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【中古:盤質AB】 フェリックス・スラトキンの芸術(13CD)

中古情報

新品ジャケット
こちら ※参考のため、実際の商品と異なる場合がございます
:
AB
特記事項
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BOX仕様
コメント
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13CD
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基本情報

ジャンル
カタログNo
SC822
レーベル
Europe
フォーマット
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

(こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。)


フェリックス・スラトキンの芸術

オーディオ的迫力も強烈なパーカッションやブラスの織り成す軍楽サウンドから、華麗で情感豊かなストリングスまで自在に駆使したスラトキンの魅力に迫る本格的な内容のボックスが英スクリベンダムから登場。
 カーメン・ドラゴンと共に米キャピトル・レコードのクラシック部門を支えたスラトキンは、キャピトルでは主にオーケストラと弦楽四重奏でクラシック作品を録音したほか、フランク・シナトラの伴奏もおこなっていました。また、ポピュラー系アンサンブルへのアレンジ作品については、ドラゴンがキャピトル・レコードで先行していたため、スラトキンはリバティ・レコードでアルバムを制作。
 今回、英スクリベンダムから登場するセットには、キャピトル・レコードで「コンサート・アーツ管弦楽団」「ハリウッドボウル交響楽団」を指揮したクラシック作品のほか、リバティ・レコードで制作したクラシック・アレンジ系の音源を収録しています。


フェリックス・スラトキンの活動概略

クラシック系
「ハリウッド弦楽四重奏団」を結成。1939年から1961年までの22年間に渡ってコンサート活動のほか、キャピトル・レコードでレコーディングも実施。ベートーヴェンの後期カルテットなどで名声を博します。
●キャピトル・レコードで、「コンサート・アーツ管弦楽団」を結成&指揮してクラシック作品をレコーディング。EMIがキャピトルを買収した後は「コンサート・アーツ交響楽団」に改名。
●キャピトル・レコードで、「ハリウッドボウル交響楽団」を指揮してクラシック作品をレコーディング。
●グレンデール交響楽団に指揮者として客演。グレンデールはロサンジェルスの隣町で、カーメン・ドラゴンが常任指揮者を務めたオーケストラでもあります。

映画音楽系
●「ワーナー・ブラザース・オーケストラ」の楽員として、映画のオリジナル・サウンド・トラックを演奏。大恐慌の影響から抜け出せないでいた当時のクラシック・オーケストラに較べて高水準の固定給を支給される安定した雇用契約でした。
●「20世紀フォックス・オーケストラ」のコンサートマスターに就任し、数多くの映画のオリジナル・サウンド・トラックを収録。前職のワーナー時代よりもさらに待遇が向上。「20世紀フォックス・オーケストラ」はハリウッド最大のオーケストラでもあり、そこで最高の報酬を得ていたのがスラトキンでした。

ポピュラー系
●リバティ・レコードで、レコーディング用アンサンブルを結成&指揮してアルバムを制作。4つの団体名を使い分け、ポピュラー系楽曲や、映画音楽系楽曲、クラシック大胆編曲などを録音。4つの団体は、「ファンタスティック・ストリングス」「ファンタスティック・フィドルス」「ファンタスティック・ブラス」、「ファンタスティック・パーカッション」というもので、名前から音楽が想像つきやすいようになっていましたされた。
●フランク・シナトラのキャピトル・レコードでのレコーディングで、指揮者、ヴァイオリニスト、アレンジャーとして共演。オーケストラ伴奏から弦楽四重奏伴奏までおこなっています。

スラトキンの最後は、そのシナトラとの1963年2月のレコーディング・セッションの現場でのことで、椅子に座って演奏中に心臓発作に見舞われ、うずくまるようにして意識を喪失、ほどなく47歳の若さで亡くなってしまいます。
 フリッツ・ライナーに指揮を、エフレム・ジンバリストにヴァイオリンを師事したスラトキンは、ヴァイオリニストとしての活動を主軸に、指揮者としても高度な能力を発揮。その初見能力の高さと上手さからヴァイオリンの授業をあまり真面目に受けずジンバリストのヒンシュクを買ったり、オペラがあまり好きではなかったことでライナーに注意されたりもしますが、クラシックの枠にとらわれない自在な活動ぶりからも、スラトキンの音楽家としての能力の幅広さは明らかでした。
 47歳で亡くなったスラトキンのキャリアは30年ほどでしたが、伝統的クラシックから軍楽、現代音楽、映画音楽、テレビ音楽にジャズ、初期ロックなどきわめて幅広いスタイルの音楽に日々対応していたその実力は非常に高度で、自身の弦楽四重奏団でのベートーヴェンの後期四重奏曲集の録音が高く評価されるなどシリアスな音楽での手腕にも素晴らしいものがありました。稀有な能力の持ち主だったと思われます。


セントルイス響で昇給却下→楽団を退団

スラトキンはセントルイス交響楽団に入団してプロ音楽家としてのキャリアをスタートしていますが、当初は大恐慌の影響もあり経済的に苦しい時代だったことで十分な報酬が得られず、また、景気が上向いてきても、音楽監督のゴルシュマンが楽員たちの昇給を認めなかったため、スラトキンは1938年に22歳で退団。
 退団後、スラトキンは、両親らと共に約2,500キロ離れたロサンジェルスに転居。19歳だった3年前にハリウッド・ボウルのコンクールで優勝経験があったスラトキンが、ハリウッドで条件の良い職を探すためでした。
 当時、クラシックのオーケストラに較べて雇用環境がかなり良かったハリウッドのスタジオ・オーケストラで働く道を選択しています。
 ちなみにゴルシュマンは、楽員たちの昇給を阻止した努力が認められて、楽団運営委員会から報酬を引き上げられ、さらに長年、演奏上の技術的なことで世話になっていた元ニューヨーク・フィルのコンマスだった人物をリハーサル中に怒鳴りつけて即刻解任するなど、なかなか個性の強い人物でもありました。


ハリウッドのスタジオ・オーケストラに入団

1938年のうちにロサンジェルスに到着したスラトキンは、さっそくハリウッドで職を探し、まず「ワーナー・ブラザース・オーケストラ」にヴァイオリン奏者として入団。
 しかし翌1939年にはその実力が高く評価され、ハリウッドで最大規模だった「20世紀フォックス・オーケストラ」にコンサートマスターとして迎えられています。
 これにより、スラトキンの生活環境は大幅に改善して時間的にも余裕ができ、ジュリアード音楽院出身のチェロ奏者で、ワーナー・ブラザーズ・オーケストラ所属、かつてハリウッド・ボウルのコンクールで一緒だったエレノア・アラー[1917-1995]と結婚。エレノア・アラーの親族とその関係者には音楽家が多く、スラトキンも大いに刺激を受け、ハリウッドのスタジオに通う傍ら、室内楽演奏の計画も立案することになります。


ハリウッド弦楽四重奏団結成

スラトキン夫妻の第1ヴァイオリンとチェロのほか、ヴィオラ奏者に、カルテット経験者でワーナー・ブラザース・オーケストラで演奏していたジュリアード音楽院出身のポール・ロビン[1908-1970]、第2ヴァイオリン奏者に、同じくカルテット経験者で、20世紀フォックスやコロンビア・ピクチャーズなどのスタジオ・オーケストラで活動していたジョアキム・チャスマン[1901-1990]を起用して「ハリウッド弦楽四重奏団」を結成。アメリカ西海岸を中心に、コンサート活動を開始します。
 しかし第2次世界大戦にアメリカが参戦すると、スラットキンがアメリカ陸軍航空軍のヴァイオリニストや、オーケストラの指揮者として活動することになるなど、男性メンバーはエンターテイメント要員として兵役に就かざるをえなかったため活動を休止。


サンタアナ陸軍航空軍基地オーケストラで戦時国債巨額調達

1941年、選抜訓練徴兵法により、スラトキンはアメリカ陸軍航空軍のエンターテイメント部門に入隊(アメリカ陸軍航空軍はアメリカ空軍の1947年までの名称)。ルッジェーロ・リッチらとの交流もありヴァイオリン・アンサンブルで演奏したりもしました。


 配属先はカリフォルニア州内にあるサンタアナ陸軍航空軍基地のオーケストラということで、主に放送プロパガンダを通じて戦時国債の調達に貢献するという国家経済的目的から、活動の実態は兵士ではなく音楽家でした。また勤務条件も自宅からという恵まれたもので、1944年には長男レナード(のちの指揮者)も誕生。ちなみに、スラトキンの所属した部隊の戦時国債調達額は1億ドルに達していたということで、アメリカ財政への貢献には大きなものがありました。


ハリウッドへの赤狩りとフリーランス化

1950年頃から本格化し、ハリウッドへの攻撃も深刻になってきたマッカーシー議員による「赤狩り」は、1954年に議員が譴責で失脚するまで継続。マッカーシーはケネディから偉大な愛国者と称えられており、ほかにも同調する議員が多かったことから、「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長は、1951年にかなり強引な「赤狩り」への対策を実施。
 ペトリロ会長は、ハリウッドのスタジオ・オーケストラ組織が「閉鎖的」であると攻撃し、「オープン化」のためなどと称して、ハリウッドのスタジオ音楽家に対し、映画会社との個々の契約をいったん破棄させて「フリーランス」となることを強要。以後は、映画制作の際に、その都度、映画会社と契約を結んで楽団を編成するという形に変更し、「赤狩り」の矛先が「アメリカ音楽家連盟」に向かわないよう画策します。
 これにより、クラシック専門オーケストラの数倍にあたる年俸で、健康保険と年金も付き、週休2日制のスタジオ勤務という恵まれた雇用条件で働いていた総勢650名のハリウッド各社のスタジオ・オーケストラ組織はいったん解散。
 新たに定められた楽団編成時の基本人数は、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、MGMが50人、パラマウントが45人、コロンビア、RKO、ユニヴァーサルが36人といったところで、演奏時に大編成が要求される場合は増枠して対応することになります。たとえば1953年制作の20世紀フォックスのステレオ映画『百万長者と結婚する方法』では、冒頭にアルフレッド・ニューマン指揮、フェリックス・スラットキンがコンサートマスターを務めるオーケストラの演奏場面がありますが、そこでの団員数は約80名規模と、かつての水準となっていました。
 ペトリロ会長が、加盟音楽家からの訴訟などにより1958年に失脚するまでは、この「作品ごとに契約するフリーランス体制」が継続したため、スタジオ音楽家たちの収入も減少。追加の仕事が必要になり、キャピトル(ハリウッド・ボウル交響楽団等)や米コロンビア(コロンビア交響楽団)などレコード会社でのレコーディング・オーケストラとしての仕事のほか、グレンデール交響楽団やロサンジェルス・フィルでも演奏し、中には入団する者もでてきます。
 トランペット奏者のセシル・リードはこうしたペトリロ会長のやり方に異を唱え、自ら「ギルド」を設立、スラトキンの家で会合を開いたりして対抗策を練りますが、相手の権力が大き過ぎることから有効なプランは出ませんでした。
 とはいえ、ペトリロ会長の強引な運営のおかげで、ハリウッド・ボウル交響楽団やコロンビア交響楽団などレコード会社でのレコーディング・オーケストラとしての仕事が生まれたともいえるので、その辺りは感謝すべきところなのかもしれません。


レコーディング専用オーケストラ誕生

ハリウッドの環境が激変する中、1952年にスラトキンは、フリーランスとなったスタジオ音楽家を集めてレコーディング専用オーケストラを編成し、キャピトル・レコードで、オーケストラ・アルバムの制作を開始します。スラトキンはキャピトル・レコードと1949年から「ハリウッド弦楽四重奏団」としての仕事をしていました。
 オーケストラはレコーディングのたびに編成し、「コンサート・アーツ管弦楽団」、「ハリウッド・ボウル交響楽団」、「キャピトル交響楽団」などと名称を使い分け、1953年からはカーメン・ドラゴンとの仕事もおこなうようになります。
 第1作となったスラトキン指揮「コンサート・アーツ管弦楽団」のアルバムは、アメリカではほとんど知られていなかったディーリアスの作品集。絢爛なハリウッドとはイメージが大きく異なる音楽でもありますが、「ハリウッド弦楽四重奏団」の第1作も、ヴィラ=ロボスの弦楽四重奏曲第6番という珍しいもので、第2作がウォルトンの弦楽四重奏曲イ短調、第3作がシェーンベルク『浄夜』といった展開だったので、スラトキンのマニアックなこだわりなのかもしれません。
 ちなみに、スラトキンとドラゴンが指揮した「ハリウッド・ボウル交響楽団」は、キャピトルと契約した録音専用のオーケストラで、実際のコンサートでは演奏していません。
 実際のコンサート・シーズン終了後、ハリウッド・ボウルの夏のコンサートで「ハリウッド・ボウル交響楽団」と「ハリウッド・ボウル管弦楽団」を名乗っていたのは、ロサンジェルス・フィルを母体とした混成オケでしたが、それもハリウッドのスタジオ音楽家がフリーランスになった1951年までのことで、1952年以降は「ロサンジェルス・フィル」の名称で一貫していました。

 なお、1919年創設のロサンジェルス・フィルは、ハリウッド・ボウルで1922年からオーケストラ・コンサートを開催していましたが、シーズン終了後の夏の開催ということで、ロサンジェルス・フィル以外の楽員が加わることも多く、名称については、「ロサンジェルス・フィル」、「ハリウッド・ボウル管弦楽団」、「ハリウッド・ボウル交響楽団」という3つの名前を使い分けており、1951年まではそうした状態が続いていました。
 たとえば、ストコフスキーが音楽監督だった1945年と1946年の「ハリウッド・ボウル交響楽団」は、ニューヨーク・シティ交響楽団の楽員や、ハリウッドのスタジオ音楽家も参加した混成チームで、舞台に馬まで登場させて『カルメン』などを演奏。続く1947年と1948年に音楽監督になったオーマンディのときは、名前が「ハリウッド・ボウル管弦楽団」に変更され、マーラーの『千人の交響曲』やオペラ・リサイタルを開くなどしています。
 その後、1953年のハリウッド・ボウル1,000回記念演奏会では、クレンペラーがベートーヴェンの交響曲第9番を指揮していますが、その時の名称は「ロサンジェルス・フィル」で、翌年のショルティのデビューも同じく「ロサンジェルス・フィル」でした。ショルティは以後何度も客演してロサンジェルス・フィルとパイプができ、1959年に急死したベイヌムの後任として1962年のシーズン(1961年9月開始)から音楽監督に就任することも決定。しかし、副指揮者として採用が決まっていたズービン・メータを、パトロンで運営トップのドロシー・チャンドラー夫人[1901-1997]が独断で首席客演指揮者に任命したことで、ショルティが勝手な人事について抗議する電報を打つと、チャンドラー夫人はこれを無視。ほどなく音楽監督にショルティを就任させるという取り決めを破棄し、メータを音楽監督に据えています。この出来事は、副指揮者(助手)として公募に応募した無名の人物であっても、パトロン次第ではいきなり音楽監督に就任することもあり得るということを世に示し、驚きをもって迎えられていました。もっとも、チャンドラー夫人は1951年のハリウッド・ボウル財政危機を「セイヴ・ザ・ボウル」キャンペーンで救った人物でもあり、ロサンジェルス・フィルにとっては逆らうことのできない恩人でもあったわけですが。
 ちなみに1950〜60年代のロサンジェルス・フィルは、創設から30〜40年以上が経過、楽員交代という新陳代謝も必要とされる時期でしたが、ロサンジェルスには赤狩り対策でフリーランス化していたハリウッドのスタジオ音楽家が多くいたことから、隣町のグレンデール交響楽団ともどもレヴェル・アップが図られています。グレンデール交響楽団は1955年に「音楽家連盟」に団体加入してプロ組織になっており、1964年からはロサンジェルス・フィルと同じく「ドロシー・チャンドラー・パヴィリオン」で演奏会を開催してもいました。


【年表】

1913年
●スラトキンの父ヘルマン・ズロトキンが、祖父ハイムらと共にロシア帝国ウクライナからの移民船でニューヨークに到着。姓をズロトキンからスラトキンに変更。
 ほどなくミズーリ州セントルイスに移り住んで理髪店を開き、母バーサ・スラトキン(ベルタ・フラジン)と結婚。

1914年
◆第1次大戦勃発。

1915年(0歳)
●12月22日、スラトキン、セントルイスに誕生。

1916年(0〜1歳)

1917年(1〜2歳)
◆アメリカ、第1次大戦に参戦

1918年(2〜3歳)
◆アメリカ、シベリア出兵。

1919年(3〜4歳)

1920年(4〜5歳)
◆アメリカ、禁酒法施行。産業用アルコール需要を、石油需要に転向させるのが本来の目的。セオドア・ルーズヴェルト大統領による産業用アルコール無税化や製造普及政策により自動車にまで拡大していた産業用アルコールの需要を、1933年までに石油需要に転向させることに成功。以後、ロックフェラーのスタンダード石油は、文化事業にも多額の支援をおこなうこととなります。カーメン・ドラゴンの関わる教育番組にもスタンダード石油が支援したものがありました。

1921年(5〜6歳)
●スラトキン、シルヴァン・ノアックにヴァイオリンを習い始めます。父ハーマンは音楽家ではありませんでしたが、音楽愛好家で、息子フェリックスには音楽の才能があると考え、早くから指導を受けさせていました。

1922年(6〜7歳)

1923年(7〜8歳)

1924年(8〜9歳)
●スラトキン、イサドア・グロスマンにヴァイオリンを師事。

1925年(9〜10歳)

1926年(10〜11歳)

1927年(11〜12歳)

1928年(12〜13歳)

1929年(13〜14歳)
◆9月3日、アメリカ、しばらく「買い」が蓄積して上昇を続けていたダウ工業株の平均が最高値381.17を記録。ほどなく利益確定のための「売り」が集中して1か月に渡って下がり続けて17%下落。その時点で底値と判断した「買い」が入って下落分の半分ほどまで上昇したもののそこで利益確定の「売り」が大きく入り、再び株価は下落。
◆10月24日、ウォール街株価大暴落。シカゴ市場、バッファローの市場は閉鎖。やがて損失確定組は、善後策として、各国への投資や預金などの資金を回収、結果的に、銀行や企業の相次ぐ破綻へと繋がって行きます。

1930年(14〜15歳)

1931年(15〜16歳)

1932年(16〜17歳)
●スラトキン、フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学。エフレム・ジンバリスト[1889-1985]にヴァイオリン、フリッツ・ライナー[1888-1963]に指揮を師事。スラトキンは驚異的な初見演奏能力の持ち主で、そのため、師のジンバリストは、彼が自分のレッスンに真面目に参加していないのではないかと懸念。ジンバリストはそのことを検証するために、ある授業の時に、スラトキンを中座させ、その間にレッスン中の作品のシャープとフラットのいくつかを変更、スラトキンがレッスン時との違いに気づくかどうか判断できるよう準備。戻ったスラトキンは、ジンバリストが変更した通りそのまま演奏しただけだったため、怒ったジンバリストは、スラトキンを2週間のレッスン禁止処分とします。

1933年(17〜18歳)
◆アメリカ、禁酒法廃止。

1934年(18〜19歳)

1935年(19〜20歳)
●スラトキン、セントルイス交響楽団に第1ヴァイオリン奏者として入団。このときの音楽監督はヴラディミル・ゴルシュマン[1893-1972]で、コンサートマスター兼副指揮者はシピオーネ・グイディ[1884-1966]。グイディは、1921年から1931年にかけてメンゲルベルクとトスカニーニのもとでニューヨーク・フィルのコンサートマスターだった人物(メンゲルベルクとの『英雄の生涯』の録音が有名)。ゴルシュマン着任と同じ1931年にセントルイス響に入団し、ゴルシュマンが楽譜と演奏方法に精通したグイディに頼る場面も多く、親しい関係を築いていたものの、なにかゴルシュマン側に鬱積したものがあったのか、1942年にリハーサルの途中で衝突し、激高したゴルシュマンからステージ上で解雇を言い渡されてしまいます。グイディはその後、ハリウッドのスタジオ・オーケストラで活躍し、1945年から1955年にかけてはグレンデール交響楽団の常任指揮者も務め、セミプロ組織だったグレンデール交響楽団に、ハリウッドの人脈を関わらせるようにもなります。任期の終わりには、楽団を「アメリカ音楽家連盟」に加盟させてプロ組織としてもいました。
●スラトキン、ハリウッドボウルで開催された弦楽器コンクールで優勝。指揮者のホセ・イトゥルビ[1895-1980]と共演。コンクールには、のちに結婚することとなるエレノア・アラーもチェロで出場していました。
 このとき共演したイトゥルビは、1943年から映画界に入ってハリウッド俳優として成功し、フランク・シナトラとの交流でも知られるようになります。

1936年(20〜21歳)

1937年(21〜22歳)


1938年(22〜23歳)
●スラトキン、セントルイス交響楽団の数人の楽員と共に昇給を要求しますが、音楽監督のゴルシュマン[1893-1972]によって全員拒否され、スラトキンは退団。ちなみにゴルシュマン本人は大幅な昇給を認められていました。
●スラトキン家、ロサンジェルスに転居。父ハーマンは再び理髪店を開業。
●スラトキン、ワーナー・ブラザース・オーケストラに入団。

1939年(23〜24歳)
●スラトキン、20世紀フォックス・オーケストラのコンサートマスターに就任。
●スラトキンとエレノア・アラー[1917-1995]、結婚。
●エレノア・アラー、ワーナー・ブラザース・オーケストラの首席チェロ奏者に就任。
●スラトキン、ハリウッド弦楽四重奏団を結成。ワーナー・ブラザーズのスタジオ・オーケストラ所属でジュリアード音楽院出身のチェロ奏者、エレノア・アラー[1917-1995]と結婚したスラトキンは、妻と共にカルテットの結成を計画。ヴィオラ奏者に、カルテット経験者でワーナー・ブラザースのスタジオ・オーケストラで演奏していたジュリアード音楽院出身のポール・ロビン[1908-1970]、第2ヴァイオリン奏者に、同じくカルテット経験者で、20世紀フォックスやコロンビア・ピクチャーズなどのスタジオ・オーケストラで活動していたジョアキム・チャスマン[1901-1990]を起用してグループ結成に漕ぎつけ、アメリカ西海岸を中心に、スラットキン、チャスマン、ロビン、アラーの面々でコンサート活動を開始します。

1940年(24〜25歳)
●「アメリカ音楽家連盟」の会長にジェームズ・シーザー・ペトリロ[1892-1984]が就任。1958年に失脚するまで、18年に渡って強引な手法を用いながら、連盟の権力を強化。ペトリロは若い頃はジャズ・トランペット奏者でビッグ・バンドなどで吹いていた人物。ペトリロの方針により、「アメリカ音楽家連盟」は器楽奏者のみが対象で、黒人は分離した組織に所属していました。

1941年(25〜26歳)
●スラトキン、選抜訓練徴兵法によりアメリカ陸軍に入隊。カリフォルニア州サンタ・アナのアメリカ陸軍航空軍基地に配属。戦時対応で建設されたばかりの2万6千人収容可能な同基地は、飛行機も滑走路も無いという訓練専門の巨大な施設で、1942年から本格的に稼働し1946年3月に閉鎖。期間中に12万8千人が訓練を受けて卒業。スラトキンはこの基地の「陸軍航空軍戦術オーケストラ」の指揮者兼コンサートマスターとして働き、ファンファーレや行進曲などの演奏にも精通することとなります。ちなみにこの「陸軍航空軍戦術オーケストラ」には、アメリカ全国から優秀な音楽家が集まり、放送業務などに携わって戦時国債を1億ドル調達、軍の大きな力ともなっていました。楽員にはルッジェーロ・リッチの名も。
◆アメリカ、第2次大戦に参戦。

1942年(26〜27歳)
●「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長により、会員の音楽家が商業レコーディングをおこなうことが禁じられます。これはレコード会社に対して録音報酬の増額を求めるための強硬措置でした。
●スラトキン、兵役。カリフォルニア州サンタ・アナのアメリカ陸軍航空軍基地に勤務。

1943年(27〜28歳)
●「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長による、会員音楽家の商業レコーディング禁止令に対し、デッカとキャピトルが要求を受け入れます。
●スラトキン、兵役。カリフォルニア州サンタ・アナのアメリカ陸軍航空軍基地に勤務。

1944年(28〜29歳)
●「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長による、会員音楽家の商業レコーディング禁止令に対し、最後まで抵抗していたRCAビクターとコロンビアが要求を受け入れて禁止措置は解除。
●9月1日、レナード・スラトキン、カリフォルニア州ロサンジェルスで誕生。エレノアはすでに5回流産しており、スラトキン夫妻にとって待ち望まれた誕生でした。当時の住居はビヴァリー・ヒルズですが、豪邸の多い西側ではなく、ハリウッド寄りの東側ということです。また、配属先のサンタ・アナ陸軍航空軍基地は北東約60kmのところにありました。


●スラトキン、兵役。カリフォルニア州サンタ・アナのアメリカ陸軍航空軍基地に勤務。

1945年(29〜30歳)
●スラトキン、除隊。
●スラトキン、ハリウッド弦楽四重奏団の活動を再開。第2ヴァイオリンはジョアキム・チャスマンからポール・シュアー[1921-2011]に交代。シュアーはカーティス音楽院出身で、フィラデルフィア管弦楽団の楽員を経て20世紀フォックスのスタジオ・オーケストラのアシスタント・コンサートマスターを務めていた人物。1955年にメンバー変更するまでの10年間は第2期と呼ばれ、スラットキン、シュアー、ロビン、アラーの4人でコンサート活動のほか、米キャピトルへのレコーディングをおこなっていました。ちなみに、ピアノ五重奏曲などで演奏しているヴィクター・アラー[1905-1977]は、チェロのエレノア・アラーの兄で、同じくハリウッドのスタジオを中心に活動していました。



1946年(30〜31歳)

1947年(31〜32歳)

1948年(32〜33歳)
●「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長により、会員の音楽家が商業レコーディングをおこなうことが禁じられます。レコード会社各社に対して録音報酬の増額を再び求めるための強硬措置。レコード会社各社は年内にこれに応じ、翌年にレコーディングが再開。

1949年(33〜34歳)
●スラトキン家、ロサンジェルスのウィルシャー・ラ・ブレア地区に転居。夫妻の勤務場所である20世紀フォックス・スタジオと、ワーナー・ブラザース・スタジオの双方に通いやすい立地でした。スタジオ・オーケストラでのサウンド・トラックのレコーディングに加えて、弦楽四重奏の演奏会やツアー、キャピトル・レコードへのレコーディングもおこなっていた夫妻の生活は多忙を極め、幼いレナードとフレッドは実質的に家政婦に育てられることになります。ちなみにフレッドはフィリップ・グラスのアルバムでもおなじみのチェリストで、主にジャズや現代音楽の分野で活動。

1950年(34〜35歳)
◆マッカーシーによる「赤狩り」が本格化(1954年まで)。ハリウッドへの攻撃も深刻化。

1951年(35〜36歳)
●「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長が、強引な「赤狩り」対策を実施。ハリウッドのスタジオ・オーケストラ組織が「閉鎖的」であるとし、「オープン化」のためと称して、ハリウッドのスタジオ音楽家に対し、映画会社との個々の契約をいったん破棄させて「フリーランス」となることを強要。以後は、映画制作の際に、その都度、映画会社と契約を結んで楽団を編成するという形に変更し、「赤狩り」の矛先が「アメリカ音楽家連盟」に向かわないよう画策します。
 これにより、クラシック専門オーケストラに較べて報酬が数倍で、健康保険と年金も付き、週休2日制のスタジオ勤務という恵まれた雇用条件で働いていた総勢650名規模のハリウッド各社のスタジオ・オーケストラ組織はいったん解消。
 新たに決められた楽団編成時の基本人数は、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、MGMが50人、パラマウントが45人、コロンビア、RKO、ユニヴァーサルが36人といったところで、大編成が要求される場合は増枠して対応することになります。たとえば1953年の20世紀フォックス制作ステレオ映画『百万長者と結婚する方法』では、冒頭にアルフレッド・ニューマン指揮、フェリックス・スラットキンがコンマスを務めるオーケストラの演奏場面がありますが、そこでの団員数は約80名規模と、以前の水準となっていました。
 ペトリロが加盟音楽家からの訴訟などにより1958年に失脚するまでは、この「作品ごとに契約するフリーランス体制」となったため、スタジオ音楽家たちにも追加の仕事が必要になり、レコード会社各社へのレコーディングのほか、グレンデール交響楽団やロサンジェルス・フィルで演奏したり、ラスヴェガスなどほかの都市に移る者もいました。
 トランペット奏者のセシル・リードはこうしたペトリロのやり方に異を唱え、自ら「ギルド」を設立、スラトキン家で会合を開いたりして対抗策を練りますが、有効な策は打てずじまいでした。
●スラトキン、映画『地球の静止する日』の音楽を収録。エレクトリック・ヴァイオリンも演奏。作曲はバーナード・ハーマン。
●スラトキン、映画『折れた銃剣 』の音楽を収録。作曲はロイ・ウェッブ。
●スラトキン、映画『愛欲の十字路 』の音楽を収録。作曲はアルフレッド・ニューマン。
●スラトキン、映画『テイク・ケア・オブ・マイ・リトル・ガール』の音楽を収録。作曲はアルフレッド・ニューマン。
●スラトキン、映画『テレグラフ・ヒルの家』の音楽を収録。作曲はソル・カプラン。

1952年(36〜37歳)
●スラトキン、「音楽家連盟」の方針によりフリーランスとなったスタジオ音楽家を集めてレコーディング専用オーケストラを編成し、キャピトル・レコードでのアルバム制作を開始。
 スラトキンは「ハリウッド弦楽四重奏団」として1949年からキャピトル・レコードと仕事をしており、それが活かされた形となりました。
 オーケストラはレコーディングのたびに編成、「コンサート・アーツ管弦楽団」、「ハリウッド・ボウル交響楽団」、「キャピトル交響楽団」などと名称を使い分け、1953年からはカーメン・ドラゴンとの仕事もおこなうようになります。
●9月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、ディーリアス作品集をレコーディング。
●スラトキン、映画『栄光何するものぞ』の音楽を収録。作曲はアルフレッド・ニューマン。

1953年(37〜38歳)
●3月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、ヒンデミット『4つの気質』をレコーディング。
●5月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番をレコーディング。ソロはヴィクター・エイラー。
●11月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、イベール『ディヴェルティスマン』、カプレ『幻想的な物語』をレコーディング。
●12月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、マクドナルド『幼年時代』組曲をレコーディング。
●スラトキン、映画『デンジャラス・クロッシング』の音楽を収録。作曲はライオネル・ニューマン。
●スラトキン、映画『拾った女』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『砂漠の鼠』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『モンゴル第一騎兵隊』の音楽を収録。作曲はソル・カプラン。
●スラトキン、映画『ナイアガラ』の音楽を収録。作曲はソル・カプラン。

1954年(38〜39歳)
●4月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、サン=サーンス『動物の謝肉祭』をレコーディング。
●10月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、チャヴェス『パーカッションの為のトッカータ』をレコーディング。
◆12月、ケネディの反対を抑え、上院でマッカーシー議員の譴責決議が可決。これにより執拗だった赤狩りも終息。

●スラトキン、映画『ブラック・ウィドウ』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『折れた槍』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『ディミトリアスと闘士』の音楽を収録。作曲はフランツ・ワックスマン。
●スラトキン、映画『帰らざる河 』の音楽を収録。作曲はシリル・モックリッジ。
●スラトキン、映画『炎と剣』の音楽を収録。作曲はフランツ・ワックスマン。

1955年(39〜40歳)
●1月、スラトキン、フリーランスのスタジオ音楽家を集めて「コンサート・アーツ・パーカッショニスツ」を編成し、ミヨー『パーカッションと小管弦楽団の為の協奏曲』をレコーディング。
●英EMIがキャピトル・レコード株式の96%を850万ドルで取得して買収が成立。
●12月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、ドビュッシー『子供の領分』、『小組曲』をレコーディング。
●12月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、グリーグ『ペール・ギュント』組曲、イッポリトフ=イワノフ『コーカサスの風景』をレコーディング。
●スラトキン、映画『麗しき思い出』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『さらばポンペイ』の音楽を収録。作曲はエルマー・バーンスタイン。
●スラトキン、映画『夢去りぬ』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『慕情』の音楽を収録。作曲はアルフレッド・ニューマン。
●スラトキン、映画『七年目の浮気』の音楽を収録。作曲はアルフレッド・ニューマン。
●スラトキン、映画『一攫千金を夢みる男』の音楽を収録。作曲はヒューゴー・フリードホーファー。
●スラトキン、映画『恐怖の土曜日』の音楽を収録。作曲はヒューゴー・フリードホーファー。
●ハリウッド弦楽四重奏団、メンバー変更。ヴィオラのポール・ロビンが、アルヴィン・ディンキン[1912-1970]に交代。ディンキンはカーティス音楽院で学び、セントルイス交響楽団楽員を経て20世紀フォックスのスタジオ・オーケストラで演奏していた人物。1958年の秋までは、スラットキン、シュアー、ディンキン、アラーの4人で、コンサート活動のほか、米キャピトルへのレコーディングをおこなっていました。

1956年(40〜41歳)
●2月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、ガーシュウィン『ラプソディー・イン・ブルー』、『パリのアメリカ人』をレコーディング。
●3月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、グローフェ『グランド・キャニオン』組曲、『ミシシッピー』組曲をレコーディング。
●8〜9月、スラトキン、「コンサート・アーツ管弦楽団」と、ブリテン『青少年のための管弦楽入門』、ドホナーニ『童謡の主題による変奏曲』の作品をレコーディング。
●9月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、オッフェンバック『パリの喜び』をレコーディング。
●9〜10月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「シンフォニック・ダンス」(チャイコフスキー『眠れる森の美女』〜「ワルツ」、カバレフスキー『道化師』〜「ギャロップ」、グリーグ『ノルウェー舞曲』Op.35-2、ワインベルガー『笛吹シュワンダ』〜ポルカ、ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』、グリエール『赤いケシ』〜「水兵の踊り」、ビゼー『アルルの女』〜「ファランドール」、マスネ『ル・シッド』〜「ナヴァラの女」、ドリーブ『シルヴィア』〜「ピツィカート・ポルカ」、ハチャトゥリアン『ガヤネー』〜「剣の舞」、サン=サーンス『サムソンとダリラ』〜「バッカナール」)をレコーディング。
●10月、スラトキン、「コンサート・アーツ交響楽団」と、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲をレコーディング。ソロはレナード・ペナリオ。
●10月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「エスパーニャ」(ラヴェル『ボレロ』、『道化師の朝の歌』、アルベニス『イベリア』〜「トゥリアーナ」、リムスキー=コルサコフ『スペイン狂詩曲』)をレコーディング。
●スラトキン、映画『ならず者部隊』の音楽を収録。作曲はヒューゴー・フリードホーファー。
●スラトキン、映画『襲われた幌馬車』の音楽を収録。作曲はライオネル・ニューマン。
●スラトキン、映画『誇り高き男』の音楽を収録。作曲はライオネル・ニューマン。
●スラトキン、映画『宇宙への挑戦』の音楽を収録。作曲はリン・マリー(マレー)。

1957年(41〜42歳)
●4月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「オーヴァーチュア!」(チャイコフスキー序曲『1812年』、スッペ『軽騎兵』序曲、『詩人と農夫』序曲、ロッシーニ『ウィリアム・テル』序曲)と、チャイコフスキー『くるみ割り人形』組曲、メンデルスゾーン『真夏の夜の夢』をレコーディング。
●10月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「シュトラウス・ワルツ」(『美しく青きドナウ』、『仲良しのワルツ』、『ウィーンの生活』、『皇帝円舞曲』、『ウィーンの森の物語』、『芸術家の生涯』)をレコーディング。
●スラトキン、映画『眼下の敵』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『気まぐれバス』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。
●スラトキン、映画『無法者の王者、ジェシー・ジェイムズ』の音楽を収録。作曲はリー・ハーライン。

1958年(42〜43歳)
●5月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「ストリングス・バイ・スターライト」(ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜「ノクターン」[サージェント編]、バッハ:管弦楽組曲第3番〜「アリア」、チャイコフスキー『弦楽セレナーデ』〜「ワルツ」、弦楽四重奏曲第1番〜「アンダンテ・カンタービレ」、アイルランド民謡『ロンドンデリーの歌』[グレインジャー編]、バーバー『弦楽のためのアダージョ』)をレコーディング。
●6〜7月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「スターライト・ワルツ」(R.シュトラウス『ばらの騎士』〜「ワルツ」、ヴァルトトイフェル『スペイン』、『スケートをする人々』、シベリウス『悲しきワルツ』、チャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』〜「ワルツ」、J.シュトラウス『春の声』)をレコーディング。
●スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、ガーシュウィン[ベネット編]:交響的素描『ポーギーとベス』、モートン・グールド『ラテン・アメリカ・シンフォニエッタ』をレコーディング。
●「アメリカ音楽家連盟」のペトリロ会長が失脚。ハリウッドのスタジオ・オーケストラに平和が戻ります。
●ハリウッド弦楽四重奏団、メンバー変更。第2ヴァイオリンのポール・シュアーが、ジョゼフ・ステパンスキーに交代。ステパンスキーはシカゴ交響楽団で演奏したのち、ファイン・アーツ四重奏団で第2ヴァイオリンを弾いていた経歴の持ち主で、その後はハリウッドのスタジオ・オーケストラなどで演奏。1961年に解散するまでの3年間は、スラットキン、ステパンスキー、ディンキン、アラーの4人で、コンサート活動のほか、ハリウッドでのレコーディングなどをおこなっていました。なお、リーダーのスラットキンは、1957年頃から指揮者としての仕事が増え、1961年にカルテットを解散しています。

1959年(43〜44歳)
●1月、スラトキン、「コンサート・アーツ・チェロ・アンサンブル」と、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』〜第1番、第5番、バッハ[ヴィラ=ロボス編]:前奏曲とフーガ第8番をレコーディング。
●5月、スラトキン、第1回グラミー賞(1958年度)受賞。オッフェンバック『パリの喜び』が、「ベスト・クラシカル・パフォーマンス」オーケストラ部門受賞。ハリウッド弦楽四重奏団のベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番が「ベスト・クラシカル・パフォーマンス」室内楽部門受賞。
●9月、スラトキン、「ハリウッドボウル交響楽団」と、アルバム「マジック・ボウ」(クライスラー『ウィーン奇想曲』、『オールド・リフレイン』、ディニーク[ハイフェッツ編]『ホラ・スタッカート』、マスネ『タイスの暝想曲』、サラサーテ『ツィゴイネルワイゼン』、パガニーニ[クライスラー編]『無窮動』、リムスキー=コルサコフ[ハイフェッツ編]『熊蜂の飛行』、サン=サーンス『序奏とロンド・カプリチオーソ』)をレコーディング。ソロはマイケル・レビン。
●スラトキン、グレンデール交響楽団に客演。
●スラトキン夫妻、映画『奇跡』の音楽を収録。作曲はエルマー・バーンスタイン。
●スラトキン、映画『ポーギーとベス』の音楽を収録。音楽はガーシュウィン。

1960年(44〜45歳)
●スラトキン夫妻、映画『アッシャー家の惨劇』の音楽を収録。作曲はレス・バクスター。
●スラトキン、グレンデール交響楽団に客演。
●スラトキン、リバティ・レコードより「Felix Slatkin Conducts Fantastic Percussion」を発売。
●スラトキン、リバティ・レコードより「Felix Slatkin's Fantastic Brass / March the Blues」を発売。
●スラトキン、リバティ・レコードより「The Fantastic Strings of Felix Slatkin / Paradise Found」を発売。


1961年(45〜46歳)
●スラトキン、リバティ・レコードより「The Fantastic Strings of Felix Slatkin / Seasons Greetings」を発売。


1962年(46〜47歳)
●スラトキン夫妻、映画『マルコ・ポーロ』の音楽を収録。作曲はレス・バクスター。
●スラトキン、映画『忘れえぬ慕情』の音楽を収録。作曲はエルマー・バーンスタイン。
●スラトキン夫妻、映画『偽の売国奴』の音楽を収録。作曲はアルフレッド・ニューマン。
◆キューバ危機。
●スラトキン、グレンデール交響楽団に客演。
●スラトキン、リバティ・レコードより「The Fantastic Strings of Felix Slatkin / Fantastic Themes」を発売。


1963年(47歳)
●スラトキン夫妻、映画『大脱走』の音楽を収録。作曲はエルマー・バーンスタイン。
●2月8日、ロサンジェルスで心臓発作のため死去。


【収録情報】

CD1
ヨハン・シュトラウス II
1.ワルツ「芸術家の生涯」op.316 06:57
2.ワルツ「ウィーン気質」op.354 05:27

3 .ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ07:19
4.リヒャルト・シュトラウス: 歌劇「ばらの騎士」〜ワルツ 09:53
5.チャイコフスキー:組曲「眠れる森の美女」〜ワルツ04:28
6カバレフスキー:組曲「道化師」〜ギャロップ 01:36 
7.ヤロミール・ヴァインベルゲル:歌劇「バグパイプ吹きシュヴァンダ」〜ポルカ02:26
8.ドリーブ:組曲「シルヴィア」〜ピッツィカート・ポルカ01:40

ヨハン・シュトラウス II
9. ワルツ 「ウィーンの森の物語」 Op. 325 06:11
10. 喜歌劇「こうもり」〜仲良しのワルツop.367 06:28
11. ワルツ 「美しく青きドナウ」 Op. 31406:56
12. 皇帝円舞曲 Op. 437 06:52
13. 春の声 op.410  06:51

録音:
1957年10月17-18日(1,2)
1958年6月30日,7月1-2日(3,4)
1956年9月22&28,10月6&10日(5-8)
1957年10月17-18日(9-12)
1958年6月30日,7月1-2日(13)

ハリウッド・ボウル交響楽団

CD2
1.アルベニス:「イベリア」〜トゥリアーナ  04:43
2.ビゼー:「アルルの女」第2組曲〜ファランドール03:17
3.マスネ:歌劇「ル・シッド」〜ナヴァラの踊り 03:08
4.ハチャトゥリアン :バレエ音楽「ガイーヌ」〜剣の舞02:32
5.サン・サーンス :歌劇「サムソンとデリラ」 06:58
6.サラ・サーテ :ツィゴイネルワイゼン  09:22
7.レインゴリト・グリエール:バレエ音楽「赤いけしの花」組曲 Op. 70〜ロシア水兵の踊り 03:37
8.エミール・ワルトトイフェル:ワルツ 「スペイン」 Op. 236 05:53
9.リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲 Op. 34 14:47
10.チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ 07:03 
11.サン・サーンス :序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 Op. 28 09:39
12.リムスキー・コルサコフ:歌劇「皇帝サルタンの物語」 Op. 57〜熊蜂の飛行(J. ハイフェッツによるヴァイオリンとピアノ編曲版) 01:18
13.マスネ:歌劇「タイス」〜 瞑想曲05:23

録音:
1956年10月5-6日(1,9)
1956年9月22&28日,10月6&10日(2-5,7)
1959年9月10-11日(6,11-13)
1958年6月30日,7月1-2日(8)
1958年5月10-11日(10)

マイケル・レビン(ヴァイオリン)(6.11-13)
ハリウッド・ボウル交響楽団

CD3
1.ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ06:16
2.J. S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068〜アリア 06:06
3.ラヴェル:ボレロ 14:30
4.チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」 Op. 4914:57
5.フランツ・スッペ:「軽騎兵」序曲 06:47
6.ロッシーニ:「ウィリアムテル」序曲 11:24 

J.S.バッハ(編曲.ヴィラ・ロボス)
7.前奏曲第8番, BWV 853 05:45
8.フーガ第8番, BWV 853 05:28

録音:
1956年9月22&28日,10月6&10日 (1)
1958年5月10-11日(2)
1956年10月5-6日(3)
1957年4月25-27日(4-6)
1959年1月10-11日(7,8)

ハリウッド・ボウル交響楽団(1-6)
コンサート・アーツ・チェロ・アンサンブル(7,8)
Capitol Tower, Studio B

CD4
1.エルンスト・フォン・ドホナーニ ?:童謡の主題による変奏曲Op.25 25:09

メンデルスゾーン:組曲「真夏の夜の夢」 
2.Overture 11:48
3.Scherzo 04:27
4.Wedding March  05:02 

ミハイル・イッポリトフ=イワノフ:組曲「コーカサスの風景」, Op.10 
5.I. In a Mountain Pass  10:00 
6.II. In a Village 04:50 
7.III. In a Mosque  04:06
8.IV. Procession of the Sardar 03:41 

9.グリーグ:ノルウェー舞曲第2番 02:26

録音:
1956年9月29日 - Samuel Goldwyn Studios, Stage 7(1)
1957年4月25-27日(2-4)
1955年12月16-18日 - Samuel Goldwyn Studios, Stage 7(5-8)
1956年9月22&28日,10月6&10日(9)

ビクター・アラー(ピアノ); コンサート・アーツ交響楽団(1)
ハリウッド・ボウル交響楽団(2-9)

CD5
グリーグ
ペール・ギュント 組曲 第1番 Op. 46
1.1. Morning Mood  03:50 
2.2. Aase's Death  04:51 
3.3. Anitra's Dance  03:17
4.4. In the Hall of the Mountain King  02:18

ペール・ギュント 組曲 第2番 Op. 55 
5.1. The Abduction of the Bride ? Ingrid's Lament04:30 
6.2. Arabian Dance  04:28
7.3. Peer Gynt's Homecoming (Stormy Evening on the Sea) 02:42
8.4. Solveig's Song  04:45 

サン・サーンス:組曲「動物の謝肉祭」
9.Introduction et marche royale du lion
(Introduction and Royal March of the Lion)01:49
10.Poules et coqs (Hens and Roosters)  00:42
11.Hemiones (animaux veloces) (Wild Donkeys Swift Animals) 00:36 
12.Tortues (Tortoises)  02:06
13.L'Elephant (The Elephant) 01:14
14.Kangourous (Kangaroos) 01:08
15.Aquarium   02:18
16.Personnages a longues oreilles (Characters with Long Ears) 00:45
17.Le Coucou au fond des bois
(The Cuckoo in the Depths of the Woods)02:44
18.Voliere (Aviary)  01:07
19.Pianistes (Pianists)  01:05
20.Fossiles (Fossils)  01:19 
21.Le cygne (The Swan)  03:03 
22.Final (Finale)   01:49

チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」Op. 71a 
23.Miniature Overture  03:02 
24.March   02:09
25.Dance of the Sugar Plum Fairy  01:42 
26.Russian Dance (Trepak) 01:04 
27.Arabian Dance  03:23 
28.Chinese Dance  01:03
29.Dance of the Reed Flutes (Les Mirlitons) 02:03
30.Waltz of the Flowers  06:09 

31.弦楽のためのセレナーデから  03:50 

録音:
1955年12月4-5日 - Stage 7 of the Samuel Goldwyn Studios, Hollywood(1-8)
1954年4月11日(9-22)
1957年4月25-27日(23-30)
1958年5月10-11日(31)

ハリウッド・ボウル交響楽団(1-8, 23-31)
クター・アラー, ハリー・スクマン(ピアノ); コンサート・アーツ管弦楽団(9-22)

CD6
ドビュッシー : 小組曲(編曲:H. ビュッセル)
1.I. En bateau  04:48
2.II. Cortege  03:05
3.III. Menuet  03:21
4.IV. Ballet  03:11

オッフェンバック :バレエ音楽「パリの喜び」(編曲. マニュエル・ロザンタール) 
5.Ouverture (from: La vie parisienne) 02:07
6.Allegro moderato (from: Mesdames de la Halle) 01:03
7.Polka (from: Le voyage dans la lune) 01:32
8.Landler (from: Lieschen et Fritzchen) 01:34
9.Mazurka (from: Vert-Vert)  02:13 
10.Valse (from: La vie parisienne) 02:08
11.Entree du Bresilien (from: La vie parisienne)01:07
12.Polka (from: La belle Helene)  01:24
13.Valse (from: Orpheus in the Underworld)03:21
14.Marche (from: Tromb-al-Cazar) 01:21
15.Valse (from: La vie parisienne) 01:48
16.Entree du Bresilien (from: La vie parisienne)00:13
17.Valse (from: Les contes d'Hoffman) 01:59
18.Duel (from: Le voyage dans la lune) 02:18
19.Valse (from: La Perichole)  02:37 
20.Prelude au Can-Can
(from: Orpheus in the Underworld)00:24
21.Can-Can Scene 1
(from: Orpheus in the Underworld, Robinson Crusoe) 01:55
22.Can-Can Scene 2 - Polka
(from: Orpheus in the Underworld)01:47
23.Can-Can Scene 3 (potpourri)  02:04
24.Can-Can Scene 4
(Orpheus in the Underworld, La vie parisienne,
Les contes d'Hoffman)  05:28 

25.ブリテン:青少年のための管弦楽入門, Op. 34 16:53

録音:
1952年9月11日 - Capitol Melrose Studios, Hollywood(1-4)
1956年9月22&28日&10月6&10日(5-24)
1956年8月18&20日 - Samuel Goldwyn Studios, Stage 7(25)

コンサート・アーツ管弦楽団(1-4,25)
ハリウッド・ボウル交響楽団(5-24)

CD7
グローフェ
組曲「グランド・キャニオン」 
1.I. Sunrise 05:28 
2.II. Painted Desert06:19 
3.III. On the Trail07:21 
4.IV. Sunset 05:11 
5.V. Cloudburst  08:14 

ミシシッピ組曲 
6.I. Father of the Waters 03:14 
7.II. Huckleberry Finn02:27 
8.III. Old Creole Days02:38 
9.IV. Mardi Gras04:53 

イベール :ディヴェルティスマン
10.Introduction 01:09
11.Cortege 04:38
12.Nocturne 02:51
13.Valse 03:03
14.Parade 01:53
15.Finale 01:47

録音:
1956年3月5&12日(1-9)
1953年11月23日(10-15)

ハリウッド・ボウル交響楽団(1-9)
コンサート・アーツ管弦楽団(10-15)

CD8
アメリゴ・マリーノ (1925-1988)(編曲)
1.Arkansas traveler (Traditional)  02:21
2.Orange blossoms special (Traditional) 02:45
3.Listen to the mockingbird (Traditional) 01:57
4.Faded love (B. Wills)   03:16
5.Fisher's horn pipe (Traditional) 01:35
6.Chicken reel (J.M. Daly)  01:52
7.Devil's dream (Traditional)  01:42
8.Turkey in the straw (Traditional) 01:52
9.Back up and push (Traditional) 01:37
10.Maiden's prayer (Traditional) 03:09
11.Golden slippers (Traditional)  02:38
12.Fire on the mountain (Traditional) 01:48

フェリックス・スラットキン- アメリゴ・マリーノ (1925-1988)
13.チャイコフスキー交響曲第4番から 01:47
14.ベートーヴェン:交響曲第4番から 01:57
15.ベートーヴェン:エリーゼのために 02:41
16.ラフマニノフ:前奏曲嬰ハ短調から   02:49
17.ビゼー:カルメンから 02:17
18.ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界」から03:09
19.モーツァルト:ロンドニ長調から  01:52
20.チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲から03:45
21.サラサーテ:サパテアドから  02:01
22.サン・サーンス:ハバネラから  04:21
23.チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」から 02:44
24.オッフェンバック:「天国と地獄」から 01:38
録音:
1962年 The Fantastic Fiddles (1-12)
1963年 The Fantastic Strings(13-24)

CD9
1.リヴェリー (民謡) 00:21
2.アメリカ野砲隊 (スーザ)  02:33
3.錨を上げて (ツィンマーマン) 02:48
4.U.S.マリーンズ・オン・パレード(マンシーニ) 02:38
5.空軍の歌 (クロフォード)  03:04
6.センパー・パラタス(ヴァン・ボスケルク)02:03
7.星条旗よ永遠なれ(スーザ)  03:33
8.忠誠 (スーザ) 02:35
9.ナショナル・エンブレム(バグレイ)02:56
10.喜歌劇「エル・カピタン」(スーザ)02:17
11.ワシントン・ポスト(スーザ) 02:30
12.雷神(スーザ) 02:09
13.双頭の鷲の旗の下に Op. 159 (J.F. ワーグナー) 02:28
14.アメリカン・パトロール(ミーチャム)04:06
15.アメリカ合衆国国歌 「星条旗」(スミス)01:48
16.タップス(バターフィールド) 00:48
17.チャージ! (アーノルド)  05:11
18.ドラマー・ボーイズ (アーノルド) 04:15
19.ラッパ吹きの夢 (アーノルド) 06:48

21.バグパイプとドラム (アーノルド) 05:20
22.ジョニーが凱旋するとき(アーノルド)04:02

録音:
1958年 Concert - Arts Symphonic Band(1-16)
1959年 The Light Brigade(17-22)

CD10
ガーシュウィン
1.歌劇「ポーギーとベス」 - シンフォニック・ピクチャーズ16:59
2.ラプソディ・イン・ブルー18:04
3.パリのアメリカ人 23:30

ミヨー: 打楽器と小管弦楽のための協奏曲 
4.Rude et dramatique  02:40
5.Moderee 04:47

録音:
1959年 (1-3)
1955年1月10日 (4,5)

レナード・ペナリオ(ピアノ); ハリウッド・ボウル交響楽団(1-3)
Hal Reese(打楽器); コンサート・アーツ管弦楽団(4,5)

CD11
ヴィラ・ロボス:ブラジル風バッハ 第1番, W.246 
1.Embolada  06:16
2.Modinha  07:51
3.Conversa  04:10

モートン・グールド:シンフォネット 第4番 「ラテン・アメリカ・シンフォネット」
4.Rhumba  05:34
5.Tango 06:32
6.Guaracha  03:12
7.Conga  05:40

ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲変ニ長調 op.38
8.Allegro, ma non troppo e maestoso 15:21
9.Andante con anima 11:34
10.Allegro brillante 09:51 

録音:
1959年1月10-11日 - Capitol Tower, Studio B(1-3)
1959年 (4-7)
1956年10月5-6日 (8-10)

コンサート・アーツ・チェロ・アンサンブル(1-3)
ハリウッド・ボウル交響楽団(4-7)
レナード・ペナリオ(ピアノ); コンサート・アーツ交響楽団(8-10)

CD12
ディーリアス
1.On Hearing the First Cuckoo in Spring06:16
2.Summer Night on the River 05:36
3.Intermezzo from 'Hassan' 02:02
4.Serenade from 'Hassan' 01:56
5.Caprice for Cello and Orchestra02:51
6.Elegy for Cello and Orchestra 04:38
7.Prelude to 'Irmelin'  04:08

ハール・マクドナルド(1899-1955):ハープと管弦楽のための組曲「幼年時代より」
8.Allegro moderato  07:10 
9.Molto moderato  07:28 
10.Allegro moderato, ma vigorosamente 06:32 

11.アンドレ・カプレ(1878-1925):幻想的な物語 16:55 

カルロス・チャベス(1899-1978):打楽器のためのトッカータ
12.Allegro sempre giusto 04:49
13.Largo 03:30
14.Allegro, un poco marziale 03:24

録音:
1952年9月8&11日(1-7)
1953年12月7日 - Capitol Records Studios, Hollywood(8-10)
1953年11月17日(11)
1954年10月17日(12-14)

ポール・シュレ(ソロ・ヴァイオリン) -エレナー・オーラー(ソロ・チェロ)(1-7)
アン・メイソン・ストックトン(ハープ)(8-10)
コンサート・アーツ管弦楽団

CD13
1.ボナンザ(リヴィングストン&エヴァンズ)  02:23
2.Golden Earrings (Livingston; Evans; Young)  02:26
3.Spellbound (David; Rozsa)  02:37
4.Terry’s Theme from Limelight (Chaplin)  02:30
5.Theme from A Summer Place (Steiner) 02:13
6.Peter Gunn (Mancini)   01:35
7.Love Is A Many Splendored Thing (Webster; Fain) 01:59
8.Three Coins in The Fountain (Styne; Cahn)  02:23
9.Mr. Lucky (Mancini)   02:39
10.Gigi (Lerner; Vian; Loewe)  02:18
11.Green Leaves of Summer (Tiomkin; Webster)  02:13
12.Around the World (Adamson; Young) 01:54
13.Unchained Melody (A. North; H. Zaret)   02:43
14.The Magnificent 7 (E. Bernstein) 01:56
15.My Own True Love “Tara's Theme” (M. David; M. Steiner)02:46
16.Last Date (F. Cramer)  02:50
17.Song from Moulin Rouge “Where Is Your Heart” (Auric; Engvick) 02:26
18.Theme from The Sundowners (Tiomkin)  02:20
19.Laura (D. Raskin; J. Mercer)  02:52
20.Never on Sunday (B. Towne; M. Hadjidakis)  02:02
21.Exodus (M. Gould)   03:21
22.Night Theme (R. Peterson; W. Cogswell)  02:25
23.Smile (Chaplin; Parsons; Turner) 02:48
24.It's Not Forever (D. Marks; D. Duran) 02:16

録音:1961年 ?

The Fantastic Strings

総合評価

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決して名演ではない。なのでクラシックの名...

投稿日:2024/01/21 (日)

決して名演ではない。なのでクラシックの名演を期待して聴くと肩透かしを食らうことになります。でも、楽しく聴かせてくれる。B級楽団が地方で行うファミリーコンサート、と言えば雰囲気が伝わるでしょうか。その辺を割り切って向かい合えば、ガーシュインなんてホント楽しめます。

Pavane さん | 北海道 | 不明

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ハリウッド四重奏団とのベートーヴェン後期...

投稿日:2023/01/12 (木)

ハリウッド四重奏団とのベートーヴェン後期やシェーンベルクと指揮でのライト・クラシックのギャップがありすぎてフェリックス・スラトキンの実像は私には見えにくかった。しかし、このスクリベンダム盤をHMVの素晴らしい年表とともに聴くと納得できるものがあった。最初の録音はディーリアスであり、その後イベール、カプレ、ミヨー、チャベスとかなり珍しい曲目を選び指揮者としても本格的に挑んでいた。それが55年キャピトルがEMIに吸収されるとライトクラシックに徐々に移行する。EMIには山ほど本格派指揮者がいるのだからハリウッドのオケはおよびでなかったということなんだと思う。これが米国で受け、スラトキンはハリウッド四重奏団を解散しイージーリスニングの指揮者になった訳だ。その矢先の急死なのだが、この路線は生きていたとしても上手くいかなかったのではないか。リバティに入れたイージーリスニングはアレンジがチープでつまらない。当時はこれでも売れたかもしれないが60年代後半にはイージーリスニングは終焉に向かう。むしろクラシックレパートリーは悪くないのだ。ガーシュウィンを聴くとNYP、ボストン・ポップス、フィラデルフィア等東海岸のオケとは音が全然違うのが新鮮だ。これはMGMミュージカルの音なのだ。奏者はブルージーなプレイを聴かせるが、スラトキンが指示したのではなく映画音楽の仕事で各奏者身についているのだろう。ハリウッドボウル交響楽団はコロンビア交響楽団と同様に編成は小型のようだが演奏技術は高く通常のクラシックレパートリーも楽しく聴ける。加えてキャピトルの録音は優秀。60年代もクラシックで頑張ってほしかった指揮者である。

フォアグラ さん | 愛知県 | 不明

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アメリカのレーベル、キャピトルの看板アー...

投稿日:2021/08/13 (金)

アメリカのレーベル、キャピトルの看板アーティストとして活躍したフェリックス・スラトキン、多数の録音を残しましたが、こんにちでは一部の録音を別にして復刻される事は稀です。 スクリベンダムから出たこの13枚のボックスは貴重なもので、フェリックスの代表的な音源を集めた内容となっています。 フェリックスの録音は大雑把に分けてクラシック、ポピュラー、その他で、同じくキャピトルで活躍したカーメン・ドラゴンに比べてクラシックの割合が強めです。 基本的にはロマン派以降のオーケストラ小品を中心としていますが、バッハなどのバロックや同時代の作曲家まで幅広くレパートリーを誇っています。 特に同時代の作曲家の作品ではこんにちでは忘れられた作品もあるなど資料的な価値も高いです。 オケはハリウッド・ボウル交響楽団と、コンサート・アーツ交響楽団、更にコンサート・アーツ・チェロ・アンサンブルと複数の団体が明記されていますが、これらは録音用の団体のはず。 しかし多少粗さはあっても、演奏は軽やかで軽快な楽しいものばかり。 アメリカの作曲家も含めてノリ良く聴かせるなどこの時代ならではの演奏です。 ポピュラー分野ではこのCDでは、ファンタジック・ストリングスとファンタジック・フィドルズを振ったもので、上質なイージーリスニングに仕上がっているのは流石です。 その他は吹奏楽、言わゆる行進曲ですが、アメリカの団体らしいご機嫌で豪快なコンサート・アーツ交響吹奏楽団とのアメリカ行進曲や、ザ・ライト・ブリゲードとのアーノルドのファンファーレやドラムなどの式典音楽集が収められています。 録音から相当な年数が経っており、多少の古さはあるものの、録音年代の割に音はそれほど悪くは無いかと思います。 ただ他のスクリベンダムと同じく編集が雑なところはありますが。 廉価盤なので解説書などはありません。 しかしHMVサイトのスラトキンの詳細な解説が載っており、これを読めば充分です。 今後、本家からここまでのボックスが出る可能性は高くないと思いますので気になるなら早めの入手をお勧めします。 追記 CD10のガーシュウィンですが、CDの厚紙裏ジャケの収録順と異なっています。 正しくは1曲目がラプソディ・イン・ブルー、2曲目がパリのアメリカ人、3曲目がポギーとベスです。 ただこれプレス時の制作のミスなのか、ジャケットの制作時の間違いなのかは不明で、ロットによっては裏ジャケ通りの順に収録されているのもあるかもしれません。

レインボー さん | 不明 | 不明

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