Aretha Franklin

Aretha Franklin (アレサ・フランクリン) プロフィール

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1942年3月25日、メンフィスに有名な牧師C.L.Franklinの娘として生まれたアリサは、幼い頃からゴスペルを聞いて育ち、12歳で父親の教会の聖歌隊に参加、4オクターブの声域と生々しい感情表現、絶妙なブレス・コントロールは当時から秀でており、たちまち地元で大きな評判となった。14歳で始めてのレコーディングも経験、デトロイトのJVBから遂にシンガー・デビューを果す。当時、アリサの家には彼女が最も影響を受けたというゴスペル・シンガー、クララ・ワードやマヘリア・ジャクソン、ダイナ・ワシントン,サム・クック等、大スター達が家に来ては歌っていたという。


ゴスペル畑での経験を活かし、R&Bフィールドへの足を踏み入れたのは1960年、アリサ18歳の夏であった。ニューヨークのCBSコロンビア・レコードに迎えられたアリサは、8月1日N.Y.のスタジオで、プロデューサー、ジョン・ハモンドの元で4曲を吹き込み、その中に1曲「Today I Sing The Blues」が正式なデビュー・シングルとして発表され、同年11月から翌年1月にかけてスマッシュ・ヒット(ビルボードR&Bチャートで最高10位)を記録、一躍人気歌手の仲間入りを果した。このコロンビアには’65年まで在籍し、「Won't Be Long」や「Operation Heartbreak」等のヒットを生むが、後半の数年は決して順風満帆という訳ではなかった。


しかし、66年秋、ジェリー・ウェクスラーとの出会いがきっかけとなってニューヨークのアトランティック・レコードと契約、後に”レディ・ソウル”と呼ばれるアリサがここに誕生することになる。当時、アメリカのソウル/R&B界は南部のサウンドが中心勢力の一部を形成していたが、アリサも翌’67年1月、アラバマのマッスル・ショールズのFame Studioで移籍第1弾シングル「I Never Loved A Man」(The Way I Love You)」を発表、R&Bチャートで堂々のナンバー・ワンの輝き、続くシングル「Respect」では遂にポップ・チャートをも制し、この1作で名実共にR&B界の”女王”として君臨していった。アリサ25歳の時である。


まさに黄金時代とも言えるアトランティックでのアリサの活躍振りには、目を見張るものがあった。「Baby I Love You」、「Chain Of Fools」、「(Sweet Sweet Baby)Since You've Been Gone」、「Think」と立て続けにナンバー・ワン・ヒットを連発、後の彼女の代名詞ともなる「A Natural Woman(You Make Me Feel Like」もこの時期に生まれた名曲の一つである。因みにアリサは’68年から’70まで3年連続でグラミー賞最優秀R&B女性アーティストを受賞している。


70年代に入っても彼女の勢いは留まる事を知らず、「Call Me」に始まり、サイモン&ガーファンクルのカヴァー、「Bridge Over Troubled Water」、「Spanish Harlem」、「Day Dreaming」、「Angel」、スティーヴィとの共作「Until You Come Back To Me」、「I'm In Love」「Something He Can Feel」、「Break It To Me Gently」と快調にヒット・チャートを制覇していった。


そんな彼女に大きな転機が訪れるのが1980年。14年間在籍していたアトランティックを離れ、アリスタへ移籍。ここからのアリサは、よりコンテンポラリーなサウンドを導入し、ポップ・フィールドでも多大な功績を残していった。’81年発表の「Love All The Hurt Away」では旧友アリフ・マーディインをプロデューサーに迎え、タイトル曲ではジョージ・ベンソンとデュエット、アリサの新たな魅力でファンを陶酔させた。その後もルーサー・ヴァンドロスやナラダ・マイケル・ウォルデン等、新進気鋭のサウンド・クリエイター達と手を組み、「Jump To It」、「Get It Right」「Freeway Of Love」等のナンバー・ワン・ヒットを生んだ。勿論、反論はあろうが、個人的にはこの時期のアリサがいちばん好きだ。まだという方には是非とも「グレイテスト・ヒッツ1980−1994」を聞いていただきたい。

 

2005年、大統領自由勲章を受章。2009年、バラク・オバマ大統領の就任式式典において歌を披露。

 

2017年リリース予定の新作(プロデューサーにスティーヴィー・ワンダー含む)の発表をもって引退する考えを述べた。

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