Alvin Lee

Alvin Lee (アルヴィンリー) プロフィール

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1969年8月17日に行われたウッドストック・フェスティヴァルのステージで、25万人というとてつもない数の観客を前にして“アイム・ゴーイング・ホーム(I'm Going Home)”のラウドなギター・リフを披露したアルヴィン・リーは、一瞬にしてロック・ギタリストの大スターとなった。

アルヴィン・リーは1944年12月29日、英北部のノッティンガムに生まれた。アマチュア・ミュージシャンとして活動していたアルヴィン・が、プロ・キャリアを歩み始めるのは1966年のこと。地元ノッティンガムで知り合ったレオ・ライオンズ(b)とともに、当時アマチュアの修行場として知られたドイツのハンブルグへ活動の場を求めて渡ったのだ。そこで出会ったリック・リー(ds)を加えた彼らのバンドは、ジェイバーズを名乗り、数ヶ月かの地で活動する。その後ジェイバーズはチャック・チャーチル(key)を加えラインナップが揃う。テン・イヤーズ・アフター(以下TYA)と改名した彼らは、ロンドンのマーキー・クラブなどで演奏活動を行っていくが、さらに「ウィンザーズ・ブルース・フェスティヴァル」への出演という幸運を掴み、そこでのパフォーマンスが認められたことによって、デッカ・レーベル傘下のデラムとレコード契約を結ぶことになった。

1967年、TYAは記念すべきデビュー・アルバム テン・イヤーズ・アフター(Ten Years fter)を発表。ヘヴィながらジャズ的な感触も携えた同作への注目が集まったが、何といっても最大の話題はアルヴィン・リーの「速弾き」だった。

デビュー作で早くも好評を得た彼らは、同年中に全英、全米ツアーに突入。ライヴでそのエネルギッシュな魅力を発揮したTYAは着実にファンを増やしていく。ただそのライヴでのエネルギーがそのままアルバムに反映されていたかというとそうではなく、作品のセールスはそれほど伸びなかった。そこで1968年には早くもセカンド・アルバムにしてライヴ作のイン・コンサート(Undead)がリリースされている。

1969年、TYAは二枚目のスタジオ録音作 ストーンヘンジ(Stonehenge)を発表。その後は数々のフェスティヴァルに出演し、この頃から「フェスティヴァル荒し」なる異名をとるようになっていった。そんな中でも特大級のフェスティヴァルへの参加が、冒頭に触れた伝説的なウッドストック・への出演だった。

ここ日本でのTYA人気を決定付けたのは、同1969年後半にリリースされた 夜明けのない朝(Ssssh)だった。アルバム・セールスで苦心していた彼らにとって初といってもいいベストセラー作品となったのだ。翌1970年に入ると、あの「ワイト島フェスティヴァル」に出演。また同年にレーベルをクリサリスへと移籍した彼らは、同レーベルから クリックルウッド・グリーン(Crickled Green) ワット(Watt) 、1972年に スペース・イン・タイム(Space In Time) 、1973年に ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド(Rock 'N' Roll Music To The World) とアルバムをリリース。この時期バンドはコンスタントな人気を持続する。

そうしたバンド周辺に不穏な空気が流れ出すのは、1973年の初来日公演を終えた頃のことだった。まずアルヴィンTYAでの活動に興味を失っている旨の発言をし始め、彼は米国のゴスペル・シンガーと組み、ソロ・アルバム 自由への旅路(On The Road To Freedom)を発表。またチック・チャーチもソロ作を発表するなど個人活動が目立つようになった。そうした結果、遂にTYAは一時的に活動休止。その間、スタジオ録音アルバムのリリースはもちろん無く、2枚組ライヴ盤 ライヴ!(Recorded Live)をリリースするが、これがあまりセールスを上げられず、とうとうバンド自体の人気にも翳りが出てきたのだった。

1974年、アルヴィンはソロ・アルバム第二弾 栄光への飛翔(In Flight)を発表。さらにバック・バンドを従えてのソロ・ツアーまでも敢行。TYAの生命はここでもはや終わっていたと言える。同1974年に彼らは8作目となるスタジオ・アルバム ヴァイブレーション(Positive Vibration)を発表するが、それ以降何の動きも見せず事実上解散となるのである。

その後当然のようにアルヴィン・リーはソロ活動を続行。他のメンバーはプロデュースや音楽出版関係、マネージメントといった職でミュージック・ビジネスに留まったようだ。その後1983年に、クラブ「マーキー」の創立25周年記念ライヴにTYAは一瞬だけ復活。それからはアルヴィンにしても地味なソロ活動を強いられ、他のメンバーといえば辛うじてレオ・ライオンズがザ・キックというプロジェクトをやっているというくらいで、殆ど音楽シーンの表舞台で彼らTYAの名前がのぼることもなくなっていった。

しかしそうした中、1989年の半ばにTYAはオリジナル・ラインナップで突如復活。同年にアルバム アバウト・タイム(About Time) を発表したが、その後の音沙汰はやはり無くなっていった...。

アルヴィン・リーのプレイにある独自性は、主に彼の同時代のブルース・ロック・ギタリスト達がひたすら米国ブルースの巨人たちをコピーしていたのに対して、彼自身はチャーリー・クリスチャンタル・ファーロウといったジャズ系ギタリストの速いピッキングを習得し、自らのスタイルに取り入れていたというところから説明できる。

「速弾きギター」といえば現在ではイングヴェイ・マルムスティーンなどに代表される一連のギタリスト達の呼び名になっており、誰でも思い起こせるような、あの神ワザ的なギターが頭に浮かぶ。だがTYAに在籍し、当時「西洋で最も速く弾けるギタリスト」という名声を得ていたアルヴィン・リーの時代には、誰ひとりとしてあのようなギターが弾ける者は居なかった。もちろん今、イングヴェイのコピーに夢中になっているような最近のギター・キッズには、アルヴィン・リーのギターなどはとても簡単に弾けてしまうに違いないと思う。しかし当時のギター・プレイのレベルを考慮した場合には、アルヴィン・リーの3連譜、4連譜を巧みに組み合わせた流麗なフレーズの数々は、やはりかなりの「速弾き」と呼べるものだったのだ。

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