演)」「ファルスタッフ」


●9月、ブッセート、ヴェルディ劇場。ヴェルディ没後25周年記念公演。「ファルスタッフ」


●10月、ミラノ・スカラ座管。ベートーヴェン交響曲全曲演奏会


●10月、ミラノ・スカラ座管。トリノ王立劇場。ベートーヴェン交響曲全曲演奏会


●11月、ミラノ、スカラ座。翌年5月までに12演目50公演を指揮。右腕の痛みにより12月から1月にかけて休養。「ドン・カルロ(5幕版)」「デボラとヤエーレ」


 1927年(59〜60歳)

●2月、ニューヨーク・フィル。メトロポリタン歌劇場。ベートーヴェン第3番、第5番


●2月、ニューヨーク・フィル。フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュー^ジック(2506席・1857年)。ベートーヴェン第3番、第5番


●2月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホール。ベートーヴェン第1番、第9番


●3〜5月、ミラノ、スカラ座。「ルチア」「ジョコンダ」「リゴレット」「フィデリオ」「ボリス・ゴドゥノフ」「トスカ」「ネローネ」「ファルスタッフ」「ファウスト」「アリアーヌと青髭」
●10月、ミラノ・スカラ座管。「ブラームス第4番」「パシフィック231」、他


●11〜12月、ミラノ、スカラ座。10演目43公演を指揮。「メフィストーフェレ」「フィデリオ」「マノン・レスコー」「オテロ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」

 1928年(60〜61歳)

●1月、ミラノ、スカラ座。「ネローネ」


●1〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏したほか、アメリカ国内ツアーも実施。「ブラームス第2番」「エニグマ変奏曲」「ベートーヴェン第4番」「田園」「ローマの松」、他


●4〜5月、ミラノ、スカラ座。「ファルスタッフ」「ドン・カルロ」「ピツェッティ:ゲラルド神父(世界初演)」「トラヴィアータ」

●10月、ミラノ、スカラ座管。「ハフナー」「ドバッハ:カンタータ第46番」「コダーイ:ハンガリー詩篇」「未完成」「グレート」、他
●11〜12月、ミラノ、スカラ座。翌年5月までに13演目45公演を指揮。「オテロ」「運命の力」「神父ゲラルド」「パルジファル」「ルチア」「マイスタージンガー」

 1929年(61〜62歳)

●1月、ミラノ、スカラ座。「ジョルダーノ:王(世界初演)」


●1〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏したほか、アメリカ国内ツアーも実施。「ハフナー」「ローマの祭」「アウリスのイフィゲニア序曲」「タンホイザー序曲」「グレート」「ダフニスとクロエ組曲」「ドン・キホーテ」「ジュピター」、他


●4〜5月、ミラノ、スカラ座。「アイーダ」「ジェルマニア」「ファルスタッフ」「リゴレット」「ルチア」「マノン・レスコー」


●5月、ミラノ、スカラ座。総勢302名による引っ越し公演。ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、「ファルスタッフ」「ルチア」「リゴレット」「アイーダ」「トロヴァトーレ」「マノン・レスコー」
●7月、トスカニーニ、次年度はスカラ座で指揮をしないと表明。

 1930年(62〜63歳)

●2〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏したほか、アメリカ国内ツアーも実施。「プラハ」「ボレロ」「ベートーヴェン第2・3・7番」「タンホイザー序曲」「展覧会の絵」「死と変容」「牧神の午後への前奏曲」「ジュピター」「ライン」「海」、他


●ニューヨーク・フィルの首席指揮者に就任。
●4〜6月、ニューヨーク・フィル。ヨーロッパ・ツアー。アメリカでの収益が大恐慌によって激減しているため、まだ経済的影響の少ないヨーロッパ15都市(パリ、チューリヒ、ミラノ、トリノ、ローマ、フィレンツェ、ミュンヘン、ウィーン、ブダペスト、プラハ、ライプツィヒ、ドレスデン、ベルリン、ブリュッセル、ロンドン)での公演を企画。一行は客船ドゥ・グラス号(17,759トン、全長168.3メートル、全幅21.8メートル)でフランスのセーヌ河口の港町、ル・アーヴルに向かいます。


●7〜8月、バイロイト、祝祭劇場(1,974席・1876年)。ドイツ人以外で初の出演となったトスカニーニの滞在中、8月4日に主宰者のジークフリート・ワーグナー[1869-1930]が61歳で死去、8月8日の追悼演奏会で、「ジークフリート牧歌」を指揮。「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」


●11〜12月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「英雄の生涯」「フランク:交響曲」「英雄」「未完成」「ブラームス第1番」「田園」「蜘蛛の饗宴」「バッハ:パッサカリア」、他


●11〜12月、フィラデルフィア管弦楽団。アカデミー・オブ・ミュージックを中心に演奏。「英雄の生涯」「ブラームス第1番」「ベートーヴェン第1番」「ハフナー」「ワーグナー:管弦楽曲」、他


 1931年(63〜64歳)

●1〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「ブルックナー第7番」「オルガン付」「ハイドン第31番」「フランク:交響曲」「シベリウス第4番」「シューマン第4番」「ショスタコーヴィチ第1番」「モーツァルト第40番」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●7〜8月、バイロイト、祝祭劇場。「タンホイザー」「パルジファル」


●11〜12月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「宗教改革」「ブラームス第4番」「シューマン第3番」「ドン・ファン」「モーツァルト第29番」「ボレロ」、他


 1932年(64〜65歳)

●4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホール。「ベートーヴェン第9番」「聖金曜日の音楽」


●6月、パリ、シャンゼリゼ劇場(1,905席・1913年)。ゴーベール、アンゲルブレシュト、ワインガルトナーとの合同コンサート。オーケストラもパリの楽団から集めた合同オケ。「海」


●10〜11月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「ブルックナー第4番」「ブラームス第3番」「シューマン第2番」「メンデルスゾーン:イタリア」「バッハ:パッサカリア」「イシュタール」「英雄」


 1933年(65〜66歳)

●3〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「皇帝」の独奏はホロヴィッツ。「ハンソン第2番」「英雄の生涯」「イタリア」「宗教改革」「マンフレッド交響曲」「ワーグナー管弦楽曲」「ベートーヴェン・シリーズ」、他


●10月、ワルテル・ストララム管弦楽団。パリ、シャンゼリゼ劇場。「ローマの松」「牧神の午後への前奏曲」「魔法使いの弟子」「ダフニスとクロエ組曲」「ワーグナー管弦楽曲」


●10月、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザール(1,744席・1870年)で4公演、ブダペストのヴァロシ劇場で1公演。トスカニーニは1899年にウィーン・フィルへの客演を希望していたものの無視され、それから20数年後の1920年代にウィーン・フィルから客演の打診があると今度はトスカニーニ側が無視。この共演は、オーストリア・ファシズムの「祖国戦線」の政治活動家で、ウィーン・フィルの団長職に自分で強引に就任していたイタリア系ズデーテン人ファゴット奏者、ブルクハウザーの尽力により実現したものでした。「ベートーヴェン第7番」「ブラームス第3番」「海」「ローマの松」、他


●11月、ストックホルム・フィル。ストックホルム・コンサートホール(1,770席・1926年)で2公演、コペンハーゲンで1公演。「ベートーヴェン第7番」「ブラームス第3番」「ドン・ファン」、他


 1934年(66〜67歳)

●1〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「ベートーヴェン・シリーズ」「ミサ・ソレムニス」「シューマン第2番」「シベリウス第4番」「ブラームス第1番」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●8月、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。「ベートーヴェン第7番」「ハフナー」「牧神の午後への前奏曲」「ブラームス第3番」「ワーグナー・コンサート」、他


●10月、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザールで3公演、他が2公演。「ブラームス第4番」「ワーグナー・コンサート」、他


●11月、ウィーン・フィル。ウィーン国立歌劇場(1,709席・1869年)。7月に暗殺されたオーストリア・ファシズム政権のドルフース首相のためにヴェルディのレクイエムを指揮。これは「祖国戦線」の活動家でウィーン・フィル団長であるブルクハウザーの要請によるものでした。ちなみに暗殺事件当時は、オーストリア・ナチスがクーデターにより政権奪取を果たすべく各地で暴動を引き起こすものの、ムッソリーニ率いるファシスト党政権が国境線まで軍を進めたため、オーストリア・ファシズム政権は、ほどなくクーデターを鎮圧することに成功していました。


●11〜12月、ストックホルム・フィル。ストックホルム・コンサートホール。「英雄」「ハイドン変奏曲」「ジュピター」「ワーグナー管弦楽曲」、他


 1935年(67〜68歳)

●1〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「ブルックナー第7番」「ミサ・ソレムニス」「ブラームス・シリーズ」「グレート」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●6月、BBC交響楽団。ロンドン、クイーンズ・ホール(約2,500席・1893年)。「ベートーヴェン第7番」「エニグマ変奏曲」「ブラームス第4番」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●7〜8月、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。「ファルスタッフ」「フィデリオ」「宗教改革」「モーツァルト第40番」「ブラームス第4番」「ジークフリート牧歌」、他


●11月、フランス国立放送管弦楽団。パリ・オペラ座(1,950席・1875年)で2公演。「贖罪」「田園」「死の舞踏」、他



●11〜12月、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザールで7公演。「英雄」「グレート」「悲劇的序曲」「ドイツ・レクイエム」「モルダウ」「エン・サガ」、他


 1936年(68〜69歳)

●1〜4月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホールを中心に演奏。「ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(カサドシュ)」「ルーセル第4番」「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(ゼルキン)」「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番(ゼルキン)」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●ニューヨーク・フィルを辞任。。
●7〜8月、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。「フィデリオ」「ファルスタッフ」「マイスタージンガー」「ドイツ・レクイエム」「グレート」「悲劇的序曲」、他


●9月、ウィーン国立歌劇場。「フィデリオ」


●11〜12月、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザールで4公演、他が5公演。「ブラームス第1番」「ミサ・ソレムニス」、他


●12月、パレスチナ管弦楽団(現イスラエル・フィル)。イギリス委任統治領パレスチナ、エジプト共和国(イギリスから1922年に独立)・ツアー4公演。翌年1月まで。「ブラームス第2番」「未完成」、他

 1937年(69〜70歳)

●1月、パレスチナ管弦楽団。パレスチナ、エジプト・ツアー7公演。年末からの客演。「ベートーヴェン第1番」「英雄」「ブラームス第2番」「未完成、他


●3月、ハーグ・レジデンティ管弦楽団。2公演。「未完成」「海」、他


●3月、ストックホルム・フィル。ストックホルム・コンサートホール。「ショスタコーヴィチ第1番」「ブラームス第1番」、他


●4月、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザール。2公演。「田園」「ハイドン第98番」「死と変容」


●5〜6月、BBC交響楽団。ロンドン、クイーンズ・ホール。7公演。「ブラームス第1番」「田園」「ショスタコーヴィチ第1番」「田園」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●7〜8月、ウィーン・フィル。ザルツブルク音楽祭。トスカニーニはこの年のザルツブルク音楽祭を最後に、オペラ全曲の舞台上演はおこなっておらず、その後の17年間はほぼコンサート専門の指揮者として活動することになります。「フィデリオ」「ファルスタッフ」「魔笛」「マイスタージンガー」「ヴェルディ:レクイエム」「田園」、他


●10月、ウィーン・フィル。ムジークフェラインザールで4公演、他が1公演。「展覧会の絵」「田園」、他


●10〜11月、BBC交響楽団。ロンドン、クイーンズ・ホール。2公演。「ドイツ・レクイエム」「悲劇的序曲」「ベートーヴェン第1番」「ベートーヴェン第9番」


●12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。1公演。スタジオ8-Hは、1933年に完成したマンハッタンの高さ約260メートルの超高層ビル「RCAビルディング」に設置された放送用のコンサート・ホール。NBC交響楽団は、RCAが運営するNBC放送の番組用に創設したトスカニーニのためのフル編成オーケストラ。ロジンスキーとモントゥーがトレーニングし、トスカニーニに引き継いでいます。「モーツァルト第40番」「ブラームス第1番」、他

 1938年(70〜71歳)

●1〜3月、NBC交響楽団。8Hスタジオが10公演、カーネギーホールが2公演。「シベリウス第2番」「ボロディン第2番」「ベートーヴェン第9番」「ヴェルディ:レクイエム」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●3月、ハーグ・レジデンティ管弦楽団。4公演。「時計」「英雄」、他


●3〜4月、パレスチナ管弦楽団。パレスチナ・ツアー8公演。「英雄」「グレート」「イタリア」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●5〜6月、BBC交響楽団。ロンドン、クイーンズ・ホール。6公演。「タリス幻想曲」「ブラームス第2番」「シベリウス第2番」「ヴェルディ:レクイエム」「ジュピター」、他


●8月、ルツェルン、コングレスハウスで1公演と、公園コンサート1公演。オーストリア併合の結果、ザルツブルク音楽祭にナチス・ドイツの意向が反映し、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ベームが大活躍。これにより、多くのユダヤ系アーティストが追放されてスイスに移り住んでいたため、ルツェルン市はアドルフ・ブッシュらに夏の音楽祭設立に向けての協力を要請。ブッシュから話を持ち掛けられたトスカニーニは、ザルツブルク音楽祭への出演を事前にキャンセルしていたこともあり、ルツェルン市への協力を承諾、特別編成オーケストラによる野外公演まで引き受けて盛り上げています。「モーツァルト第40番」「ブラームス第3番」「ベートーヴェン第2番」「イタリア」、他


●10〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオが8公演、他が2公演。「タリス幻想曲」「悲愴」「バーバー:アダージョ」「チャイコフスキー:ロメオとジュリエット」「ワーグナー管弦楽曲」、他

 1939年(71〜72歳)

●1〜3月、NBC交響楽団。8Hスタジオが8公演、他が5公演。「イタリアのハロルド」「恋は魔術師」「英雄」「シベリウス第2番」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●5月、BBC交響楽団。ロンドン、クイーンズ・ホール。7公演。「ベートーヴェン第1番〜第9番」「ミサ・ソレムニス」、他


●8月、ルツェルン、コングレスハウスで4公演と、他が3公演。ブルーノ・ワルターの娘グレーテルがエツィオ・ピンツァに入れあげてしまい夫と別居、それを苦にした夫の 「ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(ホロヴィッツ)」「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(ブッシュ)」「ヴェルディ:レクイエム」「ベートーヴェン第7番」「海」、他


●10〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオが8公演、他が1公演。「古典交響曲」「ベートーヴェン第1番〜第9番」「未完成」、他

 1940年(72〜73歳)

●2〜5月、NBC交響楽団。8Hスタジオが8公演、他が2公演。「ライン」「悲愴」「ジュピター」「ラ・ヴァルス」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●6〜7月、NBC交響楽団。南米ツアー。コロン劇場が8公演、他が8公演。「ブラームス第1番」「海」「ドン・フアン」「ラ・ヴァルス」「ワーグナー管弦楽曲」、他


●11〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオが3公演、他が2公演。「カマリンスカヤ」「マンフレッド交響曲」「ヴェルディ:レクイエム」「ミサ・ソレムニス」、他

 1941年(73〜74歳)

●1〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオが7公演、他が1公演。「ガシュタイン交響曲」「おもちゃの交響曲」「英雄の生涯」「悲愴」「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(ホロヴィッツ)」、他


●春、NBC交響楽団首席指揮者を降板。リハーサルのトラブルや運営陣との対立により、この年の秋からのシーズンは契約しませんでした(ストコフスキーが代わりに契約)。
●4月、シカゴ交響楽団。1公演。シカゴ、オーケストラ・ホール(2,522席・1904年)。「ベートーヴェン第7番」「アウリスのイフィゲニア序曲」「ローマの泉」「ジークフリート牧歌」、他


●6〜7月、コロン劇場管弦楽団。7公演。「ベートーヴェン第9番が3回」「ヴェルディ:レクイエム」、他


●11月、フィラデルフィア管弦楽団。2公演。アカデミー・オブ・ミュージック。「イベリア」「ローマの祭」「グレート」


●12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。2公演。「新世界より」「バーバー:アダージョ」「モルダウ」、他



 1942年(74〜75歳)

●1月、フィラデルフィア管弦楽団。アカデミー・オブ・ミュージック2公演、他1公演。「バッハ:パッサカリア」「ハイドン第99番」「バーバー:エッセイ」、他


●1月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。「未完成」「バーバー:エッセイ」、他


●2月、フィラデルフィア管弦楽団。アカデミー・オブ・ミュージック2公演、他1公演。「悲愴」「海」、他


●3月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。「エル・サロン・メヒコ」「イタリア」、他


●4〜5月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホール。ニューヨーク・フィル創立100周年記念シーズンの目玉企画としてベートーヴェン・フェスティヴァルを指揮。毎回、アメリカ国歌も演奏。「ミサ・ソレムニス」「ベートーヴェン第1番〜第9番」、他


●7月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。「レニングラード交響曲」


●10月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホール。「ベルリオーズ:ロメオとジュリエット」「レニングラード交響曲」、他


●11月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。「ラプソディー・イン・ブルー」「リンカンの伝説(世界初演)」「宗教改革」、他


●11月、フィラデルフィア管弦楽団。アカデミー・オブ・ミュージック。3公演。「展覧会の絵」「モーツァルト第40番」、他


●11月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホール。「ワーグナー・コンサート」


●12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。「ブラームス・シリーズ(2公演)」

 1943年(75〜76歳)

●1〜2月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。6公演。「ヴェルディ:諸国民の賛歌」「グランド・キャニオン」「ブラームス・シリーズ(4公演)」、他


●2月、シンシナティ交響楽団。シンシナティ・ミュージックホール(2,289席・1878年)。6公演。「マンフレッド序曲」「ブラームス第2番」、他


●2月、フィラデルフィア管弦楽団。アカデミー・オブ・ミュージック。2公演。「宗教改革」「カバレフスキー第2番」、他


●3〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ14公演、他1公演。「悲愴」「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(ホロヴィッツ)」「カリンニコフ第1番」「ハイドン第104番」「アッテルベリ第6番」「パリのアメリカ人」、他



 1944年(76〜77歳)

●2月、フィラデルフィア管弦楽団。アカデミー・オブ・ミュージック。「田園」「七重奏曲」、他


●3〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。6公演。「ローマの松」「チャイコフスキー:テンペスト」「メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(ハイフェッツ)」、他


●4月、NBC交響楽団。カーネギーホール。戦時国債発行による資金調達のための演奏会で640万ドル以上を集めています。「ブラームス第1番」「悲愴」「ベートーヴェン第5番」


●5月、ニューヨーク・フィル+NBC交響楽団。マディソン・スクウェア・ガーデン(約18,000席・1925年)。赤十字基金コンサート。約18,000人の聴衆を集め、チケット売上は10万ドルを突破。「ワーグナー管弦楽曲」「リゴレット第3幕」「星条旗よ永遠なれ」「諸国民の賛歌番」


●6〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ13公演、他1公演。「フィデリオ全曲」「ベートーヴェン・フェスティヴァル」「スケートをする人々」、他



 1945年(77〜78歳)

●1月、ニューヨーク・フィル。カーネギー・ホール。ニューヨーク・フィル年金基金のための慈善演奏会。「ローマの松」「オイリアンテ序曲」「時計」、他


●1〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオ7公演、他1公演。「オルフェオとエウリディーチェ第2幕」「ライン」「パリのアメリカ人」、他


●4月、ロサンジェルス・フィル。シュライン・オーディトリアム(6,442席・1926年)。ロサンジェルス・フィル年金基金のための演奏会。初の西海岸。「ベートーヴェン第7番」「ハイドン変奏曲」、他


●5〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ10公演、他1公演。「フィンガルの洞窟」「タリス幻想曲」「エニグマ変奏曲」、他

 1946年(78〜79歳)

●1〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。10公演。「ボエーム全曲」「ルーマニア狂詩曲第1番」「キキモラ」「コラ・ブルニョン」、他


●5〜7月、ミラノ・スカラ座管弦楽団。スカラ座で7公演、ルツェルンで2公演。5月11日、イギリス軍による1943年の爆撃破壊から修復されたスカラ座の再開演奏会を指揮。「マノン・レスコー間奏曲と第3幕」「メフィストーフェレのプロローグ」「ベートーヴェン第1番、第9番」他


●10〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。7公演。「トラヴィアータ全曲」「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ヘス)」「マンフレッド交響曲」、他

 1987年(79〜80歳)

●2〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ18公演、他1公演。「オテロ全曲」「ギリス交響曲第5½番(世界初演)」「マンフレッド交響曲」、他


 1948年(80〜81歳)

●2〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオ8公演、他1公演。3月20日テレビ中継(ワーグナー管弦楽曲)。「ベートーヴェン第9番」「展覧会の絵」「ヴェルディ:レクイエム」、他


●6月、ミラノ、スカラ座。2公演。「メフィストーフェレのプロローグ、第3幕」「ネローネ第3幕、第4幕第2部」
●9月、ミラノ・スカラ座管弦楽団。「グレート」「展覧会の絵」「チャイコフスキー:ロメオとジュリエット」他


●10〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。8公演。「ブラームス・シリーズ(6公演)」「美しきメルジーネ」「ドン・キホーテ」他


 1949年(81〜82歳)

●2〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオで8公演、他1公演。「アイーダ全曲」「カバレフスキー第2番」「ティル・オイレンシュピーゲル」他


●9月、ミラノ・スカラ座管弦楽団。ヴェネツィア・フェニーチェ劇場。1公演。「アイオリスの人々」「田園」「モルダウ」「ドン・ファン」他


●9月、ミラノ・スカラ座管弦楽団。スカラ座。2公演。「アイオリスの人々」「田園」「モルダウ」「ドン・ファン」他


●10〜12月、NBC交響楽団。8Hスタジオで8公演、他1公演。「アリ・ババ序曲」「英雄」「ワーグナー管弦楽曲」他


 1950年(82〜83歳)

●2月、妻カルラ、脳卒中で倒れ入院。
●2〜4月、NBC交響楽団。8Hスタジオ。8公演。「ファルスタッフ全曲」「ケルビーニ:レクイエム」「悲愴」他


●4〜5月、トスカニーニ、特別列車で移動し、全米ツアー21公演を指揮。すでに83歳という高齢ながら、移動距離約1万4千キロという長距離ツアーを1人で指揮、訪れる先々で長時間のレセプションにも参加するなど驚異的なエネルギーで周囲を驚かせました。NBC交響楽団の106名の楽員も聴衆の熱い期待に熱演で応え、トスカニーニは翌年もツアーをおこないたいと言いだす始末でしたが、周囲の説得で諦めています。「アルジェのイタリア女序曲」「ドン・ファン」「海」他


●6月、ミラノ・スカラ座管弦楽団。スカラ座。2公演。「ヴェルディ:テ・デウム」「ヴェルディ:レクイエム」


●8Hスタジオをテレビ放送用のスタジオとして改造使用することが決まったため、NBCは、イタリア滞在中のトスカニーニに対して、オーケストラの本拠地がカーネギー・ホールかマンハッタン・センターのどちらが良いかを質問。トスカニーニは、カーネギーホールを選択。しかしこの年のホールのスケジュールはすでに埋まっていたことと、トスカニーニの膝痛が長旅で悪化していたため、キャンセルとなっています。

 1951年(83〜84歳)

●1〜2月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。4公演。「ヴェルディ:テ・デウム」「ヴェルディ:レクイエム」他

●6月、妻カルラ死去。73歳。
●11〜12月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。10公演。「ベートーヴェン第7番」「ワーグナー管弦楽曲」他

 1952年(84〜85歳)

●1〜8月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。7公演。「ベートーヴェン第9番」「カルメン組曲」他


●9月、ミラノ・スカラ座管弦楽団。最後のスカラ座公演。「ワーグナー管弦楽曲」


●9〜10月、フィルハーモニア管弦楽団。ロイヤル・フェスティヴァル・ホール。2公演。「ブラームス・シリーズ」


●11月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。4公演。「ベートーヴェン第8番」「オルフェオとエウリディーチェ第2幕」他

 1953年(85〜86歳)

●1〜3月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。10公演。「驚愕」「新世界より」「ミサ・ソレムニス」「ワーグナー管弦楽曲」他

●11月、トスカニーニ、体調不良によりシーズン最初の11月8日と15日の指揮をキャンセル。代役はピエール・モントゥー。
●11〜12月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。10公演。「驚愕」「新世界より」「ミサ・ソレムニス」「ワーグナー管弦楽曲」他

 1954年(86〜87歳)

●1〜4月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。7公演。「仮面舞踏会全曲」「イタリア」「ドン・ファン」「田園」「ヴェルディ:テ・デウム」「メフィストーフェレ〜プロローグ」「悲愴」「ワーグナー管弦楽曲」他

●4月4日、トスカニーニ、引退。NBCでは臨時ニュースとして引退を伝え、カーネギー・ホールでは、3月25日付けの引退声明文が配られています。
●6月、NBC交響楽団。カーネギー・ホール。部分修正セッション。「仮面舞踏会」「アイーダ」


 1955年(87〜88歳)

●2月28日、トスカニーニ、ニューヨークに帰還。

 1956年(88〜89歳)


 1957年(89〜90歳)

●1月1日朝、トスカニーニが脳血栓で倒れます。
●1月16日、トスカニーニ、89歳で死去。場所はニューヨーク市リヴァーデイルの自宅。
●1月、トスカニーニの遺体、ミラノの記念墓地に埋葬。




商品説明:年表シリーズ

指揮者
アルヘンタ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル
クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
スラトキン(父)
ターリヒ
チェリビダッケ
トスカニーニ
ドラゴン
ドラティ
バルビローリ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
ベイヌム
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー
ロスバウト

鍵盤楽器
ヴァレンティ
ヴェデルニコフ
カークパトリック
カサドシュ
グリンベルク
シュナーベル
ソフロニツキー
タマルキナ
タリアフェロ
ティッサン=ヴァランタン
デムス
ナイ
ニコラーエワ
ネイガウス父子
ノヴァエス
ハスキル
フェインベルク
ユージナ
ランドフスカ
ロン

弦楽器
カサド
コーガン
シュタルケル
スポールディング
バルヒェット
フランチェスカッティ
ヤニグロ
リッチ

室内アンサンブル
グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
パスキエ・トリオ
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
伝説のフランスの弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ベートーヴェン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤

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有名な1939年のベートーヴェンチクルス、最...

投稿日:2021/01/31 (日)

有名な1939年のベートーヴェンチクルス、最後のワーグナー(ステレオ録音)が一緒のボックスというだけでも有難いですが、さらにブラームスの交響曲4曲とか、悲愴が2種とか、超お得な内容となっています。聴いてみたところ意外にも1943年のワーグナーや、1945年の英雄や運命も面白かったです(なぜか録音品質は1939年の方が良いような気がしました)。これにコロンの第9が入っていれば完璧でした。でも、これでも素晴らしい商品です。文句なしの星5つでおススメです。

jin さん | 長野県 | 不明

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